Friday, September 28, 2007

イソクラテスに恋して In love with Isocrates

かーーーーーー,かっこいい!!!!!!

彼の反戦スピーチ「平和について」(On Peace)の熱さにもーメロメロです.そして彼の議論における倫理観にもうヘロヘロです.かっこよすぎでしょう!!!!!

ああ,ついうっかり読み返してしまってジーン・・・だめだ・・・抜けられないぃ・・・

昨晩からL氏と「ディベート聖人」というお馬鹿なネタで盛り上がった(?)のですが,私的には聖人になって欲しい人第一位がイソクラテスですね.プラトンと対立しきりだったというイソクラテス.ソクラテスの死に異様なほど嘆き悲しんだというイソクラテス.「ソクラテスの弁明」を後世に伝えてくれたプラトンには恩義は感じるものの・・・それでもやっぱ私はプラトンよりイソクラテスが好き!!!

なんだって彼は日本で(海外でも?)こんなにマイナなんですかね.何故?どうして?メチャメチャかっこいいーーーーのにいいいいいいいいい.どうして学校はプラトンやアリストテレスを教えてイソクラテスは教えんのじゃーー.理不尽だーーーー(?)

ちなみに声が小さく度胸もなく,ゆえに自分でスピーチすることはなくひたすらスピーチ・ライターを務めたというイソクラテス.イマイチ自分のカリスマ性を信じられない人だったらしい.けどまあ確かにそういうのって向き不向きありますからね.カリスマを悪用する人よりよほど良いかもしれない.でも世の中似非でもカリスマがモテるもの.幸せな人生送れたのか気になるところです.

ソクラテスは恐妻家だったとか.彼の外見ははっきりきっぱり「ぶ男」とあちこちに書かれ,妻に怒られても折檻されても凝りもせず仕事もせずしゃべくっていたのだとか.

はて,イソクラテスはどんな外見だったのでしょうね.とりあえずソクラテスほど明確に容姿に問題があったとは書かれていないわけなんですが・・・

ぶ男でも頓着せず「おんもでゴー」.最後の裁判でも堂々たるスピーチをかましたソクラテス.
そこまで壊滅的ではなかったのに自信が持てず生涯裏方に徹しカリカリ書いてたイソクラテス.

なんとなくお日様のもとで明るいヘチャムクレ的ソクラテスに対し
イソクラテスは陰鬱な青白いもやしっ子な感じ・・・を思い浮かべますけど・・・
陰鬱なオドオド君にはたしてこんな文章が書けるものなのか・・・
なんだか全然イメージが収斂しません.
プラトンの『パイドロス』ではソクラテスに絶賛されてますしね.
崇高なとか高貴なという言葉で評されるイソクラテスはオドオド君的印象とは遠いです.

第一彼の書くスピーチは・・・威風堂々かっこいいいよおおおおおおおおお.

詳しい引用は過去ログ↓参照どうぞ!もうしびれちゃうから!!
http://toseisha.blogspot.com/2006/06/book-1isocrate-discours.html

それはともあれ,私のこういうフェチはそろそろどうにかしないとね・・・

Friday, September 21, 2007

語感 Word Texture

次の予定まで中途半端に手が空いたので,書いてしまおうかなぁ,と思います.

総裁選候補者討論の進行の仕方が米国のに近くなっていてちょっと面白く思いました.比較的質問もストレートだし,返答のほうも安倍さんみたいに暖簾に腕押しまくり気分を味わわず済みました.ただ質問が片方の候補しか答えようのないようなものが続くのは避けて欲しい気がしました.

途中,「世論調査の結果,麻生さんは女性に支持者が少ないようですが,何故だと思われますか」という質問を受けた麻生氏.「いやぁ.モテないってことですかね.そんなの私に聞かれても分かりませんよ」という返事.

・・・それはちょっとビミョー.

私生活の色っぽい話で「モテるモテない」と「政策が女性に評価されるされない」はぜーんぜん違わない??それをまるで同じことみたいにさぁ.女はセックスアピールで政治家選んでるとでも言うのか,ばかやろーーぉ.

なんていうか,「男女共同参画関連のマニフェストを精査したいと思います」とかさぁ,「女性の方に不評な政策をヒアリングして改善したいと思います」とかさぁ,言いようあるでしょ,他に.ていうか70過ぎと60過ぎの爺様たちにモテ度調査だと思われる有権者の清き一票って何なのよ.

ま,それはおいて置いて...

「思想は言葉に宿るから」と書いてくれたのはmasashi氏でしたよね.うん,良い表現ですね.ホント,言葉には心が乗りますよね.外国語だと難しいのは,乗せる心と乗り物が合っているのか確証もてないところってありますよね・・・

漱石の「現代日本の開花」って高校で読まされた時,たしか,天狗のように飛び跳ねている日本はそのツケをいつか払わされるのだろう,みたいな部分があって,ピンとこなかったのを覚えています.最近少し分かるような気がしてきます.

さて,

先日のJPDUTの論題について,他の方の書いていることもささーっとあちこち読ませて頂きました.具体的にはAsh君,ひさま,manoloさんあたりです.割と共通している部分もあり,個人差の多い部分もありだったようですね.あと山に入った後の論題リストも見ました.

んー,で,結局,一番問題に感じたのはR5のWTOかなぁ・・・
safe(ty)の独特の語感が,日本語と英語で違うのではないかな.

私語源関係はあまり詳しくないのですが,safeとsaveって多分関係の深い語ですよね.
safeにはsaveの語感が付きまとっている気がします.safety-netもsafeguardも,零れたものを掬い上げるイメージがあると思います.アスレチックで高い棒をつたう時に,万が一落ちても最低限の安全が確保されるように下に網が張ってあったりするの,ああいうの,セーフな感じですよね.

このセーフは自由と切り離せない関係にあると思います.

基本的にアスレチックではスリルと冒険を自由にめいっぱい体験することが良しとされます.経済でも極力自由な挑戦・競争が良しとされます.消費社会も基本的には消費者自身の自由な選択に任せるのが良しとされます.

ただ,その自由な選択が,選択した本人を大きく傷つける場合があり,極端な場合には救済措置(safety-net/safeguard)が必要になります.破産手続きや米国産牛肉が輸入制限されたり,EUが遺伝子組み換え食品を拒否したり,フランスや韓国,中国が外国映画の輸入を規制したりするのは,基本的にこうした考えに則っています.バッド・チョイスの場合も死なないようにしてくれるためのものです.自国民各人の自由な判断に任せると,国民に大きな危害を生む可能性があるために,最低限の安全を確保するため自由を国が制限することになります.アスレチックから墜落して死ぬ自由や死のリスクを現実に感じてゲームする自由は制限されています.これが基本的にsafeguardの概念だと思います.

然るに,動物虐待を伴ってできた商品(化粧品だか薬品だかムームーだかなんだか知りませんが)自国民・自国産業・自国文化にデトリメンタルである可能性を立証できなければ,WTOはsafeguardの発動を認められないわけです.

最近なんでも貿易といえばWTOを守護にしたMotionにしてしまいがちに見えますが,それはちょっと困ったことです.WTOは魔法のランプではありませんし,何よりWTO独自の方針とか政策とかは基本的にないはずです.どっちかって言うと裁判所みたいな機構だと思った方が良いでしょう.ですので,WTOが動物虐待を伴ってできた商品を締め出すべき,みたいな決定は行いません.加盟国の何処かがした場合,WTOはそれがルールに則っているかどうか裁定する場所です.

safeguardの場合は,加盟国が「この商品を輸入するとうちの国民がこういう危険性に晒されるからうちは輸入できんわ」と証明すると,そのsafeguardをとってもルール違反とは看做されないわけです.

safeguardがそういう仕組みだから,ケアできない問題があるわけです.safeguardは輸入国の安全は守れますが,生産国の問題には対処できないのです.だからfair tradeという動きがあるのだし,product not processの原則が時に批判されるわけです.生産国側の悪行(劣悪な労働環境,環境に悪い生産方法,動物虐待も含めた倫理上の問題などなど)は,大変重要な問題ですが,safeguardという「消費者のバッドチョイスによって消費者自身を危険に晒してしまうことから守る」システムとは関係ないのです.

なので,「そのsafeguardを動物虐待のケースに当てはめればよいだろ」というわけにはいきません.全然別物です.生産者の悪行へのおしおきは,何らかの形でWTOがfair tradeにシフトすれば可能かもしれないけど,safeguardのシステムとは全く別のものです.

今回の論題は,
- WTOがsafeguardを使うことはない(あくまでも加盟国が使う)のだが,論題はWTOが主語
- safeguardは輸入国のドメスティックな被害を根拠に設定されるものなのだが,論題は動物虐待という生産国側の問題が対象
- WTOにはproduct but not processの原則があり,現行のsafeguardもprocessの部分には立ち入らないことになっている(遺伝子組み換え食品のときに同一のproductかどうか散々論争になったとおり)が,論題はprocessに関するもの
というようなわけで,やはりどう考えてもsafeguardというwordingは選手にも審査員にも論題を意味不明にしていたと思います.

動物虐待を伴って生産された商品を締め出すディベートがしたければ,論題はfair tradeに関するwordingが望ましかったでしょう.

WTOを魔法の小槌のように扱う最近の傾向全体の問題なのかもしれないけれど,国際大会でも良く出てくる機関なので正確に理解して,来る世界大会でも良い議論を展開してもらいたいと思います.

Tuesday, September 18, 2007

half way up the hill

Akira君の日記へのコメントから自分ところへ戻ります.
長くなりすぎてしまってあちらには投稿できないので.

日曜日,JPDUTの審査をしてきました.
で,論題のレベルがここ一年低下しているのが心配になりました.
ここ数大会は,他の国際大会のあからさまなコピーが多く,
しかも時宜を逸していたためイマイチ・・・と思っていたのですが,
今回は別の問題でした.コピーではなかった.確かに・・・割とクリエイティブでした.
けどなぁ・・・

1. THBT countries engaging with human right abuses should not host Olympic.
2. THW support affirmative action for women-only corporations.
3. THW give citizens the right to vote against a candidate in an election.
4. THW prosecute copyright abusers without official claim by copyright holders.
5. THBT WTO should use a safeguard against cruelty toward animals.

まず一試合目の.
二年半前ならいざ知らず,この期に及んで今更中国から取り上げるべきだ,と言っている人はまずいないと思います.その意味ではすごく時宜を逸したもの.ただ,あとでH君に「今後のホスト,という意味でもよいですし」と言われ,なるほど,と思いました.というのもIOCの2016年候補地立候補の締め切りが9月13日だったばかりなので,そこに中国と同じような問題児の影があれば・・・と思ったわけです.
しかしですね,よく考えてみると2016年の候補地はBaku, Cicago, Doha, Madrid, Prag, Rio and Tokyo. このうちどの国が中国のような批判を受けているのか,と考えるとちょっとねぇ・・・ じゃあ,もう具体的にどことかいうのはなしにして,漫然とIOCが立候補の際に満たさなければならない基準として設けるべきだって話にするのか,ということになるんですが・・・それだって何だか具体性を欠いた曖昧としたディベートになりそうですし,そこまでして今議論すべき深刻さがないような気がします.
「もし,将来,サウジアラビアとかが誘致してきたら・・・」という「もし」「たら」の架空ディベートになってしまうでしょう・・・?

では2試合目.
これはねぇ・・・とりあえず日本にはwomen-only corporationsなんて公式にはないはずですよねぇ.
現在は性別,年齢,出身などを理由に就業の機会を奪ってはいけないことになっている筈では.
年齢のしばりはまだ色濃く残っていますが,それでも年齢すら随分緩和されてきたはず.
「うちは男性は雇いません」って公言しちゃったら処罰の対象では?
「平等に就業機会を与えたにもかかわらず,応募者の性別が偏っていたなどの理由により,結果的に女性ばかりになった」というのはありなのだろうと思いますけれども.
けど,この論題では公的補助を貰うために「うちは女だけの社です」と登録しなければならないと思われるので,いったいどうやって機能するのか不明.男性であることを理由に就業を断るのはあり,というように変えるのでしょうか.そこら辺を曖昧にしたまま試合が進行すると,否定側の言うことがあまり残されておらず,どんな理念対立を想定して論題をセットしたのかよく分かりませんでした.また,women-only corporationsという架空の存在に対する架空の支援について議論しているので,メリットもデメリットも相当フィクションの世界にぶっとんでおり,議論の評価が大変困難でした.
もう一つはaffirmative action. http://en.wikipedia.org/wiki/Affirmative_action
ほとんどのチームが税制上の優遇や補助金にセッティングしたようですが,affirmative actionと聞いて真っ先に思い浮かべることというのはそういうのではないような・・・なんだかもう少し良いwordingがあったのではないかと思います.

さて3試合目.
これはねぇ,私結構好きでした.面白い,と思ったの.
問題は相手が19歳とかなのでねぇ・・・どう考えても玄人好みなこの論題は荷が重かったのでは.この論題で良い議論をできる選手はそうそういないと思うのです.何といってもポジティブ票とネガティブ票の性格の違いを明確にするのが若い選手には難しい.私は3年生と4年生が組んでる熟練チームが肯定側の試合を見に行きましたが,にもかかわらず論理性は散々でした.
「盲目的な支持者が影響を与えていて良くない」という現状分析なのですが,
「盲目的に嫌っている人が影響を与えるのはかまわない」のか全く説明してくれないので,
何がどう違うのか全然わかりませんでした.
私だったら,divisiveすぎる候補者が消えるからuniterが当選する,とか言うかな・・・
「現状だとブッシュとか小泉とか敵が多い人が選ばれちゃうから国内の統一が図れない.
もう少し調整系で無難なやつを選ぶには,たとえ支持者数がそこそこでも敵の少ないやつが良い.」みたいな?どっちかって言うと米大統領選を彷彿としますね.ヒラリーとかanybody but bushキャンペーンとか.まあそれだって話を掘り下げるのは相当大変だろうと思います.

4試合目.
この論題何してほしかったのかなぁ・・・prosecuteと言っている以上刑法ですよね.著作権違反が刑法上は親告罪だったとして,立件しないことを選ぶ被害者ってどのくらいいるのでしょうか.プロセスとしては,
①警察が捜査・摘発する
②被害者と思われる人に確認を求め,被害届を出すかどうか決めてもらう
③被害届を受理した場合は立件準備開始
となっているのかと思うのですが,②の段階で被害届を出さない方を選ぶ人ってどういう人でどの位いるのでしょうか.それが分からないと肯定側としてはどうしようもないですよね.最近何かそれで問題になったケースありましたっけ??

随分前,ライオンキングが公開された頃には,ジャングル大帝のコピーだと批判されましたが,手塚治さんの遺族が訴えないことを選んだためそのままになった,とかいう話だったと思います.そういうケースが刑事裁判でも沢山あるんでしょうかね?あまり想像がつかないのですが・・・民事裁判だったらわかるんですけどね.訴訟するのが億劫だと言うこともあるかと.けれど刑事裁判だと証拠の収集などコストは全部国(警察・検察)がかぶってくれるわけで,断る理由がよくわかりません.ライオンキングの件も民事だったと思います.

これまた肯定側が架空の存在の架空の問題について議論していて,もう溜息が出るほどファンタジーの世界でした.

5試合目.
ワーディングが良く分からない.
WTOのセーフガードって?あの食品とエンタメ産業に許されてるやつ?
自国民・自国文化の安全性に著しい危害を伴う可能性がある場合は,
安全弁として輸入を制限して良い,ってやつ?
・・・動物虐待とどう関係あるんだろう・・・??
たとえばうちの部屋では肯定側が英国の狐狩りで獲った毛皮の輸入を数量制限するとかいう珍妙なケースにセッティングしていてワンダーでした.そもそもイギリスの狐狩りはスポーツであって毛皮の輸出目的なのかとか,狐狩りが問題なのは絶滅の可能性があるから,と肯定側が言ってしまっては虐待のモーションとの関係は何処に行くのかとかいうマイナな突っ込みもついしてしまいたくなります.
が,何より,たとえばフランスがその問題の毛皮を現在輸入していたとして,フランスは自国の何が危機に瀕するからセーフガードとして輸入制限を設ける,と言うことになるのか?
これがwordingが動物虐待でなく絶滅危惧種だった場合は,環境に国境はないから,何処かの国のecodiversityの危機は他所の国にとっても危機,とかいう怪しいリンクが成り立つのかもしれませんが,それならワシントン条約で良いでしょう.
うーん・・・何をさせたかったのか・・・不明です.

そういうわけで,今回の論題は散々だったような気がするのです.
あれじゃ実力の発揮しようがなくてディベータが可哀想じゃないかなぁ・・・
ていうか何でもっと時宜性の高いものを素直に持ってこないのかなぁ.
架空の問題について議論する前に現実にcontroversialなことを議論する方が先じゃない?
2年前や3年前は論題の選考が随分良くなってきたとホクホクしたのですが,
なんだか最近変な方向に向かっているようで心配です.

なあんて話を審査員室でしてるとですね,「masakoいちいちうるさいよー」ってことになるのかと思うのですが,その後たらたらと飲みに行った先で,それは私がいつまで経っても先生気分になれず,現役気分でいるからだという指摘を受けました.先生気分で審査員をすれば選手の成長につながりにくい論題だろうと議論がへたくそだろうと腹は立たん,とおっしゃるわけです.けれど私の場合,自分自身がまだ山に登りきってなくて,一所懸命皆と一緒により良いディベートを模索しながら登っているつもりだから,自分が選手として参加しているかのように腹を立てるのだろう,と。

なるほどね.

確かに,私にはいつも「まだ山の中腹気分」がある気がします.
もっとディベートのこと知りたい,もっと良質な議論を目指したい,もっと社会貢献につながるディベートを模索したい,と欲求は果てしなく続きます.
私はNさんやHさんのように,人に教えてあげる,人の荷物を軽くしてあげる側になかなか立てません.
私自身が必死こいて山登っているから自分の荷物で精一杯で人の荷物まで持てないの.
その代わり,いつまでも他の現役ディベータの皆さんとは「仲間」の関係で同じ土俵にいるつもり.
なので,せっかくここまで登ったと思ったのになんで逆戻りするんよー!と仲間に腹が立つわけです.

確かに人が私に求めていることとは違うのかもしれない.
でもね,そればっかりは変えられないかな.
私はいつでも,もっと良いディベートを追求していたいです.

日曜日は,帰りに「成蹊」の由来となる故事の話がでました.
割と素敵なお話だったので,興味のある方は調べてみてはどうでしょう.(^v^)
それで慶應義塾とかだともっと沢山あるし認知度高いよね,という話にもなったのですが,
そうですね,上のような私の態度は丁度慶應の『半学半教』の精神に近いかもしれない.
慶應では先生は「福沢先生」ただ一人なのだそうで・・・
教授は大学側には「君」づけで呼ばれ,大抵の学生には「さん」づけで呼ばれます.
基本的に教員も学生も,本来は互いに教え教えられる,共に学ぶ仲間,ということなのですよね.
学問の高みを共に目指す仲間として,切磋琢磨しあう場としてキャンパスを見ています.
私はディベート界をそういう風に見たいのだろうと思います.
その意味で私は,critic judge,学び続ける審査員でありたいのだろうと思うのです.
日曜日のような架空の世界に半分いってる論題が出ると,
「この論題で私やディベータ達に一体このラウンド何を学べって言うのよ!」と腹が立つわけです.
審査しに行くとき,私は学びに行っているのであって教えに行っているのではないのかも.

でもそもそも,Wさんが仰るように,いつも新しい学び・気づきがあること,それによって自分の考えが修正されること,それがディベートの根源的な価値だと思います.だから私に限らず,本来ディベート界こそ,常に『半学半教』でなければならない筈だと思うのです.