Tuesday, December 23, 2008

Feminology (9. The Outspoken One) フェミノロジー(第九話:もの言う女)

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しばらく前、セクハラもどきにあった。
怒り心頭で家に帰りふて寝。翌朝も口が重かった。

別のある日、とある後輩の渾名がついた経緯を聞いた。その時「Sさん(女性)はそれでも静かに微笑んで『あらー、酔っ払っちゃったのねー』ってよしよししてたんですよ」とウットリした顔を見せる男性に、少々ゲッソリした。「どんな時も怒りの表情を男に見せない女」を男は好きだ。しかしそれではディベートできない。「でもYさんディベート中は別人ですよね」と続ける彼に適当に頷きながら、そうやって女はdebateをlife styleとすることができない仕組みになってると心で思った。ディベートはディベート会場でするもの、日々の問題や意思決定からは締め出しておくものという隔離が、女性の場合、特に日本の女性の場合は強く強く染み付いている。いつも黙って笑顔。そうでないと男性に評価されない。オタク男性がフィギュアの女性にウットリして自分を解放するのと同じように、又は社会生活を滞りなくするため普段は極めて男性的に振舞っている「心は女」の男性が特定のコミュニティでだけ本来の姿に戻るように、女性ディベータの多くはディベートの試合を自分を解放できる逃避先にする。その限られた時空間でだけ自分自身でいられる。その時間以外はひたすら黙って「ニコニコニコニコ」の一手というわけだ。そんなのディベータと言えるのか。三次元の女性にウットリするオタク男性と同じ異様さを感じないのか。その女性にも、その女性にそういう振る舞いを求める男性達の圧力にも腑に落ちないものを感じる。

先日とある大会で、「成人年齢を18歳に引き下げると、親の承諾なしに結婚できるようになる。そうすると望まぬ妊娠の際に結婚を迫られ早婚になる。子供を育てるのはとても費用がかかり将来が暗くなるからやめた方が良い」という否定側立論を審査する羽目になった。これはつまり18歳とかの女の子に堕胎を迫ったほうがマシということ。そして否定側は全員男子高校生だった。あまりのグロテスクさに心が重くなった。

同じくある大会の閉会式で、壇上に居並ぶVIPが一人残らず男性だった。唯一の女性は司会とプレゼンター。こちらはとても美しく若い元ディベータの女子大生二人だった。尊敬している先生に「彼女達が大会に華を添えたよね」と言われて静かに凹んだ。

昼間電車に乗っていると、突然中年男性に怒鳴りつけられた。座り方がオカシイと説教してくる(座り方って…)。驚いて見上げると何処にでもいそうな普通のサラリーマンっぽいおじさんだった。相手は「何だその目は!」と更に言い募る。隣に座っていた初老の女性が延々といんねんをつけ続ける男性を咎めてくれて漸く収まった。しかし30分その非常に不愉快な状況に身を置く羽目になった。何か面白くないことがあってストレス解消のために気の弱そうな若い(が若すぎない=キレられる可能性が低い)女に当り散らしたのだとしか思えなかった。この手の男性は必ずターゲットを自分より体力的に弱そうな女に定める。反撃される危険がないからだろう。思うツボに嵌っている自分に地団駄踏みながら静かに黙って座ったままやり過ごした。即『じゃかしいわ、ボケ!」とでも怒鳴り返してやればよかったと歯噛みする想いだった。隣の女性に丁重にお礼を述べて電車を降りた。

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上のことは二週間の間に立て続けに起きた。
普段は単に『ちょびっと男性不信気味』の私だが、
こういう時は軽度の『男性嫌悪』を覚えるようになる。

友人に「結婚したからディベートやめたんだと思ってた」と書き込みをされ、「そんなことないよー」と書き返しながら思った。今キチンと考えないと取り返しがつかなくなる、って。

性差別と闘うことを辞めないこと、それでいて男性全員を一絡げに敵視しないこと、大切に思える男性にはフェアに接すること。これらを自分がキチンと納得できるカタチで実現するには常ならぬ戦略が必要になる。

結婚して生活も周囲の見方も激変して戸惑う今、今がそれを考えるべき時だと思った。

今考えるべきと思った理由はもう一つある。実は「masakoが結婚したら私凄く焦ると思う」と数年前からとある友人に公言されてきた私。その私が実際に結婚してしまったことで、どうも本当に女性の友人達を焦らせてしまったのではないかと思うことが最近数々起こった。しかし私には彼らの迷いが間違っているとは思えない。女性の生き方を考える時に、既婚・未婚、子持ち・子無し、という線で女性同士を分割していく空気が疎ましい。しかしこのままでは私は独身の友人から切り離されてしまいそうなのだった。彼らの焦りも迷いも私にだってある。彼らの苛立ちは私の苛立ちだ。どうしたらそれを解ってもらえるのだろうか。これもまた、急がないと手遅れになる問題に思えた。

それで、女性のライフスタイルに関するエッセイを片っ端から読むことにした。
(結婚する前に読むべき本じゃないのかって?確かに私っていつも泥縄なのよね。)

内容については後日改めてと思うが、結論として私は遙洋子の文章に最も惹かれた。

酒井順子や姫野カオルコ、白石公子、谷村志穂の文章も面白かったが、迷いが多くてスッキリしなかったり、ジェンダー観の古さを感じた。松原惇子の文章には同意しかねることも多かったし、森村桂に至っては悲壮な印象を免れなかった。小倉千加子の本は全ての人を片端から否定しているように思えた。

その点、遙洋子の文章は思い切りが良い。理屈が単純で「男性社会に受け入れてもらいやすいように」という奇妙な媚がない。例えば勝間和代には「媚びたために主張が骨抜きになっている。本末転倒」という印象が強かった。遙洋子にはその手の逃げを感じなかった。そして女性への暖かい眼差しに好感が持てた。

私がおススメするのは『いいとこどりの女(ハイブリッド・ウーマンの改題)』『結婚しません』の二冊。お暇な時にどうぞ…と言いたいのだが、遙洋子の本を置いている書店が驚くほど少ない。インターネット注文にした方が良いかもしれない。何故書店に置かれないのか。それを考え始めると疑り深くなりそうだ。

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以下が私が読んだエッセイ本のリスト(出版年順)である。

森村桂. 1973.『結婚志願』. 角川書店.
松原惇子. 1988.『クロワッサン症候群』. 文藝春秋.
白石公子. 1990.『もう29歳、まだ29歳』. 大和出版.
谷村志穂. 1990.『結婚しないかもしれない症候群』. 主婦の友社.
谷村志穂. 1996.『結婚しないかもしれない症候群 男性版』. 主婦の友社.
姫野カオルコ. 1997.『みんな、どうして結婚してゆくのだろう』. 大和出版.
酒井順子. 1998.『29歳と30歳のあいだには』. 新潮社.
酒井順子.2000.『少子』. 講談社.
遙洋子. 2000.『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』. 筑摩書房.
遙洋子. 2000.『結婚しません。』. 講談社.
遙洋子.2003.『ハイブリッド・ウーマン』. 講談社.
酒井順子. 2003.『負け犬の遠吠え』. 講談社.
小倉千加子. 2003.『結婚の条件』. 朝日新聞社.
酒井順子.2005.『その人、独身?』. 講談社.
森下えみこ.2006.『独りでできるもん』.メディア・ファクトリー.
酒井順子. 2007.『駆け込み、セーフ?』. 講談社.
森下えみこ.2007.『独りでできるもん 2』.メディア・ファクトリー.
森下えみこ. 2007.『独りでできるもん 3』.メディア・ファクトリー.
森下えみこ.2008.『女どうしだもの』. メディア・ファクトリー.