Tuesday, October 03, 2006

だああああ Driving me crazy

ここしばらく,というか何ヶ月も,やたらとメールの調子が悪くてですね,
一体何なのだろうと思っていたのです。

そしたらとうとうInformation Technology Centreが,メールサーバへのアクセスを制限しているということが判明。・・・つながんない筈ですよ・・・

どうやら,

(1)サーバに接続すること自体が20回に1回くらいしかできない
(2)送受信が何十分も,酷いと半日以上遅れる
(3)SpamじゃないメールをやたらSpamフォルダーに移してしまう
(4)SpamがSpamと認識されず普通にフィルターを通過して届いてくる

ようです。

正直とってもout of control。手に負えません(涙)どないせいっちゅーのじゃ。
メーラーの送受信ボタンを押すと,「サーバへの接続に失敗しました」というメッセージが延々と出続けるという,頭をかきむしりたくなるような苛々する状況です。

・・・なので・・・メールの返信等が遅れましたらどうぞお許しくださいませ。

Tuesday, September 26, 2006

命は誰のものか To be or not to be

楽しい集まりがひけて終電で帰りました。
鼻歌交じりのご機嫌で家路につき、玄関のドアを開けたら、

ビイイイイイイイイイ

夜のしじまにけたたましい音が!!!
ひいいいいい、とムンクの叫びな顔になりました。
私が帰ってくると思わなかった家族が防犯システムをオンにして寝ていたのでした。
「帰ってくるなら帰ってくると言え」と、ばっちり叱られました。えーーん。ごめんなちゃいいいい。
叱られるときは幾つになっても子供です。

さて、今日のディベートは、「積極的安楽死を合法化すべきか」でした。
私は否定側第一スピーチを担当しました。3-1で負けました(涙)
まあ、そもそもリベラルな人が多いディベート界では、
この論題で否定側が勝つのは稀です。国際大会なら尚更。
なので、まあ仕方ないかな、という気はします。
それを除いても私の出来は悪かったのですけど(涙)

肯定側の論点は、やはり患者自身の死に方を選ぶ権利、QOLについてなどでした。命は本人のもので死も含めて自己決定権がある、というものです。

私自身は、根っからPro-Choiceなので、堕胎についても安楽死についても肯定側です。だから肯定側の意見につい頷きたくなってしまいます。否定側の意見を組み立てるのは結構大変でした。

まあ、そんなこと言っても始まらないわけで。自分以外の人の考え方もシミュレートしてみれるところがアカデミック・ディベートの美点なわけで。そうやって他人の立場や意見を思い遣ったり尊重したりする術を学んでいくわけで。否定側になった以上は否定側の立場を掘り下げて考えなければなりません。

私たち否定側は、肯定側のQOLに対して、SOL(Sanctity of Life)を掲げ、「どんな状態でも、たとえ息をしているだけでも生きていることには意味がある。それが誰のものであっても、たとえ自分自身のものであっても、命を奪う権利は誰にもない。」というPro-Lifeの立場を打ち出しました。

この部分は、どうやらあまり観客ウケしなかったようです。もっとプラクティカルな話に焦点を絞ってもらいたかったみたい。国際大会では、こういう大上段に構えた倫理に関する議論がウケるので、ついついそちらに合わせた議論をしてしまいがちな私。日本の観客の方はディベート経験者でもそうでなくても一貫してプラクティカルな分析を好む傾向があることをすっかり忘れていました。失敗。

スピーチのリプロダクションもいつもどおりやってしまいたいところなのですが、とっても眠いので明日にすることにします。とにかく今日の教訓は、倫理と実利のバランスを取ろう!ってことでしょうか。また後日スピーチをアップします(^v^)

Tuesday, September 19, 2006

[Comic] 夕凪の街 桜の国 Town of Evening Calm, Country of Cherry Blossoms

[漫画] こうの史代.2004.『夕凪の街 桜の国』.双葉社.

ようやく読みました。

手塚治虫文化賞新生賞と文化庁の賞のダブル受賞をしたと話題になった作品。 プラチナ本とやらにも選ばれたとか。気になってはいたのです。

題材がヒロシマとあって,やっぱり重い内容ではあるのですが,身近に感じる描き方でもあります。特に『桜の国』は,随所に日常感いっぱいのユーモアも散りばめられ,現実の問題としての被爆二世や三世の気持ちと社会を近く感じさせます。変にグロテスクさのみを押し出していたり,お涙頂戴的だったり,政治主張がどぎつかったりしていないので,多くの人に読みやすいだろうと思いました。好感の持てる作品でした。

たった100ページで800円と,漫画の相場から考えると高い価格設定ですが,その価値はあるように思いました。

英語版・フランス語版・台湾版も出版されているとのことで,友人に薦めてみようかな,と思いました。海外の新聞で,『蛇にピアス』とか,『下妻物語』とかしか紹介されていないのを常々残念に思っていました。こういう作品も英訳されていると知って,少し嬉しく思いました。

Wikipediaの解説はこちら


[Comic] Kouno, Fumiyo. 2006. Town of Evening Calm, Country of Cherry Blossoms. Last Gasp.

Read the publisher's review is here.

Amazon's site is here.

Monday, September 18, 2006

邂逅 Encounter

邂逅という曲にまつわる,さだまさしのエッセイを読んだことがある。うろ覚え
だが,確かこんな内容の歌だったと思う。

歌の主人公は,若い頃父親と反目しあって,以来父親との交流がなかった。父親
はそのまま他界してしまった。ある日,父親の遺したカメラにフィルムが残って
いるのに気づく。現像に出すと,写っていたのは母親だった。それを見て,主人
公はそれまで自分が知らなかった父親の一面に触れる。父親が他界してしまった
後になって,父親と初めて本当に出会った気持ちになる。

確かエッセイの内容は,こういう特殊な関係に関わらず,知り合って随分経って
から,本当の意味で邂逅することは少なからずある,というものだったと思う。

***

先週末はずっと家に閉じこもって書き物をしていた。作業中は例によってリスニ
ング用にビデオを流していた。久しぶりに,二十年近く前の父の米国出張土産を
流した。古いVHSのビデオテープだ。ディズニーの『ロビン・フッド』,『マイ・
フェア・レイディ』,これまたディズニーの『メアリー・ポピンズ』といった,
小さい時分に何十回となく観た映画だ。

米国で買ったものなので字幕がない。英語がわからなかった頃にどうやって楽し
んだのかというと,言葉はわからないままだったのだ。大体の筋は,以前に観た
ことのあった母の解説で大雑把に理解していた。ディズニー・アニメーションの
類は元から,言葉が解らなくても大雑把なストーリーは解る画である。子供が映
画を楽しむには画と音楽で充分だった。

しかし,久しぶりに観てみるとクリアに台詞が聞こえてくる。数年前はセリフの
意味が大体察しがつく程度だったのが,いつのまにかシャドウィングできるよう
になっている。一文一文の意味が漸く解って,驚いた部分もかなりあった。特に
冗談やパロディ,引用の類は初めて理解したものが多かった。語彙が不足してい
たために中学生・高校生の時は解らなかったような表現もいつのまにかわかるよ
うになっていた。解るようになると,映画の印象は随分と変わった。

例えば『ロビン・フッド』では,"outlaw for in-law"というオヤジギャグ以外の
何物でもないような台詞が二回も出てくる(リチャード王の唯一の出番の唯一の
台詞がこれ。王様の威厳ゼロ)。「俺みたいなならず者と結婚してくれなんてお
姫様に言えっこないさ」と溜め息をつくロビンに「料理もできないしな」と茶々
を入れるリトル・ジョン。"I'm serious!"と茶々に怒るロビン,といった細かい
掛け合いの数々も漸くわかるようになった。Friar Tuckがどうして「陽気な仲間」
に入るのかも漸く判明(なるほど,こいつぁー陽気だ。加えて言うなら,邦訳は
「陽気な」とするのが一般的だが,元は多分もっと「くだけた」とか「ストイッ
クさに欠けた」,更には「俗っぽい」とか「坊主の癖に色事に詳しい」的な意味
もあったのだろう。邦訳からじゃわかんないよな・・・)。他には例えば,鶏の謡
う"Every town... but not in Nottingham" というシニカルさ全開の歌。「税金
は悪だ」というメッセージがどぎつく感じる。自由経済賛美(弱肉強食・富裕層
優遇)の精神を子供に刷り込もうというディズニーのあざとさに見えてしまう。
政治的に過ぎないだろうか。他の歌の歌詞には十字軍を賛美しているものもあっ
てドキッとさせられる(現代では認められないデリカシーゼロな歌詞だ)。なん
か,子供向けのアニメの癖に妙に際どいなぁ・・・

同じように,『メアリー・ポピンズ』ではパパが「アフリカとの貿易(貿易じゃ
ないだろ,植民化だろ)万歳,紅茶のプランテーション万歳,大英帝国万歳」と
いう植民制度賛美の歌を歌っている(これまた現代では認められないデリカシー
のなさだ)。銀行のお偉いさんは「おかげでアメリカ人でさえ飲めないような紅
茶に成り果てた」と,アメリカ人の味覚音痴ぶりを冗談に使っているが,これも
ちょっとNHK的にはアウトな感じ(今だったらステレオティピカルだと批判され
そう。まあ,制作がアメリカ自身の自虐ギャグだから許されるだろうけど)。そ
の癖foxhuntingの狐を助けるシーンがあったり,パパが「しかし伝統だから」と
言い訳したりするシーンがあったりして妙に現代に通じる。

『マイ・フェア・レイディ』のヒギンズ教授は,「フランス人ってのは,発音に
は気を配るくせに,行いはからきしだね」という冗談を入れた歌で登場。あまり
に露骨な人種差別っぷりだ(まあ,このキャラクターの場合,人種に関わらずジェ
ンダーにも社会階層にも何にでも割と無礼だし,本人も台詞でそう言ってるけど
・・・「俺は別に花売り娘だからぞんざいに扱ってるわけじゃない。貴婦人に対し
ても花売り娘に対するのと同じようにぞんざいで無礼だ」と。。。自慢になって
ないし。言い訳になってないし。コントラしてるし。)。

素朴に楽しい映画として観れた子供時代とは違って,今観ると昔の「ファミリー
映画」は結構怖い。絵面(えづら)が可愛いだけに台詞の際どさにビックリして
しまう。サウス・パークよりこっちの方が問題じゃないか?欧米の子供たちは,
こういうの観て育つのかぁ。税金に対する観念にしても,イスラム教に対する漠
然とした「正義は我にあり」的態度にしても,フランス人の悪口は言い放題なメ
ディアにしても,理屈じゃなくて小さい時から刷り込まれてるのかもなぁ・・・
と思ってしまったり(red statesはこうしてできるのかぁ・・・みたいな)。ちょっ
と怖い。

英語が少し解るようになってこれだから,もっとちゃんと解るようになったら,
こうした古典映画をどういう風に思うようになるんだろう。私が本当の意味でこ
うした映画と邂逅できる日はまだ先なのかもしれない。

***

この「映画とプチ再邂逅」をして,言葉の壁を挟んだ人間づきあいも同じだな
・・・としみじみ思った。

海外の友人たちの言っていることのどれだけを自分は精確に理解しているんだろ
う。親しくしているつもりの相手のことも,実はぜーんぜん解ってないのかもし
れない。

彼らは私をどれだけ理解しているだろう。何せ私のことを保守的で物静かな大和
撫子だと思っていた彼らである。私の外見からさぞや思い込みを膨らませている
のだろう(私は外見だけなら気弱に見える)。

英語が今よりももっと不自由だった数年前は,私は沢山嘘をついた。別につきた
くてついたのではない。つかざるを得なかったのだ,言葉の問題で。

例えば,忘れもしない2002年夏。自販機に飲み物を買いに行った私はたまたまコー
チと鉢合わせした。鼻歌で『マイ・フェア・レイディ』の"Wouldn't it be lovely"
を歌っていた私に,コーチは「お前がヘプバーンのファンとは知らなかったな」
と言った。「うーん,そうでもないよ。どっちかって言うとジュリー・アンドリュー
スの方が好き」と返した私に,「ああ,舞台の時はアンドリュースだったの知っ
てるのか」とコーチは更に返した。「・・・yes」と私は妙な間を空けて応えた。コー
チは,私が知ったかぶりをしたと受け取ったようだった。実のところは,確かに
私はジュリーアンドリュースが舞台の『マイ・フェア・レイディ』のイライザ役
を務めていたことを知っていたのだ。けれど私が彼女とヘプバーンを比べたのは,
そのせいじゃなかった。『サウンド・オブ・ミュージック』と『マイ・フェア・
レイディ』が同じ年のオスカーを巡って競ったのが頭にあったからだった。ヘプ
バーンは負けたショックでしばらくスランプになった。このことをコーチに言わ
ず,彼の勘違いを訂正しなかったのは,別に嘘をつきたかったからではない(厳
密には嘘ではないし)。単に「ああ,これは英語で説明するのには私じゃ時間が
かかりすぎる。こんなつまらないことを説明するために相手を苛々させたくない
し,私自身そこまで元気が残ってない」と判断したからだ。英語が下手なのが理
由だったのだ。

全く同じ年,同じ夏,ひょっとすると同じ日だったかもしれない。同じコーチと
帰り道が一緒になって,食事の話になった。"I'm going to become a
vegitalian because killing is bad"と言う彼に,私は"But aren't plants
also lives?"と返した。すると「ああ,お前○○の××を読んだのか」とコーチ。
訊き返しても私には○○も××も聞き取れなかった。面倒くさくなった私は,ま
たもや妙な間を空けた後で,結局「・・・yes」と応えた。これもまた,知ったかぶ
りをしたと解釈されたようだった。しかし,本当のところは,植物も命であると
いう考えを私にインプットしたのは,一休さんであり,小学校の頃から叩き込ま
れる日本のアニミズム的な価値観(一寸の虫にも五分の魂とか夕日が背中を押し
てくるとか)であり,神は万物に宿るという神道的な刷り込みだった。これもま
た,当時の私には説明する面倒臭さの割りに重要度は低いことだった。私は説明
しなかった。受け売りなのは確かだから「no」じゃ不味かろう,じゃあ「yes」
で良いや,と今考えるとありえない割り切りぶりを見せたのだ。英語が下手だっ
たから。

同じ夏,今度は別のコーチが,ソクラテスの問答の話を始めた。最初に「ソクラ
テスを知っているか」と彼が尋ねたとき,私は「no」と即答した。ご存知だろう
が,英語のSocratesは,発音とアクセントがかなり違う。ソクラテスを知らなかっ
たのではなくて,コーチの言う「ソックラ・ティイイイイイズ」がソクラテスだ
と当時の私は気づかなかったのだ。話が進むうちに,「ああ,なんだ,ソクラテ
スのことだ」と私は内心思ったが,「やっぱり知ってる」とは言いにくい雰囲気
だった。そもそも,英語力に自信のない私には,話を蒸し返すのも,訂正のため
に説明するのも面倒臭いことこの上なかった。私はその後1時間,コーチの長い
話が終るまで,ソクラテスを知らないフリをし通した。

こうしたことを重ねていると,私自身と友人たちの抱く私に対するイメージは乖
離していく一方だろう。私は嘘をつき続け,彼らはその嘘を通してしか私を見れ
ない。どこまでいっても,彼らが私に本当の意味で邂逅する日は来ないのではな
いか。そんな風に思った。

今の私は,当時に比べれば英語でもずっとお喋りになっていて,当時のように誤
解を解かずに説明するのを諦めるようなことは,まずありえない。それでも,日
本語の時と同じだけの伝達力を保っているか,と言われれば否だ。例えば,上の
例なら,一休さんのことや小学校で学ぶ詩文の話など言ってもどうせ通じっこな
い。だから適当に端折ってしまうだろう。結局,私自身を彼らが知る日は来ない
のではないだろうか。

言葉の壁を挟んでもなお,この十年弱に沢山の友人ができた。私は彼らを愛して
いるし,彼らを近く感じてもいる。

でも,本当のところは,彼らは私を知らないし,私は彼らを知らないのではない
だろうか。

まるで思春期に入りたての子供のような,小さくてとりとめのない疑いがいつも
つきまとう。完全に分かり合うことがないなんてこと,日本人とだって同じだろ
うに。結局のところ,知り合って何年経っても,まるで今日初めて出会ったかの
ように,邂逅を繰り返していくしかないのだろう。そんな諦めにも似た気持ちが
私を奇妙に冷たくする。

それでも,今日も,邂逅記念日。
甘く,苦く,そして冷たく。邂逅記念日。

だって私はコミュニケーション・フェチだから!!

Tuesday, September 12, 2006

[Book] λに歯がない λ has no teeth

[本] 森博嗣.2006.『λに歯がない』.講談社.

読みましたー!ようやく。
感想としては,εよりずっと好み!楽しめました。

あ,以下ネタバレだらけです。お気をつけをば。

中盤で赤柳さんと話している女性,最後のシーンで梶間さんと話している女性は,両方とも各務さんだと思いました。口調とかSP同伴なとことか。でもって最後のシーンの男性は保呂草さん。問題は赤柳さんが誰なのかですよねー・・・。うーん・・・誰なんだろう。あと海月君。でも山吹君と同じ島出身でしょう・・・??うーん・・・誰だろう・・・。ヒントは犀川先生と思考回路が似ていること。・・・林さんにもう一人子供がいるとか・・・?でも犀川先生の頭は紅子さんの方が似ている気がするから・・・。うーん・・・いっそ全然関係ない方がすっきりするかな。

ご多分に漏れず,萌絵ちゃんと犀川助教授の仲が少し進展したことも嬉しさ5割り増しでした(笑) 膝の上に萌絵ちゃんが座って抱きついてもようやく動揺しなくなった犀川先生。頑張れ,その調子!なんだかいつのまにか萌絵ちゃんちにお泊りすること増えてるし。よしよし。

・・・あれ,けどさあ,萌絵ちゃんちって諏訪野さんいますよね??あれ???それって実家生の家にお泊りしてるって感じ・・・?あ,それはいやかもー・・・。紅子さんと林さんの時も思ったけど,プライバシーなさすぎる感じが・・・。うーん・・・。まあ,いっか。なんかこの二人は心配なさそうだから,喜多先生の心配でもしてようっと。

Saturday, September 09, 2006

そしてもっとショックだ Something a lot more shocking

森博嗣占い(http://u-maker.com/75491.html)で鵜飼さんになってしまった私。

そのショックを払拭すべくSM(犀川×萌絵)シリーズ占い(http://u-maker.com/154486r.html)にも挑戦してみました。そして結果は・・・

・・・・・・なんと・・・・・・林警部・・・・・・。

なんで,なんでなんでなんでなんでなんで!!!!
超ショックですよ。

森博嗣さんの作品を読んだことがない方のために簡単に解説すると,林警部というのはぶっちゃけ「たらし」なわけです。別れた妻との間には息子が,内縁の妻との間には娘がいて,そのどちらとも関係を続けたままあっちふらふらこっちふらふらしている男なわけですよ。しかもいざという時の態度がひたすら情けない。二人の女に挟まれたり,息子の彼女に鉢合わせたりした時どうするか,というと,ずばり逃げるんです。その状態をずっと続けているわけ。卑怯者の臆病者じゃないですかぁ。

私は断じてそんなに浮気性じゃないし,卑怯でもない!!

ちぇー・・・。まだ鵜飼さんのほうが傷が浅かったぜ・・・。

Friday, September 08, 2006

小さい驚きみつけた Small Surprises Shocked Me Much

夕方以降は虫の鳴き声も大きくなり,小さいどころか大きな秋をみつけている今日この頃です。そんな夏の終わりの個人的に驚いたニュースを3つほど。

1. Rob Corddry,TDS降板
Rob CorddryがThe Daily Showを離れる??んでもってFoxに移動?なんでなんでなんで?ボストン育ちの生粋リベラルじゃなかったですっけ??何でFoxなの?うーーん・・・。まあ,確かにそろそろ賞味期限切れな感じがしなくもないTDS(最近質が落ちたと思う)。離れるなら今って気持ちもわからなくもないかな・・・。ちなみに私は,「北朝鮮に先制攻撃すべし」って(米国)民主党が言った時TDSがそれに同調したのを見てTDSに幻滅しました。・・・ホントただの民主党の手先って感じに見えてしまいました・・・。久々にお気に入りな番組だったのでショックでした。今でも見てはいますが,以前ほど楽しめません。何か別のものを開拓しなければ・・・

2.東ティモールは北朝鮮以下
ディベータに人気の『COURRiER Japon』によれば,東ティモールの平均所得は北朝鮮のそれより低い。うーん・・・大変だ・・・。でも独立前に所属していたインドネシアもあまりリッチではないので仕方ないかしら・・・。けれど東ティモールは北朝鮮と違って天然資源を持っている筈では?オーストラリアも譲歩して東ティモールのものと認められたのだと思っていましたが,だからといって一朝一夕で利益が上がるわけじゃない,ということでしょうか・・・。国内で東西の争いがあると報道されていますが,それと資源運用と何か関係あるのでしょうか・・・。うーん・・・今度もう少し勉強してみようと思います。

3.ピルには処方箋が必要
先日,日本におけるフェミニズムについてコーチ達や夢チームと議論。その際,私は避妊用のピルが日本でも売薬になった・・・とばかり思っていたのですが,産婦人科に勤める友人に尋ね,まだ処方箋が必要だと判明。ビックリです。他の国では経口堕胎剤まで売薬となる今日に,なんで普通のピルに処方箋が必要なんだろう・・・??低容量なら副作用はなさそうだというのが一般的だと思っていましたが・・・。生理不順とかも含めて,避妊に限らず必要としている人は多いだろうに・・・。しかもモーニング・アフター・ピルなんかもっての他で処方箋すら書いて貰えないんだそうです。へーーーー。へーーーーー。「なんで?」って聞いたら「そんなもん多用されて余計コンドーム使わなくなられたら困る」とのことでした。・・・・・・。「そんなのもう妊娠しちゃって困ってる人に言っても意味ないじゃん!!コンドームしたけど失敗したのかもしれないじゃん!ていうか堕胎手術の方がましだと言うのか??」と驚いてしまいました。更に,「モーニング・アフター・ピルは『正しい』堕胎の仕方じゃない」とか,「学会で認められていない」とか,「どうしてもって言うんなら制裁的な意味も含めて4・5万出せば処方してくれる病院もあるかも」とか,いかにも「不慮の妊娠をするヤツは社会のゴミ」とでも言いそうな軽蔑を込めて言われて,もう頭痛ガンガンです。「制裁」ってどういうこと,「制裁」って・・・。いつから医療は司法の場になったんだ・・・。しかも裁く根拠は法律じゃなくて医学会の考える善悪なんだ・・・。日本の医療はどこまでも医者が患者より偉いんだなぁ・・・と思いました。ちなみにこの友人は女性です。女医さんがこうなら男性のお医者さんはもっと女に厳しいのでしょうか・・・。幸いこうしたことが自分自身の問題となった事は一度もないわけですが,それでも背筋に悪寒が走りました。Pro-Choiceなんていう言葉自体が存在しないのでしょうか,この国には。

Sunday, September 03, 2006

かおりの楽しみ decencies for incense

















お友達に食器と小物入れを貰いました。あんまり可愛いからここに写真を出してしまいます。イヒヒ。

小物入れはお香入れにしました。最近別のお友達がタイに行ったお土産にお香をくれました。元々持っていたものも合わせるとちょっとしたコレクションになったので,しまい場所に悩んでいたのでした。 うーん,なんて丁度良いサイズ! Kちゃん,ありがとーーー!!!

アロマオイルとかの方がメジャなのかもしれませんが,私はこういうお香が好きです。あの煙がゆらめくところを見るのも好きだし,使い続けるとお部屋に微かに香りがつくのも好きです。抹香臭い?いいじゃないですかー。

ちなみにこの小物入れの置き場所は棚の着物の段にしました。着物を着る度に毎回焚き染めるというようなことはしていません。でも香りが移ったら一石二鳥かな(笑)と思って着物の近くで使うことが多いからです。

お香の種類は主に棒状のタイプ。オーソドックスに白檀が一番好きですが,気分によって色々炊いてみます。今家にあるのは,ピーチ,ジャスミン,蘭と竹です。

お香立ては4つあって,右から二番目の「蓮の葉」が一番片づけが簡単です。でもスティックの一番下の部分が詰まって取れなくなってしまうことがあるのが難点。

黄色いゾウさんにも同じ欠点が。しかも周りに粉が落ちます。見かけはとっても可愛いんですけど。

一番右の青いお皿状のは,片付けが簡単で棒が詰まってしまうこともなく一番スマートです。でもかなり長く燃え残ってしまいます。短いスティックを使う時はちょっと勿体無いかな。

そんなわけで,一番お気に入りは実は,一番左の茶色い四角のものです。みかけは冴えませんけどシンプルでさり気ないのがかえって好みです。燃え残りも殆ど出ません。粉は落ちますけど,まあ一拭きで済むわけですしね。

こうして可愛い入れ物に入れると,こんな小さな趣味も幸せな楽しみ度が大幅アップですね。Kちゃん,ホントありがとーo(^v^)o

Thursday, August 31, 2006

少しでもましな将来 slightly but surely better off future

嶽南亭主人さんのブログに,

「ディベートって「未来を選択する訓練」なのだと、私は思います。(中略)ディベートに実際に取り組むこと、あるいはディベートを見ることにより、「議論を通じて将来を考え、議論を通じて将来のシナリオを選択していく」こと。(中略)よりよい議論の実践を通じて、「少しでもマシな将来」を、あるいは将来は今よりもよくなるという確信を、今投票権を有していない世代、さらにはいままだ生まれてもいない将来の世代に残していくことが、いま現に投票権を持っている我々のつとめなのだと思います。」

とあって感動。今日一日この言葉でハッピーでいられます。

私が本当に尊敬するディベータが言う事は皆同じです。
私が本当に尊敬するディベータはディベートに切ないほど夢を見ている。

議論すること。人の意見をよく聞いて,自分の気持ちもきちんと表現して,心通わせて吟味して未来を決めていく。そんな言葉の力を信じてる。言葉の力で,少しでも優しくなれんじゃないか,少しでも世の中良くできるんじゃないかって夢見てる。その同じ夢を見れるだけで,私の毎日は捨てたもんじゃないって思えます☆

以下,masakoの心に残る名言集から3つほどピックアップ。

アレクサンドラさん「Debating is about educating ourself. Debating is about fighting our own ignorance」
リチャードさん「Who on earth wants to live as an ignorant? We debate to be less ignorant」
ソネレック氏「Debating is not a hobby. It's a life style」

私は,優しくなるためにディベートするんだと思う。

世のなかに飢えている人がいることを知らなければ,彼らを助けようなんて思わない。知っていても,他の人の知性の助けがなければ,どうすれば良いのか考えを深められない。自分の意見が正しいのかチェックすることができない。ディベートすることで,私は世の中のことを知りたくなった。ディベートすることで,私はいつも「じゃあ,どうする?」という方向に考える焦点を置けるようになった。ディベートすることで,沢山の人と意見を交わす機会を持てた。そのおかげで,今まで思いやるとっかかりもひっかかりもなかったような立場の人を大切に思えるようになった。

Debating is to know more, to think more and to love more

バカで無知な私だって,もう少しで良いからマシな人間になりたい。
明日もディベート頑張るぞ☆っと。

Tuesday, August 29, 2006

愛は地球を救う? Love saves the world?

今日は、ひょんなことから普段忌み嫌っているラヴ論題でスピーチしました。忘れると勿体無いので、やはりメモっておくことにします。

論題は「バレンタインを廃止すべし」で、私は否定側の第二スピーチを担当しました。スピーチ時間は5分、準備時間は15分と、普段より少し短めでした。以下が私の覚えている限りの自分のスピーチの内容です。やはり論題が論題なので、多少ユーモアを交えて面白おかしく話せるように心がけました。

(野球の松井選手(ゴジラ)によれば、上達と成功の秘訣は経験を記憶することだとか・・・。記憶力の悪い私は駄目です。その法則だと・・・。せめて書き残すことで覚えておけなくても思い出す手がかりは残して置こうっと・・・)

ちなみにこのラウンドの前に、裁判員制度の廃止の試合を見学しました。ものすごくレベルの高い試合で大変勉強になりました。ああ、いつもこういう試合だったらどんなに大会の審査も楽しいだろう・・・

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肯定側は先ほど、バレンタインは画一的な愛の象徴だと述べられました。
しかし私たち否定側は、それでも愛は地球を救う、と信じます。
愛情表現の方法・機会・手段は多ければ多いほど良いと思います。

まず何故バレンタインが大切な愛情表現の機会なのかをご説明し、その後コストとベネフィットについて考察します。そして最後に私自身の議論である経済効果についてお話したいと思います。

1.まず愛情表現の機会としてのバレンタインについてです。
バレンタインが愛情表現の一種であることは確かです。
普段ことさらに口にはしない感謝の気持ちを上司に伝える。
今まで言えなかったけど実は好きだと告白する。いろいろです。
たとえ義理チョコであっても、今後まったく縁を切ってしまうつもりの相手には渡さないわけです。
たとえばお父さんが娘にチョコを貰えばやっぱりうれしいでしょう。
バレンタインはそうした愛情表現の大切な機会になっているのです。

これに対して肯定側は最近はそういうご時勢ではない、いつでもどこでもだれにでも愛情を表現できるようになったんだと言っていました。しかし、
1)愛情表現の機会は多ければ多いほど良いではありませんか
2)皆がみんな、いつでもどこでも誰にでも愛情表現できるわけではありません。肯定側の分析は単純すぎると思います。そういう人ばっかりではありません。日本では特に、愛情表現をしにくい文化があることは先ほど私のパートナーが説明してくれました。
3)もし本当にみなさんがいつでもどこでもだれにでも愛情表現できる状況にあるなら、少子化が1.25という出生率まで深刻になっているはずがありません。

これに対して肯定側は、女性にかかる経済的コストが大きいという話をしていました。しかし
1)女性が男性のためにお金を使うことは良いことです。なぜならまず①経済効果があるからです。これについては後ほど詳しくご説明します。そして②女性たちは楽しんでいます。そうでなければデパートに大挙して押し寄せてキャーキャー騒いでいるはずがありません。あれはレジャーなんです。彼らのお金を彼らの楽しみのためにつかうことにやましいことはなにもありません。
2)これはフェアな負担です。なぜならホワイトデーにお返しを期待できるからです。

次に2点目として肯定側は、勝ち組・負け組(ここで肯定側第一スピーカ「その点について」とPOIをオファー)に分かれてしまうことで劣等感が生まれてしまうという話をしました。その話に移る前にどうぞ。

肯定側第一スピーカのPOI: ホワイトデーのお返しはもらえるとは限らないんじゃないですか

それは、この人にはどのくらいのお返しを貰えそうかな、ということを良く検討してどの位の金額のチョコレートを買うか決めればいいんです。

さて、二点目として勝ち組・負け組に分かれることによる劣等感が生まれると肯定側は言いました。
しかし、
1)恋愛において勝ち組・負け組が分かれるのはバレンタインデーに限ったことではありません。どうせ25年以上一度も彼女ができたことのない男性もいれば、一度に5人の女性と付き合う男性もいるんです。それが現実です。現実を無視しないでください。
2)皆が愛を貰えなければ、皆がチョコを貰えなければ、みんな平等だというのは偽善的です。全員一等賞のかけっこと同じです。
3)それよりも、どんな人に自分はモテて、どんな人にはモテないのか、マーケットを熟知することが重要です。バレンタインデーはまたとないそれを知る機会です。恋愛を促進しています。
4)また、チョコが欲しいから、と自分を磨くのなら、それも恋愛を促進することにつながっています。

現代は、お見合いビジネスを国がやらなければならないほど、出会いがない、きっかけがないことが問題になっているのです。バレンタインが少しでも愛情表現の機会を増やすなら、それは巣晴らしことです。

さあ、3.経済問題についてです。

年齢にかかわらず平均して、一人の女性がバレンタインに使う金額は7000円といわれています。
6000万人、人口の半分が女性として、これは4200億円相当になります。
更に、ホワイトでーには3倍返しの法則があります。こちらは1兆2千億円になります。
合計1兆7000億円の産業です。

いくらパチンコが3兆円産業だとは言っても、それは年間で3兆円です。
バレンタイン産業は、わずか1日や2日でほぼ2兆円を達成してしまうのです。
こんな素晴らしい市場を捨ててよいのでしょうか。
この2兆円の産業は日本の景気回復にどんなに消費拡大の形で貢献してきたことでしょう。

しかも人々はこの消費を楽しんでいます。
誰も彼らに強制していません。
チョコを買いたくなければ買わなければ良いんです。
楽しめて経済に貢献できる。
(ここに「まさに愛は地球を救うのです」と入れる筈がうっかり忘れる)
だからバレンタインはあるべきです。
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この試合は4-0で否定側の勝ちでした。ヤッター。とはいえ、パートナーの方が大変大人な方で、初心者にもかかわらず上手に合わせて下さったので、それに助けられたと思います。 初めてとは思えないほど落ち着いた方でした。

スピーチの評判自体は、割と良かったようです。エンターテイメント性と理詰めな部分のバランスがほど良かったというコメントを頂戴しました。内容的な密度は5分のスピーチとしてはいっぱいいっぱいだったのでは、と言われました。確かに詰め込み過ぎたかな、とはちょっと思いました。というか、またもや、反論と立論のバランスが悪い。反論までで4分使って立論は1分強しか使えませんでした。せめて2分は裂くべきだった・・・。まあ、でもラヴ・モーション嫌いのmasakoとしてはまあ良かったのかな・・・。はあ、やれやれ。まあ大きく失敗せずに済んで何よりでした。

Sunday, August 27, 2006

[Book] 自由はどこまで可能か How far can liberty go?


[本]森村進.2001.『自由はどこまで可能か』.講談社.

この本を読んで,自分はリバタリアンというよりリベラルなんだな,と思った。

特にそう思ったのは,著者が書いてる相続禁止(相続税100%)の理由。贈与は個人の所有物に対する意志が明確だから自由を尊重しているが,相続は故人の意志という架空のものに依拠している,というのが主張のようです。

私は,人によってスタートラインが違いすぎるのがフェアではないという根拠を最初に思ってしまう。でも確かにそんなこと言ったら贈与はどうするんだよ,親に受けさせてもらった教育の違いはどうするんだよ,子供の食生活と健康だって親の収入に影響受けてるよ,スタートライン一緒なんて幻想なんだよ・・・と言われたらホントごもっともです。贈与もすんなっって言えるほどラディカルにもなれないしなぁ・・・(ていうか贈与を禁止したら経済取引として同じことをするだろうな。だからといって市場も否定したりしたら全くの共産主義に・・・そんなんやだ)・・・うーん・・・リバタリアンの方が一貫性が高いなぁ。(但し,リバタリアンの多くは故人の意志を想定して相続を正当だと考えているようです)

でもやっぱりこうして考えると私は,人格的(社会的)自由度は高ければ高いほど良いと思ってるけど,経済的自由度はあまり高いといやだ(ない方が良いと思っているのではなくて,高すぎるのは嫌だ)と思っているんだなぁ・・・。うん,やっぱり私はリバタリアンではなくリベラル・・・かな。

他に,「臓器移植くじ」のたとえ話(くじに当たった人の臓器を病気の人たちに移植すれば,一人の犠牲で沢山の人を救える。そうするべきか?という思考実験)も面白かったです。「殺すのと死んでしまうのとは倫理上違う(病人が死んでしまうことよりもくじに当たった健康的な人を殺すことの方が問題),というのには根拠がない」という部分がかなり。私もやっぱり殺すのと死んでしまうのは違うと感じるので,社会の持つ価値観の非論理性が確かめられて興味深く思いました。

頭の体操になる本です。リフレッシング!こういうの好きです。

羊の道 第六話

時系列的にはちょっと戻ってしまいますが,
プレオーストラルの予選3試合目について。
論題の精確なワーディングがわからないのですが,
忘れてしまうと勿体無いので書いておきます。

大雑把に言うと「婚姻で政府が果たす役割はない」というような論題でした。
対戦相手は平和チーム。平和チームが肯定側で,夢チームが否定側。
ソネレック氏がファースト,キティがセカンド,私がサードで,ヒメが最終答弁でした。

準備中は,「婚姻制度廃止」のケースを想定して準備していました。

日本ではあまり意識されていませんが,婚姻には法的な側面と,宗教(文化)的な側面とがあります。なので,準備していた議論は「宗教だけに任せてはいけない」というものでした。宗教上認められていない結婚(ゲイ・マリッジとか)で認められるべきものがある,そういうケースでは教会の代わりに政府が承認してあげることが大切という話をすることになりました。極端に言えばアンチ宗教っぽい内容でした。

ところが蓋を開けてみると平和チームのケースは,「同性愛者の権利を認めて,結婚ではなくCivil Unionの制度にしよう」というもの。げげげっ。そんなんあり?!と思いつつ大慌てで議論を反転。
宗教的・社会的な価値感に反しすぎているのはダメ,という議論を急いで準備しました。当初予定していたのとは真逆の内容です。

しかし・・・ファーストのソネレック氏のスピーチを聞いていて,正直スタンスがよくわからない。突然30分の準備を捨て去ってゼロからやってるわけですからチームメートの話は注意深く聞かなければいけません。まったくのアドリブ。音楽ならジャズな状態。矛盾のない一貫性のあるスタンスにするべく必死でソネレック氏のスピーチを聞きました。・・・が,わからない。もう混乱するばかりでした。

仕方ないので,相手のスピーチ中に必死でソネレック氏と意見調整。
混乱する頭を何とか無理やり整理してスピーチに立ちました。

私のスピーチ内容は以下。

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両チーム共,ゲイ・マリッジが認められるべきだ,ということでは一致しています。
しかし肯定側は法制度の改変によって社会に無理やり今すぐ認めさせようとしています。
否定側は,そうではなく,社会の価値観と歩調を合わせて少しずつ浸透させるのが良いと思います。
それがこの試合のクラッシュ・ポイント(対立点)です。

民族をまたがった結婚,国籍が違う者同士の結婚,宗教を異にする者との結婚など,過去にタブー視されていきた結婚も今では認められるようになっています。否定側はゲイ・マリッジも将来的に社会の承認を得られると信じます。しかし焦って今すぐ強制してしまえば,かえって社会の反発を招き逆に差別を悪化させる結果になると思います。ですから,肯定側が言うように突然法制度を先行して変えることには反対です。

今日,私のスピーチの中でお話したいのは次の4点です。
①婚姻における政府の役割が何なのか
②政府が介入するべき時がいつなのか
③現状を維持した場合に今後どんな社会になっていくのか
④肯定側の提案を採択した場合の影響

では順番にお話したいと思います。

①政府の役割

政府の役割は,市民生活のミニマム・スタンダードを確保し,その上で文化的宗教的な価値観を尊重することです。そもそも結婚とは,法的な手続きだけではなく,社会的な承認の儀式となるものです。だからこそ我々は指輪の交換をしたり結婚式を披いたりするのです。これは社会・コミュニティに私たちの夫婦としての絆を認めてくださいと要請する象徴的な意味を持つのです。こうした社会の承認の有無を無視して法律だけ変えても解決にはなりません。

肯定側は政教分離を根拠としていましたが,政教分離とは市民を無神論者にすることではありません。社会や宗教の価値観を尊重することも大切な政府の役割です。我々は社会から宗教を排除することなどできません。排除したくもないはずです。そのことは共産主義国家が壮大な実験を行い確認したはずです。宗教は社会の大切な一部です。政府の役割は宗教を無視したり,市民から取り上げることではありません。

②ではどのような時に政府は婚姻に介入すべきなのでしょう。

それは,特定の集団が搾取されている場合です。深刻な搾取が発生している場合には,私たちは社会の成熟を悠長に待っているわけにはいきません。

例えば一夫多妻制は,女性を搾取するシステムです。男性一人に対して女性は複数。強い立場にある男性が弱い立場にある女性を利用したり脅かしたりすることのできる制度です。このような慣習に対しては政府が介入し,男女が平等な一夫一婦制を基本にすえるべきです。同様に年少者との婚姻も法律で禁止されるべきです。なぜなら,強い大人の立場を利用し,弱い子供を搾取するのが年少者との婚姻だからです。このような深刻な搾取に対しては政府が介入することで防がなければなりません。

しかしながら,ゲイのカップルに関してはこのような搾取の関係がありません。確かに婚姻が認められないのはフェアではありませんが,それによって差し迫った危険や搾取の構造が生まれているわけではないのです。ですから,一夫一婦制や婚姻開始年齢の法制化の場合とは異なり,政府の介入の必要性は低くなります。

③これに対し,否定側は現状維持による徐々な変化が実を結ぶと考えています。

先ほど述べた通り,民族間結婚・国際結婚・宗教間結婚を初め,そもそも離婚や別居も長くタブーとされてきました。しかし社会は徐々にそれらを受け入れました。現在では,国際結婚をしたからといってもしくは離婚したからといって差別を受ける危険は殆どありません。同性愛者の婚姻についても,今後同じように社会的認知が育ってくることと思います。

④しかし,肯定側のように焦って急激な変化を社会に強いると,かえって反発を招き逆効果になります。

それは,人びとが婚姻の価値自体が汚されたと感じてしまうからです。結婚は神聖で社会的認知を乞う儀式であると信じている人びとにとって,教会が神の教えに反していると言っている関係まで結婚と一くくりにされてしまえば,結婚に幻滅する事は避けられません。そのような結婚をしたいという気持ちも薄れますし,既に結婚しているカップルにとっては自分たちの絆の価値が下がったかのように感じてしまいます。政府が法制度改変の形でこのような変化を人びとに強制すれば,結婚に対する侮辱が行われたとして必ず反発を呼ぶことになります。

例えば,米国のいくつかの州が同性婚を認める法律改変をおこないました。その結果,国内での大きな反発を呼び,現在米国では同性愛者の婚姻を連邦政府が憲法で禁止するという「Defence of Marriage Act」が検討されています。これは同性愛者の婚姻に対する差別を長期的に解決する上で,かえって逆に困難を増やす結果になったといえます。せっかく成熟の過程にあった社会的認知が時代に逆行した方向に走ってしまった残念な例です。敗因は焦りすぎたことです。我々はあくまでも社会の成熟を待つべきであり,法制度の改変により無理やりに社会に変化を強いるのは良くないのです。社会の意識変化が法律を変える事はできても,法律が人びとの心を変える事はできないのです。

このような理由から,私たち否定側は肯定側の提案に反対します。
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この試合は夢チームの勝ちでした。

私のスピーチは結構褒めてもらえて嬉しかったです。最初の2試合はとにかく構成がダメで苦労しました。構成を良くすることがこの試合の目標だったので,その意味ではかなり改善したのではないかと思いました。特に混乱した試合だったので,かなり話を整理できたことは自信につながりました。

ただチームとしては私も含め前半の間かなり混乱して,スタンスを明示するのが遅くなりました。またスタンスを共有することにも難しく感じた点が多くありました。課題も残る試合でした。

ソネレック氏は,どうやら自分のスピーチに納得が全然いかなかったらしく,やたらへこんでいました。相手のケースが想定外のものだったので仕方ないのではないかと私は思いましたが,自分に厳しいソネレック氏的には充分へこむ要素だったようでした。「この試合はコーチ二人のスピーチも含めてmasakoのスピーチが一番良かったよ」と褒めてくれながらも表情に「俺はしくったぁーーー」という悔しさがにじみ出ていました。こういう表情を見て,ああこの人いい選手だなって改めて思いました。ディベートへの愛情と向上意欲に溢れる顔でした。

Thursday, August 24, 2006

羊の道 第五話

やばい。もうだんだん忘れ始めています。
面倒だから複数の試合を一辺に書いちゃえ。

[Adjudication Test Debate]

プレトーナメントの余韻冷めざる翌日。朝,普通に本大会のブリーフィングを受けるつもりで会場に行ったら、この後のテスト用の模擬ディベート出て,とレイン氏に頼まれる。正直内心「うげっ」(笑)しかも20分後には準備始めてくれって・・・

論題は,「イランには核兵器を開発する権利がある」でした。私は肯定側。

チームメートになったのはMUDのリズちゃんとMMUの風船男。あああーーーあたし初めて組む外人選手と大舞台って大嫌いなのにぃ・・・。何がイヤってプレパがイマイチ上手くいかないのです。初めて組んでるだけでもやりにくいのに、プレパ中の会話って妙に隠喩や指示語が多くてわかりにくいんだよね。つい主体性を放棄しがちになるのよ...と文句たれる暇もなく開始。階段教室にぎっしり座る受験者と見物人にどんよりしつつ腹をくくります。私は二人目でイマイチ喋る中身が準備不足で足りない。仕方ないのでくだらない冗談で上げ底する。ああ薄い,薄いぞ内容が・・・

あとで審査員として試験を受けていたソネレック氏に感想を聞くと,「出だしの冗談を無駄と思うか、わらかしてナイスと思うかで君のスピーチの評価はかなり分かれた」とのことでした。まあそんなもんか。

しかしソネレック氏に嬉しいコメントを貰う。
「けどね,俺は凄いと思ったよ。外国語で冗談言うのって難しいよ。けどさ,masakoはconsistentlyに面白いもん。それってなかなかできないよ。」
ああ・・・そう言って頂けると嬉しいです,ホント・・・。
(これが前述の「ユーモアに関しては嬉しいことがありました」の部分)
しかし中身も充実させたかったなぁ・・・

ちなみに私の言った冗談というのは,否定側の「国際的なプレッシャーを与えて開発を思いとどまらせるべき」という話に対するもので,「いやね,ぶっちゃけそんなこたできないわけよ。つーか,できるんだったらうちの隣の国先にどうにかしてよ」という自虐ギャグ。折りしもテポドンが発射される前々日でした。試験中にもかかわらず笑ってくれた観衆がいたからまあ良いとするか。

[Practice Round (v. MUD)]

ソネレック氏抜きでもプレトーナメントと同じパフォーマンスができるのか不安になった私たち。練習試合をさせてもらうことにしました。相手はMUD。ソネレック氏がジャッジしてくれました。

論題は・・・
a) that Media should not reveal counter-terrorism measures.
b) that militarily intervene in Burma
c) that US should crack down the illegal workers

和訳すると・・・
a) メディアはテロ対策の手法をあばいてはならない
b) ミャンマーに軍事介入しろ
c) 米国は不法就労者を根絶しろ    ってとこでしょうか。

結局a)でやりました。

感触的にはイマイチの試合(うちのチームのせいだけじゃなくて両チームともイマイチだった)だったんですが,時間がないのでジャッジのコメントも聞けずにオープニングセレモニーへ。

セレモニーは国立博物館で開かれました。原住マウリ族の伝統的な歓迎の儀式を受けました。儀式では対岸にマウリの長達が座り,こちら側には大会参加者が男性前,女性後ろの席順で座りました。(これは男女差別的で大会主催者は最初難色を示したらしいのですが,マウリの伝統を結局優先したとのことでした)こちら側の最前列と次の列の端だけマウリの人が座っていて、途中なんとなく「この者たちをどうぞ受け入れてやってください」って意味かなーっと想像されるスピーチを対岸の長老たちに対して行っているようでした。ソネレック氏は有名人なのでちゃっかりマウリの方の隣に座って,内容を英訳してもらっているようでした。羨ましいぞ。

その後レセプションとして軽食と飲み物が振舞われました。結構沢山ワインやシャンパンを飲んでしまい,ほろ酔いかげんになりつつ,夢チームはちゃっかりソネレック氏を拉致。会場の隅でさっきの練習試合の感想・アドバイスなどをしてもらいました。

ソネレック氏は夢チームが勝ったと思ったとのことでした。ただスピーチの構成など何点か改善点を指摘して貰いました。酔っ払ってて覚えていられるか不安だったので,おもむろにペンとメモ帳をパーティバッグから取り出してメモり出すTPOをわきまえない私でした。

パーティが終って部屋に帰ると,おやおや?サイドボードに見慣れぬ紙が。なんとソネレック氏が練習試合中取っていたノートでした。試合終了後すぐノートをポイ捨てするソネレック氏のこと。これは私が貰ってしまっても文句は出ないのでは。しめしめ,とネコババ決定。

読んでみると・・・なんと!!!あたし77点貰ってるよ!!(Matter 31, Manner 31, Method 15でTotal 77) ご存知ない方に補足説明すると,一般に75点が大会の平均点になるようにと審査員は指導されます。が,現実的には73点や74点が平均になることが多く,76点取れていれば予選通過レベルとされます。ファイナリストの平均スコアが78とか。80点越すと,マハトマガンジーとかキング牧師レベル。その中で,日本の選手に77点というのはメチャメチャ高いのです。うきゃーーーーー大感激です。もーこれをお守りにしてあと3日間の予選に臨むわ!と大興奮でした。

しかもどうやらソネレック氏には,気に入った議論の横にチェックマークをつける癖があるらしく,読むと結構勉強になりました。いつかこちらでもご紹介できると良いのですが。

本大会初日はそんな感じで終了。いよいよ次は予選だ。
そろそろ書く気力が萎えてきたけど忘れてしまわないように頑張ろう・・・。

Sunday, August 20, 2006

羊の道 第四話

なんか予選の他の論題をどっかにやってしまったようで書けないので,2試合ほどすっとばかして突然PreAustralsの決勝戦について。

決勝のことを書く前に自分自身の選手としての特徴についてもう少し考察しておこう。というのも決勝戦はそれが諸に出た試合になった。

私の弱点は制御系等の甘さである。際どいところで「踏みとどまる」ということができない。フィギュアスケートの荒川静香のオリンピックでのトゥーランドットを思い出してもらいたい。彼女のスケートは傑出した派手な技術を誇るタイプではない。伊藤みどりや安藤美樹のように派手なジャンプで一か八かの勝負をかける選手ではないと思う。しかし隅々までコントロールが行き渡っている。一つ一つの技が控えめながら美しくかつ確実に決まる。例えばイナバウアー。あれは彼女の得意技。どうしてももう少し反りたいとか,もう少し長くやりたい,という欲があるはず。それを上手に制御して安全圏ギリギリの範囲でとどめる。無理な賭けをしない。ジャンプなら3回転を2回転にしても得点に響かないところは2回転に減らす制御をしっかりするタイプだ。結果,精密機械のような精確で繊細,美しく整った演技になる。同じディベート仲間で言うならI大からT大の院に移った斎藤さんはこのタイプの典型例だろうと思う。精確無比で綺麗に整ったスピーチをする。卓越した制御力だ。

私は明らかにこのタイプではない。同じくフィギュアスケートなら,やはりキャンデローロのようなタイプだろうと思う。何をすべきかよりも何をやりたいかが優先してしまう選手なのだ。観客やその場のノリに左右される側面も大きい。真剣勝負の真っ最中にユーモアや茶目っ気を覗かせる。必ずしも技術が低いわけではないが大味で詰めが甘い。ま,つまりはかなりのお調子者なんである。ただし,演出には情熱的なのは確かで,見せ場では後先考えずに一投入魂する。例えばキャンデローロの長野五輪のフリー演技「三銃士」では,配点は大して高くもないだろうが見せ場となったリンクを突っ切るステップのシーンに渾身。配点は恐らく高いであろうその後のジャンプはスタミナ切れになってミスを出した。たかだか8分のスピーチにスタミナの配分を考える必要はないわけだが,時間の配分は明暗を分ける。私はついノリに任せて時間をかけすぎてしまう失敗をかなり頻繁にする。基本的に自制御力が低いのだ。観客を喜ばせたいという欲が先走ってしまう。その代わり大胆さや迫力、パワーがある。荒川型の選手が絶対に出さないような奇抜で派手なクリティカルヒットが出て観客を熱狂させることもある。当たり外れの大きい選手だ。長野五輪のキャンデローロもフリーではスタンディングオベーションを浴び,金銀メダルを差し置いてエキシビションに選ばれながらも、調子を落としていたフリー以外での演技が足を引っ張りメダルの色は銅だった。私はかなりこちらの傾向が強い選手だと自分では思う。十五年も選手生活をしていれば,こうした自分の長所も短所もある程度は冷静に自覚するようになる。必ずしも自分がなりたい選手像と同じとは限らない。落胆する面も愛着もある。

さて,第四試合を終えるとすぐに手短な反省会をして,集会教室に戻る。外は小雨が降っている。戻りながら,ソネレック氏は「スピーカ・オーダについて話そう」と言った。

集会教室として使っている階段教室に戻ると,ソネレック氏はすぐさま切り出した。「セカンドとサードをチェンジするのはどうか」と。これまではファーストをヒメ,セカンドをキティ,サードを私が務めてきた。これには幾つか理由があった。

まず,ファースト。このポジションは文字通りチームの生き死にがかかっている。パーラメンタリー・ディベートと呼ばれるこのスタイルでは,議論の提出、相手チームとの差別化、対立箇所の明確化など何に関してもタイミングが早ければ早いほど評価が高くなる。重要な議論を後回しにするのは禁じ手だ。カードの出し惜しみなどもっての他。だからファーストがチームのスタンスが不明確なスピーチになれば致命傷になることも多い。ファーストに求められるのはスタートダッシュに失敗の少ないステディな選手。勝ちの要素を作ることより負ける原因を作らない確実なスタートをきることが大切だ。先述のスケートの例で言うなら荒川型が望ましい。この点で,私はファーストに向かない。しかも私は立ち上がりが遅い選手なのだ。頭のエンジンがかかるのにかなり時間がかかる。キティもここには向かない。キティは頭の良い選手だが,まだ英語力が追いついていない。スタートダッシュのダッシュ力の要となる喋りのスピードがないのだ。そこのところ,ヒメは申し分のないファーストだった。瞬発力が高く,高速の英語スピーチを予備動作なしで繰り広げる表現力もある。否定側第1になった時に即応するための経験量も充分だ。その代わり分析力や知識量で話を掘り下げるパワーと持久力には欠けるのでサードには向かない。正にスタートダッシュ向きの選手だ。ミスも少ない。先述の荒川とキャンデローロなら少々攻撃的だが荒川のタイプである。

そんなわけでファーストは確信を持ってヒメに任せていたわけだが,セカンドとサードについては今ひとつ私たちの間でも確信が持てなかった。キティにセカンドをしてもらうか,私が前に出るか・・・。キティと私の比較的似ているところは,相手の意見を聞いた後のほうが本領を発揮するところだ。キティも私と同じ瞬発力よりもパワーの選手だ。そしてキティも私も,というか夢チームは全員攻撃型のファイターである。血の気の多い三人娘。違いは,キティがシステマティックに物事を捉える冷静さをもつのに対して,私はかなりスタンドプレーが目立つ直感型だということ。あとは経験が少ない分英語での出力に不慣れなキティと比べて私のほうが多少英語力の難が小さいことだった。三人の中で知識が一番あるのはおそらく私だった。つまるところ頭がクリアに整理されているのはキティだが,経験勝負になる分野(知識量や英語力や勘)は私の方がある。時間や議論陣営の制御のようなバランス感覚があるのはキティで,クリティカルヒットになる議論を本能に任せて出す可能性があるのは私だ。

こうしたスピーカの特性に対して,ポジションにも勿論必要とされる技能の特徴がある。
セカンドというのは攻守両方をバランスよくこなす堅実さが求められる。これに対し,サードは基本的に攻撃専門,ファイター型である。と同時に,ディベートでは攻撃にこそ冷静さが,守りにこそ情熱が必要,という側面もある。奇妙に聞こえるだろうか。

まあとにかく正直キティと私のどちらがどちらを受け持つかは難しい判断だった。ただ,日本のチームの定石としては,セカンドとサードに実力差がある場合にはサードに上手な人間を入れるのが一般的だった。セカンドで空いた穴をサードがリカバーに入って埋めるという戦略だ。そんなわけで出力系の弱いセカンドをキティに,サードを私にしていたのである。

しかしソネレック氏もピエトロパウリ氏も,4試合実際に見てみた結果キティと私を交代させる案を推していた。二人が言うには,「サードでリカバーに入るのでは遅すぎる」ということだった。確かに,先述のとおりパーラメンタリー・ディベートの場合,立ち上がりが遅いチームや対応が遅いチームは評価が極端に低くなる。キティのスピーチが英語力の壁で伝わらなかった場合,同じことを私がサードで言っても審査員は「初めて聞いた」と思ってしまう可能性がある。それに加えて知識面で利があるのが私だったために議論の要になるような具体例や理由付けが私のスピーチで入ることが一再でなかった。これは審査員には「サードでは遅すぎる。もっと早く」と言われ続けた。ソネレック氏もピエトロパウリ氏も「サードは僅差の試合のマージンを大きく広げる事はできる。けれど死に掛けたチームを救う逆転はできない。」と力説した。私たちのチームは競争で常に優位に立てるような恵まれたチームではない。サードで挽回を図るわけにはいかない,と。

しかし私には二つ不安があった。一つは,エンジンのかかりが遅い私がセカンドに繰り上がってもサードの時と同じパワー(分析力)を保てるかということ。これはソネレック氏に後でホームランを沢山出すよりは数少なくてもヒットを早く打った方が良い,というような意味のことを言われた。もう一つは,攻守のバランス,特に4分のタイミングで精確に攻撃から守りに転じられるかどうかだった。何しろ制御系が弱い選手なのだ。しかしこれはジョージョー達が4分の切り替えポイントでサインを出してくれるということになった。ソネレック氏が更に言う。彼はこういう助言をする時は常に控えめな表現をする。自分の考えを押し付けず,選手達本人に選択させる大切さを知っているのだ。しかし内容は私には決定打だった。「masako個人のパフォーマンスはサードの方が良いかもしれない。しかしチームは君がセカンドをした方が機能するだろう」。私も集団競技の選手をしてきた端くれ。この言葉の意味する事はわかる。集団競技では個人よりもチーム優先。何より,チーム優先という姿勢を貫くことによる信頼感・結束力は不可欠だ。そしてその信頼感や結束力は水ものなのだ。一緒に練習を長く重ねてきた間柄でも(だからこそ,か)ほんの些細なことでこの信頼が崩れ去る時もある。だから私は負けた試合での仲間のスピーチには絶対にコメントしない主義だし,だからこそ全身全霊で「私はこのチームが好きだ」という態度でい続けることが大切だと思っている。ヒメもキティもこういったチーム・メートへのマナーがずば抜けて良い。戦略的な意味を抜いても私は本心からこのチームが大好きだった。この言葉を聞いてしまったからには絶対にノーと言うわけにはいかない。もともとキティも私も自分たちのポジションに関しては迷いがあったわけだし,コーチたちの判断力への厚い信頼もあった。助言を素直に聞くことにした。

そんなわけで,急遽,決勝戦の大舞台(?)を前にポジション変更。ドキドキしながら決勝を迎えた。

さて,決勝戦。

対戦相手はインドネシア大。予想通りだ。語学上の問題なんて殆どないチームだし,インドネシアでは多国籍企業のコミュニケーション・トレーナさえ務める実力揃い。そうやって企業に自分たちの能力を売ることで大会費用を稼いでいるというのだから頼もしい限りだ。相手にとって不足はない。

両チームから代表が一人ずつ出てサイドをコイントスで決める。私はこの手のことが大の苦手で,絶対に自分は行かない。夢チームでこの手のことで前に出て行くのはヒメ,と暗黙の了解で決まっている。今回もヒメが前に出る。サイドは我々が肯定側になった。ヒメは恐らくこの時内心「ゲッ」と思っただろう。しかし立派立派。顔には出さず不敵な笑みさえ浮かべて戻ってきた。気合充分。

論題発表。
a) Foreign companies should not comply with Chinese censorship laws.
b) Nations should uses quotas to protect culture
c) American should pay reparations for the Vietnam War

和訳するなら,上から
a) 外国籍企業は中国の検閲法に従うべきではない
b) 国家は文化保護のために割り当て制を利用すべきである
c) 米国はベトナム戦争の賠償を払うべし

インドネシア側の意向と夢チームの希望順位をつき合わせた結果,使用論題はb)となった。

準備時間が始まって割り当てられた教室に向かう。まだ歩いている内から「韓国の映画産業の話にしたいか」とソネレック氏からご下問があった。(韓国は、各映画館が一年間365日の内最低140日は国内映画を上映しなければならないという『上映日数割り当て制(Screen Quota)』を採用してきた。フランスにも似た制度がある。しかしFTA交渉で大きな障害となった。)私の返事は「why not?」(にやり)。既に好戦モードである。知識的に圧倒できる自信があるし、極東に関して無知な観客達を教育する絶好の機会だし、何より自地域の話題なら自虐的な冗談も出しやすい。観客が多くなるとエンターテイメント性を追求し始めてしまうのが私の良いところであり悪いところ。この試合は多少エンターテイメント性を上げたい,と思っていた。EFLでもユーモアに溢れた試合ができるということを証明したかったのだと思う。極東事情を観客に教え,極東の選手も自地域のネタなら圧倒的な情報量を誇ることを見せつけ,そして更に笑わしてやる。一粒で何度も美味しい試合にしようと目論んだわけだ。

そんなわけでケースは「米韓FTA交渉の結果,これまで年間140日だった国内映画への割り当てを韓国は今月から70日に減らす方向だ。我々はそれに反対する。140日大いに結構。韓国の映画産業は保護貿易のままで行け。妥協の必要一切なし」というものにした。最初は「現在決定済みの70日を下限にそれ以上は譲歩しない」というケースで考えていたが,「What a bother. Let’s go harder」というソネレック氏の思い切りの良さにより「保護貿易大いに結構。喧嘩上等」のケースになった。正しい判断だったと思う。現状の政策の推移を考えれば勿論70日下限案の方が現実的である。しかしそれでは議論の対立軸がぼやけてしまう。肯定側は保護貿易をしたいのか市場を開放してアメリカと上手くやりたいのか何なのだ,ということになってしまう。立場がどっちつかず,中途半端になる。有意義な議論をするために現実味を多少犠牲にしても主義主張のキッパリした提案をすることは大切である。最近の日本の大会の決勝はやたらと現実味ばかり重視して臆病でスカなセッティングをする肯定側が多い。相手チームとの立場の差別化がされないディベートはもはやディベートではない。それは明らかな誤りである。お勉強は大切だし,現実の政策を知っている事も重要だが,学習発表会じゃあるまいしお勉強した内容をそのまま吐き出せば良いというものではない。頭つかわな。

さて、いざ議論の準備に入る。独自の文化を保存するなんていうのは素直な議論だが安直すぎる。正直それだけで試合の後半に生き残れるとは思えない。何か捻りを加えないと・・・。と思っていたところでソネレック氏が「King and the Crownって作品知ってるか」と言う。「知らん」と答えたところ「ブロークバック・マウンテンの韓国版みたいなヤツで…」と言われてわかった。邦題が違ったのでKing and the Crownと言われても何のことかわからなかったのだ。「ああ,凄い美少年が二人の男と恋に落ちる話でしょう」と言うと「それそれ!」と。「なんでも韓国ではゲイってタブーなんでしょ。ああいう社会的に重要な作品が韓国人監督,韓国人俳優によって作られることは韓国人にとってゲイの問題が身近に感じられて良いと思うんだ。白人の男がカウボーイ姿で演じても他人事にしか見えないけど,自分と同じ外見の人間が自分の母語でゲイを演じてれば,見てる人間にとってずっとナマナマしいじゃないか。その方がawarenessの向上にずっと効果があるよ」と。なるほどね。そういえば「韓国ではゲイがタブー」云々というこの映画の解説は確か行きのカンタス航空の機内エンタメ雑誌で読んだぞ。さてはソネレック氏も機上であれを読んだな。正直「韓国ではゲイはタブー」というのはどの程度本当なのか疑わしく感じた。西側のメディアはすぐ「東洋は民主主義の皮は被っていても社会の成熟度はまだまだ自分達より低い」と思いたがる。まあ準備時間の真っ最中に「西洋メディアのオリエンタリズム」を語って仲間割れしてる場合ではないので目を瞑った。

しかしこのソネレック氏の「社会的に重要な作品」という発想が引き金になって,私も色々な韓国映画を思い出した。「President’s Last Bang」はパク・チョンヒ大統領の暗殺事件を題材にした作品だし、「Brotherhood」は朝鮮戦争についてだし、「シルミド」は金日成暗殺計画についてだし、「送還日記」は北朝鮮のスパイが韓国から本国へ送還されるドキュメンタリーだし、「38度線」は非武装地帯についてだし・・・と出てくるわ出てくるわ。「良いね,良いね」と喜んでいたソネレック氏。更に「じゃあさ、そうやって日本のような外国に韓国を理解させる上でも良いって話をしようよ。極東地域の相互理解と安定の話。昔朝鮮人を見下していた日本の大衆もそうした文化的な交流を通じて朝鮮人にリスペクトを示すようになったとか。」と提案してきた。そんなわけでヒメが韓国自身にとっての文化的・社会的意義について話し、私が国際的な話しに広げるという分担になった。

この試合の準備時間の主導権はいつもと逆転、私が事実関係を喋り,ソネレック氏がそれをまとめて議論の骨格を整える係りに。質問するソネレック氏に私が答える形になった。ちょっとくすぐったい感じだったたけど,おそらく私自身は凄く生き生きとした顔をしていたろうと思う。そういうところを見てもらえたのは良いことかな。いつもソネレック氏の垂れ流す情報を必死にメモるという一方的な関係は如何なものか。極東の選手も、極東の話を出してくれれば知識面でコーチをも凌げるということを見てもらったわけだからこのプチ下克上は良い事だったと思う。

ここまで準備したところでニヤリと笑うソネレック氏。「知識で圧倒してるって印象を与えるために韓国人俳優の名前も二三個散りばめてやれ。」と。「越後屋,お主も悪よのう・・・」とか言いそうな悪代官系の表情だ。「原宿にいっぱい飾ってあったメガネかけた韓国人男優の名前なんて言ったっけ?」と尋ねるソネレック氏に夢チームハモって叫ぶ。「ぺ・ヨンジュン!」

この試合,実は準備時間の時点から思っていたのだけど,ヒメと私が分担している議論は実は同じもの、良くて紙一重の差。芸術的・文化・社会的な側面を押し出したのがヒメの議論であり、政治・外交的な意味を押し出すのが私の議論。しかし発生過程はほぼ同じ。これをどう異なる議論に演出するのかが私の課題になった。幸い,具体例を使い分けることである程度のすみわけができた。あとは表現を多少変えればいいだけ。(これ,英語がもっと下手だった頃は本当辛かったけど,最近少しましになってきたかな。英語が母語の選手はこういうのが最初からできるんだからズルイよな・・・。)しかしそれさえできてしまえば,ディフェンドしなければならないフィールドは半分なのに評価はちゃんと二人分という費用対効果の高い展開になる。相手が散らし型の陣営を取ってきた時に一気に優位に持ち込める。多くのまともな議論が出された場合には対応する時間をディフェンドにかける時間を短縮することで稼げる。多くのくだらない議論が出された場合には,軽くいなすだけに留め,自分たちの議論の要一つ一つをかなりの時間を割いて補強できる。もちろんそれは,共通した発生過程の何処かにクリティカルな攻撃を受けたら二人分の議論を一度に失うことにもなる。ディフェンドは数少ない要所を確実に守り抜かなければならない。

この試合でその要所となる議論は何になるのか・・・そんなことに頭を悩ませている内に制限時間いっぱい。会場に移動した。入ると大きな歓声を上げて歓迎してくれる観戦者たち。なんだかやけに好意的なお客さんたちだ。しかもなんか思ったより人数が多いぞ。ほぼ満席に近い。平和チームも私たちの丁度真後ろぐらいに座っている。頭の中がいっぱいいっぱいで手も触れないけど応援してくれている感じがして嬉しい。

重要なのは,中央最前列に陣取っている韓国チームの3人。おおう。これは彼らに満足してもらえるスピーチになるよう頑張らねば。正直この瞬間に私にとってのジャッジは正規の審査員ではなくこの韓国の3人になった。私は誠実なディベータでありたい。この韓国の3人が「良くぞ言ってくれた。自分たちの想いが代弁されて嬉しかった」と言ってくれるようなスピーチをしたい,そう思った。声なき弱者に声を与える。彼らのマイクロフォンになる。それができるディベータになりたい。そういつも思っている。

ソネレック氏は私の前にしゃがむと,真剣な顔を寄せて「割り当て制が製作者のリスクを軽減してるっていう話が鍵だ。そこは忘れずにきっちり話せ」と低く指示した。私がよしわかったと大きく頷くのを見ると観客席へ下がっていった。

試合開始。ヒメの第1スピーチは,なかなか良い滑り出し。「お,いいね,いいね」と思う。この人は本当にセッティングのスピーチが上手い。これだけ喋りだしのマナーが良い選手は日本では稀有だ。喋り出しこそが勝負にもかかわらず,どうしても舌が回らずにどもってしまう選手が多い。ヒメにはその難しさを乗り越えるだけの英語力,そして何より精神的な強さがある。是非磨きをかけて貰いたいと思う。問題はスピーチの後半で,どうしてもプロセスを飛ばしたり分析が浅くなってしまう傾向がある。とはいえ,第1スピーチというのはそういうものでもある。一番準備時間が短いのだから仕方ないと言える。しかし流石ヒメ。大きなミスはやはりない。ヒメのスピーチを聞きながらキティがメモを回してくれる。「第2スピーチでは,割り当て制のおかげで韓国の映画業界が盛んだ,というイニシャルリンクをもっとしっかり説明しろ」と書いてある。なるほど。ガッテンガッテン。こういうバランス感覚の良さはキティの強みだ。いつも全体像を見て何処が欠けているかをチェックしている。ヒメが観客の拍手と共に戻ってくる。私はヒメに大きく一回頷いて見せた。

対する否定側インドネシアの第1スピーチが始まる。流石に表現力が豊かだ。しかし可哀想なほど知識不足。何だか支離滅裂なことを言っている。「韓国の文化を保護する事は,朝鮮民族だけを特別扱いすることで,国内のマイノリティ民族をかえって抑圧する結果になる」とか。韓国って朝鮮民族以外の民族が「マイノリティ民族」と呼べるような規模でいたっけ???(沢山の自治州や独立問題を抱えるインドネシアらしい発想ではある)似たような苦し紛れの細かく散らした議論が続いたあとは普通の自由貿易ディベート。消費者の選択権の話だ。観客が見たくない国内映画を無理やり押し付けるのは間違っている,良い物はそんな人工的な保護を施さなくても市場原理で生き残るものだという議論だ。韓国映画業界に限定的な部分ではヒメの議論が明確に上回っているので,この一般的で理論的な議論は五分に引き分けても試合はおそらく勝てる。しかし五分以下では夢チームが負けてしまう。一般的な理論・理念の議論は日本人審査員が思うよりもずっと国際大会では重視されている。だからまず自由貿易対保護貿易のどちらが消費者の選択を広げるか,にしっかり理論的な反論をし、残りのくだらない数勝負の議論は短い反駁でいなせばよい。余った時間で「保護貿易が国内産業を守る」という自軍の議論の要部分を韓国映画産業に特化させた具体的な形で集中補強。これで当初の目論見どおりディフェンド・フィールドの重複を利用した効果的な守りを発揮できる。計算どおり。あとはその通りにアウトプットできるかである。私らしいパワーを保ったままで,ある程度制御力も上げたい。

そんなわけで以下が私のスピーチの概要である。
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いやあ,否定側にはホント申し訳ないです。我々が韓国事情に詳しすぎて。知りすぎてて悪いですねぇ。(ここで観客少し笑う)
けど韓国人じゃないよそ者として思うんですけれど,韓国の映画を通した自己表現は,韓国人にとっても世界中の人間にとっても大切でしょう。(韓国チーム軽くうなずく)
これには文化的な側面と国際関係の側面とあるわけですけど,まず文化的な側面について反駁した後で私自身の論点である国際関係について述べたいと思います。

まず文化的な側面。
なんで韓国映画を守ること,そして割り当て制が韓国人にとって大切かです。

否定側は最近の韓国映画が盛り上がっているのは本当に割り当て制のおかげなのかと懐疑的でした。しかし韓国映画は割り当て制があるからこそ,今のような発展を見せているのです。これには4段階あります。
1.割り当て制によって俳優や監督など映画関係者の食い扶持が直接的に保証されています。(ここでなぜか左側のメルボルン大の観客達が一斉に大きく頷く)
2.より多くの韓国映画が発表の機会を得ています。映画館は140日間の枠を埋めるために沢山の韓国映画を発掘しなければなりません。熱心に良い作品を探したり,良さそうな企画に投資したりすることになります。
3.韓国映画の収益率が保証されています。とりあえず140日はハコがあるのです。
4.製作者のリスクを下げています。社会的な問題作やドキュメンタリー作品のようなものは収益が見込めるか,赤字になるかという判断をする上ではリスクの高い作品です。製作に踏み切るためのリスクは,割り当て製によって大きく軽減されています。より多くの社会的価値を持つ作品が世に出ることになります。(ここで観客席のソネレック氏,よし,とばかりに親指を立てて見せる)

こうした韓国映画業界が割り当て制から得ている利益は,ソウル市街で割り当て引き下げに反対するデモを行っている監督や俳優がいかに多いかを見れば明白です。韓国映画の成功は割り当て制の賜物なのです。

これに対し否定側は,二つの理由から韓国映画は大切ではないと述べました。

一点目は,インターネットの普及により,Web上で文化について学べるようになったから,というものでした。しかし一体何人の人が,何時間もかけてWeb上に公開された研究成果を読むでしょう。映画は,誰にでも楽しめます。映画は最もエンターテーメント性に富み,手軽で短い時間で済み,そして社会的評価の高い文化表現です。(観客の多くが頷く。ソネレック氏はやけに烈しく頷く。コーチ,応援ありがとう)

二点目は,国際化する現代において民族の独自性は時代遅れで,かえって韓国の国際化を妨げるものだというものでした。しかし韓国の皆さんは「フレンズ」を見たことがありませんか?(ここは観客も韓国チームも微妙な反応)別に割り当て制があったって,韓国人はハリウッド映画へのアクセスはふんだんに持っています。アクセスを保証されるべきなのは自国映画の方です。しかも,韓国は殆ど単一民族国家です。朝鮮文化を保護したところで抑圧される少数民族なんて特にいません。(ここで韓国チームと観客そうだそうだと頷く)

ですから,韓国映画の保護は韓国にとって必要なことなのです。

否定側は更に,割り当て制は観客の選択肢を狭め,面白くもない国内映画を押し付けるものだと言いました。しかし,それは誤りです。ハリウッド映画を観たい人は観に行けば良いんです。その選択肢は奪われていません。逆に割り当て制こそが選択肢を増やしているのです。(ここでヒメがそうだそうだと掛け声を入れる。ソネレック氏頷く)韓国映画産業が潰れてしまってから幾ら自国の映画が見たいと言ったところでそれを選択することはできないではないですか。割り当て制は観客の自由な選択を広げこそすれ狭めてなどいません。

それでは反論はここまでにして,私自身の論点「国際社会にとっての利益」に話を移したいと思います。

皆さんご存知の通り,私たちの地域,極東は安定した状態ではありません。沢山の域内摩擦を抱えています。沢山の誤解とミスコミュニケーションに苦しんでいます。(観客頷く)極東の国同士,相互理解が必要です。お互いについて学び合うことが求められています。

そのために映画は理想的な助けとなります。

例えば「President’s Last Bang」はパク・チョンヒ韓国初代大統領の暗殺を題材にしたものです。もしこの作品を見なかったら,私はパク・チョンヒについて調べてみようなどと思わなかったでしょう。

「Brotherhood」は朝鮮戦争についてのものです。日本の一般市民にとってこうした映画を見ずに民族分断の悲哀や直面する問題(ここで韓国チーム頷く)を理解することがどれだけ可能でしょうか。

ドキュメンタリーにも素晴らしいものが沢山あります。「送還日記」は韓国で数ヶ月を過ごした北朝鮮人と地元韓国人たちの心の交流を追ったものです。こうした作品を見ることで,私たちはいかに,朝鮮半島の人びとが複雑で微妙な心情とアイデンティティとを抱いているのか(ここで韓国チーム激しく頷く)学ぶのです。

もちろん韓国について薀蓄を書いている日本の学者だって山ほどいます。けれど彼らは決定的に韓国を誤解して伝える。彼らは韓国人ではないのです。私たちが誠実であろうとするなら韓国人の生の声を聞いて韓国を知るべきです。韓国人自身の韓国観を学ぶべきなのです。(韓国チーム再び激しく頷く)映画はそのために最高の手段になります。

大体,そもそも,ハリウッド映画ばかりの映画館なんて退屈な限りです。しかもそれは退屈なだけではない。国際社会をおびやかすものです。何故でしょう。

皆さんがアクション映画を見に行けば,そこにはお決まりの登場人物によるお決まりのストーリーが待っています。そこには善玉と悪役がいて、正義はいつも勝ちます。マッチョな男が悪者の手から美しい女を助ける,それに尽きるのです。そしてヒーローはきまって白人男性です。ヒロインはブロンドの美女。そして悪役はいつもミステリアス,エキゾチック,そして(少し声音を変えて)「オリエンタル」(ここで観客なぜかやたらとウケる)例えばバットマン最新作の悪役は渡辺謙でした。

これはステレオタイプを助長するものです。たまにはアジア人が善玉だって良い筈です。私たちは,ヒーローとしての韓国人を見たい!(ひときわ大きく吼える私に韓国チーム「そうだそうだ」と歓声) ですから,皆さんのご賛同を乞うのです。(観客の拍手と共に退場)


どうですかね・・・?そんなに悪くないと思うのですが・・・

一番の問題は,反論部分に5分もかかってしまい,立論部分が3分ほどになってしまったことです。制御系の弱い選手なだけに特に観客のノリが良い時はタイム・マネージメントに難が出ます。とはいえ,試合の展開的には返すべき議論は返し,守るべき議論は守ったはず。

席に戻った私にヒメは小さく頷いて寄越し,キティは自分のスピーチの準備を真剣な表情で進めていました。

さて,自分のスピーチは終った私。まだスピーチの残る他の二人のサポートがこの後の私の役目。否定側第二スピーチをしっかり聞いて,大事な議論やその反論を的確にチームメイトに伝達しなければ。

インドネシア側の第二スピーチは,メラニーという痛烈に面白いユーモアに溢れた選手が担当している。しかし彼女もこの試合は歯切れが悪い。知識面での差に焦っているのだろう。masakoみたいな日本人が観ているからといって韓国人が見たがっているとは限らない,とか,日本でそんなに人気があるなら割り当て制がなくても日本のマーケットで稼げるから平気だとか,真っ芯をつかない反論が続いた。ヒメと私は反論を書いてキティにメモを回し続ける。合間に馬鹿げていると思う議論に対してはshame!と言ってみたりもする。

さてキティのスピーチ。キティはよく状況を把握しているので,私が反論に時間を使いすぎて立論で端折らざるを得なくなったようなところを上手く入れ込んで話を進めていく。例えば日本と韓国の関係改善にどうつながるのかといったようなところは私が説明しそこなったところだ。そうした穴を着実に埋めていくスピーチだった。キティは確かに英語でのアウトプットはまだ辛そうに見える。しかしインプット,リスニングはとてもよくできる子だ。だからこそこうした状況把握をきちんとできるのだろう。しかし内容のシャープさに不似合いに観客の反応は少ない。これはひたすらに,観客にとってキティの英語を聞き取るのが大変だからだと思う。必死に耳を澄ませないとわからないから,拍手したり歓声をあげたりしている余裕が観客にもおそらくないのだ。その分,ヒメと私が反応した。良い議論だ,と思ったところは「Here, here」と合いの手を打つ。あまり回数が多いと逆効果なので多少抑え目に,しかし数回する。こうすると審査員が聞く気力を失いそうな時に頑張って聞き取らなければという気持ちを起こさせる。よく聞いてくれれば良い内容を喋っているんだぞ,というプレッシャーを与えたかったわけだ。どの位効果があったのかはわからないが,しないよりは良かったのではないかと思っている。誰よりも最初に自分自身の仕事は終えてしまうセカンド担当の私的にはそういうところに自分の存在価値を細々と見出したかったのかもしれない(笑)申し訳ない気持ちを軽くするというか・・・。

相手側のサードは混乱しているのかまとまりがなく地味な印象。リプライ(最終答弁)は対照的にかなり強引なまとめに入った。こちら側はヒメが最終答弁。相手のスピーチ中も一生懸命準備している。ヒメは話をまとめるのは得意だ。何回も話をノートに整理しなおしていき,仕上げにマーカで重要なところを確認していく。キティがメモを回す。「日本と韓国の関係の話さえ残ればうちが勝てる」。ヒメは小さく頷きながらまたもマーカを引く。私は,集客力のある良質の韓国映画は割り当て制がなくても生き残るという話と消費者の選択権の話が絡まりあって相手の持ち札となっているのが一番気になった。そう伝えるとヒメは手短にそこをどう整理するつもりなのか説明してくれた。私は両手の親指をグッと突き立てた。申し分ない整理だと思った。ヒメが大きくよしと頷く。

ヒメのリプライもとても良い出来だった。私が気にしていた部分は真っ先に華麗な整理をしてみせる。「否定側は集客力のある良質な作品が突然降って沸いたように単独で生まれると思っているようです。肯定側は違います。ある程度量が保ててこそ,その中から良質なものが生まれます。」と。質を確保するためには量が必要という簡単な理由付けで一蹴する。更にインパクトの説明ではキティの言ったとおりに日韓関係を強調する。「もともとは韓国を対等に見てこなかった日本ですが,韓流ブームのおかげで随分朝鮮文化への認知度が上がりました。相手の歴史や文化を尊重できるようになったのです」安定感のあるスピーチだった。

試合終了と同時に大きな拍手を貰った。審査員が判定を出す間,両チームとそのコーチ達は外に出された。廊下に出た私たちはすぐにソネレック氏に駆け寄る。すぐさま感想を聞きたい。ソネレック氏もドアが閉まったのを見届けてすぐに「I thought・・・」と切り出した。しかしその声はとすぐ横で同じく自チームに感想を話そうとしていたインドネシアチームのコーチ,ディロン氏のものと綺麗にハモっていた。バツの悪い顔をしてお互い距離をとる両チーム。ハハハ,と妙な笑い声まで上げる。話の内容が聞こえない程度に離れたところで両チームとも凄い勢いで話し始める。ソネレック氏は「良かったと思うよ。うちが勝ったと思うよ」と抑えたトーンで言う。私は「反論に5分も使っちゃった!」と試合中は見せることのできなかったテンパった姿を今更ながら見せる。「うん。そうね。確かに反論に使いすぎた。4分の合図をする計画はどうなったの?君達masakoを上手く誘導しなきゃダメだよ」とソネレック氏。「けど話の内容は良かった。君らが勝っただろうと思うよ。」とのことだった。正直言えば,夢チーム自身も「勝ったな」と思っていた。「交代したポジションはどうだった?」と訊いてみると,ソネレック氏は「想定どおり,こっちの方が良かったと思うよ」とのことだったので,このまま本大会も固定することにした。

部屋に戻るよう言われた。会場に戻る。ドキドキする。で,結果は夢チームの勝ちだった。やったやった。国際プレトーナメント,日本初優勝だ!ばんじゃーい。チームメイトを抱擁した後,後ろのソネレック氏を振り向いて笑顔を送る。親指をグッと突き立てて返してくれる。貰ったトロフィーは結構大きかった。その後個人賞の発表。最優秀賞のみ用意していたのだが二人が同点一位だったという。あはは。トロフィー分けようがないな,と笑ってしまった。で,発表された最優秀個人賞受賞者はインドネシアのメラニーと私自身だった。優勝しただけでなくベストディベータ賞まで貰えるとはつくづくラッキーだ。私たちは優勝カップを貰ったから,個人賞のトロフィーはメラニーに譲ることにした。大満足の夢チームはコーチも交えてトロフィーを掲げた写真を撮った。

観客の何人かが近寄ってきて観想を言ってくれる。ユーモラスで面白かったと言ってくれた人が結構いたのは嬉しかった。「なんかウケルと思ってなかったところでも結構笑いが起こっててちょっとビックリしたよね」と私たちも笑った。長身の見覚えのない男性が,私に歩み寄ると「君のスピーチはとても力強かった」と言ってくれた。ピエトロパウリ氏が「うん。落ち着いてできてたわよ」と言ってくれる。私はくしゃっと笑い「えええ.私自身はもう胃がひっくり返るような動揺を感じてるんだけど,スピーチ中は」と正直に言ってしまった。件の男性は「そんな風には全然見えない。力強くて人の心を掴むスピーチだった」と言ってくれた。凄く嬉しかった。

Saturday, July 15, 2006

羊の道物語 第三話 Road of the Sheep Vol.3

長いなー、このシリーズ。
書き終わる日は来るのかなぁ・・・

さて、昼食は「だろうと思った!」な特大サンドイッチ。
食べ終わるより早く二試合目開始。

二試合目:

韓国 対 平和チーム
インドネシア 対 夢チーム

論題: We support prisoner exchange within our region
和訳すると「囚人の域内交換を認める」といったところか。
これは、オーストラリアとインドネシアの間で行われるもの。
相手はインドネシアだから知識がありそうだが、
そんな理由で負けているわけにもいかない。
頑張るぞ、と。

さて、1試合目の反省を基に、ソネレック氏の手綱を夢チームが握る・・・
ことになっていた筈だがやはりソネレック氏は既に弾丸トークを開始している。
ちょ、ちょっと・・・話が違うんじゃないっすか・・・と思いつつ、
なんとか手綱の端でもつかもうとワタワタしました。

とりあえずまず訊いたのは、オーストラリアで執行猶予で釈放が早まる率がどの程度なのか、ということ。このディベートは基本的に裁判は全てインドネシアでやり量刑もそちらで決め、服役する場所だけが母国(ここではオーストラリア)になるというもの。けれどオーストラリアで執行猶予がやたらとつくならインドネシアが出す量刑は骨抜きになってしまいます。これはソネレック氏曰くかなりの確率で仮釈放されるとのことでした。

次の質問は、麻薬不法所持のように死刑判決が出る(東南アジアは麻薬には厳しいのです)犯罪だった場合、オーストラリアに連れて帰ってきてオーストラリアで死刑にする、というのはあり得るのかというもの。オーストラリアは死刑を廃止したので、もしするなら倫理上の議論が巻き起こるはず。ソネレック氏のこれに対する答はノーでした。死刑の場合は本国へ送還することにはならないだろう、と。

ここで、具体的な事例として有名なのは、コービーやミシェルのケースだとのことでした。しかしこれらはどちらも麻薬不法所持の例。そこがちょっと気になりました。

とりあえず①抑止力が失われること、②主権・裁判権の尊重 について話すことにしました。

肯定側インドネシア大は、インドネシアの刑務所のHuman Right Recordが悪いことを説明。拷問が行われていたり適正手続き(due process)が守られていないのだとか。だからインドネシアの刑務所で服役させるのは人道問題だ、と。更にオーストラリア人を守るのはオーストラリア政府の義務だと主張しました。第1スピーチはまあ、ほぼ想定内の内容でした。

問題は第2スピーチ。国際組織犯罪の元締めを裁く時に、捕まえた子分がオーストラリアにいた方が証言させやすい、という謎の議論が登場。・・・・・・?どういうこと?普通に召還するんじゃダメなの??

なんだかよくわからないままにドンドンドンドン細かいよくわからない議論が増殖し始めて、焦点が絞れませんでした。あと私はまたもや構成がダメ。何故上手くいかないのかよくわからないけど兎に角ストラクチャーに苦労しました。

結果はインドネシア大の勝利。これで1-1となりました。

羊の道物語 第二話 Road of the Sheep Vol.2

7月1日。二日目。

この日は3試合練習できることになっていた。
日本では一日に4試合も5試合もこなしてしまう我々にとっては、
あまりにもゆるゆるなスケジュールである。
とはいえ、豪亜大会の試合形式は世界大会と全く同じ長さ。
一試合一試合がやたらに長く重い。
朝から気合を入れて、と言いたいところだが
朝に弱い私はいつも通りギリギリまで布団の中だ。

寝ぼけ眼でホテルの朝食に降りてみると、
スクランブルエッグ・ベーコン・ソーセージ・トマトの水煮・ハッシュドポテトがある。
スクランブルエッグの色は健康そうな黄色。
何よりトマトがあるのが嬉しい。
本大会中もこれと同じものが出ますように・・・。

素晴らしく礼儀正しく5分前行動な平和チーム。
謝りつつ大急ぎで朝食をかきこむと、
集合場所のバッグパッカーズの宿へ6人で向かった。
昨夜往復して道を覚えたのは私一人なので、
方向音痴な私が珍しく先導を務める。
朝の冷たい空気の中で、私は奇妙な空虚感を感じていた。
あれが何だったのか、今も言葉にならない。

左手には古くて大きく立派な駅舎がある。
キティはすかさず写真を撮っている。
この駅舎は昨夜はライトアップされて夜空に浮かび上がっていた。
それは華やかで美しくて、それでいて妙に孤独な姿だった。
朝はこの建物の個性を奪い、代わりに慰めを与えているように思えた。

バッグパッカーズに着く。
ロビーなのか売店なのかわからない一階を通り抜けて
二階のラウンジへ。後ろから「本当にここですか?」という声が聞こえる。
確かになんだか学生寮の奥に迷い込んだような空間だ。
しかし安宿としてはかなり手入れが良い方だし、
こういうところは案外居心地は良いものだ。
よそ者だという気持ちを持たせないから。

ラウンジではレイン氏やピエトロパウリ氏たちがまだ朝食の真っ最中。
ディロン氏は共有端末でネットを使っていて挨拶にも生返事だ。
こういう時に「もう集合時間じゃないの?」「他の皆はどこ?」
「私たちどうしてれば良いの?」などと所在なさげにするのはNG。
基本的に自分自身が快適にしていることが気配りすることより大切な場だ。
ここは日本じゃない。誰も私たちに余計な気配りをすることなど求めていない。
手近なソファに深く身を沈めてお喋りでもしていることにした。

ニューズウィークをまわし読みしたり、
どんな議題が出そうかなどと雑談していると、
ジョージョー達はまたも写真を撮りはじめた。
こういう細やかさは自分にはないので、少し羨ましく思う。

ここでソネリック氏登場。
ピエトロパウリ氏は「鞄取ってくるー」と部屋へ戻った。マイペースな人である。
レイン氏が階下に集合と言うので降りてみると本大会責任者のビショップ氏がいた。
どうやら本大会の会場でもあるビクトリア大を今日も使わせてもらうらしい。
ビショップ氏の案内でぞろぞろとすぐ傍の大学の建物へ向かった。
先ほどの駅舎の隣のビルである。
なんでもメインのキャンパスは街の反対側にあるということで、今回は使わないらしい。

なーんだ、こんなに近いのかぁ、と小さい街主催のメリットを満喫。
横断歩道を渡っていたらディロン氏がキョロキョロそわそわしている。
そう言えばインドネシアのチームがいないぞ。
インドネシアチームもバッグパッカーズに泊まっている筈なのだが、
ラウンジに顔を見せなかったのだ。
「彼らの部屋番号わかる?」と呼びに戻ろうとするディロン氏に
ピエトロパウリ氏曰く、「フロントで聞いてみたら?」
「Ah, that's very helpful. Thank you.」というディロン氏の口調が可笑しくて、
ジョージョー達も私もつい笑ってしまった。
確かに言わずもがなな助言だし、そもそもバッグパッカーズに
朝早くからフロントにスタッフを張り付かせるような人的サービスがあるわけもない。
ピエトロパウリ氏の助言どおりにできるなら苦労はない。
こういう軽妙でちょっと斜に構えた受け答えはディロン氏らしくてチャーミングだ。

この手の会話に含まれるユーモアというのは言葉の壁を感じるシーンでもある。
日本語なら普段気にも留めずにしているような気の利いた受け答え。
これが英語だと出来ない時がある。
それはやたらとイライラする経験だ。
こうしたなんでもない会話こそが日常自分の個性を最も表現している部分で、
それを封じられてしまうのは社会性の羽をもがれた気持ちになる。

会話の妙を楽しむには英語力と共に精神的なゆとりがいる。
リスニングに懸命になっている状態では難しい。
肩を楽にして会話に溶け込むには慣れが必要だ。
聞き取れなくても聞き間違えてもかまやしねーさ、といういい加減さを要す。
聞き間違えて変な返答をしても大丈夫な相手だ、という安心感も助けになる。
そもそも聞き間違えなんて日本語でも日常茶飯事だと割り切るのも良い。
そういえば今回、英語でのユーモアに関しては
ちょっと嬉しいことがあったのだけど、それはまた後で。

はてさて階段教室に入り、雑誌を読んだり予想論題について話しつつ待つ。
待つ。
・・・。
待つ。
・・・・・・。
待つ・・・って他のチームどこっ??

韓国のチームはおろかインドネシアのチームさえ来ないぞ。
主催者はどうやら韓国チームのホテルに電話しようとしているようだ。
ちなみに我々と同じホテルである。
「韓国の子達は昨日見かけたんだけど部屋番号は忘れちゃった」と言うと、
複数の顔が一斉にこちらを向いて叫んだ。
「ああ、じゃあニュージーランドにいるのは確かなのね!!良かった!」

・・・・・・・・・。おい、まて。
その位誰か確認しておいて欲しいぞ。
放任もここにきわまれりの行き当りバッタリなマネージだ。
もしこの国に着いていなかったらどうするつもりだったんだろう。

しばらく始まらなさそうなので、
ヒメと私は、ピエトロパウリ氏たちと珈琲を買いに行くことにした。
キャンパス内の売店は土曜日なので開いておらず、
結構歩いて珈琲屋を見つけた。私はホットチョコレート。甘いのが幸せ。

帰ってきてみてもまだチームが揃っていない。
いい加減もう日本人同士で練習しようか・・・と思ったところで
他のチームたちが到着。やれやれである。

さて、肝心のディベート。
本大会のルールでは3つの議題が提示され、
その中から一つを対戦相手と選択することになっている。
が、この準備大会の最初の2試合は1議題制でやることになった。
ちなみにこの準備大会の名称は、Pre-Australs ESL Invitational。
Free Debate Instituteという団体が主催。
この団体、文句なしの豪華面子をメンバーとしている。
なので準備大会の癖に審査員は超世界大会本戦級である。
いいんだろうか・・・。

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第一試合:
 
平和チーム 対 インドネシア
夢チーム 対 韓国

論題は「We should allow surrogacy for profit」
和訳すると「営利目的の代理母出産を認める」といったところか。

正直古典の初心者向け論題である。
一瞬幼稚園児扱いされたような憮然とした表情を浮かべてしまった。

さて、この大会のユニークなところはコーチの存在である。
各チームに世界大会決勝戦級の選手がコーチとしてつくことになっている。
通常3人1チームのところ、コーチも含めて4人。
リプライ・スピーチ(最終答弁)も含めて4回のスピーチを一つずつ担当する。
コーチにどのスピーチをさせるかは各チームの自由である。
但し、翌日の第四試合と決勝戦だけはコーチはスピーチできない。
夢チームのスピーカ・オーダは、ヒメ・キティ・私の順がデフォルトだった。
豪亜大会のフォーマットが始めてなキティには肩慣らしをしてもらうべく、
このPre-Australs1試合目はヒメ・ソネレック氏・私と話し、最終弁論をキティとした。
対する韓国チームは帰国子女ばかりのチームで語学のハンデはあまりない。
但し所属ディベート団体自体が比較的若く、彼らもディベート歴はあまり長くない。
流暢で美しい韓国と、海千山千の技巧をかけた夢チームの闘い
・・・となる筈であった。

論題発表後の準備時間は30分。
割り当てられた部屋に移動し、大急ぎで作戦会議を行う。
ソネレック氏は既に弾丸のように話し始めている。
つくづく頭のスタートダッシュが速い人だ。

結局、肯定側である夢チームは、
「約9ヶ月分の給料である2・3万ドルを代理母に支払う」という提案をまとめた。
提案理由は3点。
①女性の身体自決権(Bodily Autonomy)と代理母にとってのメリット
②不妊カップルにとってのメリット
③女性のライフスタイルの解放

分担は、①をヒメ担当、②と③をソネレック氏担当とした。
①や③についての話の掘り下げ方は、さすがソネレック・マジック。脱帽。
なるほどねー。そうやって話を具体化したり重要性を説明するのかぁ・・・。
自力でできるようになりたいなぁ。

内容はともかく、この時点で準備時間の使い方に大きな問題が発生。
ソネレック氏がくれる情報量が自分の処理能力よりも多すぎる。
ついて行くのに精一杯で準備時間終了時のノートがまっさら。
正にタブラ・ラサ。のおおおおおお。そして容赦なく試合は始まる。

蓋を開けてみると・・・・・・
あれ?ヒメが話してるのBodily Autonomyの話じゃなくね??
どっちかって言うとソネレック氏が話すはずだった部分に食い込んでるぞ?
とか思ったらソネレック氏と視線が合った。
どうする?と目で尋ねると、サクッと「その議論は捨てよう」という返事。
思い切りが良いなぁー・・・

私自身のスピーチは、内容はまあまあ。特に問題ないがパッともせず。
それよりも何よりもマナーに覇気がなく、構成がダメダメ。ぬああああ。
チーム全体としては、なんだかバラバラな印象。
打合せと分担が違ったり、お互いに矛盾しあう表現が入ったり。うぬう。

この試合はそれでも結局夢チームの勝ち。
イマイチ不完全燃焼ながらとりあえず勝ちは勝ち、と深い息を吐く夢チーム。
というのもソネレック氏は負けず嫌いなのだ。
そんな我々の胸中を知ってか知らずか、
ソネレック氏はすぐに隣の部屋に夢チームを誘導。
反省会である。この勤勉さが素敵。
気分は「先生、どこまでもついていきます」なスポコン的マゾ。

(羊の道物語 第二話 おわり)
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羊の道物語 第一話 Road of the Sheep Vol.1

帰国してからバタバタしていて随分経ってしまいました。
ここの更新も随分久々。
忘れる前に色々時系列順にメモろうと思います。

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あらすじ

世界大会の次に競争が厳しいと言われる豪亜大会。
試験日程の関係もあり日本の大学には敷居が少々高め。
日本からは二つの大学が一チームずつ送ることとなった。
両チーム合同で直前特訓を受けるべく2日間早く現地入り。
そこはロード・オブ・ザ・リングのロケ地となった某国。
人間よりも羊の方が多く居住していることでも有名である。
首都とは思えない小さな都市で、
K大チームをソネレック氏が、I大チームをピエトロパウリ氏が、
直前の練習の専属コーチとして待ち受けた。
(各コーチの和名から、ここではK大チームを「夢チーム」、
I大チームを「平和チーム」という恥ずかしい渾名で呼ぶこととする。)

言葉の壁やメディアの壁に阻まれながら、
前人未到の道なき道を掻き分けて進む羊のような日本選手たち。
このお話は、そんな彼らの通った獣道、羊の道をたどるルポ・・・ということで。

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主な登場人物(日本人は渾名です。わかる人にはわかるだろうけど)

ピエトロパウリ氏: 和名、瑠知安。平和チームのコーチ。MUDチームの選手でもある。
トモ: 平和チームの黒一点。
キャン: 平和チームのおキャンな元気キャラ。 
ママ: 平和チームの癒し系キャラ。

ソネレック氏: 和名、帝夢。夢チームのコーチ。MADチームの審査員でもある。
ヒメ: 夢チームの楽観キャラ。渾名は姫様のような振る舞いから。
キティ: 夢チームの根性キャラ。出発2日前にピンチヒッターに入ったツワモノ。
私: 夢チームのババキャラ。ヒメとキティを合わせて「うちのジョージョー」と呼ぶ。

リンチ氏: ソネレック氏の恋人。MUDの選手。
ディロン氏: インドネシアチームのコーチ。MADの選手でもある。
レイン氏: 本大会の副審査委員長であり、準備大会の主催者。
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6月30日、午後到着。

空港で即効MMUのチームと鉢合わせる。
今回は若い衆しかおらんのだなと思ったら、ラジェンドラ氏はまだ機上、
バラビジェンドラン氏はあそこだと指差す。
空港の床に転がる足だけが見える。
・・・・・・ローガン・・・・・・床で寝んなよ・・・。
とりあえず挨拶を交わしているところに、これまた審査委員長のモア氏登場。
副審査委員長のレイン氏を待ってるんだって。
なんか眠くて頭が回らないのでヘンテコリンな挨拶をして辞す。

我々6人はとりあえずバンでホテルへ。
訛りの強い運転手のおっちゃんは、明日から日本の高校生のガイドだと言う。
小さな港町に着いた。どうやらこれが首都らしい。いやはやびっくり。
薄暗くなりつつある空を見上げつつホテルチェックイン。
便利そうなロケーションに一安心したがこれには落とし穴がある。
それはまた後で。

とりあえず一部屋に6人集まってみる。
主催側のお気楽なマネージにより、
明日からの訓練の集合時間はおろか集合場所も知らされていない。
どうせこのホテルに皆泊まってるんでしょ、と思ったらどうやらそうではないらしい。
誰か情報を持っていそうな人からブリーフィングを受けないことには
にっちもさっちも行かない状況である。

「着いたら連絡しあおう」と約束していたピエトロパウリ氏に電話。
つながらじ。
仕方ないので氏の泊まるホテルにも電話。
おらじ。
何処で遊んでるの、ルシア。

仕方ない、とりあえず夕飯を食べよう、と出かける。
が・・・、何もない!!!
レストランは、パブは一体どこだ!!??
何故金曜日の18:30に何処の店も閉まっているのだ??

散々歩いて漸く見つけたのは中華の店。
入ってみると8.5ニュージーランドドルのディナセットがあるなど、
リーズナブルなお値段。味もなかなか。
幸せいっぱいの私たちは「いざとなったらここに来ることにしよう」と決める。
まさかこの時はこの中華料理店に毎日通いつめることになろうとは知らない。

食事中にソネレック氏から電話をもらう。
総出で一緒に飲みに行くことに。
優しいことにリンチ氏と2人でホテルまで迎えに来てくれると言う。

約束の時間20:00の5分前にノックの音。再会の抱擁。
恒例のチューハイをお中元に渡す。
ヒメと私は何度も面識があるのでリラックスしているが、
他の日本勢はちょっと緊張しているようだ。
・・・と思ったらピエトロパウリ氏からSMS。
こちらも一緒に飲みに行こうと言ってくださっておる。
しかしどうやら同じパブのことみたいだぞ。なーんだ。
じゃ、行こう行こうということになる。

リンチ氏の先導でパブに向かうと、
そこにはMUDやMAD、MMU、そして主催大学の人たちがゾロゾロ。
皆さん既に出来上がっていらっしゃる。
まだ早いだろ、と心の中で大きく突っ込む。
無事ピエトロパウリ氏やディロン氏、レイン氏とも再会。
嗚呼会えて嬉しい。たった半年なのに随分長いこと会えなかったみたいだ。

飲み始めてすぐ、ソネレック氏が「あそこに座ろう」と日本勢を誘う。
彼を囲んで座って、準備大会・本大会の下情報をブリーフィングされる。
最初は酒の席のたわいもない話がメインだったのだが、
すぐに試合準備の打合せに入る。まことソネレック氏らしい。

一番時間を割いて話したのはWTOの過程差別禁止条項について。
WTOには、製造過程の違いを理由に関税障壁を設けてはならないという原則がある。
「Product Not Process」を基準にする、というものだ。
これは自由貿易促進には良いことだが、
環境問題や労働条件の低下に対抗するためにはしばしば問題となる。
ソネレック氏は、夢チームの選手やたまたま居合わせたMUDチームの若い選手に、
何故環境・労働問題に悪影響なのかを説明するよう執拗に要求した。
一度説明を聞くとキーワードを提示し、より解り易く簡潔にするためのヒントをくれる。
そしてもう一度説明するよう要求するのだ。
酒場でビールを飲みながらまだスピ練させる。
この生真面目さがソネレック氏の持ち味であり、可笑しくも愛らしいディベキチぶりだ。
言葉の壁のためシャープな表現をし損なう傾向がある日本チームにとっては
これほど有難いことはない。無二のコーチだ。

私は延々とソネレック氏のディベート談義に耳を傾け、
その場でスピーチ練習までおっぱじめ、その合間に旧友達と乾杯し・・・
というのを続けていたわけだが、
平和チームの面々はどうやらフライトの疲れが残っていたらしく、
早めにホテルへ帰っていった。
ジョージョーたちもしばらくするとそわそわし始めた。
そこへディロン氏の一言。「宿で飲みなおそうぜー」

ていうかあんたの宿どこ?と思わないでもなかったが、
どうやらそこが明日の朝の集合場所らしいので行かないことには大弱りだ。
仕方ないな、じゃあ付き合うか、と思ったら日本勢は総勢引き上げ。
私一人になってしまった。やれやれ、いつも通りな展開だ。

ピエトロパウリ氏とジョージョーを送りがてら一旦私たちのホテルまで歩いた。
ついでにお土産に持ってきた日本酒を二次会に差し入れようということになった。
今回持参したお土産は、ソネレック氏にチューハイ6本、ピエトロパウリ氏に塗りの三段重に入ったお菓子、ディロン氏と主催大学にそれぞれ日本酒一本ずつである。一応個々人の好みに対応した形にしたつもりである。主催大学の分はその場にいたモア氏に手渡したところ、なんだかとっても喜んでくれて持って来てよかったなぁと思わされた。これは後日改めて持って来て本当に良かったと思わされるシーンがあった。

着いてみると、どうやらホテルのラウンジは飲酒厳禁らしく、皆は飲まずに酔う二次会に興じていた。こんなことならもう一・二杯飲んでからパブを出るのだったと思ったが後の祭りだった。

皆アルコールもなしに飲み会ゲームをしている。
たとえば「ネバー・エバー」という古典的なゲームは、丸く座って順番に
「私は今まで一度も○○したことがない」と言う。
座中の人で○○したことがある人は飲まなければいけない。
誰も○○したことのある人がいなければ、言った本人が飲まなければならない。
そういう単純なゲームである。
しかしまあ若い人間の集まる飲みゲームの常で、どうしても下品な方向に行きがちである。
例えば「私は今まで一度もアンジーの彼と寝たことがない」なんぞというのは、
座中の特定の人間をターゲットとしたもので、こういうのがアンジーのいる場で言われるのだ。
しかも誰が飲むことになるのかは皆知っている・・・(汗)エグ過ぎないですかね・・・
ていうか私はこの手のゲームが苦手で、早くもギブな気分でした。ギブ、ギブギブ。勘弁して。

素面で参加するにはテンションが高めな集まりだった上、長かったフライトの疲労がたまっていたので、お喋りやゲームの騒ぎが一心地ついたところで早めに引き上げた。とても治安が良い街とは聞いていたが、女の夜中の一人歩きはやはり恐いものなので、できるだけ明るい道を携帯を握り締めて自分のホテルまで歩いた。

歩きながら色々思った。
翌日からのこと、本大会のこと、
直前にメンバー入れ替えのあった夢チームのコンディションのこと、
これからの自分のディベートとのかかわりのこと、
出国直前に慌しく出してきた原稿のこと、
そしてこれまでのこと、これまでのこと、これまでのこと。

考えても仕方ない。
早く試合がしてみたい。

そう夜空を見上げて思った。

(羊の道物語 第一話 おわり)
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Saturday, July 01, 2006

羊の国からこんにちは

人の数より羊の数が多いらしいニュージーランド2日目です。
まだ羊を目にしていません。

今日は大会前の肩慣らしの「準備大会」で2試合しました。
自分自身の仕上がりはともかく毎回学ぶ事は色々あります。

試合の後で、各国の情勢を報告するセッションがあって、それが最高に楽しかったです。
今日報告したのはニュージーランド、オーストラリア、インドネシア、韓国、日本の5カ国。
ニュージーランドのマウイ族に対する少数者優遇措置についてや、インドネシアの選挙の話、オーストラリアの薬品業界の話や西パプアからの亡命者の話。米韓FTAの話や日本の自民党総裁選挙の話などなど・・・質問も交えて色々情報が行きかいました。こういうのが一番面白いです。
やっぱりメディアに報道されていることって限りがあるなぁとしみじみ思いました。

Sunday, June 25, 2006

姉妹サイト「兎聲舎時事」開始 Starting Toseisha News

海外ニュースの和訳・日本のニュースの英訳を開始!
といっても短いものだけですけれども。

やってみると案外日本語の語彙の少なさが気になる。
うーん、漸く翻訳コースの人たちの悩みが少し分かるように・・・。

毎日読んでるものの中で短くて、国内では報道されていなさそうなものを少しずつカバーしようと思います。ディベータとしての自分自身のためと、海外事情に興味がある方向け。良かったら覗いてみてください。

[CD] 無尽 NEVER END

[CD] ASKA. 1997. 『NEVER END』. 東芝EMI

ダメだ。一枚で落ち着けない、今日は。
放浪するように他のCDに変えてしまう・・・
とりあえずここらへんで落ち着きたい。
頑張れAska。

男声はバリトンくらいが好きです。
このASKAはちょっと高すぎる。
けどたまに高い声聴きたくなるから不思議。
今日はこれでも良いみたい。
伸びのある声が気持ちいーー。
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夏はシャツを脱ごう 冬は重ね着しよう
風邪をひくのはとても嫌いだな
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ひひひひ。あったりまえじゃーーん。(^-^) どんな歌詞やねーん。

おススメはやっぱり最後の曲。「月が近づけば少しはましだろう」。
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角を曲がるといつも 消え失せてしまう言葉だけど
心の中では 切れて仕方ない

この指の先でそっと 拭きとれるはずの言葉だけど
積もり始めたら 泣けて仕方ない
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そういう時は大いに泣け!!と私は思ふ。

[CD] ASKA. 1997. NEVER END. Toshiba EMI.

Daaa. Can't stay with one today...
Can't stop changing disks one after another.
Hope this one satisfies me for a while.
Aska, I trust you. :p

As for male vocals, I usually like baritone.
ASKA is a bit too high.
But sometimes makes me feel like listening to him.
It seems this fits me today. :)

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Take off shirts in summer.
Put on more in winter.
I don't like catching cold.
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Ahahahahaha. Who disagree with this??? (^v^)

[CD] 1995

[CD] ヒートウェイヴ.1995.『1995』.EPIC/ソニーレコード.

茅ヶ崎行ってきたんだしサザンを聴けよ?ごもっともです。けどサザンは重いもん、今日には。作業はかどらないもん、あんなの聴いたら。もう少し軽快な、のんびりな、けどロックが良いもん。

今日もひたすらExcel作業。早くWordの作業に移りたいのだが・・・。

見つめるー前にー跳んでみようーじゃーないかー
Sweet Sweet Harmony Is My Sweet Sweet Revolution♪

うふふふ。「オリオンへの道」も好き。

7月17日に恵比寿でライヴがあるらしい。
珍しく心惹かれる・・・けど忙しくて無理だろうなぁ・・・。

[CD] Heat Wave. 1995. 1995. EPIC/Sony Record.

You think I should listen to Southern All Stars if I went to Chigasaki? :) ufufu. Perhaps... But they are a bit too heavy for today. I can't work listening to love songs of Southern, you know. Something a bit lighter, relaxing but rock is preferable. :)

Working on Excel sheets today again... Should be moving on to Word though...

"Before staring at it, go ahead and jump.
Sweet sweet harmony is my sweet sweet revolution."

Ufufu. I love "The road to Orion", too. :)

It seems that Heat Wave is having a live performance in Ebisu on July 17th...
Wish if I could come... but probably too busy for doing so...

[Food] ポプス Pops

[Food] Teppan Grill Restaurant & Bar. Pops.

プレゼン明けて幸せーな翌日、友人が車で仕事帰りに寄ってくれて遊びに行きました。久々にまともに外で食事しました(汗)夜なのに海に行きたいという私の願いを叶えてくれた素晴らしい友人に感謝。久々に会えてたっぷりお喋りできたので幸せでした。(^v^)oくだらないことばっかだけど、話したのは(笑)。川口選手かっこよかったねー☆とか。(川口選手のオフィシャルサイトはこちら。1998年の時も彼の吼える姿がかっこよくて印象に残りました。あの頃はまだまだ若さが目立ちましたけど、今はすっかり頼もしい感じですね。今も昔もガッツ溢れる姿には励まされますよね)。アホでたわいもない話が楽しくてついつい午前様してしまいました。

育ったのが湘南の海辺なので、今でも無性に海が見たくなる日があります。海を見ながらほけーっとする時間はホント心が洗われる気がします。1ヶ月に一度くらい、海を見てボケーと半日過ごすような充電日が持てたら良いなぁ・・・強めのお酒つきなら更に頭をリラックスできそうでしゅてき。はふう。

今回行ったお店は海辺も海辺。もっと明るかったらさぞ綺麗だったに違いない。また行きたいなー、と思ったのでここにメモしておきます。お店の人もとってもとっても感じ良かったの。今回は友人が車だったし、私は寝不足すぎて危険だったのでアルコールはなしにしました。次回はお酒も飲みたいナ。

ぐるなびのサイトはこちら。クーポンを持っていくと、デザートがついて、しかも20%オフになるから、是非ともプリントしていくこと。りんごのケーキおいちかった。アールグレイもホッとする一杯でした。

[Food] Teppan Grill Restaurant & Bar. Pops.

Friday, June 23, 2006

[CD] 涙と理由 Tears and Reasons

[CD] 松任谷由実.ティアーズアンドリーズンズ.1992.東芝EMI.

私もご他聞に洩れず、中田(英)選手の涙にすっかり感情移入してしまいました。

一昨夜研究室でのプレゼンテーションが無事終わりました。色々試してみたい分析のヒントも貰えました。ありがたや。早くやってみたいな、とうずうずするところもあったのですが、とりあえず帰って仮眠。

だってブラジル戦前だもーん!!

というわけで2時間程休んで、テレビスイッチオン!直前のサッカー解説番組も観てお勉強しつつ本番のブラジル戦スタート!!

サッカーの事は詳しくない私ですが、やはりブラジルは一枚上手という印象を受けました。

日本チームが守備に回るシーンでは、全体的に自陣寄りに全員が展開していました。これはボールを持っている相手選手に複数の人数で効果的にプレッシャーをかけるためだとか。前半日本が得点するまではその作戦通りに進んでいたように見えました。けれどそれはブラジルチームが故意にそうさせていたのではないかと感じました。ブラジルの攻撃はあまりに精彩を欠いていました。けれど前半の良い感触を感じた日本チームは前半と同じように守ろうと思って後半に入ったのではないでしょうか。

後半、日本チームは前半と同じように間延びを避け、チームでの守備に徹しようとしているように見えました。しかし、それはつまりゴール前の人口密度が高いということ。プレッシャーをかけるべく近くに集まって来た日本選手に、ブラジルのアシストを担う選手のパスがあたって弾かれるようになりました。本来これは良いことの筈。けれどどうも日本選手がプレッシャーをかけて自発的に奪った、というよりも「あたった」ように見えるシーンが多くなりました。しかもどうしたわけか、あたって弾かれた球の行く先にはブラジルのストライカー、ロナウドがいる。まるでパスしたみたいに。

・・・・・・壁打ちの壁扱いされてるんじゃん!!???スカッシュじゃないぞ!

サッカーは前半と後半で作戦を切り替えていくものなのではないかな・・・という印象を受けました。日本のチームはそういう意味でとてもナイーブな感じがしました。裏とか駆け引きとかが足りないような。

ピッチに残る中田選手の涙に打たれました。ああ,頑張ったんだなーって。

FIFAとは比べ物にならない規模の競技ではありますが、一応日本代表選手として戦ってきた身としていろんなことがフラッシュバックしてしまいました。私も沢山泣いたなー。頑張っても他のプレーヤーと意識が同じとは限らない。頑張っても勝てる見込みはなかなか見えない。他の国のチームとの間に大きな壁を感じてもがいてももがいても乗り越えられそうにない(私にとってはそれは言葉の壁でしたけど、サッカーの日本代表にとっては体格差が明確な壁だったかと)。苦しくて悔しいけど毎日ひたすら頑張るしかない。

・・・辛いんだろうな。悔しいんだろうな。

ディベートの日本選手団は、とうとう明かりをみつけました。
頑張ればいつか報われると、2%でいい。信じられたら良い。
というわけで今日はこのCDの最後の曲、Carry onを聞いております。

がんばれ、日本のサッカー。

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もつれそうなストライドに
また絶望が襲いかかる
傷だらけの夢をまとい
打ちひしがれた姿でいい
Carry on ...... Carry on ......

終りのない長い道に
傾いてゆく夏の光
あなたはただ走っている
金の炎が燃える場所へ Carry on
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[CD] Matsutoya, Yumi. 1992. Tears and Reasons. Toshiba EMI.

Wednesday, June 21, 2006

[Book] イソクラテス弁論集1 Isocrate. Discours

[本]イソクラテス.小池澄夫訳.1998.『イソクラテス弁論集1』.京都大学学術出版会.

スリリングでドキドキする文章。
もっと勉強しなければと高揚する気持ち。
イソクラテスという人は、沢山の名演説を「書いた」けれど、
声が小さく小心であるのを気にして自分では話さなかったとか。
そんなの想像できない勢いのある文章です。
果たして小心であってこんな自信に満ちた言葉が紡げるものだろうか・・・
イソクラテスの文章に恋しそうな今朝です。

下の引用、特に最後の部分は、ちょっとチョムスキーを思い出します。

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 まことに、有益な言論を聞いて学ぼうともしないのは、友人の好意を拒むのと同じように見苦しい。好んで寸暇を言論の傾聴にあてるならば、やがて他の人には難解な言葉がよどみなく理解できるようになるであろう
 こうして聞いた言葉は多くの財貨より、はるかに貴重なものであると考えること。なぜなら、一方はすみやかに失われ、他方はすべての時を貫いてとどまるからである。われわれの所有するものの中で唯一、知恵のみが不滅である。何か有用な教えを授けると宣言する人びとを尋ねて、遠路を旅することに怯んではならない
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 世上には言論にひどく反感を抱いている人がいて、哲学する者を罵り、彼らがそのような仕事に励むのは徳のためではなく権勢欲のためだと言う。ぜひとも彼らから聴きたいと思うのだが、なにゆえ一方で雄弁を欲する者をおとしめ、他方で功業を望む者を誉めそやすのか。もし利欲が彼らの唾棄するところであるならば、はるかに多大の利得が言論よりも実業によって生まれているではないか。(中略)徳に背くことなく利得を挙げるならば、その仕事そのものは非難にあたらない。むしろ咎めるべきは、行為において罪過を犯す者、あるいは言論によって人を過たせ、不正に言論を用いる者である。
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 互いに説得し、また欲するところのことについて自分自身に明らかにすることができるようになってはじめて、われわれは野獣の生活から訣別したばかりでなく、集まって城市を建設し法律を立て技術を発明したのであるが、われわれの工夫考案のほとんどすべては、言葉がこれを準備したのである。
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 この言葉の助けによってわれわれは、異論かまびすしいものについて論陣を張り、未知の事柄について考察する。まことに、われわれが他の人びとを説得するために述べる論拠と、ひとり熟慮判断するために用いるそれは同じものであり、多数の会衆の前で弁舌をふるうことのできる者を雄弁家と呼び、懸案をめぐって自分自身を相手に最もよく論議をつくす者を深慮の人とみなすのである。
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 私の見るところ、諸君は発言者を分け隔てず公平に聴くことをしていない。ある者には神経を集中するが、ある者に対してはその声を聴くことすら我慢しない。そして諸君のそういう態度は不思議ではない。諸君はこれまで諸君の欲望におもねる者でなければ、すべて演壇から引き降ろす悪習に染まっているからである。

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 われわれは戦争と平和について討議するために民会に集まって来た。この案件こそ人びとの生活に深甚な影響を及ぼすものであり、これについての審議の正否により、幸不幸が決定するものである。われわれが討議するために集まった議題はかくも重大である。
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 ところが諸君はこのいずれにも等閑にして狂躁をほしいままにしている。われわれがここに集まったのは、すべての発言を聴いて最善の意見を採択すべきだと考えてのことであるのに、すでにいかなる行動をとるべきかは明確に知っているかのごとく、耳に快い煽動家の言葉しか聴こうとしないではないか。しかしながら、いやしくも諸君が国益の追求をねがうならば、むしろ諸君の意見に反対する者の議論に耳を傾けるべきであって、甘言は斥けなければならない。壇上に立って論弁する者のうち、諸君の欲するところを述べる者は、容易に諸君を欺くことができるが、しかし甘言を排して忠告する者が諸君を瞞す気づかいはない。なぜなら、何が有益かを明らかにすることなしには、諸君の意見を変えようとしても到底できるものではないからである。だがその点は措いても、人は過去について判断を下すにせよ、未来について深慮するにせよ、対立する議論を吟味し双方の主張を公平に聴かないでは、事はおぼつかない。
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 私は諸君の見解に反対することの困難を承知している。またそれだけではない。民主制のもとでありながら、ここ民会で「自由な言論」が許されているのは、諸君のためをはかることのできない愚か者のほかになく、また劇場では喜劇作家のほかにない。なんとも恐るべきことに、国家の犯した失態を他国のギリシア人に吹聴する者にはどんな功労者も及ばぬ愛顧を与え、諸君を譴責し訓戒する者には、国事犯を相手にしているかのように不快を隠さない。
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[Book]G. Mathieu et E. Bremond ed. 1929. Isocrate. Discours. vol.1. Paris: Les Belles Lettres.

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I observe, however, that you do not hear with equal favor the speakers who address you, but that, while you give your attention to some, in the case of others you do not even suffer their voice to be heard. And it is not surprising that you do this; for in the past you have formed the habit of driving all the orators from the platform except those who support your desires.

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ウェブログ図書館 Weblog Library

現在申請中。

ちょっとみたら専攻と絡んだ記事が多く掲載されていてビックリ。
これからは定期的にチェックしようかな。

[Book] 第1感 Blink

[本]グラッドウェル,マルコム.沢田博・阿部尚美訳.2006. 『第1感: 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』.光文社.

やたらと売れているようなので期待して読んだのだが、イマイチ。当たり前のことしか書いていない・・・というか古い!!なんだ今更?な内容。しかも分析が全く科学的でない。ひたすらエピソードが並ぶ。ビジネス書としては許されるのだろうか。よくわからないが、一般化に耐える知見は得られない。エッセイなんだか意見書なんだか何なんだかわからない。ありがちで中途半端なアプローチだ。

更に気になるのは、彼の言う「第1感」の概念に一貫性が見えないことだ。ある時は「時間をかけないで行う判断」を、ある時は「言語化されない情報」を、またある時は「偏見を除いたブラインド・テストによる評価」を指している。全然別のことではなかろうか。

ナンセンスな論理(?)展開も多すぎる。下の引用部分の「仕切りのおかげで純粋な瞬時の認知が可能になり」というのは全く意味不明だ。視覚情報の有無と判断にかかる時間は無関係だ。審査員は視覚情報を制限されたのであって、曲の最初の2秒だけを聴かされたという話ではない。「偏見を取り除いて能力を基準に人を評価すること」と「直感に頼って評価すること」は全く別物だ。「直感に頼って評価すること」と「聴覚優位な情報授与」も全然関係ない。(両方とも厳密に言えば関係有る。しかしこんな大雑把な文脈では断じてない。もっとバイオな問題だ)全くナンセンスだ。

それどころかこの本の他の箇所には「ひと目で見抜く力」という見出しの部分もある。人間の顔の特徴は視覚的・直感的には認知できても言語化できない、というくだりもある。仮に下の引用部分で彼の示唆するとおり視覚情報は「時間のかかる情報処理」で、「直感ではない」のだとしたら、これらのセクションはどう解釈すればいいのだ??「ひと目で見抜く」直観力について語っているではないか??矛盾しまくりだ。「直感に頼れ」と言いたいのか「直感に頼るな」と言いたいのかも全く意味不明。

全体的に、思い付きを書き散らした印象が拭えない。関係のある情報とない情報が判然としている。頭が悪そうな文章だ。よほどバカでなければこいうのは書こうと思っても書けないのではないだろうか。はっきりとダメな本。何でこれがベストセラーなんだろう・・・。

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 ジュリー・ランズマンがメトロポリタン歌劇団の主席ホルン奏者を選ぶオーディションを受けたとき、練習用ホールには仕切りが設けられたばかりだった。そのとき、歌劇団の金管楽器のセクションに女性はいなかった。女性は男性のようにホルンを吹けないというのが「常識」だったからだ。だが、そこにランズマンがやってきて演奏した。素晴らしかった。「最終選考で演奏したとき、結果を聞く前に合格したとわかった」と彼女は言う。「最後の曲を演奏したときにちょっと小細工したの。確実に審査員の印象に残るように、最後の高いドの音をかなり長く伸ばしてみたの。審査員は笑い出したわ。必要以上に伸ばしたから」

 だが、合格者が発表されて彼女が仕切りの後ろいから現れると、みんな息を飲んだ。コナントの場合のように、彼女が女性で、女性のホルン奏者が珍しかったからだけではない。男性の演奏と間違えるような力強く大胆に引き伸ばした高いドの音のせいだけでもない。審査員は彼女を知っていたのだ。ランズマンは以前にメトロポリタン歌劇団で代役として演奏したことがあった。だが耳だけで聴く前は、その演奏の素晴らしさにみんな気づかなかった。仕切りのおかげで純粋な瞬時の認知が可能となり、小さな奇跡が起きたのだ。最初の2秒を大事にすれば、いつでも起きる小さな奇跡だ。そうして彼らは、ランズマンの本当の力を知った。
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[Book] Gladwell, Malcolm. 2005. Blink. NY: Little, Brown and Company.

I have absolutely no idea why this book is a best seller. This doesn't make sense at all. This is a very messy book with messy ideas.

For example, the following part doesn't make sense at all. Visual information has no relation with the length you take for making a decision. Making decision in a brief time and doing it based on prejudice are different things. Making decision based on instinct and doing it based on audio information are different, too. It really doesn't make sense...

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When Julie Landsaman auditioned for the role of principal French horn at the Met, the screens had just gone up in the practice hall. At the time, there were no women in the brass section of the orchestra, because everyone "knew" that women could not play the horn as well as men. But Landsman came and sat down and played -- and she played well. "I knew in my last round that I had won before they told me," she says. "It was because of the way I performed the last piece. I held on to the last high C for a very long time, just to leave no doubt in their minds. And they started to laugh, because it was above and beyond the call of duty." But when they declared her the winner and she stepped out from behind the screen, there was a gasp. It wasn't just that she as a woman, and female horn players were rare, as had been the case with Conant. And it wasn't just that bold, extended high C, which was the kind of macho sound that they expected from a man only. It was because they knew her. Landsman had played for the Met before as a substitute. Until they listened to her with just their ears, however, they had no idea she was so good. When the screen created a pure Blink moment, a small miracle happened, the kind of small miracle that is always possible when we take charge of the first two seconds: they saw her for who she truly was.
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Tuesday, June 20, 2006

[CD] 嬉しくて微かで軽いキス Delight Slight Light KISS

[CD] 松任谷由実.1988. 『Delight Slight Light KISS』. 東芝EMI.

はい。音楽を聴いている、つまりは今日もExcel作業です。飽きたーー。ボタン1つで答だけ分かったら良いのになぁ・・・私の仕事は考えるだけ。嗚呼素敵・・・って無駄な妄想してる暇はないちゅうねん。

ユーミンは中学生の頃から好きです。荒井由実時代限定で好きだったんですよね、ずっと。でも最近松任谷になってからのユーミンも良いなぁ・・・と思い始めました。歳相応になったんでしょうか。 このアルバムは両方の雰囲気が混在してる感じがします。

このアルバムに入ってる中で有名なのはやっぱり「リフレインが叫んでいる」でしょうか。こういう曲は荒井由実時代にはなかったですよね。聴くタイミングによっては結構シンクロしちゃうので曲者(笑)やー、優しくするべき相手に優しくできなかったり、明日もあると思って油断してたら突然会えなくなったり。そういうことってありますよね。それが恋人のこともあるし、友人のこともあるし、家族のこともある。離別のこともあるし死別のこともある。どちらにしてもそういう時の涙はせつないですね。愛別離苦とはよく言ったもんだ。「今優しくなれなかったらきっと後悔する」とか「今許せなかったら許す前に会えなくなる」っていう気持ちも胸をキリキリさせる時ありますね。自分の気持ちに上手にウソをつけない自分が情けなくて腹立たしくなる。そういう時に出る涙もありますね。うん、やっぱりこれは良い曲かな。

時期的にはちょっと荒井由実時代風な、4曲目の「誕生日おめでとう」がタイムリーかな。といっても自分の誕生日じゃないですけど(別に色気のある相手のでもありません。ていうか人間じゃない)。何年前だったかな、この時期にカラオケでこのユーミンの「誕生日おめでとう」を歌いました。あの頃既に、きっとこの曲のような気持ちになる日が来るだろうと予感がありました。やっぱりなって思います。今となってはもうこの曲よりも更に執着心が薄い気がします。よく考えたら当たり前ですね。あの頃が夢を見過ぎだったのだなぁーと改めて思います。夢を保つのは凄くエネルギーの要ることで、集団なら尚更ですね。人の夢って書いて「儚い」なんですねー・・・。

このアルバムで一番好きな曲は最後。10曲目の「September Blue Moon」です。メロディも歌詞もとっても可愛いの☆

[CD] Matsutoya, Yumi. 1988. Delight Slight Light KISS. ToshibaEMI.

Monday, June 19, 2006

[Book]認知コミュニケーション論 Cognitive Linguistics

[本]大堀壽夫編.2004.『シリーズ認知言語学入門: <第6巻>認知コミュニケーション論』.大修館.

うーん・・・なんかレトリックという言葉が誤解されていると思うんですよね。以前ご紹介した『レトリック感覚』のような本が国語の教科書に使われているのが誤解が続く元なのではないかとちょっと思います。レトリックを比喩だと思ってるんですよね・・・多分。しかし専門家として本を書く方もそういう理解をしている状態だと本当に何と言ってよいのか・・・

Wikipediaでさえ修辞学は正しく紹介してくれているのですが・・・(但し修辞技法やレトリックは主に比喩についてになっていて非常に中途半端。しかも半保護指定ページのようです。よほど混乱しているのでしょう)。修辞学、修辞法、修辞技法、レトリックなどの語が違う意味で使われたりするのも意味不明です。原語は同じRhetoric(a)の筈ですが・・・英語のWikipediaは、かなりまともな内容です。してみると日本特有の混乱・誤解なのか。

例えば私が自分を修辞学者だと名乗った場合、おそらく大抵の人は小説や詩歌における比喩表現の研究者だと思うのでしょうか・・・うーん・・・ホント困るなぁ。せめて専門家には間違わずに使って欲しいと切実に思います。この本は誤解を助長してしまうと思うのでNGだと私は思うのですが・・・。以下の引用部分は私が勉強した限りでは間違っていると思います。

そしてまたもややたら引用されているのが夏目漱石。佐藤さんと全く同じパターンです。なんで!!??どうして夏目漱石がレトリックの使い手ってことになるの??絶対勘違いしてるよなー・・・。しかも古代ギリシアの修辞学と現代の修辞学は違うっていう説明も佐藤さんの説そのままなんですよね、この本。パクったんじゃなかろーか。ホント。似すぎているでしょう。

確かに修辞学はリバイバルされた後アプローチが少し変化したとは思いますが、あくまでも大衆(受け手)を「説得」するという要素は残ってるはずだと思うんですけど・・・。何故か日本の沢山の人はそこを頑として無視し続けているわけで・・・どうしてなんでしょう・・・。佐藤さんばかりをあまり悪く言いたくありませんが、やっぱり中等教育であんなの一斉に読まされちゃ誤解もしますよね・・・。多分国語の先生たちも彼のちょっと偏った説を信じてしまっているのでしょうし。沢山の人に「レトリック=比喩」と思い込ませてしまった功罪は大きいように思います。教科書認定する人ももう少し考えてから選んで欲しいものです・・・。

例えばアリストテレスのArs Rhetoricaは、どんなに「リバイバル」されたとしても「比喩中心の表現法」とはならない筈だと思うんですが・・・Ars Rhetoricaには三段論法や例示の仕方、証人の扱いなども同じように扱われていて、比喩や装飾的な言葉の利用はあくまでも一部なんですけどねぇ・・・。それもあくまでも説得の手段として登場するのですが・・・。「詩的な表現」の是非についても確かに触れてはいますが、これもあくまで説得に有効かどうかという視点です。詩や演劇自体の研究は全く含まれていなかった筈。先述の英語のWikipediaも、Currentの部分にもinduce coopearationという定義が出てくるのですが・・・。何故日本では鍵だった筈の「説得」が消えてしまったんでしょう・・・。そこが一番重要なはずなのに・・・。「説得」が関係なくなったらもう「リバイバル」ではなくて全くの別物だと思うのですが・・・。

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伝統的なレトリック(修辞法とも呼ばれる)は,比喩を中心とした表現法の細かな分類に専念する傾向が強かった。しかし20世紀に入ってその再評価が始まり,言語学のなかでも,とりわけ認知的アプローチの中で本格的な注目を集めるようになった。(p.137)
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レトリックに対する人間の学問的関心は,古くは古代ギリシアにまで遡る長い歴史をもつ。古代ギリシアおよびローマ時代には,レトリックは法廷や儀式などの場における弁論の技術として体系化された。巧みに演説を行い聴衆を説得するためには,表現をどのように華麗に飾ればよいか,その方法を分類,整理することに修辞学者たちの力が注がれた。また,レトリックは詩や演劇などの文学作品における効果的な技法についての研究でもあった。以来,中世からルネッサンス期にかけて,レトリックは一般教養の仕上げの役割を果たす重要な科目として学ばれてきた。だがその後,近代の合理主義的,実証主義的な思潮が強まるにつれて,レトリックは単なる表現の装飾的な技術と見なされて重視されなくなり,規範的,教則的な性格をもつ学術としてのレトリックは衰退した。

 ところが20世紀,言語学の台頭および隆盛とともに,レトリックは言語研究者により従来とは異なる角度から光を当てられることになる。まず,メタファー表現がもつ意味の特徴に対する考察がなされた。(p.156)
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[Book] Ohori, Toshio ed. 2004. Cognitive Communication. Tokyo: Taishukan.

Sunday, June 18, 2006

分岐点 A fork in the road

さてさてクロアチア戦が迫ってしまいましたが、
今日終らすべき作業が全く終る見込みがなく。
どーーーしよーーー。

1.お持ち帰り作業にしてながら勉強
2.ネット放映している場所を探してながら勉強
3.サッカーはガン無視して作業続行

どーれーにーしーよーうーかーなー。
2番は何かのニュースでBBCがアメリカ進出をかけてやるって読んだんですけど・・・本当かなぁ・・・。違ったら見損なってしまいますな・・・。うーーーんーーーー。

仕方ない、1番にしようかな、体調万全じゃないし。
しかしならば今すぐ出なければ間に合わないな。

別にサッカーファンじゃないでしょ、って言ってしまえばその通りなのですが、いかんせんディベート病を患っているので、ニュース性があるものには反応しちゃうんですよね。困ったものです。

ニュース系の話って、実際には自分には確固たる意見がないことって多いじゃないですか。けどやはりディベート病のため、何でもネタというか肴にして議論するのは大好きです。別に心からそう信じていて意見が固まっているわけじゃなくて、ちょっと頭の体操として議論したい時がある。なんか新しい視点が生まれるかもっていう期待感に胸がドキドキして思わず違う意見を提示してしまう。三度のメシより三時のオヤツより三杯のワインよりそっちが好きっていう・・・。ええ、どうせ病気です。本来のディベートの目的とはズレまくってるし。問題があるから議論するのであって、問題を血眼で探し出してどうする・・・。

しかし一番の問題は、議論すべき問題がないことではなく議論する相手がいないことです。殆どの人は(たとえディベータであっても)、意見を別つの躊躇うんですよね・・・。最初少し議論になっても、凄い急いで収束させようとする。だから多少納得いかなくても良いや、って妥協してしまうみたい。さっさと結論出して終了ー!!みたいな。

つーーーーまーーーーーらーーーーんーーーー。
何回もダイアログしないと深まらないじゃん!!!!
そんなに急がなくったってさー。
もーちょっとそこを堪えてホールドして欲しい。
まるでNAフォーマットみたいだ。
かゆい所に手が届く前に終了ー!なんて・・・
え?今始めたとこじゃん!!みたいな。

同時に闇雲に言い張られるだけでも意味がない。
ちゃんと毎回新しい理由付けなり例示なり整理なりしてもらわないと。

誰か気長に進展する議論してくれる体力のある人はおらんかのう。
しかも相手が一人とかだと自ずと話題が狭まるので複数欲しい。

・・・我侭言うなって感じですね。
さっさと帰ってサッカー観つつ作業しよ。

Thursday, June 15, 2006

[VCD] ホワイト・クリスマス White Christmas

[VCD]カーティス,マイケル.1954.『ホワイト・クリスマス』.パラマウント.

衝撃の事実。

メル・ファーラーってあれでしょ、ホワイト・クリスマスの人でしょ、と思って確かめたら・・・違うんだ!!背丈が合わないなぁ・・・とは思ったんですよ。ホワイト・クリスマスの男優は相方のダニー・ケイより背が低かった筈だよなぁー・・・って。背が高すぎてバレリーナになれなかったオードリーよりこんなに背が高いなんておかしいなぁ・・・と。しかしそうかぁ、別人だったのかぁ・・・。

こちらはビング・クロスビーという名前だったようです。しかし顔ソックリじゃありませんか??でも確かに声が違うや・・・。

・・・まてよ?じゃあ私には同一人物だと思われていたHigh Societyの男優はどっちと一緒だったんだ・・・?と芋蔓式に疑問が。High Societyの人はどうやらビング・クロスビーの方だったようです。つまりあれか、歌えるのがクロスビーなんだな。

ちなみにこのホワイト・クリスマスは16.90RMでした。500円くらい?海賊版じゃなさそうですヨ。凄いですよね。リスニング教材の内フィクションものは東南アジアで買うに限ります(笑)。ドキュメンタリーは東南アジアでは滅多に売っていません。なんでですかね・・・?

ああ・・・Excelの作業本当に飽きた・・・別のことしたいなぁ・・・本も読みたいなぁ・・・

[VCD] Curtiz, Michael. 1954. White Christmas. Paramount Pictures.

Wednesday, June 14, 2006

[VCD] 戦争と平和 War and Peace

[VCD]ヴィダー,キング.1956.『戦争と平和』.パラマウント.

マレイシアで19.90RMだったものです。つまり・・・600円くらい?なんたって長い作品なのでCDだと3枚、DVDでも2枚にまたがります。レンタルするより買うほうが安いという・・・。それで買ったんですが、買ってから随分経つのにこれが観るの初めてです。

オードリーは見分けるの凄く簡単ですが、男優を見分けるのは結構大変です。だってやたら軍服着てる人が多いわけなんです。個性のない名前ばっかだし。ピエールすら怪しいです。一人だけ眼鏡つき黒髪だからオーケーだと思ってたら、眼鏡を外したソックリさんが登場。ブロンドの女優さんも見分けにくい。ていうかこれまたオードリー以外全員ブロンドだし!!顔立も割と似てるのにお化粧がソックリだし。服はどんどん着替えちゃうし。大変失礼ですが胸の大きさで見分けているようなわけで・・・。女優さん方には大変申し訳ないことで。しかし声や顔や演技で見分けられるほど出番ないんですもの・・・。それなのに奇妙な視線を交わすキャラがそこかしこに。なんだなんだ、どうしたんだ。今現在も一人、別人だと思っていたら同じキャラだと判明。同一人物かと訝しく思っていた人物は別人だし。なにぃ。そうすると・・・この人とあの人が従兄妹同士で・・・あっちは兄妹で・・・えっと・・・そうすると恋愛関係になり得るのはこの人と・・・うわ、初っ端からえぐい設定ですな。ええ?その人弟なの?なにぃそっちとそっちも兄妹?奥さん妊娠中なのに酷くない??・・・なにぃ・・・その人は養子なのか・・・それとも父親が違うだけ?・・・あれ?そういう展開に?え、ちょっと待って、その人もう死んじゃったの??ていうかどういうスピード離婚なの、それ!!展開が速すぎです!! うわーーーーーーーー。ピエールのソックリさんコワー!キモー!えええ?オードリーの役も酷い!やー。とにかくややこしい作品ですな。

しかし、メル・ファーラーとオードリーは良い組み合わせですね。普段から仲良かったのかな。演技はイマイチだと思っていたオードリーがそこそこに見えます。ファーラーが上手いってことでしょうか・・・

そうです。私はかの有名な原作を読んでおりません。すみません。

[VCD] Vidor, King. 1956. War and Peace.Paramount Pictures.

Thursday, June 08, 2006

[DVD] DC911

[DVD] ブライアン・トレンチャード=スミス. 2004.『DC911』.91分.

本日のリスニング教材。
軍事用語や政治的に正しい用語を語彙に加えるため。

内容はやっばいです。
こんなのばかり観てたら世界観ゆがんじゃいます。
アメリカの皆さん、こういう映画観て陶酔しちゃダメですよ!!

Outfoxed(ドキュメンタリー映画)によると、
「Fox見ている人の3割はイラクでWMDは見つかった」のだそうです。
メディアのミスリーディングぶり恐るべし。
そこまで常識が違ったら別世界の住人ですよね。
こういう映画観てたらありえないような意見の人が生まれそう。

しかしよくここまで美化できるなぁ・・・
美化っていうか明らかにグロテスクだけど、こういう演出に耐えられる人は、
きっとそのグロテスクさに気がつかないんだろうなぁ・・・。
きっと「USA!USA!」の大合唱のシーンとかで泣いたりするんだ。
恥ずかしくないかなぁ・・・この役者さんたちもよくこんな仕事引き受けたなぁ・・・

[DVD] Brian Trenchard-Smith. 2004. DC911. 91 minutes.

Monday, June 05, 2006

とりあえずノルマ完了 Somehow met a quota

今週末,私には「これだけは絶対やらなきゃダメ!」なことがありました。 それは……結婚式の友人代表挨拶の原稿を書くこと。

もう一ヶ月もああでもないこうでもない考えまして, ネット上の「スピーチのコツ」系サイトも大量にブラウズしました。 しかし書き始めないことには進まないと漸く気がつきました。(いつもここが遅い)

・・・出来は・・・どうなんでしょう・・・。まだわかりません。いやもう,むっちゃ緊張です。ああ,来週の今頃私はまだ生きているだろうか・・・そのくらい緊張してます。

どうも誤解されがちですが私は人前で話すのが苦手です。
苦手だからディベートも始めたんですから・・・
けど今回ばかりは苦手だとか不得意だとか言ってる場合ではありません。
雰囲気を壊さぬように,友人のイメージを損ねぬように,
できれば和やかな場づくりに役立つように・・・とにかく笑顔で。
笑顔,笑顔だよな,やっぱり。 緊張してアルカイックスマイルにならんようにせな。
嗚呼・・・コピーロボットがいて代わりにやってくれたなら・・・
いやいや,こればかりは自分でやらな意味ないじゃないか。

はふう。出来が良いのか悪いのか自分ではよく分からないので,
明日以降色んな人に送りつけて赤ペン先生してもらうつもりです。
それでも不安が残りそうな気もしますが,
とにかく万全を期して,準備しっかり,そんでもって練習もして・・・
ああ不安だ・・・

まあとにかく叩き台ができて良かった。
ホッと一息。アイスクリームでも食べて頭に糖分補給しよっと。

[Book] 脳とコミュニケーション Brain and Communication

[本] ヤクルト国際シンポジウム.1994.『脳とコミュニケーション』.ヤクルト本社.

シンポジウムの講演(予稿?)集。
10年以上も前のものなので,現在では常識となっているものが多い。
けれどそれなりに楽しく読めた。特に表現の仕方に学ぶところが多い。

ちなみに最近,高校で保健を教えてくださった先生のご主人が脳の可塑性についてを書かれていたことが判明。うわー。奥様はおだやかーに笑顔で恐ろしくグロい内容を講義してくださる方でした。最近はどうしてらっしゃるんでしょう・・・・・・お元気でしょうか・・・懐かしいです。しかし今振り返ってもうちの学校の保健の授業は内容が丸っきり生物(しかも人体限定)だったと思います。一通りの臓器を図画できるうら若い乙女達を大量生産して,一体あの学校は何をしようというのでしょう・・・

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 人間の子供は驚くべき早さでコミュニケートすることを学ぶ.これは,言語知覚を支える生来の資質と,知覚システムを母国語へ”調律”させる初期の言語経験への鋭い感受性による.誕生直後は,乳幼児は生まれた国や周囲の言語によらず,世界中の言語で使われている全音声単位を識別することができる.したがって,生まれた頃は”世界の一員”といえる.しかし特定の言語に触れていくうちに,言語に使われてる音の違いを聞き分ける能力は衰える.乳幼児の知覚システムは,”文化に結びついて”くる.大人になるまでに,母国語で区別していない音の違いを聞き分けるのが困難であることに気づく.
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 言葉を通じて他の人々とコミュニケートする能力は人間と動物を区別するものである.このため言葉は神経生物学から哲学まで,幅広い研究分野の対象とされてきた.
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 脳がいかに言葉を”処理”するかについての知識が理解される時,いかに無秩序の脳がこの重要な人間の能力において不完全であるかという洞察が鮮明になるし,また無秩序を扱う新な方法が見つかるかもしれない.
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[Book] Yakult International Symposium. 1994. Brain and Communication. Tokyo: Yakult Honsha.


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Human infants learn to communicate with amazing speed. This is due to both to innate predispositions that support language perception and to a keen sensivity to early language experience that "tunes" the infant's perceptual system to the native language. Early in life, regardless of the country in which they are born and the language they are exposed to, infants can discriminate among all of the phonetic units used in the world's languages. Infants at birth are thus "citizens of the world." However, with increasing exposure to a specific language, infants' abilities to hear differences among the sounds used in language are reduced. Their perceptual systems become "culture-bound." By the time we reach adulthood, we find it difficult to hear differences between sounds that are not distinctive in our native language.
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The capability to communicate with other people through language is an ability that distinguishes humans from other animals. For this reason, language has been the object of study across a wide range of investigative disciplines from neurobiology to philosophy.
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As this knowledge becomes available about how the brain "does" language, insights to how the disordered brain is deficient in this important human ability will be sharpened, and new ways of dealing with the disorders may be discovered.
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[Book] 生体情報論 Bio-Informatics

[本]福田忠彦.1997. 『生体情報論』.朝倉書店.

はい。これも今更ですね。読んでなかったらまずいですよね。
でも一応アップしてみる。

今の主流はもちろん電極を突っ込むような荒っぽいやり方ではないけれど,技術は変化しても成果はそこまで劇的には変化していないような気がする。使われている部位を特定させる方法(fMRIとか)もどんどん使い勝手が向上しているようだけれど、それでも「何処で」考えているかが分かることは「どうやって」考えているかが分かることとは違う。もちろん推理する助けにはなるわけだけれど、やっぱり精神物理学的なアプローチと合わせ技に持ち込む必要がある。だから大勢は今もここに書かれているままなような気がする。遥かなる道のりですね。

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 近年,脳科学は目を見張るような進展を遂げているので,脳の機能についてわれわれはかなり多くのことを把握できたように思われるが,実はそれとてごく一部の機能にすぎない。現在の脳神経生理学の主流は,動物の脳に微小電極を差し込んで個々の細胞の反応を測定するものである。これらの細胞の反応については多くの正確な知識が蓄積されつつあるが,これらは断片的なのであって,百数十億以上といわれる細胞が組み合わされて構成されている脳の神経回路を1つのシステムとして理解することは途方もない課題であり,不可能に近い.(中略)
 要するに,われわれが脳から学ぶ点はデービッド・マーが指摘しているように,脳における情報処理の基本アルゴリズムである.しかし,これをどのように構築するかは人間の独創力にかかっているのであり,その実現は工学技術に委ねなければならない.脳の機能を理解するためには,バイオサイバネティクスの手法を導入するのが有効である.まず脳の機能を限定し,脳と同じような機能を有する神経回路モデルを構成する.その際,神経生理学における知見にのみならず,心理学によって得られた最新の知見もできるだけ忠実に取り入れる.解明されていない部分は仮説をたてることによって補い,全体としての機能をコンピュータシミュレーションによって調べる.誤りがあれば修正を繰り返し行う.
 このようにして脳における情報処理の基本アルゴリズムを明らかにすることができる.
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[Book] Fukuda, Tadahiko. 1997. Bio-Informatics. Tokyo: Asakurashoten.

Sunday, June 04, 2006

[Book] ヒューマンスケープ Humanscape

[本] 福田忠彦・渡辺利夫.1996.『ヒューマンスケープ: 視覚の世界を探る』.日科技連.

いや…本当今更なんですが、一応…。

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 実験はテレビのニュース番組を録画し、出演しているニュースキャスターを被験者がコミュニケートしている相手とみなして,ニュースキャスターが話していることに注意して見るように指示を与え,その際の眼球運動を測定するという方法をとった.
 顔を,右目,右頬,左目,左頬,鼻,口,顎,そしてその他の9部分に分け,それぞれの部分ごとの注視回数を割り出し分析した結果,表Ⅱ.11.1を見てもわかるように,全体的に目を見ることが多いことが明らかになった.
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 刺激として,外国人キャスターの映像と日本語の吹き替え音声により構成されたニュース番組を用いたところ,表Ⅱ.11.4および図Ⅱ.11.3のように,この場面に限って口に視線を置く傾向にある女性でも顔の上半分に視線を移したという結果が出た。人は人の話を聞くときに,耳に入ってくる声と口の動きを一致させることによって理解する,ということをこの結果は裏付けていると言ってよいだろう.
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[Book] Fukuda, Tadahiko and Watanabe, Toshio. 1996. Humanscape: Exploring the visual world. Tokyo: Nikkagiren.

[Book] 理性の復権 Differenz des Fichte'schen und Schelling'schen Systems der Philosophie in zu Anfang des neunzehnten Jahrhunderts

[本] ヘーゲル.ゲオルグ.山口祐弘・星野勉・山田忠彰訳.1985.『理性の復権: フィヒテとシェリングの哲学体系の差異』.批評社.

ヘーゲルにリベンジです。

……けどやっぱり分かりにくい・・・。

で、ですね、なんで分かりにくいのかちょっと分かりました。「絶対者」が出てきすぎるんです。宗教的な意味でも文化的な意味でも一神教に馴染みがない私にはピンときにくい感覚なんだろうと思います。

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 しかし、常識は思弁を理解しえないだけでない。常識は、思弁について聞き知ると、嫌いもし、しかも、まったく無関心に安住していられなくなった時には、思弁を憎悪し迫害せざるをえない。というのも、常識にとっては、その言葉の本質と偶然的なものとの同一性が絶対的であり、常識は現象形態の諸々の制限を絶対者から分離しえないからである。同様に、常識がその意識のうちで分離するものもまったく対立しており、常識は、制限されたものとして認識するものを、制限されないものと意識の中で合一することができないからである。制限されたものとされないものとは、常識においても確かに同一ではある。しかし、この同一性は、内なるもの、感情、認識されないものであり、語られないものにとどまっている。
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 思弁的な知は反省と直感の同一性として把握されなければならない。それ故、理性的である限り二律背反的である反省の持分だけが措定され、しかもこの持ち分が直感と必然的に関係する場合には、直感について、それが反省によって要請されていると言いうる。しかし、理念を要請することは問題となりえない。というのも、理念は理性の所産、あるいはむしろ悟性によって所産とされた理性的なものであるからである。理性的なものはその規定された内容に従って演繹されなければならない。つまり、その綜合が理性的なものであるような規定された対立項の矛盾から演繹されなくてはならない。要請されうるのは、ただこの二律背反的なものを充填し保持する直感だけである。通常要請されている理念は無限累進であり、経験的なものと理性的なものの混淆である。
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[Book] Hegel, Georg Wilhelm Friedrich. 1801. Differenz des Fichte'schen und Schelling'schen Systems der Philosophie in Beziehung auf Reinhold's Beytrage zur leichtern Ubersicht des Zustands der Philosophie zu Anfang des neunzehnten Jahrhunderts, 1stes Heft.

[Book] 第一次文明戦争 La Premiere Guerre Civilisationnelle

[本]エルマンジュラ,マフディ.2001.『第一次文明戦争: 「新世界秩序」と「ポスト・コロニアリズム」をめぐって』.御茶ノ水書房

最初ちょっと意外でした。
というのは、この本は2003年のではなくて1991年の対イラク戦争について、南北対立が生んだ戦争だ、としているんですね。私が今まで読んだ本は、2003年のイラク戦については否定的でも、1991年のものには比較的肯定的でした。もちろんその後空爆を続けたことや経済制裁には否定的でも、突然隣国を侵略したことは正当化できることではないと思っていました。けれどこの本では例えばいかにクウェートが酷い国かが書かれている。また、いかに欧米の軍がアラブに進出するためにこの戦争を利用したかが書いてある。ちょっと新鮮な視点でした。ていうかかなり際どい。

著者はモロッコの有名な知識人です。

オーストラリアの友人の専攻がポスト・コロニアリズムです。私がたまに読むような中でそれ系の著者リストを送りました。誰かかぶってるかなぁーって思って。そしたらみごとにこの著者ともう一人を除いて反応が返ってきました。省かれた二人は英語圏以外の著者です。・・・・・・ちょっとがっかり。ポスト・コロニアリズム研究してるのに欧米の著者のものしか読んでないの・・・・・?それで良いのかなぁ・・・・・・。

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私は、一九七八年にローマで行われた第一回南北パネルでの報告で、北側は、南側の言語を話せないことはいわずもがなであるが、理解するための努力さえほとんどしていない、と論じた。(中略)
*北側が自分自身のそれとは異なる他の価値体系を把握したり、それらと和解したりすることを妨げている民族中心的な態度から帰結してくる文化的コミュニケーションの危機。端的に言えば、それは北側の文化的傲慢である。
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[Book] Elmandjra, Mahdi. 1992. La Premiere Guerre Civilisationnelle. www.elmandjra.org.

Friday, June 02, 2006

[Book] 考証 福澤諭吉 Ascertaining the historical evidence about Fukuzawa Yukichi

[本]富田正文.1992.『考証 福澤諭吉』.岩波書店.

「アメリカン・デベーション」の噂の少し詳しいことが書いてある。それでも一体誰の書いた何という本だったのかは謎のまま。うぬう。

三田の演説館の話は有名だが、万来舎だの協議社だの猶興社だのというのは知らなかったのでちょっと新鮮。あと擬国会も義塾が最初というのは知らなかった。

しかし・・・紙に書いたものを持ち寄って朗読って・・・どんなに悠長だったのだ・・・すごい忍耐力だ・・・恐るべし江戸時代。

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それらの三田山上における実験試行から生まれて、最も急速に最も広汎に普及したものは「演説」であろう。現在演説と言えば小学生でもこれを知らない者はないが、日本には古来、演説の風習はなかったもので、寺院における僧侶の説法や、寄席講釈場の落語講談のたぐいが、僅かに演説に類するものであったくらいで、口頭で自分の考えを述べて公衆に理解させるということは、従来行われたことはなかったのである。
 もちろん昔でも会議のごときものはあるにはあったが、その場合でも、出席者はそれぞれ自分の考えを紙に書いて持って行き、その場で朗読するだけで、会議の席上で互いに討議をするようなことはなく、説が異なればそれぞれ家に持ち帰って、再び説を作り直して改めて持ち寄るのが一般のやりかたであった。
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 明治六年の春夏のころ、門下の先進生小泉信吉がアメリカ出版の一書を携えて来て諭吉に示し、これは西洋に行われるスピーチ、デベートの法を説いた書物であるが、わが国にもこの法を普及させてはどうかと言ったので、諭吉は一読して直ちに賛成し、早々にこれを翻訳して『会議弁』の一書を著し、その書の方法に従って、スピーチ、デベートの方法の練習を始めることにした。
 この『会議弁』の種本になったアメリカ出版の一書というのがどういう書物であったか、今のところ判明していない。当時のスピーチ練習の仲間の一人であった須田辰次郎は、最初「アメリカン・デベーション」という小冊子によって『会議弁』ができたと語っているが、デベーションということばは英語としてはおかしいので、正確な書名とは思われない。『会議弁』の翻訳も、原文どおりではなく、全く日本流に内容を書き改めてあるので、原著者も原書名も明らかでない。
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[Book] Tomiyama, Masahumi. 1992. Ascertaining the historical evidence about Fukuzawa Yukichi. Tokyo: Iwanamishoten.

[CD] キープ・ザ・フェイス Keep The Faith


[CD] ボン・ジョヴィ.1992.『キープ・ザ・フェイス』.

本日のBGMです。
つまり今日はあんまり頭を使っていません。
再びサルのようにデータ入力です。
飽ーーきーーたーー・・・

というわけで友人に電話して小一時間も愚痴ってみたり。友人、よい迷惑です。ごーーーめーーーんんーーーよーーーー。

このCDは、新潟の六日町のレンタルショップで買った中古品です。(またか!お前は新譜は買わんのか!…買わんのです。音楽が大した地位を築いていないのです。私の中で。優先度が極めて低い。本でさえ古本買ってるのにCDに大枚はたける筈がない)

学部2年の夏。青い空、白い雲、緑の田んぼ。
教習は午後早い内に終って夕方はのーんびり。所謂免許合宿ですな。
自転車に乗って散策したり、ハーゲンダッツを買うことが楽しみだった平和な日々。
夜は宿のご夫婦が差し入れしてくれる新潟の酒利き酒大会。(次の朝運転習うんだっつーの)
あまりに娯楽が限られているためか珍しくCD購入。
ひろーい空の下、自転車こぎこぎこのCDを繰り返し聴きました。

しかしこの人たちはロックなのかしら、ポップなのかしら。中途半端だ。
そして歌詞がベタベタだ。恥ずかしいぞ。
でもまあいいのさ、音楽は頭使わない日用なんだから、私には。
一曲目から五曲目が好き。7曲目のDry Countyも味がある。

さ、さくさくやるぞー。しかし頭を使わない作業ほど疲れるのは何故なんでしょう・・・

[CD] Bon Jovi. 1992. Keep The Faith.

【Book】アフォーダンス Affordance

【本】佐々木正人.1994.『アフォーダンス: 新しい認知の理論』.岩波書店.

アフォーダンス、というと大抵の人はこの短い冊子から入るみたいです。私も学部の頃にこれを読みました。生協で平積みされていたような気がします。なるほど、大変解り易く平易な言葉で書かれています。

もちろん、ギブソンの圧倒的なまでの観測データに触れたければ、この本ではあまりに物足りないでしょう。けれど入門用というか、発想だけ知りたい場合には良いんじゃないでしょうか。

ラディカルなギブソニアンは「脳は体内ではなく環境にある」とまで言うそうですね。うーん・・・まあ確かに行為を環境が誘導している以上、そうとも言えるでしょうか。もちろん合理的に考えて、人間も環境もどちらかが全てを決定していてもう片方はカラッポ、というわけがない。当たり前ですけど。そもそもそこまで行くと内外の区別が難しいわけで、大抵の研究者は内外の情報を同じ平面上でモデル化することに落ち着いている筈です。

認知科学的な分野への影響はもちろんですが、環境と人間の関係に関する抽象的なアイディア自体は何にでも応用してみることができます。哲学以上に哲学的な成果ですよね。そういう仕事ちょっと憧れます。まあとにかくちょっと日常的なことに置き換えて考えみます。

「朱に交われば赤くなる」じゃないけど環境によって自分の行動が決まる面は認知にかかわらず全ての行為に言えそうです。なら、善人になりたければ善行をアフォードされるような環境に身を置くことが理想的だし、識者になりたければ学習をアフォードされる環境に身を投じた方が良いということになりますか。他力本願な話ですけど、わからなくもないです。でも「こうなりたい」と思ったのは自分?でもそれも環境にアフォードされた結果?鶏と卵のようにグルグルして答がはっきりしない。同様に、犯罪者は環境に犯罪をアフォードされたことに。「俺が悪いんじゃない、環境が悪いんだ」!!(サウス・パークでサダム・フセインがそういう歌謡ってましたね。ちなみにアフォーダンスが人気あるらしい日本はじゃあ犯罪者に同情的か…というとそうでもなくて死刑制度健在。)太ったのは太るようアフォードする消費社会のせいだし、恋人に優しくできないのは冷たくなるようアフォードした恋人のせいだし、芝生の上でうっかり昼寝しちゃったのは昼寝をアフォードした芝生のせい。なんだか空が青いのもポストが赤いのも全部環境のせいに。気違いに刃物、無法者にアフォーダンス(笑)

結局重要なのは環境なの、人間なの?

「どっちだって良いじゃん。どっちもだよ、どっちも!!」?
はい、やっぱりそれ正解。研究者も皆結局そう思ってるんですよね。

そういえば最近、「鶏と卵は卵が先」と「識者」による合意が図られたそうですね(笑)
http://cnn.co.jp/fringe/CNN200605260024.html
遺伝学者・哲学者・養鶏家による結論って……
トリビアの泉じゃないんだからさ……って感じ(笑)
しかもディズニーの「チキン・リトル」の宣伝かぁ。企業は真実を買えるのね…(笑)

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 アフォーダンスとは、環境が動物に提供する「価値」のことである。アフォーダンスは良いものであれ、悪いものであれ、環境が動物に与えるために備えているものである。(中略)アフォーダンスは事物の物理的な性質ではない。それは「動物にとっての環境の性質」である。アフォーダンスは知覚者の主観が構成するものではない。それは環境の中に実在する、知覚者にとって価値のある情報である。
 物体、物質、場所、事象、他の動物、そして人工物など環境の中にあるすべてのものはアフォーダンスをもつ。動物ならばそれらにアフォーダンスを探索することができる。
 環境にあるものは、すべてアフォーダンスの用語で記述することができる。
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 椅子は座ることをアフォードするようにつくられている。椅子の本質は「座る」アフォーダンスである。すべての道具は、何か特定のことをアフォードするようつくられている。アフォーダンスをピックアップすることは、ほとんど自覚なしに行われる。したがって、環境の中にあるものが無限のアフォーダンスを内包していることに普通は気づかない。しかし、環境は潜在的な可能性の「海」であり、私たちはそこに価値を発見し続けている。
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【Book】Sasaki, Masato. 1994. Affordance: New Theory of Cognition. Tokyo: Iwanamishoten.

【Book】生態学的視覚論 The Ecological Approach to Visual Perception

【本】ギブソン,ジェームズ.古崎敬訳.1986. 『生態学的視覚論: ヒトの知覚世界を探る』.サイエンス社.

HILOKI氏の日記に書き込みしていて、そう言えばこの系統の本はあんまりここにアップしていないなぁ…と思ったので書いてみます。

アフォーダンスで有名なギブソンのこれまた有名な本です。τの理論が一番有名かな?かなり多岐にわたるデータを用いた方なので一概には言えませんが。実は邦訳の方は持っていないので、邦題は多分これだと思うんだけど…という感じ。なので引用は英文で失礼します。

ギブソンと言えば、しばらく前お隣のブースの会話が聞こえてきてしまったのですが、次のようなことを言ってらっしゃる方がいました。

「日本ではアフォーダンスが凄く人気あるけど、海外ではそうでもない。日本が例外的。基本的にキリスト教国では流行らない理論だ」

うーん…なるほどねぇ…そうかな…?そうかも…?ちょっと断じかねるところですね…。難しい。運命論的な意味あいが嫌われるかしら?

【Book】Gibson, James. J. 1979. The Ecological Approach to Visual Perception. Hillsdale: Lawrence Erlbaum Associates, Inc.


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The theory of information pickup makes a clear-cut separation between perception and fantasy, but it closes the supposed gap between perception and knowledge. The extracting and abstracting of invariants are what happens in both perceiving and knowing. To perceive the environment and to conceive it are different in degree but not in kind. (L.O.)
Knowing is an extention of perceiving. The child becomes aware of the world by looking around and looking at, by listening, feeling, smelling and tasting, but then she begins to be made aware of the world as well. She is shown things, and told things, and given models and pictures of things, and then instruments and tools and books, and finally rules and short cuts for finding out more things. (p. 258)
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What are the kinds of culturally transmitted knowledge? I am uncertain, for they have not been considered at this level of description. Present-day discussions of the "media of communication" seem to me glib and superficial. I suspect that there are many kinds merging into one another, of great complexity. But I can think of three obvious ways to facilitate knowing, to aid perceiving, or to extend the limits of comprehension: the use of instruments, the use of verbal discription, and the use of pictures. Words and pictures work in a different way than do instruments, for the information is obtained at second hand. Consider them separately.
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Thursday, June 01, 2006

【Book】演説討論雄辯美辭法 Dialectic and Retoric in Speech & Debate

【本】遠山淡哉.1903. 『演説討論雄辯美辭法』.求光閣書店.

ぐおおお。びっくり古い本です。いやはや。
明治36年にこんなディベートマニュアルが出版されていたとは・・・。
論題の設定の仕方から会場について、論理面に演出面の討論技術・・・。
今巷に溢れてるビジネス書とそっくりの構成です。
つまり内容は大してよくない(おいおい)
けど現代のものとのギャップはない。
どっちにショックを受けて良いのか謎。
今のが酷すぎると落胆すればいいのか、
昔のものが凄いと感心すればいいのか・・・
両方ともダメだと怒ればいいのか・・・
・・・多分最後のが正解・・・?

最後の12章に載ってる論題の例がこれまた笑える。
曰く・・・
- 節倹と吝嗇との可否
- 鎌足公と楠公とはいづれが国民の儀表とすべきや
- 珠算と筆算とはいづれの便なるや
- 智育、徳育、体育の中いづれを急務とすべきや
- 和洋服いづれの国朝典禮に適ふや
- 鉛筆書と毛筆書との優劣如何
などなどなど・・・

ダメダメな論題ばかりだ・・・。
どこかの何年前かの大会を思い出させる・・・

でもまあ興味深い一品です。

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殊に現行条約にては、敢て最恵国条件とか云うものではなく、所謂対等条約でありますから、権力のなき国と、之有国との交際に於いては、自然権力のある国語を修むるの必要があるが、既に対等の交際を為すに当って、ソー外邦人に屈してセツセツと、彼の国語を練習せんでも宜しからふと思ふ。却て我日本国固有の国語、国文を修め国俗の美を表し、彼をして日本化せしむるの必要が大切であらふ。之を為すも、唯實に言語文字の力であります。されば、私の益々国文の発達を奨励し、自国語を正して後、英語を修めよと云ふ論者であります。
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