Tuesday, July 29, 2008

A Few Good Men

いやーーーー、バタバタしていて本当に久々の投稿になってしまいました。

先日、映画『A Few Good Men』を久々に見ました。

いやーーーー、やっぱ好きだわ、この映画。
法廷のシーンに限らず様々な台詞が本当にお洒落に出来ている。凄いと思います。
ジャック・ニコルソンはともかく、トム・クルーズもデミ・ムーアもちょっと苦手なのですが、もうこの映画のおかげで決して嫌いにはなれない私です。

しかしですね、そんなディベータ魂揺さぶりまくりの作品ですが、ハタと気がつくことが。
ジャックもキャフィーもディベートのタブー侵しまくりではない?ということ。

私がディベートを始めた頃、入門編のレクチャーで先ず教わったのは、
「Conclusion comes first」でした。オブジェクト指向な議論構成?
それがですよ、この映画ではわざと結論を言わないシーンばかりです。

ネタバレですが、
例えば、検察が「コード・レッドは隊則の何処に載っているのか」という質問をするシーンは、つまり「コード・レッドは幻想で、実態を伴わないものだ。皆にコードレッドがなんたるかの共通見解もない」と言いたいものと思われます。
これに対し、弁護側は「食堂は隊則の何処に載っているのか」という質問で反撃します。これはつまり、「隊則に載っていなくても厳然と存在するものがある。コード・レッドの定義が隊則に記載されていなくとも実際には隊の誰もがその意味と存在を知っている日常的で身近なものだ」と言いたいものと思われます。
このやり取りは、視聴者に明白に弁護側がこの部分では勝ったという印象を与えますが、同時に大変スマートな印象も与えます。直截的ではなく婉曲的だからこそ格好良いわけです。

検察側のジャックに至っては、「帰りの車が故障した場合、どうやって兵舎に帰られるんですか?」とかいう質問を被告にして、キャフィーに「彼は何を言いたいんだ?」と疑問を呈されています。実はそれが最終的に罠になる質問で、彼の主張を裏づける上で重要な役割を担っています。なので、結論を先に言っては台無しです。罠にはめることができない。そして視聴者は罠が完成した瞬間に「おおっ!そういうことか、こいつ頭良い!」と思う・・・んでしょう。

・・・が、これってディベートの基礎講座的にはダメな感じ。
結論を先に言わないと聴衆を迷子にさせてしまうから絶対先に言え、聴衆に頭を使わせるな、と口が酸っぱくなるほど私自身も言っている気がする。

・・・で、思うに、これは聴衆の頭の問題ではないのではないか、と。
実は弁者の頭の問題ではないか、と思うようになったわけです。
とかく初心者は主張と関係ない枝葉末節に議論を終始させてしまったり、目的に合わない議論を組み立ててしまったりしがちです。これを矯正するため、つまり目的意識を持って各議論を提出するためにまず主張を言うようにするのではないか、と。
なので、一旦そこら辺の初歩技術が身に着いてしまった上級者の場合には、主張の開示を先延ばししても議論の無駄打ちをしないので問題ないし、聴衆も混乱しないのではないか・・・と。

・・・と妙にマニアックな感慨を抱いて興奮していたら、隣で見ていた人曰く、
「この映画難しいよね。何が言いたいのか解らない台詞があった」

・・・・・・・・・・・・。
そ、そうですか・・・・・・。
(さらば新発見・・・・・・やはり基礎講座は不滅なのか・・・)

Tuesday, April 15, 2008

My First... 初バトン!

今までバトンやったこと皆無だったんですけど,最近あちこちで見て「どうせやるなら初はこれでしょう」と思ったのでトライしてみます!

関係ないけど,福岡の生命倫理国際ディベート大会の決勝戦のビデオを見て,自分の下手さ加減に愕然。あんなの人様にお見せしたとは……。しかも英語訛りまくり。聞きづらい!!やーれやれ,ホント,ナメクジのような成長ペースですね,自分。ホント気が滅入る。

■Q1.ディベート歴は?

満15年。(この4月から16年目)

■Q2.ディベートを始めたきっかけは?

中学3年の社会科の選択授業で公民を選んだらディベートだった。
(選んだ理由は地理とか歴史とか記憶ものが苦手だったから)
その時あまりの自分の下手さっぷりに衝撃を受け,続けることを決意。

ちなみに中学の時の論題は,以下3つでした。受験そっちのけでプレパしました。
- 自衛隊をPKOに派遣すべきである
- 日本のODAは途上国の役に立っていない
- 日本はコメ市場を自由化すべし

今考えると中学生にしては結構難しい。
食管法の本とか読んでた……んだよねぇ。

■Q3.好きなmotion( = 試合のためのお題)は?

演歌系のこぶしが入れられるもの。

■Q4.嫌いなmotionは?

(1)集団で意思決定する意味を感じないもの。
そんなの君の好きにしなよー,的なもの全般大嫌い。
ラブ・モーションは大抵これにあたるから嫌い。

(2)あまりに流布する情報が偏っていて,
聴衆や選手が耳を片方にしか傾けないもの。
国際大会で捕鯨とかあんまり好きじゃない。

■Q5.好きなディベートスタイルは?

うわー,これ難しい!!!
まあ,スタイルではなくフォーマットならば以下……かなぁ。
ディベートする場合とジャッジする場合で微妙に違うけど総合順位で。

最上位: Australasiansのフォーマット(バランスが絶妙。質実剛健。日本語があればなぁ)
2. 日本語NA(やっぱり日本語は良い!)
3. 英語NAFAフォーマット(長さは丁度良くて好き)
4. Asiansのフォーマット(POIよりもCross-Exの方が好みかも)
5. 英語NDTフォーマット(長すぎる)
6. 日本語JDAフォーマット(短すぎる)
7. 中国大陸型フォーマット(楽しい!!やってみたい!)
8. カール・ポパー型フォーマット(比較的バランスは良いかなぁー)
9. 英語JDAフォーマット(先日やってみて短いと感じた)
10. 英語BP(パゴール過ぎる。運に左右されすぎる。主に審査が嫌い)
11. 英語カナダ式フォーマット(工夫してるのは分かるけど初心者に複雑すぎる)
12. 英語高校全国フォーマット(短すぎる)
最下位: 英語即興NA(短すぎる。サイド間の均衡が取れてない。やりとりの回数も少なすぎる)

ちなみにあったら良いのに!!!と思うのはやはり日本語版Australsのフォーマット!!
やってみたことないのがリンカーン・ダグラス式。やってみたい。
ロング・テーブル式はBPに似てそうだからあまり食指が動かない。

■Q6.ディベートやめたくなった時ある?そんな時どうする?

うーん……あると言えばある……かな。
ディベートが素晴らしく上手な人が弱い者苛めするのを見た時はやめたくなる。
大抵そこで生来の判官贔屓から負け戦をして討ち死に。更に凹む。

凹んだときは……
古典(イソクラテスとか)のスピーチ,サイードの某書やZarefsky論文を読むかも。
あとは絵を描いたり,ディベートと関係ないことしますかね。

■Q7.思い出のラウンドをひとつ!

沢山あるからなぁ…まあ,でも…

Pre-Australsの決勝戦。(優勝&ベストスピーカを貰いました☆)
漸く(!!)手にした極東(韓国)ネタのディベートで観客を湧かせられて,
何より韓国チームの皆が「そうだそうだ!」と叫んでくれた時。
ディベート人生で5本の指に入る快感だったと思う。

悲しい思い出だとやっぱり第6回IDEA Youthの決勝戦。
何のためにディベートするのかそれまでになく深く考えさせられた。
ディベート人生の転機となったラウンドだった。

■Q8.組んでみたいディベーターは?

アレキサンドラ・グラハンコック(天国で是非組ませてもらいます)
あとは組みたいと言ってくれる人なら割と誰でも。

プレパでアイディアがドンドン出てくる人とは本当に楽しい!
ウソの上手な人よりはホントを検索するのが上手な人が好き。
けどこれはある程度組んでみないと分からないことが多いかな。

■Q9.ライバル視しているディベーターは?

3年前の自分。

あんな風になれたら良いな,って思うディベータは他にいっぱいいるけど,
自分の性格や能力から現実的じゃないケースが多く,単に憧れに留まる。
3年位前の自分とはいつも緊張感のある関係でいる気がする。
これは経験してるフォーマットが多いのも理由かも。

■Q10.尊敬しているディベーターは?

めっさ沢山いる。全員挙げるのは絶対無理。

上手だから尊敬している人はあまりに多いけど,そのディベート魂となると…
アカデミックな意味ではDavid Zarefskyさんかな。夏の来日が待ち遠しい。
それ以外だとやっぱりアレクサンドラ・グラハンコックさんとか,
某団体の理事の皆さんとか,長い年月良心に従って努力してらした方達は尊敬する。

あとは,何に関しても「初めて」挑戦した人は尊敬する。
自分の大学に初めてディベート部作ったっていうのでも,
初めて社会人のディベートサークル作ったっていうのでも,
初めてエスペラント語でディベートしたとかでも何でも良い。
「初めて」には意義を感じる。
そういう意味で尊敬している人も結構いる。

■Q11.ディベートやっててよかったと思った瞬間をひとつ!

優しい人に出会う時。
ディベートしてて良かったを通り越して生きてて良かったと思う。

■Q12.あなたにとってディベートとは?

健康の次に大切で,恋人より大切なもの。生きる糧。

■Q13.知られざるあなただけの練習法は?

え……内緒だよ……

■Q14.大会前にやることは?

翼のペンダントを持っていくか熟考する。

■Q15.次にまわしてみたいディベーター

ディベートする人なら誰でも。
欲を言えばベン・リチャードのはめっちゃ読んでみたい。

Friday, April 11, 2008

[film] Remains of the Day 日の名残り

今現在苛立ち最高潮のmasakoです。もーなんなの,一体(怒)
大切な作業を始めてしまうとキリの悪いところで中断になるかもしれないし,
ただ待っているとイライラが募ってしまうので,
ここは書き込みでもして気を落ち着けよう…。

最近思うこと色々ありまして,困ったときや悩んだときの駆け込み寺と化しているO君にSOSしてしまいました。もういつも頼りにして申し訳ないの極致。けど煮詰まるとO君頼みな私です。これがまたいつも応じてくれるんですな,相談事に。今回はO君の仕事の話とかも聞けてすごく楽しかったです。話してこんなに救われるって凄い…

その時ひょんなことから話題になったのがこの映画!

Remains of the Day 『日の名残り』

イシグロ・カズオの同名の小説を映画化したものなんですが…なんていうか…涙がちょちょきれそうな話です。

最近世の中にはヘタレ系の方が増えてるそうですが,もうこの話の主人公ほどのヘタレを私は知っているだろうか…,いや決して知らない…。いよっ,ヘタレの星!ホント,そういう感じの話です。もうね,これは世のヘタレな人々に「こうはなりたくない!」と奮起させるためにあるのではないかとすら思います。うん,「負け犬の遠吠え」が晩婚女性に発破をかける作品だとしたら,「日の名残り」はヘタレ男性(あ,申し忘れましたが主人公は男性です)に発破をかける作品と言ってよいでしょう。しかも前者は曲りなりにも遠吠えているけれど,後者は強がりもへったくれもなくひたすらに哀愁が漂います。うーん……恐るべし。本当に泣くに泣けない話なんですよ……明るさのかけらもない…

でもね,実は私の知っている人にもこの主人公,老執事スティーブンの一歩手前みたいな人実際いるんですよねー!!!これが恋愛ごとに限らず全般的にヘタレなわけ。いや,ホント,ヘタレなのヘタレじゃないのって……その人と話しているとうっかり私までミス・ケントンになりそうになってしまうので危険です。(いや,しかしミス・ケントンは切捨て時を知っているという意味である程度賢い…ミス・ケントンで済めばまだ良いほうか…)

そしてたった今,まさに今,ミス・ケントン化している私。
女は度胸,という言葉はいつから男には度胸は要らない,という意味に変わったのか…
あと20分待って決断できないようなら悪いけどあたしゃ帰らせていただきます。

自分もちょっとヘタレ症状が……という方,是非是非「日の名残り」を観て奮起しましょう。
まかり間違っても,あみんの「待つわ」とかを心の拠りどころにしないようにね!!

Tuesday, March 25, 2008

[book] Trotzdem Ja zum Leben sagen それでも人生にイエスと言う

[book] Viktor Emil Frankl. 1994. Trotzdem Ja zum Leben sagen. Tokyo: Shunjusha.

International Bioethics Debate Tournament 2008 @Kyushu Univ.に参加しました。

前日まで東工大杯に出ていたことなどもあり,全く準備できなかった私が,家を出るときに慌てて鞄に入れたのがこの本(『それでも人生にイエスと言う』)と『医者が体験した末期ガンからの生還』でした。高校3年生の時にひょんなことから読んだのですが,今読み返してみると本当に面白い本です。

著者はいわゆるホロコースト・サバイバー。
後にロゴセラピーを開発した医師でもあります。
人が生きる意味について語り,病床の安楽死の是非を議論しているこの本は,実証的なデータは全然なくて,いわゆる自己啓発本的な内容なのですが,ところどころで出てくる強制収容所で見た人々の心のあり方が胸を打ちます。

邦訳の題名は『それでも人生にイエスと言う』。
重い中にも生きる希望が満ちた一冊です。
題名はブーヘンヴァルト強制収容所で唄われた歌の一節のようです。

しかし不思議なもので,こういう本というのは自分や家族に病や死の危険が迫っているときにはまーったく手に取る気になれないもので…全くそういう現実の問題がなかった筈の高校生の時は何故か興味を持ったわけですから不思議です。安楽死のディベートも,一時期家族が病気をしていた時などは試合中にやたら涙が出たり,とにかく避けたくてたまらなくなりましたが,最近また面白いと思えるようになりました。こういう時にこそ沢山「考え溜め」して心と頭の基礎体力アップをしておかなきゃな,と思います。

この本には「人は楽しみのために生きているのではない」という節があって,その直後に「生きることは義務だ」というRabindranath Tagoreの詩の引用が添えられています。また著者は病や死のように避けられない苦悩も人生に意味を与える,とも言うんですね。(ホロコースト・サバイバーにそう言われると重みが違いますよね……)

そんな部分が特に,この本の思想は妙に仏教的だと私が感じた原因かと思います。この著者の講演がヨーロッパの聴衆にどう受け止められたのか興味を持っていました。そこで試合ではこの本の上記の部分を駄目もとで引用してみましたが,予想通り全くウケませんでした。

ところが,なんとこの著者が,審査員にみえていたカール・ベッカー先生の個人的なお知り合いと発覚。更に私の興味を誘いました。しかもベッカー先生の講演では私の大好きなミシェル・フーコーの引用も出てきたりして,もう大興奮でした。調子に乗って先生に沢山質問してしまいました。件の個人主義とは異なる日本の医療環境についても伺ったりしました。いや,これがまたダンディーな素敵な先生で!!ホント,一粒で何回も美味しい大会でした。

後でベッカー先生は終末医療の権威で比較宗教学の権威と発覚。
冷や汗ものですが,でも本当に,こういう機会を頂戴して幸せだったと思います。

全体的に,私は医療の現場を知らないんだな,とつくづく思わされました。
チームメイトのI氏に介護医療や心療について話を聴いたり,ベッカー先生や決勝戦の後の講演を聴いたり,しばらくできなかった安楽死のディベートを一気に4試合して色々考えさせられたり,この本に再会させて貰ったり,本当に貴重な機会を頂いたと思いました。もっと勉強せな!!です!!

主催者の皆様,チームメイトをして下さったI氏,審査員をして下さった先生方,対戦相手の皆様,感想を下さった聴衆の皆様……本当にありがとうございました!!

Monday, March 24, 2008

The Life ざ・らいふ

1. 食生活

土曜日にお好み焼きを食べ,日曜日にもんじゃ焼き…
どちらも大変美味しいお店でしたが,しばらくこの系統は良いかな…
しかも二回とも久しぶりにお会いする先輩達に囲まれてのもの。
特に二回目はあまりの眠気のためワードチョイスを誤るシーンが続き,限界を自覚しました。
しまったと思ったときは手遅れですよね,ああいうのは。ごめんなさい。

しばらく紅茶断ちしていたのは解禁にしました。
我慢は体に良くないかな(笑)と。
でも紅茶があるとつい甘いもの食べてしまうから危険。
福岡土産のスイートポテトの甘さぶりにびっくり。
東京にはあまりない味です。何となくほっくりしました。

2. 衣生活

季節の変わり目は着るものが難しいですね。
昨日は寒くて寒くて参りました。まだ春コートの下シャツ一枚では駄目だったか。
しかしその春コートは複数の方に褒めてもらってちょっと嬉しい。
形が割りと気に入っているのですねー。ただボタンが多くて面倒です。
着脱時のトロトロ具合が,ああ春ボケって感じ。
ひたすらボタンと戦っていると頭だけどこか(眠り)に持ってかれそうになります。

最近とにかく寝不足なので,これ以上暖かくなると危険な気がします。
今以上に眠くなっちゃうし,お散歩したくなってしまう。
デスクに張り付くのが嫌になること請け合いです。
しかし折角冬物しまったのだからしばらく現行のワードローブで済ませたい。

3. ディベート生活

東工大杯は久々に選手でしたがやっぱりリハビリが不十分でした。
せめてもう少し練習しないとねー。まあ気楽に参加できて良かったかな?
論題は何ともいえない感じ。
まあ私が最近富みに勉強不足なので時事性について正確な判断ができないのが残念。
二日目の夕方野暮用で早く失礼したらベスト・ディベータ賞頂戴していたらしいです。
閉会式出られなくて残念でした。

東工大杯後,野暮用がらみで夜更かしし,しかも始発で羽田から福岡へ。
二日間の「生命倫理国際ディベート大会」に参加しました。

・・・なんと選手で。

丁度1チーム足りない,とのことで,全くノープレパで投入されました。
チームメイトをして頂いた石島氏とは当日「お久しぶり!」と感動の再会。
そして1時間半後には大会開幕!(汗)土日月火と寝不足・疲労困憊。死にそうでした。

しかも,東工大杯は即興性の,俗にパーラと呼ばれているもの。
これに対し翌日の生命倫理国際ディベート大会はリサーチ重視の,俗にポリシーと呼ばれているもの。
属性からしてちょっと違う。
けれど両方できるのがウリな私としてはそんなことで四の五の言ってられません。

で,生命倫理は準優勝でした。
うん,我ながら頑張ったのと違う?
両方のスタイルで海外チームと伍せる選手は日本では少ないですし。

しかし久々に(ポリシー的な)ケースを作ってみて(半分くらい人のものだけど),
凄く楽しかったです。ああ,伸ばし甲斐のあるエビが1ACにあるって快感☆
そしてCross-Examinationがたまらない。ゾクゾクする。(あぶない?)
あのゾクゾク感はPOIにはない何かです。柔道の立ち技を決めるような間合いの感覚がある。
静かに静かに意図の見えない単純な質問が続く中で,一気に勝負に出る,牙を剥く瞬間がある。
ドラマチックです。シンガポールのL氏にそれが面白かったと言われてちょっと嬉しかった。

対戦相手は,第一試合が東南アジアチーム,第二試合が米国チーム,準決勝が韓国チームで,決勝が米国チームでした。試合の合間に医療現場の先生方のレクチャーがあって,これがまたずっしり来るんだ,心に。ああ,こうやって勉強するためにディベートしてるんだぁ…ってまたぞろ私のマゾ体質全開。(笑)

さて,ICU杯は審査員でした。論題は微妙。以下同文。
しかし気になったのは,明らかに狡い勝ち方するチーム。
明らかにクラッシュを避けている。
ああいうのに負けちゃいかんぜよ。
特にケースセッティングが狡いのはとても迷惑。
選手も審査員も聴衆も何も学ぶことができない無駄試合と化すから。
他人の貴重な時間と機会を盗んでいるも同然です。
皆勉強しに来ている筈なのに,あんなことして何が楽しいんだろう。
後輩が「勝てるから」とああいうのを真似しないでくれるのを祈るばかりです。

4. 生命倫理-①

ICU杯の準決勝の論題は,「聴覚障害者が,聴覚障害児となりそうな胚/胎児をスクリーンアウト『しない』権利を持つ」というもの。

想定されていたのは体外受精の場合に弱そうな卵子をわざわざ選んで良いか,というもので,イギリスの法律に関連していたようなのですが,実際の試合は全然違うものに。

なんと,スクリーンアウトが『堕胎』と解釈されたんですよね。
そうすると「政府に強制堕胎されない権利がある」という論題になるわけです。
両親が望むなら堕胎してもいいし,『堕胎しなくても良い』,と。

いや,それ当たり前でしょ。

恐ろしく議論不可なセッティングで,普通なら「そもそも現状で強制堕胎してないだろ!どっから来た発想だ!」と否定側が言えば済むんですが,ご丁寧に「一人っ子政策下の中国」にセッティング。無理矢理強制堕胎が現実のものとなっている場所にされてしまったんですね……

いや,誰が,「親が泣き叫んでも無理矢理堕胎させるべし」なんて言えますか……
どんなバイオハザードな胎児なんだよ,って感じ。
その子が生まれると人類滅亡,とかならともかく聴覚障害では無理でしょう……
社会的コストとか言われても,そんなちょびっとの金を惜しんで排除して良い存在では絶対にないもん。

肯定側は明らかに四つに組むのを避けているわけで,
こういう議論することを逃げて勝つ方法ばかり30分間考えている人間がいるのかと思うと気が滅入ります。

ところで論題ですが,そもそも想定されていた,『わざと劣性卵を選ぶ権利』,を議論したなら確かに面白い試合だったかも。聴覚障害者コミュニティ独特の文化を,「保護されるべき文化」と認め,それを「子供に押し付ける権利が親にあるか」,また「貴重な体外受精において成功率の低い卵を選ぶことが倫理的か(ES細胞の研究と同じ倫理問題か?)」という話は相当面白かったろうと思います。是非聴きたかったな。しかしあのワーディングでは駄目でしょうな…。残念。

5. 生命倫理-②

さて,福岡の大会の論題は安楽死合法化でした。
individualismが前提となった政策って現代では凄く多くて,
国際大会ではその点には全く疑問が差し挟まれないわけですが,
生命倫理に関しては「あれ?」って違和感感じることが沢山あるんですよね。
今回もその違和感に悩まされました。

日本では小学校の時から,「人っていう字は人と人が寄り重なってできてる。人は一人で生きてるんじゃない」とか言われたりですね,「お米を粗末にするヤツは目がつぶれる」とかですね,「夕日が背中を押してくる」だの「山の神様がうんぬん」だのと言われて過ごすじゃないですか?八百万(やおろず)の(=どんな些細なものにも)神様がいて,大切にされなきゃいけない,みたいな。「世界は自分に理解できないもの」「理解できなくても正しいもの」みたいな感覚?理不尽さを許す土壌がある気がちょっとします。

どこか「人は生きるのではなく,生かされるのだ」という感覚があるように思える。
今でも患者本人に癌告知するかを家族に選ばせたりする医療のあり方というのは,どこか患者の命の所有者が患者自身だけではなく家族や患者を愛するコミュニティのもの,と考えている節を感じます。
「夜爪を切ると親の死に目に会えない」なんていう迷信も,自分の命を粗末にするな,自分の命は与えた親のものでもあるぞ,っていう感じがする。

また,「人生は楽しむもの」という感覚よりも「人生は耐えるもの」という感覚がありそう。
仏教では四苦八苦というくらいですから,そこからでしょうかね。
苦しみに「捉われない/囚われない」ことが尊いとされる。
自分の命を「他人事」のように扱うことが良いこととされる節,ありませんか?

一方で個人の選択の自由や権利を信じて快楽追求型の現代人的な(=欧米的な?)私がいて,
もう一方では多神教でアニミズム全開な環境で育った耐え難きを耐えちゃう私がいる感じ。
そういう自分の中の齟齬が生命倫理系のディベートでは大きな違和感を生んでいるようです。

樹なつみの漫画「OZ」の以下の台詞とか説明できないんですよね,英語で。
ていうか説明するんだけど,全然分かって貰えないわけ。(誰か漫画丸ごと英訳出して欲しい)

(*「じいさん」は武藤という日系。モンゴロイドだからという理由で孤児だった主人公にも「ムトー」の姓を与えます。「ナインティーン」は「リオン」という科学者に創られたアンドロイドの先を行くサイバノイドの名前です。)
-----------------------------------------
ナインティーン: 
寒そうですね。横になった方がいいですよ。人間は不便ですね。

ムトー: 
リオンの事だから今に人間そっくりそのままのバイオロイドを造り出すぜ。
その時はそいつも寒さにふるえるさ。
そうなると…何の為の生命(いのち)かわからなくなるなぁ…

ナインティーン: 
もし寒さに震えても,それはプログラムに従っているだけですからね。
しょせん機械(マシン)は本当の意味で感じはしません。

ムトー: 
じいさんならそうは言わないな……

ナインティーン: 
あなたの育ての親ですか

ムトー: 
長年荒野をさまよってたせいか人種的なものか,一種独特の哲学を持ってた。
雑貨をオンボロトラックにのせて売り歩いてたんだが,そいつに名前なんかつけてたんだぜ。
ジェシーなんてな。
ある日ついにそいつが動かなくなった。
じいさんはよくやってくれたと言って泣いた。
おれは内心バカバカしかったが黙って見ていたよ。
でも一緒に悲しいと言ってやれるほど大人でもなかった。

ムトーの回想中のじいさん:
ヨウ(ムトーのこと)…,おまえわしが泣くのをバカみたいだと思うか。

幼い日のムトー:
変は変だよ…。
そんなの…生きてねぇもん。

ムトーの回想中のじいさん:
それは違うぞ。
ジェシーは生きとった。
わしがやさしくしてやりゃこいつもこたえてくれた。
皆神様がおつくりになったものだ。
魂をもたないものなど,生きていないものなどこの大地の上にいない。
土クレも,鉄も,空気も。
生き方が違うだけだ。
わしらにわからんだけなのだ。
聞こえんか,ヨウ。
大地の声が…
語りかけるあの声が---
----------------------------------------------

この「じいさん」の台詞,めっちゃアニミズムの世界でしょう?
しかも妙に一休さんの世界でもないですか?

個人の権利と幸福の追求を基盤としたスピーチを展開している真っ最中に,
私の中にそれが本当に正しいのか疑問に思う気持ちがいつもある気がします。
「じいさん」と信仰を同一にしているとは言い難い現代人な私ですが,
「じいさん」的な価値観がどこかで刷り込まれているというか。

安楽死の話にしても,件の強制堕胎の話にしても,
海外の友人達の反応と日本の審査員たちの反応には明らかな開きがある。
それで,あれ,自分どっちだろう,それでどっちが正しいんだろうってよく思います。
国際的に認められるためには人権の概念に則った意見を持たなければならない。
けれどどこか,やはり齟齬が埋まらないままです。

いつか,もっと分かりやすく,思い込みから自由になって,
そんな生命倫理の話をできる友人ができたら良いな,と思っています。

Friday, February 22, 2008

[film] The Last King Of Scotland

(ネタばれだらけです。ご注意ください)

ひょーーえーーーーーーーー。
こわっっっっっ!!!

いや,しかし何というか……良い映画だと思います。
(実は時間の都合でかなり間をあけて3回に分けて見たんですが,
とても印象的なストーリーなので続きから見てもノープロブレムでした。
実はニコラス役のジェームズ・マカヴォイの外見がほんのちょこっと苦手だけど。
世間的にはハンサムに部類されると思うのにおかしいな…なんでだろう…)

この映画は歴史的な意味でのアミンの立ち位置はあんまり教えてくれないんですが,
(つまりどんな殺戮を行ってそれがどのようにウガンダ政治と人々の心に影響したかなど)
お話としてはとても良くできてると思いました。

何ていうか・・・海外の友人達と自分との関係とかも考えさせられました。
バックグラウンドが違うと,それゆえに友情が燃え上がることもあるけど,
それゆえに実は全然お互いを分かってないんじゃないかって恐怖がありますよね。

考えさせられたポイントは以下2点。

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1. 野蛮さへの恋慕

前半ニコラスがアミンを,ある意味買いかぶっていくプロセスとか,
アミンがニコラスを魅力的に感じて近くに置きたいと思っていくプロセスとか,
二人は初めから凄く危ういバランスと一種の勘違いの上にいる。ドキッとさせられます。

アミンはスコットランド贔屓なだけあって英語に不自由を感じさせないんですけどね。
(少なくとも聞き取りは。発話はかなり不自由そうだけど。
発話が不自由だとメチャメチャ下品で野蛮に聞こえるから怖い。私もああなのかなぁ;溜息)
まあでも,アミンが英語に堪能な割りにお互いへの勘違いは歴然とある。怖いです。

危ういバランスの中で惹かれていく理由は何か。
ニコラスの野蛮さへの憧れがあるのではないかと思います。

例えばアミンが腹痛を毒殺未遂だと思い込むところとか,
病気の息子を隔離するところとか,無知による一種の「野蛮さ」がチラチラ出てきます。
途中までは,その野蛮がチャーミングにさえ見えます。

当初ニコラスにしてみれば,夢溢れるリーダーのその野蛮さを自分が補うことで,
自分が若い国に大きな貢献をしていけると感じたのではないかと思います。
当初「顧問」と呼ばれて悪い気がしないのは,少し倒錯的なレーゾンデートルを与えられるからだと思う。
(ちょっと『王様と私』とかぶりますね。あと以前このブログでも書いた『南太平洋』の「バリ・ハイ」)
そういう感じ?ニコラスの,相手の野蛮さに惹かれ,また無意識に自分の存在意義にもしてしまう感じ?
仲の良いディベート・コーチの中には日本にそれを求めてる人,確かにいる気がします。
野蛮さへの恋慕を「見下したい無意識の欲求」と言ってしまえば,まあそういう側面もありそう。

その恋の媚薬として登場するのが被差別者の怒りと夢。
特にスコットランド出身のニコラスには共感しやすかったみたい。
英国外務省の人に仲間扱いされたニコラスが,
自分はEnglishではなくScotsmanだと訂正するシーンとかに
ニコラスがアミンに惹かれていくまでの丁寧な付箋があります。

もし仮に私が,どっか外国(ヨーロッパとか)で「同じ中国人同士仲良くやっていこうや」
とか言われたらやっぱり訂正したいと思うだろうか……とか考えてしまいました。
(これは微妙だな。あそこまで意思のある訂正は別に必要としないかも。気が向いたら位かな)
逆に例えば韓国の人がオーストラリアで日本人に「同じ極東から来たもの同士」
とか言われたら微妙な気分になるんだろうか……とか。これは経験的にYesっぽいかな。
極東というくくりなら地理的には問題ない表現だから突っ込まれはしないだろうけど。
(ちなみにエルキュールポアロは必ず「フランス人じゃなくてベルギー人です」と訂正)

何でも被害者集団の方がアイデンティティーへの拘りは強いものですから,
そういうイングランドに対するちょっとした反感みたいなのがあったとすれば,
Scotland贔屓の大統領ってのはよけい親近感を持つ理由になるのかなぁ……と。

特に前半は,アミンの過激さを伴う情熱とニコラスの邪気のない軽薄な善意に
「おわー,アブなーー!!」とは思うものの,
多少理解というか同情というか共感というか想像できなくもないと思えるわけです。

例えばパーティでアミンが振りかざすアブナイ内容のスピーチ(「ギリシャには哲学をアラブには薬学を盗まれた。しかしアフリカはその歴史を誇りに思わなければならない。今日の食事は全てローカルフードだ」とかなんとか言うシーン)に,拍手を送るニコラスの無邪気な笑顔は,果てしなく軽薄だけどやっぱり善意の賜物かな,と。

別に私には誰かを殺戮するつもりも予定もまーーーったくないわけですが(笑),でも,友人たちは私がアミンの立ち位置だったらどうしようってひょんな時に不安になるんじゃなかろうか,って思います。同じように私は彼らが彼ら自身をニコラスの立ち位置に重ね合わすんじゃないかって時たま不安になる。ポストモダンのその後に放り出された感じ?お互いを決め付けてしまいそうな自分と戦わなきゃいけない感じ。んーーー,私の英語がもう少し上手だったら,このモヤモヤについて相談したい人はいるんですけどね。あー,でも話してみて凄いがっかりしそうな予感もする(笑)過去数回失敗しているのが私の英語のせいばかりとはちょっと思えないので(笑)

日本のディベート界は果たしてお抱え外国人を迎えようとする「野蛮な未開の地」として見られるべきなのかなぁ……。実際彼らが助けになってくれるなら拘る必要ないのかな。大体このグローバル化のご時世にちょっと一方的なのが気にはなるけど人材交流なんて当たり前,ゴチャゴチャ考える方が変かなぁ。でも,彼らが野蛮さを探し野蛮さに憧れる限り,「もしアミンだったら」恐怖症は消えないだろうと思ったりします。むーーーーー。はふう。言葉の壁って嫌ねー。

逆に,スコットランド(イングランドに蹂躙され,しかしウガンダに対しては優位に立ち,蹂躙されるウガンダの憎しみに惹かれる)の位置に日本を置くと,また別な景色が見える気もします。例えば東南アジアに開発援助を送りインフラを整備し,アジア通貨危機から立ち直るためのリーダーとなる日本。似てません?映画「僕らはみんな生きている」の世界。

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2. 愛憎の振り子

もう一つはクレッシェンドしていく矛盾。

映画で最初に出てくるのは多分アミンの身の上話のシーン。
英国人に奴隷のように使われてた俺が大統領になった時の後ろ盾は英国だった,
と語る彼の口ぶりは,なんていうか,その瞬間は知的で理性的に聞こえたりします。
この時Scotsmanニコラスは心が大きく傾いたんだろうなー,って感じられます。
その後,この前半に語られた矛盾がリフレインされて段々振れが大きくなります。
他者を忌み嫌うと同時に抗えないほど必要とする矛盾。その苛立たしさ。不信感。

私の場合はついつい言葉の壁におきかえて観てしまうわけですが,
映画ではそういう葛藤は主に人種の壁という形で出てきます。
最も端的には,ニコラスの同僚の医師の言葉に託されています。
「黒人の女だから(避妊を)しなくても良いと思ったのか」という言葉にはドキッとさせられます。
(しかもそこで口ごもるニコラス。おい,そーなんかい!!!??ちょっと,どーなの)
そして同じ医師が
「世界に伝えてくれ,この国の現状を。人は君を信じる。君は白人だ」とも言う。
(まあ,ちょっと噛み砕き過ぎてる感もありますが,他の部分が難しいから良いかな,と。
あとアミンとニコラスが子供なので,こういう大人目線な人も必要。
役回りをきっちりこなしていて好感度の高い医者役です。)

アミンのニコラスとの距離のとり方にも同じような揺れが見られます。
白人を詰りながら白人を頼る構図が緊張感を高いままにします。心臓に悪い。
ちょっと妙な表現だけどSとMの役割分担がクルクル入れ替わりまくるみたいな感じ?

けど身に覚えのある緊張だったりもします。
コーチ達の「分かろう」としてくれる姿勢に感謝した直後,
同じ姿に同情するなんて傲慢だと感じたりもする。
更に酷いと「どうせ分からん」と思ったりも。
「どうせ分からん」と「分かって欲しい」の二重奏は相当お互いに不自由で,
がんじがらめでニッチもサッチもいかない感じ。

それにしても色んな人が書いてるし沢山受賞したみたいですが,
アミン役のウィティカーって良い役者さんですねー。
独裁者の片鱗を予感させた直後に魅力的で生々しい暖かさを感じさせる。
観ている内にニコラス同様観客の私も混乱するシーンが中盤ありました。
その危ういバランスが凄く人間らしい。
監督とカメラの良さも際立つ作品だと思いました。

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それにしても理想を追っかけるというのは,アミンのように狂気に取り込まれてしまったり,
(ていうか最初から相当アブナイ性格ですが……)
ニコラスのように自分の浅はかさに臍を噛む羽目になったりする危険が隣り合わせでしょうか。
(といっても最初から相当軽薄でお調子者キャラですが……)
けど,それでも夢を持たないよりはマシなような気もちょこっとします。

熱くなるのも冷えきるのも怖いですよね。難しいなー。(と誤魔化す)

とりあえず私のこの映画に対する評価は,
「『アラビアのロレンス』と『王様と私』に挟まれた隣人」って感じでしょうか。
うん。良い映画だと思いました。
個人的には「ホテル・ルワンダ」よりこっちの方が好き。

Thursday, February 21, 2008

Falling for... ハマり中

あーーーー,グラフが上手く描けない…設定の変え方がもう全然わかんない.
何がいかんのだーーーーー.おかしいなぁ・・・.あーーーーー(ダレ気味)
つくづく思うんですけど,調べて実験して納得するところまでは大好きなんですけど,それを他の人に知って貰うことにあまり情熱が湧かないのが問題です.一人で納得して幸せなので・・・困ったものだ。

とにかくちょっと気分転換.
最近はまってるもの.

それは・・・ ホットヨガ。

まずあったかい。しあわせー。(但し夏に向けていつまでその幸せが続くか謎。)
そしてみるみる体調が変化するのがもう快感.
2ヶ月くらいで随分体が柔らかくなったし冷え性も改善.
そして背筋(セスジじゃなくてハイキンね)が強化されました.
何故に背筋なのかはちょっと分からない感じ.
けど目に見えてハイキンが強くなりました。

あとねー,これは女性じゃないと分からないかもしれないんですが,腰痛改善.
女の人の場合ですね,仰向けに寝るとお尻が出っ張ってるからアーチができるし,
うつ伏せに寝ると胸が出っ張ってるから反り返っちゃうし,
横になるとウェスト部分が引っ込んでるからまたアーチになるし,
どうやって寝ても腰(特にウェストの背中側あたり)に負担がかかるんですよね。
おかげで朝起きたとき腰が痛い。これが少し改善しました。
中学・高校あたりから悩みだったこの腰痛に対策が見つかり嬉しいものの,
もっと早くやっておけば良かった・・・という気も。

何あれ,来月から一つ上級のコースへ移行の兆し。ふっふっふ。
その内上達したら凄い筋肉要りそうなポーズもできるようになるのだろうか。
目指せ,パワーヨガ?(妙なところで凝り性だからーー)

現在,比較的得意なポーズは半月のポーズ,鷲のポーズ,立ち木のポーズ,背中を捩るポーズ,コブラのポーズ,飛行機のポーズ。
苦手なのは,弓を引くポーズ(まだグラグラする),揺り篭のポーズ(ゴロゴロする時苦しい),バッタのポーズ(これメッサ辛い),兎のポーズ(顔痩せの必要性を感じる)。

しかしですねー,朝ヨガスタジオに行くと,毎回30人くらいの女性達(かなり幅広い年齢層)が狭い部屋にひしめき合ってるわけですよ。凄い。人数が多すぎて予約できない日とかもかなりあったりして,本当に凄いなー,と思います。朝一はとにかくめっさ混んでて,その次も割と多いみたい。午後はどうなんだろう。夜仕事帰りって人もいるでしょうしね・・・うーん,凄い。うちの駅周辺にはこんなにも需要があったのか・・・皆美容と健康には余念がないんですね・・・。

何はともあれ,朝ヨガすると,その後の一日がすっきりして良い感じです。
いつまで続くか・・・・・・はどうでしょう,極少ない例外(ディベートとか)を除くと大変飽きっぽいですからね,私。まあ,とりあえず体調が良くなる効果があるうちは続けたいと思っています。

Wednesday, January 30, 2008

The Quote

A friend told me that she liked Akutagawa and had been wondering from which Akutagawa's work my favorite quote on facebook was and what it meant.

Soooooooo, this is for Michelle!
(Michelle, so, you like Akutagawa!? I had no idea! How lovely that we have similar tastes.)

Yes, Akutagawa is my favorite author. And the quote is from "Shuju no Kotoba"(Akutagawa's aphorism collection). That's my most favorite book. :)

So, here's English version translated by myself.
(I don't think my English is enough to convey what Akutagawa wrote. nuaaaaa)

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Righteousness is akin to arm. Arm can be bought by either side that pays. Righteousness can be also bought by anybody who pretexts. Since ancient times, “enemy of righteousness” has been bandied ammunition. But nobody really sees which is real “enemy of righteousness” without being intoxicated with rhetoric.

Japanese labors were ordered to withdraw from Panama just because they were Japanese. This is wrong. The United States of America must be, as newspapers tell us, “enemy of righteousness.” However, Chinese labors were ordered to withdraw from Senju [a district in Tokyo] just because they were Chinese. This is also wrong. According to the papers, or perhaps for the last two thousand years, Japan has always sided with righteousness. It seems Japan has never had any conflict of interest with righteousness.

Arm itself is nothing to be afraid of. We ought to be afraid of skill of warrior. Righteousness itself is not scary either. What really ought to scare us is eloquence of demagogue. Wu Zetian didn’t care people or listen to gospel. She didn’t hesitate to trample righteousness underfoot. But at Li Jingye’s rebellion, reading the sharp-worded declaration by Luo Binwang, she couldn’t help but being paled out. That was because “一抔土未乾 六尺孤安在 [The soil on the new imperial tomb is not yet dry, and to whom can the two –meter-tall orphan be entrusted?]” was a mot that nobody but only a gifted demagogue could get.

Everytime I examine history, I remember 遊就館[chronology of military history museum]. There are various righteousness displayed in the dark corridor of the past. There’s one like the Green Dragon Crescent Blade. It must be the righteousness of Confucianism. We see a knight’s lance and it must be Christian righteousness. Here is a thick club. This might be righteousness of Socialists. There’s a long sword with a tassel over there. That might be one for nationalists.

Seeing such arms, imagining a number of battles, I sometimes feel the palpitation. But fortunately or unfortunately, I have never wished to take any one of them myself.
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And original is the following.
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正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理窟をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。古来「正義の敵」と云う名は砲弾のように投げかわされた。しかし修辞につりこまれなければ、どちらがほんとうの「正義の敵」だか、滅多に判然したためしはない。

日本人の労働者は単に日本人と生まれたが故に、パナマから退去を命ぜられた。これは正義に反している。亜米利加(アメリカ)は新聞紙の伝える通り、「正義の敵」と云わなければならぬ。しかし支那人の労働者も単に支那人と生まれたが故に、千住(せんじゅ)から退去を命ぜられた。これも正義に反している。日本は新聞紙の伝える通り、――いや、日本は二千年来、常に「正義の味方」である。正義はまだ日本の利害と一度も矛盾はしなかったらしい。

武器それ自身は恐れるに足りない。恐れるのは武人の技倆(ぎりょう)である。正義それ自身も恐れるに足りない。恐れるのは煽動家(せんどうか)の雄弁である。武后(ぶこう)は人天を顧みず、冷然と正義を蹂躙(じゅうりん)した。しかし李敬業(りけいぎょう)の乱に当り、駱賓王(らくひんのう)の檄(げき)を読んだ時には色を失うことを免れなかった。「一抔土未乾 六尺孤安在」の双句は天成のデマゴオクを待たない限り、発し得ない名言だったからである。

わたしは歴史を翻えす度に、遊就館を想(おも)うことを禁じ得ない。過去の廊下には薄暗い中にさまざまの正義が陳列してある。青竜刀に似ているのは儒教(じゅきょう)の教える正義であろう。騎士の槍(やり)に似ているのは基督教(キリストきょう)の教える正義であろう。此処に太い棍棒(こんぼう)がある。これは社会主義者の正義であろう。彼処に房のついた長剣がある。あれは国家主義者の正義であろう。

わたしはそう云う武器を見ながら、幾多の戦いを想像し、おのずから心悸(しんき)の高まることがある、しかしまだ幸か不幸か、わたし自身その武器の一つを執(と)りたいと思った記憶はない。
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Some might wonder (or tease me) how come a person who is crasy about debating and ars rhetorica likes this quote. hmmm.... I don't know. My love for debating is as complicated as any type of love in this world can be, I guess. :p

Monday, January 28, 2008

世界大会における審査員供出義務について On Responsibility As Participating Universities To Adjudication Pool Of WUDC

先日タイ開催のWUDCに参加された皆様,お疲れ様でした.
その後いかがお過ごしでしょうか.

今年も沢山の方に参加できて良かったですね!沢山の人の長い努力とコミュニティの成熟とが実を結び,日本からの参加は第24回大会ごろから急速に伸びました.それに伴い,国際大会における日本の発言力とレピュテーションも急速に高まってきました.国内では国際大会を視野に入れた選手達の練習機会がようやく整い始めました.本当に喜ばしいことと思います.来年,再来年と遠い開催地が続きますけれども,是非沢山の方に参加していただいて国内でのディベートの認知向上に希望が広がればと思います.

ただし,今回の世界大会では,そうした長期的な参加を図る上での懸案が大変顕著になりましたので,長文で恐縮ですが書かせていただきます.

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1. 8割の審査員がチェアかパネルでなければならない

世界大会には審査員の提供義務が各参加大学にあります.参加チーム数-1人の審査員を参加させることが義務となっている(n-1ルール)ことはご存知のことかと思います.これはひとえに人数の問題ではありません.審査員の質の確保は参加者全員の満足,また予選をフェアだと感じられるようにするための要です.たった1点の差が予選通過するかどうかの鍵になる世界大会では,一試合たりともミスジャッジの疑いは許されません.必要とされる一定の基準をクリアする審査員数を確保できるかどうかが,たとえば大会誘致の際質問が集中する一つのポイントになるほどです.このため,各大学が拠出する審査員では不十分な場合に備えて,自国の審査員育成に巨額をつぎ込む主催者もあるほどです.それほど良質の審査員はコミュニティ全体のかけがえのない資源とみなされています.

世界大会の形式はご存知の通り4チーム対抗です.ですので,4チームに対し3人,基準をクリアする審査員がいれば良いということになります.仮に各大学が参加チームと同数(n人)の審査員を提供したとすれば,全体の参加チーム数(N)と同じN人の審査員が確保されます.この内75%が基準を満たしていれば,全ての部屋の皆が安心して審査を受けられるわけです.実際にはn-1ルールですので,更に高い割合,各大学が連れてきた審査員の80%以上がパネルを任せられる良質な審査員でなければなりません.トレイニーに甘んじるのは5人に1人以下でなければならないということです.(ちなみにトレイニーは,指導やフィードバック,タビュレーションの手間が増える分,貴重なトップレベルの資源(審査員)に更なる負担をかける迷惑な存在と認識されています.今回トレイニーに対する扱いのぞんざいさに驚いたという日本の参加者の声を幾つか聞きましたが,そうした背景があります.)

これは逆に言えば,80%を下回る参加大学は,大会のお荷物と看做されるということです.他の人が提供してくれる資源にたかって,同じサービスを要求する悪質なフリーライダーであるとみなされるわけです.
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2. 負債に喘ぐ国,日本

しかしながら,日本のように言語のハンデを抱える国や,経済的に継続的な参加が難しい国などにとって,80%というのはかなり厳しい水準です.他の参加者に申し訳なく思ったとしても70%程度が現実的な目標かもしれません.

以上のような理由から,審査員の質の低下が問題視される度に,戦々恐々とさせられるのは,日本のような言語のハンデを持つ国や経済的に恵まれていない国,つまりは弱者です.実際,アジア大会では過去に,審査員有資格者(AIDAの国際審査員認定試験をパスした者)のみの参加を認めるべきだという議決がもう少しのところで通りそうになったこともあります.この時は拙いながら慶應代表で評議会に座っていた私の必死の訴えで僅差での否決を得ました.当時AIDA資格を持つ日本人は一人もおらず,もし可決していれば日本からの参加権はゼロになる,それほどの危機だったのです.翌年の評議会で同じ案件が可決されてしまう可能性に備えて,九州大と慶應が共同で急ぎその直後の夏にAIDA資格試験を誘致しました.これが現在のIDC(IntensiveDebate Camp)のはじまりです.

さて,今年の評議会では審査員の質,各大学の貢献度が再び議論されました.審査委員長団(AdjudicationCore),翌年の主催者の両方からかなり厳しい口調で,「まともなBritishParliamentaryの訓練を積んでいない審査員を大量に送ってくる大学/国がある」と非難が飛びました.これは,今回で3回目のことですが,今回はいつにも増して強い口調,かつ複数回にわたる問題提起となりました.

この非難が,誰を指してのものか,申し上げるのは残念ですが,明確に日本です.2004年の世界大会から日本の参加は爆発的に伸びました.その年自体はこうした非難が出なかったものの,翌年以降から継続的にこの声明が出されています.2007年の日本からの参加者は96人,と主催地である北米に次ぐ規模の参加人数,大会の10%をたった一カ国で占めるほどになっているのです.しかし20年近くに渡る日本の世界大会参加歴において,審査員が予選通過したのはたった3回,50人ほどの予選通過者が20年で全体は延べ1000人中の3人です.(昨年のIzumiさんと,一昨年及び本年のMasakoの2名,延べで3名)

これがボツワナやバングラディッシュのことなら誰も咎めません.参加規模があまりに小さく,全体に与える影響も小さいからです.しかし100人近く,40チーム近くを参加させておきながら,パネルとしてフルに使える審査員が5~6人程度という状況は余りにも悪目立ちするのです.

40チーム出すならば30人の(チェアかパネルができる)審査員を出さなければなりません.その基準値の1/5しか満たせなければ,残り20数名の「負債」は誰が払うのか.他の国と主催者ということになるのです.日本は,そうした「タチの悪い参加者」という見方を急速にされ始めています.

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3. 良質の審査員を送ってください

今後,もし世界大会自体が審査員資源に不利益をもたらす国・大学からの参加を制限しようとすれば,ことは特定の大学の問題でも,日本だけの問題でもありません.沢山の機会に恵まれない国々の参加を大きく奪う結果になります.

ですから,どうか良質の審査員を送ってください.こうした背景に目を向けてください.責任のある行動をとって下さい.

では,どうすれば良いのか.
①自大学の熟練審査員を送る(例:2008年ICUはOBのHiromuさんに審査員参加してもらいました)
②自国の熟練審査員を借りる(例:2008年KeioはIsaoさんに慶應名義で審査してもらいました)
③他国の熟練審査員を借りる(例:2005年KeioはTim Sonnreich氏とOmarSalahuddin博士にKeio名義で審査してもらい,両名は決勝戦まで審査しました.両名の参加費の一部を慶應が負担しました)
④新しい審査員を育てる

①は恵まれる大学と恵まれない大学があります.②に該当する審査員の数は限られています.③は大会のメーリングリスト上で募集すれば十中八九応募がありますから誰にでも可能ですが,国内の審査員を育てることにはつながらないので応急処置です.①~③の努力もした上で,大切なのは④になります.

新しい方達を送るなと言っているのでは決してありません.しかし参加が決まった日から,真剣に審査員教育に取り組んでください.できることは沢山あります.できる限りの準備をしてそれでもトレーニーになってしまったとしたら,それは仕方ないことです.新しい審査員を育てるために必要なことです.けれどろくに勉強しないで参加しているのであれば問題です.コールの仕方が分からなかったり,採点方式に不慣れな状態で送るのはやめて下さい.

審査員教育の不備を指摘すると「できる限りのことはやった.審査の仕方を学べる場所が国内にないのが悪い」と仰る方もいます.これは責任転嫁というものです.基準を満たす審査員の拠出は各大学の義務です.

しかも,この点において日本の環境は全く悪いものではありません.機会も情報もふんだんに溢れています.その機会を活用できなかったというのであれば,残念ですがそれはその方の意識が相当に低いといわざるを得ません.

a) 審査方式の説明はWeb上に多く掲載されています.最も有名なのは以下のもの,ルール自体です.googleでWorldUniversities DebatingChampionshipsと入れて検索すればトップに出てきます.ここには明確にスコアがAからEまでのグレードに分かれる旨が書かれています.スコアレンジも知らずに審査に来るということはルールさえ読んでいれば有り得ないことです.http://flynn.debating.net/colmmain.htm

b) Australia-Asia Debating Handbook by Ray D'Cruzの邦訳がJPDUとAJFから出され,無料で配布されている筈です.この本に,大変簡略ではありますが世界大会のルールも述べてあります.そちらの該当箇所(第10章の5ページ)に目を通すだけでも,世界大会ではAffirmative/Negativeといった言い回しは使われないこと,スコア・レンジなどが分からないということは有り得ません.

c) 主催大学が販売する審査員養成用ビデオがあります.例えば昨年のバンクーバー大会はその前のダブリン大会で大々的に3枚組みDVDを販売しました.このDVDの内2枚は,実際のディベートを見せた後にトップクラスの審査員陣による審査のシミュレーションも見せるというものです.残り1枚はQ&Aになっています.これを見れば,実際の審査がどのように行われるか分かる筈です.ダブリン大会に参加した大学は少なくとも,それを買って勉強することができたはずです.もしあれだけ派手に宣伝されていたこのDVDセットを,ダブリンに参加したのにも関らず買わなかったというのであれば,それはやはり審査員養成に対する意識が低すぎるのだと言わざるを得ません.

d) 過去の大会のブリーフィングや試合のビデオが,日本には他のどの国よりも沢山あります.他の国が「是非コピーをくれ」と頼んでくる垂涎のコレクションを有している国,それが日本です.ダブリンに行かなかったのでc)のDVDを入手できなかった,という大学であれば,国内の大会でそうしたビデオのコピーを他大学にお願いするということができた筈です.ルールにどういう試合がどのグレード,とスコアレンジの目安があるのですから,点数の感覚も学べるはずです.

e) ESUJ-JPDUによるセミナー,冬JPDU大会,IDCのような強化講習などBritishParliamentaryの審査方式を直接学び経験する機会もふんだんにあります.

f) 手前味噌ですが,スーパー・ノバ・カップの閉会式前に私から希望者の方に簡単な説明会も開きました.採点方式についても簡略ではありますがスコアレンジも含めて説明しました.世界大会に審査員で参加した方ご自身がその大会にいらしてなかったとしても,参加した方から後で聞くことはできた筈です.

機会はふんだんにあります.それを活用するしないは各大学の責任です.スコアレンジが50-100の間になることや,どんなスピーチがどの位の点数に相当するかを全くご存知なしに世界大会本番を迎えてしまった方がいたとしたらそれは問題です.

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4. ケーススタディ(Keioの場合)

今回Keioでは5チーム5審査員が参加しました.80%を基準とするなら4名がパネル以上に入る必要がありました.

5人の審査員の内,
1名は世界大会で審査員として本戦進出経験のある者,
1名は世界大会でパネルとしての審査経験がある者,
1名は世界大会に選手として参加した経験がある者,
2名は完全な新人 でした.

過去,Keioからの審査員が経験に乏しかった場合,海外の熟練審査員にKeio名義で審査して貰うという対策をとったこともあります.しかし今回は経験者の3名がパネル以上で採用されることが期待できたので,そうした方法は採りませんでした.今回は特に2名の1年生にどれだけ準備してもらえるかが課題となりました.

Keioでは以下のトレーニングを行いました.

a) 9月末から週一回の勉強会と週一回の練習会を開催,原則審査員も参加を義務としました.
b) 11月の学園祭時期には強化練習を5日ほど行いました.
c) 過去の試合のビデオを閲覧用に回しました.解説を交えて一緒に観る場合もありました.
d) タイ入国後も練習試合を行い,審査員も練習しました.

これらの機会には,審査方式の説明を行った他に,各練習試合の後OralAdjudicationでスピーチ得点も発表することで,どの位のスピーチにどの位の点数が着くのか,どの位の試合でどの位の点差がつくのかといった感覚をつけて貰いました.審査の流れ,スコアレンジ,マージンについてレクチャーと実践の両方を事前に経験できるようにしました.

新人2名の内,1名は練習に大変熱心に参加してくれました.
もう1人は欠席が続き,タイ入国1日目にお説教を受け,入国後の練習会はフルに参加しました.

結果,
1名,7試合チェア,2試合バブルラウンドのパネル,本戦進出
1名,9試合パネル
2名,6試合パネル,3試合トレーニー
1名,9試合トレーニー でした.

9試合トレーニーになったのは,事前の練習を欠席していた新人1名でした.

これは5名中,4名の基準をクリアする審査員(2名が3試合トレーニーになってしまった分を1名が7試合チェアし本戦進出した分で相殺する形)を輩出したこととなり,基準となる80%に何とか到達しました.頑張っているチーム達が,「観光半分の審査員しか連れて来ないチームにトップクラスの審査員を振り分けてやる義理はない」という残念な扱いを受けないために,私たち審査員ができる精一杯のことをまとうできたと思います.

しかし,こうしたコミュニティのメンバーとしての責任感を共有せず,無責任な審査員の出し方をする大学が同じ国にいれば,各大学がどんなに努力しても「日本のチーム」と十把一絡げにされてしまう現実もあります.それは本当に努力している大学の足を引っ張る迷惑な行為です.

80%は日本の大学にとって厳しい基準であり,今回のKeioは幸運なケースだったかもしれません.現実問題として70%程度まで目標を引き下げる必要がある大学もあることと思います.また,初参加の大学やあまりにも長いブランクがあったために初参加同様の条件になっている大学であれば,多少目標値が下がっても仕方ない場合もあるでしょう.

けれど,この例で分かることはキチンとトレーニングを国内で積んで参加したかどうかは大きな差を生むということでもあります.努力すれば,世界大会初参加で未成年の審査員でも評価され得るということです.

既に世界大会参加経験がある大学の皆さんには,来年度以降,審査員養成のトレーニングを責任もって行うことを,強くおススメする次第です.

masako

2004-2008: WUDC Equity Officer
2000, 2005: WUDC Council 日本代表
1999-2008: WUDC Council 10年連続出席

Tuesday, January 15, 2008

[Film] 椿三十郎 Tsubaki Sanjuro

リメイク版観てきました.うーん…
(学部時代一般教養(的な授業)で黒澤映画の授業を受けたんです.なかなか先生の熱がこもった面白い授業でした.で,つい今回のリメイクを観たくなってしまったんですね…)

1. 脚本良い!今回脚本には全然手を加えずオリジナルのままにしたそうなんですが,流石よくできていると思いました.

2. 豊川悦司が上手.違和感を感じさせない台詞回しといい,雰囲気の出し方といい,目力といい,所作といい,上手でした.ちょっと感心しました.

3. 織田裕二は微妙でした.決して下手ではないし,独特の台詞回しがちょっと鼻にはつくものの,独特な軽妙さもちゃんとあって,やはり華のある役者だなぁと思いました.立ち居振る舞いとか着物の所作とかは流石プロだなあと思いました.無頼漢っぽい感じが良く出てました.ただ,当たり前なんだけどやっぱり三船敏郎と比べてしまう.織田三十郎の軽妙さや華は三舟三十郎にはない気がするけど,三船三十郎の重厚さやワイルドさ,凄みが織田三十郎にはない感じ.で,役柄の設定は口下手で無骨な物言いが誤解を招きやすく,ギラギラと抜き身の刀のような危険な香りのする男・・・ということで・・・そうするとちょっと織田には分が悪いように思います.どうしたって愛嬌がありますからね.器用そうに見える.まあでもまあ魅力的な違ったキャラクターとしては成功かと思います.脚本の三十郎とは違うけど.

4. 若侍たち,腰元,奥方,姫とモブの声.ううう…台無し(涙)これが壊滅的にいけなかった….まずモブの声が多すぎ,大きすぎ,わざとらしすぎ,大げさすぎ.あれはないでしょう…ホント(涙)それから若侍に純朴さが足りない.演技も家老の甥以外は残念賞.けどそれよりも何よりも現代の若者らしさが滲み出てしまっている.これが難しいところだったように思います.織田を起用した魅力の一つが現代劇的な要素を取り込むところにあったろうと思うのですが,かといってコメディーお江戸でござるじゃあるまいし,リアリティも捨てたくない.そんな時,そもそも最初の若侍の密談シーンがまるっきり学芸会だともう相当出鼻を挫かれた感がありました.現代の若者達らしさがそこかしこに覗き見えるので興ざめです.彼らがお家のためと一心に純真に願って浅はかで青臭い行動に出てしまったと信じさせる力がない.とてもお家大事な時代の若者に見えないし,疑うことを知らない真直ぐな正義感を持つようにも見えない.そこまで純朴な裏表のない無垢さは現代のあの年頃の人たちにはないと思うので,そういう現代らしさは隠して欲しかったです.まあそもそも今ほど人・モノ・情報の流通がなかった昔に田舎で武家の教育のみに触れた若者達であったからこそ,あそこまで裏を読むことを知らないことがありえたかもしれません.今回はいかにも現代的な若者達があの年齢では有り得ないような発言を大根役者的にするのでリアリティを感じる余地がなかったように思います.率直に言って若侍のシーン,特に前半は脚本を自分で想像を膨らませながら読む方がマシ,と思いました.奥方と姫はわざとらしすぎです.いかにもぶりっ子しようとしてぶりっ子してる感がするのが残念でした.まあ,奥方役は地がああだ,という話もあるかもしれませんけれど.

5. 押入れ男.・・・・・・これがもう最高に良かった.メチャメチャコミカルだし.とっても楽しく見れました.役者さんが上手なのかはまり役だったのか分かりませんが,豊川半兵衛とこの押入れ男が私的には大ヒットでした.

6. 全体的には,私は好きでした.興行的には成功しそうにないし良い出来とは言いきれなかったものの,黒澤映画に挑もうという意気込みと殺陣役者が減る中での苦労などを考えると拍手を送りたいように思いました.うん,面白かったですよ.

Tuesday, November 27, 2007

[Article] 思考のダイナミックな性質の解明へ向けて

1970年代以降の認知科学における思考研究のレビュー。
とてもよくまとめられているので参考にすることも多い。

スピーチ・コミュニケーション学と認知科学は1980年代に袂を別ったのかな…とか思ったり。それが現代にまた融合できそうな感じ?70年代の両者はあまりにゴルギアス的…?

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2節では、思考がその内容に依存しない形式的なルールに基づくという立場を取り上げる。しかしこの立場が実証的にも理論的にも支持されないことから、領域依存の知識を活用した過程として思考を捉えるアプローチが現れる。(中略)しかし、知識依存のアプローチだけでは我々人間の行う柔軟な思考をうまく説明できないことが明らかになり、1980年代中盤から知識の柔軟な利用や獲得を可能にするメカニズムの研究が現れる。(中略)さらに拡大、発展し、人間の思考のダイナミズムがより、詳細なレベルで明らかになってきたことを述べる。
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思考がルールに支配されているという見方はきわめて常識的なものである。さらに、このルールが形式的である、すなわち問題内容に依存しないのであれば、少数のルールにより数多くの問題に対処できるので大変に効率がよい。形式的なルールを問題に当てはめて、それを求められる形に変形するという考えは、Aristotle以来、論理学の前提になっている。(中略)1970年代あたりまでの認知的な思考研究もこの枠組を保持していた。多くの研究は三段論法や条件文推論などの演繹的推論を題材として、いかなる条件下で人間が論理的な推論を行うことができるのか、人間がおかしやすいエラーはどのようなものか、そのエラーはどのようなルールによるものなのかが研究の対象とされた。
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また認知科学のパイオニアであるNewellとSimonは、問題解決一般に適用可能な理論を提案した(Newell&Simon, 1972)。そのモデルとなるGPS(General Problem Solver)において鍵となるのは、手段-目標分析とサブゴールストラテジーである。手段目標分析は、現在の状態とゴールとの間の差を評価し、その差を最も減少させるオペレータを適用するというものである。また、サブゴールストラテジーは、適用しようとするオペレータが直接適用できない時、それが可能になるような状態をサブゴールとするというものである。問題が適切な形で与えられている限り、この二つは問題のないように依存しない汎用のルールであると考えられる。
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Sunday, November 18, 2007

愛すべき者達 The Lovable

はふう.
シーズン真っ盛り.

高校生たちは全国大会にむけてスパートしてるし,
大学生たちは世界大会に向けて練習中だし,
社会人たちは忘年会に向けて余念がないし(って,おい).

色々な世代・専門・熟練度の人々の試合を日替わりメニューのように見ている中で,
私にとって「愛すべきスピーチ」とは何か,改めて考えさせられます.

ユーモラスなスピーチ?
真っ正直にガチンコにかみ合ったスピーチ?
華麗で秀逸な修飾に溢れたエレガントなスピーチ?
皆さんにとってはどんなでしょう?

私の答えは随分前から決まっているのですが,
その言葉を私に教えたコーチの性格のためか,
口にするのが躊躇うような代物でして・・・
なんでもっとマシな表現を教えてくれなかったものか,
何とか上品に同じことを同じインパクトをもって伝えられないものかと
模索している次第です(笑)
困ったことにオリジナルが相当言い得て妙な言葉なので対抗馬が見つかりません.

まあ,その・・・・・・・・・・コーチの表現を借りると・・・・・・
「インテレクチュアル・オーガズムをくれるスピーチ」ということになります.
(あーあ,書いちゃった.何か大きな越えてはならない壁を越えたような気がします)
(ちなみにこの表現はTではなくてPコーチのものです.いかにもでしょ?)

でも実際あるんですよね,
頭の芯がジーンとするような,
「あぁーーーーーー,そうだったのかぁーーーー」
と得心する瞬間って.
しかもその後その感動の余韻が長く続いたりして.
で,確かにそういう瞬間を求めて懲りずに足を運んでいるような気がします.

ハラハラ息をつめるような巧みで気迫のこもった鍔迫り合いも楽しいし,
ダイナミックなどんでん返しが続くガチンコ対決にも血が沸くわけですが,
「あぁーーーーー,そうだったのかぁーーーー」は身も心も蕩ける感じ.
そのアーギュメントに恋してしまいますね(笑)
そういうアーギュメントを自分に複数回聴かせてくれた選手のことは,
生涯嫌うことが出来なさそうな気さえしますし,
多少次のディベートが下手でもまた足を運んで聴きに行こうと思わされます.

ここ最近やたらと「勝つこと」に拘ったスピーチを聞き続けて,
ちょっと心配になりました.
あの「ジーン」をちゃんと皆経験できてるのかな・・・
あの恍惚感を知らずにトロフィーのためにディベートしてるなら勿体無い気がします.
(ってこの台詞怪しげな愛の伝道師みたい・・・)
コーチや教員側の方が,良質な議論を味わう恍惚感の存在自体知らなかったり,自身経験なかったり,学生に伝えようとしてなかったりするように見えると・・・「勝つことが全て」的な応援をしていると・・・すごーーーーく,不安になってしまいます.

確かに聴衆に恍惚感まで抱かせるようなアーギュメントというのは
そう頻繁にお目にかかるものではありません.

まず,幾ら目新しくて感心するような議論でも,
そのディベートでイレレバントなら恍惚感は得られません.
つまりちゃんとクラッシュ(crashやcrushではなくclash)していることが前提になります・・・
clashしてないとcrushしようがない,みたいな・・・(笑)
なのに,そもそも上手くclashしてる試合自体なかなかお目にかかれなかったりします.
なのでクラッシュが期待できない大会を審査するのは本当に辛いです.
10中8,9駄目だろうと思いながら1時間ジッと聴かなきゃいけないわけですから・・・
(これがそもそも論題がclashしようがないようなものだと怒り心頭です.
これじゃ出るホームランも出ないじゃん!!!みたいな・・・)

clashの仕方はTが散々教えてくれているわけですから,もう今更でしょう.
教わっても実行に移せない私達が情けないだけ.

ではcrushは・・・あの「ジーン」はどうやって出来ているのか.
私としては,「試合の中の重要な局面において,以下のどれかが高い妥当性をもって提示された場合」ではないかと思います.(以下の「新しい」は「聴衆がそれまで知らなかった」の意)

1. 新しい情報/事象
2. 事象の新しい解釈
3. 事象同士の新しい関係性(因果関係とか類似性とか・・・)
4. 旧知だが忘れていた1-3の再発見

で,番号が大きくなるほど,「ジーン」とする割合が大きいような気がします.
これを聴かせて貰えると百万回見たことある論題でも「今日来て良かった!!!」と心でガッツポーズです.

何とかこれが3回に1回くらいできる「ヒット・メーカ」になりたい!!
聴衆をあの知的な恍惚感で酔わせるようなスピーカになりたい!
聴衆に「今日来て良かった!」と思ってもらいたい!!

・・・わけですが,これはホント相当な精進がないと難しいように思います.
・・・それでもたまにそういう人がいるから辞められないんですよねー・・・はふう.

自分のスピーチが小器用になっていくとき・・・
思い出したい情熱です・・・

浅田真央ちゃんがパリのショートプログラムで,
1位になったにもかかわらず,ミスをしたことで悔し泣きしていました.
あの気持ちが分かる気がしました.
勝つことよりも,観客を魅せることに成功するほうが,達成感が大きいように思います.

でもその情熱が過ぎるとはた迷惑なスピーカになってしまうことも・・・
いわゆる・・・紙一重っていうんですか・・・?頓珍漢っていうか・・・?
躍動感と恍惚感と精密さへの驚嘆を観衆から引き出すには
不可能なほどの完璧さと大胆さが同時に求められます.
それを狙うばかりに分に過ぎた賭けをしてしまう場合もあります.
私はこの失敗がとっても多い.(最近少し良くなりましたけど)
そしてこの手の失敗は傍目には相当イタイ・・・
いつぞや書いたとおり,私はどこまでもキャンデローロ型なんですよね・・・
自戒しておかねば・・・

Tuesday, November 13, 2007

トード島の騒動 Sick Puppy

2002年の世界大会決勝戦.
私にはいつまで経っても分からない一文が.

Debating is really a "Sick Puppy", isn't it?

というものなんです.
ちなみにDLOの冒頭の台詞です.

他にもangry young manというフレーズが頻繁に使われたりしていて,
そういう言い回しに凝るタイプのスピーカだということは良く分かるのですが・・・

で,ですね・・・どうやら2000年に出版されたアメリカの小説,Sick Puppyから来てるのではないかと思いました.邦訳は『トード島の騒動』.しかしこのフレーズが英語圏のコンテクストで何を意味するのかがなかなか分からないんです.せめて邦題が原題に基づいてれば想像できるのに・・・小説のあらすじを読んでみても<病気の子犬>が何を表すのか全然分かりません.

聴衆の中には洒落た言い回しに惹かれた人も多いのかもしれませんが,書き起こし作業に四苦八苦させられる私としては本当にありがたくないことです.ああ,また一冊読まなきゃいけないのだろうか・・・(Catch22も同じような経緯で読んだ私です)

日本人なら「世界の中心で愛を叫ぶ」とか「三丁目の夕日」とか「踊る大捜査線」とかいった有名どころを多少パロディされても出典がすぐわかるもの.同じように英語圏にも似たような時代の「常識」があります.しかしこれはその特定言語権に住んでいないとキツイ.日本で売れてる芸人の名前さえ分からない私にどうやってアメリカの流行を熟知しろと?

ホント,百万回言ってるような気もしますが,言葉の壁の大きな部分はメディアの壁だと思う私です・・・

誰かSick Puppyの端的な意味が分かる方いらっしゃいましたら,是非是非教えてくださいませ.

Friday, November 09, 2007

迷惑メールお詫び Apologies for the spam mail

・・・私のアカウントからShelfariなるサイトのお知らせが来た,という方・・・

ごめんなさい!!!!

ある友人からのメールを開けたらWebが立ち上がりまして・・・
丁度動画処理中だったためかPCがフリーズしまして・・・
あれぇ?とか言って適当にマウスを動かしていたら
そこにあったボタンを押してしまったようなんです.

したらGmail上のアドレス全てに問答無用でInvitationを送りまくっているらしく・・・

本当にごめんなさい!!
(ていうか研究室や世界大会のMLにまで流れまくって大大大迷惑です・・・(涙))

しかも一度で終わりだと思ったら,どういうわけか再び同じく全てのアドレスに一斉インビテ送信されているらしいのです・・・もう・・・なんなの・・・・・・助けて・・・・・・

調べてみたところ,割と名のあるサービスらしいのですが,
それにしては異様なほど悪質サイト的・・・・・・

対策として,出来てしまったらしいアカウントを削除,
あーんど,FAQにある「私に送らないで」サイトにアドレスを入れてみました.

この状態で2日様子を見て,3回目が送られてしまった場合には
専門の方に相談することに致します.

とりあえずそういうわけですので,大変恐縮ですが,
私からの件のメールは無視・削除して下さい!!!

迷惑かけてごめんなさい!!!!!!!

Thursday, October 18, 2007

桃色吐息 make me sigh in pink delight

先日テレビで「日本の女性は歳をとるのが上手ですよね」
と言っている人がいて,ちょっとなるほどなぁー,と思いました.
確かに海外は皺が深くて必要以上に老けて見える女性が多い気がします.
湿度が違うからかしら?日本は『温暖湿潤気候』と習ったかも.
けど夏は温暖ていうより亜熱帯だし,冬は湿度も足りないですよね・・・
日本よりずっと『温暖湿潤』な感じのする熱帯の人達も早く老けるみたいですしね.
やっぱり経済力と努力の問題かしら・・・?

母が高橋真理子が好きで,最近放映された特集番組を食事中に流しておりまして・・・
で,代表曲『桃色吐息』を歌っているところをぼへーっと見ながら食べていたんです.
バックに流れるペドロ・アンド・カプリシャス時代の映像と今の映像を見比べながら,
若いときの髪型の方が似合ってたかなぁ・・・とか漠然と思いました.
が,直後に大体中間的な歳の時の映像が混じってびっくり!!全然違うじゃん!
いやはや,今の少し日に焼けた肌と明るい髪色の組み合わせの方がずっと良いわ!
そっか,ペドロ時代のファッションは加齢に向かなかったのか・・・うーん勉強になりました.

ところで,「桃色吐息」の英語版が「make me sigh in pink delight」だって知ってました!?
なんかぜーーーんぜん雰囲気ていうか意味ちがくありません??
勝手に溜息吐いてるんじゃなくて吐かせてる人がいるんだ??

で,思い出したのが・・・
「なんで恋愛がうまくいってる時は仕事が手につかなくて,
うまくいってない時は仕事がはかどるんだろう」って台詞.

あはははは.確かにね.
さしずめ,うまくいってる時のぼへーっとしてる感じが桃色吐息か.
じゃあ確かに犯人がいるわなぁ(笑)

真面目な時と「ゆるモード」の時の落差が激しいと言われる私は
自他とも認めるハイパー・ツンデレさんなんですが,
「ゆるモード」と「桃色吐息ぼへー」は違うものだなぁと思います.
でも「ゆるモード」の快適さに勝るものは少ない・・・
えてして「桃色吐息モード」はストレスも多く仕事もはかどらない・・・それは困る・・・
うーん・・・・・・って馬鹿なこと悩んでないでさっさと今週の分書かな・・・

そう言えば最近,…

ここから後の部分3パラグラフほど,期間限定表示でした.
うふふ.読んだぞーっていう方,お留め置きくださいませネ☆

Wednesday, October 17, 2007

When sophists were not sophistry...

日本語版がつけられませんでした・・・
この語感は出しにくいですよね・・・

先日,「ディベータは畢竟ソフィスト」と自虐ネタが会話に上りました.
最近このネタに過敏になっている私.ぐずぐず考えています.
で,田中美知太郎の『ソフィスト』を読み返しています.

スポーツとかだとよく「心・技・体」って言いますよね.
ディベートならさしずめ「心・舌・脳」ってとこでしょうか・・・
ソクラテス(プラトン)による舌と脳の分離よりも,
舌と心,脳と心の関係の方が長い葛藤の歴史を持っているようです.

そしてこれまで何度も何度もここにも書いてきたように,
頭良いヤツが良いヤツとは限らないし,
強いディベータが良い人とも全然限らないんですよね・・・
なんでこんなヤツがって思うような酷薄なヤツが勝ったりするんです.
「優しくなるためにディベートするんだ」がモットーの私ですが,
「学べば優しくなれるわけでない」のも
「トップ・ディベータが優しいやつとは限らない」ことも分かっているつもりです.

田中さんはGorgiasとProtagorasの違いについてかなり頁を割いて言及しているんですが,要はこの舌を鍛えれば脳や心も鍛えられると考えた節のあるProtagorasと舌だけ分離していた節のあるGorgiasって感じでしょうか.

ここら辺を読んでいると,自分自身がぐーらぐら揺らぐのを感じます.
所詮舌のみ,と割り切っていたGorgiasに潔さを感じたり,
Protagorasの夢見がちな想いに引きずられたり・・・

けどやっぱり私はProtagorasの方が近いのかなぁ・・・
つまりは地に足のつけず大風呂敷広げる詐欺師ってとこかぁ・・・
結局cleverな人がゲームに勝つのを黙って見てるしかないなんて情けないですね.

それでも私は大仰で技巧に凝ったGorgias的表現より,
シンプルさに徹しきったProtagorasの方が好きです.
そういうとこ,福沢諭吉の平易な言い回し志向に近いのかもしれません.
考える楽しさを知的挑戦の幸せを,一人でも多くの人と共有出来た方が良いに決まってる.

大学でディベート始めた時,たかが18や19なのに,
スーツ着込んで大学のバッジを胸につけて,
いかにも「背負ってます」って顔でディベートするコミュニティが本当に嫌だった.
大学毎に閥を作って帰属意識を煽る人たちの気持ちが全然分からなかった.
議論することにそんなにがちがちに構えてしまっていては,
本当の意味で議論を身近に大切にする文化が根付かないだろうと思いました.
今でもジーンズにTシャツで気取りなくディベートする方が気持ちよいと感じます.

そういうところ,ヒッピーなNDTのコーチ陣を思い出したりもします。
彼らの純真なリベラルさに心が洗われるような気がすることがあります.
先日某大会に学生さんたちがかかりきりだった時,
丁度全米ディベート協会の元会長が来日中で私ご案内役をしていました.
この先生がまたすっごく心根の綺麗なリベラルなんですよね・・・
ホントああいう方があの年齢でいるってことに救いを感じます.

今回読み返していて一番心に残ったのは,demagogos(デマゴーグ)とtheatrokratia(劇場政治)の部分です.シュラクサイへの遠征をアテナイがどういう経緯で決めたかというところです.この下りはファシズムや日本の戦前戦中を彷彿とさせます.思うに雄弁者を詭弁家と警戒する心が社会に蔓延するのは,過った戦争の後,というのが定番なのかもしれません.詭弁に踊らされないよう真の雄弁者を育てようと決意できなかった弱さの歴史でもあるように思います.デマゴーグとならない,心の洗濯をしてくれるような人達がマイノリティでい続けた歴史です.

"Man is the measure of all things"と言ったのはProtagoras.
自分の研究とあいまってちょっとジーン・・・と来てしまう言葉です.
この言葉が冒頭を飾る彼の著書の名は『真理』.
なんて美しい言葉の連環かと不思議に思うほどです.
まだProtagorasのように夢をみていたい・・・
「知らないで論ずるのではなく,できるだけ何でも知って,何でも論じよう」
とする心は,やはり美しいように,私はまだ思っています.

・・・というわけで勉強勉強!

Monday, October 15, 2007

夢の遠慮 restraint in a dream

気管支炎をひきまして・・・
各方面に多大なご迷惑をおかけいたしました・・・ゴホゴホ
まだ本調子ではありませんが,明日から復帰する予定です.
薬が効いて助かりました.熱は下がりました.

薬で眠っているときに沢山夢を見たんですが,結構リリカルなのもありました.

中学のときから好きな絵が一枚ありまして・・・で,気がついたらその絵に流れている川のほとりにいた・・・と.ね,リリカルでしょ?(笑)ここで誰かにばったりーとかだともう♪I know you, I walked with you once apon a dream...の世界でしょ!(笑)(分からない方に解説しますと,ディズニーの『眠れる森の美女』のテーマソングです.とーぜんyouは王子様なわけですが,何故か王子よりその馬の方がキャラが立ってるんですよね(笑)誰だああいいう設定にしたのは…)

会うには会ったんですけどね.
しかも憧れの君に・・・かの川のほとりで・・・
しかしそれが・・・その・・・イソクラテスでした.
(真面目に,どうよ,自分.なんでそこで哲人(?)よ.)
しかも・・・自分はイソクラテスの妹でした.なんて微妙なポジショニング!
自分自身がイソクラテス役ではなく,恋人とかライバルとかではなく妹・・・
何か微妙に遠慮した配置でスタートです.

しかしそこからの展開がもうめくるめく面白かったんだわー!!!
どうやら私は相当笑かす脳内脚本家を飼っているようです.

ちなみに兄の友人役でアンティポンという名が出てきたので,
どうやら自分で夢だと分かっていた模様です.

笑かすネタの一つで,「実は自分が『両論』の著者だった!」というのがある(笑)のですが,トドメが「しかも元ネタがPros & Consだった!」という・・・あははははははは.どっちが先よ!しかも盗作!あはははは.遠慮するにしてもなんて微妙な遠慮の仕方・・・

はた.

このブログ読んでも自分以外には意味がすっごく不明なのでは・・・(というか自分にも不明)
夢で遠慮するくせに現実の世界で遠慮が足りない・・・私らしさを直さないとです・・・

Saturday, October 06, 2007

[Book] 現代日本の開化 Civilization of Modern Japan

[本] 夏目漱石.1911. 『現代日本の開化』.和歌山市での講演.

高校三年生の現代国語の授業で扱った作品.
最近思い出すことが多いのだけど,その部位を忘れてしまうのでここにメモ.
つい先ほど書いた『言論と日本人』の最後の引用と関係深し.

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この圧迫によって吾人はやむを得ず不自然な発展を余儀なくされるのであるから,今の日本の開化は地道にのそりのそり歩くのでなくって,やっと気合いをかけてはぴょいぴょいと飛んで行くのである.(中略)あたかも天狗にさらわれた男のように無我夢中で飛び付いていくのです.(中略)これを一言にしていえば,現代日本の開化は皮相上滑りの開化であるということに帰着するのである.
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[Book] NATSUME, Souseki. 1911. Civilization of Modern Japan. (a lecture in Wakayama city)

[Book] 言論と日本人 Speech and Japanese

[本] 芳賀綏.1999.『言論と日本人: 歴史を創った話し手たち』.講談社. (1985年に三省堂刊行の『言論100年 日本人はこう話した』を底本としている) 最近読んだ本のアップを怠っていたので色々たまってしまっていますが,とりあえずここから. 感想は・・・「面白かった!!!」「後半,現代に近づくとともに笑えなくなった」「ディベートについては著者は不勉強かもしれないと思う」てなところでしょうか. 四つ目の引用(ヤジに関する部分)に大爆笑しました.あはははははは.ちなみに「hear, hear」は今に通じるけど,「shame」にあたるのは「ノウノウ」だったという記述も.もう有り得ないほど笑いました. 最後から二番目の引用は,底本が1985年に書かれたということを思い出す部分.しかしNAFAの設立は1983年だし,朝日討論会だけに言及しているところがちょっと寂しい.ちゃんとリサーチしたのかなぁ・・・と,そう思ってしまうと他の部分もやっぱり話半分に評価してしまう私です.ディベートについて本を書いている人の殆どが,ディベートコミュニティの出身者じゃない・・・ように思えてちょっと反感も抱きます. あと結構気になるのは,最後の引用.この人は典型的な『脳と舌を分離』したレトリック観の持ち主のよう.けど,「ロゴス」は「言葉」を意味したと言う人もいるくらいで,本来のレトリックはロゴスをも含んでいた筈ではないか,と思います.イソクラテスやプロタゴラス関連で前にも書きましたが,本来「よく話すこと」と「よく考えること」は同一に扱われてきたきらいがあります.私も脳と舌はつながっていると考える側です.少なくともアリストテレスの『弁論術(レトリカ)』にはロゴスが内包されているわけで,この方のような語の用法は誤解の元ではないかと思います. ------------------------------------------ 近代の夜明けとともに日本社会にも「言論」が登場した. 夜明けを導いた先覚者の一人,福沢諭吉は,新たな国づくりのために”演説”をしようと呼びかけた.それは「音声言語による公的コミュニケーションのすすめ」であり,文筆によるのと並んで,肉声で語る言論活動をすすめたものだった. ------------------------------------------ 言論の自由が謳歌される現代日本は,しかし,言論に迫力なく話法に格調なき社会である. ------------------------------------------ なるほど”演説”など見たことも聞いたこともなかった明治の民衆が,それに刺激されて巻き起こした興奮状態は想像に難くない.しかも,かれらは聞くための訓練など出来ておらず,そこへもってきて”演説使い”たちの話が難しいとあっては,内容の理解などおぼつかないものだった. ------------------------------------------ やや時期がおくれて明治二十二年十月,新潟県中蒲原郡酒屋村で行われた改進党の演説会に際しては,ビラに,「傍聴諸君のヒヤヒヤの程偏に奉希候」と書き添えられたほどで,「ヒヤヒヤ!」などの景気づけのための動員は,むかしから行われていたことがわかる.(中略)当時はヤジ要員も水準が低かったから,演説を聞いていても内容が理解できず,どこでヤジっていいかわからないことさえあった.(中略)このように,「ノウノウ」や「ヒヤヒヤ」は,一種の流行であった.(中略)政談演説会ならともかく,地方議会の傍聴人までが「ノウノウ」や「ヒヤヒヤ」をやってみたがって,議場をさわがせる事態が生まれてきた.(中略)聞き手としての修練を積む機会のなかった人々を相手に,内容・表現ともに難解な演説をぶちまくっても,知的理解を得ることはむずかしく,いきおい,情動的な反応ばかりが強く出てくることになったのだろう.(中略)福沢は,講釈師や落語家の話し方に学べと言い,軽妙洒脱なスタイルで演説せよとおしえたが,そこまでわかった先覚者は少なかったのではなかろうか. ------------------------------------------ 戦後日本で,にわかに評価の高まったものは”言論”であり,きびしく排斥されたものは”暴力”である.しかし,言論の権利は定着したが,内容・表現をあわせて言論の質は高まらなかった. ------------------------------------------ 当時(masa注: 昭和四十年代か?)モーニングショー形式の視聴者参加番組の成功に味をしめていたテレビ局は,今度は若い視聴者をあつめた討論番組を好んで企画したが,どぎつい言い合い・怒号を売り物にしようとする意図もあり,論理は無視して刺激の強さを第一とする奇形討論の風を茶の間に送り込んだ.後に,その傾向は,「朝まで生テレビ」という識者・ジャーナリストらの討論番組の中の,かなりの出演者に受け継がれ,呼び声の高まってきた「ディベート」については反面教師の役を演ずる番組にさえなった. ------------------------------------------ 戦後早々から朝日新聞社は「朝日討論会」を催し,地方予選から全国大会にかけて学生(三人で一チーム)同士の討論の場を広く提供した.参加者は,政治・外交・経済から文化・風俗にわたる多様なテーマについて立場を明確にしなければならず,知的内容を磨き討論技術を競う試練の場であった.が,いつしか学生たちの討論のエネルギーがおとろえたのか,「ディベートの時代」のかけ声にもかかわらず,催しが廃止されてすでに久しい. ------------------------------------------ 「言論の自由」が謳歌される時代に,かえって言論が内容(ロジック)・表現(レトリック)共に貧困化し衰退したのは皮肉と言うだけではすまない現象だが,もう一つ,日本人にはまだ真の言論の自由の精神が定着していない.この事態も深刻である.(中略)いま二十一世紀の入り口に立って,「自立」の精神に裏打ちされた自己表現を福沢がすすめた初心に立ち返り,明快なロジック(考え方)と洗練された日本語のレトリック(語り方)による言論を闊達に開花させることこそ,新しい世紀に求められるべき人間回復-ルネサンスのために不可欠の営みである. ------------------------------------------ [Book] HAGA, Yasushi. 1999. Speech and Japanese. Tokyo: Kodansha.

Friday, September 28, 2007

イソクラテスに恋して In love with Isocrates

かーーーーーー,かっこいい!!!!!!

彼の反戦スピーチ「平和について」(On Peace)の熱さにもーメロメロです.そして彼の議論における倫理観にもうヘロヘロです.かっこよすぎでしょう!!!!!

ああ,ついうっかり読み返してしまってジーン・・・だめだ・・・抜けられないぃ・・・

昨晩からL氏と「ディベート聖人」というお馬鹿なネタで盛り上がった(?)のですが,私的には聖人になって欲しい人第一位がイソクラテスですね.プラトンと対立しきりだったというイソクラテス.ソクラテスの死に異様なほど嘆き悲しんだというイソクラテス.「ソクラテスの弁明」を後世に伝えてくれたプラトンには恩義は感じるものの・・・それでもやっぱ私はプラトンよりイソクラテスが好き!!!

なんだって彼は日本で(海外でも?)こんなにマイナなんですかね.何故?どうして?メチャメチャかっこいいーーーーのにいいいいいいいいい.どうして学校はプラトンやアリストテレスを教えてイソクラテスは教えんのじゃーー.理不尽だーーーー(?)

ちなみに声が小さく度胸もなく,ゆえに自分でスピーチすることはなくひたすらスピーチ・ライターを務めたというイソクラテス.イマイチ自分のカリスマ性を信じられない人だったらしい.けどまあ確かにそういうのって向き不向きありますからね.カリスマを悪用する人よりよほど良いかもしれない.でも世の中似非でもカリスマがモテるもの.幸せな人生送れたのか気になるところです.

ソクラテスは恐妻家だったとか.彼の外見ははっきりきっぱり「ぶ男」とあちこちに書かれ,妻に怒られても折檻されても凝りもせず仕事もせずしゃべくっていたのだとか.

はて,イソクラテスはどんな外見だったのでしょうね.とりあえずソクラテスほど明確に容姿に問題があったとは書かれていないわけなんですが・・・

ぶ男でも頓着せず「おんもでゴー」.最後の裁判でも堂々たるスピーチをかましたソクラテス.
そこまで壊滅的ではなかったのに自信が持てず生涯裏方に徹しカリカリ書いてたイソクラテス.

なんとなくお日様のもとで明るいヘチャムクレ的ソクラテスに対し
イソクラテスは陰鬱な青白いもやしっ子な感じ・・・を思い浮かべますけど・・・
陰鬱なオドオド君にはたしてこんな文章が書けるものなのか・・・
なんだか全然イメージが収斂しません.
プラトンの『パイドロス』ではソクラテスに絶賛されてますしね.
崇高なとか高貴なという言葉で評されるイソクラテスはオドオド君的印象とは遠いです.

第一彼の書くスピーチは・・・威風堂々かっこいいいよおおおおおおおおお.

詳しい引用は過去ログ↓参照どうぞ!もうしびれちゃうから!!
http://toseisha.blogspot.com/2006/06/book-1isocrate-discours.html

それはともあれ,私のこういうフェチはそろそろどうにかしないとね・・・

Friday, September 21, 2007

語感 Word Texture

次の予定まで中途半端に手が空いたので,書いてしまおうかなぁ,と思います.

総裁選候補者討論の進行の仕方が米国のに近くなっていてちょっと面白く思いました.比較的質問もストレートだし,返答のほうも安倍さんみたいに暖簾に腕押しまくり気分を味わわず済みました.ただ質問が片方の候補しか答えようのないようなものが続くのは避けて欲しい気がしました.

途中,「世論調査の結果,麻生さんは女性に支持者が少ないようですが,何故だと思われますか」という質問を受けた麻生氏.「いやぁ.モテないってことですかね.そんなの私に聞かれても分かりませんよ」という返事.

・・・それはちょっとビミョー.

私生活の色っぽい話で「モテるモテない」と「政策が女性に評価されるされない」はぜーんぜん違わない??それをまるで同じことみたいにさぁ.女はセックスアピールで政治家選んでるとでも言うのか,ばかやろーーぉ.

なんていうか,「男女共同参画関連のマニフェストを精査したいと思います」とかさぁ,「女性の方に不評な政策をヒアリングして改善したいと思います」とかさぁ,言いようあるでしょ,他に.ていうか70過ぎと60過ぎの爺様たちにモテ度調査だと思われる有権者の清き一票って何なのよ.

ま,それはおいて置いて...

「思想は言葉に宿るから」と書いてくれたのはmasashi氏でしたよね.うん,良い表現ですね.ホント,言葉には心が乗りますよね.外国語だと難しいのは,乗せる心と乗り物が合っているのか確証もてないところってありますよね・・・

漱石の「現代日本の開花」って高校で読まされた時,たしか,天狗のように飛び跳ねている日本はそのツケをいつか払わされるのだろう,みたいな部分があって,ピンとこなかったのを覚えています.最近少し分かるような気がしてきます.

さて,

先日のJPDUTの論題について,他の方の書いていることもささーっとあちこち読ませて頂きました.具体的にはAsh君,ひさま,manoloさんあたりです.割と共通している部分もあり,個人差の多い部分もありだったようですね.あと山に入った後の論題リストも見ました.

んー,で,結局,一番問題に感じたのはR5のWTOかなぁ・・・
safe(ty)の独特の語感が,日本語と英語で違うのではないかな.

私語源関係はあまり詳しくないのですが,safeとsaveって多分関係の深い語ですよね.
safeにはsaveの語感が付きまとっている気がします.safety-netもsafeguardも,零れたものを掬い上げるイメージがあると思います.アスレチックで高い棒をつたう時に,万が一落ちても最低限の安全が確保されるように下に網が張ってあったりするの,ああいうの,セーフな感じですよね.

このセーフは自由と切り離せない関係にあると思います.

基本的にアスレチックではスリルと冒険を自由にめいっぱい体験することが良しとされます.経済でも極力自由な挑戦・競争が良しとされます.消費社会も基本的には消費者自身の自由な選択に任せるのが良しとされます.

ただ,その自由な選択が,選択した本人を大きく傷つける場合があり,極端な場合には救済措置(safety-net/safeguard)が必要になります.破産手続きや米国産牛肉が輸入制限されたり,EUが遺伝子組み換え食品を拒否したり,フランスや韓国,中国が外国映画の輸入を規制したりするのは,基本的にこうした考えに則っています.バッド・チョイスの場合も死なないようにしてくれるためのものです.自国民各人の自由な判断に任せると,国民に大きな危害を生む可能性があるために,最低限の安全を確保するため自由を国が制限することになります.アスレチックから墜落して死ぬ自由や死のリスクを現実に感じてゲームする自由は制限されています.これが基本的にsafeguardの概念だと思います.

然るに,動物虐待を伴ってできた商品(化粧品だか薬品だかムームーだかなんだか知りませんが)自国民・自国産業・自国文化にデトリメンタルである可能性を立証できなければ,WTOはsafeguardの発動を認められないわけです.

最近なんでも貿易といえばWTOを守護にしたMotionにしてしまいがちに見えますが,それはちょっと困ったことです.WTOは魔法のランプではありませんし,何よりWTO独自の方針とか政策とかは基本的にないはずです.どっちかって言うと裁判所みたいな機構だと思った方が良いでしょう.ですので,WTOが動物虐待を伴ってできた商品を締め出すべき,みたいな決定は行いません.加盟国の何処かがした場合,WTOはそれがルールに則っているかどうか裁定する場所です.

safeguardの場合は,加盟国が「この商品を輸入するとうちの国民がこういう危険性に晒されるからうちは輸入できんわ」と証明すると,そのsafeguardをとってもルール違反とは看做されないわけです.

safeguardがそういう仕組みだから,ケアできない問題があるわけです.safeguardは輸入国の安全は守れますが,生産国の問題には対処できないのです.だからfair tradeという動きがあるのだし,product not processの原則が時に批判されるわけです.生産国側の悪行(劣悪な労働環境,環境に悪い生産方法,動物虐待も含めた倫理上の問題などなど)は,大変重要な問題ですが,safeguardという「消費者のバッドチョイスによって消費者自身を危険に晒してしまうことから守る」システムとは関係ないのです.

なので,「そのsafeguardを動物虐待のケースに当てはめればよいだろ」というわけにはいきません.全然別物です.生産者の悪行へのおしおきは,何らかの形でWTOがfair tradeにシフトすれば可能かもしれないけど,safeguardのシステムとは全く別のものです.

今回の論題は,
- WTOがsafeguardを使うことはない(あくまでも加盟国が使う)のだが,論題はWTOが主語
- safeguardは輸入国のドメスティックな被害を根拠に設定されるものなのだが,論題は動物虐待という生産国側の問題が対象
- WTOにはproduct but not processの原則があり,現行のsafeguardもprocessの部分には立ち入らないことになっている(遺伝子組み換え食品のときに同一のproductかどうか散々論争になったとおり)が,論題はprocessに関するもの
というようなわけで,やはりどう考えてもsafeguardというwordingは選手にも審査員にも論題を意味不明にしていたと思います.

動物虐待を伴って生産された商品を締め出すディベートがしたければ,論題はfair tradeに関するwordingが望ましかったでしょう.

WTOを魔法の小槌のように扱う最近の傾向全体の問題なのかもしれないけれど,国際大会でも良く出てくる機関なので正確に理解して,来る世界大会でも良い議論を展開してもらいたいと思います.

Tuesday, September 18, 2007

half way up the hill

Akira君の日記へのコメントから自分ところへ戻ります.
長くなりすぎてしまってあちらには投稿できないので.

日曜日,JPDUTの審査をしてきました.
で,論題のレベルがここ一年低下しているのが心配になりました.
ここ数大会は,他の国際大会のあからさまなコピーが多く,
しかも時宜を逸していたためイマイチ・・・と思っていたのですが,
今回は別の問題でした.コピーではなかった.確かに・・・割とクリエイティブでした.
けどなぁ・・・

1. THBT countries engaging with human right abuses should not host Olympic.
2. THW support affirmative action for women-only corporations.
3. THW give citizens the right to vote against a candidate in an election.
4. THW prosecute copyright abusers without official claim by copyright holders.
5. THBT WTO should use a safeguard against cruelty toward animals.

まず一試合目の.
二年半前ならいざ知らず,この期に及んで今更中国から取り上げるべきだ,と言っている人はまずいないと思います.その意味ではすごく時宜を逸したもの.ただ,あとでH君に「今後のホスト,という意味でもよいですし」と言われ,なるほど,と思いました.というのもIOCの2016年候補地立候補の締め切りが9月13日だったばかりなので,そこに中国と同じような問題児の影があれば・・・と思ったわけです.
しかしですね,よく考えてみると2016年の候補地はBaku, Cicago, Doha, Madrid, Prag, Rio and Tokyo. このうちどの国が中国のような批判を受けているのか,と考えるとちょっとねぇ・・・ じゃあ,もう具体的にどことかいうのはなしにして,漫然とIOCが立候補の際に満たさなければならない基準として設けるべきだって話にするのか,ということになるんですが・・・それだって何だか具体性を欠いた曖昧としたディベートになりそうですし,そこまでして今議論すべき深刻さがないような気がします.
「もし,将来,サウジアラビアとかが誘致してきたら・・・」という「もし」「たら」の架空ディベートになってしまうでしょう・・・?

では2試合目.
これはねぇ・・・とりあえず日本にはwomen-only corporationsなんて公式にはないはずですよねぇ.
現在は性別,年齢,出身などを理由に就業の機会を奪ってはいけないことになっている筈では.
年齢のしばりはまだ色濃く残っていますが,それでも年齢すら随分緩和されてきたはず.
「うちは男性は雇いません」って公言しちゃったら処罰の対象では?
「平等に就業機会を与えたにもかかわらず,応募者の性別が偏っていたなどの理由により,結果的に女性ばかりになった」というのはありなのだろうと思いますけれども.
けど,この論題では公的補助を貰うために「うちは女だけの社です」と登録しなければならないと思われるので,いったいどうやって機能するのか不明.男性であることを理由に就業を断るのはあり,というように変えるのでしょうか.そこら辺を曖昧にしたまま試合が進行すると,否定側の言うことがあまり残されておらず,どんな理念対立を想定して論題をセットしたのかよく分かりませんでした.また,women-only corporationsという架空の存在に対する架空の支援について議論しているので,メリットもデメリットも相当フィクションの世界にぶっとんでおり,議論の評価が大変困難でした.
もう一つはaffirmative action. http://en.wikipedia.org/wiki/Affirmative_action
ほとんどのチームが税制上の優遇や補助金にセッティングしたようですが,affirmative actionと聞いて真っ先に思い浮かべることというのはそういうのではないような・・・なんだかもう少し良いwordingがあったのではないかと思います.

さて3試合目.
これはねぇ,私結構好きでした.面白い,と思ったの.
問題は相手が19歳とかなのでねぇ・・・どう考えても玄人好みなこの論題は荷が重かったのでは.この論題で良い議論をできる選手はそうそういないと思うのです.何といってもポジティブ票とネガティブ票の性格の違いを明確にするのが若い選手には難しい.私は3年生と4年生が組んでる熟練チームが肯定側の試合を見に行きましたが,にもかかわらず論理性は散々でした.
「盲目的な支持者が影響を与えていて良くない」という現状分析なのですが,
「盲目的に嫌っている人が影響を与えるのはかまわない」のか全く説明してくれないので,
何がどう違うのか全然わかりませんでした.
私だったら,divisiveすぎる候補者が消えるからuniterが当選する,とか言うかな・・・
「現状だとブッシュとか小泉とか敵が多い人が選ばれちゃうから国内の統一が図れない.
もう少し調整系で無難なやつを選ぶには,たとえ支持者数がそこそこでも敵の少ないやつが良い.」みたいな?どっちかって言うと米大統領選を彷彿としますね.ヒラリーとかanybody but bushキャンペーンとか.まあそれだって話を掘り下げるのは相当大変だろうと思います.

4試合目.
この論題何してほしかったのかなぁ・・・prosecuteと言っている以上刑法ですよね.著作権違反が刑法上は親告罪だったとして,立件しないことを選ぶ被害者ってどのくらいいるのでしょうか.プロセスとしては,
①警察が捜査・摘発する
②被害者と思われる人に確認を求め,被害届を出すかどうか決めてもらう
③被害届を受理した場合は立件準備開始
となっているのかと思うのですが,②の段階で被害届を出さない方を選ぶ人ってどういう人でどの位いるのでしょうか.それが分からないと肯定側としてはどうしようもないですよね.最近何かそれで問題になったケースありましたっけ??

随分前,ライオンキングが公開された頃には,ジャングル大帝のコピーだと批判されましたが,手塚治さんの遺族が訴えないことを選んだためそのままになった,とかいう話だったと思います.そういうケースが刑事裁判でも沢山あるんでしょうかね?あまり想像がつかないのですが・・・民事裁判だったらわかるんですけどね.訴訟するのが億劫だと言うこともあるかと.けれど刑事裁判だと証拠の収集などコストは全部国(警察・検察)がかぶってくれるわけで,断る理由がよくわかりません.ライオンキングの件も民事だったと思います.

これまた肯定側が架空の存在の架空の問題について議論していて,もう溜息が出るほどファンタジーの世界でした.

5試合目.
ワーディングが良く分からない.
WTOのセーフガードって?あの食品とエンタメ産業に許されてるやつ?
自国民・自国文化の安全性に著しい危害を伴う可能性がある場合は,
安全弁として輸入を制限して良い,ってやつ?
・・・動物虐待とどう関係あるんだろう・・・??
たとえばうちの部屋では肯定側が英国の狐狩りで獲った毛皮の輸入を数量制限するとかいう珍妙なケースにセッティングしていてワンダーでした.そもそもイギリスの狐狩りはスポーツであって毛皮の輸出目的なのかとか,狐狩りが問題なのは絶滅の可能性があるから,と肯定側が言ってしまっては虐待のモーションとの関係は何処に行くのかとかいうマイナな突っ込みもついしてしまいたくなります.
が,何より,たとえばフランスがその問題の毛皮を現在輸入していたとして,フランスは自国の何が危機に瀕するからセーフガードとして輸入制限を設ける,と言うことになるのか?
これがwordingが動物虐待でなく絶滅危惧種だった場合は,環境に国境はないから,何処かの国のecodiversityの危機は他所の国にとっても危機,とかいう怪しいリンクが成り立つのかもしれませんが,それならワシントン条約で良いでしょう.
うーん・・・何をさせたかったのか・・・不明です.

そういうわけで,今回の論題は散々だったような気がするのです.
あれじゃ実力の発揮しようがなくてディベータが可哀想じゃないかなぁ・・・
ていうか何でもっと時宜性の高いものを素直に持ってこないのかなぁ.
架空の問題について議論する前に現実にcontroversialなことを議論する方が先じゃない?
2年前や3年前は論題の選考が随分良くなってきたとホクホクしたのですが,
なんだか最近変な方向に向かっているようで心配です.

なあんて話を審査員室でしてるとですね,「masakoいちいちうるさいよー」ってことになるのかと思うのですが,その後たらたらと飲みに行った先で,それは私がいつまで経っても先生気分になれず,現役気分でいるからだという指摘を受けました.先生気分で審査員をすれば選手の成長につながりにくい論題だろうと議論がへたくそだろうと腹は立たん,とおっしゃるわけです.けれど私の場合,自分自身がまだ山に登りきってなくて,一所懸命皆と一緒により良いディベートを模索しながら登っているつもりだから,自分が選手として参加しているかのように腹を立てるのだろう,と。

なるほどね.

確かに,私にはいつも「まだ山の中腹気分」がある気がします.
もっとディベートのこと知りたい,もっと良質な議論を目指したい,もっと社会貢献につながるディベートを模索したい,と欲求は果てしなく続きます.
私はNさんやHさんのように,人に教えてあげる,人の荷物を軽くしてあげる側になかなか立てません.
私自身が必死こいて山登っているから自分の荷物で精一杯で人の荷物まで持てないの.
その代わり,いつまでも他の現役ディベータの皆さんとは「仲間」の関係で同じ土俵にいるつもり.
なので,せっかくここまで登ったと思ったのになんで逆戻りするんよー!と仲間に腹が立つわけです.

確かに人が私に求めていることとは違うのかもしれない.
でもね,そればっかりは変えられないかな.
私はいつでも,もっと良いディベートを追求していたいです.

日曜日は,帰りに「成蹊」の由来となる故事の話がでました.
割と素敵なお話だったので,興味のある方は調べてみてはどうでしょう.(^v^)
それで慶應義塾とかだともっと沢山あるし認知度高いよね,という話にもなったのですが,
そうですね,上のような私の態度は丁度慶應の『半学半教』の精神に近いかもしれない.
慶應では先生は「福沢先生」ただ一人なのだそうで・・・
教授は大学側には「君」づけで呼ばれ,大抵の学生には「さん」づけで呼ばれます.
基本的に教員も学生も,本来は互いに教え教えられる,共に学ぶ仲間,ということなのですよね.
学問の高みを共に目指す仲間として,切磋琢磨しあう場としてキャンパスを見ています.
私はディベート界をそういう風に見たいのだろうと思います.
その意味で私は,critic judge,学び続ける審査員でありたいのだろうと思うのです.
日曜日のような架空の世界に半分いってる論題が出ると,
「この論題で私やディベータ達に一体このラウンド何を学べって言うのよ!」と腹が立つわけです.
審査しに行くとき,私は学びに行っているのであって教えに行っているのではないのかも.

でもそもそも,Wさんが仰るように,いつも新しい学び・気づきがあること,それによって自分の考えが修正されること,それがディベートの根源的な価値だと思います.だから私に限らず,本来ディベート界こそ,常に『半学半教』でなければならない筈だと思うのです.

Thursday, August 09, 2007

韓流にハマっている母が,オールインを観ながら振り返って曰く,
「ご縁がありますね,の『縁』って英語でなんていうの?」

ちなみに母は英文科卒です。。。。

はて,何ていうんですかね・・・
fate? ちょっと違いますよね。
問題のシーンらしきイ・ビョンホンの台詞の部分を見せられましたが
イマイチはっきりしませんでした。
イ・ビョンホンの発音がおかしいのか,それとも私の語彙に問題があるのか。
『フィニッティ』(おそらく名詞)と『フィニット』(おそらく動詞)と聞こえたのですが・・・
fateだとnの発音が入らないですものね・・・ふむむ・・・
finiteだと限界とかいう意味になってしまう上,発音もファイナイトになる筈だし・・・

ふ.ふ.ふ。

今日は凄い凄い凄い『ご縁』を実感しました。

6年も前に一度会っただけのユーゴスラビア(当時)の友人に再会しました。
一度会っただけとはいえとても印象が強くて,どうしているかなぁとは思っていたんです。
海外の友人との友情って何なのさ,と考え込んだ時ふっと思い出す人です。
というのは,会った時,二人とも英語が下手だったの(笑)
それなのに仲良くなったんですから不思議でした。
今はセルビアとなったベルグラードに戻っているそうで,
元気にやっていると知って凄く凄く凄く嬉しいです。

あーんなに前のことなのに,二人とも覚えてたなんて凄いですよね。
確か最終日のパーティでは夜中まで一緒に踊った挙句ガールズトークに入りました。
何で数日間で突然あんなに気があったのかな・・・とにかく何故だかすごーく盛り上がった。
また会える機会があったら,もしかしたら凄く仲良くなれるかもしれないな,
なぁんて思ったりします。でもあんなに短い時間であんなに意気投合したのですから・・・

彼女と撮った写真は長いことお気に入りの一枚でした。
彼女はドレスで,私は着物で,もうハチャメチャに踊り狂っている写真です。
あれどこにいったかなぁ・・・探してみようかな・・・

Sunday, August 05, 2007

Why does counter warrant counter?

(Sorry! Japanese only, today!)

ついさっきまでデロデロに疲れていたんですが,ふっかぁーつ!
相当寝不足で眠いはずなのにおかしいなぁ・・・

で,復活してすぐ気になることがこれ,というのに自分の病的偏愛を感じます。

甲子園中W氏にわからないわからない,と言った私。
何がってResolution focusのジャッジさんでcounter warrantは
採らない(歓迎しない)方がいるのが分からんのです。
不完全燃焼なのでこんなところで解消します。
異論反論大歓迎です!!

私もともとはresolution focusでして……
でもってalternative justificationもcounter warrantも評価の対象内にしています。

何故,というと以下のような例でいかがでしょうか。

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(1) 「改革続行!」と言われたら……

例えば直近の参議院選。
安倍さんが「改革を支持するかどうかの選挙です。
私の改革を支持する方は比例代表で自民党に投票してください」と言ったとします。

ここ(A)で「自民党を支持する」がresolution,「改革を支持する」がplanの関係です。
(Topicalかどうか,という話はちょっと置いておいて下さいね……)

で,ここで更に安倍さんが「皆さん改革の必要性はご存知のはずです。
特に経済改革はしっかり成功しています。景気が回復し始めて嬉しい,
こういう改革をこれからも続行して欲しい,と思う方は多いと信じています」
とか言ったとする。

今度(B)は,「改革を支持する」がresolution,
「経済改革を支持する」がplanの関係です。
入れ子状態になりました。

またまた更に,「経済改革が素晴らしい証拠は公共事業の削減です。
私は無駄な公共事業を削減することで経済回復の一歩を踏み出しました。
皆さん公共事業を削減を続けるべきだと思われる方,清き一票をお願いします」
……と言ったとする。

これ(C)で「経済改革を支持する」がresolution。
「公共事業の削減を続けることを支持する」がplanの関係になります。

入れ子にまた入れ子,ロシア人形状態です。

このように入れ子状態を形成できる,ということはplan支持がresolution支持の根拠になっていることを示していると言えるので,resolution focusの人的にはしっくりくるのではないでしょうか。

さて下から,(C)のディベートから見てみましょう。

ここで公共事業削減のDisadvantageを提示した場合(建設業者の苦難とか),
これは普通のnet-benefitの話です。

しかし,公共事業の削減はまあ良いとして,他の経済改革,
例えば農業改革で大規模農家だけを補助するようにしたことや,
大企業の法人税を引き下げしたこと……などはplanの外だから関係ないでしょうか?
公共事業削減さえnet benefitialなら,経済改革は是とされるでしょうか?

私なんかは,無駄な公共事業は減らして欲しいけど,
小規模農家切捨ては良くないような気がする……
企業の法人税も下げないで欲しい…という場合なのですが,
この場合も私は「経済改革を支持する」に票を投じなければならないでしょうか?

このように,肯定側(与党側)が限定したエリアではない(公共事業以外の)部分,
そこからDisadvantageを出すタイプの議論もcounter warrantと呼ぶことがあります。

私はResolution focusな限り,あくまでも「経済改革を支持するか」を決める票。
私は公共事業以外の経済政策も考慮の対象になるように思います。

(B)のディベートも同様です。
私は経済改革や行政改革は高く評価しているかもしれないけど,他の教育改革や憲法改正や司法改革は気に入らないかもしれない。その場合も,経済改革には賛成だからといって改革全体に賛成だと言えるでしょうか。

(A)のディベートの場合,私は改革路線自体は高く評価しているかもしれないけど,
安倍政権の年金問題への対応や人事や自民党の派閥のあり方なんかが気に入らないかもしれない。
その場合でも,改革さえ支持するなら私は自民党に票を入れるべきでしょうか。

小泉さんが「郵政選挙だ!」と叫んだ(やたらと狭いplanに設定した)時,民主党ほか野党は「国政議員選挙は単一の政策に対する国民投票じゃない」と反発しました。それで対抗して福祉の話や憲法の話を持ち出してきたわけですが,皆さんどう思われましたか?あれは丁度counter warrantを出した状態ではないでしょうか。

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(2) 憲法改正!と言われたら……

ちょっと違った例で逆転さえしてしまうケースも考えてみます。
国民投票方が可決されました。
これで3年以降後なら憲法改正案が提出されるかもしれません。
どこかの政党が「9条を変えることに賛成なら賛成票を投じてください!9条が最も重要な変更点です!」と叫んだとします。

その時の国民投票で,皆さんは9条の部分だけを重視して投票されますか?
それとも全体を見て決められますか?
伊藤真さんの「憲法の力」によると憲法改正においては肯定側のburden of proofがずっと重く,一項目でも気に入らなければ弾くべきなのだそうです。これなんかは,counter warrantが一つでも成立すれば,Resolution全体が肯定側よりだったとしても,否定側が勝つというものです。(Stock Issueっぽいのでしょうか)例えば,24条の改変に反対ならば,9条の評価に関係なく反対票を投じる,というわけです。

それがresolution focusの意味ではないかと思います。
国民投票における有権者の票が決めるのは
「9条を変えるべきか(planの是非)」ではなく,
あくまでも「憲法を変えるべきか(resolutionの是非」のはずです。

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(3) 『パーラ』だと違う

*カッコつきで『パーラ』としているのは,クドイようですが,
日本での『パーラ』という呼称が間違って使われているためです。
殆どのアメリカ人も間違って使っております。カナダ人は間違っていない。
『パーラ』は即興性のディベート全体を指す言葉ではありません。
North AmericanやCanadian, Asians, Australasiansなどはパーラではありません。
イギリス由来の4チーム対抗のもの(British Parliamentary/大学生の世界大会の形式)
のみが本来Parliamentary Debateと呼ばれます。例えば豪亜大会を『パーラメンタリー・ディベート』と呼ぶとオーストラリア人や東南アジア人は目を白黒させるものと思われます。豪亜大会ではThis Houseという文言を使用しないのもParliamentを模していないのですから道理です。

とにかく・・・

即興性のディベート,特に国際大会の形式では,resolution focusの立場もplan focusの立場もとりません。極めてbest policyに近い立場を全部のジャッジがとるようにインストラクトされます。(コンディショナルなプロポーザルを複数出す事は禁じられていて,各サイド1政策『セット』ずつしか提示できないので,best policyというよりもbetter policyといった感じに見えますが・・・まあ,それもやっぱり基本的な考え方はbest policyでしょうか。ただ更にclashを創ることを奨励する為に捻りが加わっているので,NDTスタイルの方でbest policyで審査されている場合でも多少訓練は受けてから審査されることをおススメします)

ですので,本来Resolution Focusの私も国際大会ではbest policyの立場に則って審査します。例の捻りが効いていることもあり,counter warrantもalternative justificationも採りません。国内の即興性ディベートが国際基準に合わせていくことに賛成なので,国内でも即興性の場合はbest policyで審査しています。『パーラ』での私の方が見慣れているわ,という方の場合,上記の話はその方たちのスピーチには当てはまりませんのでご注意下さいませ。

……でも最近国際大会での審査歴が長くなってきて,染まりそうな私です。
その内NDTスタイルでもbest policyのmasakoになるかもしれません……

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以上が私のcounter warrantの理解なのですが,いかがでしょう。
この手の議論が大好きなので,異論反論苦情,大歓迎でございます。
そうした議論の中で学んで私の意見が変わる可能性も開かれております。
W氏がライブ解説で仰っていたとおり,「それが議論する価値」だと,
私も思います。Wさん,ライブ解説,格好良かったです!
サラッと良いこと言うからニクイですね!!

Saturday, August 04, 2007

君は美しい You're beautiful

明日・明後日はディベート甲子園の審査員をすることになっています。
普段夜更かしな私ですが,今晩はもう寝ます。
本当は豪亜大会のRound6の論題についても少し書いたのですが,
英訳が間に合わないのでまた今度投稿いたします。

中学生や高校生の試合は,議論や技術が荒削りでも
時々ハッとさせられることや,お腹の底からカラッと笑えるような楽しいことがあります。
彼らのディベートは洗練されてはいないんだけど,何故か美しいとさえ感じることもあります。

議論するのを楽しむ気持ち。
その純真さは世界チャンピオンのそれを遥か上回って,
私を原点に引き戻してくれるような気がしてきます。

You're beautiful, you're beautiful...ってあの曲誰のでしたっけ?
明日は久々,エネルギーチャージです!!

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Tomorrow and the day after tomorrow, I'm going to judge the high school national.
I usually sit up till late and keep writing things but tonight, I go to bed immediately.
Actually wrote some about the motion of Australs Round 6.
But couldn't finish translating it to English today and so, will submit it sometime later.

School debates do not promise me depth of arguments or tactical clashes.
But they sometimes make me realize something I have been forgetting or laugh with joy.
Their debates are not necessarily sophisticated but somehow I feel them beautiful.

To Enjoy arguing.
Their pure fascination looks a lot more beautiful than that of World champions.
They bring me back to the place I started loving debating when I feel lost.

"You're beautiful, you're beautiful..."
Can't remember whose song it is...
Tomorrow, I'm charging my energy and love. :)

Saturday, July 28, 2007

千島の謎 QF: Mystery of Kurile Islands

(English version is following the Japanese one)

準々決勝. 論題がなんとロシア!(Yes!!Finally!)
That we should suspend Russia's G8 membership pending democratic reforms
和訳すると,「民主化が遅れているロシアのG8参加権を停止するべき」ですかね・・・?

そういうわけでロシアの政治について聞けるという活気的な試合でした.
皆普段あんまりロシアについて勉強してないから,
こういう機会に勉強する切欠を貰うのは良いと思います.

まあそれは良いのです.
審査結果に影響しないようなマイナーな例だったのですが,否定側がチョロっと言いました.

"Russia and Japan are disputing over Kurile Islands"

......???
なにぃ?

ロシアと日本はいつから千島列島をめぐって領土問題を抱えているのですか・・・?
(Kurile Islandsの和名は千島列島ですよね?)
いや,より正確には,ロシアと日本は「今でも」千島列島を取り合っているのですか?

・・・謎です.

私が小学生の時は,日本はサンフランシスコ条約で千島列島は放棄したが,
北方四島(国後島,択捉島,色丹島,歯舞諸島)は放棄していないはず.
よって今もロシアが占拠,返還を要求中,と習いました.

教科書の表記は流石に多少日本よりの解釈ではあるだろうと思いましたが,
うーん・・・・・北方四島は英語で何ていうんだ??

日本側の解釈はここで読めます.
(某スキャンダル以来このトピックは外務省よりウィキペディアを読むことにした私)

詳しい年表はこちら.(1956年に注目.びっくり)

ロシア側に近い解釈はこちらで読めます.

……結論.
1) とりあえずKurile Islandsと呼ぶのが絶対に間違いとは言えない.
2) が,ロシア側の主張をベースにした呼称になるので公平とは言い難い.
3) 現状のままだと,これについて英語でディベートするのはかなり困難.
4) 上のサイトにあるようなことを英訳した方がいい.(面倒臭い)

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Quarter Finals got very refreshing motions.
On Russia!!! (Yes, Finally!!)
Motions of the round I watched was...
That we should suspend Russia's G8 membership pending democratic reforms.

Because it seems debaters are not encouraged to learn about Russia much,
I was glad that at least Australasians took an action to do something about it.
So, I was fully enjoying the round hearing about Russian politics.

But there was a very mysterious statement by the negative team.
It was a merginal example in the round and didn't affect my decision much.
But they said "Russia and Japan are disputing over Kurile Islands"

......?? Really??

Since when Russia and Japan are disputing over Kurile/Chishima?
(Kurile in Russian and Chisima in Japanese)
Or more correctly are Russia and Japan "still" disputing over Kurile/Chishima?

While my primary school days, I was taught that Japan gave up Chisima(Kuril) Islands after WW2, but didn't abandon the Northern Territory (Kunashiri Island, Etorofu Island, Shikotan Island and Habomai Islands). And so, Japan is asking Russia to give them back.

I did assume that textbook is based on a biased point of view towards Japan.
But say, how do we call the islands of Northern territory in English to begin with?

So, I looked up.

You can read Japanese version of interpretation here.
(Hey, wikipedia's summary is better than MOFA's now... after that scandal...)

For further chronological table, look at an article here.
(And pay attention on year 1956!!! WOW??? Did you know that???)

And for Russian version interpretation, read here.

To conclude,
1) It is not absolutely incorrect to call them as a part of Kurile Islands.
2) But calling them Kurile already makes you take a biased position towards Russia. (a bit similar to Dokdo/Takeshima issue but this one is even more complicated because Kurile and Chisima may not mean same islands although there are overlaps)
3) So, at this moment, it is difficult to debate on the territorial issue between Russia and Japan in English, the third language.
4) Somebody gotta translate sites above into English. (What a bother...)

Friday, July 27, 2007

決勝を消化する Digesting the GF

遅くなりましたが,宣言どおり「じゃあ否定側は何て言えば良かったんだろう」コーナーへ.

うーん・・・難しいですけど・・・

1. 自閉症を治すのは非常に困難である
2. 治療がかえって患者の負担を増やす
3. 社会からの排斥につながる怖れがある
4. 同じ財源を自閉症のまま社会に受け入れることに使った方が良い

という構成でどうでしょう?
(3に例のフーコーチックな部分を採り入れてみました)

1-3を第1弁者,4のプランだけは第1弁者が軽く触れておいて,
何故自閉症との共存が可能であるかを第2弁者が詳しく述べるという分担でどうかしら.

As I promised, I thought over what kind of alternatives neg could run for.
How about the following?

1. It is extremely difficult to "cure/normalize" autism
2. Treatments rather burdens patients and families heavier
3. Normalization pressure may merginalize autism from society
4. It is better to utilize the same financial source for building social infrastructure to accept autistic ones as they are

What do you think?
(I put the Foucaultistic part into 3)

Perhaps, the first speaker would explain 1-3 and the counter-proposal for 4.
And the second speaker would elaborate how society can coexist with autism and accept autism warmer without normalization.

Thursday, July 26, 2007

[Book] 敗北を抱きしめて embracing defeat

[本] ダワー,ジョン. 2004. 『敗北を抱きしめて(増補版)』. 岩波書店.
[Book] Dower, John W. 1999. Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II. The New Press.

しばらく前の『スター☆スタジオ(Inside the Actors Studio)』のゲストがサルマ・ハエック(Salma Hayek)だった。知的な受け答えとチャーミングさに私はすっかりファンになってしまった。瞳の輝きも生き生きとした表情も気さくさも凄く素敵な女性だ。ラティーノであることが格好良いことになる前の米国で、彼女が女優として活動することがどう難しかったか、英語の訛りがどれだけハードルを上げたかについて聴衆から質問が飛んでも、あっけらかーんと笑いながら答えていく。知的で芯の強い女性だなぁと感心してしまった。

ただ一つ、私には頷けない返答が終盤にあった。それは、「正しければ、必ずそれがいつか「ついに(eventually)」認められて生き残る。」というもの。「正義は勝つ」ってわけだ。 私はそうは思わない。

世の中には正しかった者が死に絶えて忘れ去られたような戦いが沢山ある。
ICJをはじめ世界中が正義はニカラグアにあったと認めても、彼らの破壊された国も経済も人の心も見捨てられたままだ。何の償いもされずただ無視されている。正義の鉄槌だった筈のコソボ空爆が大して正義に適ってはいなかったとわかってセルビアの死者は蘇るのか。絶滅した原住アメリカ人の部族は正しくなかったのか。タリバンに破壊された仏像はいつか遠い将来「ついに」その姿を取り戻すのか。

馬鹿を言って貰っては困る。彼らは正義の下に消えたのではないし、彼らにはNemesisすら微笑んだとは思えない。実に「憎まれっ子世にはばか」っているではないか。正しい者が汚泥と屈辱の中で死に絶えることは確かにある。ざらにある。だからこそ人は今この一瞬の自分の判断を大切するのではないだろうか。

「正義はいつか勝つ(だから今を耐え忍べ)」なんて、
メロドラマティックに酔いしれるのも説教たれるのも無責任極まりないと思う。
村女を火あぶりにして、生きていられたら無実だと言う魔女裁判のようなものだ。
正義は約束されていないからこそ追い求める意味がある。

が、困ったことにディベート仲間にこの手の説教を喰らう頻度は非常に高い。
確かに私はイラチだと思うが15年で遅々としか進まなければ苛立って何が悪い。
一体なんだって未来は薔薇色だと信じられるのか。根拠は何なのだ。
(特にT、読んでるか,ちくしょー。)

大の大人が「正義は勝つ」と言う時のあの途方もない単純さは何なのだ。
Hope is not a strategyって誰の台詞でしたっけ?とにかくその通りだ!!

ことによると、何が正義なのか、を一義的に決めることはできないという良心(その良心は大変尊いと思う)が、母なる自然に任せて生き残ったのが正しいものなのだとか、歴史が裁くのだ、とか思わせるのかもしれない。もしそうならすっとこどっこいな話だ。いつから自然淘汰は倫理と関係があるのだ。(Tよ,君の大好きなクジラは倫理的に腐敗していて邪悪だから絶滅の危機にあるのか?)

ダワーのこの本は誠実な本だと思う。特にその冒頭の「日本の読者へ」の文章を読んで、私は上下2巻にわたるこの本を読む気になれたと思う。


ただ,日本の近代化(特に明治維新)の解釈については異論を唱えたい.明治維新が日本の伝統を捨て軍事に傾倒させた,と言われればまあそうかもしれないが,当時の日本を取り巻いていた状況を忘れているようにも思う.幕府が士農工商エタ・ヒミンの身分制度の基に統治していた時代のほうが「美しかった」とか言うのであれば,下らないの極地だ.ラスト・サムライの世界へ行って来いって感じ.(あの映画はそこら辺苛々しますよね.あれじゃモデルにされた西郷隆盛が可哀想)

ところで,近代日本にとって不平等条約の要は『関税自主権』と『治外法権』だった。私は最近、こういう単語が出てこない大学生と過ごしている。数学や国語力の低下が問題となっているが,できれば社会科教育も改善して欲しいと思う(英語力は急激に上がっていますけどね.凄いですよね).コソボ独立,スーダンやソマリアへの武力介入,南太平洋諸国の治安,日本の憲法論議,米イラン外交・・・国家の主権について語らなければならないディベートは広範にわたる.しかし治外法権という言葉に首を捻る人と国家の「主権」について議論するのは骨である。

Tuesday, July 24, 2007

バイバイ,エンジェル Bye-bye, Angel

笠井潔の同タイトルの小説を読んだ時,その青臭さに溜息をついた時,一体私はどんな貌をしていたのだろうと薄ぼんやりと思う.真面目に考えること自体不可避的に青臭いのさ,と言われればそんな気がしてくる.LBとかそういう風に考えているのかな.彼は読みにくいからな,何とも言えないけど.

今日の試合は投票義務化と階級別相撲.
「この道ーはー,いつか来たみーち」
の割りに意外に楽しかった.
とりとめのないくだらなさ7割,真面目3割くらいが丁度良い.
普段の私なら逆の配分好みかな.
そしてそれはまだまだ青臭いかも.

ルムンバの叫びを1/4くらい観た.
1/4で止めたのは作品が気に入らなかったからではない.
すっかりのめりこみ始めたところで外野に負けた.
外野の野次が私の気力をすっかり薙いだ頃,残ったのは
「コミュニケーションとは何か」という学部1年の授業のような問いだったように思う.

コミュニケーションとは何なのか...
教授が板書した『他者』と書かれた円を思い出す.
ああ,どうも抽象化されていけない.
半分酔っ払った頭ではあるけど,書いておきたいような気もする.
酔ってる時の常で他人様の目に触れることをイマイチ考慮しきらないで書いているので申し訳ない.純備忘録的.

何が問題なのかズバッと書くのは難しいけど,
つまりはコミュニケーションの価値とフェアネスの問題だと思う.

まず師弟関係.
Yちゃんの件に関しても思うのだが師弟のパートナーシップというのは
どこまで「パートナーシップ」と呼べるのか.
師弟関係で捉えること自体がBBの言うとおりinsulting!とも言える.
それは・・・・・・うん,私自身そう感じたものなぁ・・・・・・
これまでに具体例として引き合いに出たのはMNだったわけだが,
もっとコミュニティ全体に一般化して議論すべきか.
Yちゃんのような例はどこに位置づけられるのか.
ていうかTはいつになったらこの師弟関係で捉えること自体が本末転倒という話を分かってくれるのか.いい加減苛々するーっつーの.何年同じこと繰り返し議論してんのさ,あたしら.

次,ちくしょう,またか.言語の壁問題.
友情に国境はない・・・ような気がする.
しかし言語の境はあるような気がする.
恋愛に言語の壁はない・・・かどうかLと春先ラブ・アクチュアリィ観てて話になったけど,あたしゃもういっそないような気がします.・・・が,友情にはある気がする.
違いに価値があるとかいう正論ぶちかまされて腹が立つのは地に足がついてないように思うからか.

細かいことを言えば,誰かに代弁/代表してもらうんじゃない,
自分で自分を代表しろ,と言われた時のあの突き上げるような無常感.
何故いまもって共有できないのか理解に苦しむ.矛盾してないか,それ.
理解し合う日はないのだと一方で言い,もう片方で違いを理解することが価値だと言い.
何故それが強者の狡さだと分かって貰えないのだろうか・・・

負担の分配について.
愛は労働を無料で提供させる魔法の呪文だと言ったのはO教授.
あの授業面白かったなぁ.
友情を,大雑把に言って愛情の一種だと考えて,
友情の「ために」コミュニケートする,というのはアリだろうか.
あるいはコミュニケートすること自体が核となる友情というのはアリだろうか.
・・・アリかもしれないな.世間一般での友達関係はそういうものなような気がする.
しかしそれは愛情・友情においては構造的に強者が有利ということか.
フェアネスの議論とはほど遠いな・・・

結局,コミュニケートする・しないことによる損得は両者にあったり一方にあったりしても,
する・しないを選ぶスイッチはいつも弱者の側にある.
弱者は不公平な喧騒と静寂の死(あ,いえ,本当の死じゃなくて比喩的なね.言語の死滅とかね)を選ぶことができる.死は常に弱者にとって魅力的な復讐手段になる.歪んだ愛情でも唯一希望を持つ道になる.私がTに対してこれを切り札として使いたい誘惑に駆られるのはLBやLPにも当てはまるか.…当てはまらないな….何故当てはまらないのか.友情関係の種類と質量のどっちに起因するのか.あ,考えるとやな感じ….幼稚だなぁ,自分.

・・・今読み返して思ったけど,酔いが冷めてから読んだら自分でもわからんわ,おそらく.これ.
まいったな,言語化しにくいからって与太話になっちゃいかんな・・・具体的な話は明日にまわそうっと・・・おやすみなさい・・・

Saturday, July 21, 2007

選挙広報を読んで Reading Election Publicity

特定の支持政党を全く持たない私にとって悩ましい季節がやってきました.
あーーーー選挙まであと一週間くらいかぁ・・・
比例代表もあるということは政党の方も選ばないとですよねぇ.やれやれ.
とりあえず配布された選挙公報を読んで・・・と.

・・・・・・・・・・・・?

・・・いつから選挙公報は笑いをとるものになったのでしょうか?
可笑し過ぎるだろう,これはいくらなんでも.

■地区候補編■

- 鈴木信行(維新政党「新風」公認・41歳・男性)
・・・まず「維新政党」って何?江戸時代なの?これから明治なの,ねぇ.
それって民主主義は何処行っちゃうの,陛下にお出まし願うの,ねえ.
極めつけがデカデカと横書きされたスローガン.
「めざせ核武装!美しい国より強い国!」
・・・・・・・・・すみません,入れられません・・・.

- 和合秀典(新党フリーウェイクラブ・65歳・男性)
誰だろう・・・こんな党あったっけ・・・と思いながら本文へ.
「首都高の無料化の波を全国へ」
・・・あっ!!!あの高速料金を踏み倒す奇妙なテロの犯人!!!!
・・・ていうか法を破って反省の色なし・・・という人が法律作る側に回って良いの??
つうか高速料金をただにすれば皆が大移動を開始,通勤圏内が百キロになるって・・・
それが本当なら大渋滞では・・・?ていうか誰が百キロ毎朝運転したいの・・・?
ごめんなさい,とても入れられません・・・

- 神田敏晶(無所属・45歳・男性)
無所属か.気持ち的には楽だな.で,政策は・・・?
「インターネットによる選挙を今すぐにでも解禁!」
・・・・・・.え,あの,他のことは・・・?
参議院って選挙のやり方を考えるところだったの・・・・・・?
ここはバングラディッシュ?
税制・経済・福祉・教育・憲法など主要トピックをバッサリ切り捨てIT化に特化.
うーーーん・・・・・・
政府のIT化諮問委員会に入っていただくとかならまだしも参議院は違わないですか.
・・・ごめんなさい,やっぱり入れられません.

- 中村慶一郎(国民新党公認・73歳・男性)
私・・・国民新党には入れられません.いや,ホント.
まあでも一応読んでみるか・・・.
「5ない主義: ウソをつかない,威張らない,政治資金をごまかさない,
ポストを追わず求めない,贅沢をしない」
・・・・・・小学校の学級委員長選挙じゃないんですから・・・・・・
「私の好きなこと: 新聞・雑誌・本を読むこと,各地の仏像を拝むこと,テレビで大相撲を見ること」
・・・・・・あの・・・お年寄りのお見合い用自己紹介じゃないのですから・・・・・・
ごめんなさい.やっぱり入れられません.

- すずきかん(民主党・43歳・男性)
うーん・・・標語自体はどれも結構まともなんだけど・・・
・・・民主党かぁ・・・・・・.小沢さんじゃなければなぁ・・・・・・.
(憲法関連ですっかりフリップフロッパーのイメージが着いてしまったし)
あと政策の説明がやけに抽象的なので空約束にならないかと不安.
まあ,しかし今までの中では比較的まとも.
民主党なのがまだひっかかるので保留.

- マタヨシ光雄(世界経済共同体党・?歳・男性)
世界経済共同体党って何・・・?と思いつつ本文へ.
「神とは,宇宙万物そして人類を創造し,天国と地獄も創り・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?
ちょっと目が虚ろになってしまったので後半へ飛んでみる.
「真実・心理・正義の唯一神又吉イエスに,日本の政治を任せよ」
・・・・・・・・・・えっと,又吉さんってばイエスでかつ絶対神なんですか・・・?
あの・・・えっと・・・「父(神)と子(イエス)と精霊って別々では」とか
細かく突っ込むほど動揺しちゃいますよ?
・・・・・・無理です.ゴメンナサイ.ていうか心臓に悪いです.

- ドクター中松(無所属・?歳・男性)
あははははは.まだ出てるんだぁ.
小学生の頃選挙カーが塾の近く走ってたなぁ.
どれどれ・・・
「日本を救うには,改革ではダメで,抜本的にやり直す「政治の発明」が必須です.それは私にしかできません.現在筋トレで五十トン持ち上げる体力を持っています.」
・・・・・・・・・あの,五十トンって・・・・・・?
ていうか政治の発明とどう関係が・・・
ていうかそれ,人間じゃないですよね・・・?
「日本の良さを世界にPR.・・・ハリウッドの『ドクター・中松ストーリー』映画で日本の良さを世界中に知らせます」
・・・・・・・・・それ,日本の良さじゃなくて中松さんの良さですから.
ていうか参議院の審議と全然関係ないですから・・・
政策説明はどれもこれも抽象的過ぎて却下です.
ごめんなさい,入れられません.

- マック赤坂(日本スマイル党・58歳・男性)
・・・・・・スマイル党?なんだか嫌な予感がするなぁ・・・
「スマイルパワーにより美しい日本人を再生しましょう」
・・・・・・・・オノ・ヨーコさんの「念力で世界を平和にしましょう」の仲間?
「プロフィール: ネイルサロン・エステサロンを経営.美容研究家」
・・・・・・美しい日本人って容姿の美しさだったの・・・・・・?
えっと・・・参議院って国民の美容問題も審議すんの・・・?
あの,なんか色々混乱したんで無視してもいいですか・・・ごめんなさい.

・・・なんかそろそろ読むの疲れてきたなぁ.
普通の本を読むときにはないこの疲労感は一体何・・・・・・

- 沢田哲夫(無所属・76歳・男性)
「混迷時代に救世主出現!!
社会科学的頭脳の遺伝子を持った男・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・.
もう突っ込む気力すら残りません.

無理,ホント,無理.
どうしてこういうネタとしか思えない候補者が8割なの?

しっかし,男性の平均寿命が78歳とかの時に
平均寿命に近かったり過ぎてたりする候補って多いんですね.
健康面で大丈夫なのかなぁ.議員さんの仕事って本来凄く忙しいものでは?
あと女性もやっぱり少ないですね・・・18人中5人かぁ・・・

上に挙げていない候補者は他に11人いますが,
突っ込みどころは上ほど凄くないが
(東條さんの「教育:皇室を中心に愛と祈りの中に」は唖然ですが)
政策の具体性はイマイチだったり,
やたら個人の体験に偏っていたりというのも共通.

とりあえず上の「すずきかん」さんを含め保留者3名から選ぶしかなさそうです.
ああ,気が重いなぁ・・・
とりあえず8割の「問題外」候補者がいなければ
もっと実のある比較が出来るような気が・・・します.

Friday, July 20, 2007

임진강,臨津江,イムジン河, Imjin River

久しぶりにドキュメンタリー『38度線』を観ました.企画・製作は韓国国防部というこの作品,私は結構勉強になって好き.このDVDもかなりの回数観ています.SBSで放映された原題は『休戦線を語る』だったとか.ハングルでどう書くのか知りたいです.

観ている途中で母が突然唄を歌い始め,一体何ごとかと思ったら,イムジン河と聞いて同タイトルの昔流行った歌を思い出したのだそう.そのメロディがあまり綺麗なのでちょっと調べてみました.どうやらそもそもは北朝鮮の歌で,日本語版は放送禁止になったもののようです.

放送禁止になった経緯がWikiに割と詳しく載っていました.日本のフォークグループが朝鮮学校の友達から教わった曲を和訳して歌ってレコードまで出してしまったという話に当時の著作権への意識の低さを感じます.

そもそもの原詩と訳詩を対応させて載せているのは下のサイト.
http://protestsongs.michikusa.jp/korean/imjin-river.html

ハングルでの歌声が聴けるのは以下のサイトだが歌詞がどれなのかは私には分かりません.
http://blog.daum.net/jesong21/4161075

DVD『38度線』の中で,日本軍の降伏があと2ヶ月早かったら分断されなかった,あと2ヶ月遅かったら分断されたのは朝鮮ではなく日本だった,というシーンがあり考えさせられます.あちらから見るとそういう風に見えるんですね,なるほど・・・.そういうお互いの視点ってお互いに勉強できると良いですよね.教材ももっとあると良いのに.

同じくドキュメンタリー映画『送還日記』(原題:송환,英題:Repatriation)も凄く観たいのですがまだ観れていません.うぬぬ・・・
http://www.cine.co.jp/soukan/index.html

WSDCでは観光ツアーでDMZにも行ってきたそうで.私は遅れて着いたので行き損ないました.行きたかったなぁ.また折角韓国に友人を持つ機会が与えられているのですから,できるだけ話を聞いておきたいなぁと思いました.今回の豪亜大会では怠け者だった自分を反省です.

Thursday, July 19, 2007

believing in it?

豪亜大会も終盤,Tと「ディベートをまだ信じるか」という話をしました.
同病相哀れむというか,ディベート教に入信したのが正しかったのかという
かなり根本的な疑問を今更語り合ういい歳になった二人・・・良いのかそれで.
(そして気がついたら周りに日本人勢ぞろいしていてビックリしました.全員集合.
何か妙な哀しさの中の嬉しさを感じました.説明しにくいけど.
しっかし皆Tが好きなんだねぇ・・・(ほくそ笑み))

そもそもバンクーバ直後に
「信じていける自信なくなってきた.
だってsilver tongueな奴の殆どは外道だもの」
と涙をポロポロ零して弱音を吐いたのは私です.
その時Tは「そんなことない」と言いました.
(しかも「俺は?」とぬかしました.笑.あんたどんだけ自信家なのよ;笑)
けど今回は流石に少し違ったみたいでした.
「ずっと,『ディベートは知る努力と考える努力と,愛する努力をすることだ』と
思ってきたけど,Dみたいな人を見るとそんなの嘘っぱちだなぁって思い知らされるなぁ」
と言う私に深く頷くTでした.

今回むこうは丁度バンクーバの私みたいな状態なんだろうな.
裏切られた感も一入だったろうと思うと,何だか申し訳なくなりました.
Lに言った私の言葉は本心です.彼は正当な報いを受けていないと思う.
「あんなに彼方此方出向いて良かれと思って頑張って,
自分が皆の助けを必要とする時は誰もstand byしてくれないなんてなぁ」
という言葉が胸に沁みました.しかも良いことをしようとしたのにね・・・・・・
正しいことを雄弁に説いたところで,人の決定が違うことに支配されているなら,
一体何のためにディベートなんてするんですかねぇ・・・
でも今回の件は私は最初から悲観的だったので,あんなに忠告したのに
予見できなかったTのナイーブさも驚きでした.余計せつないですね.
(ところでSはTが政治家になりたいんじゃないかなんて言ってましたけど,
そうですかねぇ.ていうかもしそうなら私は止めます.絶対向いてないって!!)

「少なくとも『競技』としてのディベートからはmove onするべきかなぁ」
というのが今回の共通見解だったようです.
むこうは難民に無料のディベート教室を開講してあげたりする中に,
私は子供たちの思いやる心を育てるためのディベートを模索する中に,
あざといゲームと化した競技ディベートに疲れた心を逃がしているのかもしれません.
どちらの活動も競争が小さい分,議論の技巧が犠牲になります.
競技ディベートのまがりなりにも世界最高峰と呼ばれるものを目にしてしまった私たちが,
果たしてそれで満足できるのか,競争を取り除くことが本当に答なのか,まだわかりません.
高校の時から,「勝つことよりも大切なことがある」と言い続けてきた私には,
これは馴染みのジレンマです.けどTには違う.他人事ながら心配です.

そんなことを考えながら飛行機に乗って帰ってきたら,
masashiさんのブログとDr.Epitaphさんのコメントを目にしました.
相変わらずお二人とも良いこと書くなぁ・・・(メソメソ)
昨晩は友人Jと同じようなことが話題になりました.
あっちはまだ信じるバイタリティありそうだったな.
どちらもあまりにタイムリーでせつなくなりました.

さて,明日の私は何をどれだけ信じられるのかな・・・

Tuesday, July 17, 2007

決勝を咀嚼する More on GF

1.一線のありか

なんで否定側が「一線越えている」と感じたのかを考えてみました.
どこにその「一線」があるのかな...と.
それで,人間に優劣をつけているところがアウトだったのだと思いました.

「障害があろうと,何か別の挫折をしようと,才能があろうがあるまいが,
人間は人間.命の価値は測れないし変わらない.平等に尊ばれるべき」
という形での自己肯定なら「障害(優劣)ではなく個性」という否定側主題との整合します.

が,「自閉症児の方が天才で優れているんだ.彼らが進化の最先端なんだ.
我々は彼らを羨むべきなんだ」的な方向に行くと,本末転倒です.
結局「どちらがより正しいのか」「どちらがより優れているのか」という話になってしまいます.
じゃあ他の皆をより優れている自閉症児に近づける(矯正する)べきなのか,
ということになると,「障害(優劣)ではなく個性」という主題と大きく矛盾してくるわけです.

そういうわけで,あの否定側のスタンスは戦略的にも致命的だったと思います.

2.閑話休題(国際大会の審査について)

審査員同士の投票後の話し合いでは,言葉の壁もあり(最近masakoは英語に困ってないと言われる度に居心地が悪くなる私です.壁は明確にあるのです)上手く説明できなくて苛々しました.が,前回書いたようなことが言いたかったのです.でも言葉の壁があるからこそそれでは不十分だと思います.もう一歩踏み込んで,今回書いたような形で即座に伝えられるように自分の思考力(特にスピード)を磨かないといかんなぁ,と思いました.まだ解り難い,という話もあるかもしれませんが少なくとも自分の頭の整理は今回の方がついています.

ところで決勝リーグの審査員をするというのは別に大して楽しい仕事ではありません.漫然と観客席で聞くよりは真剣みを持って聞くので理解度はあがります.だから自分の勉強の機会としては費用対効果が上がり嬉しいわけですが,まあその程度のことです.あとは他人からの評価が高かったという嬉しさでしょうけど,ぶっちゃけ「俺を決勝に残せ」的圧力をかける人もいて,もうそこまで行くとただのエゴです.私の場合,EFL(English as a Foreign Language)の審査員が豪亜大会の決勝戦を任されたのはおそらく史上初,ということでそういう自分の中でのちょっとした達成感はありましたが,これも今となっては最重要項目ではないように思います.

ではEFLの審査員にとって,現在の最重要課題と言える事は何なのか.

もちろん予選通過者をコンスタンスに出していくことは,ディベート界の中では意味があります.
予選通過審査員は「EFLは知性に問題があるわけではないのだから,語学さえ努力すれば良質の審査とパネルの多様性確保でコミュニティに貢献できる」という顔役を果たします.

けれどもっと大切なのは,ディベートという特殊なセッティングだけでなく,交渉やディスカッション,はたまた社交におけるコミュニケーションでも知識人として伍していけるという自信と自負心の形成,EFLの知性に対する他者の信頼を勝ち取っていくことではないかと思います.これは目に見えない風評の形で作られるので,より難しい課題でもあります.

そういうわけで,緊張するのは予選の審査ですが,それも豪亜大会の予選ではありません.EFLな審査員が一番神経を使う審査は世界大会の予選の審査だと思います.

何故か.理由は複数に及びます.

なんと言っても合議制であること.4チーム対抗なので合議しなければならない内容がかなり多岐且つ詳細に渡り,しかもバイナリーではないこと.そして豪亜大会に比べ,より人種・文明・宗教間対立が厳しいこと.更にEFLへの風当たりが厳しいことなどが挙げられるでしょう.(ちなみに女性であることが不利に働く可能性が高いのも豪亜大会よりも世界大会だと思います)

そして予選中は特に,こうした審査団の議論の過程がつぶさに選手・同僚もしくは部下(パネル)・上司(チェア)に観察され,常に明晰さと妥当性を採点され続ける(実際にフィードバックの点数が審査員としての昇進・降格となって反映される)ことになります.予選通過「圏内」(当選確実者ではない)の審査員は特に,こうしたテストを何重にも受けることになります.EFLや非西欧人種,自分の審査経歴をよく知っている副審査員長(つまりコネ)がいない人などは更に厳しいチェックを受けることになり,同僚や上司が意図的に配置されることも多くなります.

この状態で英語ネイティブの審査員に自分を婉曲的に認めさせるのにはかなり技術を要します.人格的なバランスを保ったまま,全く関係ない事柄を和やかに議論しつつ,目立たぬよう且つ確かに話をリードし,結果として同僚・上司・部下に「こいつ頭良い!」という強い印象を与え・・・られなければボツ,ということ.(スタート地点が悪いので,ミスしなければ良いわけではなく,積極的にプラス点を稼がないとダメ)これはディベート自体の技術よりも相当社会で使える技術だろうと思います.母語でだって難しいのに,丁寧語や敬語,婉曲表現から端的な表現,ユーモアまで駆使して社会的コミュニケーションを英語でとらなければならないわけです.ホント,選手やってる方が何ぼも楽です.(外務省や企業の研修に使えば良いのに,と本気で思います)

まあ,そういうわけなので,豪亜大会の決勝戦ごときで「上手く説明できない」とか言ってる場合ではありません.より速くより鋭く思考し,より平易に時にはより華麗に英語で表現できなければならない.数ヵ月後に一度リハビリした方が良いような気がします.

さて,言葉の壁の話が出たところで次へ.

3.置き換え

今回の論題は自閉症児についてだったわけですが,
世の中には程度の差こそあれ「障害」がありふれているように思います.

例えば自分の身に置き換えると「言葉の壁」はディベータとしての私にとって障害です.
同時に,日本語文化・メディアから得たユニークな視点がある,という意味で個性でもあります.
しかもその個性はしばしば他人には単に妥当性を欠いているだけに見えがち・・・
そう考えると何だか今回の決勝戦の内容とダブってきます.

自閉症の経験も身体上の障害の経験もありませんが,
EFL(English as a Foreign Language)としての自分に置き換えて,
肯定側・否定側の両主張をフェアだと感じるかどうか考えてみたいと思います.
直接体験がない以上間接体験(読書やヒアリング調査)と想像力で補うしかありませんので.

*勿論これは実際の決勝戦の審査内容には全く関係しなかった部分です.

肯定側は,個人の負担がきつすぎる,公的助成を与えるべきだ,というスタンスでした.
EFLとしての参加者は,なるほど相当きつい負担を強いられています.
英語自体を学ぶのにかかる労力もさることながら,メディアの壁を越えるのが一苦労です.
そのための金銭的負担も時間的負担も相当のものです.
また,確かに大会側から色々助成を受けています.
論題をプロジェクターで出すようにされていますし,
電子機器の使用禁止の中で電子辞書だけは例外となりましたし,
論題に分からない表現があれば副審査委員長に尋ねて良い事になっている場合もあります.
更にEAL(English as an Alternative Language)の決勝戦も設けられています.

さて対する否定側は,公的助成を与えると個性を否定してしまう,というスタンスでした.
論題をプロジェクターで出してあげたり,不明な表現の問い合わせを許したり,EAL決勝を開くといった救済措置を与えると,EFLに「正常化」しなければというプレッシャーを与えてしまう.また,EFLであることの素晴らしさを否定してしまう...本当はEFLの方がENLよりも天才的で特別なのだ・・・

・・・・・・うーーーーん・・・・・・

どうですかねぇ・・・それは・・・

そもそもEAL救済措置がなかった頃も「英語力を上げなければならない」「訛りを取り除きたい」「自然で伝わりやすい表現にしたい」といった『正常化』圧力はめいいっぱいあったような気がします.確かにノーマライズという表現は不穏当ですが,自分の英語をノーマライズしたいという言い方はギリギリ受け入れられていると思いますし,現実だと思います.また,EAL救済措置ができる前にEALが大切に尊重されていたかと聞かれれば明確にノーだと思います.社会の理解は放っておけば上がるというものではありません.社会構造も変えずに救済措置も与えずに「EALを尊重すべき」と言っても,現実偏見に満ちた屑ジャッジにばかりあたれば「尊重」もへったくれもありません.何よりも3キロの辞書を持ち歩くのも,論題が書き落とせずに試合会場に行くのも悲惨の極致.「そんな助けはEFLの自尊心を傷つけるから要らない」とか言うEFLがいたら「いっぺん死んで来い」ってな気分です.

ではEALは特別だENLより優れていると思うか,と聞かれればイエスと答えたい誘惑があるのも確かです.外語で知的活動を全うできるようになるには大変な努力を要します.だからこそ犠牲に見合う「特別さ」があると思いたいものです.また,バイリンガルはモノリンガルより接する情報の幅が広い分視野も広い,というのは有得ると思います.ただそちらはマルチリンガリズムであってEALとENLの対比ではありません.(ENLにも他の言語ができる人はいるだろうし,EALがバイリンガルレベルの情報収集能力を英語で持つとは限りませんので)だから冷静に考えるとノーかな.

結局,
①EALの視点はENLのそれと平等に尊重されるべき,
②社会構造がそれを許さないならアファマティブ・アクションも時には必要,
という結論に.

つまり自分の身に置き換えても否定側の議論には納得できません.

じゃあ否定側はどういうスタンスをとるべきだったのか・・・
次回はそれを考えてみたいと思います.

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1. Where was the border?

I wondered why I felt the negative "stepped too far in to that nonsense" and thought over again where the line was. And then, found that the assumption of the negative was that there are superior people and inferior ones at the end of the day. I probably found that part contradictory with other arguments from the negative. "With or without disability, coming a different sort of cropper or not, being gifted & talented or not...regardless all of such, life is life. Value of life is not measurable and should be eaually respected. " If the negative was affirming the life style of autism in that approach, I probably felt consistent with their stance that "it's not a disability but a difference." However, when they said that autism is a frontier of evolution and they are more genius than we are, it sounded a bit oddly contradicting with their stance. It sounded as if there were, at the end of the day, superior persons and inferior ones. Then, the negative claim that we shouldn't reform people didn't sound real either. So, I think those sub-arguments from the negative was strategically damaging.

2. Intermission (adjudicating international tournaments)

When we had some chats among adjudicators after voting and stuff, it was difficult for me to fully explain the things I wrote in the last post. (I feel extremely uncomfortable whenever someone says masako doesn't have language barrier anymore. I DO. I DO. I DO. How do they know what I really want to say?? So, annoying...)

Anyway, because I have the language barrier, I think I need even more effort to sharpen my ideas. What I wanted to say right after the round was like the last post. But that's not enough. I should have stepped further and gotten ready to express the above in this post IMMEDIATELY. (You might think it's not still clear enough but for me, at least, clearer and structured comparing to the last one) I really need to improve my speed of my thought precisely because I'm suffering for the language barrier.

Okay, let's move to the language barrier thing.

3. Are the arguments applicable if we replace autism with EAL?

The topic we got this time was about autistic children. But there are many sorts of "barriers" in our life everywhere. For example in my case, the language barrier is clearly a "disability" as an international debater/adjudicator. At the same time, I probably have very unique and different perspectives that I gain from Japanese language, media and culture. So, yes, my diability can be a difference. Moreover, that difference is often seen as "irrelevance" at international tournaments and diminished. I'm strongly encouraged to "normalized" my ideas and language by the tournament structure.

Perhaps, it become to sound similar to the content discussed at the grand final?
I don't have an experience as an autistic or any other physical disability.
But hope to imagine how they would feel with applying the arguments to issues as an EFL(English as a Foreign Language). When I don't have a direct experience, I believe it is important to try indirect experience (reading, hearing) and utilizing imagination.

Obviously, this part did not affect my decision over the grand final in any way.

The affirmative said that the burden on individuals (autistic kids and their families) is away too heavy and they should be supported by public fund. Hmmm... EFL participants do suffer for the burden. Learning English itself is an enormous suffer. But overcoming the media difference (= "normalizing our ideas") is even more painful. Financial burden, time we have to spend, tears and toils are indeed huge. And yes, we do have some sort of "support" by tournaments. They are now showing the motions in written form on projectors, we are now allowed to use electronic dictionaries, in some cases, we are even allowed to approach DCAs to clarify terms in motions.
And yes, there are EAL(English as an Alternative Language) Finals. I don't think they are enough "support" but let's assume they are.

Then the negative's stance was that such supports rather deminish our difference that we should rather appreciate to begin with. If they show motions on projectors, clarify terms in motions or provide EAL finals, then the tournament rather pressure EAL debaters to "normalize" them further. And they also deny how EALs are wonderful while EALs are more special and genius than ENLs.

..............hmmmmmmmm.....i...don't know...

The problem is such a "normalization" pressure was heavy even before such remedies. 9 years ago, EFLs were feeling that they have to improve their English, to ease their accents, to gain more "natural" expressions in English as heavy as today. Sure, the word "normalize" sounds very offensive. But that was and is the reality, is it not?

Further more, if somebody ask me whether our own perspectives were respected when we did not have such remedies, I would definitely say NO. Social awareness does not rise only with leaving alone. Our ideas and perspectives were ignored or deminished when we did not have the remedies, too. And what should we do if we have to face linguicism or judges without cultural awareness? Who can make sure the things would go fair? And we bring 3kg dictionaries everywhere without knowing the motion we should debate on and no insentive like EAL award was given after such tears and toils. If somebody who says we should reject such remedies and go back to that time, I wish that person was dead.

Sure, even with remedies, things are not fair at all. Why the hell do we have to express ourselves in a language we don't feel familiar at all? Why do we have to spend enormous amount of time to become communicable to English speakers while they don't make any effort to communicate us? What sort of fairness is that? Shouldn't we be appreciated exactly because of our difference? Shouldn't they know that Japanese language has unique, beautiful and rich ideas? I agree. Sure they should.

But does that mean we shouldn't get any help in communicating in English because it makes us abandon our uniqueness and Anglonize us too much? So, should we prefer not having communication with non-Japanese speakers at all in order to preserve our uniqueness? Should we keep silence until English speakers eventually become to respect our insights? (Does such a day really come someday in future? They might realize after minor languages extinct.)

Now then, how would you answer if somebody asks you whether you think EALs are more special and superior to ENLs? It's very attempting question, isn't it? Yeah, I wanted to answer Yes, if I could. Becoming intellectual in a foreign language requires pains and toils. And such experience make us feel wanting to believe that we got something special in return. But it doesn't necessarily mean we do get something special. Sure, we probably gain wider perspectives than monolingual ones because we can access wider information. But it's more about multilingualism and nothing to do with comparison between ENL and EAL. Some ENL people do have decent second languages. Some EAL speakers are not fluent enough to gain quality information in English. So, if I was asked such a question, I would have to say NO.

So, at the end of the day, I think...
1) Opinions and ideas of EAL should be equally respected (=linguistic rights)
2) If the social structure doesn't respect their liguistic rights, some affirmative actions are needed.

This is how I feel when I apply the arguments of GF to my own personal experiences.
And still feel difficult to nod for negative's argument.

hmmmm...

Saturday, July 14, 2007

今年の決勝戦 On Grand Final This Year

台風4号にビビり外出を控えたものの,関東地方はあっさり通過.
明日からは安心して出かけられそうですね.
とりあえず重曹が欲しい.

今回の豪亜大会は,肩の力を抜いて楽しむことだけを重視しました.
バンクーバのような打撃を受けるのは御免蒙りたかったので,
審査委員長団には申し訳ないけど,何も期待しないことを第一信条としたのです.
何も期待すまい,たとえタブも論題も外語性も何もかもが,
これまで築いてきたと思っていた相互理解を裏切ろうとも,
大好きな友人の表情に私が見たくないものを見たとしても,
眉一つ動かすものか,軽蔑しても詰るものかと思って参りました.
そう思わなければならなかったことは残念だけど,漸く現実的になったとも言えます.
他人様より成長に5倍ほど時間がかかる私です.
(その分老けるのも5倍遅ければ良いのにな・・・)
でもお蔭様で久しぶりに伸び伸び楽しめました.
そんな覚悟をしたのが申し訳ないほど審査委員長団も頑張ってくれていました.
最後は自分でも期待していなかった決勝戦ジャッジに選出され華も持たせて貰ったし.

さて,その決勝戦について忘れない内に書こうかな.
論題は「政府は自閉症正常化のための治療費を負担すべきである」でした.
(That governments should pay for treatments that seek to 'normalise'autism.)
肯定側にオーストラリアのクイーンズランド大学,
否定側はニュージーランドのヴィクトリア大学でした.

結果から言うと,この決勝戦は6-3で肯定側の勝ちでした.(9人ジャッジ)
私はマジョリティの肯定側ボーターでした.
ま,それはどうでも良いのですが,この票の割れ方が興味深いものでした.
肯定側に入れた6人はアジア人(内一名はマレイシア在住のイギリス人),
否定側に入れた3人はオーストラリア人(全員白人)だったのでした.
で,人種で分かれた,という話になるわけです.

実はその前の準決勝では,「闘鶏廃止」の論題で5-2で肯定側が勝ったのですが,
この時も白人勢が全員肯定側投票で,マレイシア人1名と私も肯定側ボータ.
否定側にはアジア人2名が入れていました.
で,この時「人種で分かれなくて良かった」という副審査委員長の言葉に,
「masakoはかなり白っぽいぞ」という微妙なジョークまで飛び,
いまだ残るアジア対オセアニアの構図を思い出させたのでした.

その後でこの決勝戦でしょ?
微妙ですよね.ただの偶然だったとしても.
試合の内容を加味するともっと微妙なんだな,これが.

肯定側の主張は単純で,いかにコミュニケーション能力が生活の基盤となっているか,自閉症というコミュニケーション『障害』がいかに子供の才能を開花させる上で困難をもたらすかというのを中心に据えていました.また,その上で家族の負担の大きさも語り公的負担の必要性を訴えました.

対する否定側の主張は,自閉症は『障害』ではなく『個性』であるというものでした.いかに政府による「改善治療」が社会のはみ出し者を訴追・矯正する道具となるかという話もあり,ミシェル・フーコーを彷彿とさせる内容ではあるのですがちょっと荒削りな印象でした.更に間に挟まった「自閉症は人間の進化型である」とか「自閉症は天才になれて素晴らしい」とかいうひたすらビミョーな議論がかなりフーコー的な部分の現実味を台無しにしてしまってSF化していました.政府が金を出せば「正常化」しなければならないというプレッシャーを与える,という議論も第3弁者から提示されましたが遅すぎた上に粗さが残ったと感じました.

その後,主に『障害』と『個性』の線引きを巡り熱いバトルが交わされたわけですが,ケース・セッティングについての不合意や,自閉症患者に天才が多いかどうかといったサブな論点が妙に時間を喰ったこともあり,今ひとつ議論が収斂しきらなかった印象が残りました.

さて,投票後話を聞いてみると,結局否定側に投票した審査員はフーコー的な部分を高く買ったようなんですね.つまり『正常化』を強いる事は暴力的だという発想なわけです.彼らが頻繁に例として挙げるのは「聾唖者コミュニティには豊かな表現や文化が存在するにもかかわらず社会はそれを無視しがちである」という話です.それが,彼らは『障害』を負っているのではない,賞賛すべき豊かな『個性』を授けられたのだ,という話につながるわけなんですが・・・これが「『個性』を『病』として迫害するのは未熟で野蛮な社会である」という感覚と相まって,件の「アジア対オセアニア」の構図をやっかいにします.つまり「アジアはまだ充分に文明化されていないからこうした人権問題に理解が薄い」という見下す気持ちを否定側投票者が抱いているのではないか,という憶測が生まれるわけです.これが邪推なのかはたまた的を射た推測なのかは私には分かりませんが後味が悪いのは確かです.

さて,このブログでフーコーを検索して下されば分かると思いますが,私はフーコー大好きなんですよね.その著作は殆ど読みましたが,中でも『精神疾患と心理学』は好著だと思うんです.その私が,それでも首を傾げてしまう「単純さ」がこの否定側論者にはあったように思います.皆さん如何思われますでしょうか.

随分前のことになりますが,一時期『五体不満足』という本がベストセラーになったことは覚えてらっしゃる方が多いのではないでしょうか.読んで感動されたという方も多いでしょう.「障害は個性」と言い切る乙武さんのポジティブさには私も生命の力強さを感じましたし素直に凄いなぁと思いました.同時に,その後「障害があるからこそ僕はこんなに特別なことができる.僕は他の人より優れている」というような意味の発言をテレビで観た時は,かえって悲痛さを感じてしまったのを覚えています.

「『障害』者は自分をもっと肯定的に受け入れるべきだ.素晴らしい『個性』を授かったとむしろ感謝すべきなのだ」というような発言を耳にすると,ちょっと怖くなります.フーコーの言う社会による矯正と似た構図が見えるように思います.弱者に対して「助けが欲しいなどと甘えるな.それはお前の精神がたるんどるからだ」と更に鞭打っているように思えるのです.私には大変グロテスクで不健全な発言であるように思えます.心頭滅却すれば火もなんとやらの世界のナンセンスさを感じます.否定側の「自閉症は進化の最先端でクールだ」という話はその一線を越えてしまっていたように思いました.

そんな中,「聴覚弱者が補聴器をつけるのは何故だ.目が悪ければ眼鏡をかけないか.自閉症であることを誇りに思えるのならそれでいい.でも辛い,助けて欲しいと思う時は気兼ねなく助け(ここでは政府による金銭的助成)を求めて何が悪いのか.否定側こそ自閉症児を特別視して檻に入れている」という肯定側の意見が私には素直に受け取れました.

以上が私の感想なわけですが,こうした問題に十分な知識があるとは言えません.自分の受けた印象が果たして実際に『障害/個性』を持つ方たちにとってのものと合致するのか,ご本人たちの意見を聞ける日があったら,とつくづく思いました.

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Hope to write down about the Grand Final before I start forgetting things.
Motion was "That governments should pay for treatments that seek to 'normalise'autism."
The Affirmative was University of Queensland (Australia).
The Negative was Victoria University (New Zealand).

Result was 6-3 for the affirmative and myself voted for the affirmative.
The result itself was not very surprising but the way we splitted was a sort of interesting one.
All the Asian judges (a British person who lives in Malaysia inclusive) voted for the affirmative while all Australian judges voted for the negative.

Now, the claims from the affirmative was pretty straight. They mainly explained that autism is a sort of communication barrier and how much that barrier is damaging their life style and possibilities in the society. They also said that the burden(time, money and mental stress) that their family have to bear is heavy and public support is necessary.

The negative, on the other hand, said autism is not a "disability" but a "difference". They explained how "normalization" opresses and reforms anybody who is different from majority of the society. This part reminded me Michel Foucault a lot but sounded a bit rough. The major problem was lack of reality in middle reliever arguments saying "autism is a frontier of evolution", "autistic people are genius and wonderful" and so on. It sounded a bit off the point as well as SF taste and damaged the reality of the Foucaultistic part, I felt. The third speaker came back to the social oppression issue and developed how state funding on "normalization" pressure the autistic ones and their family even if they don't wish to normalize them. But it sounded a little late and also sounded rough yet.

Later, both teams argued over border between disability and difference. But some disagreements over case setting and sub issues like whether autistic people tend to be genius or not consumed unproportionately long time and I got an impression that major clash was not fully argued out.

In conversations after voting, it sounded to me that the adjudicators who voted for the negative bought the Foucaultistic arguments by the negative. In short, it sounded that they thought "normalizing" somebody is a violent method to oppress minorities. One of them sited an example of deaf community with rich literature and culture and being ignored by the wider society.

Now, if you search Foucault on this blog, you'll probably find that I'm actually fond of theories of Foucault. In fact, I read most of his works and my favorite is "Maladie Mentale Et Psychologie". But even I could not nod for the negative's arguments in that round. And I guess the reason was a sort of simplicity in negative's approach.

It's while ago when the book by Mr.Ototake, "Gotai Fumanzoku [Dis-able-bodied]" became a best seller. I'm sure many of you were moved by it. His positive attitude to assert that his disability is his identity made me feel strength of human being and impressed much. At the same time, when he said on TV that his disability made him so special and superior to others, I rather felt heart-rending. When somebody says that "disable" ones should rather appreciate their identity as a gift, it rather scares me. It sound exactly like an opposite side of coin of Foucault. It rather pressure the weaks that asking for help from the society shows their lack of strength to believe in themselves and it's their fault. To me, it sounds more like whipping the weaks and grotesque. The argument by the negative that autism is a frontier of evolution and super cool made me feel that the team stepped too far into that nonsense.

Then, when the affirmative came back and said, "What's wrong with guide dogs for blind? What's wrong with getting glasses when you have poor eye sights? If they are proud of their autism, that's fine. But if they need a help, why not?", it sounded a lot easier for me to swallow.

So, this is roughly what I found in the round but I don't think I have enough level of understanding of the issue. Wish if I could have chance to hear how people with disability/difference feel about this topic.

FYI, I wrote more comments and analogy with EAL issues in the next post!