Wednesday, April 11, 2007

[Article] ウクライナ大統領選討論 Ukranian Presidential Debates

(English version is following Japanese one.)

[論文] ベノイト, ウィリアム L. ・クリュコフスキー, アンドリュー A. 2006.「2004年ウクライナ大統領選討論の機能分析」.『アーギュメンテーション』.20巻.209-225頁.

結構衝撃的でした。
どこがって背景説明が!!

何だか雑誌やメディアで当時聞いたのとずいぶん違うぞ。あれえ??

まず最初から両候補に不正行為が指摘された、と。(ユーシェンコも最初から不正してたの?)
で、10月の第一回選挙(24候補)でロシアと欧米で選挙速報の結果が矛盾したが、結局得票数が多かったのはヤヌコビッチの方だとあります。(あれえ?日本では逆で報道されませんでした??)
更に11月の第二回選挙(決選投票)の結果「も」ヤヌコビッチが勝ったと。
最後12月の三回目の選挙では「国際」監査官や「国際」報道者が大量に入国し、
ユーシェンコが勝利、と。(つまりこの「国際」(=西側)オブザーバが
何らかの役割を果たしたのではないか、と匂わせます。資金面の援助を示唆してるのでしょうか?)

この見方だとユーシェンコはかなりきわどい人物です。善玉とは言い難い。
何せこの後武力というか政府施設を封鎖するというやり方で
ヤヌコビッチ側の最高裁への提訴を押し切っているわけですしね。
かつ、本論での議論分析では、ユーシェンコの方がヤヌコビッチよりもネガティブ・キャンペーンに手を染めていた、という結果になっているんですよね……

結局どっちが正しいのかは私には分からないわけですが、
おそらくウクライナの人のオレンジ革命に関する心情は複雑なのではないか、と推察。
直接会ったときにゆっくり慎重に聞いてみてから考えた方が良い、と今のところは思います。
(ただし、私が以前行ったのはキエフなのでユーシェンコ陣営と報道されている地域です。
ちなみにキエフは美しい都市です。夢見るように美しかった。)

しっかし、うーん……真剣にロシア語を勉強したくなってきました。
ディベート自体はウクライナ語とロシア語の二言語で行われたということで、
よしんばスクリプトを手に入れられたとしても私には読めないです。
こういう東欧出身らしき人が英語で論文を出してくれて初めてこういう情報を得るというのではねぇ。
あまりに偏った情報量になってしまいますし、こうした著者への負荷が過重になります。

英語圏のメディアだけ読むのは本当に危険ですねぇ……。世界観が染まってしまう。
特にこういう東西の利権が対立する時は本当に危険ですね。
佐藤優の本にも他の「実はロシア側が正しかった」ケース(チェチェンのこととか)が
例として出てきましたけど、そもそも異論があるということ自体が報道されないわけですから
怖いですよね。

それにしてもこの著者の出身地が結局どこなのか気になります。
所属はアメリカの大学で名前は東欧系みたいですが。

[Article] Benoit, William L. and Klyukovski, Andrew A. 2006. A Functional Analysis of 2004 Ukranian Presidential Debates. Argumentation. vol.20. pp 209-225.

Shocking!
What was shocking?
The context part!!

Stories there sound a lot different from what I read and heard back in 2004 on media in Japanese and English.

At the end of the day, it is simply impossible for me to conclude which is correct.
Only thing I see is that perhaps Orange Revolution is a very complex and sensitive issue for Ukranians than I thought. Hope to hear more from them when I get next chance to visit.
(But last time I visited Kiev and the city is largely Yushchenko's side.
Besides, Kiev was beautiful. Wonderfully beautiful...)

I seriously wish if I could read Russian.
It seems that the debates was done in two languages i.e. Ukranian and Russian.
So, even if I manage to get the script of the debates somewhere, I can't read it.
Then, I have to rely on people like the authors of this article who can write in English and have extensive knowledge or background in the region.
The bias of information quantity is inevitable and that burdens these people too much.

It's such a risk to read English media alone......
It becomes so difficult for me to have meta-approaches to issues...
Especially when Western Europe and Eastern Europe have clash of interest, media that I access automatically decide the side I take.
I remember Sato Masaru was writing some examples where Western major media was disinformed for politial bias and actually what Russia said was right (such as relationship between terrorism and Chechnya).
And it is scary to know that the media that I access daily don't report even the fact that there are other opinions.

Wonder where the authors are from after all.
Where did they get this extensive knowledge and language of Ukrain?
It seems they belong to American universities and their names sound East European to me.

[English Vocab for masako]
acclaim, unitize, vehement, unicameral, suffrage, manipulate, despair, tongue-tied, utterance

Tuesday, April 10, 2007

[Article] 批評の論理 The Logic of Critique

Before that... その前に…

I've just started Facebook and have no idea in which language I should write this blog from now. As long as this blog has been updated at Mixi and Gree (both are SNS in Japanese) alone, it was fine to keep this blog monolingal not really bilingual as its original aim. But now hmmm... I don't know... let's see... I'll try writing in two languages. Let's see how it goes.

Besides, today, I attended a meeting of the new project that I belong to from this school year and found colleagues there really really nice people. I'm very much relieved now. Hope some of them read similar journals and exchange some ideas.

Facebookなるもの(海外のSNS)を始めました。友人がアップしてくれた写真を見たかったためです。しかしここで問題が。MixiやGreeにだけこのブログがフィードされている分には日本語オンリーでかまいませんが、あちらにもアップされるようになった今、一体私は何語でこの日記を書けばいいのでしょうか・・・・・・とりあえずしばらく二ヶ国語ブログに挑戦してみます。後は様子を見てから、ということで。

ちなみに本日、今学期から所属するプロジェクトの会合に出ました。皆さん良い方ばかりですっごく安心しました。がんばるぞー。同系統の論文誌を読まれる方がみつかったら尚ありがたいのですが。

Okay, here's what I read today. :)
というわけで読んだ論文の感想です。

[論文] イランダスト, ヘンガメー. 2006. 「批評の論理」.『アーギュメンテーション』.20巻2号.133-148頁.

critiqueとcriticismの違い、critiqueとevaluationの違い、opinionとargumentの違い、positionとopinionの違いなどなど、かなりマニアックな定義に関する論文。

正直そこに厳密性を求めることの意義に疑問を感じます。一般人にはそんな違いわかりゃしないので、議論学の専門家同士で話す時にどう用いようと、日常での遣い方にどうせ引きずられてしまうような気がします。だって通じない言葉や誤解を招きやすい語彙は普通避けたいじゃないですか……

まあでも、面白いことは面白いですが。

たとえばcritiqueは否定的な意味に限らないよりニュートラルな語だが、criticismはより否定的な意味に遣われる、ということのようですが・・・・・・さしずめ日本語なら前者が「評論」や「批評」を意味するのに対し、後者は「批判」って感じ?

確かに、よくカントのThe Critique of Pure Reasonが、純粋理性「批判」と訳されるのに違和感を感じるので、厳密にはその通りなのだろうと思います。あとディベート限定だとCritique Perspectiveも元々のコンセプトはもっとずっとニュートラルな印象です。

けど、元々は良い意味だったソフィストという言葉が一度「詭弁家」という意味で定着してしまったが最後良い意味で使えなくなったのと同じように、今更Critiqueは必ずしも批判(というか反駁?)を意味しないと叫んでも無駄なのではないかと思います。

まあディベート馬鹿にはおかまいなしに楽しめる論文です。
読みたい方はこちら

[Article] Irandoust, Hengameh. 2006. The Logic of Critique. Argumentation. Vol.20 No.2. pp.133-148.

First half of this article is trying to emphasize the differences between critique and criticism, critique and evaluation, opinion and argument, position and opinion etc...

To be honest, I don't see why it's important to distinguish them this carefuly. Vast majority of people don't use those terms "accurately" anyway. How can argumentation scholars alone use them for different meanings from the definition shared by public? Nobody wants to use terms which are clearly missleading, I suppose. Away too big discrepancy.

Well, I still enjoyed reading this though.

For example, it seems that the author thinks when criticism is usually negative, crituque is still neutral. It might be the difference between hihan and hihyo/hyoron in Japanese.

Indeed, when Kant's The Critique of Pure Reason is translated as "Junsui Risei Hihan", I feel some sense of incongruity. Perhaps that is because Kant meant a lot more neutral thing than hihan.

Having said that, when we look at the example of "sophist", it is clear that originally that word didn't have negative image attached. But simply because "sophist" is used a lot for insincere orators who abuse their silver tongues, it is difficult to use that word for original meaning without the negative associations. So, no matter how accurate the definition this article provides is, I guess people would avoid this term anyway.

Oh, well... any articles on debating are interesting for debate nerds anyway... :p
If you like to read the article, here's a link.

Monday, April 09, 2007

[Book] 日本書紀 Nihonshoki

[本] 宇治谷孟.1988. 『日本書紀(上・下) 全現代語訳』.講談社.

うーーーん。。。確かにディベート向きじゃないかなぁ……

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 夏四月三日、皇太子ははじめて自ら作られた十七条憲法を発表された。
 一にいう。和を大切にし、いさかいをせぬようにせよ。人は皆それぞれ仲間があるが、全くよく悟ったものも少ない。それ故君主や父にしたがわず、また隣人と仲違いしたりする。けれども上下の者が睦まじく論じ合えば、おのずから道理が通じ合い、どんなことでも成就するだろう。(p.92)
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 三にいう。天皇の詔を受けたら必ずつつしんで従え。君を天とすれば、臣は地である。天は上を覆い、地は万物を載せる。四季が正しく移り、万物を活動させる。もし地が天を覆うようなことがあれば、秩序は破壊されてしまう。それ故に君主の言を臣下がよく承り、上が行えば下はそれに従うのだ。だから天皇の命をうけたら必ずそれに従え。従わなければ結局自滅するだろう。
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 十にいう。心の怒りを絶ち、顔色に怒りを出さぬようにし、人が自分と違うからといって怒らないようにせよ。人は皆それぞれ心があり、お互いに譲れないところもある。彼が良いと思うことを、自分は良くないと思ったり、自分がよいことだと思っても、彼の方はよくないと思ったりする。自分が聖人で、彼が必ず愚人ということもない。ともに凡人なのだ。是非の断りを誰が定めることができよう。お互いに賢人でもあり愚人でもあることは、端のない環のようなものだ。それ故相手が怒ったら、自分が過ちをしているのではないかと反省せよ。自分ひとりが正しいと思っても、衆人の意見も尊重し、その行うところに従うがよい。
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 十七にいう。物事は独断で行ってはならない。必ず宗と論じ合うようにせよ。些細なことはかならずしも皆にはからなくてもよいが、大事なことを議する場合には、誤りがあってはならない。多くの人々と相談し合えば、道理にかなったことを知り得る。(p.96)
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[Book] Ujitani, Tsutomu. 1988. Nihonshoki. Tokyo: Kodansha.

Sunday, April 08, 2007

投票はしたけれど A Vote Without Devotion

都知事選挙(と都議会議員補欠選挙)の投票に行ってきました。

かなり悩みましたが、某大教授に入れました。
補欠選挙は唯一の女性だったN崎さんに入れてみましたが、
どういう方なのか正直あまり勉強しませんでしたので悪い市民です。

何故悩んだのかというと、本当に入れたい人はいなかったから。
まず投票しないのとどちらが良いかを悩み、結局投票することに。
次に白紙票にするかを悩み、結局記名票を投じることに。

それでもって最後に誰に入れるかですが、
石原さんと浅野さんで悩みました。

なんでか。

<石原さんの良い点>
・実行力がある。目標設定が明解。
・治安や災害対策には人一倍張り切ってくれそう。
・地域行政をする分には有能(カラス対策とか道路行政とか環境行政とか)

<石原さんの困った点>
・人種・国籍・性別による差別心が露な発言が多い。
・タカ派。不穏当な発言が多い。
・新銀行東京の赤字が結局どうなるのかよく分からない。

<浅野さんの良い点>
・福祉に関する理解が深い。
(託児所を増やすというマニフェストは東京事情が分かっていると思う。)
・女性の参加促進に積極的っぽい(副知事を女性にするとか)
・情報公開に積極的。

<浅野さんの困った点>
・抽象的で何がやりたいのか焦点がよくわからない。目標も不明確。
・票取り込みのための安易な妥協が多くて都政がスローダウンしそう。
・マニフェストに期日を設けているのは良いが、内容が平凡で新鮮味に欠ける。

というような点を色々考慮した結果・・・・・・
正直、都政という地方行政なら石原さんの方が上手そうではあるけれど・・・・・・

しかし、

とにかく外国人差別発言や女性蔑視発言はもうイヤ!!
ていうか彼が都知事だと知った海外の友人達が口をそろえて、
日本の右傾化は東京を中心に起きているのか、と訊いてくるのももうイヤ!!
ホント、東京のイメージに関わるっていうか・・・・・・
東京都民の意識が彼に代表されると思うと・・・・・・
メガロポリス東京とか言うならもっとリベラルでプログレッシブだと思いたい。

というわけで、うーーーーーんん・・・・・・と散々悩んだものの浅野さんに入れました。

石原さんが外国籍者か女性のせめてどちらかに理解ある言動だったら
石原さんに入れていたかもしれない。
そしてどうせ石原さんになるんだろうなぁ・・・・・・

さてさて結果はどうなるのかなぁ・・・・・・
あと30分ほどで開票速報が始まります。

[Book] 討議倫理 Erlauterungen Zur Diskursethik

[本] ハーバマス,ユルゲン.1991. 清水多吉・朝倉輝一訳.2005. 『討議倫理』.法政大学出版局.

え?我慢するんじゃなかったのか?
ええ、まあ……その……。
本当は『コミュニケーション的行為の理論』を読みたいのですが、こちらで今は我慢(笑)。

ちなみに、討議倫理という言葉はドイツ語ではDiskursethik、英語だとDiscourse Ethics(もしくはArgumentation Ethics)となります。これはディベータの倫理/作法(ディベーターシップ)ではなく、ディベータがどうやって倫理を語るべきか(モラル・アーギュメントの立て方)を指すようです。

学部の頃、KDSの先輩方には「事実は価値を生まず、価値は事実を生まない」と繰り返し教わりました。ハーバマスの「道徳原則は、理性の示す事実性から導かれることはない」という言葉はそれに近い意味なのかもしれません。私自身は最近、価値が<事実>を生んでしまうことも、<事実>が価値を生んでしまうこともあるのではないかと思っています。それは、ポスト・モダンを既に前提とするようになった教育を受けた私には、価値と事実の境界線が見えずらいことにも起因しているような気がします。

Discourse EthicsについてのWikipediaの解説はこちらです。

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 結局、われわれは、このような(あるいは似たような)道徳原則が単にある特定の文化やある特定の時代の直感にあてはまるだけではなく、一般にもあてはまるということを主張する倫理を、普遍主義的倫理と名づける。道徳原則は、理性の示す事実性から導かれることはない。このように事実性に依存することのない道徳原則の根拠づけだが、自民族中心主義的な誤った判断という嫌疑を晴らすことができる。われわれの道徳原則は、今日の成人した白人の、男性の、市民層のよく教育された中央ヨーロッパの先入観だけを反映しているのではない、ということを証明することができなければならない。私がここで問題にしたいのは、討議倫理がこのような関連の中で提起するさまざまなテーゼを心に留めてもらいたいだけである。つまり、それらのテーゼとはこういうことである――論議に真面目に参加しようと試みる人ならだれでも、規範的な内容をもつ普遍的語用論の諸前提をまずもって暗々裡に承知してかかわらねばならないものだということ。その上で、論議上の行為規範を正当化するとはどういうことかが周知徹底されている場合にのみ、道徳原則は、そのような論議の諸前提の内容から導き出されるものだということが、これである。
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形式主義的倫理は、人があることを道徳的観点からどのように考察するかを明らかにする規則をあげる。周知の通り、ジョーン・ロールズは、すべての関与者が相互に、合理的に決意して平等な権利をもった契約のパートナーとして向き合うような原初的状態を紹介する。もちろん、ロールズの例は、事実上受け入れられている現実の社会状態を無視したものであり、「当初に目標とされた根本的一致がフェアになされることが保証されているようなスタートの状態」を想定したものであるのは、言うまでもない。これに対して、G・H・ミードは、理想的役割取得を提唱する。これは、道徳的に判断する主体が、問題ある行為が遂行されることによって、あるいは問題ある規範が発行されることによって被るかもしれないすべての人のその時々の情況に身を置いて考えてみることを、要求するものである。実践的討議の手続きは、この両者の考え方よりも優れている。論議においては、原則的にすべての関与者は自由であり、平等である者として、共同的に心理追求に参加する。その際、よりよき論争のための制約だけが通用するべきである。実践的討議は、論議に基づく意思形成のために要求するところの多い形式である。(中略)他方、われわれの実践的討議の方は、その形式について言えば、すべての関与者が同時に理想的役割取得を行いながらの了解のプロセスとして把握される。したがって、この実践的討議は、それぞれ個々の私的に行われる理想的役割取得(ミードの場合)から、公共的な役割取得、何よりも間主観的に共通に展開される役割取得へと形を変えて行われるものである。(p.9)
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言語能力と行為能力をもつ諸主体は、彼らがそのつど特殊な言語共同体の一員として、間主観的に共有された生活世界の中へと発展的に入りこむことによってのみ、むしろ、個体として構成されるものである。コミュニケーション的形成過程においては、個々人のアイデンティティと集団のアイデンティティとは等根源的に形成され、保持される。(p.10)
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[Book] Habermas, Jurgen. 1991. Erlauterungen Zur Diskursethik. Suhrkamp Verlag.

Friday, April 06, 2007

[Book] 容赦なき戦争 War Without Mercy


[本] ダワー,ジョン.1986. 猿谷要監修.斉藤元一訳.1987.『人種偏見: 太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』.TBSブリタニカ.(同.2001. 『容赦なき戦争』.平凡社)

ピューリッツァ賞を受賞した『敗北を抱きしめて』と同じダワーの著作。
こちらの方が書かれた時期も扱っている時代も早い。
『敗北を抱きしめて』が戦後の日本に焦点を当てているのに対し、
この『容赦なき戦争』は戦中の日米両国におけるプロパガンダを扱っている。
大変興味深い一冊。沢山の実例を伴っているので説得力もかなりある。
平凡社ライブラリー版への序文は9.11直後に書かれており、
テロと真珠湾攻撃の比較も、流布する言説の比較もなるほど、と読んだ。
何よりも、ダワーの示す絶望と希望の危ういバランスに惹かれずにはいられない。

ちなみに、『敗北を抱きしめて』というタイトルを初めて聞いた時は、
なんて凄いタイトルだろうと雷に打たれる思いだったが、
英語の原題がかなり違う印象で酷くがっかりしたのを覚えている。

今まで私が映像で見たダワーはいつも英語で話していた。
けれど日本側の資料にもかなり良質のものも含まれていて、
ダワーは果たして日本語ができたものかと疑問を抱かせるほど。
それでも私的にはダワーよりもラミスの方が好感が持てます。

とにかくそれでもこの本は一読の価値がある本だと思います。

ちなみに去年と同じこの時期に突然戦後史ブームがやってくるのは偶然ではなくて、
東工大杯でショッキングなラウンドを体験してしまうから。
主催者の論題選択には別に問題はないわけだが、
いかんせん参加者の読書量に愕然とさせられる。
それについてはまた後日書くこととします。

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言葉というものは、重要である。スローガン、イメージ、シンボル、ステレオタイプ、記憶の断片――すべてこれらのことは、自己や他者についての概念を形づくり、私たちの行動に影響を与える。そして言葉はたびたび誤解のもとになり、言葉から生まれた概念はゆがめられ、行動は悲惨で破壊的なものとなる。(p.21)
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[Book] Dower, John W. 1986. War without Mercy: Race and Power in the Pacific War.

Thursday, April 05, 2007

[Book] 日本人の言霊思想 How Ancient Japanese Saw Sacred Spirits in Words


[本] 豊田国夫.1980.『日本人の言霊思想』.講談社.

うーん……。
なるほどなぁ、と素直に感心する部分もあれば、
ええええ、と思うくらい言葉に懐疑的な部分もあり。

しかし日本語はパトス的だ、と書いている人は多いわけですが、
その割りに現代日本のディベータのロゴス狂いは何なんでしょう。
もう少しパトスを利用したって文句は出ないのではあるまいか、と声をかけたくなる程、
禁欲的なディベートをする彼らをどう説明すれば良いのか困ります。

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彼ら古代人にとって、言葉は、現代のある種の人びとが主張するような、単なる媒介、符号物ではなく、もっと人間や事物と切実な関係をもった、生きたものとして感じていたのではなかったか。つまり、彼らにとって、言葉は事物と一体をなすものであった。(p.14)
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 四神出生の章で、イザナギ、イザナミが柱をめぐる時、「陰神先づ喜びの言を発ぐ(発言)」というが、イザナギが泉津平坂で、神聖な場所選定の時のコトアゲは、十二神出生の機縁となった。スサノヲが八岐大蛇を退治して、クシナダ姫と新居の地を決めた時、「吾心清清之」といった歓声のコトアゲ、日神と誓約したスサノヲが、男子を生んだ時の大言壮語のコトアゲ、同じく新羅に下った時「此の地は吾居らまく欲せじ」という意思表明のコトアゲ、大国主命が出雲に国造りする時のコトアゲなど。また『続日本紀』にも「興言して此れを、念ひ」とか、興言して何々と用いられているが(巻三三)、すべて発言に特別の意味を持たせている。ヤマトタケルが伊吹山を征服した時、山中で大きな白猪と出会い、「還りに殺そう」とコトアゲしたため、帰途その猪に大変なやまされた話がある。西郷信綱氏は、このコトアゲについて、『新撰字鏡』に「誇」の字義が「挙言也。伊比保己留、又云太介留。」とあるので、ヤマトタケルという名そのものが、挙言すなわちコトアゲすることをすでに内有していたものといえるわけで、この行為が彼を破局へと導く。(「ヤマトタケルの物語」)といって、タケルの破局の原因としてとらえている。身のほどを忘れた、神(白猪、書紀では大蛇)への挑戦的な放言の災厄というわけである。自己の意志をいい立て、タブーを侵したコトアゲである。ヤマトタケルの東征で、上総に渡海する時の、渡り神の神聖を侵したコトアゲでは、「これ小海のみ、立ち跳にも渡りつべし。」というが、これは暴風を招いてしまった。(p.62)
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の反動ではなかったかと思われる。さきの神功皇后の「コトアゲの阜」の制禁の由来も、やはりそうしなければならない大事件があってのことであったらしい。
 為政者は、批判とか反論のコトアゲを制禁し、服従を要請した。これを封じて「神ながらの道」に服従する人びとを迎えたのである。ところが、言語感覚のひろい視野にあった人麿らによって、遣唐使らの行く文字の国を意識に入れた「言霊の幸はふ国」とか、「神ながら言挙せぬ国」などの語句のある餞詞があらわれている。
 言霊の発揚には、まず何といってもコトアゲが必要であるが、そのコトアゲが制禁を受けるという、このような矛盾と緊張を秘めつつ、ミコトノリやノリトは社会に儀礼化され固定していったのである。(p.65)
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コトムケ
 これは現代風にいえば「説得」のことである。つまり言霊の霊威をもってする積極的な行為で、たとえば『古事記』には全体で一七回もの用例がある。なかに、ヤハスという言葉との連用が六回あって、「言向平和、言向和也、言向和平、言向和而」などと表記している。ここでのヤハスとは、もっぱら言葉をもって融和する、平和にする、帰順させるという意味である。すなわち、コトアゲして説得するという上代的方法である。(pp.68-69)
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 日本語の言語環境は、全く隔絶した閉鎖社会に育まれ、言語体系としての思想や文化への拘束的自覚に乏しく、したがってその言語意識はすこぶるパトス的であった。ここに言霊思想などの特有な言語観も醸成されたとみられる。この環境的特徴についての十分な検討もなかったが、最近この閉鎖性の問題も識者によって大きくとりあげられるようになった。(p.217)
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言葉は厳密に論理的な意味で用いられることは少ない。話し手、受け手、遣い方、構え方などにより、ずいぶん変化が多い。この自在な作用がもつ「論理性の不完全さ」というものも、たとえれば、言葉の魔力のカクレガといえよう。(p. 219)
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 相手を意のままに支配する、言葉の悪用面もあるが、カウンセラーが、言語技術を高度に利用して、クライエント(来談者)を好ましい方向に導くことや、造語とかスローガンによる世論操作も、人びとの心を動かす言葉の魔力の善用であり利用であろう。(p.219)
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太平洋戦争中「言挙げせず」とか「海ゆかば」の歌意の利用、「欲しがりません勝つまでは」、鬼畜米英、一億総決起、八紘一宇、天佑神助などの語句のはんらんは、戦意をあおるひとつの世論の洗脳操作であった。これは、日本人の慣習的な、言葉に呪縛され易い民族性、すなわち汎言語主義的慣習の利用であった。言葉と事実との関係以外のところにおける、一定の方向の力が期待されたものである。(p. 220)
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 民主主義の組織には会議が多いが、その言葉のやりとりは、多分に言語魔術の雰囲気があり、格好の実践の場である。比喩の拡大、焦点のズラシとかボカシ、用語の工夫、情緒に訴えたり、不利益なことはいわないなどのゴマカシ論法は、まったく言葉の論理の不完全性に宿る、魔力の悪用である。(p.220)
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[Book] Toyoda, Kunio. 1980. Nihonjin no Kotodama Shiso [How Ancient Japanese Saw Sacred Spirits in Words]. Tokyo: Kodansha.

[Book] イデオロギーとしての技術と科学 Technik und Wissenschaft als >Ideologie<

[本] ハーバマス, ユルゲン.1968.長谷川宏訳.2000.『イデオロギーとしての技術と科学』.平凡社.

というわけでハーバマスです。
読み返してみても分かりにくいものは分かりにくいです。やれやれ。

平凡社ライブラリーで文庫化されているこの版には、
-労働と相互行為
-<イデオロギー>としての技術と科学
-技術の進歩と社会的生活世界
-政治の化学科と世論
-認識と関心
の五編が含まれています。

私の勉強に関係が深そうなのは最後の二編です。

つくづく思うのですが、この手の本を読むにはギリシャ語とラテン語の理解がある程度不可欠です。もう少し学校でどちらか真剣に勉強しておくのでした。私の持っているギリシャ語辞典は古典を読むのには不向きだし、ラテン語辞典はあまりに語数が足りなくて用を足しません。どうにかしないとなぁ……

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境界線のむこう、不安定と不確定の域を脱した存在を考察するのが論理(ロゴス)であり、こちら側のさりゆくものの領域は臆見(ドクサ)にゆだねられる。(中略)そして理論はその規定にしたがう人間のふるまいのうちに、民族精神(エートス)のうちに、反映する。(p.168)
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[Book] Jurgen Habermas. 1968. Technik und Wissenschaft als >Ideologie<.

[Book] 獄中記 In Jail


[本] 佐藤優.2006. 『獄中記』.岩波書店.

この人の読書傾向の面白さに爆笑です。
やー、面白いなぁ。
そしてこの人の語学の勉強の仕方や、本の読み方には関心しきりでした。
まともに勉強しようと思ったら確かにそういうプロセスは有効そうだな、と。

さて、これで、佐藤優さんのものは
- 獄中記
- 国家の罠
- 国家の崩壊
- 自壊する帝国
- インテリジェンス 武器なき戦争
- 北方領土「特命交渉」
と読み、あとは例の大川周明に関するものさえ読めばとりあえず終了です。
今のところ、「国家の崩壊」が特に面白かったです。

この「獄中記」を読んでハーバーマスを読み返したくなりましたが、
しばらくは我慢しないとです。
他にも現在読みたい本にPhilip ZimbardoによるLucifer Effectもあるのですが、
いかんせん届くのに時間がかかるわ、届いてからも読む時間があるか疑問だわ、参ります。
読みたい本を好きなだけ読める日々……そんな日が来ないものでしょうか……

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 「能動的知性」が徐々に回復しつつあり、週末にハーバーマスの『認識と関心』を二五〇頁程読み進めました。客観的認識などというものはそもそも存在せず、まず、「認識を導く関心(利害)」があり、そこから事実の断片をつなぎ合わせて「物語」を作っていくのが、近代的人間の認識構造であるということを、カント、ヘーゲル、マルクス等のドイツ古典哲学の伝統、パース等のプラグマティズム、さらにディルタイの「生の哲学」やフロイトの精神分析学の成果を消化し、見事にまとめあげています。(pp.69-70)
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 ハーバーマスのコミュニケーション論で面白い記述を見つけました。論理的観念と心理は関係がないという点についての考察です。
 ①一つの壺が燃焼中に割れてしまった。これはおそらく塵のせいである。壺を検べて、塵が原因かどうかを見てみよう。これが論理的かつ科学的な思考である。
 ②病気は魔法使いのせいである。ある人が病気である。だれがその病気の原因である魔法使いなのかを見付け出すために、お告げに伺いを立ててみよう。これは論理的であるが非科学的思考である(ハーバーマス『コミュニケーション的行為の理論』上、未来社、92-93頁)(p.95)
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 実は、日本の外交官が、ロシアで(恐らくはヨーロッパ全域で)良好な人脈を構築できない要因の一つが、教養の不足にあります。本省からの訓令に基づき、案件を処理するだけならば、特に教養がなくとも十分仕事をこなせます。しかし、ロシア人、特に政治エリートは知性の水準が高く、よく本を読んでいます。また、議論については、ソ連時代の「弁証法的唯物論」で鍛えられているので、こちら側も相当準備をしておかないと、相手にされません。(p.116)
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 この関連で、ハーバーマスのコミュニケーション論はとても参考になります。同人の用語を用いるならば、「演技型コミュニケーション」に徹することが重要です。被告人が裁判官に対して訴えるという姿勢だけに徹した場合、政治的には負けます。私は裁判官に対して何か主張をするのではなく、傍聴席にいるマスメディアに対して呼びかけます。罪状認否もそのような観点から行うのが妥当と考えています。
 国会の論戦も、相互理解を目指すディベートではなく、あらかじめ立場(役割)を決めた「演技型コミュニケーション」です。政治家としては、鈴木宗男代議士の方がはるかに真摯かつ誠実であり、見識も深いにもかかわらず、世論が小泉潤一郎、田中真紀子、菅直人等になびいたのは、これら政治化が「演技型コミュニケーション」に徹しているからでしょう。(pp.129-130)
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 ところで、ポパーの注を読んでいて、プラトンが説得を三種類に分けていたというところが出てきたのですが、一寸面白いので紹介します。
 ①理屈による説得
 ②威圧による説得
 ③贈り物による説得
 この三つの説得はどうも等価値のようです。現在的に考えるならば、②は恫喝による強要で③は贈収賄です。(p.172)
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 日本の外交官(そしてその集団である外務省)は(恐らく過去五〇年以上戦争のような修羅場をくぐっていないせいかと思いますが)弱すぎます。特に以下の点にその弱さを感じます。
 ①秘密が守れない。口が軽すぎる。
 ②自己顕示欲が強く、組織人として行動できない(その裏返しとして、出世街道から外れると、イジけたひねくれ者になる)。
 ③語学力が弱く、十分な意思疎通ができない。
 ④任国事情や一般教養に疎く、任国エリートから相手にされない。
 ⑤人情の機微をつかむことができず、人脈を作れない。
 ⑥セクハラが横行しているため、女性外交官の能力を活用し切れていない。(p.177)
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 『コミュニケーション的行為の理論』(下)は、ハーバーマス理論を集大成する部分なので、たいへん難しいです。この部分にはハーバーマスのオリジナリティーが現れています。私自身はハーバーマスの考え方を以下のように捉えています。
 ①資本主義体制(システム)は相当長期間生き残る柔軟性をもっている。資本主義が社会主義に移行するとの仮説は破産している。
 ②このような資本主義体制が自己を維持できる主要因は、これまでのところ資本主義のみが社会的コミュニケーション能力の発展に対応する能力をもつシステムだからである。(p.193)
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[Book] Sato, Masaru. 2006. Gokuchuki [In Jail]. Tokyo: Iwanamishoten.

[Film] ヒマラヤ杉に降る雪 Snow Falling on Cedars

[映画] ヒマラヤ杉に降る雪.

やっばいです。この作品。
しっかし何もこんなに難解に作らなくてもねぇ。
I loved you. And I didn't love you at the same time. かぁ…
しっかしなんでミヤモトさんとの結婚式が仏式なんですかね。神式ならともかくねぇ。
いや、でも凄いなぁ。もう少し噛み砕こうとか思わなかったんですかねぇ。
絶対難しいよなぁ、この作品。だから売れないんだよなぁ…暗いしなぁ(明るくても困るが)。
You are a hard man to trust, sir. かぁ…
In the name of humanity, do the duty. かぁ…
ていうかイーサン・ホーク、グズグズすんなよぉ。もう最終弁論終わっちゃったジャン。

I'm so grateful for your gentle heart.かぁ……
工藤夕貴は英語の発音が綺麗だなぁ
まあ、良いや。良いもの見ました。
ラビット・プルーフ・フェンスのような勧善懲悪じゃなかったところも好感が持てました。
もう少し売れれば良いのになぁ、この映画。

[Film] Snow Falling on Cedars.

[Book] 裁判官の爆笑お言葉集 Humor of Judges


[本] 長嶺超輝. 2007. 『裁判官の爆笑お言葉集』.幻冬舎.

かなりカジュアルな一冊。
なにぶん裁判員制度と私の勉強の絡みもあり、
最近司法制度には私的関心が高まっているわけですが…
残念ながら新しいアイディアをくれる箇所はなし。
ただ、幾つか確かに笑った発言もありました。
裁判官の知性を疑うものも多少ありましたけれども……。
娯楽として読むには1時間弱で済むお手軽な冊子でした。

[Book] Nagamine, Masaki. 2007. Saibankan no Bakusho Okotobashu [Humorous Statesments by Court Judges]. Tokyo: Gentosha.

Wednesday, April 04, 2007

[Book] 「NO」と言える日本 The Japan That Can Say No

[本]盛田昭夫・石原慎太郎.1989. 『「NO」と言える日本: 新日米関係の方策』. 光文社.

とうとう読みました。ブックオフで450円でした。
何で読もうと思ったかというと2点。

ひとつは、手嶋龍一の「FSXを撃て」で、米議会がこの本にどのような影響を受けたかという行を読んで興味がわいたから。
もうひとつは、先日のクラブコンペで雅子妃の本の邦訳を出版すべきかどうか話した時に、チームメイトのWさんが、この本が粗悪な英訳で出回ったという話をして下さって興味がわいたから。

で、感想ですが、うーーーん・・・・・・盛田さんはともかく石原さんの部分は事実関係の認識に色々問題がありそう。FSXの部分は特に手嶋龍一の書いていることとかなり大きく食い違っています。どちらが正しいのか、と言われると私には手嶋龍一の見解の方がより真実に近そうに見えます。ていうか石原慎太郎の文章は凄いテクノ・ナショナリズムです。よくもまあここまで「日本の技術」とやらに過信できたものだと思います。

ちなみに英訳との比較もしてみましたが・・・・・・確かに劣悪。
たとえば以下最初の引用の「毛色が変わっている」は「髪の色の違う」と直訳されてしまっています。
・・・・・・おい。
「born with a silver spoon in his/her mouth(生まれつき恵まれて)」を
「銀のさじを咥えて生まれた」と訳すようなもんですぞ。
ほかにも「そういう意味では頑固」がただ「頑固」とだけ訳されていたり。
元々かなりブラントなこの文章を、更にここまでケアレスに訳されては目も当てられない。
こんな本をめぐって政治論争になったとはいやはや・・・・・・

とはいえ、面白い部分もありました。

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 ですから私は、石原さんのおっしゃる日本人だからいやなんだ、ということはわれわれの努力によって解消する以外に方法はないと思うのです。「おまえさんたちがわかれ」と言ったところで、彼らはそういう意味では頑固ですから。
 私自身は、おまえはアメリカ国籍だと言われるくらいにアメリカに仲間がたくさんいますし、私もアメリカの中に住んでいて、アメリカの人から自分の仲間だと思ってもらえるくらいになりましたから、割りに何を言ってもそういうことは感じませんが、石原さんの発言のように、彼らには、日本人は毛色が違うためにちょっと何を考えているのかわからないという気持ちはあるわけです。それからもうひとつ重要なことはメッセージのデリバリー(伝達)の方法が違うということです。日本語と英語では構文が違うわけですが、その違いが、話し合う時にも影響してくるのです。
 私は本にも書いていますが、日本人が漢文を読むときにはかえり点をつけていますが、中国の人はまっすぐ読めばわかるわけです。英語にしてもかえり点なしにそのまま読むわけです。つまり彼らとは思考過程が違うわけです。だからいくらいい通訳使っても日本人の思考過程の順番で言うとなかなかわからない。そういう点で、メッセージのデリバリーということに関して日本の思考過程というのは残念ながらマイノリティーですから、大多数の西洋人とコミュニケーションするには、相手のわかるような順番で物を言ってあげないと、何を言っているかわからない。私はレイシャル・プロブレム以前にコミュニケーションの方法という点において、日本は非常なディスアドバンテージ(不利)があることを知っておく必要があると思うのです。(p.55)
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 グレンの話の最中に私が、日本人側のネゴシェーター(交渉者)のうちで君らは誰を一番評価するか、と質問してみたら、グレンはただちに黒田通産審議官と言った。
 ご承知のことでしょうが、日本の新聞報道などでは黒田審議官の評判はあまりよくない。あの人が出て行くとトラブルが大きくなると書かれている。アメリカ側でも、ミスター黒田は頑固すぎる、などと非難する。しかし、その頑固なトラベルメーカーを実は当のアメリカが高く買っているわけです。彼は、アメリカ側が無理難題を吹っかけていると思うとガンとして譲らない。かたくなで頑固に、言うべき「ノー」を言い続ける。それでは話にならない、とアメリカ側が脅しをかけても、多くの日本人代表みたいにイエス、ハイハイと急にかしこまってしまったりはしない。強大なパワーのあるアメリカという大男が拳固をふりかざせば、小男の日本は沈んでしまうという意識もあってアメリカは難題を押しつけてきます。それでも黒田審議官は、殴るなら殴れ、おまえらのほうが恥をかくぞ、と踏んばってにらみ返してきた。もちろん、やみくもに「ノー」を叫ぶのではなく、なるほどと思わせる理屈を述べてから言う。交渉というのは、こうでなくてはならないのですが、向こうに言わせると日本人のほとんどが何を主張したいのかよくわからない、と指摘します。
 何を言っているのかわからない日本人に、そんなことではだめだ、と強く出ると、イエス、イエスと慌てふためく。そして、そのイエスがイエスのようでイエスでもない。とにかく、日本人は外圧がなければ何もしないと思わせてしまうのだから国民にとってみると、不本意な話です。外圧に弱い日本などというイメージが付きまとっていては外交がうまく運ぶはずがないと思う。
 私はよく言うのですが、各国大使館の人員の半分を民間人にすべきだ、と。経済レベルで激しく実際に外国人を相手にしのぎを削ってきた有識民間人の中には、日本代表として堂々と論陣を張れる方が何人もおられる。たとえば駐米大使として盛田さんに就任してもらう。夢物語で終わらせたくないほど、私は真面目にそう考えるのです。(pp.128-130)
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 ビジネスの場合だと、アメリカ企業の社長と交渉するには、トップとトップの一対一で、その場でイエスかノーか、「それなら、こうする」ということを決めるわけです。それがトップ会談です。ところが日本国内だと、ビジネスの場でも実際は会談の前にすべてを決めておこうとする。
 あるとき、日本の大会社のトップが私のところに来られることになった。「それでは二人だけで話をしよう」と思っていると、相手の大会社の社員から、連絡がうちのほうに来て、「今度うちの会長が行きますけど、盛田さんはどういうことを言われるでしょうか?」と尋ねてくる。「うちはこういうことを言いますが、どう返事されますか?」と、みんな返事を決めに来るわけです。私から見れば、そんなトップ会談なら、しなくてもいいわけです。
 そんないい加減な会談ではなく、竹下さんには日本から見たアメリカの現況を正しく伝え、主張すべきことをはっきりと訴えてきてほしいと思う。(中略)
 日本は主張すべきことは堂々としていいと思うのです。日本という社会は長い間「沈黙は金」という教育を受けてきたから、多少何か言いたいことがあっても、じっと我慢をする。我慢をせずに、私のようにすぐ文句を言うと、ほうぼうで叩かれるという運命になります。石原さんも言いたいことを言う方ですから、ときどきいろいろなところでぶつかるわけですが、我慢などという美徳は西欧ではまったく通用しません。
 私は、日本は石原さんが言われたように、大いに言いたいことを、また、言うべきことを言わなければならない。そうでないと、日本のアイデンティティはなくなると思うのです。(pp.138-140)
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[Book] MORITA, Akio and ISHIHARA, Shintaro. 1989. The Japan That Can Say No. Tokyo: Kobunsha.

I read this book because it is said that the English translation that circulated in US Congress was really a bad translation. And the following is the citations from English version while the above is the same parts from the original text in Japanese.

I would say... indeed it is a very poor translation. For example, "keiro" is NOT about literal color of hair. It's like translating "silver spoon in his/her mouth" as a baby literally holding a spoon in his/her mouth when he/she was born. What kind of translater can translate like this......sigh...... And this became a basis of political discussion??? unbelievable... Language barrier is scary.

http://www.totse.com/en/politics/the_world_beyond_the_usa/japan.html
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Therefore, I think that the only way to erase the perception Mr. Ishihara points to where Japanese are disliked just for being Japanese is to make the above types of efforts. This is because they [Americans] are stubborn and not likely to be induced by saying "you guys change."
I have so many American friends myself that I have been accused of being an American. Since I have lived in America and have been counted as a friend by many Americans, I am not overly sensitive to what is said about me. As Ishihara has said, to Americans, they feel that because their hair color is different, it is difficult for them to know what Japanese are thinking. I think there is another important point. The structure of the Japanese language and English is different, and this affects our discussions together.
I have written this elsewhere in a book, but when Japanese read Chinese, they put in arrows and symbols to change word order, but Chinese read it directly and understand the meaning of the sentence immediately. English is the same kind of language, which is read one word after another. In sum, this means that Americans have a different sequential order in thought processes. Therefore, no matter if you use interpreters, it is impossible to interpret in the same sequential order as the thought processes that that generated the words in Japanese
. Thus, when a message is to be delivered, it is regrettable but true, that the sequential thought process of Japanese is in the minority in the world. When communicating with occidentals, who are in the majority, if things are not communicated in an order they can comprehend, they do not understand what we are saying. It is necessary that we be cognizant of this disadvantage that Japan has in this area.
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In the course of my conversation with Glen Fukushima, I asked whom among the Japanese negotiators he considers the best. He immediately came up with the name of MITI's Kuroda, whom the Japanese press used to criticize for his tough positions. The press claimed that his participation aggravated the problems with the U.S. The Americans criticized him for being stubborn. Strabgely, the American negotiator named him the most effective. He is stubborn and is able to say "no" decisively whenever he should do so. The Americans usually try to overpower negotiations by increasing pressure. But Kuroda does not feel that he must say "yes" to American pressure. America is a giant in many ways, and, in many ways, Japan is a dwarf. This obvious contrast has been exploited by the Americans often in the past.
Mr. Kuroda kept pointing out that irrational pressure is not always the result of reason or logic, and reinforced this position by withstanding increased pressure
. His "no" is not a no for its own sake; he always states his reasons. This is the proper approach and attitude in negotiations. In the past, there have been allegations that Japanese logic and opinions have not made any sense to the other side.
When the opposing side points out that Japanese opinions and demands have no logical basis, all of a sudden the illogical Japanese start saying "yes, yes, yes..." in a panic. But these "yesses" do not necessarily mean yes in the sense of positive assertion. At any rate, the other side then comes to the conclusion that Japan will not take action unless pressure is placed on them. This is a rather unfortunate situation for the people of Japan. The Japanese image of being soft in the face of pressure does not help Japan's diplomatic efforts at all.
I have often suggested that at least half of Japan's diplomats stationed abroad be civilians. Those who are in business and other professions who have dealt with foreigners are in a better position to represent the interests of Japan than are career diplomats. Send Mr. Morita to America as our ambassador: a brilliant idea! But it should not be just an idea.

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In negotiations among business leaders, we, top management hold discussions face to face, saying "yes" or "no", or "if you do that we will do this." However, we have a tendency to prepare answers for negotiations even in business world in Japan. Take my case, for example. Once a chairman of a large Japanese firm was vistiting me and I planned to talk to him face to face. Then, someone from that office called us and asked what I was going to talk about when we met. "Our chairman is going to say such and such. How will you respond?" They wanted to prepare all answers beforehand. I do not think we need to have meetings if the content is planned beforehand. I want Mr. Takeshita to say correctly how we, Japanese, see the present situation in the United States and tell them clearly what we want to do. (L.O.)
Because of our historical discipline, Japan has adhered to the principle that "silence is golden," but I believe Japan must insist that the United States do what must be done. An outspoken person like me is easily criticized from every corner and I am sure Mr. Ishihara has had the same experience since he is also very outspoken. But to be silent and to put up with things do not work at all in the West. As Ishihara has suggested, I think we should say what we have to say. If not, I am afraid we will lose our own identity as Japanese in the world.

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事実は小説並みに奇なり? Mysterious as a novel can be?

やれやれ、一ヶ月以上ぶりの投稿です。
丁度一ヶ月、我が家にホームステイしている人がいたこと、
同時期に引越しをしたこと、
とあるイベントを主催していたことなどが重なり、嵐のような一ヶ月でした。
今も片づけをしてはいますが、これから何とか漸く自分の生活を持てそうです。
メールやメッセージを頂いていた方、申し訳ありません。
これから読み始めますので、返信はもうしばらくお待ちくださいませ。

さて、ニュースによれば、海上自衛官がイージスシステムの情報を漏洩したらしいのですってね。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/18568.html
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200703300507.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070401-00000077-jij-soci
しかも配偶者が中国国籍だと報道されています。
なんだかすっかり『ウルトラ・ダラー』(手嶋龍一著)の世界ですね。
しかし何だって機関担当の2等海曹がそんな重大機密にアクセスできたんでしょうか。
協力者でもいたのでしょうか。それともうっかり目に触れる所に置いた人がいるのでしょうか。
同じ船で働いている仲間を信頼せずに仕事をすることなんてできない、
という気持ちがあるのでしょうか。そうだとすると、それは分かるような気もします。

しかしこの事件、記事によってはフロッピーディスクを持ち帰っていた、とあり、
他の記事にはハードディスクを持ち帰っていた、とあります。
それ、普通はかなり違うと思うんですけど。どっちなんでしょうか・・・・・・
そして何故神奈川県警が挙げた事件なのに北海道新聞が一番詳しいのでしょうか・・・
何だか煙に巻かれたような話です。
とりあえずどうなるんでしょう、ミサイル防衛と日米安保。

Monday, February 26, 2007

ピアニストを撃て Tirez Sur le Pianiste

一昨日はクラブコンペでした。

論題は、
・カジノを合法化するべきだ
・刑事事件の時効を廃止するべきだ
・講談社はプリンセス・マサコを刊行するべきだ
・女性議員を一定数以上確保するべきだ
でした。

こちらについてはまた後ほど書きます。

東ティモールに行かれた経験のある方がいらしてました。
東西の争いが顕在化した昨年撤退されたとのことでした。
石や火炎瓶が飛び交ったという話に、
「軍隊内部から不満が上がって暴動になったのに重火器は登場しなかったんですか」
と伺ってみると、少し間があって、
「東ティモールは大変貧しいので重火器がありません」とのことでした。
この答えには考えさせられました。

しばらく前この日記にも書きましたが、
東ティモールの国民一人当たりの年収は、北朝鮮のそれより少ないのです。
それを知っていて上のような質問をするのですから、私も相当の馬鹿です。
もちろん、やはり経験していないと分からないことってある。
勉強して、想像力を働かせて、そして実体験のある人と話して初めて、
少しでも実態を知ることが近づいてくるのだと思うと、
もっと必死に話を聞かせて貰うべきだと思わされます。
話してもらうためにももっと勉強しなきゃな、と思わされます。

無知は罪です。少しでも知りたい。他人事にしたくない。
それならご縁は大切にしなきゃな、とつくづく思いました。
もっと普段から勉強しておけば、ここまで初歩的ではなくて
もう少し突っ込んだお話を聞かせてもらえたはず。
同席させていただいた時、本で読めば分かるようなことを聞いては恥ずかしい。
それなら普段もっと勉強しておかなきゃな、と思いました。

じゃ、これが地獄なのか。
こうだとは思わなかった・・・・・・
二人とも覚えているだろう。
硫黄の匂い、火あぶり台、焼き網なんか要るものか。
地獄とは他人のことだ。
(サルトル「出口なし」より)

Wednesday, February 21, 2007

ポプラとカエデ (第六夜: Bali Hai may call you?)


水曜日。

今日は夜に岐阜からM先生がみえることになっています。何とか今日中にアイスブレイクを迎えておきたいなぁと緊張がともないますが,こればっかりは私がどうこうしようとしては逆効果です。黙って見守るしかありません。ドキドキしながらも見守っていると,午後,静かだった一年生から思い切ったように質問が。Tがエキサイトしているのがわかります。答える言葉に熱が篭っています。質問をした方も少し安心したようです。やれやれ,良かった。

これを皮切りに質問が増えました。一年生たちの表情も多少明るくなり,まだ授業中に質問できなくても授業後Tの周りに一年生の姿が絶えなくなりました。一歩前進です。やったーーー!!

これに気を良くして練習試合に移ったのですが,こちらのほうはどうも上手くいきません。Tはここ二日ほどかけて開発援助についての授業をしてくれました。特に南太平洋におけるオーストラリアの介入についてかなり重点的に話してくれました。パプアニューギニア,フィジー,ソロモン諸島,ツバル,トンガといった島々についての話が延々と続きました。練習試合はこうした南太平洋への援助に関する論題でしました。一年生が質問できるようになり始めたこと,かなり丁寧なレクチャーの後だったこともあり,初心者グループの方にTを割り振りました。

・・・・・・が,試合を開けてびっくり,そちらの部屋のDebateはフィリピンについてだったと言うのです。

・・・・・・これはかなりTには堪えたようでした。何せ二日間かけて熱心に説明したことがほぼ全く伝わっていなかったと,これ以上なく明白になったのですからショックでしょう。私にも結構ショックでした。本当に分からなかったんだな,と。もっと早くどこかで止めて,地図をホワイトボードに書くなり,初歩的な部分の確認をするべきだったのかもしれません。何が原因だったのかよく理解しないと次につながらないので,今後ゆっくりヒアリングする必要があります。

しかしな・・・・・・フィリピンが南太平洋に入るという感覚は凄いと思います。まあ日本よりは南にあるしな。確かに太平洋の島ではあるかな・・・・・・しかしな・・・・・・散々パプアについて聞いた後で何故・・・・・・いやしかしかつて「イスラエルって国ですか?」と訊いた後輩の顔を思い出し,日本の現代史や世界地理の授業がかなりお粗末であることも思い出しました。こういう生徒を世に出して平気でいる先生たちの顔が見てみたいものです。生徒が可哀想だと思わないのでしょうか。

まあ,ともかく,その日の夜の「お休み前の一杯タイム」では,Tはかなりこの点に固執していました。どうしたら良いのか分からなくて迷子の気分だと。その気持ちは分からなくもありません。しかし正直直近に片付く問題とも思えなかったので,少し話をずらしてみました。南太平洋のそれこそフィジーやパプアの閣僚をオーストラリア軍が拘束したといった記事を読むたびに,一体なんだってそんな他国の主権を無視しまくったことができるのだろう,と私はオーストラリアにアンチな見方をしていました。Tの説明を聞いて話は思ったより少し複雑だとわかったと言うと,Tは満足げでした。そうなんだよ,と身を乗り出していました。ただ,南太平洋諸国を見下しているところがないか,主権を軽んじていないか,と言われればそういう側面もやはりある,とのことでした。なるほどね。更に「一年生が質問できるようになって良かったね」と話をポジティブな方に戻して終了。ガッカリ感を少しでも払拭できたかな,とTの顔色を伺います。

その後,M先生が到着されました。私の部屋でヒメと飲んでいたTに「ご挨拶だけして」とせっつきお迎えいたしました。明日はビッグデイ。頑張らないとです。

Tがそろそろ寝るよーと自室に戻り,ヒメと少し話し彼女も部屋に戻り,その後部屋に独りになったときにはへとへとでした。頭の中に一瞬かの有名な映画『南太平洋』の「Bali Hai」が流れました。趣味じゃないわと頭をふりつつ,Tにとって日本がBali Haiだったらどうしよう,と不安にもなるのです。天国に一番近い島に憧れる人にろくな人はいません。Your own special hopesだのYour own special dreamsだの,私に言わせれば薄気味悪い,の極地です。第三世界にそういった一方的な期待を押し付ける姿は好きではありません。「The Beach」が救いようなくグロテスクなのと変わらないと思います。Special hopesもSpecial dreamsも要らない。どこの土地にもそこに住む人には生活があって,その生活の泥臭さを理解しなければその土地を愛するとは言わないでしょう。どうか日本をエキゾチックな国だと思わないで。私たちは普通に生活し,普通に学び,普通に話をしたいだけ。その普通が許されないから苦しいだけ。ティムは私たちが苦しんだりディボートしているところばかりを目にするので,私たちの生活者としての立場を忘れることがあります。異質な者と意識するようになれば同じ目線ではなくなります。それがどうしようもなく心配です。幻想の世界に行ってしまわないで。

Most people live on a lonely island,
Lost in the middle of a foggy sea.
Most people long for another island,
One where they know they will like to be.

Bali Ha'i may call you,
Any night, any day,
In your heart, you'll hear it call you:
"Come away...Come away."

Wednesday, February 14, 2007

どっちが正しいのでショー "Which Is Right" Quiz Show

雅子妃に関する本,オーストラリア人のBen Hillsによる,
「Princess Masako: Prisoner of the Chrysthanthemum Throne」
が皇室への侮辱にあたると政府が抗議したそうですね。

【関連記事】
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=159357&media_id=20
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=159332&media_id=2
http://www.news24.jp/77359.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070213i513.htm
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070213AT1G1303713022007.html
http://www.asahi.com/national/update/0213/TKY200702130382.html
http://news.tbs.co.jp/headline/tbs_headline3493336.html
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070213-156139.html
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200607190927473
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200607110624392

実はこの本,Tが読んで凄く興味深かったよ,と繰り返し話題にしていた本なので覚えていたんですよね。Tによればオーストラリアでは有名な何とか言う賞を受賞した有名な著者なのだとか。(受賞した前作も日本に関するものだったという話だったような気がします)

まあそう聞いたときから,「日本の皇室について読むなら日本人の書いたやつの翻訳読めば良いのに,なんでオーストラリア人の書いた日本皇室論を読むのよ」といつも通りの感想を持っていたのですが,いちいちつっかかるのも面倒でやめてしまったんですよね。あーあ,やっぱ問題になったか,って感じです。

ただ宮内庁に批判的な内容の本だという話なので,政府や宮内庁が反発するのは当然なのかもしれません。日本政府の方が偏向しているのかもしれない。わからんですね。

ただ,Japan Timesの記者で実際に「自分とのインタビュー内容がmisrepresentされた」と言っている人もいるようです。
http://www.debito.org/index.php/?p=111

うーん…どっちが正しいのでショー??

ま,とりあえずTに問題の本を貸してもらう約束をしました。
どっちを信じるかは読んでみてからですかね。

ちなみに宮内庁が出した抗議文は以下。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/hills-letter.html
英語版はこちら。
http://www.kunaicho.go.jp/ekunaicho/hills-letter-e.html

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Feb 21st 2007に追記。

ちなみにその後こんな記事がABCには出ました。(English)
http://www.abc.net.au/news/newsitems/200702/s1850370.htm

Tuesday, February 13, 2007

ポプラとカエデ (第五夜: 遠い日のために)

暗くなる一方なので,その前に書くのをやめようかと思いかけていたのですが,
読んで下さっている方がいるそうなので,続きを掲載していくことにします。
ポプラとカエデシリーズもこれで第5夜です。

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12月19日,火曜日。レクチャー二日目に入りました。なんだか面子が昨日と随分違います。これは悪い傾向です。虫食いでレクチャーを受けるのはあまりおススメしません。それに加え,Tに生徒が慣れるのに通常以上に時間がかかってしまいます。一年生たちはまだまだ静かです。経験的に初IDCの子がコーチに慣れるのには3日間かかります。なので焦りは禁物……ですがやっぱりちょっと気になります。というのは質問が出ないとTの機嫌が悪くなるので,一年生が更に萎縮して悪循環だからです。10日間あるIDCの場合はそれでも放っておくのですが,今回は6日間しかないのです。悪循環にハマっている暇はありません。既にTの眉間に皺が入っています。もう来日4回目なのですからもう少し慣れて欲しいものです。

昼。この日はTと二人で出かけました。他の人も誘ったつもりなのですがなかなかね……。何処で食べたんだっけな。カフェテリア藤だったような気がします。Tはうどんを頼んでましたけど大丈夫だったのかな…まあローランドほどではありませんが,日本の麺類は得意ではないはず。ま,本人が良いって言うんだからいっか。

サラダバーにバナナが積んであり,それを貰っていると,オーストラリアではバナナが不作で価格高騰になり,バナナを食べている友人を金持ちとからかうのが流行っているとか,アホな話を聞きました。

午後もなかなか質問が出ません。

一年生が質問できない理由は複数あると思います。
(1) Tの言っていることが聞き取れないから質問が見つからない
(2) Tの言っていることが分からないから質問が見つからない
(3) 聞き取れるし分かるけど特にしたい質問がない
(4) したい質問はあるが的外れではないか心配
(5) 同じ部屋に先輩が多くて初歩的な質問をすることに躊躇いを感じる
(6) 自分の疑問を的確に説明するための英語力に自信がない
などなどなど・・・・・・壁は様々なところに存在します。

そもそも日本人講師に対してもろくすっぽ質問しない子も多いのです。質問をしないということは真剣に聞いていないことを意味するからかえって失礼なのだ,という意識が日本の学生にはあまりありません。良いクラスを作るために自分の貢献が必要だなどと考えること自体そうないようです。これは質問することが礼儀に近い社会からやってきたTにとっては相当のストレスです。だからこのリストの3から5は問題です。例えば5とか,先輩と対戦したらPOIできないのかぐらいの勢いでダメです。自分が勉強したい時に遠慮は禁物です。貪欲にならな。教えてください,とお願いして来て頂いている以上,必死に理解しようとして自分の頭で考えて,考えれば質問が出て来ないほうが不自然です(3は聞き流しているということだと思います)。その質問をぶつけるのは「あなたの言葉を真剣に理解しようとしています」というメッセージになります。

しかしですね,1や2や6の場合もあるわけですよ。この場合,分からないなりに分かった範囲から想像してでも質問しよう,と割り切れるようになるまでしばらくかかります。これは私にはかなり同情できる要因です。こちらに関しては,相当の知性を持った学生たちだからこそ,彼らが自分のプライドとの折り合いをつける時間を私は尊重したいと思います。問題は,Tにはそんなことが見えないのです。ただ,質問もせず,能面のような顔をして,非協力的な学生たちだと苛立つのです。いつか分かってくれる日が来ると良いのですけれど。

夕飯は桜に行きました。生徒が慣れてきたら少し割高な桜には行けませんから,今の内に行っておくのが良いだろうという計算でした。ピザとオードブルかなんかを適当に選んでおしゃべりをします。疲れもあって苛々気味のTに,売店が閉まる前に酒を買っておこう,などと言って少しリラックスしてもらいます。

折角1対1ですから,他の学生が一緒のときできない話をしておこうと思いました。別に他の子が一緒でも私が延々とTに話し続けてしまう事はできますが,勿論それでは意味がありません。他の子と一緒のときはできるだけ私は黙っているようにしています。

この日話すことにしたのは,「コモンセンス」のウソについてです。Tが繰り返し言う「ガッツレスポンス」とやらも,別に人類共通のものではない,ということを分かってもらった方が良いと思ったのです。

最初話していたのはイギリスの全顔面移植のことだったと思います。Tは臓器提供者(ドナー)登録は,「します」と登録(Opt-in)するのではなくて,「しません」と登録(Opt-out)するシステムにするべきだと言います。皆自分が死んだ場合のことなんて考えたくないから登録しないのさ,特に強く提供したくないという強い意思があるヤツ以外は全員ドナーにしてしまって何が悪いんだ,と。しかもドナー登録に家族の了承が必要なんだぜ,俺の体のパーツを俺の好きにするのに何だって家族の了承が必要なんだ,と。続けて,「大体火葬は環境に悪いから俺は冷凍粉砕を希望するね」と。全く変なヤツです。私は自分の体がそのままの形で凍った挙句粉砕されるというのはちょっと抵抗があります。なんでかは分からないけど燃やされる方が良いな。

まあそんなこんなの話をして一段楽したところで,「『あなたの命は誰のものか』と聞いたら誰だと答える?」と聞くと,目を白黒させています。「・・・僕・・・かな?」と漸く声を絞り出したTに,「『うん,それ以外の答があるの?』って思うでしょう?でも私が小学校に入って最初の日に先生から言われたのは,人は社会によって生かされているんだってことなんだよね」と言う私に,既にTの方は大混乱状態です。こう言っちゃなんだけど,頭が固いよな・・・。「インフォームド・コンセントって言ったら,普通オーストラリアでは患者にインフォームすることだよね。でも日本では患者の家族にインフォームすることなんだよ。」というと「そんな馬鹿な!!!」という顔をしています。続けて「安楽死だってね,日本で合法化されるとしたら家族の了承が凄く大きな意味を持つと思うよ。今だって延命装置の取り外しには家族の許可が必要だし,癌告知だってまず家族に話して,本人に病名を知らせるかどうか医者と家族が決めるんだよ」というと,Tの方はもうすんごい表情です。やれやれ。「もし万が一N(Tの彼女)が病気になって,凄く辛い病気で,もう楽になりたいわ,って彼女に言われたら,俺はすっごく辛いけど彼女の決定に異議を差し挟むなんてできないよ」と言うT。「うん,でも息していてくれるだけで良いから死なないで欲しいって思う可能性はないかな。どんな形でも生きていてくれ,あと一瞬で良い僕の傍にいてって彼女に懇願することなんてありえない?」と聞くと,「彼女の意思が優先するよ」と。「そうねぇ,私も相当個人主義で,私自身は自分に自分の病名が告知されない可能性があるなんて許せないけど,でも日本の多くの人の気持ちが全く分からないとも言わないな。私の命は私のものであると同時に,私を愛する人たちのものでもあると思う。彼らのおかげで私は生きているのだから,彼らが私を寝たきりの状態でも必要としているのなら,彼らにはその意見を反映する権利がありそうな気すらするよ」と言う私を.Tは長年来の友人が突然エイリアンに化けたかのようにマジマジと見つめていました。

その後,「人と人が支えあって人という字になる。人は一人では人間になれない」と6歳の時に学校で教わったことや,夜爪を切ると親の死に目に会えないという迷信や,『いただきます』『ごちそうさま』の意味など,日本での生活の細々としたところに『人は生きるのではない,生かされるのだ』という考え方がまだ生き残っているんだよね,と話してみました。どれも「シンジラレナーい」っといった反応のTでした。最後に私が「そんな社会で育った18歳の子供が国際大会で安楽死や臓器移植,堕胎についてディベートをしたら,どれだけ非常識で狂っていると決め付けられるか,どんなに冷たい対応を受けるか,想像できるでしょう?審査員も対戦者も,日本は何て知的後進国だろう,民主主義の皮をかぶっても結局文明の届いていない野蛮な地域なのだ,と思うでしょうね。でも本当に日本の子達が間違っているのかしら。そんな価値観に正しいも間違ってるもあるのかしら」と問いかけるとTは難しい顔をして黙り込んでしまいました。

こういうこと,なかなか18歳の子たちはすぐ説明できるようになりません。彼らは,彼らの普段生きている社会では当然とされていることをそのまま口にするだけで,知性のかけらもない狂人として扱われます。区別され,差別され,蔑まれます。でもその仕組みに気がつくのは数年後なのです。だから,私たちが少しでも彼女達が誤解されないで済むよう働きかけることができれば,と思います。

この日,Tは少しでも私の伝えようとすることが分かったでしょうか。コモンセンスという言葉で,どれだけ欧米の文化背景を一方的に押し付けることが正当化されているのか,気がついてくれたでしょうか。

正直,駄目だったのだろうと思うのです。Tは頭の良い人だけど,頭が固い面もあるのです。生命倫理という特殊な一点において,異星人のような考え方をしているらしい,程度にしか分からなかったでしょう。彼には日本のエキゾチックさが増して感じられるようになっただけでしょう。

いつか,分かってもらえる日が来るでしょうか。私にはわかりません。
その日が来るまで,いつまでも私は同じことを言い続ける気力を保てるでしょうか。
それも,わかりません。
そもそもその前に,Tが私を同じ人間として見なくなるのではないかと,思うのです。

寒空に星が綺麗です。
何万光年も前の光が今私に届くなら,
何十年も先に私の言葉が誰かに届くことも有得るでしょうか。

Friday, February 09, 2007

論者と小槌 Speaker and Gavel

Speaker and GavelというのはNational Honorary Forensic Societyという団体が出している雑誌です。何故か最新アーカイブはミネソタ州立大学のサーバに置いてあります。ちなみにGavelっていうのは議長や裁判長が「Order」とかいってカンカン!と打ち付ける変な小槌。

なんていうか凄いですね・・・・・・
オノラリー(ソロリティ)ってこんなのまであるんだ・・・・・・
しかも雑誌発行できちゃうんだ・・・

他人のこと言えた義理じゃ全くありませんが,
保守派のボンボンジョージョ-ばかりがディベートする環境に恵まれている,
というのは何処の国も同じなようです。日本はずっとずっとマシな方。
(アメリカのディベータは世論よりリベラルよりですが,
資金が潤沢なチームとそうでないチームのギャップは凄まじいです)

とっても残念。

自分を言葉で代表する権利くらい,皆に平等にあれば良いのに。
(権利は平等で能力が違うのだって?まあそうかもしれませんけどぉ。
しかし四則計算と同じくらいには必須科目だと思うんですがぁ)

でも載ってる論文は面白そうだから読みます。
目次録が欲しいですが国内には何処にも置いていないそうです。残念。

図書館に文献複写依頼を出したら(最近ネット上でもできて至れりつくせり),
「海外からの取り寄せになるのでちょっと費用が嵩みますけれど良いですか」と
聞いてくださいました。けれどここで言う「ちょっと費用が嵩む」は300円とかの話。
ぶっちゃけ承諾なしにすぐ海外へ依頼を出して貰ってしまっても怒る気にならない額です。
ディベートコーチが6人欲しい,とか言う時の「ちょっと費用が嵩む」とは訳が違います。
(あるんですよ,世の中にはそういう大学も。専用のバンとかあるしね。)
しかし一々確認してくれるその丁寧さも感動もの。
以前は間違ってた指定ページ数も確認してくれました。
この大学は図書館のサービスはかなり良いと思います。
届くのが楽しみです。(^v^)

Thursday, February 08, 2007

[Article] World Englishes in 2000 and beyond

[Article] Yasukata, Yano. 2001. World Englishes in 2000 and beyond. World Englishes. Vol.20, No.2. pp.119-131

EAL(ESL/EFL)について何か読んでみたいな,と思うならこれが私的一番おススメ。
わかりやすいのは日本人が書いているから?
しかし大変納得がいきます。

また,acrolect, basilect, mesolectの違いの部分も(英語に限らない内容ですが)
個人的な感覚と良く合います。
カウンセルで話すのが凄い緊張したり嫌だったりするのはこれですよねー。
魔女の宅急便のジジの台詞がぴったり。
「チェッチェッ。気取ってやんの」ってね(笑)

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As far as English is learned by immigrants in English-speaking societies such as Britain and the United States, there does not seem to be any problem in learning the language in the sociocultural framework of these societies. However, problems arise when English is learned as a second or foreign language in the societies where English is not used as the native language, because English is no longer used in the Anglo-American sociocultural framework alone.
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In due course, therefore, the demarcation between the inner circle and the outer circle in the Kachruvian concentric circles will become more obscure and therefore less meaningful, although that between the outer circle and the expanding circle will remain as distinct as it is now. Speaker of English as a native language (genetic and functional - those with the native speaker's intuition who can infinitely generate grammatical and appropriate linguistic forms in a given situation and make judgements on the grammaticality and acceptability of linguistic forms) and speakers of English as a foreign language will remain distinctly separated.
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As a result, ENL's role as the source of models of correctness will be significantly reduced and ENL speakers will eventually join ESL speakers as the speakers of "one of the varaeties of English" while those ESL speakers in the outer circle will increasingly feel and identify themselves as native speakers of English (their varaieties) and feel entitled to be treated on equal terms with genetically native speakers.
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The use of English for international communication and for formal and public domestic interaction is acrolectal in that it is characterized by its formality of linguistic forms and by the relative absence of local and indigenous linguistic and sociocultural aspects.
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移行完了 have finished transferring

前から気になっていた放置していたGREE日記。
移行が完了しました。
小さな問題3点。

1)MIXIの新着日記欄が昔のが出てしまっている。
→この新規投稿で直るかどうかちょっとテスト

2)GREEの表示を外部ブログに切り替えた筈が変更されない
→時間がかかることもある,とあるのでとりあえず放置

3)GREE日記時代に頂いていたコメントが全部消えてしまった
→これはとっても残念。でも放置よりはマシということで

脈絡があるようなないような high-context or random thoughts

1.絶滅したと思っていたけど

先日テレビをつけたら,アル・ゴアが出ていました。
映画の宣伝なのか,気候変動について話していました。
司会の横に立っていた気象予報士が,
「日本は四季があるから世界で一番この話に敏感なはず」と発言していました。

立ちくらみがしました。

戦前の風景論じゃあるまいし・・・。
志賀重昴,突如降ー臨ーって感じ?
(富士山が円錐形だから「優れている」という謎の文章に
私は小一時間頭を抱えたことがあります。恐るべし「日本風景論」)

どうして現代人が「日本は四季があるから」なんつー論理展開を??
そんなの多少緯度があればどこでもあるでしょう??
うーん・・・小学校の理科から研修しなおした方が良いのではないかと思います。

優生思想とかの初歩的な間違いとか教わらないんですかね。
あれはドイツ人以外には関係ないとか思ってる?
ていうかこの分だと「日本単一民族国家論」も健在?
いやはやビックリ。

2.戦争と言えば

私の祖母は満州で幼少期を過ごしました。

当時の満州はロシア人・中国人・日本人といった様々な民族が同居していた土地だったそうで,そのために祖母の得意料理もボルシチ をはじめとしたロシア料理や中華料理が多かったそうです。終戦時東京の学校にいた祖母は,残された家族に会うために満州へ戻りました。ソビエト兵に乱暴を受けないようにと髪を切りさらしを巻き,男装して汽車にもぐりこみ,最後は鉄道に沿って歩いて歩いてぼろ雑巾のようになって家族のもとにたどり着いたのだと,早く亡くなった祖母について,母から聞きました。

私自身はロシアに一度,中国に二度,韓国には五回渡りました。

ロシアでも中国でも韓国でも,皆さんに良くして頂いたし現地で会った方たちを私自身大好きになりました。好きになった国々には関心があるし,機会があれば無駄にせず勉強したいとも思います。そんな私を母は複雑な想いで見ているようです。亡くなった祖母なら何と言うだろうか,とよく私に漏らします。

母は戦争を知らない世代です。
私は戦争を知る世代をろくに知らない世代です。

その時間の違いはどうしようもない。
知識も経験も違えば感じ方も世界の見方も違います。

先日,北京での乗り継ぎに苦労したというTに,
「私は中国は好きだなぁ」と言うと,随分驚いた顔をされました。
数年前ロシアに行ってみてロシアが好きになった,と言ったときも
G氏に相当変な奴だと言われました。

何故?好きじゃおかしい?
オーストラリアやマレイシアを好きでも良いけど,
中国やロシアだとダメというのは私には奇妙に感じます。
現地に行ってみれば興味も湧くし親しみも感じるよ。普通じゃない?

3.中国と日本の奇妙な関係と言えば

『蓋山西(ガイサンシー)とその姉妹たち』,
http://www.cine.co.jp/gaishanxi/
是非足を運びたいと思っています。

でもそう言ったなら,驚く友人は多いのかもしれません。
その映画を観た翌日曾祖父母を嫌いになるとでも思うのでしょうか。
(そもそも曾祖父母には物心ついた状態で会ったことないですけど)
それとも観に行く時点で売国奴?そんなアホな。

「masakoは国連安保理の試合は絶対肯定側に入れると思っていた」と
S氏(マレイシア)に言われた(豪亜大会2005)時も思いましたが,
私ってすんごい国粋主義者にでも見えるのでしょうかね。
彼らは日本の友人の多くが逆の印象を持っていることに
(それはそれで極端だと思うんですけど。
好きな国が多いからって外国カブレみたいに言われるとちょっとな)
いつになったら気がつくのかな,と思います。

Tuesday, February 06, 2007

[Book] 国家の罠 Trapped by the State

[本] 佐藤優.2005.『国家の罠』.新潮社.

あーーーー,逃げてるなぁ・・・
実は「ポプラとカエデ」,アップしてある後の部分も書いてある部分が多いのです。
ただ……ちょっとアップするのが辛いんだなぁ・・・

えええにぃうえい,

はい,読みました。国家の罠。

そうねぇ……確かに読む価値はあると思いました。
ただちょっと評価しにくい本ですね。
(評価が低いという意味ではなく評価するのが難しいという意味)

個人的に,ディベート関連の知人をざーーっと思い浮かべた時に,
私は大体6割の人を何らかの形で尊敬を持って見ていると思います。
2.5割の人には尊敬とまではいかなくても好感を持っている。
ところがその・・・1.5割くらいの人はどちらかというと軽蔑している。
いや,まあそう単純なものでは勿論ありませんけれども。

で,1.5割の内の更に下方1割にあたる人で,
佐藤優にそーーーっくりな人がいるんですよ。
見た目だけじゃなくて。

ただね,その苦手だな,と思うコアな部分の一つ,

彼が,結局のところ自分の影響力なり能力なり人脈なりに自己陶酔したのか,
それとも国益だかなんだかを追求する上であまりにも頑張りすぎたために
意図せず影響力を持ってしまったのか。

これは本当に紙一重の違いで,
他人はおろか本人にだって区別つくものなのかわからないですよね。

自己陶酔するのは人情だし,より頑張ったヤツがより影響力を持つのも世の常。
どっちかだけってことはあまりないでしょうね。
ただ,自己陶酔の方が強く出ると,人はウソをつくと思うんです。
本人にウソだと明確に意識できる精神的な強さがないと醜悪の極みになると思います。
意図せずの方が強く出ると,普通は事前に自分の特異性を解消しようとすると思います。
ただ,情報の世界は特別だと言われると,まあそういうこともあるだろうな,と。
若しくはそっちの面にはとっても不器用な人なのかもしれない。(こっちかな)

27年後のことを書いてあることや,2000年がいかに鍵だったのかという話から,
おそらく私は佐藤さんが後者なのだろうと想像します。
そうだとすると,確かに同情するかも。
確かに「悪かった,悪かった,運が悪かった」(やりきれないなぁ)。
ホント男の嫉妬って怖いわぁ。出る杭を打つ心理ってホント醜い。建設的でもない。
ただ,裁判でどっちになるべきかはちょっと別かなぁ……

うん,でもそうね,私が買ったこの本の印税が彼に入ることに罪悪感は感じない。
情報が公開される頃が楽しみですね。

Monday, February 05, 2007

[Book] 教育ディベートの審査 Judging Academic Debate

[Book] Ulrich, Walter. 1986. Judging Academic Debate. National Textbook Company.

久々に読みました。
前読んだ時より楽しめました。
とってもわかりやすい。

例の『現代ディベート通論』でよく引き合いに出されている本で,
2章がJudging Paradigmsについてです。楽しい。
この本ではAdvocacy ParadigmとJudicial Paradigmが同一視されています。
わからないでもないですね。

私は1章のジャッジの倫理についての部分も結構好きです。
こういうのを臆面もなく書ける人好きなの(笑)

でもまあやっぱり80年代に書かれた本だということ,
Policyの方だけの世界観で書かれているところなど,
この本の限界は明白。古典として読む感じですか。

でもちょっと会ってみたいディベートコーチには入ります。
幾つくらいの人なのかしら。

Sunday, February 04, 2007

やっぱり変 Still can't get...

1.「生」チョコレート

雪見だいふく,生チョコレート味というのがあることに衝撃。
思わず購入…して忘れていたのを今日食べてみる。
……どこら辺が「生」チョコレートなのか定かではないが,
確かにチョコレート味ではある。しかし何故「生」・・・・・・?

2.北方領土本

詳しくあげるのは今度にしようと思いますが,
例の『北方領土「特命交渉」』という本……
あまりおススメしません。
なんか話があっちゃこっちゃ散っててまとまりがない。
同じ情報が複数回出てくるし。
一番問題なのは,最も重要な部分がどれも,
小渕総理か橋本総理からの「特命」で知ってる人が極めて少ない,とあること。
だからウソだとは言いませんが,死人に口なしだもんなぁ。
間違ってても反論するべき人が故人だ,というのはちょっといただけません。

全体的に佐藤優と鈴木宗男では文章力が違うと思いました。
手嶋龍一と佐藤優の本はわりと読めましたしね。
なので「国家の罠」と「自壊する帝国」に期待。
でも「北方領土特命交渉」を読んだ感じだと,
佐藤優は有能(手を汚すことを厭わないかという意味も含めて)なのかもしれないけど,
組む相手を間違えたのだ,という手嶋龍一の見立てが正しそうだなぁと思いました。

3.Adjudication Theories

さて,前回書いたマニアックの極みなAdjudicationについての書き込みですが,
実際読んで意味の分かる人が何人いるんでしょう。
ポリシーとパーラの両方を経験している人自体の数が少ない上に,
ポリシーのパラダイムの勉強をしっかりしていて,且つパーラの国際大会の経験がある人・・・
そんなの5本の指に入るほどしかいないでしょう。
ま,あれはただの備忘録,ってことですね。

で,備忘録ついでですが,
パーラはベスト・ポリシーの亜流(各サイド1システムしか提出できない),
という解釈には以下の問題が発覚。

(1)パーラではAffirmativeがSQ支持もありなので,AffirmativeのPlanが良いか悪いかではなく,
AffirmativeのPlanがSQかどうかや,SQがAffのオプションかNegのオプションか,といった議論にズレてしまう危険がかなり残る。(これは多分そのままな現状で実際壊れた試合が横行している)

(2)「各サイド1システム」論にはSpike PlanやUniqueness Generating Counterplanが想定されていない。あれはどう数えるのか?COに入ってからのUQness generating counterplanはダメだししないジャッジもいるではないか?

(3)通常Policy Making Paradigmに近い立場を取るパーラでは,ベストポリシーでも構わないが,論題によって突然Stock Issue型にずれてしまうのはどう整合性をつけるのか。

パーラにはパーラのジャッジングの良さがあるとは思うのですが,
いかんせん皆が自覚的にパラダイム選択をしていないので,
Judging Policyの矛盾についてあまり議論されていないのが問題だと思います。
もう少しポリシーからも素直に学べば良いのに,というのが率直なところ。

ことこの問題については日本はトップランナーな筈です。
アメリカを除けば世界中どこを見渡しても,ポリシーとパーラが共存している国がないので。
日本にはこういう理論的な部分も継承している学生がまだ連綿といる。
それにアメリカと違って国際大会に継続的に出てくる人間もいる。
単に前者と後者が一致していないだけで。
これはメチャメチャ勿体無いと思いますね。
前者と後者の知識が融合したら世界初の解釈が出来上がる筈なのに。

日本の選手は国際大会で負けて帰ってくると負け犬根性がつくのが一番勿体無い。
文化的な差異についても,言語上の挑戦にしても,何よりディベート理論にしても,
日本はトップランナーな筈なのに。
オーストラリアの学部生が日本の大学講師にレクチャーできると思っている,
あちらの自信過剰ぶりも問題ですが,逆に教えてやろうと思わない日本側にも問題を感じます。

Friday, February 02, 2007

もいっこわかったぁ!! I Got Another!!

Parliamentary DebateのAdjudicationが,
一体Plan FocusなのかResolution FocusなのかはたまたBest Policyなのか・・・
これは長年私が釈然としなかった問題です。

だってさ,Briefingで「Opposition/Negativeはmotionを否定するのが最終目標ですか,それともGovernment/Affirmativeのケースを否定することですか?」っていう質問がアメリカ人とかから出ると・・・・・・

「BOTH」

って答えやがんの!!!!

なんだそりゃ。どういうこった。最終ゴールが二つあんのか。

それはつまりカンプラは複数出していいのか?
ノントピカルでもいいのか?
OOがノントピカルなカンプラ出してCOがトピカルなカンプラ出したりしたらどうなんだ?
それともレゾフォーカスの傾向がより強く出てカンプラはノントピカルでなければならず,
しかしカウンターワラントは出しても良いのか??

一体何やねーーーーーーん!!!???!!

・・・と思ってたわけです。

この程すっきり致しました。

あれは基本的にはベスト・ポリシーだと思います。
但し,プランもカンプラも両「サイド(チームではない)」それぞれ一つしか出してはいけない。
(そんなの『ベスト』ポリシーと呼べるのか?さあ・・・・・・別の名前が必要かも?)

言いようによってはプランフォーカスの亜流?
プランフォーカスなんだけど,カンプラはノントピカルエリアからしか出せないの。
(そんなのプランフォーカスと呼べるのか?さあ・・・・・・別の名前が必要かも?)

でもまあとにかく,両「サイド」とも,肯定側ならトピカルエリア,否定側ならノントピカルエリアから,一つ支持するプランを選択する権利を持っている,ということではないでしょうかね。そう考えると確かにフェアかもしんない。

・・・けどちょっと気になるのは,
「BPではポジティブ・マターは出さなくても良い」という別のインストラクション。

あれは何?

用語がわかりにくいですが,海外のParliamentary Debaterの言う「ポジティブ・マター」というのはカウンタープランのことではなく,DAのことなんです。なので,これはADを潰しさえすればDAがなくても良い,ということになります。つまりプリザンプションはNegative。ゼローゼロならNeg。

まあ,そこまでは良いでしょう。
しかしです。
もし本当にOppositionがAD Attackにだけ特化したスピーチをベンチを通して行ったらどうなるのか?
自動的にSQ支持だと見做すのか?(多分こっち)
それともOppositionが支持するProposalは存在しないのか??
それでベスト・ポリシーと言えるのか????(いや,それは無理でしょう)

逆にOppositionがCounterproposal(SQ含む)が出した場合,
DAを出さずにどうやってAffirmative CaseとCounterproposalを比べるのか?
ADの大きさ?

しかしBPではMutually ExclusiveではないCounterproposalに,
Both Adoption is Inferiorの証明すらさせずにVoteしてしまうJudgeがいるぞ?
あれは何なのだ???
ていうかBoth Adoption Inferiorの説明をするためにDAが必要ではないか???

全く,もう少し考えてブリーフィングしろよ,と苛々する私です。

わかったぁ!! I Got It!!

一年半前のJDAの決勝の審査後,Y先生に
「Alternative Justificationに対抗してCounter Warrantを出すのは間違い」
と言われたのをずううううーーーーーーーーーっと考えていたのですが,
(ウソ,たまに思い出したように考えていただけ)
漸く解りました!!!!!

Alternative Justificationが必ずしもResolution Focusの立場を取らないからだ!
(これ自体がResolution Focusの立場を普段からとる私には目から鱗賞)

Plan Focusの立場を取る人にしてみれば,
Alternative Justificationで,かつPlan Focusなディベートが可能な以上,
Affirmativeが,A,B,CのPlanから出るAdvantagesを出していたら,
NegativeもA,B,CのPlanから出るDisadvantagesを出さないといけないかもしれないんだ。
この立場を取る人はAffirmativeのSetting権を凄く重く考えているんですね。
大プロポ時代を知らない私にはなかなかない発想ですが。

NegativeがどうしてもCounter Warrantを出したければ,
例えばB, D, EのDisadvantageを出すことが,
A, B, CのPlanを否定することにつながるという説明をするか,
そもそもResolution FocusにShiftしてくれるよう議論を出すかしないといけない。
前者は難しそうだし,後者は普通にAlternative Justification関係なしに
Counter Warrant出すのと変わらないですね。

なるほどねーーーーー。

でも,もともとがResolution Focusな私には,
Judgeしている限りは関係ないことですけれどね(笑)
Counter Warrant出してくれて構わないです。

Debaterだったらそっかー,覚えておかないとね。
当たったジャッジがPlan Focusかもしれないですもんね!

けどそこまでAffirmativeのSetting権を重視する
(好きな一つを選んで良い,というレベルじゃなくて,
好きなものだけ好きなだけ選んで良い,というレベル)
その正当性は何なんですかね?

私にはAffirmativeにそこまでの権利を認める理由がわかりません。
この立場の人はNegativeが複数Counterproposalを出すのも認めるからってこと?

けどCounterproposalは一個までしか許さないJudgeも結構いると思うのですが・・・
その場合はAlternative Justificationが出された時点でResolution Focusに移行してるってこと?
それならCounter Warrant出して構わない?

うーん……JudgeのPhilosophyをチェックするのって大切ですね。
しかしParliamentary Debateの場合Philosophyが事前配布されないからなー。

まあでもおかげで今日はスッキリー!!幸せ度8%はこれで上がりました。

【Book】現代ディベート通論 Contemporal Debate Theories


【本】伊豆田達志ほか.2005.『現代ディベート通論 復刻版』.東京:ディベートフォーラム出版会.(初版1985)

最近復刻版が出た、伝説のディベート教科書。
復活のニュースにマニアが沸いた一品。

これ一冊で大抵のことは網羅できてしまう優れもの。
しかし初心者や、実際の試合を見たことのない人には不向き。
おそらく何が何だかわからない。

ディベートに関しては大体わかった、と思った時に一度は必ず手にとって欲しいかな。

[ここから追記: 2007年2月2日]

春セミナーでAdjudicationの講座の担当を希望したので,久々に現代ディベート通論を開けています。パーラのAdjudicationの解説でも,一応こちらと比較対応できるようにしておきたいです。で,パラダイム,パースペクティブ,フォーカス,フィアットあたりはもう一度お浚いします。その後のセオリーの扱いはここまでが解ればどうとでもなる筈・・・と思っているのですが,ここまでの解説だけでもレジュメが厚くなる(当たり前か)。うーん・・・どうするべきか・・・理論編はかっ飛ばして実技編だけにするべき?

疑問1.決論命題の被正当化性について

p.30「これは価値命題と事実命題の混同から来ている。事実命題では,例えば"X is A"と"X is B"とは同時に成り立たず(但し,A =/B),"X is B"とも言えそうならば,"X is A"とはならないと言える。」

とあるのですが,これおかしくないですかね。
例えば,「Xさんは女だ」と「Xさんは学生だ」は両立すると思います。
私はホント論題を事実だ価値だ政策だと分ける意味を感じません。

【Book】 Izuta Tatsushi et al.2005.Gendai dibeito tsuron fukkokuban. Contemporal theories of debating (republished editon).Tokyo: Debate Forum Press.(first published in 1985)

The legendary debate textbook reprinted recently.
A lot of debate manias went crazy when they became to know the revival of this historical work.

This single book covers almost everything about debating.
However, it is probably not for beginners.
It is a bit technical and too difficult and boaring for them.

This is something we need to read whenever we felt that we have leaned about debate enough.

Thursday, February 01, 2007

ダゲスタン Дагеста́н Dagestan

ちょっと一休み。

佐藤優氏,二審も有罪判決出ましたねー。上告するって話ですから次は最高裁?ということでしょうか。うーん・・・結果が出るのはいつ頃なんでしょうね。今47歳とかですっけ?うーん・・・結果が出て万が一外務省に凱旋とかいうことになったら(まずないでしょうけど)その頃何歳なんでしょう。

先日も書いたとおり佐藤さんの本はちょっと手に取るのを躊躇っていた私ですが,今更ながら読んでみようという気になったわけなんです。ええ,古本屋に並ぼうかという頃に漸くです。まあとにかく,私が特に気になっているチェチェン関係の部分をキチンと理解するためにもダゲスタン,チェチェン,ひいてはロシア全般についてもせめてもう少し予備知識が欲しいところです。先ほどチラッと田中宇さんの記事を読んだら,こちらは佐藤さんの見方と微妙に違っていました。うーん・・・今の私ではどちらに信憑性があるのかぜーんぜんわかりません。勿論本当にどちらが正しいのかはどうせ私には解らないのでしょうが,一応できる限りの事はしたい,と。

そこで,ダゲスタン(Дагеста́н)関連の本を探すぞ!と思ったら全然見つからない。アーニャ(先日亡くなったポリトコフツカヤさん)のチェチェンの本とかがトップに来る感じです。別にアーニャのでも良いんですが,もう少し距離を置いて見ている人のが読みたいな・・・(そんな人いないのかな・・・)。英語のものだとダゲスタンに焦点を合わせたものもあるみたいんですけど,政治経済系というより文化・宗教・芸術系の本が多いみたい。うーん・・・そこじゃないんだよな・・・勿論深く理解するためには必要なんでしょうが・・・

というわけで,おススメの本があったら是非教えてください!
日本語か英語のものでお願いします。

こういう時にロシア語で読めない,というのは本当に痛いですね。
米原万里さんのエッセイとか読んでても,ロシア語って面白そうだな,と思います。
なんか視点がユニークな感じがするというか。
ただ勉強する時間がない・・・・・・というか英語で手一杯。
いや,言い訳ですね。勉強してみようかな。
(先日イタリア語とかスペ語もやりたいとか言ってなかったかって?ホホホ。
でも,アラビア語とロシア語は常にリストのトップです。世界を広げてくれそうな気がする)

しかしロシアについて勉強したいのにロシア語が読めないって本当ダメダメだと思います。
これがまだハングルや中国語なら頑張って少しは読むんですけど・・・
(文法や語彙に類似点が多いって凄いことですね・・・)
あとギリシャ語やラテン語,ドイツ語フランス語あたりも,
英語と似ているところが結構あって,時間的に無理(つまり辞書首っ引き)すれば多少。
しかしロシア語はまだ全然だめ。どうにかならんものか。とりあえず辞書を買えって感じ?

でもまあ,言葉ができるようになるまで待ってたらキリがないし。
訳本でも全く読まないよりはマシなはずですかね。
原語のソースにあたれない分,せめて複数のソースをあたることで頑張りたいと思います。

ちなみに佐藤氏の本で微妙に苛々するのはちょっと女性蔑視系の意図を感じるところ。この人の女性政治家のこき下ろし方が嫌。それから下ネタも許せるものと許せないものとあって,この人のはちょっと線を越えている。こういってはなんですけれどマレイシアの某大学みたいな発想の汚さを感じます。ところどころの情報は面白いけど,やっぱり著者は好きにはなれそうにないです。対朝鮮外交は全て拉致問題に通ずとか対露外交は全て北方領土に通ずみたいな意見も同意できないし。戦略的な交渉が必要だとか,外交は結局人だとかいう話はわかるんですが,目的の設定が近視眼的な感じがします。

Sato Masaru was sentensed guilty again yesterday and he announced thathe was going to appeal to the third court i.e. Supreme court.

I had been hesitating to read his books for long because he was theauthor of the book on Okawa Shumei and also because of his nickname,"MOFA's Rasputin". I eventually read one of his book recently and itwas very interesting. So, I'm going to read other works of him.

But in order to evaluate the information he provides there, I shouldknow a little more on Dagestan, Chechnya and Russia in general. I reallywish if I could read Russian more but my language ability in Russian isextremely limitted.

So, will appreciate if you recommend good books on Дагестан(Dagestan) either in Japanese or English.

Ah, it's so depressing that I cannot read in Russian when I want to learn about Russia. I can try reading in Hangul to learn about Hangul (or Chinese to learn about China) but can't do the same for Russian... It's such a shame... Oh, well, it should be better than not learning at all. Hope to try reading multiple sources to compensate even a little!!

Wednesday, January 31, 2007

そうじゃなくて that's not the point

モナッシュの掲示板の北朝鮮スレが変だぞ,とTに書いたところ,
私のメールの一部がその掲示板にコピペされました。

その掲示板では,「韓国人は太陽政策を支持」みたいな,あまりに単純で極端な外国人特派員による記事ばかりが紹介されていました。それで,韓国は世代によって大きく政治的主張が分かれているようだからそう単純には言えないのではないか,という趣旨のことを書いたのです。三八六世代に関する非常にベーシックな説明の記事も紹介しておいたのですが,その部分が丁度転載されました。(しかしTの注釈には「ハード・コアでマニアなヤツはこちらも読むべし」と書かれていました。・・・・・・そんなにマニアックだとは思えない内容だったのですが・・・)

・・・・・・しかし,私が「この記事は世界日報のものでちょっとコンサバ・アメリカ礼賛の傾向があるメディアだから気をつけてね」と書いたら,Tにより「日本の保守系メディアの翻訳だから気をつけろ」という注釈に変えられていました・・・・・・

いや,そうじゃなくて。

世界日報は統一教会系のメディアです。
統一教会の発祥の地は朝鮮半島です。
それでもって比較的アメリカ礼賛・反共産系のバイアスが目立つメディアだという印象を受けます。

つまり,三八六世代についての記事であるにもかかわらず,丁度その世代と対立するグループを代弁する記事になっている怖れがある,ということが言いたかったのです。朝鮮戦争でアメリカ軍と共に北朝鮮と戦った世代と,主体思想に影響を受けて反米親北的な三八六世代では,政治的意見が大きく異なるのは当然だろう,と。同じように主体思想系の人たちと統一教会系の人たちでは視点が対立することも多いはず。だから,三八六世代に批判的な部分は少し割り引いて読んで欲しい,というのが私の「気をつけてね」だったのです。 (実際の記事の内容は私には割りとバランスが取れているように思えましたけれども)

なのにあれではまるで私が産経新聞か読売新聞の記事を送りつけたみたいじゃないですか・・・・・・
まあ,詳細に説明しなかった私が悪いと言えば悪いのかもしれませんが・・・・・・

うーん・・・・・・このままだとモナッシュキッズは,やっぱ日本の保守系新聞は朝鮮のこと悪し様に言ってるんだぁ,とか思うのでしょうか・・・・・・。しかも意図した注意は伝わっていないことになるし・・・・・・どうしたものか・・・・・・

ことほどさように,基礎知識のない人とニュースの話をするのは簡単ではありません。例えばこの誤解を解くためには私は今度は統一教会とはなんぞやを説明しなければならないわけです。あたし宗教音痴なのにぃぃぃ!!ていうか日本の友達は説明しなくても大体意味するところは解ってくれるのにぃ。

日本の選手が海外でちょっとオフだと思われるのも,理由があることだと思います。逆の立場だったら英語圏の彼らだってよほどオフです。なんでそこんとこがこんなに伝わらないのでしょう・・・・・・

Tには面倒だからお前直接書けよ,と言われたのですが,うーん・・・・・・迷います。どうしよっかなぁああ。

ちなみにもう一つTに書いたのは,「現代グループが開城工業団地や金剛山に投資して儲かってるから韓国人は嬉しい。儲かってる限り韓国人は気にしない」みたいな記事を紹介しているけど,その記事変じゃない??というもの。

だって現代グループは南北首脳会談(2000年)で5億ドル渡すのの仲介してたって刑事事件にもなったでしょう?その時に代表が自殺してるしさ,そもそも現代の創始者は北側出身だしさ,最近じゃ凍結されてるマカオの口座に現代が大量の対北支援資金を持っていたとか騒がれちゃってさ,一般の韓国市民と現代グループの間には大きな開きがあると思うんだけど・・・ていうか「儲かってる限り気にしない」って言い方は韓国人に失礼じゃないか??複雑な背景を全部かっ飛ばしてそんな言い方しちゃいけないんじゃないかと・・・・・・

うーん……私にはどうしても頓珍漢な記事を一生懸命読んでいるように見えるんだよなぁ…モナッシュキッズ……。大丈夫かなぁ……。

Tuesday, January 30, 2007

[Book] インテリジェンス 武器なき戦争 Intelligence, the war without weapon

[本] 手嶋龍一・佐藤優.2006.『インテリジェンス 武器なき戦争』.

最近読んだ本のアップを怠っていて,どこから書くべきかわかりません。
ブルデューの『話すとは』について書こうかな,とも思ったのですが,
ちょっとそこまで体力がないので,一応ここら辺も挙げておこうかな・・・。

読んでへえー,と思ったのはおそらくこの手の本を手に取ったものとしてはかなり邪道な部分。そう,私は佐藤優氏にあまり良いイメージがなかったので彼の著作を読んだことがぜーんぜんなかったのです。ほら,ラスプーチンっていう渾名だけでもちょっとアレだし,SAPIOに記事が載ってるのも目立つし,更には例の大川周明の本書いた人だっていうんでかなり拒否反応があったんですよね・・・。手嶋龍一さんのは結構色々読んだんですけど。

なのでロシアとの関係が最近冷え込んでいる理由が,日本政府のチェチェン問題への対応が遠因だという意見は初耳でした。へええええええええ,と思いました。でも確かに考えてみると色々符号が合うような気も。

チェチェンは国際テロリストのせいで不安定なのだ,とプーチンが言った時,私はそれを通訳学校のブースでBBCやCNNを見せられて知りました。で,明らかにプーチンが9・11の尻馬に乗っているっていう印象を受けました。誰が信じるんだよー,圧政やめろよロシアー,って。キャスターのWar on Terrorismが圧制を正当化することに悪用されているって話に最もだと思いました。

ところが佐藤氏曰く,チェチェンは本当にアルカイダとつながっていて,あの件に関してはロシア側が正しい,と。イスラエルもそう言っているから裏も取れている,と。それを日本は知っていたのにG8で確信犯的に欧米側に回ってチェチェンは人権問題だとロシアを責めたのだと。

・・・・・・そうなの!??

ゴメン,プーチン。
欧米のメディアは偏っていて云々と眉間に皺をいっつも寄せている癖に酷いやつです,私ってば。

いや,だからと言ってジャーナリストだの亡命者だのを殺して良いということにはなりませんが,そうした
事件についても私は主に欧米のメディアを通して理解しているわけなので・・・・・・

やーーー。本当に情報って怖いですね。
情報が偏っていたら精神の自由なんて絵に描いた餅ですもんねーーー。
恐ろしい。知らないうちにどんどん私のオツムは固定観念に支配されている・・・

とりあえず,ロシアについてもう少し時間を見つけて読んでみようと思いました。あと,食わず嫌いならぬ読まず嫌いを改めて,佐藤優氏の本も一応読んでみようと思いました。

頑張るぞ!!

Sunday, January 21, 2007

罪滅ぼし expiation

「ポプラとカエデ」からちょっと現在に戻りますと,
今週末は前線の動きが激しいです。
もう勘弁して欲しい。 give me a break...

より攻勢を強めている世界大会の元女性担当官に腹が立つ一方,
(ふざけんな,ばかやろおお。てめえのはかあなでもほってやがれええ)
罪滅ぼしをしようとしてくれている別の一派。
しかし正直言って今更罪滅ぼしを申し出られても時既に遅し。
しかも提案がイマイチ。
そしてダメだししたら即撤回。
ダメだしメールの自分の冷たさにちょっとゾッとする私。
しかし先方はめげずに代案を考えた,と言うのですが・・・・・・
正直あんまり期待できなさそうな気がしてきました。

私の方はすっかりポスト・トーナメント・デプレッションに逆戻り。
拗ね拗ねな今晩です。
なんであたしがこんなメール書かなあかんの。

ま,いーや。明日は楽しもうっと。

ポプラとカエデ (第四夜: 郷に入らせる)

さて,始まりましたIDC。
しかし……面子のバラつき具合が凄いです。
うーん…大丈夫かな……

通常だとレベル別のクラス分けがなされ,一クラス12人までの少人数制なIDC。今回は老いも若きも入り混じった30人でお届けしております…。うーん…頑張ってくれ,一年生。同時に,ここで彼らのためと言って手を抜くのも彼らのためにならないと思います。本番に比べればこのIDCすら生ぬるい筈。厳しさを早く知る事は大切です。

レクチャーの内容はWTOについて…だったかな?最近経済関係にハマっているTは以前とは随分違った話題を話したがります。私自身は正直経済問題をクッキーカッターにはめて話すと冷たい印象を受けるのであまり好きではありません。まあでも仕方ないか。学んで損になるものじゃ決してないし,これはこれで良いのかもしれない。

昼休み。駅の近くのラーメンが食べたいということで向かいましたが閉店日でした。そこで隣の中華に。面子はT,A君,ヒメ,H君そして私。A君の恋愛傾向についてああじゃこうじゃと言っている内に食べ終わり,ふと目にしたテレビに映るニホンザルの可愛さにキューンと心を鷲掴みされる私。可愛いいいいいい。それを変だと言うT。猿はいつも小難しそうな機嫌悪そうな顔していると言うのですが,……こう言っちゃ何ですがT自身もよく小難しそうな眉間に皺のよった顔をしてると思うんですけど。ヒト(じゃないけど)のこと言えんのかってね。

夕方。今日はTを秘密会合に連れて行く日です。早めにレクチャーをきりあげて新宿経由で四谷へ。新宿で夕飯を大急ぎでとることになりました。Tは私がPの偏食ぶりに手を焼いた経緯を聞いてから日本食にダメ出ししません。食べられないものを「美味しい」と言う必要はないと何度も言っているのですが,日本食にポジティブな姿勢を見せようと頑張りすぎるので心配です。そこでこの日の夕飯は新宿南口のアメリカン・レストランへ行くと決めていました。日本食で良いと言い張るTに「オリセンではあなたの口が慣れてないものしか食べられないんだから今日ぐらいはあなたの普段食べているものにしておこう」と言うとあっさり同意。やっぱバーガー食べたいんじゃん。オーストラリアで出て来るのに多少は似ているバーガーが置いてあるので予定通りの店にしときましょう。店員さんに「急いでいる」と何度も言って注文。凄い早く出てきました。ありがとうおにいさん!!!それでも遅刻しそうなので電話で謝ると,タクシー乗ってでも早く来いと言われてしまいました。そこで駅前からタクシー。しかし運転手のおじさんが迷子に。やれやれ。雨の中走る羽目になりました。

日本語で二試合見る羽目になったTは途中からお疲れモード。懸命に顔に出すまいとしていましたが,アフターに移る前に遂にギブアップ。今回はアフターを失礼してオリセンに帰ることに。ま,たまには良いさ。解らない日本語で時間を過ごす辛さを知れば,解らない英語を必死に聞いているIDCの生徒の気持ちも少しは想像がつくようになろうというものです。なに,鬼?えーえ,そうです。私は鬼のようなホステスですのよ。ほほほ。

帰りのタクシーの中,日本人の話し方マナーの話に。Tが好きだった話し方と日本で一般ウケする話し方が食い違っていることがやはり判明。まあ予想通りです。「私のマナーは英語の時と違った?」と訊いてみると,「masakoのマナーの特徴はユーモアだからなぁ・・・。意味がわからないと違いもわからない」と言われました。しかも「それ以外の声音やジェスチャーは大して変わらなかった」とのこと。なーんだ,つまんないな。私自身はかなり違うと思ってるんですけどね。話の密度が違うのが一番大きいと思いますがそちらは言葉が解らなければわかりようもないので仕方ないですかね。「試合以外の時間は普段よりずっとリラックスしてゆったり楽しんでいるように見えた」と後で付け加えられました。ただそれは言葉のせいじゃなくて,子供たちの面倒を見なきゃ,というプレッシャーから解放されているせい,と解釈されたようでした。まあそりゃあ先輩たちに甘えている時は18歳の子達相手にしている時とは違う顔をしているかもしれませんが……言葉のせいもあると思うんだけどな。

この日は帰ってすぐ双方自室へ直帰しました。夕方のイベントに連れて行くのは効果あったのかな…なかったのかな…わからないけど,言葉の壁を理解する助けにちょっとでもなったのなら良いな,と思いながら眠りに落ちました。

♪ヒートウェイブ『さらば子守の唄よ』

ポプラとカエデ (第三夜: 駿馬)

日曜,朝。寝坊しました。そしてちょっと喉が痛いみたい。…うーん…マズイなぁ。
仕方なく急いでトランクを開けて薬を飲みます。おかげで遅刻です。えーん…ごめんなさいい。

タクチケで乗るのは私には珍しい経験です。なんだか偉い人みたいじゃなーい?(笑)しかし同乗している他の先生方も年の瀬に無理して参加しているので体調は万全ではないようです。うーん・・・頑張って気力で乗り切りましょう・・・

この日見た試合はどれも素晴らしいものでした。高校生でここまでできるなんて本当に素晴らしい。本当に私の高校生時代とは雲泥の差です。だからこそ将来が楽しみです。優勝したチームも本当に素晴らしいチームでした。

課題は…やっぱり技術面だと思います。試合慣れしていないので,技術はまだまだですね。宝石の原石を見てる感じです。磨けば素晴らしいだろうという確信はあるのだけど,ってとこでしょうか。コントラを回避したり,アーギュメントの無駄打ちを控えたり,選手として活躍するためにはまだまだ色々学んでもらいたいところはあります。あとは即興性の高いチームはまだ少ないということ。即興性の高い国際大会で活躍してもらうためにはまだまだ必要な訓練は多そうです。でもちゃんと時間と手間さえかけてくれればかなりの確率で国際的にも戦える選手になると思いました。ていうか大学の学部生の大半より今日の決勝のチームの方が強いです。危機感を覚えるくらいです。良いことだと思います。頑張れ若人!!

閉会式では,岐阜県知事のお話が心を打ちました。外務省にいらした頃の経験談に涙さえ出ました。具体的にはAPECでの交渉の話と中東の油田国家との交渉の話などがありました。国際大会での悔しかった評議会,涙が出るほど嬉しかった議案通過など,沢山の思い出がフラッシュバックしてしまいました。言論弱者としての日本(個人でも集団でも国家でも)の悔しさというのは一代や二代で積まれたものじゃないなということを改めて思いました。その悔しさをどうやってプラスに働かせていくか,不利な縮小していくか……いつかもう一度知事にお話を伺いたいと心から思いました。機会があると良いのですが。

閉会式の後,少し他の先生方とお話をして,さて帰るぞ,と。今日の夕方Tが成田に降り立ちます。出迎えも,オリセンのチェックインもA君・S君・ヒメに頼んでありますが,まあ早く帰った方が良いでしょう。新幹線もY先生とご一緒できるとわかって一安心でした。大きなトランクを引きずってトロい私に辛抱強くつきあっていただいたY先生に感謝です。渋谷でオリセンまで乗るバスまで教えていただきました。道中言論への夢を持ち続けているY先生の言葉を聞いて心が癒されました。こういう方がいるから頑張ろうって思えます。

オリセンに着いてA君とヒメに連絡を取ると,D棟の下まで迎えに来てくれました。優しいなぁ。それで部屋に無事チェックイン。出迎え班のS君に連絡を取ると,Tと無事会えたとのことで安心しました。さて,部屋で独りになってせめてTが来るまでの1時間眠りたいと思った私。しかし疲労がかえって眠りを妨げそうな感じ。しかたない,アルコールを注入するか,と思って階下の売店へ向かおうと思ったら…財布がない!!!だあああああ,何処だ???と一通り探してみるがなく…バス停までの行程を全部探すがなく,仕方なくバス会社に電話し,オリセンの管理局で紛失届けを出し,警察に電話し,銀行に電話し…大騒ぎでした。

そうしている内にT到着。しかし私の方は財布が気がかりで気もそぞろ。まあとにかく夕飯食べに行こう,ということになりました。駅前の韓国料理にA君,ヒメ,Tに私の4人で出向き,何だか不思議な組み合わせで料理を頼みました。ビールでひとまず乾杯。色々話しながら,私の心に「バンクーバーに行きたくない」という叫びが再び持ち上がります。そう,嫌な予感はこの時…というかそれよりずっと前からありました。正直今回Tが来ると言ってくれた真意を私は掴みかねていました。いつもと違う感触がありました。

食べ終わると,丁度KDSの打ち上げを終えた面子がこちらに向かうとのこと。その後飲むためのビールだのチュウハイだのを買ってから駅で彼らを待つことになりました。着いてみると何だか予定と違った面子もいた上,結構皆酔っている…。酔った女の子の集団を車に乗せてデレデレしとるのは予想を外さずS君です。

結局S君を除く酔っ払い集団全員でオリセンへ。何処で飲み直すか一瞬迷いました。TはD棟でプライベートに飲みたかったようでした。おそらく疲れていたのだと思います。私はB棟で他の若い子も含めて飲みたいと思いました。IDCで大切なのは,若い子にコーチと仲良くなってもらうことです。いつか私がいなくなっても,「こいつの為に来よう」と思わせる人が育ってくれなければいけません。その為には若い人にチャンスがあればあるほど良い。

というわけでB棟へ。成人男性10名を収容するものとしては最低限の広さ。うーん・・・ごめんよ。

さて,この飲み会は奇妙でした。まず飲んでるのがTと私しかいない(笑)そういうのを普通は飲みとは言わない。人数はどのくらいだったかな,10人ですか。A君,ヒメ,Eちゃんと私が以前からTを知ってる面子。残りのHちゃん,Yちゃん,Tちゃん,Jちゃん,T君あたりは初対面。微妙な空気を打ち破るべく,うちの「ワイルド」な一年生の一人YちゃんがTに「自己紹介をしろ」と迫っていてかなりウケました。日頃ディベート界では自己紹介する必要がなくなって長いTは何を言って良いのか微妙な反応でした。そこでYちゃん普段の問題発言ぶりを全開にして私をかなり慌てさせました。しかし英語力の問題もあるのであまりキツク言っても意味ないしな…

なんでそういう話になったのか覚えていませんが,国際大会の環境は日本チームにとって良くなってきている,というTの発言に私が異議を唱え,突如超真面目&暗い方向に話が転換。歴史は進歩するという立場のTに社会は時に後退もするという立場の私がクラッシュ。更には草の根的な努力が必要だと言うTに対して15年も草の根的に頑張ってきた我々に今必要なのは構造的な変化だという私がクラッシュ。言い合うも平行線に。最後には私が涙まで流してTにそろそろ帰ろうと言われてしまいました。D棟への帰り道で,若い奴には夢を見させてやるべきだ,と私に諭すT。私はそれは嘘だと思いました。幻想を抱かせるのは不誠実だ。2週間後に彼らが舐める苦汁を知っていて隠しておくなんて私は間違ってると思う。それだけ言うならお前が彼らの夢を絶対守れよ,というのが私の言い分でした。この二人の違いは世界大会本番で大きな溝となって現れることになります。

星の綺麗な夜でした。苦い苦い予感を胸に,少し散歩がしたいと思った私。けれど歩き回る元気もなくベッドに倒れこみました。IDC6最初の晩でした。

♪Black Eyed Peas 『where is love』

Thursday, January 18, 2007

ポプラとカエデ (第二夜: 朝陽の中で微笑んで)

名古屋に着きました。本当は岐阜行きのバスが良かったのですがなかったので名古屋行きに乗ったのです。バスから出ると澄んだ朝の空気と陽の光が迎えます。ああコンタクトが乾いて目が痛い。カラカラとトランクをひっぱり岐阜行きの電車をみつけます。各停の岐阜行き。どんだけかかるのか知れませんけれど時間はたっぷりあります。11時に来るよう言われたのにまだ朝の6時なんですから。時間かかってくれた方がかえって良いな,なんて思いながら売店で新聞を買い車内へ。懐かしいボックス型のシートに落ち着き,パックのコーヒー牛乳とパンの朝食を取りつつ新聞を開きます。海外欄を開いてもピンと来る記事がなく,漫然と読んでいる内にぼんやりしてしまいました。

岐阜駅到着。なんだか随分大きくて新しい駅ビルです。新聞がイマイチだったのでニューズウィークを購入。着いたら左に出ろと言われたことだけは覚えているものの,左のエスカレータを降りると更に広い場所に出て,しかも両側に出口があります。うーん・・・どっちだろう・・・。なんとなく勘で出口を選びウロウロすると,目当てのバス停発見。やたら混んでいるバスに申し訳なく思いながらトランクと共に乗り込みました。なんとなく聞いたことのあるバス停名におそらくここだろうと勘で下車。しかし……畑の真ん中です。……どこに行けば良いのかしら……仕方ないので近くの人に聞いてみます。大変丁寧に教えていただいて更に民家と畑しか見えない場所を歩きます。トランクをひきずるゴロゴロという音が珍しいのかそこら中の家の犬たちが吠えています。全く朝っぱらから皆様にご迷惑です。ごめんなさい,すぐ失礼しますので……

会場校についてみても部屋がどこかわからない。仕方なくベンチに座ってパソコン起動。部屋番号を確認して移動。あーーーー疲れたなぁ…と思いつつ何とかゴロゴロトランクを引きます。すっぴん・徹夜明けの疲れ顔・タートルネックにジーンズという若い女が巨大なトランクを引きずって入ってくるのをスーツ姿の大会スタッフさん達が不思議そうに見ています。実は来賓とわかりビックリ。ホントすみません,と謝りつつおもむろに廊下でトランクをあける私。化粧室で着替え・メイクして漸く来賓らしい格好に。その後は審査員の控え室で待たせていただきました。スタッフの方がS「先生」と私を呼んで下さるのがこそばゆいやら申し訳ないやらでした。「先生はあなたのほうでしょ」みたいな……

論文の続きを書いたりニューズウィークの記事をチェックしたりしている内にブリーフィングが始まりました。ブリーフィングを担当してらっしゃるのはいつもお世話になっているJDA会長のY先生。事前にちょっと伺っていた通り,なかなか工夫が凝らされた面白いフォーマットです。半分ほどは英語ネイティブのジャッジさんで,ブリーフィングも何もかも英語で進行しています。廊下には高校生達がどんどん集結しています。凄い凄い。

で,ハタと気がつきました。あれ,開会式でやる私のスピーチって日本語?それとも英語?(初歩的,かつ致命的)仕方ないのでお伺いを立てにいくと「どっちかって言うと英語?英語でいってみよう」みたいなお返事を頂き,急遽英語に直すことに。休み時間に大急ぎで訳し,昼食はササッと済まし,残り時間をスピ練して過ごしました。

会場に入る前,係りの方が来賓用の紅白の花を下さいました。なんだか私のような若輩者には過ぎた扱いです。うーん…スピーチ失敗しませんように(汗)会場に入るとなんだかそうそうたる来賓席のご面々。えーーーーー。私あの中入るの?ちょっと場違いすぎるんじゃないの,など心臓に悪い想いをしつつ何とか着席。開会式が始まります。

華々しいビデオが上映されて開会式が始まると,高校生たちは若々しい反応。いやあ,良いですね,この雰囲気。可愛いなぁ。元気だなぁ。…なんて思っていたら私の番が来ました。ぎょへーと口から心臓でそうな気分で演台へ。 ちなみに紹介される時「世界大会の役員」と紹介され「うう・・・世界大会違いだなぁ。私のは大学生のなんだけどなぁ」とちょっと思いましたが,まあそんな細かい事はどうでも良いのでしょう。しかし高校生たちは「うおーー。すげーーー」と感心してくれているようです。あう,プレッシャーが・・・

以下,私のスピーチです。
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First of all, thank you very much for inviting me to your first ever national tournament in English for high school students. And I would like to congratulate every person and institution, Venesse Corporation on the top, who made it possible to select the first Japanese national delegates for the World Schools Debating Championships at this tournament.

I have been attending World Universities Debating Championships for nine years and met many talented debaters from other countries who have rich experiences of attending World Schools Debating Championships. And I felt it was such a shame that Japan has never ever participated in the tournament. It is truly exciting to know that Japan is joining the circle now.

As Joshua told you, international debating championships, especially the world championships will be a very special experience for you. You will see a crowd of delegates from thirty to forty countries whom perhaps you have seen only on TV screens. You will discuss with them, compete with them, eat with them and share free time with them.

And that has at least three meanings, I suppose.

First, you will become insanely curious about the world. If you hear that there is a flood in Bangladesh and Dhaka is under water, you would wonder whether your friends from Bangladesh are doing alright or not. Actually when we heard of the coup in Thailand, dozens of Japanese debaters anxiously waited for e-mails from our Thai friends. Once you get friends all over the world, everything becomes your own affair. Debating cultivates curiosity. Debating is about fighting our own ignorance. And in that sense, I am sure that the world championships will be the best place for you to improve your debating skills.

Secondly, as much as you become curious about your friends’ background, they will become curious about your background, Japan. For example, last month, one of my Australian friend sent me a SMS to tell me that Japanese horse won an international horse race in Melbourne. He told me that at 6:30 in the morning and that was a bit uncool part of this story. But the point is, somebody who had no reason to have that level of interest in Japan becomes to enjoy learning about Japan because of the friendship with you. In this sense, you will be diplomats for Japan.

Thirdly, you will become able to represent yourself at international arena. When you attend international tournaments, you will see that there are many misunderstandings going on. For example, last summer, we found that our Malaysian friends seriously believe that Japanese Constitution says Prime Minister must visit Yasukuni shrine. When you face this kind of misunderstanding, you will feel that you have to solve them. That is how you learn how to represent you and deepen mutual understandings in international settings.

These three merits from international debate tournaments are especially significant when young people like you participate in them. This is a very cheesy expression but you are the future, indeed.

So, I truly hope that you will enjoy this tournament and select the best team among you to represent you at World Schools Debating Championships. Best of luck to you. And have fun!
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すごく静かに聴いていただいたので嬉しかったです。途中引率の先生方で頷いてくださる方もいて励まされました。予定より少し長くなってしまったのでドキドキしましたが,概ね好反応で漸く安心しました。その後も「グッド・スピーチ」と声をかけて下さる方が数人いらしてホッとしました。でも私としては,国際大会の負の部分を隠してスピーチしたような気がしてちょっと罪悪感も残りました。ああ,どうか高校生は差別や偏見に傷つきませんように・・・。スクールズのほうは大学のものよりも温かいと聞くので,それに望みを託します。

その後予選試合を審査しました。高校生の皆さんのディベートを見てちょっと自分の高校生の頃を思い出しましたが,比較になりません。いやー,皆結構上手!!高校生が頑張っている姿に感激していつにも増して丁寧にゆっくりオーラルアジュディケーション…したつもりがコメントが長すぎたようです。うう・・・ごめんなさい。

夕方は立食形式の懇親会でした。どの高校生も皆礼儀正しいしとっても感じ良いです。素敵だなぁ。皆はどんな大人になるのかなぁ。SFCのチームにも会いました。可愛かったぁ。引率の先生もとっても感じの良い方でした。せっかく同じキャンパスにいるので何かコラボレーションがはかれると良いのですが。

夜は先生方と飲みに連れて行っていただきました。入ったことないタイプのお店に入りました。ジントニックをお願いしたらジョッキで出てきて驚きました。お喋りしているうちについカパカパ飲んでしまい,三杯目のジントニックでママさんに「よく飲むわね」と言われてしまいました(汗)ごめんなさい。つい。

その後食べたラーメンが美味しかったです。ああなんでお酒のあとのラーメンって美味しいのかしら。危険です。

流石に夜行に乗って来てそのまま一日フル活動した挙句お酒を入れて二次会ラーメン,と続くとくたびれました。おとなしくシャワーを浴びてすぐ眠りました。

♪Black Eyed Peas『Union』と荒井由実『朝陽のなかで微笑んで』

ポプラとカエデ (第一夜:旅立ち)

12月15日金曜日。金曜はチーム・ミーティングの日。通常15時スタートのところをヒメに頼んで早めてもらいました。色々話しましたが,イランの臓器移植管理の方法が面白いという話はもう少しジェネリックな論題のケースとしてもかなり良質なのじゃないかとか,ケベック独立はおそらくでないだろうという話に落ち着きました。他にもホテルのチェックインのことなど細々としたことも確認しました。

ミーティングを早めに終えて私は部屋で大急ぎのパッキング。今晩は夜行バスで岐阜へ参ります。翌日から高校生の全国大会があるのですね。その後すぐオリンピックセンターに缶詰になるので,世界大会に持っていく荷物そのままでこの日から22日間放浪生活です。夜行バスのチケットが買えていないのでかなりハラハラしながら大きなトランクを引きずって新宿へ向かいました。

新宿を23時ごろ出る夜行バスのチケットが買えました。乗る直前空腹感を覚え彷徨って,何ヶ月ぶりかのマクドナルドに入りました。乗車直前に数件電話を済ませ,いよいよ乗車。二階建てのバスで私は一階の乗車口の前です。夜行バスってこんなんもあるんだぁ(今まで乗ったことのあるものと随分違った),とちょっとドギマギしつつ車内へ。テイクアウトしてきたマクドナルドのセットを食べようかと思ったのですが,疲労感が強くてあまり食べれませんでした。その間にも周りのお客さんは皆どんどん環境を自分でカスタマイズしていて驚きました。皆さんやたらと慣れていらっしゃる…そして圧倒的に男性が多いですね。うーむ…女性専用バスがハヤる理由がちょっとわかりました。この環境で眠るのちょっと嫌かも。

とかいいつつそもそもあまり眠れず。音楽を聴きながら色々と考え事にふけりました。パーキングエリアで休憩に泊まった際,特に用事も無く外にでました。冷たい夜の空気を吸って空を仰いで歩くと,不思議な孤独感と敗北感と,そして達成感が胸に混じりました。

♪The 411 『Chance』

Tuesday, January 16, 2007

シリーズ名決定 here we go! you'll hear what happened

プレゼンテーションが一個終わりましたー!!!!!!!
わーいわーいわーい!!!!!
やっと眠れるぅ。
作業の合間に気分転換でネットしちゃう不健全な生活よさらば!!
今日からは普通に病気しないように頑張ります。(涙)

しかもちょっと嬉しいことに,
書いてはいけないのかと思っていた部分を書いてよいと指示いただきました。
やったーーーー!!そこが書きたかったのよ!
四方山話もネタも満載なのよ!!

その一環も兼ねて,バンクーバ旅行記書きます。
今回のシリーズ名も既に決めました。
(豪亜大会のときは「羊の道」でした)

今回は,『ポプラとカエデ』と致します。

カエデはカナダだから,というのもありますが,
花言葉(花じゃなくないか?)が
「遠慮、自制、謹慎、隠退、保存」。

ポプラの花言葉は「勇気」。
加えてギリシャ語で「ざわめき」を意味します。

『勇気と自制』たあ,今回の大会で味わった
忌々しさにぴったりじゃありませんか?
隠退大会になった人も沢山いましたしね。
Tに遠慮しなければならないシーンも数多くありましたし。
何より評議会では例年通りかそれ以上の勇気を搾り取られました。
そしてTを勇気がない,意気地なしだと面と向かって罵りました。(ごめんね,T)

そして何よりポプラは中島みゆきの歌
『空と君のあいだに』から。

「君の心がわかる」とTに言われ続けた私ですが,
結局彼の正体はわからないまま,という歌通りの馬鹿な女全開ですので。
丁度良いでしょ。自虐的だけど。

しかもこの歌,ドラマ『家なき子』の主題歌だったんですって?
(私は件のドラマを見たことがありません。キメ台詞は知っていますが)

「同情するなら○○をくれ!!」

の○○に入れたいものには事欠きませんしね。
(例: 論題,準々決勝,まともなジャッジ,票,タブ,航空券代,礼儀・・・などなど)

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「空と君のあいだに」

君が涙にときには 僕はポプラの枝になる
孤独な人につけこむようなことは言えなくて

君を泣かせたあいつの正体を僕は知ってた
ひきとめた僕を君は振りはらった遠い夜

ここにいるよ 愛はまだ 
ここにいるよ いつまでも

空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る 
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる 
空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る 
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる

君の心がわかる、 とたやすく誓える男になぜ女はついてゆくのだろう 
そして泣くのだろう君がすさんだ瞳で強がるのがとても痛い
憎むことでいつまでもあいつに縛られないで

ここにいるよ 愛はまだ 
ここにいるよ うつむかないで

空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる
空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る 
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる
空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる
------------------------------------------

前線活動 at a forward edge

いまだにTからも主催者からも航空券代が送られてこず。
しめて弐十三万円余也。
12月5日の段階で額が固定されていたにも関わらず,
今になっても支払いがされないのです。
つまり未払いなまま飛行機に乗った挙句返金してくれないのです。
出発前に振り込んでくれるのかと思ったらされず,
現地で返金と言われて行ってみればやはりされず,
2・3日中に送金すると言われて渋々帰れば帰国後10日以上経つのにまだされないのです。

なめてんのかこのやろう,と思っていたら,
請求書を送ってくれと今更ぬかしやがりました。
請求書の額は主催者が払う予定の弐十三万より大幅に大きいのに,
それを貰って何に使う気なのよ。怪しいわよ。

しかも主催者がもたもたしている間こちらは待てないので,
昨日月曜日にTが立て替え送金してくると言っていたのに,
今になって木曜日が給料日だから週末まで待てとか言ってやがる。

……寝とぼけてんじゃねえ。
(ああ...私の口の悪さが日々進行しているのは
ひとえにあの外道主催者のせいでございます。涙)

それでもとにかく英語版の請求書を生協で作成してもらい,
「領収書を送ってくれ」というTからのメールの90分後には送信いたしました。
まったく生協様には足を向けて眠れません。

ちなみにこの90分の殆どは,基本情報の取得に費やされました。
「送ってくれって言うけどどこに送れば良いの?」
「僕とカナダ」
「何で送れば良いの?ファックス?郵便?」
「ファックスで良い」
「で,その番号は?」
「これ。」
・・・といったアホなやりとりに延々かかったのです。
送ってくれって言うなら基本情報くらいそっちからまとめて送ってこんか!

しかも「職場のファックスだから送付状をキチンとつけてくれ」と七面倒なことをぬかすので,
ご丁寧に英語版の送付状テンプレートをマイクロソフトのサイトでダウンロードして,
一筆ご挨拶したためて添えましたよ。送って即座に「今送った。確認されたし」と,
メールまで送りましたわよ。

その後Tからの返信全くなし。
届いたのかどうかの確認すらこじ。

死ね,本当に。
(冗談です。落ち着け,私。きっともう帰宅してオフィスにいないのよ。
・・・・・・つまり他人に仕事させといて本人はさっさとお帰りあそばしたと?怒)

ま,いいです。

韓国からはアジア大会の宣伝のため来日したいというメールが着ました。
中国からは全国大会に来れそうかという問い合わせのメールが着ました。
バングラディッシュは今後の日本の支援宜しく云々と言っております。
香港の方はメーリス等の紹介よろしく,とあります。
タイからは「masakoが次国際大会参加するのはいつの見込み?」という
不気味な問い合わせがありました。(何のために知りたいんだろう)
タイの場合世界大会の売り込みも良いけどここらで誠意を見せてもらいたいものです。
世界大会の評議会で言ってたあのすっとこどっこいな対応はなんだ。

・・・・・・ああ,なんだか色々と面倒臭い・・・・・・。

英語を外語としている参加者への気づかいお願いします,とか,
審査委員長団には論題選考において多地域を網羅するようお願いします,とか,
こまごまこまごまとどういうことなのか説明しないといけません。
テンプレートでも作ってコピペしてやりたい。
そして説明したら分かってくれるとは限らないし,
解ってくれたらその通りにしてくれるわけでもない。

テロリストの心境がちょっとわかるそんな今日です。
イラチな私は「さっさとしねーか」と暴れだしたくなります・・・

後方支援も面倒なら前線活動も面倒です。
「日本がより良い待遇を求めるなら,
それは日本人自身によって戦い獲られなければならない」
なんぞと偉そうにぬかしていたTは,
これが人生初の海外送金なのだそうです。
(今まで大学が全てやってくれていたらしい)

・・・・・・甘やかされ続けてきたあんたに
「戦い獲らなければ」とか言われてもな。

Monday, January 15, 2007

後方支援 feed him arguments

なんか漸く納得いきました。
つまりは私の指導不行き届きだったようです。
もっと寝る間も惜しんで教え込んでおくべきでした。

(ちなみに昨日の読んで「は?喧嘩の原因は酒を飲んだ飲まなかったなの?」と思った方,あの,一応背景がございまして。「主催者がスポンサーに贈呈する品を探してるから,日本から贈り物に相応しい日本酒を何か二本持ってきてくれ。」とTに頼まれまして。樽に入ったのと陶器の人形に入ったのと合計3リットルも重い思いして成田から持ってったんですよ。はるばるバンクーバまで。それを主催者もTもいつまでも取りに来ないわ,礼の一つも言われないわ(完全無視ですよ),代金払わないわ。それでしかも大会自体であまりに理不尽な扱いでしょう?「なんであたしがここまでされて這い蹲ってご機嫌とらなきゃいけないのよ。こちとら主催者に親切してやるいわれは金輪際ない」と腹を立てた私が,その贈呈されるはずの日本酒の内の一本を下水に流してしまったわけです。(酒造りの皆様ゴメンナサイ!!)で,困ったのがT。いざ必要になったら「もう飲んじまってない」と私に言われたわけです。それでこの後件の大喧嘩に突入したわけですが。ケッ。知るかっつーの。というのが今でも私の意見でございます。結局私は残ってた一本をあげたのに,主催者は礼を言うどころか代金すら払ってないんですからね。なんだ,それは。本当になんなんだっつーの。)

英語を外語とする選手かどうかインタビューするパネルを,
彼ら自身の審査員たちから選ぼうよ,と言えば,
「評議会次第だね。
あ,ちなみに君はブリーフィングだから評議会出れないから」と言われて引き下がり,
(明らかにノーって意味だろそれは)

論題はちゃんとプロジェクターに出そうよ,と言えば,
「機材的に一箇所でしかできない」と言われて引き下がり,
(んなわけないだろ,じゃあどうしてタブは全部でできんのよ??)

北朝鮮の論題を出そうよ,と言えば,
「良いケースがない」と言われて引き下がり,
(マカオの金融制裁解除が今旬だろ??テロと対話ディベートの典型じゃん)

論題の地域分配に気を配ろうよ,と言えば,
「世界大会は何が一番話題かなコンテストじゃないからね」と言われて引き下がり,
(話題にもならないようなヘボな論題出して良い言い訳にはなんねーよ)

英語が外語の審査員は頭が悪いわけじゃないんだよ,と言えば,
「フィードバック優先だから」と言われて引き下がり,
(フィードバックする奴が偏見に満ちてたら一銭の価値もないでしょうが)

準々決勝ちゃんとやろうよ,と言えば,
「規約に関わることだから評議会でしか決められない」と言われて引き下がり,
(規約には何処にも英語を外語とするチームについて書いてねーよ)

・・・・・・引き下がりすぎなのよ!!!!
仮にもファイナリスト,たとえ三対一でも意地見せんかい!!
(こちとら予選通過すらしてないのにチャンピオン三人と根性だけで渡り合ってんだぞ)

・・・・・・と最初は思いましたが,
あれだけ頭の良い彼がこんな明白な嘘にあっさり騙されるのは,
(そう,面白いくらい良いように次から次へと洗脳されよってからに)
やっぱり頭以外に経験が必要だということなのかもしれないな,
と思うようになりました。

私たちはこんな明確な嘘をつかれたら,
それこそガッツ・レスポンスが「んなわけあるか,こら」と湧き上がる。
だからなんでおかしいのかちょっと考えればすぐ反論が思いつく。
()内のような罵倒が私の頭には即座に点滅するわけです。
体に染み付いた恨み辛み怨念が味方してくれるというか。

彼にはそれができないんですね。多分。
結局のところ,頭で理解しようとするのでは遅くて,
その場その場で反論を探してる。それじゃ全然間に合わない。
体験って即座に議論をつくれる能力につながってるんですね。
常日頃そのことに頭を使ってる人間には,その場限り頭を捻ってもかなわない。
常々言葉の壁に苦しんでいる私たちよりはどうしても考えが未熟なわけです。
頭も口も立つけどことこの問題に関してはヒヨッコなのよね。

これ,そういえばLに近いことを言われました。
全然違うコンテクストで,その時は貧困国からの参加者を助けたい,
って私がお願い(ロビー活動)して回ってた時なんですけど。
「masako, you want to help because you care.
Because you are a part of the cause.」と。
他のそうではない人は頭も心もそれに追いつかないのさ,と。
私は先進国出身だから別にpart of causeじゃないんじゃないかと思いましたけど。
先進国の私が貧困国の為に闘えるなら,
Tが英語を外語とする国の為に闘うこともできる筈じゃないかと思うけど。
でも結局のところ,彼は「a part of cause」ではなかったのかしら?
(しかしLってば良いこと言うなぁ。
こういう台詞がサラッと出てくるからこの人嫌いになれないのよね……)

「信頼と期待はあまりに似ている」(中島みゆき/夢だったんだね)
ってホントなんですね。
あまりに信頼したから,期待も大きくなってしまった。
それが間違いでした。
良い奴さ。そりゃ良い奴さ。だからといって能力があるとは限らないさ。
彼は彼の土俵で議論すれば最強だけど,
私たちの土俵に昇れば私たちの幕下以下なんだ。

そうとなれば解決策は・・・・・・スパルタ教育!!!
心でわからないなら頭に叩き込んでやろう,ホトトギス!!
受験生は英単語を発音できなくても解答欄に書けるのよ!!!
受験勉強してもらおうじゃないの。

傾向と対策を徹底的に洗って,問答集を作成し,
ああ言われればこう答える,を脳髄に染み付かせてやります。
覚悟しとけよ,小僧。
引退だ?眠いことほざいてんじゃねーよ。

Sunday, January 14, 2007

嘘つき a liar

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切ない嘘をついては
言い訳を呑み込んで
果たせぬあの頃の夢は
もう消えた

誰のせいでもない
自分が 小さすぎるから
それが 悔しくて
言葉にできない
(オフコース/言葉にできない より)
---------------------

嘘。

気持ちが落ち着いたなんて嘘。
弱虫だなんて嘘。
何にもしてくれないなんて嘘。
大切にしてくれないなんて嘘。
分かってくれる人が要らないなんて嘘。
友情が要らないなんて……嘘……かなぁ。

「決してお前に嘘はつかない」と言ってくれたT様ですが,
私の方は嘘だらけ。

巡り会わせが悪かったとでもいうのでしょうか。
まるで「いとしのエリー」ね(って私が男役かい。笑)
友情も同じか。

空港で「この間ね,お前に嘘は絶対つかないよ,って言ってくれたけど,
私はあなたに嘘つくよ。」と言った瞬間の緊迫した空気。
吐き気がしたのは冷めた天ぷらの油のせいだけじゃなかった筈。

仕方ないじゃないですか。
私は嘘つきですよ。
もう何年も言ってるでしょうに。

「『飲んじゃったわ』って言ったお酒ね,
本当は飲んでなかったよ。
洗面台に流したの。
真昼間の素面の時にね」

と種明かしをしたら夜のような重い沈黙が降りました。

仕方ないじゃないですか。
私は嘘つきですよ。
もう何年も言ってるでしょうに。

「なんで飲んだなんて嘘ついたの」と訊かれても答がありませんでした。
「さあ,なんでかなぁ」と言う私を悲しそうな瞳がジッと見ておりました。

『届かないものならば 見つめかえさないのに』・・・ってね(笑)

「こうして4時間かけて説明できないものを
電話の上で5秒で説明できたはずがないわ」

というのが結局口にした答えでした。

本当は簡単なこと。

Tが逃げたことに腹を立てたんだ。
露骨な人種差別をしながら,
慇懃無礼に面と向かって嘘づく主催者の
慰み物にされる私を見捨てたTに腹を立てたんだ。
負けるとわかって闘う私たちから
目を逸らして逃げたあいつに腹を立てたんだ。
一矢報いたい標的は主催者だった筈だけど,
Tに対する腹立ちが全然無かったかと言われれば,
それはわからないな。

そう言ってしまえば満足かしら。
本当のことを言えば上手くいくかしら。
大体こんなこと,英語で精確に言えるかしら,私。
充分抉るような言葉を探せるかしら。

嘘をつかないと言ったTの言葉に嘘はないかしら。
まだ逃げたことを認めない彼の言葉を私が信じられなければ,
嘘じゃないと百万回言われたとして何か意味があるかしら。

そうです。
私は嘘つきです。
隠しやしません。
だって本当のことですから。

まさかの友 a friend in need

ちょっと気分が落ち着きました。

第二ラウンドで話が煮詰まった時にTから出た私にとっての決定打は,
「結局のところディベートは西欧のものなのだから仕方がない」というもの。

......なんだそりゃ。

なら世界大会なんか開くな。
なら西欧大会とでも呼びやがれ。

じゃ,あれか。
非西欧国からの参加者たちは西欧諸国の参加者が
「俺たちってすげー」って優越感に酔うためだけに集められてるわけか。
私はそんなコミュニティの一員でいるなんてまっぴらごめんだ。

結局Tには4年間もかけてゆっくり説明してきたつもりだったのに,
なーーんにも伝わってなかったんだなぁ・・・と思いました。
(その前に6年かけて無駄だった人たちもいましたけど・・・)

メディアの偏向とそれによる論題の偏向の問題,
英語を母語としない選手への差別,
努力に見合わない冷遇と当らない光・・・

それがどのように構造的変化を待ち望んでいるか,
もし「非西欧国だから仕方ない」の一言で済まされるんなら
なぜあんなにも時間をかけて説明してきたんだろう・・・

たとえ仮にディベートが西欧的なものだったとして,
発言する権利は皆に与えられるべきだ,とか
差別と偏見を助長するような構造は変えたほうが良い,とか
そういった原則を否定する要素になるのだろうか。

私にはTの言ったことが信じられない。
まさか彼があんな風に言うなんて・・・と思った・・・

けれど・・・冷静に考えたら驚くことではないのかも。

まさかの友は真の友。
もしそう言うなら,世界中見渡しても友達なんていないんだ。
被差別者は被差別者同士で固まって戦っていくしかないんだ。
・・・そうなんだ・・・。

なんて醜い世界だろう。

あの夜,
「俺たちの友情が危機を迎える程辛かったなら何故電話の一本も寄越さなかった?
俺たちの友情が危機を迎えるほどの決定的な瞬間になんで俺にそれを言わないんだ。
俺にとってお前がどうでも良い存在だと思うならそれは間違いだ。
そりゃ確かに忙しかったさ。
けどお前との友情がかかってるんだと知ってたら夜中でも這ってでも来たさ。
俺が日本に行くのは何でだと思う。
日本人のためだって?
お前との個人的な友情がなかったら行きやしないさ。
俺が自分の評判をお前との友情より優先すると思うならお前は俺を知らないんだ。
日本の皆と君との友情は俺にとっては比較にならない。
お前との友情はそれだけ俺には重いんだ。なんでわからないんだ」
とまで叫んでいたT。
涙まで流してくれたT。

でもその友情は一緒に遊んで笑って飲むための友情だったんだ。
あの子達を大切にしてくれないなら友情なんて要らない。
あんなに理不尽な想いをさせられている子達を見て,
それでも奮起できないような弱虫の友人なんて要らない。

良いさ。
独りで闘いましょう。
これまでそうしてきたように。

バイバイ,儚かった夢。
わかってくれる人なんてもう要らない。

Friday, January 12, 2007

闘争なき進歩はない without struggle, there's no progress

"If there is no struggle there is no progress. Those who profess to favor freedom and yet depreciate agitation…want crops without plowing up the ground, they want rain without thunder and lightening. They want the ocean without the awful roar of its many waters…. Power concedes nothing without a demand. It never did and it never will."
(Frederick Douglass, 1857)

・・・わかっているつもりです。
わかっているつもりですが・・・

泣きたい日だって闘いたくない日だってあります。

この2週間で4キロ体重が減りました。
今朝は3回吐きました。

助けて欲しいと言う事は過ぎた要求でしょうか。
独りで戦わなければ意味がない,と言われて悲しくなるのは間違っているでしょうか。

Tとの第2戦は,私にとっては第1戦よりも辛いものになりました。
苦楽を共にしてきた仲間で読んでくれている人もいると思うので,
気持ちが落ち着き次第内容をアップします。

でも今は進歩しなくて良いから逃げてしまいたい。
闘えるようになる日まで,静かにジッとしていたい臆病者です。

アレクサンドラさんの言葉を繰り返し繰り返し聞いても,
今日は悲しみが深まるばかりです。
http://www.mag.keio.ac.jp/~masako/dbt/records/i/idea/Alexandra.WMV

Tが「メルボルン着いたよー。手紙ありがとう。すごく嬉しかったよ」ってメッセージをくれても,心は沈むばかりです。(でも堕ちなくてホント良かった)

明日は立ち直れますように。

Wednesday, January 10, 2007

消息2

その後,私が友人と夕飯に出ている間に色々話が進みました。
どうやら北京国航賓館にたどり着けた模様。
しかしながらやはりそこでも英語は通じない模様。
でもって明日のバスの時間が正確に伝わったのか不明な模様。

・・・・・・頑張れとしか言いようがない感じ。
でも「七十チャンネルもあるのに英語の番組が一つしかない!」と報告してくれているあたりが平和な感じ。この様子なら大丈夫でしょう・・・。

Izumi嬢,おそらく危なくはなさそうです。
一緒に心配してくれてありがとーーー。(^v^)o

消息 

Tの消息を心配している方のためのアップデートです。
たった今SMSが入りました。

中国国際航空の担当者をターンテーブル付近で発見することはできたものの,英語が全く通じず,一体どのホテルに自分が向かっているものか全然解らんとのことです。・・・・・・えーんえーんえーん・・・

ホテルに着いたら連絡する・・・とあるのですが,それじゃ遅いだろ,T!!
違うホテルに連れて行かれてから「違った」って教えてくれても何にもできないでしょ!!
えーんえーんえーん・・・

ああ・・・どうか北京国航賓館ですように・・・

ダイエット企画なの? Was it a diet program for me?

丁度今頃Tの飛行機が北京空港に降り立つはずです。
頼むから堕ちないで下さい。
堕ちたらオーストラリア政府と世界のディベート界が逸材を失うことに。
真面目に困ります。
とにかく無事に着陸して欲しいものです。

嗚呼今日中に出さないといけない資料が作り終わりません。
えーん・・・どうしよう・・・
でも集中力が限界です。

加えて,3月の大会ではLが非英語圏におけるディベートについて講演することになっていると判明。
なんだそりゃ。Lはそういうの全然詳しくないでショーーー!!
本人英語で生活しているくせにESLトロフィー貰ったというその話題はダメダメな人でショーーー!!!
やれやれ。
もっとマシな人選できなかったのでしょうか。

まあとりあえずあと3時間の内にエマージェンシーコールが来なければ,
IDC6はとりあえず問題なしに終了ということになりそうです。
(明日の朝乗れるかという問題も少しはあるけど・・・)
長かったような短かったような。
手のかかるコーチがいなかった(Tはとってもお行儀良い方)ので,
そういう意味では私の胃への負担は小さいイベントでした。
その割りに痩せましたけど。IDCは私のダイエット企画か,って感じです(笑)
ま,いいさ。とにかく無事にホテルまで着いて欲しいです。

Tuesday, January 09, 2007

知性と言語 Intellect & Language

あと12時間でTは機上の人である。
(ちなみにTというのはこれまでの日記,特に「羊の道」シリーズで既出の「ソネレック氏」と同一人物です)

彼が北京での乗り換えで独り一晩過ごすことに一抹の不安を覚えた日本人選手団。彼らによって入念な注意事項のリストが作成され,Tに送られた。既に印刷して携行したとの返事が来ている。加えて,今日旅行社に彼のホテルが予約した通りのところになるよう確認を依頼してきた(のでizumi嬢よ,安心召されよ)。もうこればかりは大丈夫だろうと信じるしかない。今回のフライトをアレンジした人間としては身も細る気分であるが,今となってはどうしようもない。

この友人はその後成田で乗換えとなるので,今後のための打ち合わせと大切な物の受け渡しを兼ねて私も成田まで出向くことになっている。ついでに言えば,あまりに尻切れトンボな喧嘩をしたため不完全燃焼なのである。二日後の午後には成田で再戦を果たす予定である。

中でも私がもう一度話したいと思っているのは,representする権利についてである。

彼は例の口論の中で,「俺は白人だから君らの代弁者に向かない」と言った。
これが私の心には重くのしかかっている。

そんな馬鹿な話があるだろうか。

白人は有色人種の権利を訴えることができない?
(アパルトヘイトを非難したメディアは何人のものだった?
キング牧師の支持者には白人はいなかったか?)

英語圏の人間は非英語圏の人間が対等に扱われるべきだと主張できない?
(「消えゆく言語たち」の著者は何語であの本を書いた?
マクブライド委員会の委員長は何人だった?)

そんな馬鹿なことある筈ないと,私たちに教えてくれたのは他ならぬTではなかったか。

この愛すべきアラビアのロレンスから教わったことを,
今度はそっくりそのまま私が彼に教えてあげなければならない。

そんなことを逃げる口実に使わないでくれ,と。

もう一つは,知性と言語の関係についてである。
これに関しては,私の蔵書の中から3冊,プレゼントするつもりでいる。
実は研究に必要な本なので,新しく買って進呈しようと思ったのだが,
間に合わなかったので手垢のついた古いものを彼に渡し,私が新しいのを使うことになる。
それでも,読んで貰いたい3冊を選んだ。

その内の一冊,エドワード・W・サイードの『知識人とは何か』から引用したい。

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どのような知識人個人も,言語のなかにうまれおちるし,生涯のほとんどをその言語のなかですごす。生まれおちた言語が知的活動のための主要な媒体となる。(中略)知識人が民族言語を使うのを余儀なくされるのは,なにも,それが便利で慣れ親しんだものだからという理由だけではなく,知識人たる彼もしくは彼女は,その民族言語に,まさに自分ならではの独特な声音や,特別な語調や,さらには展望そのものを刻印しようと望むからである。
---------------------------------------------

サイードという人は,英語とアラビア語の両方が堪能だったと言われるが,昨年のシンポジウムでは彼のアラビア語が実は強いエジプト訛りのもので驚かされたというような話もあった。彼はきっと,自分の知識人としてのプライドがアラビア語で話す度に傷つくのを感じただろう。しかし彼にはアラビア語で発信しない,英語だけで活動する,というような贅沢は許されなかった。彼がアラビア語圏の人間に深い共感と同情と責任を感じていたからだ。

知識人としても複数言語話者としてもサイードの足元にも及ばない私ではあるが,英語で発言する時の痛みを通して,彼のアラビア語での知的活動が困難であったことを想像する。もしも私がべらんめえ調の日本語しか話せなかったならば,日本語で学会発表や講演をすることの精神的ハードルは凄まじいものになるだろう。私は英語で話す時丁度そういう気持ちに苛まれる。忌々しいがそういうものだ。

だからこそ,最後の部分,『まさに自分ならではの独特な声音や,特別な語調や,さらには展望そのものを刻印しようと望むからである』には強烈な共感を持たざるをえない。英語で話す私は壊れたコピー機のようで,粗悪な複製をばら撒くだけだと思うからだ。英語で話す私は知的な生産をしていないように思える。その前に体裁を整えるのに必死なのだ。

Tはそうではないと言う。Tは,『お前が俺を説得したんじゃないか。お前の言葉で俺は大きく世界観を変えたじゃないか』と言う。

そうなのだろうか。英語でする私の言論は,人を動かす力を持ちうるのだろうか。
そしてTのような人を動かせさえすれば,私は満足するべきなのだろうか。

私はそうは思わない。

言論は時に闘いではないか。
T自身,そう言ったではないか。
「masako, これは戦争なんだぞ。
ESL/EFLの話をする時は礼儀正しさなどかなぐり捨てろ。
俺に対してだって噛み付くように話せよ。」と。

私がTの意見を変えられたのは,Tに聞く準備があったからだ。
聞く耳を持たない相手と火花の散る競り合いをする時,私は無力だと思う。
評議会(カウンセル)で何年も口に砂を入れられた後味は,理屈でなくそう教えてくれる。
言葉の真剣勝負をする時(カウンセルではワールドチャンピオン3人と3対1で戦わなければならないときもある),あれほど自分の言語で話せたら,と噛み締めるのは,私は英語において本当の知識人ではないからだと思う。

それでも今年は,私の吠えるような発言に幾度も拍手をしてくれる人たちがいた。
小さな国々はいつも味方してくれた。
代表する権利を持たない声なき人たちの少しでも慰めになったなら,
サイードの言う知識人としての本分を果たしていると胸を張って良いのだろうか。

私はそうも思わない。

時には勝たなければならない言葉の闘いがある。
弱い事が許されない時もある。
小さい国や弱い国が黙らされるのを見るのはもう沢山だ。

私はいつかこの戦いに勝ちたい。

そのために私がどうすべきか,Tには友人として助言する義務がある。
成田でTと闘うことで,私はその答を探したい。

Sunday, January 07, 2007

できないと言ったらできない I can't when I say I can't

世界大会から帰りました。
今年も…というか今年は特に,色々ありました。

ホント色々ありすぎて何がなにやらです。
帰国の飛行機2日2晩,ほぼ泣き続けました。
ようやく涙は出なくなったけど,心の整理がついたわけでもなくて…
どこから書こうかな…

最終日の夜は,もはや親友と言って差し支えないかもしれないコーチTと
怒鳴り合いの喧嘩までしました(怒鳴ってたのは殆どむこうだけど。笑。珍しいっしょ?)。
お互いの言葉が今思い出しても切ないです。
自分が弾丸のような言葉を発した瞬間の相手のハッと息を飲む音に,
お互い震えるほどショックを受けました。
お互いに相手を傷つける心の準備ができていなかったと嫌という程思い知らされました。

私との喧嘩の後でコーチが涙まで流していたと聞かされ,
やるせなくなった私は,彼に謝るために夜中に延々と独り歩いてパーティ会場へ行きました。
途中何度も道に迷って,人気のない夜の道を長い時間さまよいました。
(こういう自虐行動に出るところが本当に私の悪癖だと思います。気をつけないとね)

着いた時は夜中の1時くらいでした。
心の整理がつかなくて,謝る踏ん切りもつかないままうろついていた私に,
Lが「よ,EFLベスト・スピーカ様。おめでと」と声をかけてきました。
思わず複雑な気持ちを顔に出してしまった私に「Tと派手にやりあったってな」と。
どうして知ってるんだろうと思ったら「Tが落ち込んでたぞ」と言われて更に落ち込む私。
余談ですがLとTと私はほぼ同期同年齢。この三人の絆はちょっと奇妙なものです。
Lが「とにかくすぐ会っておっきくハグしてやれ。それで大丈夫だから。奴がお前のこと大切に思っていてお前も同じなら,それが伝わりさえすれば大丈夫だから」と私に言い聞かせ,
私の手を引いてTを探してくれました。LがTの後輩に「Tは何処だ」と訊いている間,
私がその後ろで虚ろな顔をしてただ手を引かれていると,肩を叩く人が。
目の前に静かな笑みさえ浮かべてジッとこちらを見つめて立っていたのは,他でもないTでした。
次の瞬間にはふたり,ガバッと抱き合っていて,お互いの悲しみを共有しました。
どちらから腕を開いたのかも覚えていないほど一瞬のことでした。
そのままギューッと加わるTの腕の力に,ああ本当にすまないと思ってくれてるんだな,と実感しました。後ろでLの「ほらな」という声が聞こえました。(うふふ。ホントにね。ああ,L,ありがとう。)
「ごめんな,ごめんな」と繰り返すTに,私も謝罪を繰り返しました。

その後,何を話したかな。
Lも含めて三人でテキーラ・ショットをして,Tが盛大にむせて(笑)
そうそう,Tが,「masakoの結婚式にはたとえ一週間前に知らされても駆けつける。
たとえ選挙前でも,結婚相手がどんなうすのろマヌケでも祝うために飛行機に乗る」と誓って(笑)
(その前に「masakoがいつになったら結婚する気になるか,一生ならないかという問題があるが」と言いやがりましたが。思わず「ほっとけよ!」と拗ねる私の頭をLが笑って撫でていました。ホント,一言多いんだよな,Tは。笑)

正直,今回の大会ではショックなことがいっぱいあって。
Tのことも信用して良いのかわからなくなったのも確か。
Lのことは今まで何回も疑ってきたし,それは今も変わらない。
けれど,きっと私はあの夜の三人のテキーラ・ショットを長く忘れないと思う。
いい友人に恵まれたと思います。

さて,今回Tと私がお互いに発してしまった弾丸ワードは以下。
コンテクスト抜きでここだけ取り出しても意味不明かもしれませんが。

私がTに言ってしまったのは,
「結局あなたはESLの庇護者というレッテルを貼られるのが怖かったのよ」というもの。
これは言った瞬間にTが息を飲む音がして,目つきもガラッと変わって,
ゆっくりと「俺がESL庇護者のレッテルを恐れたって?」と繰り返された時に実感しました。
ああ,傷つけるつもりで言ったけど,こんなに傷つける準備はなかったって。
でも,この言葉に傷ついてくれたから許せたんだとも思います。
本当に嫌な奴だったらこの言葉では傷つくはずもないもの。

Tが私に言ってしまったのは,
私の「私は英語で自分を表現することができない」という言葉に対して,
吐き出すように言った「ラビッシュ!」というもの。
この瞬間私の全身がザワッとなるのを感じました。
「誰に何と言われてもTだけは解ってくれてると思ってたのに結局Tも他の皆と同じだったのね」
と,本当にショックだった。(「masakoはもう言葉の壁なんてないだろ」と言われることがどんなに知識人としての私を傷つけることか,ということを繰り返しTには話してきたつもりだったので)
突然声を荒げて「できないわよ。何度言ったら解るの。できないと言ったらできないのよ」と
叫ぶ私を見て「しまった」という表情を見せるTを見てもこの時のショックばかりは取り消せませんでした。ホント,英語がマシになったらなったで腹が立つのは同じね(笑)

英語で話している時の私はいつも心と言葉の乖離に苛立っているのですが,それがこんなに親しい人間にも見えないなんて皮肉なことですね。ていうかブログが結局日本語なの見て気がつけよ!!ってね(笑)

本当は謝る踏ん切りもついていなかったし,今でも胸にもやもやとした不満はある私。
でも,あの夜私がナイト・クラブに着く直前の夜中の1時にTが私に送っていたSMS
(その時は大音量で音楽をかけたイヤホンをつけて夜道を彷徨っていたので気がつきませんでしたが)
を見ると,許さなかったら後悔するに違いないとも思う私。

そのSMSには,ただ一言「ごめん」とだけありました。

ま,他にも色々ありましたが時間がないのでまた今度書きます。
というかどうしてTとここまで大喧嘩をする羽目になったのかという経緯の方が
ずっと大切だよねー……やれやれ。

今度はできるだけ時系列で書きます。羊の道のときみたくね。
今回あった色々は忘れちゃいけない気がするから。