Monday, November 28, 2005

話して読んで書いて

オランダの友人と無事Skypeでチャット。3月に中国へ行くというので、丁度中国の全国大会の時期だから見学してきたら、とススメてみました。大会のサイトを開き、中国のサーバが遅すぎると二人でひとしきり文句をたれつつ打ち合わせ・情報交換終了。インターネット電話ってホント便利。メール書くよりずっとお手軽です。あと時差がなかったら最高ですが、どんな技術者もそればかりはどうもできませんものね。

今日は引用に使いたい別のドキュメンタリーを書き起こし中。googleで一部書き起こしたものを見つけたので参考にさせてもらいました。とは言っても使いたい部分があまり入っていません。諦めて大半は自分で書き起こしすることに。古いテープなのでステレオの片方しか音が生きていない部分が断続的にあってなんだか妙な感じ。どうやらネット上では「幻の」扱いされている貴重なビデオだったみたい。そんなお宝だったとは知らんかった・・・でも確かに内容は素晴らしい。家にあったビデオは残念ながら最初の十数分が抜けている。DVDとかで販売されていれば良いなぁと思ったのだけどどうやら販売も公開もされていないようです。良質のドキュメンタリーというのは知的財産だと思うので、もう少しアーカイブ化が進むと良いのに、と思います。

本の方はぐっとくだけて「武器としての言葉政治」を読みました。視点や方向性はとても良いと思う。ただ分析が随分粗い。それにしてもやっぱり日本語で読むのは速いですねぇ。楽だわぁ・・・

Sunday, November 27, 2005

注文の多い芸達者

昨日急行電車を待っていたら、コンタクトレンズがポロッ。うきゃー。と慌てて受けとめたところで電車がビューッ。あっきゃーー!!飛んでいってしまいました。慌てて探している間に電車がゴーン。結局片目レンズなしのまま一本後の各停に。えーん、えーん、えーん。電車はもそっとそうっと入って欲しいものです。って無理言うなや。

バングラディシュから昨年の会議の議事録が配られました。例年要点をまとめた箇条書き的なものでしたが、どうしたことか今年は一言一句書き起こしてあります。10時間に及ぶ耐久レースみたいな会議がです。私の発言部分など文法エラーまできっちり再現されています。。。そこまでせんでもええんちゃいますか。結果、こんな長いの読んでられるかっと短気を起こしたくなる代物に。とはいえ、まあこればかりは読むしかない。と開いたのも束の間一昨夜は眠りに落ちてしまいました。うーん。まずはこのヘタレを治さねば・・・

ちなみに議事録を担当するセクレタリーであるバングラディシュの方。身体も巨体なら声も人間拡声器。というかそんじょそこらの拡声器には余裕で勝てるという方です。また歌が好きで彼の乗るバスはもれなく修学旅行モードになります。乗り合わせると必ず、お互い伝統民謡を一曲ずつ唄い合おう、と言われます。ちなみに拒否権はないようです。問題は彼の注文。毎回同じなのですが、明るいラブソングであること。うーん・・・民謡は風景歌ばかりだし演歌は悲恋ものばかりだし・・・思い浮かばないぞそんな歌。と唸ってる間にも相手は既にベンガリで朗々と唄っています。歌詞を英訳して解説までしてくれます。アンビリーバブルに甘い英訳版歌詞に驚いて彼の方を振り向けば、ジャイアント馬場と猪木とジャンボ鶴田を合わせて黒くしたみたいな迫力ある顔がさあお前も唄えと満面の笑みです。うーん、明るい伝統的な恋愛歌・・・本気で思いつかないんですけど!ムリ!パスいち!と言えば勘弁してくれる人じゃありません。仕方なく、日本人は根暗だから明るい恋愛はしないんだ
ヨと嘘をつきルール変更要求です。ポップなら幾らでもあるんですけどね。

世界のどこかで、国籍の入り交じった若者達が大勢乗る大型バスが十台も二十台も連なっているのを目にしたら。満月の銀の光に包まれた君の美しさが僕を胸いっぱいにする、とかなんとかベンガリで歌い上げるバングラディシュ人。そして居直り気味な外れた音程で北の宿を熱唱する日本人。そのバスはそんな人達を乗せて疾っているのかもしれません。

明るい恋愛系演歌をご存じの方、是非御一報下さい。短調不可でお願いいたします。

Friday, November 25, 2005

感性の時代・言葉の時代

今日はあったかくて良いなぁ、とか思っていたら早くも冷え込んできました。うう。冬めー(涙)

1993年に放映されたらしきTV番組の対談を書き起こしました。問題は放映された正確な日付がわからない。これでは引用できません・・・うーん。阿久悠と小椋佳の対談なんですが、小椋佳が良いこと言ってるのよね、ホント。内容は「今後言葉の時代が再来する!」というもの。しかし還暦迎えたオジサマの言葉に共感してる私。うう。年寄りっこは三文下がるのにぃ。

オランダから「いつでも良いけど早く電話頂戴」と催促されました。つーか、時差考えるとそうそうできませんよ。高いしさ。仕方ないのでSkype入ってくれ!とメールしてみる。それかコストパフォーマンスの良いコミュニケーションを保証するとか。そんなんできるかいな?そこをなんとか。簡潔明瞭かつまったりと芳醇な濃くのある言葉の宝石を・・・って何の番組だ(笑)やむをえんなぁかけるか。で、一言Skype入って、って言って切る、と(笑)

Wednesday, November 23, 2005

Wonders Never Cease

しばらく前のことだ。世界遺産だか何かに登録されているルーマニアのあるキリスト教系の教会を訪ねた。入り口すぐの部屋の壁画が全面聖人達の殉教シーンである。それがまたパステルカラーとかの生易しい色合いではない。首なし死体から噴き出る血が鮮やか且つ深い赤で塗りこめられている。数十人、ひょっとすると百人以上の凄惨な最期。首切りあり焼身あり生きながらに獅子に食い殺される者あり。それが壁といわず天井といわず1ミリの隙間もなくびっしりと極彩色で描かれているのだ。地獄絵図の類ではない。聖人達を讃え崇めるためのものらしい。一つ一つの絵に殉教した聖人の名が付されている。当時の僧達にとって、殺されることこそ宗教心の現れであり、その死に方が苦痛を伴う程尊いと考えられたのだと説明を受けた。信仰の証として可能な限り凄惨な死を遂げることが生涯の夢であり、競ってより残酷な方法を選んだのだという。古い建物なので明かりは入り口から差し込む陽の光がメイン。薄暗さに迫力が増す。圧倒的な存在感に声も出なかった。これ、一つの教会だ
けの話ではない。訪れる教会、訪れる教会、このパターンの壁画。凄いところは外壁まで極彩色の惨殺シーンで埋め尽くされているのである。その姿は私がそれまで抱いていた教会のイメージからかけ離れていた。教会は地元住民の寄進で建てられるという。そう裕福な地域には見えなかった。一体人々はこの建物にどういう想いを込めたのか。。。

今年夏に来日したオーストラリアの友人がハラキリの発想がわからない、一体なんだって自殺に作法があり、それがまた何故わざわざ痛い方法なのか全く理解できない、としきりに言った。特にその死に方を栄誉だと喜ぶという点が想像を絶するらしい。

そんなの日本人だというだけで私に聞かれても、私だってわかりゃしない。現代人とは違う倫理体系な以上自分のこととしては話し様がない。けれど知識は自然身につくわけで、衣裳や介添え人、切腹の手順を面白がって話して聞かせた。聞いてる友人の方は気絶でもしそうに沈痛な顔である。ひひひ。神経の細い奴。異文化極まりないとでもいうような表情ではないか。

ところがこの友人。実はルーマニア系オーストラリア人なのだ。彼は切腹の文化がまるで現代日本にも残っているかのように思っている様子。しかしもしそうなら、彼にも同じ程度には競って首をはねられたがる文化が息づいているはずである。

栄誉の自殺という発想は別に日本固有のものではない筈。そして大概の地域の大半の現代人にとって既に異文化だろう。ただディテールやロケーションの違いが迫力を増して見せるのかもしれない。イスラムの自殺テロをステレオティピカルに報じるメディアにも同じことが言えるのだろうか。

それにしてもどうでもよい切腹談義に悪ノリしてルーマニアの教会で見たことを話し損なってしまった。自分の先祖の地にも似たような風習があったと知ったら友人はどんな顔をするだろうか。 いしししし。今度言ってみよ。

Tuesday, November 22, 2005

じゃじゃ馬馴らし

相変わらず明け方に宿題終了。中国の輸出高制限交渉のEU側使節団長の名前が最後までわからない。仕方ないので聞こえる音どおりにスペルしてみた・・・けど違うんだろうなあ。ネットに接続して延々ググレばきっと出てくるのだろうが断念。こういうのは知識の問題であって聞き取り能力とはあまり関係ない。だからこそ本来根性出すべきところなのだが・・・明け方は外が寒すぎて出掛ける気力大幅ダウン。いいやその分眠ってしまえ、と我ながら根性なし。そういえばじゃじゃ馬ならぬ巨大な象というアナロジーがおもしろかった。

いつもより一本早い急行に乗れた。しかも途中で座れてしまった。特大ラッキー。ちょっと遠い方の駅からにして途中で朝食を調達できそう。わーい。それにしても電車の中は風邪ひきさんだらけ。これは感染防止にマスクが必要かも。

中吊りには日中関係について物騒な煽り文句が書かれている。終戦記念日前後に中国の先生が下さったメールを思い出す。事務連絡の後に、国がどうあろうと歴史がどうあろうと、お互いの友人関係を信じて協力していきましょう、とそっと書かれていた。この方は反日的な参加者がいたらしい時も、そういう時期にかぶってしまったイベントでも、いつも人の話を丁寧に聞いて皆が嫌な思いをしないようにこっそり手配して下さる。大人な態度には学ばされる。幸運なことに興隆目覚ましいと狭い業界では脚光を浴びている極東地域のディベート。その成長の速さのため却って、四ヶ国ともが神経のすり減る思いを少なからずする。別々の荒馬に乗っている四人が協力しようとするも、なんともはやロデオ。こういう先生がいて下さるのは何より頼もしい。できれば国同士も上手くいってほしい。

ちなみに、性差別的だけどコミカル。とはシェークスピアのじゃじゃ馬馴らしを評した友人の言。オーストラリア人にしては寛容なコメントなのだろうか。

Friday, November 18, 2005

壁は何処に

これからはイデオロギーよりも宗教や言語が世界を区分する、と言ったのはサミュエル・ハンチントンの文明の衝突。

説の真偽はさておき宗教間の壁というのは目に見えやすいですね。昨日書いた南北アイルランド間の壁、イスラエル・パレスチナの壁、カシミール、スリランカ、ミンダナオ、ダルフール・・・。ベルリンの壁に象徴された東西の壁と同じくらい明白な壁が宗教間にはあるように見えます。

国際大会では、ハラルが振る舞われるテーブル、コーシャがが出るテーブル、それ以外、と宗教によって席が別れ、同じディナテーブルにつけないことがままあります。ある時友人達と夜食に出掛け、帰りぎわに握手して別れる場面がありました。内一人が他の四人とはにこやかに握手を交わしたのに、私が手を差し出すとサッと自分の手を引っ込めました。ハッと気付けばその席で女は私一人。手を引っ込めたほうは敬虔なムスリムだったのでした。相手にしてみれば何も私を拒絶したのではありません。よくわかりませんが、もしかしたらむしろ最大限の敬意を払ってくれたのかもしれません。実際握手の件以外に関しては私にも大変親切で、彼に悪意があったわけでないのはよくわかりました。けれど握手さえできない不自由さともどかしさは、差し出した手から手を引っ込められた驚きと共に長く私の心に残りました。

正直私には、宗教の違いのために人を殺さなければならないような信仰心というのは理解が及びません。それは私が若いからでしょうか、日本人だからでしょうか、それともCross Religiousな家庭に育ったからでしょうか(おそらくこれは全く関係ない)。ただ私にとってはディナを共にする相手を選ぶ際の不自由さや握手の手を引っ込めなければならない不自由さの方が身近です。自分の想像力の乏しさが残念です。

今年の春に亡くなったヨハネ・パウロ二世はそうした壁を越えて要人との対話の機会を持ったため空飛ぶ法王の異名をとったそうですね。(異性愛者と同性愛者の壁は越える前に三途の川を越えてしまったようですが)新しいベネディクト法王庁も同じ路線を受け継いだのでしょうか。カソリックではない私が口を出すことではないのでしょうが、空飛ぶ法王でいて欲しいと思います。

翻って言語の壁を見ると宗教程明確な対立も境界線も見えないような気がします。けれど私にはこちらの方がずっと身近で現実問題です。

小説などフィクション作品には独自の世界観がありますよね。ハリーポッターにはハリーポッターの、マトリクスにはマトリクスの世界があって両者が交わることはありません。

言語の壁が同じようにパラレルな世界を作り出していると感じることがあります。それは特に英語を母語としない者同士の時に感じます。同じ国際メディア(大抵英語メディア)を元ネタにした話題でも、A国のメディアとB国のメディアが異なる視点で仲介・編集して視聴者に届けます。結果お互いの理解がありえない程食い違うというケースがままあります。積み重なるとそれはもう世界観の違いと言っても全く大袈裟ではないような気がします。ギリシャやロシア、キルギスタンの選手達に判定理由を説明すると、英米豪の選手相手の時の数倍てこずったりするわけです。言葉の壁自体よりも、それによって生じるメディアの壁、ひいては情報の壁の方がよっぽど深刻であるように私には思えます。

それが多様性であり面白さなのではないかと考える人もいるかもしれませんがそれは違うと思います。フィクションの主人公はともかく現実の人間は視野が狭くては困ります。各人が複数認識できた上で選択できているのなら構いません。例えば日本人が宗教を選ぶとき、たとえ慣習に従っているだけでも他にも様々な宗教があることを知ってはいます。けれどメディアによって構築された世界観に関しては、単一言語ユーザにとって一つの言語メディアにしかアクセスがなく、結果多くの人が他の世界観からはどう見えるのか知りません。そもそも他の世界観があることすら知らなかったりすることさえあります。

以前英語圏以外の某国の人達に、日本は今でも天皇が全てをコントロールしているんだろうと言われ仰天したことがあります。皇室の社会影響というのは無論あるかと思いますが、全てをコントロールしていると考える人は日本では稀でしょう。小一時間も彼らと話しましたが、彼らにとっては私の言うことの方が青天の霹靂。結局国で見たドキュメンタリー番組とプロパガンダの毒牙にかかった(と彼らには見える)一学生の私では、前者の方が信をおけると判断されたようでした。これは極端な例ではありますが、似たようなことは沢山あります。ともすると、同じ瞬間にこの地球上にいるのに、世界を共有していると言いにくい関係というのがあるような気がします。それはとても残念なことです。パラレルな世界の住人同士が建設的でラショナルなコミュニケーションをとることは至難の業に思えるからです。

英語圏の人は、別にロシア語圏の人より偉いわけでも尊いわけでもありません。けれどそういう意味で明らかに得をしているように見えます。

メディアの境目は、宗教の境目ほど取り沙汰されません。言葉の壁の恐ろしさは、前線が何処なのか見えにくいことそのものにあるような気がします。今日私たちを隔てる壁は何処に築かれているのでしょう・・・

Thursday, November 17, 2005

壁は何か

昨日の「壁よさらば」の壁は結局なんだったの、と思われた方もいらしたようでした。えっと、言及しませんでした。すみません。

ラテン語辞書で言葉の壁よさらば、って気持ちもありましたが、何よりもアイルランドの件についてのつもりでした。

アイルランドがその独立闘争、またその後の北アイルランド紛争における血にまみれた歴史を持っているのはご存知かと思います。

1649年のクロムウェルによる征服を機に、隣のブリテン島からの移民がアイルランド島の北東部を中心に活発に進みました。イングランドはアイルランドの土地をイングランドの地主に分け与え、アイルランド人の多くが小作農となりました。アイルランド人の土地取得件や参政権も大きく制限されました。同じように併合されたウェールズやスコットランドはイングランドと宗教を共にしていましたがアイルランドはカソリックの地。その扱われ方も大きく異なったといいます。映画「マイケルコリンズ」に権限委譲の式典に遅れたコリンズが「700年も(独立を)待たせたんだ。数分待たされたくらいでゴチャゴチャ言うな」というシーンがあります。アイルランドのイングランドに対する鬱積した想いの現れた台詞だと思います。

そんなわけで、イングランド憎し・ゲールの誇りを守れというNationalismがともすると強いと聞くアイルランド。一体そんな国がどうして今年7月、おそらく最もEnglishなスポーツであるクリケットで大成功をおさめるに至ったのでしょうか。それには北アイルランドと南アイルランド(アイルランド共和国)の歴史的な歩み寄りが背景にあるといわれます。

血みどろの闘争の末独立を果たしたアイルランドが、その後も大英帝国に帰属したままとなった北アイルランドを巡ってテロを繰り返し経験したのは皆さんご存知かと思います。北アイルランドの過半数は入植者の系列でプロテスタントです。対する南のアイルランド共和国は人口の93%がカトリック教徒です。民族、言語、宗教を異にするこの両者の衝突は激化。1992年の段階で死者の数は3000人を超えたと言われます。

しかし1993年のDowning Street Declarationを皮切りに和平に向けた対話のムードが盛り上がります。そして1998年、ついにall-Party talk(今で言う六カ国協議みたいなものでしょうか)は「Catholics/Southerners and Protestants/Northernersが島の権力と責務とをshareすること」に合意しました。この合意をGood Friday Accord/Agreementと言います。North South Councilは4つの主な分野(policing, normalization, stability of the institutions and decommissioning)において協力関係を築くことを宣言します。

このGood Friday Accordが締結されて以降今日までに様々なJoint Projectが開始されました。現在では警察や救急隊員が島の南北を問わず共同で活動している他、Joint Water Ways, Joint Tourism Board, Joint Traditional Music/Dance Festivalsなどなど多岐に及んだ活動が「all-Ireland basis」で展開しています。そんな中、Gaelic Athletic Associationもまた、all-Ireland Finalsを主催するに至ったのです。こうした全島での取り組みはクリケットにも影響を及ぼしました。

Gaelic Athletic AssociationというのはNationalisticで有名な団体で、ゲールの伝統的なスポーツを守る団体です。HurlingやGaelic Footballです。この団体の規約には以下の2つの項目がありました。

-No foreign games are to be played by any member of the GAA

-Ineligible to join the GAA are members of the Biritish armed forces and Police(RUC). And; A member of the GAA participating in dances, or similar entertainment, promoted by or under personage of such bodies shall incur suspension of at least 3 months.

前者はつまり、伝統的なスポーツに参加したければ、ラグビー、サッカー、クリケットといった外来のスポーツには参加してはいけないというものです。こちらは1970年に撤廃されました。

後者はRule21と呼ばれますが、英国警察の庇護の下にあった北アイルランドの住人がアイルランドの伝統的スポーツに参加することを阻むものでした。

こうした規制の下、クリケットは長くEnglish Protestantスポーツというレッテルを貼られ続けました。カソリックにとってクリケットをプレーするということは隣人に隠しておくようなことだったようです。長い間クリケット選手の殆どは北側のプロテスタントでした。国家の壁は、スポーツの世界にも大きく壁を築いたのでした。

しかしGood Friday Accord以降の様々な取り組みにより、南北の関係は大きく前進。Rule21も時代錯誤なものと見られるようになり、GAAは2001年についに撤廃に踏み切ったのでした。

こうして現在のIrelandのCricketチームは、
-世界ランキング11位
-2005年Interntaional Cricket Council Trophy準優勝
-2007年World Cupの出場権獲得
とその実力を大きく伸ばすに至ったのでした。

なんと現在のIrish Cricket Teamは、ProtestantとCatholic, NorthernersとSouthernersがほぼ同数の選手で構成されているのだそうです。

そんなわけで、「何故アイルランドのクリケットチームが今年強かったのか」は「壁が取り除かれたから」が正解でした。(^-^)

ちょっといい話でしょ。

Wednesday, November 16, 2005

壁よさらば

あう。日にちが空いてしまいました。悲しい三日坊主気質。

今日は朝からプレゼンテーションしました。
といってもとっても短い簡単なものです。
でも5分の小話でも準備にかかる時間は馬鹿にならない。
オチとか考えるのに時間かかるしね。
理屈っぽい説明だけだと一般の人にはウケないしね。
あくまでも小話っぽくまとめるのが難しいといえば難しい。

自分でお題を選んで良かったのですが、なんとなくアイルランドのクリケットチームが今年なんで強かったのか、という題材を選びました。アイルランド行く予定なのにあんまり知らないし。スポーツねた苦手だし。こういう機会に触れようかな、と。

直後にメインの聴き手がアイルランド人でスポーツ好きと判明。

。。。。。。ずがーん。討ち死にでございます!って感じでした。ネタを変えようかと真剣に悩みましたが、開き直って強行。
意外と反応は良く、とっても安心しました。
しかしアイルランド人の前でGaelic Athletic Associationの規約の説明をする日本人。。。汗ダラダラものでした;

さてさて、本日!じゃじゃん!ラテン語辞典、買いました。
結局マニアックな単語は4万円する辞書にも載っていないと分かり、それならばということで、以下の二つの合わせ技にしました。どちらにも載ってないものはあきらめる、と。

1) A Dictionary Of Latin -Words And Phrases-, Oxford University Press (2,363\)
2) Collins Latin Dictionary (1,313\)

お手軽です。ていうかCollinsのはめっさ小さいです。もう少し大きくして代わりに薄くしてくれたら良いのに、という気もします。これで読むペースがサクサク上がると良いな、と。

Friday, November 11, 2005

ディープインパクト・ディープスロート

なんか記録的に強い競馬がいるのだそうですね。武豊騎手が乗っていたなんとかいう馬(オグリキャップ?)がブームを巻き起こしたことがありましたが同じような状態なのでしょうか。馬は姿形もとっても綺麗ですしね。

話は変わってディープスロートは和訳が発売されたように聞くのですが読む時間が作れなくてまだ買っていません。もし読んだ方がいらしたら前作の大統領の陰謀より良かったか教えて下さい!

現在読んでいるのは消えゆく言語たちの原本(Vanishing Voices)です。生物言語多様性の話はどうしても無理があると思うのですが、多言語社会の価値について考えさせられます。あとは具体的な方策が示されると良いのですが・・・

Thursday, November 10, 2005

You Only Live Twice

DVDの特典映像に、日本人役者にまつわるエピソードも短いながら入っています。言語の壁についての話が殆ど。正直ちょっと腹が立ったというか・・・複雑な気分です。。

Wednesday, November 09, 2005

脱撫子記念日?

説得的推論って何?とか思ってたら、理由付けのことでした。おいおいおいー。まあ訳した人は議論学の専門家じゃないんだろうから仕方ないか・・・しかしなあ・・・なんでこうも解りにくいのか・・・引用する身になってほしいとか無茶を言ってみたり。

ところで今日のニュースではありませんが世界初の女子プロボクシングチャンピオンは日本人になったそうですね。タイの刑務所で決勝戦だったんだそうで。

そうかと思うとモーニング娘対トカゲというビデオが英語字幕付きでネット配信されてたり。笑

今のステレオタイプの最前線はどこにあるのでしょうね。

Tuesday, November 08, 2005

Good Tuesday Assort

宿題の出来が良い気がしてごきげんです。が、いかんせん眠いし、朝食抜きで猛ダッシュをかましてしまったので体調の方が・・・というわけで乗り換え時に売店で缶ジュースを買う時間があり、かつ終点まで座れるルートに急遽変更しました。その代わり駅から目的地まで歩く距離は長いのでささやかな違いです。でも一日の体調には大きな差。

あう。どうやら電車の日差しが当たる側に座ってしまったようです。後頭部が熱いです。慣れないルートにはこういう落し穴が。。。けど冬の日差しの幸せ感は好きです。東南アジアを旅行したりすると、いつ訪ねても一年中気温が一定のゾーンにおさまるのに驚かされます。羨ましくも思います。熱帯夜に悩まされることもなければ寒波に凍えることもないとはつくづく幸せな人たちです。反面、ああいう場所にはこの冬の日差しのぽかぽか感がないよなあ、とも思います。朝寒くてお布団でぐずぐずしている時間。部屋に入り込む日光。その平和で怠惰で何となく懐かしい感じ。ちょっと捨てがたい魅力です。お布団で微睡み続けられたらもっと魅力的ですが。。。そして厚着しても寒さに震えるだろう一月後に同じことが言えるかは不明ですが。

ところで唐突ですが来週の今日までにIrelandのGood Friday Accordについて何か小話を用意しないとです。何か情報をお持ちの方、よろしくお願いしまーす!
ちなみにこれ書いたのは行きの電車の中、つまり朝でした。

Monday, November 07, 2005

月曜日の縞々模様

元ネタは水玉模様です。あの本かなり好きです。

昨晩George Orwellの1984年を読みました。超特大後悔です。怖ッ暗ッグロッキモッ。なんだなんだなんだ心が病んでるのかっ。この救いようのなさは何事だ。人間何に絶望したらこんなん書く気になるんだ。この作品、特にそのNew Speakという概念(?)は、Edward W. Saidにまで(しかもリース講演で)引き合いに出されていたりするので、一度読んでみなきゃと思っていました。言論・思想の自由を扱った問題作と言われたら興味湧きますしね。まあ確かにその評判が間違ってるとは言えませんが・・・あまりに後味悪くて話のネタにでもしなきゃ割りが合わんというのが実際のところなのでは・・・。月曜日だというのに疲労感が。水玉模様とまではいかなくても縞々模様程度には愉快なものを選ぶべきでした。

昨晩は並木周さんの1997年のエッセイも久々に読み返しました。こちらは打って変わってやたら勇気づけられる内容でした。前回読んだときはボヘーッと読み飛ばしてしまったようですが、今読むと良いこと書いてあるなあ。

そういえば栗最中の賞味期限が迫っています。はよ食べな。毎度のことですが宿題が終わらず焦りの月曜日です。なので甘味の買い置きがあるのは良いことです。糖分補給して頑張るぞ、と。さあて今晩は何時に終わるかな?

Sunday, November 06, 2005

言葉の壁フルスロットル

先日購入したギリシャ語辞典を使って昔読んだ文献の解らなかった脚注を一つ一つ読み解き中。それなりに収穫はあるのだが問題が二つ発覚。1.文献は古代ギリシャ語。辞書は現代ギリシャ語。英英や英和よりは遥かにましだがそれでも綴りや語尾変化、おそらく意味も微妙に違う。2.辞書の問題を差し引いてもどうやら私が読んだ文献の和訳はかなり原義からずれている。またcriticizeとjudgeが一つの語の派生語であることなどは原語では自明だが和訳はおろか英訳からすら分からない。書いた当人は二つの語を関係の深いものとみなしていたのだろうが和訳を読んだ私は全く別個のものを差していると思って読んでいたわけである。こりゃ解りにくかったわけだ・・・しかしまさか全部原文のまま読むことはできないし時間はないし・・・うぬぬぬぬ。

まあできるだけのことはしてみよう。

Saturday, November 05, 2005

経済ネタは苦手だ

出掛け帰りにまた辞書を探そうかとも思ったのですが、ちょっと今日はマラソンかってくらい走りまくってしまったのでお疲れ気味。今日は良いことにしよう。うん。

ところでドイツでは新政権になって次期家庭相がインタビューに応じたそう。子供の生まれた家庭に月額25万円相当最長一年間支給することを検討するのだそうです。一瞬すごーい、良いなあと思ったのですが、よく考えるとそうでもないかも。日本ではある政治家が子供を産まなかった女性には年金を受け取る資格がないと言ったそうです。あまりの時代錯誤ぶりにバーサクした私ですが、よく考えたらドイツの政策も実質は同じことかも。関税と補助金のどちらも貿易障壁には変わりないのと同じ理屈かな。給付金の出所が国家財政な以上、子供のいない家庭からお金をとって、いる家庭に回すという意味では同じかもしれないですね。それって倫理上問題かしら?不公平?女性をマテリアライズしている?けど子育て支援は必要だと思うし・・・。うーん。果たして国民の家族計画に国は何処まで介入して良いものなのでしょう。まあでも小子化の原因は費用のせいばかりじゃないですよね。そっちの対策が先かも。それにしても未曾有の失業率に喘いでいると言われるドイツ経済。一
体財源はどう確保するのでしょうか・・・。

お、もうすぐ降りる駅です。ではではー。

Friday, November 04, 2005

もってけ泥棒

久々にPCでネット接続しました。凄い数のメールに呆然とする今日です。どどどどうしよう。。。

焦りつつこんなところに書き込み。最近メールをこまめに書けないので「生きてるのか死んでるのか分からない」と言われることが多く、その対策として移動時間中に携帯から日記送信しているのでした・・・今日は珍しくPCからです。

今日は某氏のために推薦書を書きました。現在ドラフトのチェック待ち中です。けどあたしの推薦なんかで意味あるのだろうか・・・?まあ、欲しいというのだから仕方ないか・・・普段お世話になってるし・・・

ちょっと忙しいのでサブウェイでテイクアウトして済ませてしまうことにしました。店内のお姉さんがゼロ円で貰ったら悪いような神々しい笑顔で驚きました。一体何事・・・上記の某氏は頼みごとがある時必ずメールの末尾に「Thank you, Masako, you're an angel!」と付け加えます。ちょっと問題を感じます。同種の問題を感じるくらい尋常じゃない笑顔でした。良いのだろうかそんなに簡単に振り撒いてしまって・・・私が気分良く店を出れたからまあいっか。。。

Thursday, November 03, 2005

Open Societyにラブレターを

寒くなってきましたね。セーターを着るようになりました。すぐオーバも必要になりそうです。冷え性なので寒さは苦手です。冬の間沖縄に疎開したいかも。

今日は日本語大会の審査員です。この大会は、完全なオープン戦です。例年中学生から社会人まで幅広い層が参加しています。

ディベートは様々なアイディアをコンテストするものです。誰の意見であろうと、優れた意見が尊重されるべき世界です。参加者は多ければ多いほど幅広ければ幅広いほど、テストされる議論の視点も視野も広くなって楽しくなります。だから参加資格を不問とするのはこの競技の本来の姿だと思います。老いも若きも、富めるも貧しきも、男も女も。考えを述べる機会は皆に等しく与えられるというのは、美しい理想ではないでしょうか。他者の知性を尊重できるというのは幸せなことだと思います。現実の世界が階層・階級・しがらみや驕りに満ちていたとしても、ディベートしている間くらいOpen Societyの一員であることを満喫したいです。のびのび大らかでいさせて欲しいです。

というわけで、こうした完全なオープン戦にはワクワクします。現実には予選は階層別の大会の方がずっとレベルが高いのが普通ですが、そんなことはぶっちゃけどうでも良いのです。中学生達が四十絡みのオジサンオバサン達と大真面目に対等な立場で議論しているのを見るだけで愉快ではありませんか。中学生達の果敢さも頼もしく好ましければ、負けて面目を欠く危険も顧みず真剣に相手してやる年長者の懐の広さも好ましいではないですか。オープンであるというだけでも、この大会は参加する価値があると思います。大好きな大会です。

・・・とはいえ、今私に必要なのはそんな理想よりも一杯の熱いコーヒーです。寒ひよう。眠いよう。

Tuesday, November 01, 2005

横着者でごめんなチャイ

今日は朝から授業を受けました。大好きなお気に入りの授業です。明け方ぎりぎりに宿題を終わらせました。間に合って良かった(汗)

友人と紅茶の買い出しを兼ねてお茶しました。この紅茶専門店は、外見はちょっとナンなのですが、暖かいミルクティーを頼むと絶品です。私は胡麻ミルクティーを頂戴しました。ホッとする味でした。

お茶といえば、最近寝呆け眼でお茶を入れていて手に火傷をこさえてしまいました。それというのも最近ヤカンでなく鍋でお茶を入れるため、よそぎ方にコツが要るのです。ヤカン使えよ?や、ごもっともです。けど一日に2リットル分くらい飲むのでちょっと面倒なのです。ちまちまいれるの。つい、ね。何か手間が少なく、特殊な技術を要さず且つ安全な手法を編み出さなければ。目指せ世界一の怠け者!

ラテン語辞典ですが、まだ探し中です。今日一つ見かけたのですが、コンサイス版で、論文に出てきて分からなかったようなものは一つも載っていませんでした。うーん、これじゃあなあ。取り寄せるしかないかしら。でも届いてみたら全然使えなかったりしたら残念だろうしな。次は新宿の紀国屋をあたってみようかな。