Tuesday, December 23, 2008

Feminology (9. The Outspoken One) フェミノロジー(第九話:もの言う女)

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しばらく前、セクハラもどきにあった。
怒り心頭で家に帰りふて寝。翌朝も口が重かった。

別のある日、とある後輩の渾名がついた経緯を聞いた。その時「Sさん(女性)はそれでも静かに微笑んで『あらー、酔っ払っちゃったのねー』ってよしよししてたんですよ」とウットリした顔を見せる男性に、少々ゲッソリした。「どんな時も怒りの表情を男に見せない女」を男は好きだ。しかしそれではディベートできない。「でもYさんディベート中は別人ですよね」と続ける彼に適当に頷きながら、そうやって女はdebateをlife styleとすることができない仕組みになってると心で思った。ディベートはディベート会場でするもの、日々の問題や意思決定からは締め出しておくものという隔離が、女性の場合、特に日本の女性の場合は強く強く染み付いている。いつも黙って笑顔。そうでないと男性に評価されない。オタク男性がフィギュアの女性にウットリして自分を解放するのと同じように、又は社会生活を滞りなくするため普段は極めて男性的に振舞っている「心は女」の男性が特定のコミュニティでだけ本来の姿に戻るように、女性ディベータの多くはディベートの試合を自分を解放できる逃避先にする。その限られた時空間でだけ自分自身でいられる。その時間以外はひたすら黙って「ニコニコニコニコ」の一手というわけだ。そんなのディベータと言えるのか。三次元の女性にウットリするオタク男性と同じ異様さを感じないのか。その女性にも、その女性にそういう振る舞いを求める男性達の圧力にも腑に落ちないものを感じる。

先日とある大会で、「成人年齢を18歳に引き下げると、親の承諾なしに結婚できるようになる。そうすると望まぬ妊娠の際に結婚を迫られ早婚になる。子供を育てるのはとても費用がかかり将来が暗くなるからやめた方が良い」という否定側立論を審査する羽目になった。これはつまり18歳とかの女の子に堕胎を迫ったほうがマシということ。そして否定側は全員男子高校生だった。あまりのグロテスクさに心が重くなった。

同じくある大会の閉会式で、壇上に居並ぶVIPが一人残らず男性だった。唯一の女性は司会とプレゼンター。こちらはとても美しく若い元ディベータの女子大生二人だった。尊敬している先生に「彼女達が大会に華を添えたよね」と言われて静かに凹んだ。

昼間電車に乗っていると、突然中年男性に怒鳴りつけられた。座り方がオカシイと説教してくる(座り方って…)。驚いて見上げると何処にでもいそうな普通のサラリーマンっぽいおじさんだった。相手は「何だその目は!」と更に言い募る。隣に座っていた初老の女性が延々といんねんをつけ続ける男性を咎めてくれて漸く収まった。しかし30分その非常に不愉快な状況に身を置く羽目になった。何か面白くないことがあってストレス解消のために気の弱そうな若い(が若すぎない=キレられる可能性が低い)女に当り散らしたのだとしか思えなかった。この手の男性は必ずターゲットを自分より体力的に弱そうな女に定める。反撃される危険がないからだろう。思うツボに嵌っている自分に地団駄踏みながら静かに黙って座ったままやり過ごした。即『じゃかしいわ、ボケ!」とでも怒鳴り返してやればよかったと歯噛みする想いだった。隣の女性に丁重にお礼を述べて電車を降りた。

*****

上のことは二週間の間に立て続けに起きた。
普段は単に『ちょびっと男性不信気味』の私だが、
こういう時は軽度の『男性嫌悪』を覚えるようになる。

友人に「結婚したからディベートやめたんだと思ってた」と書き込みをされ、「そんなことないよー」と書き返しながら思った。今キチンと考えないと取り返しがつかなくなる、って。

性差別と闘うことを辞めないこと、それでいて男性全員を一絡げに敵視しないこと、大切に思える男性にはフェアに接すること。これらを自分がキチンと納得できるカタチで実現するには常ならぬ戦略が必要になる。

結婚して生活も周囲の見方も激変して戸惑う今、今がそれを考えるべき時だと思った。

今考えるべきと思った理由はもう一つある。実は「masakoが結婚したら私凄く焦ると思う」と数年前からとある友人に公言されてきた私。その私が実際に結婚してしまったことで、どうも本当に女性の友人達を焦らせてしまったのではないかと思うことが最近数々起こった。しかし私には彼らの迷いが間違っているとは思えない。女性の生き方を考える時に、既婚・未婚、子持ち・子無し、という線で女性同士を分割していく空気が疎ましい。しかしこのままでは私は独身の友人から切り離されてしまいそうなのだった。彼らの焦りも迷いも私にだってある。彼らの苛立ちは私の苛立ちだ。どうしたらそれを解ってもらえるのだろうか。これもまた、急がないと手遅れになる問題に思えた。

それで、女性のライフスタイルに関するエッセイを片っ端から読むことにした。
(結婚する前に読むべき本じゃないのかって?確かに私っていつも泥縄なのよね。)

内容については後日改めてと思うが、結論として私は遙洋子の文章に最も惹かれた。

酒井順子や姫野カオルコ、白石公子、谷村志穂の文章も面白かったが、迷いが多くてスッキリしなかったり、ジェンダー観の古さを感じた。松原惇子の文章には同意しかねることも多かったし、森村桂に至っては悲壮な印象を免れなかった。小倉千加子の本は全ての人を片端から否定しているように思えた。

その点、遙洋子の文章は思い切りが良い。理屈が単純で「男性社会に受け入れてもらいやすいように」という奇妙な媚がない。例えば勝間和代には「媚びたために主張が骨抜きになっている。本末転倒」という印象が強かった。遙洋子にはその手の逃げを感じなかった。そして女性への暖かい眼差しに好感が持てた。

私がおススメするのは『いいとこどりの女(ハイブリッド・ウーマンの改題)』『結婚しません』の二冊。お暇な時にどうぞ…と言いたいのだが、遙洋子の本を置いている書店が驚くほど少ない。インターネット注文にした方が良いかもしれない。何故書店に置かれないのか。それを考え始めると疑り深くなりそうだ。

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以下が私が読んだエッセイ本のリスト(出版年順)である。

森村桂. 1973.『結婚志願』. 角川書店.
松原惇子. 1988.『クロワッサン症候群』. 文藝春秋.
白石公子. 1990.『もう29歳、まだ29歳』. 大和出版.
谷村志穂. 1990.『結婚しないかもしれない症候群』. 主婦の友社.
谷村志穂. 1996.『結婚しないかもしれない症候群 男性版』. 主婦の友社.
姫野カオルコ. 1997.『みんな、どうして結婚してゆくのだろう』. 大和出版.
酒井順子. 1998.『29歳と30歳のあいだには』. 新潮社.
酒井順子.2000.『少子』. 講談社.
遙洋子. 2000.『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』. 筑摩書房.
遙洋子. 2000.『結婚しません。』. 講談社.
遙洋子.2003.『ハイブリッド・ウーマン』. 講談社.
酒井順子. 2003.『負け犬の遠吠え』. 講談社.
小倉千加子. 2003.『結婚の条件』. 朝日新聞社.
酒井順子.2005.『その人、独身?』. 講談社.
森下えみこ.2006.『独りでできるもん』.メディア・ファクトリー.
酒井順子. 2007.『駆け込み、セーフ?』. 講談社.
森下えみこ.2007.『独りでできるもん 2』.メディア・ファクトリー.
森下えみこ. 2007.『独りでできるもん 3』.メディア・ファクトリー.
森下えみこ.2008.『女どうしだもの』. メディア・ファクトリー.

Monday, November 17, 2008

キッチン

吉本ばななじゃなくて。

依然に梨(幸水)の皮むきを頼んで「初っ端からハードルが高い」と言われた私。
週末はキッチン・デビューして貰うことを画策しまして、とうとう土曜日のブランチで決行。

ずばり、ホットケーキを焼いてもらいました。

但し……
①材料の分量を量ってボールに入れる
②フライパンを適温に熱し油を馴染ませる
のは私がしました。

つまり連れ合いが担当したのは……
①混ぜる
②焼く
の二工程。

いやしかし今後の成長に期待、ということで。
褒めちぎりました。いささかの躊躇いもなく褒めちぎりました。
(そして実際ちゃんと美味しかったです。
まあホットケーキミックスで失敗したら色々とあれだけど)

混ぜて焼いている横で私は、
- マッシュポテトとコンビーフのサラダ(レタスの上に)
- 鰯の香草焼きオリーブ添え(熱を加えた玉葱の上に)
を作成。

比較的栄養しっかり目のブランチに。

食後すぐに体重計に乗ることを強制。
……増えておらずorz(彼太るべし、私痩せるべし)

一ヶ月頑張って食糧は多めを心がけてきたのに……
(そして自分の分は通常通り)

ちなみに、ここんとこのメニューは以下。
結構な量出してるつもりなんだけどなぁ……

[金曜日の夕飯]
- おでん
- ほうれん草の胡麻和え
- 蒸かし芋 明太子バターのせ
- 納豆
- ご飯
- 芋焼酎

[土曜日のブランチ]
- マッシュポテトとコンビーフのサラダ
- 鰯とオリーブの香草焼き 玉葱添え
- ホットケーキ(一人2枚)

[土曜日の夕飯]
- 豚肉の生姜焼き 千切りレタス添え
- おでん(前夜の残り)
- 納豆
- ご飯
- みかん
- ビール/ワイン/チューハイ(各自勝手に)

[日曜の朝食と昼食]
別行動のため各自で勝手に。

[日曜日の夕飯]
- 鰯の開き
- チンジャオロース
- 納豆
- ご飯
- フィナンシエ

[月曜日の朝食]
- カリカリのベーコン
- 舞茸のレモン・ソテー
- スクランブルエッグ(卵2個分)
- トースト
- シリアル
- ヨーグルト
- コーヒー

特に最後の朝食凄い。(一人当たりの表記です)
誰が「朝は入らない」って???

ていうか何でこれだけ食べさせて太らないのよ!!!?
(しかも結構間食もしているらしいことが判明)
きい、私の体質(食べた分しっかり太る)と交換したいぃ!!!
恨めしいぃ。

ちなみに日曜日にK氏から神戸ガトーの焼き菓子詰め合わせを頂戴して有頂天の私。美味しいよぉ。既に4つも消費されてしまいました……K氏に大感謝です。アーーーりーーーがーーーとーーーーうーーーー!!!

[月曜日の夕食](これから作成予定)
- 鶏とブロッコリーのガーリック炒め
- ツナとコーンとレタスのサラダ
- クラムチャウダー
- ご飯/パン
- フルーツパウンド

Friday, November 14, 2008

アナロジー(腐ってると思う・続編)

はあ、やれやれ帰宅です。
学校に忘れ物をしてしまったのがチョンボだけど、ま、仕方ない。

今晩はおでんにしよーっと。
ローガンがくれた韓国焼酎でも燗につけようかな。金曜日だしね☆
大根と蒟蒻、それから卵を買ってこなければ。寒いなぁ。嫌だなぁ。
そしておでんは野菜が少ないので何かもう一品必要か……
何が良いかなぁ……おでんに合う野菜料理って思いつかないなぁ。

ちなみに昨晩は、
- 焼き鮭
- 温野菜のサラダ(ブロッコリー、エリンギ、長ネギ)
- 肉じゃが
でした。

何か地味な和食が続いていますが……冬って鍋とか煮物とか和食系が美味しいんですよね……私の欲望のままのメニューですが……まあ、いっか。たまには系統の違うものに挑戦しようと思って作ったユーリンチーは、味は美味しくて大成功、評判も良かったけど、揚げ物なだけに片づけが大変でした。(片付けは私の担当じゃないけど)

***

今日は職場が感謝祭の話題に溢れていました。どうも日本人の先生とネイティブの先生でスケジュールの覚え方が違うみたい。感謝祭と言われて漸く「ああ、そういえばもうすぐ?」とか思う宗教音痴な私としては、一体感謝祭がどういう重要性を持つものなのか日本の行事に置き換えてアナロジーを示してもらえると嬉しいなぁとか思います。

そして今までずっと疑問に思ってたらしきことをとうとうネイティブの先生から訊かれました。「英語の科目の先生ですか?」「日本人ですか?」凄くおそるおそる、「タイプするのが速いんですね」と英語で話しかけるともなしに英語で呟かれ、思わず素で「あ、そうですか?」と英語で返してしまったら、前述の質問が続きました。どうやら「この人英語がわかるのわからないの?」と疑問に思われていたようです。英語で会話しているうちにネイティブの先生達が大集結して話しかけてくれました。授業3分前とかになって結構焦りました(ネイティブの先生達は教室へ向かうのが遅め)。これからはガンガン話しかけられるのかもしれない。とうとう島(講師室のテーブルの群れを私は島と呼んでいる)に取り込まれる日が来たか……

(以下は「タイプするのが速いんですね」と声をかけられる直前までに書いていたものです。)

***

アナロジーと言えば、もう6年も前に某コーチが日本をイスラエルに譬えてパレスチナ問題を語ってくれました。あの時は「そんな無理矢理なアナロジーがあっていいのか!?」と正直頭がぶっ飛びましたが、あれが世間の常識だったらどうしよう。真剣な話日本はいつまでもアルカイックスマイルを浮かべて黙ってる場合じゃないとあの時思いました。

***

ぶりかえした風邪にやむなく風邪薬を飲んだ昨晩(今日は快調)。トロトロとまどろむ私の横で相方が延々と何やら呟いている。一生懸命意識を向けると、どうやら私に金融政策について説明してくれているらしい。激しく経済音痴な私にとってはありがたいことこの上ないんですが、いかんせんタイミングが悪い。瞼と瞼が離れへんねん。「AGIを救うのに70兆円じゃ足りないとして、その場合アメリカがこうしたら日本はこうなって、そのころヨーロッパは…」とかいう説明が子守唄以外にならない。一生懸命眠気と闘って拙い質問をしたりもしていたのですが、途中で呂律が怪しくなり、そしてオチました(汗)起きてみたら教わったことをかけらも覚えていなかった。(しかし明らかに呂律が怪しい相手にコンコンと説明するほうもどうなんだ)今晩改めて説明してくれって言ったら嫌がられるだろうなぁ……。

しかしディベートの大会を見せてからこのかた夕刊に載っている話題をネタにブレストみたいな議論を毎晩しているように思えるのは気のせいかしら。この前は道州制についてだったし、その前は給付金についてだった。家庭にディベートが持ち込まれまくっている気がする。しかも持ち込んでるのが私じゃない。一体何事?(まさか連れ合いが私よりディベート好きになっちゃったとかいうオチ???)

副産物として、彼はアナロジーに長けてきました。たとえば、突然私にPBRと他社買収の話をしても解らないだろうと踏んだ彼は、先ずアナロジーを駆使して私にPBRの概念を教え、その後他社買収のタイミングとしてどういう条件が良いかを説明する。そんでもってその二つの話をやはりアナロジーを用いて合体。最終的に夕刊に載ってた買収劇がどういうことなのかを解明してくれるわけです。うーん……ドラえもんとのび太な感じ。これまでは夜夕刊を読みながら「これってどういうことー?」と訊くと、何故か朝食の席で魔法のように整理された説明を聞けるという状態だったのが、最近では更に待機時間が短縮され、夕方の質問の答えが夜聞けるように。ドラえもんは日々進化し、のび太は退化する一方です……やばい。

***

そんなわけで私も少しはアナロジーを使えるようになろうかな。

私はアナロジーがあまり得意でありません。これは私が大学時代所属したサークルが理由と事例を出すことに異常なまでの執着を示しており、アナロジーの類が重視されなかったためです。本来割りと好きな筈のアナロジーを探す作業をいつしかしなくなっていた私。数年前くらいから的確なアナロジーは結構パワフルだと再認識したのですが、まだ不得意なままです。

よし、いっちょ頑張るか。
ここからは「腐ってると思う」の続編(ちょっと理性的な説明バージョン)です。

先日の大会についてブチギレた投稿をしてしまった私ですが、この業界に日が浅い人には私が怒る理由がイマイチ伝わらなかったかもしれないと思います。ちなみに同じコミから再び更に長い個人メッセージが届いて、「だからこんなん書いてる間に告知流せばいいのに…」と思った私。内容的にもやっぱしわかってない…残念。でも今日の午後漸くメールが流れた様子で、まあ良かったのかな。どうしてそうしなきゃいけなかったのかわかっていなくても、結果としてできたなら良しとすべきかしら。

いやしかし、通常のび太な私もたまには説明する側に回るべきでは。
よし、頑張ろう。次の授業まで1時間あるし。

多分抜本的な問題は、『誰が大会を所有するのか』という質問への解が、
国際大会と国内大会で食い違っているんだと思うんです。

今回の問題で大会運営者をメーカー、参加者を消費者と位置付けるようなアナロジーが見受けられますが、

私はどちらかというと

◆参加者(より広義にはコミュニティ)を株主、

◆コミを経営陣

と位置付ける方がわかりやすいと思う。

「大会を所有するのは参加者。」

これが国際大会で一般的な考え方です。
なので、参加者を代表する評議会(カウンセル)が全ての決定権を握ります。
コミや審査委員長団ではありません。
より機密性が求められる事柄(未使用論題やブレイクアナウンスメント前のタブなど)は一時的に審査委員長団に預けられますが、カウンセルが彼らを直接/間接に任命し、彼らのカウンセルへの報告義務が設けられています。

タブ情報の所有権もコミュニティ(一般参加者)にあるんですね。
コミや特定の選手、また特定の審査員にはない。
なので、決勝トーナメントに入ってからのバロットは、晒されるんです。
山に残った選手だけでなく一般参加者誰でもが閲覧することができる。
基本的には公開されるべき情報であると考えられているわけです。

で、ブレイクアナウンスメント後に発覚するタブの間違いというのは、
株主総会で配布した業績資料にクリティカルな間違いがあった、という状態。
当然株主様にその旨急ぎご報告(訂正とお詫び)となるわけです。

この時、既に誤情報をもとに何らかのアクションをとってしまっており、そのせいで大きな損失を被った人が出た、と。さて、この人への補償はどうするか、という話になるのが今回のように予選通過できてた筈の人ができていなかったみたいなケース。

そしてですね、こうした個々の補償の内容に関わらず、『正確な情報を公開する』義務が経営陣にはあるんですよね。

たとえば、世界大会でブレイクアナウンスメントに誤りがありました、と。
それが翌日カウンセルをしている最中に判明しました、と。
そうすると誤りを発見したタブ・ディレクターが青い顔して飛び込んでくるわけです。
「すみません、たった今問題が発覚しました!どうすべきかご指示ください!」と。
で、他の議題を議論している最中でもたいていは議長がそれを優先事項と見做してアナウンスします。
たいていの場合、まず正誤両方のタブを印刷して持ってこいってことになります。
で、皆に配布して、確かに間違っているとなると、原因が何だったのか説明が求められる。
コミがそれに「これこれこういう事情で」と詳しく説明してカウンセルの皆が状況認識を共有。
それで、さてどうしようか、とカウンセルが対応を協議します。
つまり補償内容を考えるわけです。
補償内容を決めるのはコミではありません。カウンセルです。
そして補償内容は10分や20分を惜しんで協議されます。
必要があれば被害者がカウンセルで希望を述べることもあります(一度、帰りの飛行機をもう変更してしまっていたというケースに居合わせたことがあります)。どちらにしても最優先事項として全ての議案をストップしてタブミス補填問題を真っ先に解決します。

そしてお詫びと訂正は最初のカウンセルへの通達とほぼ同時で一般参加者にされます。
ここには疑問の余地もありません。カウンセルも別にその点を協議したりしません。

ここで、正しい情報を皆に知らせない、というオプションが協議されたことは私の知る限り一度もありません。カウンセルが対応を協議している間にもホテルのエレベータだとかエントランスのボードだとかに「タブの間違いがありました。申し訳ありません。今後の動きについて評議会から指示が出次第続報を流します」的なチラシが貼られていく。それがない場合(物理的に異なる場所に一般参加者の宿泊施設があるとかホテルが貼らせてくれないとか)には議長が「各国代表は自国の参加者に早急に連絡してください」的なことを言う。勿論予選通過しないと思ってたのに実はするべきだったチームには電話などでより緊急の連絡がされますが、他の参加者にも告知はされます。大会のオーナーである一般参加者には『正確な情報』を手にする権利があるというのが口にするまでもないことだとされているからです。ここで『知らぬが仏』とか言って波風を避けるために訂正と謝罪をしないのは株主にウソの報告書を出したまま知らバックレるみたいなものです。1分1秒でも早く、お詫びと訂正を触れ回ります。

過去に国際大会でこのような問題が起こったことは複数回あります。カウンセルを解散させてしまった後にタブのミスが発覚したこともありますが、これもカウンセルを緊急再招集することで補償内容を決めています。(ちなみに再招集はとても面倒です。コーラムを確保しにくいからです)その場合でも、参加者には間違いがあったことは直ちにアナウンスされます。

なぜか。

一つは、先述のとおり、大会の究極的なオーナーは参加者であるという強い考えがあるからです。これはより理念的なもので、民主主義や企業の株主へのアカウンタビリティーとかを信じたり遵守したりするのと同じようなものです。参加費を払って事業(大会)を成り立たせているのは参加者であるという意識がそこにあります。

もう一つは、より実利的ですが、参加者(選手や審査員)が正確な情報を必要としているからです。

選手であれば、自分がコミュニティのどこらへんのレベルにいるのかを確認する手段としてランキングや点数、対戦した相手のランキングや点数、よく知っているチームの動向から判断する。また、スコア平均と各ラウンドのスコアを見比べて、どの試合の出来が良い/悪いと判断されたのか確認したりする。

今回のような『プチ』国際大会の場合は特に、参加する意義があったかの指標をそこに求める人もいます。たとえば自分より上のランキングに自分の国以外のチームが幾つあったかを確認し、普段対戦できない上手なチームがこれだけいたのなら来た甲斐があったとかなかったとか思うわけです。大学によってはタブ情報を今後資金的な援助を参加者にするかの指標とするところもあります。(ここら辺は現参加者だけでなく将来参加する可能性がある人にも重要になるところです。下記のステークホルダーの話を参照)

審査員であれば、自分の審査したチームの平均スコアを見て、「ああ、あのチームはあの試合が特別出来が良かっただけなのかなぁ」とか、「あれ、私もしかして点数バブリーだった?」とか思う。あとは「へぇー、あのチームより上手なチームがこんなにあったんだぁ」とか確認して自分が設定していた『仮想』大会平均が的確であったかチェックしたり、今後の大会の目安を是正したりする。

タブ情報というのは参加者全員が協力して作り上げた評価インデックスであり、かなり多角的な情報を参加者に与えるものでもあります。皆タブ情報を一種の『鏡』としてディベートコミュニティを見るのであって、適切な自己認識に必要不可欠なものです。(この意味で、「ICU1がブレイクする筈だったのにタブのミスでブレイクしませんでした。」と告知するだけでは不十分で、「○勝○点と表示されるべきだったところが×勝×点と間違ってアナウンスされました。理由はこれこれ~」と報告しなければダメ)

鏡が歪めば自分を正しく認識できないように、タブ情報も誤りがあると正しく自分の位置を確認できません。選手も審査員も、自分達自身が作り上げたタブの結果を正確に知らされる必要があります。

以上のような理念上の理由と実利的な理由の双方から、タブの正確な情報を受け取ることを参加者は当然の権利と考えているわけです、国際大会では。大会によってはタブとバロットを全て印刷して参加者に大会最終日までに配布することを憲章でコミに義務付けている場合もあります。こうした期待に応えることが、コミ(雇われ経営陣)が参加者(株主)にアカウンタブルであること、となります。

最近世間では、「企業は株主にさえアカウンタブルなら良いのか」といった疑問が飛び交い、企業にステークホルダーに対するアカウンタビリティーも求める動きが盛んなようです。これもディベートの大会に当てはまる話で、会場を提供してくれた学校とか、参加予備群とか、スポンサーとか、もろもろの周辺関係者に対するアカウンタビリティーも求められていくことでしょう。しかしシェアホルダーに対するアカウンタビリティー抜きに企業を語れないのと同様に、参加者へのアカウンタビリティーを保つことが大会運営の最もコアな部分です。そしてアカウンタビリティーの最も重要な要素が正確な情報開示にあります。正確な情報なしに判断の下しようがないからです。

さて、国内大会はこのような思想によって運営されていないようです。
どうも各大会のコミがその大会を所有しているかのような感覚を有しているように思われます。
企業でもよく自分達をオーナーと勘違いしてしまっている雇われ経営陣というのが話題になりますが、丁度そんな感じ。もしくはオーナー=経営陣な大会なのかもしれません(どういう場合ありえるかちょっと解らないけど)。とにかく、情報開示を避ける傾向にあります。

例えば、
「誰が論題を書いたのか」
「決勝の審査員はどういう基準で選ばれたのか」
「予選でのジャッジの割り振りは誰がどういう基準で決めたのか」
「参加資格は何で、その理由は何か」

こうした質問全てに生真面目に答えるのが国際大会であり、
これらどれにもほぼ全く答えてくれないのが国内大会です。

こうした点において最大限参加者にコントロールを委ねるのが国際大会であり、
一部のコミが全てコントロールするのが国内大会です。

今回の春日部で開かれた日本大学主催の大会は、感覚が国内大会のそれのままです。だから「当事者と交渉」なんていうトボケた説明が出てきうるんでしょう。当事者と言うなら参加者(株主)全員の方がコミよりもよっぽど当事者であるという意識がないのだろうと思います。

他の国際大会であれば、タブのミスについて当事者やその所属大学がどう言おうが、お詫びと訂正の対象や内容に一切影響しません。補償内容の方は、当事者の希望がカウンセルの決議に影響することもあるかもしれません。しかしタブのミスを隠匿する可能性はどんな場合でも皆無です。ミスを指摘する声を暗に黙らせるなんていうのは論外中の論外です。

国際大会にも悪いところは沢山あります。
国内大会にも良いところが沢山あります。

ただ、

1. 日本大学が『国際大会』を開きたかったのであれば(そして審査員のブレイクや参加費といった表面的な部分においては確かに国際大会的な要素があった)、国際大会の理念も理解するべきだったでしょう

2.こと情報開示とアカウンタビリティーの取り方については、私は断然国際大会の方が好ましいと思います。情報開示なしのFree Debateなんてあり得ないと思うから。

Wednesday, November 12, 2008

腐ってると思う

風邪は随分よくなりました。喉はほぼ全快。
もう微熱と少し鼻がぐずつく程度です。
外出を極力避けてあったかくしていたのが良かったかも。
あとビタミンCと水分をとりまくったの。

今日の夕飯は、
-油淋鶏(ユーリンチー)
-ゴーヤチャンプルー
-納豆
-クリームシチュー(昨晩の残り)
にしようかと思います。

ええ、クリームシチューが異様に浮いています。
やっぱまずいかな。まあ、その場合私の夕飯がクリームシチューになるだけですが。

さて、ちょっと良い話があります。

先ほど材料(レタスと長ネギとキッチンペーパー)を買い足してきたのですが、スーパーの列が凄く長かったんです。そしたらいかにもお惣菜担当とかだと思われるコック帽を被った人が走り出てきて、「お待たせしました。お待ちの方こちらもどうぞ!」ってもう一つレジを開けるわけです。しかし普段はお惣菜とかを並べていてレジは扱っていないのでしょう。手際が凄い悪いの。ミスはするし遅いし。けどさ、不慣れな仕事に手を出してまでお客さんが待たなくて済むように何かしようと思ったその気持ちが嬉しいじゃないですか。諦めて隣のレジに戻る人とかもいたんだけど、私は本を読みながら気長に待ったわけです。それでまあ漸く自分の番が来て代金払って、袋に詰めるべく移動したら、後ろから駆け寄ってきた人がいて、それがさっきのコック帽かぶってレジにいた人なの。それでね、「お客さん、さっき僕お釣り間違えませんでしたか?今レジから千円が出て来て…」って申し訳なさそうに言うんです。ちなみに私がかったのは398円。どんなにお釣り間違えたって千円も間違える筈ないんです。それでも一応財布を開けて確認して見せて、「いいえ、ちゃんと602円貰いましたよ」って言ったわけ。そしたら凄く安堵した顔して「そうでしたか、どうも申し訳ありませんでした!」って。振り返ると、彼が大慌てで帰っていくレジには、さっきにも増して長い行列ができていました。レジに戻った彼はまた「お待たせして申し訳ありません!」って謝って作業を始めています。私のところにかけてくる前に、「たかだか数百円」とか「わざわざ確認しに行ったら他のお客さんをお待たせする」とか「どうせあのお客さんは気がついてない」とか思わなかったのかなぁって思いました。「もしかしたら百円か二百円渡し間違えたかも」とは思っても、客本人が気がついてないのにあの凄いプレッシャー(スーパーの客っていつも殺気立ってる)の下走って来ることを選べる人が何割くらいいるだろう、って思ったの。それでね、確かに手際は悪かったし、挙句につり銭間違え疑惑も起こすし、間違っても彼はレジ業務をスムーズにしてくれたとは言えないんだけど、私はすっかり好感持ったわけです。このスーパーにまた買いに来ようって思った。ついでにそのレジの冴えない若者がメチャメチャさわやかで格好良く見えた。わかって貰えるでしょうか、この気持ち。本当に清々しい気持ちでスーパーを出てきたんです。

さて、この対極にある話もあります。

まだ主催者から各メーリングリストにICU1の件のお詫びと訂正が流れていないみたいなんですね。

ちなみに、大会主催者が大会の愚痴を書いているページに、
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水を差して恐縮なのですが、
IDC1の勝敗結果が間違って集計されたと聞きました。
いつ頃訂正・謝罪が告知される予定ですか?
頑張った選手たちのためにも、一日も早く判定結果が正しく表示されることを、春日部まで二日間出向いて審査をしたものとして強く望みます。
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という書き込みをしたところ、

速攻で削除要請が個人メッセージできました。
「自主的に削除してください」だって。

腐ってるな。
グラスゴー・ワールズに匹敵する腐りぶりです。最低だ。
本当に残念です。

個人メッセージ書く暇があったら、メーリスにお詫びと訂正のメッセージ書けば良いのに。
他にも書いてあったことが本当に酷くて、ふてぶてしいというか逆に威圧しようとしているというか。「運営側」とか「統一見解」とか「対応中」とか「公」とか偉そうな言葉で誤魔化しているように思えました。ホントこれに関しては良心を疑いました。ダメだ、この人たち、と思った。別の人も削除要請とかされたらしいんですけど、噂どおりの慇懃無礼ぶりでした。

どうせ個人メッセージを開示するのはマナー違反、とか言われるんだろうと思いますが、
そもそも個人メッセージにするのが不適当な内容です。
皆さんに情報が行渡らなければコミのアカウンタビリティーもへったくれもないじゃないですか。
なので、公表いたします。

私のコメント直後に突然着た個人メッセージが以下です。
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お疲れ様です。

ICUの件ですが…現在対応中です。

既に相手方とコンタクトを取り、現在対応を協議中なので正式な解答は決定してから公になるはずです。

ご迷惑をおかけしていますが…当事者間での話し合いが先決なのは言うまでもなく、そこに現在傾倒しておりますのでもう少しご報告はお時間を頂ければ幸いです。

どちらにせよ…今週末には公に情報を開示する所存です。

何度か交渉が決裂してる関係で…ご心配おかけしてしまってすいません。
----------------------------------------

で、以下が私の返信。
----------------------------------------
ええ????
交渉するようなこと別にないんじゃないの?

タブは間違ってたの?それとも合ってたの?
間違ってたならお詫びと訂正をするのが当たり前だと思うよ?
それともICU1が公表しないでくれって言ってるの??????

お詫びも訂正も、遅くなればなるほど告知力が下がって効果が薄くなります。ずるずる待たないで早急に対応するのが誠実だと思いますよ?

masako
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それに対する運営側からのメッセージが以下。
(発信もとの個人が特定されるであろう情報は***に代えてあります)
-----------------------------------------
度々すいません。

事態がまだ、確定していませんので・・・明言は避けますが、
「交渉」が必要な「状況」であるというのが運営者の統一見解です。

こちらとしても、陳謝の姿勢はすでに示してあり、
早急の事態の解決を望んでいるのは言うまでもありません。

その状況下での、「対応中」ですので、前向きに迅速に対応しているとご理解頂ければ幸いです。

本来ならば、ここで事態を説明すべきですが、決まっていない私見を明示して、更に事態を迷走させるのは得策ではないと考えております。

いずれ早いうちに、何らかの公表がありますのでお待ち頂けますでしょうか?



更にお願いです。
大変恐縮ではありますが、このMIXIは公共性が高いツールだと考えております。実際の知り合いだけがこの日記を閲覧しているわけではありません。
少なくとも私自身の個人情報や行動範囲がわかる書き込みは大変危険だと危惧しております。

これまでの日記を通しても、個人が特定されにくい日記を心がけておりますので、masakoさんのコメントはその定義から逸脱していると考えています。

自発的な削除をお願いできませんでしょうか?
この様なメッセージであれば、当然返答させて頂きますが・・・・是非ご理解頂ければ幸いです。




最後になりますが、今回のICUの件に関しては、私見だけでは到底判断できません。
少なくとも、コンビーナー、バイスコーンビーナー、トーナメントディレクター、
バイストーナメントディレクター、DCA3人の総意が必要だと考えています。

当然、「陳謝」のスタンスはすでに示してありますので、今は落としどころを決めているところです。

逆に、今回の私の役職でもある*****としては、意見に留まるばかりで決定権がないのが現状で、個人的にもこの時間がもどかしくて仕方がありません。
スタッフも通常の生活に早く戻るためにもどちらにせよ早急に対応することを約束させて頂きます。
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なんかさ、だから落としどころも何もないじゃない?こんなの。
一体なんなんだろうなぁー・・・・・・

ちなみにすっかりぶちギレた私の返信が以下。ええ、まあぶちギレてますけど…
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あのさ、君どこかに良心を置き忘れてきたんじゃない?
間違ったら謝るのがあたりまえ。
今回は被害者が失ったものの一部は社会的認知だから公に訂正とお詫びをするのが当然でしょう?
偉そうに「交渉」とか「対応」とか言う前にやることあるでしょう。

> 「交渉」が必要な「状況」であるというのが運営者の統一見解です。

そんな何の役にも立たない統一見解を形成している暇があったら、
さっさと訂正とお詫びを流せば良いでしょう。
そんなアホな統一見解はあるのに、訂正とお詫びをメールとWebでするなんていう単純な統一見解をつくれない君達には心の底からがっかりしました。
これまでがどうだろうと、この一点においてNEAOはダメな大会だと思うね。
大会のイメージ最悪です。参加したことを後悔しています。

> で、masakoさんのコメントはその定義から逸脱していると考えています。

自分の非を硬い言葉を使って威圧してごまかし、
逆に参加者の要望を罪悪と扱うための論理武装ばかりしているように思えます。
これではとても謝っている態度とは思えません。
隠蔽しようとしているようにしか見えません。
誠意のかけらも感じない。

> 自発的な削除をお願いできませんでしょうか?

消したいなら君が勝手に消しなさい。私は消しません。

> この様なメッセージであれば、当然返答させて頂きますが・・・・

そんなもんくれなくて結構。何の役にも立たないでしょう。
さっさと被害者の名誉回復しないなら私のほうで勝手に触れ回ります。

とても誠意のある対応とは思えない。
本当にがっかりです。
二度と応援しないと思います。
勝手に愚痴でも何でも都合の良いお仲間に吐いていたら良いんじゃないですか。
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実はね、今回のDCAにはAustralsへの日本からの初誘致に対して、
ネガティブキャンペーンを張った人が2人も入ってたんですよ。
そんなわけで正直本当は気が進まなかったの。審査に行くの。
初めての北東アジアの誘致の邪魔をした人が北東アジア大会を運営するなんて皮肉ですよね。

そんなわけで腹の立つ想いをグッとおさえて審査協力し、
また会場でもそういうところを見せずに笑顔で過ごして差し上げたと思うんですよ。
あちらがしたようなネガティブ・キャンペーンもしませんでした。我ながら人が良過ぎるかも。
会場で「日本に皆が来てくれて、地元の日本選手たちのためになったよね」みたいな感想を言う人もいて、
正直「これがAustralsだったら効果はこの比じゃなかったのに邪魔したヤツがヒーローか」と内心少し悔しく思いました。けど黙って笑って「本当にそうですねー。良かったですねー」って言ってたわけですよ。

それだけに本当にがっかりしました。もう二度と腐った人は応援しない。
腐った人は腐ったっきり、もう元に戻らないんだと思った。

長年の友人だったとある人とも今後は関係をあまり持たないようにしようと思いそうにもなりましたが、一応海の向こうにいるその友人にも一筆書きました。国内のコミに言っても拉致があきそうにないし。で、大変全うな心のこもったように読めるメッセージが帰ってきました(後ほどICU1に転送します)。なので、ちっ、友情も続けてやるか(笑)ウソウソ、ホッとしました。良かった。

それにね、我々審査員も選手達のために一生懸命頭ひねってバロット書くわけで、それが結果に反映されないんじゃ何のためだったのか、と思うなぁ。楽しくディベート観たいだけなら、観客として行った方が参加費かからないし審査員だけの部屋に隔離されたりしないしご飯ものんびり食べれるしずっと良いわけ。けど少しでも力を認められるべき人が認めて貰えるようにと予選の審査なんて特にするわけですね。私は割りと大雑把ですけれど人によっては1点あげるかあげないかで長いこと云々呻っている審査員とかもいる。あれは本戦出場チームや個人賞がそれで変わっちゃうかもしれないと思うのも理由の一つなわけですよね。それが無視されると虚しいですね。

まあ勿論、何より可哀想なのはICU1。悲しい思いした人が出てしまっているわけだし、主催者には誠意ある対応を早急にしてもらいたかったですね。大会が嫌な思い出として残ってしまいますからね。けどまあ海の向こうから少しは助けになる働きかけがあるかもしれません。期待せずに待つことに致しましょう。

帰っていて上記のようなアホなやりとりをしてしまった自分を馬鹿らしく思うと同時に、
「お客さん、さっき僕お釣り間違えませんでしたか?!」ていうあの店員さんの声が、
遠く遥けく木霊すのです。

Tuesday, November 11, 2008

大会後~決勝戦

風邪をひいてしまいました。喉と頭が痛いです。熱もある。うー。
えらく高くついた春日部での2日間です。
しかしそもそも、「寒くなってきたからコートを取りにいきたい」と何度も行っていたのに、「風邪をうつすといけないから来るな」と実家に出入り禁止令を出されていたせいだと思います。結局、寒い中コートを着ることが適わずブルブル震えていて風邪を引いた私。本末転倒です。もうーーーーー(怒)あんなに「もう寒すぎるから無理」って言ったのに!!

時系列順に書こうと思っていたんですが、
ちょっとした理由で逆時系列順にします。

なのでまずは、大会終了後について。

1. ICU1が実は全勝だった件。

昨日朝早くに知りました。愕然。なんたることだー。
うわーーー、妹の雄姿を見たかったなぁ……。
がっかりしていることでしょうなぁ……
謝って貰っても戻らないものだしなぁ……

10チームが本線出場したうち、日本チームはICU3, Tsuda, Seikeiの3チームのみ。
30%未満はあまりに少ないなぁ、例えばICU2とかかなり上手だったのになぁ、と
とても意外に思っていたのですが、ICU2はEFL登録していなかったとの事。
そしてICU1が実は3位通過した筈だったらしいことを考えると、納得。
そんなところなら実情に合っているでしょうな…。

まあ、ICU1が残っていたらICU3はブレイクしていなかったのでは、という話もあるかと。しかしまあそれはそれで仕方ないですよね。その通りでしょう。勝負なんですからたとえ僅差でも負けたりスコアが悪ければ予選敗退になります。トーナメントなんて大体偶然が大きくモノを言う理不尽な点もあるものです。

ただ、私はICU3の試合を2回見ましたが、非常に良いチームだと思いました。どうも浮き沈みが中盤以降あるようで、それが8位(本当は9位)となる原因だったのでしょうが、少なくとも議論を深める努力や、良い議論を出そうという試みが見られました。QFから優勝まで三連勝したのはICU3の実力だと思います。つまりは、層が薄いということなのでしょう。どんぐりの背比べで、予選1位通過から3勝予選敗退チームまで差があまりなかったのでしょうね。だから9位だった筈のICU3に上位通過チームがガンガン負けるのでしょう。

また、本戦進出チームの中にも何だか中身のない勝てりゃ何でも的で軽薄な口先三寸なチームも多かったように思います。ICU1が通過できていた時、本戦行く力がないのに偶然で進出しちゃったチームは本当はICU3以外にあったかもしれないと思います。正直言えばICU2より弱いと思うチームも結構本戦にいました。予選4試合では足りないということなのか、審査員の質が悪いということなのか、良くわかりませんけど何某か問題があったのではないかと正直感じました。

それにしても残念です。
私が見た本戦の試合は、片方が議論の内容面では一方的に勝っているか、
両方とも崩壊しているかのどちらかでした。(前者はICU3だったし)
当然ディベートは良い議論と良い議論がぶつかり合った時が面白い。
もしICU1がいてくれたら、そういう質実剛健な試合を見れた可能性があったのだと思うとやはり残念です。

まあしかし、残念だ、残念だ、と言ってみても、
当事者の悔しさが募ってしまうだけかと思います。
というわけで、個人的にとあるお願いをしようと思っています。
大会主催者にではなくて選手に。

2. 決勝戦

9-0だったので明らかだと思いますが、私もGovernment、ICU3に票を投じました。
おそらく9人の中で最も大きなマージンである7.5をつけました。
コメント欄も多少Oppositionに厳しいものを書かざるを得ませんでした。

論題は、THW protect the right of families to genetically engineer the traits of their children.

この場合、「普通の状態より良くするため(ゼロからプラスへという発想)」と
「病気や障害を取り除くため(マイナスからゼロへという発想)」の両方が有り得ます。
どちらを選ぶかは肯定側の自由ですが、まあ後者の方が肯定側に有利でしょうね。
選ばず両方を対象とすることもできますが、話が拡散してしまうでしょう。

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[PM]

公言していることですが、私はこのA君のスピーチがかなり好きです。
選手の中にはともすると試合中思考停止に陥っている人がいるじゃないですか。勝つために試合をしているのであって、論題は何であろうと構わない、みたいな。試合中のA君の態度は「意味のある議論をしたい」と思っているように見えて好きなんです。相手の議論の下らなさに怒れるのは、下らない議論をしたくない、と思っているからこそ。単純に勝ちたいだけなら、相手が下らない議論をしたら勝ち易いと喜ぶところでしょうね。だから相手の下らない議論に怒れる、というのは才能だと思うんです。そういう意味で、小器用にいなすスピーチが上手な選手よりもずっと好感を抱いているんですね。

ちなみに、相手の議論がまともな時までやたら滅多ら「下らない」と断じる選手もいます。今回で言うと否定側のチームがその典型。で、当たり前ですけれどそれは駄目です。野球でど真ん中ストレートの投球にコントロールが乱れましたねぇ、ボール球が続いています、と言ってるようなもの。「酷いケースだ」とか言われても、「え?結構まともだったと思うけど」とジャッジが思っている場合、「議論を見る目がない」とか「相手の話を聞いていない」とか「反対のための反対」といった印象がつくだけです。

問題は私がA君のスピーチのファンであることを自覚してしまっていることにあります。
えこ贔屓しないように気をつけすぎて、うっかりA君の点数が必要以上に下がってしまうことが稀にあります。今回が正にそれで、本当ならサブスタンシャル・スピーチにあと1・2点高くあげるべきだったかもしれません(今朝ノートを読み返してそう思いました)。決勝戦の点数は対戦組みや個人賞に影響しないこともあって調整にかける時間を削ってしまいましたが、もう少しゆっくり検討すれば良かったな。

さて、肝心のスピーチですが、とてもよくできていました。

マナーは、特に出だしに少々勢い込みすぎて言葉がついていかず、焦っているように見受けられるところがありました。ただワーディングの的確さは本当に流石で、呻らされました。ここまで行き届いたワーディングでこうしたセンシティブな内容を語れる選手というのはなかなかいないものです。仮に点数を修正できるなら、マナーの点数を上げることでしょう。

メソッドは、論点の1点目と2点目のバランスが少々良くなかったので15点のままにしましたが、総じて綺麗な構成でした。クリアなプラン、アロケーション、そして本論。教科書にできそうです。2人目にも新しい議論を割り振っても良かったかもしれないと思いましたが、最も重要な当事者である親(になりたい人)と子供のみに絞るというのも潔かったかもしれないですね。何か三つ目に良い議論がないか、私も色々考えてみましたが、コレと思えるものが見つかりませんでした。こういうのは国とか社会とかを持ち出すと却って不気味な内容になりがちです。ナイス判断だったのかもしれません。

で、マター。

スピーチは次のように始まります。

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親は子にprimal responsibilityを負います。故に権利をも得るのです。
-----------------------

もうこの時点でスピーチにグッと入り込めます。凄い。
親が子供のあり方を変容させて良いのか、というこの論題で必ず応えなければならない問いに、第一声で見事に応えているんですね。素晴らしいopening lineです。

続くプランは、対象を障害や重大な病気につながる遺伝情報を持つ親に、
環境をall liberal democratic countriesに設定。
手続き的には、まず卵や精子を取り出して上記の遺伝情報の有無を確認。
その後遺伝情報を『修正』して受精させることを認める、ということのようでした。
想定される病気の種類としては、ダウン症や白血病といった重大な疾患が挙げられました。

私がドキッとした表現は、こうしたダウン症や白血病といった病気及び他のより身体的な障害を、総じて「certainly crippling kids」とした部分。crippleの元々の意味は、このPMの使い方で全く問題がないんだと思うんです。ただ、あまりに直截なので差別用語として使われなくなる傾向にあります。そしてこれには言葉狩りの要素も大きい。婉曲的な言い回しに変えたからといって問題がなくなるわけではありません。だから、例えばSouth Parkの登場人物(子供たち)が、ティミーやジミーをcrippleと躊躇いなくガンガン呼ぶ(ジミー自身も自分をcrippledと表現している)時、let's face it!というような一種の清々しさ、風通しの良さを感じたりもするわけです。肯定側が「障害を障害と認めて楽になろう」というスタンスを取るであろう(丁度2007年のAustralsの決勝戦のように)ことが予想されていただけに、certainly crippling kidsという表現の『どぎつさ』に戸惑いながらも、とても的確であると感じたんですね。

議論は2点でした。親についてと子供について。

ここでPOIが入りました。POIを取るタイミングとしては、話に区切りがついていて、かつセッティングの問題があった場合に早めに知れるので、戦略上理想的だったと思います。POIの内容は、親が正しい判断をするか、とembrioの段階で適切なのか、というもの。PMは下らないと一蹴しました。余談ですが、この否定側のように一つのPOIに欲張って2つの質問を入れるチームが散見されましたが、あれはやめて貰いたいものです。長くなりすぎると相手チームのスピーチタイムを不当に削ってフェアでありません。1つに絞りましょう。

一点目の親について。以下のような内容でした。

遺伝性の高い障害や病気を抱えた人は、その重大な負担をあまりにも良く知っているがために、子供を持つことができないでいるケースが多い。子供もまた同じ疾患に苦しむのではないかという強い不安が、自分には子供を産む資格がない、子供を持つことなど夢のまた夢だと彼らに思わせてしまうからだというものです。しかし遺伝子操作が許されれば、そうした不安を払拭し、彼らに子供を持つ夢を取り戻させてあげられるのだ、と。そして多くの人にとって、子供を持つということは人生の重大な位置を占めている事柄である、と。

大変現実的で心に訴える議論だったと思います。

ここで描かれた心情は健常者にも想像しやすいものです。たとえば35歳を超えた女性が高齢出産によって障害が生じる確率が高まることを危惧して子供を諦めようとしたり諦め切れなくて悩んだり妊娠しても心配したりするというのはよく聞く話です。特にジャガー横田さんが出産した時は「励まされた」という女性が大量にいて話題になりました。幸田クミの羊水発言があれだけ炎上したのも、それがどれだけの人の希望を奪ったか考えれば納得できます。健常者でさえこれだけ神経質になってしまう出産と子育て。病気や障害に苦しむ人ならば尚更であろうことは想像できます。

国や社会や医者の視点でこうした問題を語るとえてして大変無機質で機械的、冷たい議論になりがちです。親になりたいという多くの人にとって切実な気持ちの変容に焦点をあてた事で肯定側のチームの視線をとても暖かいものに感じることができます。私は特に最後の部分、この問題の重要性を「子供を持つということは、多くの人にとって人生の重大な位置を占めている事だ」という表現した部分に感心しました。これをreproductive rightとかparental rightとかの話にしてしまうと、それまでの心情描写が台無しになります。今回のPMは徹頭徹尾、弱者の立場をアイレベルで語りました。

二点目は子供について。

こちらの議論は一点目の親の議論に比べて少々解りにくく感じました。解りにくかった理由はちょっとよくわかりません。議論自体かもしれないし、表現の問題かもしれない。A君の場合スピーチの終盤に口が疲れるのかカツゼツが前半より悪くなるような気がします。ほんの少しですが。もしかしたらそのせいかも。あとは、ラベルがChildrenだった割に内容が親の負担についてだったせいかもしれません。

具体的には、some parents don't know ifのif節以降が良く聞き取れませんでした。文脈から自分が病気につながる遺伝子情報を保有していることかなぁ、と思いましたが、違うかも。また、unexpected pregnancyの場合もある、という話が続いたので、まあどちらにしても親が覚悟なしに障害児を産んでしまった場合に起きる問題なのだろうと思われました。で、特別学級とかに入っても親によるほぼ1日24時間の献身が必要になるという話は解りやすく説明されていました。ただ、これが子供自身にとってどういう負担になるのかは説明されなかったように感じました。もしかしたら時間がなくて焦っていたのかなぁ?落ち着いて見えたけど。

褒めまくってしまいましたが、問題に感じたのは3点。

(1)プラン: 卵と精子の遺伝子情報を確認するところまでは問題ないのですが、そこから特定の遺伝子情報(病気もしくは障害につながる部分)を書き換えるところの信憑性が難点でした。電気的な刺激を与えるとか、何かしら方法があるのだろうと思うし、あまりに技術的に過ぎるので一々説明する負担を肯定側に押し付けるべきとは思いません。まあ素人の私が受けた印象としては、おそらく成功率はあまり高くないができることはできる。ただ刺激を与えることで変えたいと思った部分以外の遺伝子情報まで変わってしまい逆に奇形になる可能性ももしかしたらあるのかも、というもの。一言、技術的に確立しているか将来確立する見込みが高い、という事例が挿入されていると安心感はグッと高まったことでしょう。

(2)事例がない。骨組みである主張と論拠は本当に整然と、かつ心に響く表現で提示されているんですね。素晴らしかった。ただ肉付けにあたる事例が与えられなかった。そこがちょっと残念でした。ただ、戦略上はそれが正しい。PMのスピーチというのは内容面の密度や重量を求めすぎると大抵失敗します。いかんせん準備時間が一番短いこともあって事例を探すのにかける余裕というのが少ないこともありますし、ケースセッティングにアロケーションに本論に、とスピーチ自体もやたら忙しい。無理矢理重量級の議論を出すとtimingに問題が出たりstructureやbalanceに問題が出ることもママあります。なのでAbstractな状態に留めた方が安全ではあります。ただやっぱり一つもないと31点はあげられても32点はあげにくいですね。悩ましいところです。

(3)二点目のアーギュメントがちょっと未消化に終わった。

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[LO]

ああ、言及したくない…

かなりまともだったPMのケースを、超unreasonableなケースだと断じて始まります。
もう一度言いますが、何でもかんでもunreasonableだとかirrelevantだとか言えば良いというものではありません。

アロケーションは、(1)Children、(2)scientific uncertainty (3)negative consequenceで、三つ目は二人目が話すとの事でした。しかしそもそも否定側の仕事はnegative consequenceを説明することです。それを丸ごと二人目に割り振っては、「自分はろくなことは言わない」と宣言するようなものです。もっと具体的なラベルをつけましょう。

ちなみに一点目は、受精卵や胎児にも成人と同じ人権を認めるべき、というもので、一体肯定側のプロポーザルとどう関係あるのか不明。その後freedom of choiceが大切とか言うのですが、一体誰のfreedom of choiceなのか全く不明。親のchoiceはむしろ肯定側が広げてあげています。なんかスパムブログの朗読を聴いているみたいに文と文の関係が全然わからなくてですね…意味判らん…と思ったのですが、もしかしたらプランの後半について遺伝子情報を修正するのではなく、terminateする(=abortするようなもんか?)と解釈したのかなぁ…?と。まあそうだとすれば卵や精子の人権を訴える理由はわかりますが、しかしそれにしたって良い議論じゃない。issue selectionとしてどうなんだ。だって受精卵や胎児どころかプランで遺伝子情報をチェックした結果捨てられるのは卵と精子でしょ。

そして二点目はsafeなのか証明がない、というのですが、否定側が積極的にsafeでないという証明をするべきなのであって逆ではありません。相手がperfectでないと文句つけて自分はburdenを全く負わないのかよ、とあまりに不公平な言い分です。

その後definitionが狭すぎて酷い、moral highgroundは我にあり!って宣言するんですが。。。definitionは別にせまかないです。ていうかこれ以上どう広げるのよ。デザインベビーか障害回避のどちらかで来るのなんて最初から予想つくんですからプレパしとこうよ。30分何やってたのよ……

そういうわけで色々終わってたLOスピーチ。大変残念です。

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[DPM]

ここしばらくこのSちゃんのスピーチには辛い点数をつけ続けていた私。
たとえば秋JPDUの決勝とか、平均を割るような酷い点数をつけたような気がします。
(その理由については秋JPDUについての投稿を読んでください。)
どうもSちゃん不調なのかなー、と思っていたのですが、今回は本領発揮でした。

ここ何回かの自殺ゴールの連続から脱し、Sちゃんらしいシャープな反論でした。
また、QFで見たときは割り振られた議論がダメなヤツでスピーチ時間の半分が無意味になっていました。この決勝戦ではきちんとフル活用できていたので、やはりこの人は議論を建てるのより斬るのが得意なんでしょうね。ただたまに自分のチームメイトの議論も一緒に斬るのが危ないって感じかな。

特に白血病患者にとって治療がどれだけ負担なものなのかを説明した部分や、障害者は家族が死んでしまった時どうなるのか考えると絶望的な気持ちになる、といった行は大変説得的でした。

[DLO]

ああ、これも言及したくない…

今度はスパムブログのようには聞こえなかったのでその点は遥かにマシでした。
あとは単にダメな議論なだけ。

肯定側はrisking too muchと言われても、もともと子供を諦めていた人たちが子供を持てる可能性が生じている時点でプラスなので、卵や精子を取ってみたけれど上手く修正して受精させるに至らなかった場合のリスクって何?成功する可能性が少しでもあればプラスじゃん?

happinessやcomfortablenessを追求してはいけない!とか言われても、じゃあ代わりに何を追求すれば良いのか提示されない。

抜け穴ができて結局デザインベービーになるとか言われても、たとえそうだとしてもそれがどう悪いのか全然説明してくれない。

全体的にケチはつけるんだけど、意味のあるケチをつけてくれないし、
建設的な自分の側の議論構築に至っては全くやってくれない。何なんだよー。ガキの喧嘩かよー…(涙)

色々な意味でまたもや終わっているスピーチ。うーん、どうしたんだ、不調なのか?
しかしよく本戦に残ったなぁ…

[GW]

K君のスピーチはいつも軽妙で斜に構えています。
英語が下手なところに負う部分も大きく、褒めるべきなのか微妙ではありますが、
しかしそれでも面白おかしい、それはK君の人柄あってこその長所でしょう。

今回も相手の議論を茶化しながら反論していました。
例えば卵や精子の権利と選択の自由については、
「How do you ask eggs? When can you ask? When you can ask, it should be too late」というような絶妙の言い回しで、相手の議論のナンセンスさを際立たせていました。
後にOWに「ridiculeされた!」と非難されていましたが、
ridiculousな議論をridiculeするのはむしろ反対チームの正当な仕事です。

ただね、私なら、この話題では軽妙さを押し殺します。
障害ゆえに子供を持つことを諦めている人にしても、障害や重病を伴って生まれた子供にしても、人の人生のコアな部分を破壊される本当に深刻な事態です。私ならとても茶化す気にはなれない。まあだからと言って陰鬱な顔で話すことが建設的とは言えないかもしれませんから、K君のマナーはこれはこれで良いのかもしれない。あくまでも私なら、という話ですから。英語はもう少し勉強したほうが良いと思いますけれどね。

ちなみに彼のスピーチの最後の最後で、漸く「病気や障害がなければ、子供たちはずっと多くの自由を謳歌できる。旅する事だって健康で初めてできるんだ」っていう話が出てきて、「やっとかよ!!」と思いました。PMが話しそこなった子供視点の議論かと思いますが、ちょっと遅いよなー。

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[OW]

マナーは良いスピーカなんですが、マターはまたもや沈没。
特にspillover effectの例として、手術も50年前は病気を治すためだけだったのに現代では整形美容手術がある!と言ったのは最悪でした。じゃあ、手術自体辞めようって言うのかっての。皆に盲腸炎ごときで死ねってか???

しかし病気や障害につながる遺伝情報があったとしても発症するとは限らない、遺伝情報を修正しなければならないとヒステリーを起こすべきでないという話は買いました。ま、今更言われても大勢には影響しないわけですが…もっと早くから出してきちんと深めれば結構良い持ち駒になったことでしょう。

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あーーー、もうreplyには言及したくない。

LORもやたらGovはあれをできなかった、これをしてくれなかったと文句をつけていましたが、それ以前にOppは一つも議論を建てられていないので文句をつけるだけ無駄というものです。

PMRは、「Oppはmanipulating genesは罪悪だという。しかしOppはケースをmanipulateしまくった。And you know what, manipulating model is a lot worse than manipulating genes.」とA君節全開でした。好い加減Oppの意味不明なヒステリーぶりにフラストレーションを溜めていた審査員としてはスタンディングオベーションしたいくらいでした。

というわけで、9-0は当然の結果だったと思います。
あれで反対側にVoteする審査員がいたら、むしろその人の良心を疑いますね。私は。

Monday, November 10, 2008

Debut デビュー

第八話へのレスが遅くなって申し訳ありませんでした。つい先ほど書き込みました。皆さんが下さったアイディアも踏まえ、何とか呼称を定めたいと思います。ありがとうございます!

さて、2週間前にトライアスロンの大会を初見学した私。
この週末は彼がディベートの大会を初見学しました。

お付き合いしている男性を大会に連れて行くのは私にとっても初めてのこと。前日、「いつもと違う私を見ても嫌わないでね」と必死の訴えをしたのですが、「見たことないのに約束なんてできない」とか言われ、もうメチャメチャ緊張しました。(でも会場に着いたらそんなの頭からふっとんでいつも通りハシャイだり怒ったりしていた私)

で、結論としては非常に前向き・肯定的な反応でした。
それどころか優秀な学生が多いことに感激した、
勉強を促す場として素晴らしいのではないか、とのことでした。
(ああ、良かったー。ぜはーぜはー)

というのも、私が一体何をしているのかピンとこない、と何度も言われていたんですよね。一生懸命説明を試みたんですけど効果はイマイチで……それで、これはもう見てもらう他ないんじゃないか、と。で、実際に見て、「君が何をしているのか解って有意義だった」とのことで、もうやれやれ安堵しました……。はぁーーーー、良かった……。

ちなみに審査員だった私はバロットを出した後、結果が公表される前、に毎回彼だったらどちらに票を入れたか、と質問しました。もちろん私がどちらに票を投じたかは教えずにです。それがね、3試合見ていて(彼はノートをとっていない)、3試合とも私と同じサイドでした。(ちなみに私自身は2試合目に当たる準決勝で一度マイナーvoteしていますが、3-2のスプリットだった上あげたマージンも1だったので、これはまあどちらでも、という感じ)

しかも、大会中および帰り道で次のような質問をくれました。論題が片サイドに有利だったらどうするのか、選手が話題について知らなかったらどうなるのか、選手は知っているのに審査員が知らなかったらどうなるのか、審査員の一部だけが知らなかったらどうなるのか、選手がウソをついたら審査員はどうするのか、ウソだと審査員が気がつけなかったらどうするのか、肯定側のケースセッティングがおかしくて否定側が異論を唱えた場合はどうするのか。これらは、今回見てもらった大会形式において(もしくは他の形式でも)最も重要な課題とされるところです。あらやだ、結構解ってるじゃなーい??!と驚かされました。この人頭良いかも、とちょっと思いました。(私は初めてディベートを見た時そんなことに考えを巡らせなかったなぁ)

というわけで、私も今後安心してディベートを続けられそう。
色々私にとっても有意義な彼の『大会デビュー』でした。

さて、大会の試合内容や四方山についても時系列に沿って簡単に書いてみようかと思います。
ややこしくなるので次の投稿に分けます☆

Friday, November 07, 2008

Feminology (8. The Single One) フェミノロジー(第八話:おひとりさま)

(すいません、今日のは正直フェミノロジー関係ありません)

今晩はもう一人が飲み会に行っているので、
久々の『おひとりさま満喫デー』!!

『おひとりさま』が苦にならないどころか結構好きな私。
無事に担当授業の中間試験を終えた夕暮れ時、
今日は「夕飯の買い物と支度間に合うかな…」と焦ることなく
のんびり寄り道してきました。

ずばり、古本屋巡り!!
しばらくしないとストレスが溜まる溜まる……
しかし古本屋のマニアックなコーナーで
延々と目をギラつかせている私の隣にただ佇み続ける……
そんなレジャーが一般受けしないことは百も承知。
これは独りでないとねー……

で、今日は超掘り出し物を入手!!!
やったーーーーーーーーーーーー!!!!
もう古本屋で無言でガッツポーズ。
頭の中では誰かが「キターーーーーッ!!!」と叫んでいたり。

そのお宝とは、

『式辭演説 雄辯自在』

東郷昌武が大正9年に著した本です。
ひょえー、大正9年ですよ、大正9年。祖父が尋常小学校に上がる前の本だ。
保存状態も良くて、私的には「おっしゃー!」としか思えない内容。
それが寂れた商店街の古本屋でビミョーな棚に一緒に並んでたの。
出版当時は85銭だったらしいこの本を1,500円でゲットです。
嗚呼、これを幸せと呼ばずして何としょう……

カバーの煽り文句がまた凄い。曰く、

「言論は自由なり。
 文明の世は言論の世なり。
 深遠なる思想をしての言論は鬼神をも感動せしむべし。
 一身の成功は自分の意思を充分に発表し得ると然らざるとに依るべし。」

どわーーーーー、シビレルー!!
ヨッ、大正デモクラシー!!!(笑)流石だよ、大正デモクラシー!!
この驚愕の純朴さ、ああこの単純さ、愛しいまでの未熟さよ。
好きだなぁ、私。
いやー、帰りの電車で一心不乱に読んでしまいました。
本文も勢いがあって相当に面白いです。

ちなみに本日の収穫は上記の一冊の他に以下。

(1)石黒マリーローズ.2004.『聖書でわかる英語表現』(岩波新書)>400円
(2)田中美知太郎.1957.『ソクラテス』(岩波新書)>200円
(3)ジャン・ポール・デュモン.1963.『ギリシャ哲学』(白水社)>500円
(4)高木八尺・斉藤光訳.1957.『リンカーン演説集』(岩波文庫)>200円
(5)ディオゲネス・ラエルティオス.1984.『ギリシア哲学者列伝(上)』(岩波文庫)>400円
(6)クセノフォーン.『ソクラテスの思い出』(岩波文庫)>200円
(7)バーネット.『プラトン哲学』(岩波文庫)>200円
(8)プラトン.『テアイテトス』(岩波文庫)>200円
(9)プラトン.『饗宴』(岩波文庫)>200円

最初の『雄弁自在』も含めてシメテ4,000円ぴったり。
うーん、定価より安いとはいえ買い過ぎたかしら……。
けど本は商売道具と言っても過言じゃないし…ま、いっか。

ちなみに(5)と同じ底本を使った本が最近復刊されました。全部で六巻くらいあるのに各巻5,000円位するの。まだ二巻までしか出てないけど。まあそれで面白いんだったら全然良いのでしょうが、しかもレビューに「想像通り、読んでもつまらないけど、でもまあその道の人にとっては必須本だし」みたいなことが書いてあったりする……一体どんなマニアが全巻揃えるのかしら。ちなみに私は三巻だけ欲しいと思っています。出たら検討するかも。

(1)は本屋で平積みされてた時に気にはなったんだけど740円(定価)ほどは価値を見出せず読み損なっていたもの。この手の本って最初の章は面白いけど後ろは…みたいの多いですからね。(2)は愛しの田中美知太郎様の著書。この人の訳本も著書も大好きなんですよね。残りのプラトン系やリンカーンのは原典読んでて解らない時のアシスト用。

ま、まずまずの収穫ではないでしょうか。

さて、折角のおひとりさま。
帰りに中華料理屋に入りました。
一人分作るの面倒だし。

汚すと困るので読む本を『聖書でわかる英語表現』に変え、
大好きな茄子がたっぷり使われた定食を食べていたところ…店内に音楽が。

こ、これは……

『Sweet 19 Brues』!?!(少々アレンジされてるけど)

誰もが小室氏逮捕の報せにそれこそ『washing their hands of 小室哲哉』状態。
ラジヲもテレビも小室氏と少しでも関りのある曲は流さない、そんな今、
誰の選曲だーーーー!????
「こういう時こそ流したるわ!」という根性の選曲かと思いきや、
どうもそうとは思えない年齢層(高いほうに)の店内従業員の皆様。
どちらかというと「小室哲哉?誰それ?逮捕?もしかして猥褻行為?」とか言いそう……
世間とは隔絶された奇妙な空間に迷い込んだ気分になりました。

そんなこんなですっかり『おひとりさま』を満喫、
大量の本で重い鞄と痛む足も何だか嬉しい帰り道なのでした。

しかし私はこうして束の間の『おひとりさま』を楽しんでいるけれど、
某氏は今頃職場の皆さんと飲み会。
飲み会のない日は私に帰宅見込み(=夕食)時間を五月蝿く詮索され、
彼には『おひとりさま』を楽しむ暇が最近ないのです。
そう思うとちょっと可哀想。
(そして彼は私と同じく『おひとりさま』がかなり好きなタイプと思われる。
ていうか今まで結婚しなかったのは絶対そのせいだと思う。)

はっ、しかし待てよ。

先週末私はほぼ丸々2日間大会の審査に駆り出され留守にしていました。
その間幾らでも『おひとりさま』を満喫できた筈。
しかし蓋を開けてみれば、私が帰るコールをした時に
「今起きたところ」という応えだったのでした……
折角なんだから気になるカフェでランチをするなり、
サイクリングに出かけるなりすれば良いものを……
掃除機をかけてケロッグを食べ、そして再び眠りについたと言うのでした……

そう言えば……

昨日、「早く帰れるからプール行く?」と出掛けに言って出勤。
珍しく有言実行(怒)で早く家に着いたのに私はお料理真っ最中。
仕方なく「ごめんね。気にしないで一人で行ってきて良いよ」
と見送ったのに、ものの一時間そこそこでご帰還。
(通常2時間弱は泳ぐ。着替えや往復の時間もかかるので合計3時間は必要)
「早かったのね」と目を丸くすると「飽きちゃったから」とのこと。

えーーーーー????
(なになに、私が一緒にいないとツマンナイみたいな?(笑)
 ふっふっふ、そうであろう、そうであろう。ウイヤツ(笑)なーんて冗談です)

もしかしたら『おひとりさま』禁断症状が出ないように洗脳され始めているのかもしれません。それはそれで何だか可哀想な気もします…

さて、こんな『おひとりさま』喪失の危機と引き換えに何を手に入れたのか。
ちょっくらメモしてみます。
くだらなさ全開なので情報的価値はゼロ(いつも別にないけど)です。
数年後に自分で読み返したら面白い(恥ずかしい?)のではないかと思ってメモる感じなので、お暇な方だけどうぞ。

1. 新しい苗字・呼び名

HILOKIさんのブログに「奥様」という呼び名が似合わないという話がありました。確かにねー。けどほら、魚屋さんとかに「奥さん安いよー」とか言われるイメージだと気楽なの。全然先生じゃない友達を『○○先生』とか『師匠』とか呼んでみたり、堅気の友人を『ちょっと、姐さん』とか、年下の友人に『ちょっとオニイサンそれでイイの?」とか。はたまた特定産業の客引きさんが路行く人に『いよっ、社長!』…なんて今どき言わないか。何ていうかちょっとしたプレイって言うの?よくあるじゃないですか。なので大して違和感無いの。社会に期待される役割を演じるのは時に楽しいものです。昔からロールプレイングに抵抗感の薄い私です。

しかし新しい姓にさん付けで呼ばれるのにはまだ慣れません。役所に行けば「○○さーん」とカウンターで呼び出されるわけですが、自分と気がつかず5分くらい目の前でボーっとしていたことがあったりします。お忙しい中さぞやご迷惑であったにありません。けれどこれは別に恥ずかしさや違和感は伴わない。単に慣れていないだけ。

最も違和感があるのは配偶者が人前で自分を呼ぶ時!

披露宴の挨拶で「本日はmasakoと私のために足をお運びいただきまして~」みたいな台詞に隣で内心七転八倒。ひいーーーー!!!何この恥ずかしさ!面と向かって「masako」と呼ばれるのは誰にされても割とオッケーだし、友人とかで下の名前を呼び捨てにして他の人に紹介してくれる人もいるんだけどなぁ……なんで配偶者に人前で下の名前呼び捨てにされると「所有された感」が漂うのかしら……ああ、恥ずかしいよう……
同じく、「妻も一緒に伺います」とかサラッと言われると「ひょえーーーー」とか思います。
そっかぁ、あたしゃ妻なわけよねぇー……しかし私がどの面下げて妻……とか思う。

最初の「奥さん」とどう違うのか?まあぶっちゃけ呼ぶ人が他人なら気にならないのかな?とにかく妙に居心地悪い!!!

じゃあ私はどう呼んでいるのか。
これがもう色々入り乱れているわけです。
つまり迷っていて定まっていない。

このブログでは『相方(あいかた)』を多用していました。
漫才・お笑いの『相方』的な呼称は照れ屋な私には丁度良かった。「所詮漫才師みたいな存在さ」とおどけられたし、漫才のボケとツッコミの間には上下関係がなさそうなので比較的対等なパートナー関係と言えそうなのもしっくりきました。しかも性別限定的でないのも嬉しい。
しかし、「相方というのは昔遊女が自分を買った相手を呼ぶ時に使った言い回しだから不適切。止めるように」という妙な注文が実家から入りました。ほーーーーんーーーーとうにーーーーー?普通の現代人は漫才師やお笑い芸人を思い浮かべるんじゃないのー????と思いつつ、こういうのは逆らうとヒステリーを起こされて激しく面倒くさいということを経験から学んでいる私。めーーんどーくせーーーーー、と思いながら別の呼称を探して漂流しているわけです。

さて、使い勝手的に相方の次に良さそうに思えたのが『連れ合い』。
これは連れ合い本人が「年齢にそぐわないから嫌だ」とのことだったので不可。
(そう?あたしはババ臭くても恥ずかしくない方が良いんだけど…)

おかげで、じゃあ何なら良いのよぉ?主人?旦那?夫?(まさかダーリン?)どれも嫌だーーー!!!
はたまたパートナー?配偶者?不自然ーーーー!!!
とすっかり逆ギレ気味な私です。

現在、試行錯誤しながらTPOに合わせてあれこれ使っています。
その度に「ぐあーーー」とうめきそうになります。
家にかかってくる電話で一見さんの場合は「主人」。「主人に申し伝えます」とか。
もう少し付き合いのある業者の場合は苗字を呼び捨て。「○○に申し伝えます」。
家族からの場合は下の名前にさん付け。「△△さんに伝えます」
そして困るのが友人…。ああ、何、どうreferすれば良いのだ…

というわけで既婚の友人たちを密かに観察してみました。
どうやら友人の中にも色々なようです。
「主人」と呼ぶのは酒井順子風に言うと「VERY」路線の専業主婦系。フェミニズムを鼻で笑いそうだ。
「旦那」と呼ぶのはDINKSだけどコテコテのベタベタに「夫に恋してる」妻。フェミニズムは理解するが個人的には「うちの旦那」に所有されてると思うと幸せ、みたいなタイプ。
リベラル系の「そういうの前面に押し出すのって嫌」と思ってそうな人たちは「夫」を使ってるみたい。
ちなみに当家の配偶者に行った希望調査の結果もこの「夫」でした。

うーーーーん、「夫」かぁ……
く……無理……

多分、この「夫」に抵抗感を覚えるのは性別が強調されている点に原因があるのではないかと。
誰かを「夫」と呼ぶ存在は「私は女だー!!!」と主張しているように思えるわけですよ。
で、特に性別を重視するようなシーンではない場合(ビジネスシーンや友人との場)に
自分の性別を押し出す表現を持ち込むのは何だか凄くイヤ。
しかも「夫」も「妻」も異性間婚姻を想定してそれ以外を排除している感じがする。
「夫婦関係」とか「夫妻」とか、絶対的に異性間を想定していますよね。
それゆえにこの言葉を使うことが自分の男女二元的な性別を強調している感じがする。
今のご時世もう少し中性的というかジェンダー・フリーな表現が一般化して良いのではなかろうか…

というわけで、まだしばらく私の漂流は続きそうです。
もしかしたら実家に逆らう面倒臭さを、毎度毎度迷う面倒さが上回る日が来るかもしれません。
「相方」はそれくらい使い心地が良かったのよねぇ……

2.指輪

初っ端から「これつけなきゃダメ?」と消極的かつ継続的な抵抗を見せていた連れ合い。
私自身、何のためにつけるのか、と訊かれればよくわかりません。
「これ何のためにあるんだ?」と思うのは二人とも一緒。

「ま、いっか」とつけていられるのが普段からファッション・リングを付け慣れている私。
「必要ないなら付けたくない」と踏ん張ってしまうのが着け心地に慣れない連れ合い。

さて、こちらもちょっとリサーチしてみました。
まず連れ合いに「お職場の皆さんはどうなさってるの?」と。
これは「うーん…結構律儀につけてるねぇ」だそう。ふーん。
私の研究室の若手の先生(男性)は「指輪交換してからもう何年も外したことがない。やましい時以外はね」だそう。(後半は冗談と思われたので、「やましい時だって、きゃー」と突っ込んだらノーリアクションだったのですっかりビビってしまった私)「え?でも流石に温泉とか入る時は外すんですよね?」と訊いたら「外さなくて良いようにプラチナなんでしょ。僕は外さないよ」とのことでした。ひょえー。すごいなぁ。
とあるイベントでご一緒した方々の内男性陣の手元に視線を走らせると…うーん、やっぱり着けてらっしゃいますなぁ。

その間も、時折気になる様子を見せ、無意識にギューギュー弄っていたので、
「そんなに気になるなら外してくれて良いけど…。じゃ、私も外そうかな。」と言ってみました。

そしたら驚いたように「えっ!?」って。

……ちょっと待て。
あなた、自分は外すけど私には外して欲しくないとか言っちゃいますー????

…という私のシラーッとした視線に『たじろぎの因数分解』。その後「ということは指輪って縛り合う象徴なのかなぁ」とか青臭いことを誰にともなく呟いていたりして。思わず「えぇ、まあねぇ。私なんぞに縛られてさぞや息苦しいでしょうねぇ」と更に苛めてしまう私(あ、こういうところがS?)。慌てて否定している内にまたもや外すタイミングを逸してしまう氏。不憫だなぁ(ホロリ)。

そうこうしている内に慣れてしまったのか妙な仕草もなくなりました。やっぱりね。慣れの問題だろうと思った。一ヶ月つけてればさほど気にならなくなるし、三ヶ月着けたらもうどうでも良くなるに違いないと思った。

3. おやつの買い置き習慣

実家では両親が過剰なほどに甘いものを買っていたんですよね。
私が唖然とするくらい二人の消費ペースが落ちなかった。
なので私が甘いものを買うことは滅多になかったんですよね、実は。
しかし現在、私が買わなければ入手経路は頂き物くらいしかない。
そして寝坊して朝食抜きで出勤しそうな時(最近頻発)、
小さなバッグにポイポイ放り込んで渡してあげられるようなお菓子は便利。
…というわけで、蜜柑とかクッキーとか、少しずつ買い置きを作っています。
これは私にとって新習慣です。

4. 運動する機会ていうかA Whole New World

プールについては先述しましたが、他にもランニングとか。
ちょこっとずつ私も一緒しています。ゆるーくですけど。

あと先日トライアスロンの日本選手権の応援とかしちゃいました。
見てみたらかなり面白かった!!!凄いです。

そしてなんとなんと、近々マラソン(に付随しているファンラン)デビュー。
正直ちょっと心配です。
しかしこれをクリアしたら次はサイクリングとテニスだ、と息巻くもう一人。
嗚呼、生きて年を越せますように……
Cross your fingers for me...

ちなみに明後日、ひょーっとしたら私の土俵に連行するやも…しれません。
うふふ。リベーンジ!??
(しかし春日部は遠いよなぁ……なんで春日部なの…嗚呼、辛いぃ)

Wednesday, October 22, 2008

Feminology (7. The Demanding One) フェミノロジー(第七話: ねだる女)

披露宴については後日書かせていただければと思います。
足を運んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
今の心境は……「おわったーーーー!!!」
マラソン完走とかパンチドランカーになったジョーとか…まあそんなところ。
事後処理に追われてまだ慌ただしくしていますが、ああ、このクールダウンが終われば日常が帰ってくる…筈…。連絡が取りにくくて困っていらっしゃる方には大変申し訳ないことです。もう少しですので。

はふう。そして今は授業の合間のエアポケット。
頂戴したコメントに丁寧に返信している時間は今すぐはないけど、とりあえずちょこっとだけ。

一週間ほど前、NHKの国会生中継を流しながら採点をしていたところ、
麻生首相が「個人投資家を増やすべき」と語っていました。

「日本ではまだ個人投資家がまだ十分育っていない、どうも株のイメージがよろしくない。
特に田舎では『あの人は株やってる』なんて言うと危ない山っ気の強い奴と思われる。
これではいかんのでイメージを改善していきたい」

というようなことを話していました。
なんだか前にも聞いたことのある論調。
どうせ株で儲けた場合の所得税を優遇しようって話に落ち着くのだろうなーとか思って聞いていたのですが…

同時に思うのは、私が「フェミノロジー」で書いてるのとどう違うのよ、ということ。

「日本ではまだ女性の知性を喜ぶ男性が十分育っていない、どうも高学歴女性のイメージがよろしくない。特に企業では『あの人の妻は夫より高学歴もしくは高収入』なんて言うと小賢しい女の尻に敷かれてる情けない奴と思われる。これではいかんのでイメージを改善していきたい」

とか書いたとしたら、「個人の嗜好に国が介入するのか」「ファシスト」「モテナイやつの僻み」とか言われる。

どう違うんだっつーの!!
税額優遇の方がよっぽど凄いでしょーが!
(試しに「高学歴女性の配偶者に補助金を出せ」とか言ったらかなり面白そうだ。
でも「なんで稼いでる女の配偶者に更に補助金が必要なんだ」とか言う人が出るのであろう。
だから株にまとまった投資ができるような人の税金減らすのとどう違うんだっつーの)

ことほど左様に国が政策で国民の意識を変えようとするのなんて日常茶飯事です。
社会が得する方向に誘導する制度なんてタバコ税以外にもたーーーくさんあります。
何いまさら驚いてんのよね。

小泉さんも「女性たちに産みたいと思える社会を作ろう」って堂々と言ってたじゃん。
「子供産みたいのも産みたくないのも各女性の勝手じゃないですか。国が人間の好みにどうこう言うのはどうなんですか」とか「欲しくないから産んでないんだ。放っとけよ」とか「欲しい欲しくない以前に『できない』んだから的外れ」とか言わんのか。挙句に今じゃ少子化対策に高官付けてるんですから。(ちなみに私は的外れでない少子化対策ならバンバンやって欲しいと思っています。しかし惜しむらくは多くの対策に的外れだという印象を受けること…いや、でもやらないよりはマシか。がんばれ少子化対策)

ホント、「ええ、そのとおり。思考の問題です。」と言うと
「違和感があります」という人々に…目洗って新聞読むことをお勧めしたい私です。

Friday, October 10, 2008

Feminology (6. The Gay One) フェミノロジー(第六話:レズな女)

1.Shouldなのか

ちょっと時宜を逸しましたが、CO2君の以下の問題提起について。

>> ていうか大学側も放置しないで欲しいな。
>> 適切な指導を加えるべきだと思います。
>
> 僕はちょっとこの辺に
> 違和感を感じますね。
>
> 勘違いで(後で)痛い目
> 見るのも自己責任じゃないっすかね?
>
> でもこれはやはり違和感がある。
> 上からの押し付け的な。

そう?

じゃあ、こういう風に考えてみたらどうかなぁ?

大学はサークルの公認申請にあたりサークルの規則を提出させますね?
私も君も学生時代これに面倒な想いをさせられました。

その規則にね、
「留学生は入会不可」とか
「部落出身者入会不可」とか書いてあったらどう思います?
大学はそのサークルに大学公認の立場を与えるかしら。

アメリカの大学のソロリティの規約に「有色人種は入会不可」って書いてあったら?

それでたとえばね、
ゴルフはとってもお金かかるとする。オーケストラでも良いや。
そういう理由で、「貧困家庭出身者入会不可」だったら?
色々理屈は捏ねられるかもよ?
「入っても満足に活動できないから苛められる」とか
「富裕家庭の学生と軋轢が生じる」とか(A大女子と他大女子に軋轢が生じるみたいに)
「大会/コンクールで足を引っ張る」とか
(上記全て、私自身がそう思っているということでは全く全くありません。念のため)

それって正当な理由になると思う?

じゃあ、
「奨学金受給者は入会不可」だったら?
どう思う?事情は変わる?

それか、規約には特に問題ないけど、実体がカルト集団や差別集団(ネオナチやKKKみたいな)だったら?どうする、実態が「嫌韓流友の会」だったら。

私は上の全部、そんな団体公認許可しちゃ駄目だと思う。
実際、大学当局はカルトや差別団体は公認許可どころか活動自体許可しないと思います。

もしここまでCO2君が同意できるのだったら、
何故「女学生は入会不可」は指導(公認取り消し)しちゃ駄目なの???

それとも前段階の他の被差別者集団の例も同意できないの?

こうした指導には重要な役割があります。

それは、

「それらの排除が差別行動であること」
「差別行動を大学/社会が容認しないこと」

を知らしめることです。

逆に、適切な指導が行われないと、
差別行動は蔓延し、それが差別行動であること自体に誰も気がつかなくなります。
「空気の差別」(後述)が定着してしまうわけです。

丁度ね、何処かの国の何処かの州で、バスの席にとあるおばさんが座ろうとして大パニックになったのと同じ。おばさんが「なんで座れないの?」と言い出すまで、黒人がそこに座れないことは皆にとって「必然的」だったし、「あたりまえのこと」だったし、そう決めるのは「コミュニティの自由裁決」ですらあった。誰かが「それが当たり前なのっておかしくない?」と権利と公正のあり方を再発見しないといけません。

> 強制しようとしてできるたぐいのものでも、強制すべきたぐいのものでもないので、賛成しかねます。

悪いけれど、大たっきーの書いていることは、『再発見』して見せても、
必然性だとかコミュニティの自由裁決を主張し続ける超保守派の差別している自覚がない白人と同じだと思う。人の話聞いてないでしょ、ああいう人たちって。

私はガシガシ指導していくべきだと思いますよ?
私はガシガシそういう無自覚差別者の白人に「そういうのは自由って言いません」って喝を入れるべきだと思う。
ファシズム?ヘッ!じゃあKKKが活動する自由とか擁護してれば?って感じぃ(笑)

2.勝間本

実は恥ずかしながら一冊も読んだことなかったんです、勝間さんの本。
本屋さんで平積みされているのはよく見かけていたんですが。

で、本日早速「日本を変えよう」を買い求めて帰りの電車で読んでみました。
あっという間にペロッと読めました。

大部分には諸手を挙げて同意って感じでした。
この連載絡みでいくと、第3章の「空気の差別」から以下の部分とか。

------------引用---------------------------
「まず必要なのは、正しい現状認識です。
 男性は女性を差別している面がある。女性は差別されている面がある。女性差別があるのでこれを撤廃しようということが本当のメッセージなのであって、「男女共同参画」などはどう考えてもきれいすぎる言葉です。
 私たちは「男女平等」という教育を受けてきたにもかかわらず、現実はちっとも男女平等ではないのです。女性は、女性であるというだけで、制度面で自分が「二流市民」として取り扱われていることを、はっきりと認識すべきです。」

「そして男性は、無意識のうちに女性を差別している。空気のような差別です。これまで受けた教育と社会の仕組みとシステムのなかで、無意識に行動していることが、結果として女性差別になっているのです。」

「日本においてこれほど大きな女性差別があるのに、それと気づかないとすれば、ふだんの現実を見る目、認知がゆがんでいるわけです。少なくとも、女性は差別をされているのだという意識をもつだけでも随分変わると思います」
----------引用終了---------------------------

上の引用はデータや具体例を割愛してしまったので、キチンと中身を読みたい方は書店へどうぞ。

さて、最後の、「差別されているのだという意識をもつだけでも随分変わると思います」
これは正に私が国際ディベート大会におけるEFLについて訴えてきたことでした。

「負けて仕方ないと思うな。20年必死に努力して全く成果が得られないなら何かがおかしいんだ。
もしかしてそもそも自分達が勝てないようにゲームが設計されているのではないか、と疑う目を持て。どうせ日本人なんて駄目なんだ、勝てっこないんだ、という負け犬根性から脱却しろ。」

というのが私の一番の主張でした。

で、たとえば、「そもそも極東が論題に取り上げられたことが一度もないとはどういうことだ、
それで公平なゲームだといえるのか」「なんでEFLのチームには屑ジャッジばっかり回ってくるんだ。同じ参加費払ってるんだ。たまには良いジャッジを寄こせ」といった、「隠れた差別」「見過ごされている差別」、誰もそれまで差別だと認識していなかった差別を『発見』することが私の仕事でした。我ながら一定の成果は得て、後輩の皆さんにはかなりマシな環境を差し上げられたと自負しています。

全く同じことが他のマイノリティについても言える。
日本における女性も同じだと思います。
こちらに関してはたーっくさん先駆者がいらっしゃいますが。

フーコーの、被差別者が「自分は差別されるのが当然だ」と考えるようになった時、『治療』は完成する、という表現は秀逸だと思います。

そういう意味では、「空気のような差別」が存在しているということは、女性に関してやEFLに関しては既に治療完了済みなんですよね。そこからそもそも治療されるような病気にかかっているのか問い直すのは大変な作業です。けどしないと、差別をなくすための第一歩も踏めやしませんよね。

> なるほど、
> 僕は↑が半々(というより7:3)
> くらいなのかもしれません。

そういうわけでCO2君、
7:3じゃなくて3:7が実際だと思うヨ☆

ただね、同勝間本の労働力としての女性についての以下の部分だけは違和感を覚えました。
「私はべつにフェミニストではないし、ジェンダー論者でもないのです。単純に「もったいないじゃないか」論者です」(p.131)

なんだってこんな断りが必要なんですかね?
いいじゃん、フェミニストだってジェンダー論者だって。
(ていうか「ジェンダー論者」ってどういう意味なんだろう)

それにね、女性の差別撤廃を話すのに何で善悪が理由じゃいけないんだろう。損得の話にしなければいけないの???

日本のディベータはえてして善悪の議論を避けたがるんですが、これ、ディベータだけの特性じゃないみたいですね。

けど、同じ勝間さんが、経済的に恵まれない家庭の子供が教育の機会を得られないのはおかしい!って言う時、そこには損得なんてないんじゃないかな?万万が一、それが社会的・経済的に損だったとしても、そうした子供に就学の機会を与えることは「正しい」「善いこと」だからするべきなんじゃないかな?

同じように、女性の労働環境を改善して、女性を労働者として活用する、女性の就業の機会を広げることは、べつに損得に関らず、やると善いことなんじゃないかな?どうして損得の話にもっていかないといけないんだろう。不自然じゃないかな?

3.レズな女

第五話のコメント欄に書いた、「過去の恋愛で得する男、過去の恋愛で損する女」について。

> 男性は周囲に過去の恋愛を次の恋愛する上でマイナスにとられないでしょ。
> それどころか何人落としたかを勲章のようにひけらかす男性もいる。
>
> 女性の側は「前あいつと付き合ってた女」というラベルが悪い意味で言われ続けることが
> 多いでしょう?(最悪の場合、飲み会でその子と次に付き合う男性が「○○と『兄弟』」とか
> 言われる。あれホント最低。)

これ以外にも、振られた男の負け惜しみ/腹癒せというのが女性をコミュニティから追い出す原因になることも結構あります。こちらはもはや女性の方は恋愛さえしていないのにダメージだけ受けるケースです。

私はディベート界で振った男性に「あいつは良いジャッジじゃない」と影で触れ回られたことがあります。

中でもうならされたのは、「masakoはレズだ」というもの。

別にレズが悪いってわけじゃありません。
が、私は生まれてこのかたずっとheterosexualなんですよね。
ちなみにこの台詞を吐いたのは私が申し出をお断りした男性の「弟子」でした。
もはや振った相手ですらない。

友情ってたまに不思議だなぁと思うのですが、
友情の勢いあまって友人を振った人についてまで色々言いたくなる人がいるようです。
実際日本のディベート界でも、ある女性がかなり歳上の男性と付き合って分かれたとき、
彼女がかなり一方的に影で悪く言われていて、正直私は気になりました。
この件に関してはCO2君も無関係じゃないですよね?

まあとにかくですね、私が実際レズだった場合は、
「ああそうさ、そうさ、お前の兄貴分はレズを口説いた間抜けさんよ」
とか言ってやりたいところですが(流石に不穏当すぎるか…)
私の場合はレズじゃなかったわけです。
ていうかね、言い寄ってきた人の「弟子」に私のsexual orientationがわかるかっつーの!
何を根拠にそういう情報流してるわけ?

さて、heterosexualな人がhomosexualだと触れ回られた場合、
「意中の人にまで誤解され、チャンスが遠のく恐れがある」わけですから、
言った張本人としては二つの目的を達成できるわけです。
1. 兄貴が振られたのは兄貴に女性に対しての魅力がなかったせいじゃない、とアピールする
2. 誰かが問題の女性をモノにしてしまうことで、「誰か」>兄貴という構図が生まれる可能性を下げる

無責任な発言で労せずして目的達成確率がそこそこあるわけですからなんともズルイ話です。

でね、こういう負け惜しみ(?)言う男の人結構いるのね!
(あ、なんですか、私を「だめんずうぉーかー」的な目で見ないで下さい。
重ねて言いますがうちの相方は今のところ良い人ですよ、真面目に。
それ以外の方々もちゃんとまともで良い人もいましたよ、今考えると。
でも「妙なのに惚れられた」経験って誰にでも多少あるでしょう??)

そういうわけで、女性の場合、恋愛経験が外聞的にはダメージになる確率が異様に高い上、
ただ惚れられただけでも油断はできない、リスク満載なわけです。

まったくフェアじゃないよね!

(え?振った女性に「あいつホモだからさー」と言われた?ああ、そうですか。そりゃぁ失礼しました。お互い様ですかね。私はそういう例は聞いたことなかったです)

加えてですね、どうも私の受けた印象だとその弟子は私への『悪口』として言ったようなんですね。
それでね、誰かの『悪口』として『レズ』という言葉を使うのはどうなのか、と思います。
同性愛自体は悪いことじゃないわけですから、そういう使い方は誤解を招きませんかね。

そして……負け惜しみって人格でますよね。
やっぱどうせ負け惜しむなら皆の共感を呼ぶか、愛嬌があるか、くらいが良いですよね……

Thursday, October 09, 2008

Feminology (5. The One from Mars) フェミノロジー(第五話:異星人な女)

なんだか第四話がプチ炎上したので一度整理したいと思います。

関係ないですけど、朝6:00の時点で37.01度あって、夕方になった今凄い辛いです。あううーーー。
最近わかったんですけど私低温期と高温期で0.8-1.2度違うんですけど、これってなんで?
普通0.3-0.5度の違いなんでしょう?こんなに暑くて冷房つけたくなるのって私だけ?

1. アンテナ

「話がすれちがっている」というメッセージを3名の方から受け取りました。
…ええ、まったくですね…
お一人は「すれ違ってるのを楽しませていただいてます」とのコメントを下さいました…
が、……それって楽しいでしょうか……まあ楽しんでいただけるのなら幸いです。

masashiさんのアンテナって表現は良いなぁと思います。
私はやっぱり、なんとか言葉で埋められないものかと思いがちなんですが、
こうして話をしていると正直諦念が生まれますねー…
淡い希望は捨てるべきかも。

CO2君や大たっきー君、もしかすると匿名希望さんとも、
この話題に関しては分かり合える日は一生来ないのかも、と残念ながら思います。
そしてそれが生理的なものと来歴に拠るのであれば、
妙にいつか線路が交わる日が来ると信じたりしない方が話が早いのかもしれません。

金星人男性が火星人女性に魅力を感じないし、その逆もしかりなのと同じようなもので、
たまたま同じ地球上に生まれついてはいますが、実は異種族なのかも。
きっとどこまでいっても恋愛観の共有はないのではないかと、ちと思います。

けど話の通じる人もいるんですよねーーー、男性でも。極稀にですが。ああいう人は、きっと自分の恋愛相手が本音で接してくれてるんだろうな、と思います。ジェンダーに関して鬱屈した想いを抱いているパートナーが、正直に気持ちを打ち明けるのは大変なことなので、そうした方はよほどそのパートナーに安心感と安らぎを与えられる存在なのでしょう。そう考えると尚更そういう希少価値のある男性が格好良く見えますね……彼らが火星人男性なのかも!ってドキドキしちゃう(笑)

女性だってジェンダーに疎い人もいるだろって言われると、まあその通りですね。
(私自身もジェンダーのある特定分野について疎いんですよね……いつか勉強しようっと。)
でも、やっぱり社会環境的に女性の方が普段からそういうことに頭使ってることが多いんじゃないかな。
個人的な観測に基づくと、前述の希少価値の男性に遭遇する確率と、「何この女」と思わされる女性に遭遇する確率が大体同じくらいです。話の通じる男性に会う確率と話の通じない女性に会う確率が同じくらい。女性だって多様なので、意見は違う場合も多いわけですが、やっぱり圧倒的に話が通じてる感覚の上で議論できることが多いですね。どう思います?

結論。すれ違いを解消しようとするなら、解消できるという期待は禁物。

2.本当は議論したい相手

…は女性なんですよね。何度も書いていますけど。
飲みに行った時や、先日のように男性陣から離れて一緒に歩いた時などには
相当沢山話してくれるわけです。出るわ出るわ、ですよ。
しかしこういう公開された場所で意見を言ってくれる人は非常に少ない。

たとえばカネゴンがコメントしてくれて私は飛び上がるほど嬉しいわけですが、
(そしてCキャンパス系サークルがウザイ理由がメッチャつぼでした。笑いました)
『あの』桐朋v.桐女の『伝説の』決勝戦の黄金ディベータたるカネゴンが、
「皆さん議論がハイレベルなので、
自分の体験談だけコメントします・・・」とはいかに!!!????

ちょっと、ご冗談もほどほどにしようよ。
実際はアーギュメントの切り裂きジャックで、
私なんかよりよっぽどシャープな分析するくせに……

いや、議論の材料を提供してくれるだけでも十分ありがたいんですよ、
ありがたいんだけど…意見も明示してくれたらもっと嬉しいなぁ……と。
意見を書くことで蒙る損失が大きすぎることは良くわかるので、あまり強くお願いできないわけなんですけど…私自身、一年前ならここまで思い切りよく書けなかったと思いますしね…

つくづく、女性が自分の知性を躊躇うことなく発揮できる社会になれば良いのに…と思います。

私は人と議論することで学ぶのが大好きなので、知的な人とお喋りすると幸せです。そしてその知識人半数にあたる女性達が議論してくれないと、議論相手の数が半減、楽しみも半減。しかもこの手の話題の場合は、男性が議論相手としてほぼカウント外。9割が噛み合わない話を延々と言い募る男性とのやりとりなので、楽しみというよりただの苦行です。もっと女性と議論したいなぁ……

3. サークルが件の政策を採っている原因の現状分析

私の推測と、大たっきーや匿名希望さんの推測のどちらが理論上優れているのかはわかりませんね。

もうわかんなくて良いんじゃないですかね。
masashiさんの言うとおり、現状分析が問題なのじゃないし。

だってね、大英帝国がオーストラリアのアボリジニーの子供達を親から引き離した時だって、
彼らなりの大義と理屈と合理性に必然性があったわけなんですよ。
大真面目にどうしてそういう対策が必要なのか、極めて理性的に説明していたわけです。
だからって彼らがやったことが「エグイ」ことに変わりはないでしょ?

プランテーションだって奴隷制だって劣悪な労働条件だって南米の政権転覆だって、
当時の加害者には理屈も合理性も必然性もあったわけ。

各宗主国の自由?
sovereign rights?
自由競争?

FU*K OFF.

何故そうなっているのか、理由を説明してくれても何の意味もないと思う。

問題は、「エグイ」状態が存在しているのかどうか、の一点だと思う。
で、存在しているなら何かアクションを起こすべきですよ。

というわけでタイブレーカはreasonじゃなくてexample/actual voicesで出しましょうか。
(本当はこうしたexampleを出したくないんですよね。当事者に多大なご迷惑をかけるので。
そう思ってできる限り自分をネタにしてるんですが、それはそれで私が受ける損害が非常に大きいし、個人的過ぎて偏向しすぎるしね…)

> 「エリート気取りの男が、オツムのかわいい女の子を手玉に取って遊んでいる」的な
> 偏見を持ちすぎなのではないかと。

まさか。手玉にとって遊んでいるなんて思っていませんよ。
どちらかというと逆じゃない?狩の獲物だよね。
(馬鹿なフリするのを厭わなければ結構楽な狩だろうと思いますよ。この手の方相手の場合。)

でもエリート男性がエリート女性を排斥したりdegradeしているところは散見します。

(1) 先日の奥様
男性陣から離れた時にこっそり話して下さったことは前回書いた通りなので繰り返しません。
実際、3年生以降のA大女性のテニスできる機会は著しく限定されるし快適な環境ではない、というようなことを仰ってる女性がいらっしゃるわけです。

(2) A大女性ディベータ達
 
(ここの1パラグラフは1日限定表示でした)

……耳を疑いました。でね、実際そうなのかも。A大女性はそのラベル故に敬遠されがちで、A大男性くらいしか対象が見つからないけど、A大男性のほうは中卒の女性からA大女性まで全部が対象なのかも。確か『負け犬の遠吠え』に書いてあったんじゃないかと思いますが、実際高学歴の女性は逆に学歴がハンデになって『低方婚』なんて言葉もあるらしいじゃないですか?

(ここの一文も1日限定表示でした)

(余談ですが、共学大学での女性同士でペアを組むチームはホント少なかったですねー…女子大だとピースコの対象としてばかり扱われていたし。こういう点はNDTや世界大会と変わらないですね)

(3) 女性達の飲み会
女ばかりで飲みに行った時、罵倒の対象となる男性達というのが実際いるんですよ。
理由は「釣堀男」だから。そういうわけで存在を認めたがろうと認めたがらなかろうと、
女性が定義している「釣堀男」は多く実在すると思います。

(以下の1パラグラフは1日限定表示でした)

そういうわけで、大たっきーがどんなに認めたくなくても、
嫌な想いしている女性が多くいると思います。
格差を生み出す構造はあるし、女性の知性を力で押さえつけようとする人もいっぱいいるし、釣堀男は実在すると思います。

実際居心地悪い思いしている女性達がいるんです。
「女に需要がない」とか「女自身が勝手にやってること」とか言わないで貰いたいです。
masashiさんの言うとおり、生理的な理由で同じ嫌な想いを経験したことの一度もない大たっきーにはわからないのかもしれないけど。

4. それでも認めない男

CO2君や大たっきー、匿名希望さんたちが認めたくないのは判ります。
ブランドを持つ側の異性愛者、男性ときては自分が責められているようなもんですもんね。
(それか、釣堀男を本当に目にしたことがないのか、目にしても気が付かないほどアンテナが鈍いのか)

全く同じように、英語を母語として話すディベータは、英語を外語として話すディベータが不利な状況に置かれていることを認めたがりません。多くの人が「英語の問題じゃなくて頭の問題だ」と懇切丁寧に言い募ります。よくそんなことヌケヌケと書けるなぁ、あれだけ頭の良い人がこんなこと書いたらracistにしか聞こえないだろうに恥ずかしいと思わないのかなぁ…と思いますが、もうそこはディベータですから屁理屈こねるのも巧いんですわ。(勿論私はこの「頭の問題」という言い様に憤って反論するわけですが、あまりに拡声器の大きさが違うので時に反論するのに疲れて諦めてしまうこともあります。その点も一緒ですね。ちなみに私は日本語でしかディベートしない選手で、世界大会ファイナリストよりも上手だと思う人が少なくとも2名います。今回ノーベル賞受賞の日本人は6年ぶりで4名でしたっけ?頭の問題ねぇ…統計的に考えて日本人の選手がブレークしておかしくない割合どんだけあんだよ、日本人の頭が他の国より悪いってか?常識で考えろよ、と思いますよねー。まあそういうわけで、私としては明らかに彼らの言い様は信頼性を欠くわけですが、彼らは頑強に認めないんですよねー…)

これまた同じように、同性愛者への差別が存在することを認めない人たちもいますよねー。あるディベートの論題を選んでいた時に、同性婚合法化の是非を問う論題が「そういう論題を選ぶと同性愛を助長していることになるようで宜しくない」という理由で却下されるのを見たことがあります。sexual minoritiesの問題にアンテナ感度の低い私ですが流石にフリーズしちゃいました。これまた、「差別なんて存在していない、むしろそういう議論をさせることで不自然に介入して同性愛を助長することになる」って真剣に思ってらっしゃるわけですよ。感度の低い私でさえ鳥肌を立てるような怖い議論ですが、市民権を得ていたりする。「仰っていること自体が同性愛者に対するかなり強烈な差別発言ですよ」と私が何度繰り返しお話しても、何かと理由をつけて認めては下さらないでしょうね。

被差別者の声に耳を傾ける人ってのはいつでも希少価値ですよね。
けど認めた方が世の中良くなるんですよ。
差別者集団に所属する人が、無責任な理屈捏ねる前によく考えてくれたら、世の中もうちっとマシなところになるんじゃないか、とつくづく思うんですよ。

5. それでも負けられない男

あと、議論していて、絶対女には負けない、とムキになっちゃう人いるんですよね。
もうこれは私中学校の時も散々経験してきたんですが、そんなに女に頭で負けるの嫌なもんなんですかね?
小学生かって思うくらい顔真っ赤にして「何とかやりこめてやる」と鼻息を荒くする男性がいます。
必死すぎて手段を選ばないので凄い揚げ足取りや、単に喋らせないために女性が何か言いかけた段階で自分の意見を大声で話し始めることで物理的に妨害する人までいます。(実は先日もこの手に会ったばかり…)
話すのイヤになりますよね……

そういう人に会いすぎると、全うな議論しようとしている人までどこかそういう風に見えて良くないですね。
けれどジェンダーの話でムキになって差別の存在を否定しようとする男性に会うと、正直そう見えざるを得ないんです。前にも書きましたけど「俺は理性的に分析してるだけ」ってポーズとってても、「そうかぁー?」というのが実感です。

6. うちの相方

誤解を招いたようですが、うちの相方にはなんら問題ありません。
某サークルに所属していたことを「マズイ」と思っている様子ですから(多分)大丈夫です。

> もし仮にこういう気色悪い機構の中でチヤホヤされることを当然と思ってる男なら
> 離婚ものですよ。

前半は「もし仮に」です。
かつ反語的表現で、推定は「実際はそうではない」です。
なので現在離婚を検討していたりはしません。
ご心配まったく無用です。
(あの、これって説明しないと解らないような書き方だったでしょうか?)

それは、本人の言うとおり、某サークルには名前を貸した程度だったのか、
親しい友人が所属していたので数回訪れた程度だったのかもしれませんし、
もしかしたら社会人になってから「マズイ」と気が付く機会に恵まれたのかもしれません。
どちらにしても現在の相方は「今のところ」かなり優良な人物です。
たまに「は?」と思うようなことを言いますが、ゆっくり話すと考えられるし解るみたいです。
詳しくは書きませんが何回かそういうことがありました。そういう点で「頭が良い人だ」と思います。
なので、機会ある毎にゆっくり確認していきさえすれば大丈夫かと思います。
(仮に某サークルの主要メンバーだったという傍証が得られた場合はもう一度ゆっくり復習します)
そもそも話が通じない人のほうが圧倒的に多いので、通じるだけで希少価値です。

私的に大丈夫じゃないのは「マズイ」と思えない方々のほうです。

CO2君も大たっきー君も、自分の彼女に馬鹿なフリをされるような、本音を教えてもらえないような男性にならないようにね。

Tuesday, October 07, 2008

Feminology (4. The Sadistic One) フェミノロジー(第四話:ドSな女)

プリンターの設定に成功した!!と思いきや、相方のPCに同じドライバーをインストールしたら失敗。そして何故か私のまで動かなくなりました……なんで……忙しいときに限ってぇぇぇ…(涙)何よ、一体何が悪いのよううううう……

1. 寡黙な君

私はよく喋ります。弾丸トークになってしまうこともあります。
ぶっちゃけうるさいです。騒がしいです。
とはいえ、そんな私も家では静かです。(当たり前?)
本を読むのが無上の喜びだったりするし、考え事だってたまにはします。

しかし普段お喋りモードの私ばかり見ている友人・知人は大抵、
私が興奮気味な早口でまくし立てていると「怒っている」と判断するようです。
……が、実際はそういう時は決して怒ってはいない。少なくとも激しく怒ってはいません。

本当に怒った場合も黙るんですよね…(笑)
しかも表情や態度は大して変わらなく、どちらかというと弱弱しく見える。
傍に人がいるのにmasakoがおとなしい時…実はこちらが危険サインです。
(前に、バンクーバで大激怒した際に英語でのコミュニケーションの一切を拒否して黙り込んだ、ということを書いたと思いますが、まあそういう感じです。表情には大して出ないようですけど。)

さて、うちの相方はどうしたわけか最初からそれが判っていたようです。
かなり初期から、私のだんまりを怒りのサインと受け取っていて、
理由を推測して弁解してくれます。これは怒る気なくなります。ふにゃーっとね。
そして大抵推測された理由が正しかったりする。
これはかなりの特殊技能です。

けれど一々言い当てられるのもちょっと面白くない天邪鬼な私。
「ちょっと○○○さん、私が3秒おとなしかったら怒ってると思ってるでしょう。
私だってたまには考え事とかするんですよ」とか言ってみました。

返答は……「だって怒ってるじゃん」

く…、その通りです。っち。

2. ドSな君

さて、先日電車のつり革広告で某雑誌の特集がSMだと知った私。
(いわゆる性格の「あいつMだよなー」っていうタイプので、性癖じゃなかったみたいですけどね。)
「へー」とか思って、相方に「○○○さん(←相方)Sだよねー」と言ってみたところ、

『君のドSぶりには全然適わないけどね』

とドS宣告されました。

えええええええ????どういうこと?ウソ?私???
いつ私がSな行動・発言をしたと……?

ちなみに私自身は自分をかなりMだと理解しているわけなんですが、友人には「両方併せ持っている」と言われることが多いようです。それで勝手に自分は「ちょっとM寄りのニュートラル」かと思っていたのですが…黙る私は怒っている、という原則にすぐ気がつく相方に言われると妙に説得力が……うーん、どっちが正しいのか…

友人・知人の皆様、masakoはSなのでしょうか???

3. フェミニストな君

うちの相方はA大学(仮称)の出身です。学生時代はバイトとテニスばかりしていたらしい。
先日、「学生時代の写真に写っているサークル仲間の女の人たちが皆すっごく美人だったんだよー」とたわいもなく母に話したところ、母は知人の娘さん(私より年下)が入っていたというA大学のテニスサークルについて話していきました。

何でも、彼女はA大生ではなかったのだけれどA大のインカレサークルに入っていたのだとか。
このサークル、1年生の入会時、女性にはテニスの腕と共に容姿の(!)審査があるのだとか。
女の子はテニスがすごーく上手か、容姿がすごーく優れていないと入れないらしい。
この時点で私の勘に触るわけです。(そんなら男性のテニスの腕と容姿も審査しなさいよ…ってそもそも男性の他大生なんてハナからいないみたい)

しかしそれだけでは済まない。

入会時に男女ペアを組まされて、一年後に内部戦があるのですって。
それで、レギュラーになれないと、女性だけ退会が義務付けられているのですって!!!
つまり容姿を買われて入った女性達は一年でテニスの腕を買われて入った女性達に追いつき追い越さないと辞めさせるわけ。それでも「一年間A大学の男を落とすチャンスをあげたんだから感謝しろ」って感じらしい。つまり1年間の臨時ハーレム要員なわけです。そして古女房同様ハーレム要員は常にフレッシュなのが良い、と。しかもペアの男性が退会させられないとなると「女のせいで負けただけ」と言わんばかりよね!アホか!男が下手で負けた場合どうすんのよ!

まあ、当然私の場合「そんなサークル入るなよ」と思うわけですが、世の女性達はそうは考えないものらしく、沢山の入会希望者がいらっしゃるらしいんですね。その知人の娘さんは大変美人なので入会審査に合格し、1年後に内部戦で負けて退会したそうです。いやはや。

思わず、「スポーツくらい楽しくやれば良いのに……」と私が呟くと、
すかさず母に「あなた、それは大きなお世話というものでしょう」と突っ込まれました。

そう?そうかなぁ。

当然話はここでもまだ終わりません。

帰宅した相方に洗濯物を仕舞いながら何気なくその話をしてみて軽くジャブ。
「母がねー、○○○さんもそういうところで綺麗な女の人たーーーくさんにチヤホヤされてたんじゃないのー?って言うのー。うふふ、そうなの?」(我ながらやらしいパンチだ)

2秒ほどの沈黙の後、相方曰く、「いや、うちは男女ともA大生だけだったよ」

ふーーーーーーん。

とりあえず第一ラウンドはここまで。
しかしこれには思わぬ第二ラウンドがついていたのです……

約2週間後。つい先日、相方の友人ご夫妻と夕食をさせて頂きました。
ご夫妻はやはりA大学出身で、二人とも相方とは面識があるとのことでした。
旦那様は高校のテニス仲間、奥様はA大サークル仲間だったんですね。
さて、この席で追加情報が与えられます。

A大学は1-2年生と3-4年生でキャンパスが変わります。
このシステム自体はうちの大学の主キャンパスと同じであちこちで見られるものです。
仮にBキャンパスとCキャンパスと呼びましょう。
Bキャンパスには数多あるテニスサークルですが、Cキャンパスに行くと3つに激減するのだそう。
それで、その3つのうち一つは(A大の)女性は入部できないんですって。
何それ、男性会員しかいないの?と思ったらインカレサークルなのだ、と。
つまり他の大学の女性会員(1~4年生)大勢が少数のA大男性会員(3&4年生)に群がる構図なのだそう。
それで、BキャンパスでテニスをしていたA大の女性には2つのサークルしかオプションがないらしく、その残りの2つも遠からずな状態らしい。

なんっっだそりゃ!!!!!!!!

(帰り道に男性陣から離れて私と並んで歩いた時「凄い階級社会で女性は弾かれるようにできてるのよー、ホント階級社会なのよ…」と密やかに呟く奥様。うぬうううううう。なんてこった……。そりゃBキャンパスの2年弱しか在籍しなかったサークルへの帰属意識よりも卒業時の帰属のほうが当然社会でものを言うであろう…。とんだOB構造ね。ていうかご自分の旦那様の前で大声で言った方が良いですよ、それ、真面目に、とまたもや大きなお世話な感想を抱く私。)

思わず食事の席で目を瞠り驚きと怒りを表現する私。
そこに続く打撃が。
なんと!うちの相方が問題のCキャンパス系サークルに所属していた、と。

その情報に音を立てんばかりに「サーーッ」と私の顔色が変わるのを見た相方、(その後2秒弱の間に頭に浮かんだ言葉は「こないだはA大生だけのサークルだったって…Cキャンパスに移ってからのことは巧く隠したわね?」)眼差しをゆっくりゆっくりそろりそろりと漸く相方に向けた私に向かって、すかさず曰く。

「そうだったかなぁ。覚えていないなぁ。行ったとしても数回じゃないかな」
(目線は友人の奥方にじっと「それ以上喋らないで」と訴えていたりする)

……よく判ってるじゃない。
ここで、「うん、実は2年間楽しい思いさせてもらいました」とでも言った日には、
次の日の朝私は家から忽然と姿を消しているかもしれません。真面目に。

「記憶にございません」というどこぞの政治家のような答弁に、それでも疑心残る私。
家に帰って「そっかあ、○○○さん、Cキャンパスでは色んな大学の女の子の容姿審査とかしちゃってたんだぁー」と呟いてみました。焦る相方。「いやいやいや、覚えてないし。そんなのあったとは思えないし。あったとしても僕は審査をするほど幹部じゃなかったし」

……うーん、十分怪しい。怪しいし、そもそも幹部でなければ良いというものではない。ないが、若気の至りだったとして、かつ現在「マズイ」と理解しているなら、責め続けても可哀想か…。ということで、追及はそこまでになりました。忘れないけど……。しっかり覚えておいて傍証を探すけど。もし動かぬ証拠が見つかったらキチンと、そういうシステムもそれに平然としている人も嫌いです、と伝えるけど。

あれ、もしかしてこういうところ?こういうところがドSと言われるのかしら?

けどさぁ、ことこれに関してはドSと言われようとしっかり伝えないと世の中変わんないですよねー。
まあどうせ世の中変わらないかもしれないが、せめて自分の相方くらいはイイ男になって貰って世の中変わる一助くらいにはなって貰わないとね……

しっかし…………やっぱ信じられない!!!!

Thursday, September 25, 2008

Extra-Topical 秋JPDU決勝

しばらく体調が思わしくなく今月はやれやれな感じですが、
なんとか持ち直したので書き物を……しているのですが、ちょっと行き詰まり気味。
ああ、頭が停滞しているーーー。

というわけで気分転換に寸評など。
(フェミノロジーシリーズはまた今度書きます。のろくてすみません。けど、あれは書くのに頭を使うので、頭を使わずに短時間でできる気分転換にはなりにくいんだもん)

秋JPDUの決勝戦でのExtra-Topicalなケースについて。

本人たちが長い説明を読みたいと思うか解らなかったのと、ディベートについての基本的な解説をReason for Decisionに書くのもどうかと思ったので、ただ一言「ケースがExtra-Topicalだった」とだけ書きました。コメント・シートはディベートのテキストではないからそのラウンドに固有なこと書きたいですよね、やっぱり、できれば。しかし不親切極まりなかったと反省もしているのでこんなところに書いてみます。

あ、ICUの人誰かこれ読んだらファイナリストに「ここに書いておくんで気が向いたら読んで下さい」とお伝えください。

これを読む方で、JDA/NAFA/NDT系統のディベートをなさる方は、おそらくもう知っている基本的なことの解説なので読む価値がありません。この文章は即興性のディベートを英語で行う人たちに説明するために書かれています。ご放念ください。

[前提1. 根拠には論拠と証拠がある]

ディベートは根拠提出合戦である。
根拠には論拠(Reason)と証拠(Evidence/Example)がある。

この二文は、多くの初心者が最初に聞かされるもの…と思われます。

『から』がつくのが論拠。
『たとえば』がつくのが証拠。

とでも言ったとして、実はこの論拠と証拠の区別はとってもファジー。
ま、その点は今日はおいておきましょう。

[前提2. 論点は、論題を肯定/否定する根拠である]

*『論点』にはメリット/デメリット以外もありますが、ここではメリット/デメリットのみを指して使います。

殆どのディベートにおいて、各議論は論題を肯定/否定する根拠として提示されます。メリットやデメリットを提示するのは、「こんなに良いこと/悪いことが起きる『から』論題の言うとおり!」と言う為です。

例)論題「死刑を廃止するべきである
  論点「死刑を廃止すれば冤罪を晴らす機会が増える」
  目的「『たとえば』冤罪を晴らす機会が増える『から』、死刑を廃止すべきである」

[前提3. 提案(Plan/Proposal/Case)も、論題を肯定/否定する根拠である]

えー、ここは議論が残るところなのですが、多くの人が、肯定側/否定側が論題をより具体的にした提案に議論を絞るのは論題を肯定/否定する方便である、と考えています。

例)論題「代替エネルギーに切り替えるべきである」
  提案「洋上風力発電に切り替えるべきである」
  論点「『たとえば』洋上風力発電に切り替えるべきである『から』、代替エネルギーに切り替えるべきである」  

[前提4. 提案には条件(Condition/Spike Plan)を付すことができる]

提案が現実に採択されるために必要だと思われる条件で、明示した方がそのディベートの争点を本質的なものにできると思われる場合(要するに、本質的でないデメリットをそのディベートから排除するために)、提案者(肯定側/否定側)は条件を付します。

例)論題「売春を合法化するべきである」
  提案「成人による同意の上での売春を合法化するべきである」
  条件「風俗業就労者全員に定期的なSTD感染テストを義務付ける」
  除外される否定側論点「STDが社会に蔓延する」

[前提5.論点は条件部分から発生してはならない]

ここが今日の重要ポイントです。

『Extra-Topical』とは条件部分や条件部分から発生する論点(メリット/デメリット)を表現する言葉です。「ケースがextra-topicalだ」というのは、「論点(メリット/デメリット)が条件部分から発生している」という意味です。

論点が条件部分から発生していた場合(=ケースがextra-topicalな場合)、その論点は条件部分を肯定/否定する根拠にはなっても、提案自体を肯定/否定する根拠になりません。条件部分を単独で採択すれば発生するのであって、論題の採択とは関係がないからです。

例)論題「売春を合法化するべきである」
  提案「成人による同意の上での売春を合法化するべきである」
  条件「風俗業就労者全員に定期的なSTD感染テストを義務付け、テストと診療を行う産婦人科医の給料を上げる」
  Topicalな論点「職業選択の幅が広がる」「労働法の適用を受ける」
  Extra-Topicalな論点「産婦人科医が増えてお産が安全になる」

この場合、産婦人科医が足りないのが問題で、給料を上げれば産婦人科医が増えるのであれば、売春の合法化とは関係なく産婦人科医の給料を上げれば良いわけです。なので、どんなに産婦人科医が増えるという論点を説明しても、売春を合法化する根拠にはなりません。

つまり……

Extra-Topicalなケースを出してはいけません。

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というわけで秋JPDUの決勝戦ですが、

論題「農産物の輸出障壁をなくすべきである」
肯定側がした提案「農産物の輸出障壁をすべてなくすべきである」
肯定側が加えた条件「農産物の輸入障壁もすべて一緒になくす。安全基準に抵触する場合は例外とする」

肯定側が出した論点「日本の農家は保護されすぎている。(輸入制限がなくなれば)日本人は米を安く食べられる」「稲作農家への補助金(=輸入障壁)をなくせば税金の無駄遣いが減る」
否定側が出した論点「日本に大量の外米が流入し日本の稲作農家が破産する」

という展開でした。

上記の肯定側・否定側両方の論点が輸入障壁の解消から発生しておりExtra-Topicalです。
つまり……試合で話されたことの『ほぼ』全てがExtra-Topicalです。論題と関係ありません。

『ほぼ』をつけたのは、否定側が以下の2点について、それぞれ約1分ずつ(しかも半分は規定スピーチ時間ぎりぎりで半分は時間切れ後)触れたためです。
(1) 輸出国の農家が飢餓輸出する(LO)
(2) 農作物が大量供給されてタダ同然になり、国際的な増産努力が弱まる(MO)

まず両方とも輸出障壁解消の影響を議論しているのでTopicalです。その点はよろしい。

しかし、(1)は、妥当な話だと思いましたが、8分のスピーチなのに7分30秒あたりから話されてもですね…。折角肯定側の論点がExtra-Topicalだと判っていて指摘までしたのに、なんで7分輸入障壁(条件部分)について話して輸出障壁(論題部分)については1分(しかも30秒以上時間切れ後)しか話さないの???

そして(2)は……んなわけあるかっつーの!!!!!てゆうかタダ同然になるほど、世界中を食べ物で溢れかえらせるほど大量に生産されているならそもそも飢餓輸出にならないでしょ!輸出制限もそしたら存在しないじゃん。そしてそもそも国際的な増産努力も要らないじゃん(まあ、将来増産が必要になる系の話ではありましたが、その場合今度はLOの「今後オーストラリアの渇水が改善して供給量は自然と増える」というこれまた「ウソつけよ!!」と言いたい謎の議論と矛盾しています)

(2)は、ほぼ自殺点と言って良い感じだったわけですが……しかし肯定側が輸出障壁について全く議論してくれていない以上、たとえ30秒でも(1)について話してくれた否定側に票を入れるしかない、というのが私の審査内容でした。

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さて、「一体どこの国が農作物の輸出障壁を設けているの?(=Topicalなproposalが有り得るの?)」という疑問が生まれるかもしれません。これについてはジャッジング・ルームでも話題になりました。

論題が提示された時に私が最初に口にした感想も「輸入じゃなくて輸出なの?だけど兵器じゃなくて農作物なの?どっか飢餓輸出しているの?」というものでした。それに対し「インドではないか」という指摘が某成蹊卒のジャッジからありました。インドは現在高いインフレ率に苦しんでいるので、信憑性のある話だと思いました。

で、調べてみました。

以下の通りだそうです。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=23790359

まあ、これを知らなかったとしても、ですね、それでもExtra-Topicalなケースを出す言い訳にはなりませんけれどね。

食べ物の輸出を制限する理由といったら、「国内の食べ物が減って困るから」というのを思いつくのが自然だと思います。食べ物が減って困る理由としては「国内の人が食べる分までなくなる」を思いつくのが自然だと思います。そうすると輸出制限をかけそうな国は、発展途上国(国際価格より国内価格が安い)というところまではわかります。そこまで解れば、たとえ具体例が思いつかなくても論点自体は作れたと思われます。

まあ確かに普段の勉強量が求められる論題だったし、審査員たる私も不勉強だったので申し訳なくは思うけれども、こういう論題はどんどんやってみるべきなんじゃないかと思いました。学生が勉強することを促進するし、論題をきちんと読んでディベートするという基本的な能力も養われますしね。

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とにかく、ディベータのみなさん、

1. 論題は読みましょう
2. 論題について議論しましょう

Wednesday, September 10, 2008

Feminology (3. The Lucky One) フェミノロジー(第三話:強運の女)

早く続きを書け、というプレッシャーを感じつつ、ちょっと閑話休題。
誕生日近辺が異様に忙しく、バタバタとなってしまいましたので…

で、ちょっとずれますが、今話題のOutspokenな女、というとやっぱり政治?

ヒラリーは駄目でしたが、突如ペイリンさんが登場して話題になっていますね。
しかしね、銃規制反対もどうかと思うけど『中絶反対』!???
私としては少しくらい政策上の方向性が違っても女性候補に頑張って欲しいところですが、
個人的には中絶する権利に反対する女性は簡単には信用しないことにしています。
そしてペイリンさんは私的には8割五分の確率で不可。
自分がどれだけエグイ主張してるのか分かってたらもう少し説明する必要性を感じると思う。
大した説明もなしに中絶反対を主張できるというのは真面目な話人格に問題を感じます。

さて翻って自民総裁選。小池さんが出てますね。

衆院選が囁かれ始めて私のような無党派層には厳しい季節です。
何処に入れれば良いのか選挙の度に悩まなきゃならないんだから…

えっと、まず共産党。
志位さんのスピーチはとても分かり易くて芯があって大好きなんですけど、
……しかし流石に共産党はなぁ……

社民党。
党首が苦手。表現が激しく幼稚で紋切り型、中身がちっともないから。

民主党
本来、たまには与党交代しないと競争原理が成立しないので、できればこの党に頑張って欲しい……ところだけど民主党はとにかく政策が分からない。岡田さんの時は憲法改悪反対、前原さんは場合により改正可能、小沢さんは積極改正論者…なのにインド洋給油反対???私にはどういうことか意味が分からない。小沢さんって国際貢献積極派なんじゃないの?国連が謝意を表明していてもやっぱり駄目なの?ホント分からない。分からない以上票は入れられない。自民党の総裁選が耳目を奪ったからというより、民主党自身の政策の不明瞭さが伸び悩みの原因だと思う。

公明党
政教分離の原則に抵触しているのではないかという不安がある、というより、
この政党が関係している特定の宗派の教義に強い疑問を感じているので
私としては入れられません。一神教っぽい宗教が苦手なの。

自民党
はあ、というわけでやれやれ、やっぱり自民党なのだろうか…(溜息)
福田さんが退陣会見で「あなたとは違うんだ」と言った時、
この国大丈夫か…よく記者団が暴動起こさないな…、とか思ったのですが、
しかしより良いオプションがないのも事実…。

という程度のコミットメントですが、
それでも、総裁が小池さんになったら積極的に票を投じますよ!

まず麻生さん。
この人だけは嫌。絶対イヤ。
首相になったら靖国参拝するかという質問に
「昔祖父に連れて行って貰った。是非参拝したい」
という意味の返答をしていて怒り心頭。
国政は特定の家族の私有物じゃないっつーの!
発言の各所に血統主義的な匂いがするのも苦手。
野中さんに部落差別発言をしたとかしなかったとかいう記事を読んでも、
この人ならしかねないな、と思わされる。
基本的に弱者の痛みを共有する基礎的能力がないのではないかと思う。
そんな人に首相になって貰っては困ります。
麻生さんが総裁になったら自民党には絶対入れません。

石破さん。
んー。確かにテレジェニック。悪くないかなと思う。
とりあえず何言ってるのかは大体分かるから。
けど軍事マニアかーーーーーーー。そこがちょっとマイナスかなぁ。
ただタイミング的には安全保障が大切なので期間限定的にメリットなのかも。

石原さん。
不可。メディアに露出している割に何が言いたいのか分からない。
分からない理由は中身がないからではないかと思う。

与謝野さん。
この人の言っていることは割と分かる。
この年代の政治家としては珍しいかも。
敢えて増税を検討している点も誠実なのかもしれないと思わされる。
堅実な印象だけどもしかして実は情熱家?
経済面はともかく社会面の主張が良く分からないのが難点。

そして小池さん。
情熱ではなく理性で政治を考えてそうに見える。
政治家には情熱を求めがちな私としてはその点がちょっと残念。
あと言ってることはおかしくはないが抽象的。
分かるような分からないようなアナロジーで逃げる傾向がある。
そしてキャッチフレーズが一々チープ。
もう少しマシなスピーチライターを雇って欲しい。

しかし、女性だ。何と言っても女性だ。

「ヒラリーさんがガラスの天井という表現を多用しましたが、
日本の女性達の現状についてどう思いますか」
というテレビ番組での問いかけに対し、
「アメリカではガラスの天井かもしれないが、
日本ではえてして鉄板の天井だ。
破るには鉄の女と呼ばれたサッチャーのような強いメッセージと意志が必要になる」
という返答をしていて好感度アップ。そうだよねー。
鉄の女じゃなくても一時的にでも鉄の女に化けてみせる根性が必要よね…

小池さんが近々発表するという政策案に大いに期待します。

さて、同番組内で「小池さんの出馬についてどう思われますか」と
話を振られた片山虎之助。
「いやー、あなたが出馬することで華を添えましたよ、小池さん」

……(怒)

私が小池さんだったら手近な物を投げつけたいところです。
ていうか私は片山さんの選挙区じゃないけど、仮に選挙区民だったら
「こいつには絶対投票するまい」と思わされる一言です。

与党の総裁選に出馬しようって候補者を
『サンドイッチについてくるパセリ』や
『南国風カクテルについてくるハイビスカス』かなんかのように!!

「tokenとして候補者が出るのは良いんじゃない?
でもまさか本気で本当に選ばれるとは思ってないでしょ」
と言わんばかりですよね。
(この点については、向井万亀男さんの『君についていこう』を読んでみよう!)

この人、元総務大臣ですって!?
人権政策を担う総務大臣!!

ひっこめ、あほんだらあ。

勿論、「いや、何も考えないで言ってるだけで深い意味はないんだよ」とか
「単純に褒めてるつもりなんだよ」とか色々弁護はあるのでしょうが…
センシティブさに全く気がつかないという点で政治家失格だと思います。

やっぱりこういうおじさん達の感覚を一新するためにも、
何とか「初の女性総裁候補」を「初の女性総理大臣」に変えて貰いたいです。


さてさて、こういう女性達が良く言われるのは「幸運」だということ。
まあどんな地位でも挑戦する機会を得られるということは幸運なことなのでしょうが、女性で成功する人は、「ラッキーだっただけ」という否定的な意味で幸運だと言われることが多い。それがどうにも苛々しますね。

よく帰国子女を掴まえて「英語できて良いなぁ」と言う人が居ますが、あれは「あなたが凄いんじゃなくて、育った環境が幸運だっただけ」という意味を多分に含んでいたりします。あれ、私はカチンと来るんですよね。って私は帰国子女じゃないんだけどさ。でも帰国子女には帰国子女の苦労があるのだろうと思う。経済的に恵まれてるとか、タレント二世だとかいうのとは違うと思うんだけどなぁ。まあここら辺は自分の中でも未消化ですが…

とにかく、成功する女性は他の女性に比べたら幸運だったのだろうと思います。
けどさ、男性と比べて幸運かどうかは分からないよな…と思う。

確かにヒラリーは元大統領夫人だし、
ペイリンさんは『無名』の状態からマケイン爺さんに抜擢されたし、
小池さんは小泉爺さんに大抜擢されたかもしれない。

それを「女だから得た幸運だ(ズルイ)」的に言うのは間違ってると思う!!
そういう尋常でない幸運でも舞い込まなければ女性がチャンスさえ手にできない、ということでしょう?
そっちの方が問題だと思う。

私は初の女性候補が幸運に恵まれたからといって支持する気持ちは変わりませんね。特別幸運な女性にガンガン鉄板の天井を破いていって貰わないと前に進めないんだからしょうがないじゃん!

ところで、ふじま君のコメントに、masakoは「女だから」ディベートを続けていられる、という意味のものがありましたが、ホント世迷言を言うなっつーの。大学時代ディベートしていたOBOGで、30代に入ってもまだディベートしている人を思い浮かべたら良い。何人思い浮かべられるか知らないけど女性は一週間前に30になったばかりの私独りっていう人が大勢いるんじゃないの???思い浮かんだ面子の大半が女性になって、初めて「女性の方が得だ」と言って欲しいね!少しは頭使って欲しいよ、ホント。

Friday, August 29, 2008

Feminology (2. The Naked One) フェミノロジー(第二話:素の女)

マイノリティの地位向上についてのディベートで否定側に回ってしまったら
「Society is not ready」と言い張るしかない、というのはTの教えでしたね。

先日の、(ふじま君のは問題外ですが、)大たっきー君のコメントを読めば、
いみじくも「Society is not ready」であることが如実に分かるわけです。

多くのマイノリティの地位向上に関するディベートで議論になるとおり、
Societyを、つまりは人々の『考え方』を、変えていく方法が本来は争点となる筈です。
私達は同性愛者がリンチにあったり就職拒否を受けることをなくしたいだけではない。
同性愛者を差別する心を、社会から取り除きたいのです。
私達は外国人が不当な労働環境におかれたり人種差別的な発言を受けることをなくしたいだけではない。
人々の外国人に対する差別心をなくしたいのです。
私達は、いかなるヒトも、正当な理由なしに蔑まれることなくありがままの姿で愛される社会を創りたい。
tokenismの議論は、glass ceilingだkicking it around in its backyardだと説明を講じたところで、とどのつまりは、心が変わらなければ何も変わらない、そういうことではなかったでしょうか?

翻って、現状に問題が存在するのかどうかを議論している私たち自身を顧みれば、
本当に「Society is not ready」というわけですね。
『思考』について問題にするのはおかしい……ですか。
本当に、Society is not readyですね……(溜息)

そして、Social Awarenessは放っておいても上がらない、
……だから、辛くても声を挙げなければならない、
と無理矢理自分を鼓舞してみる。

さて、前項は、

1.『思考』も、いやさ『思考』こそが問題である。
(フェミニストの女性には「分からない」と言えば済むと思ったら間違いである。)
2.『思考』の問題は洋の東西を問わない。
(多くの国の女性が処世術として「知性に欠けるフリ」をしがちである。)

という内容でした。

本項では、
3. あるべき状況とは何か
フェミノロジー一般について考察します。

次項、
4. 現実はどうか
5. 想定される反論と返答
と続けられればと思います。

その後、もう少しディベートに焦点を当てていけると……いいなぁ…、と。
長期戦ですが、まあお付き合いいただける方だけお付き合いくださいませ。

しかしねー、こうして長々と説明しなければ「自分勝手なヒステリー」ととられる。
こうして一々説明すれば、「小難しくて小賢しくて小うるさくて、お堅い(seriousな)女」と言われる。
全く救いのない話ですな。損しかない。だから賢い人ほど声を挙げられない。

もう一度言っておきましょうか。

これは大変よろしくない。

更にもう一度言っておきましょうか。

これは大変よろしくない。

私は頭悪い頑固者です。
そしてかつてかのコーチに言ったとおり。
「I'm proudly stubborn」

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3.あるべき状況とは何か-あるがままの存在として愛されること

被差別者の地位向上一般に言えることですが、
要は「あるがままの姿でいられること」を目指しているのだと思います。

同性愛者が軍隊に入るために性的嗜好を隠さなければならないのはおかしい。
有色人種が白人のように振舞わなければ(そして『オレオ』だの『バナナ』だのとからかわれなければ)社会的成功を得られないのはおかしい。
日本語を母語とする者が標準的な英語を話せないことを恥ずかしく思わなければならないのはおかしい。

同じことですね。

ヒトは自分が誰であるかを恥ずかしく思う必要はない。
ヒトは自分が誰であるかによって競争からmarginalizeされるべきでない。

女性が、知性を隠したりaspirationを抑えたりすることは、この原則に抵触しています。

(こんな単純なことを、こんなに長々とかつ卑近な表現で書いていることが、これを読む方の知性を過小評価していると受け取られないか大変危惧しています。もし気分を害されたらごめんなさい)

ローレライは女だから自分の知性を隠している。
これは不幸なことです。

女性がありのままの知性を素直に発揮できる世の中であって欲しいと思います。

小難しいんじゃない、難しい話をしてるんです。
小賢しいんじゃない、賢い人なんです。
小うるさいんじゃない、主張のある人なんです。

素のままの、あるがままの知識人でありたい。男でも、女でも。
でも前者の印象を持たれることが、女は特に多い?
それは不幸なことです。

"Hey, but we live in the real world"?
確かに。

次回、
4. 現実はどうか
を……お届けできるほど私の気力が持つと……いいなぁ…。

Feminology (1.The Serious One) フェミノロジー(第一話:お堅いヤツ)

昨晩は焼肉をしたら途中でホットプレートが接触不良になり、
結局フライパンで焼いてしまうことに。
うーん、折角いただいたホットプレートなのになぁ……
そして前回とっても良く機能してくれただけに残念。
長期的にはホットプレートを買い直すことになるかも…

さて、先日の私の投稿が投げやり調になってしまい斬捨て御免だったことに対し、
大変誠実な個人メッセージを頂戴しました。感謝しています。
で、要は四の五の言わずキチンと説明を試みろ、と。

うーん……大変苦痛ではありますが、その方の誠実さを汲んで、何とか頑張ってみましょうか。
ただ経験的に面白いことにはならないので、好戦的な物言いに終始するのを防ぐため四方山調のダラダラした文になることをお許し頂きたく思います。
(だってさ、ジェンダー版『オリエンタリズム』を書けって言われたようなもんじゃないでしょうか。
あれ、凶器になりそうな分厚い文庫が更に上下巻あるのよ?)

長すぎるので連載、ということで。

1. 『思考』について議論すべきなのか

いみじくも昨晩の「大たっきー」さんのコメントにあるとおり、私は『思考』について問題にしています。
そして『思考』について問題にすべきだとも思っています。
ここに「大たっきー」さんが異論を唱えること自体私には大変な驚きです。
行動だけが問題だったのは100年前の話です。
英語でディベートする人ならtokenismという言葉を習っている筈ですね。

そして確かに、『思考』に踏み込んだ現代では、
被差別集団は非常に重い説明責任を負わされている。
重くて重くて多くの人が声を挙げるのを諦めるほどに重くするのが主流の『解決方法』のようです。

だからこそサイードはあれだけ分厚い本を書かねばならなかったし、
書けるだけで稀有な存在だったし、社会的重要性も非常に大きかったのだと思います。
(但し、彼が守ろうとしたイスラム圏では彼は著名ではないようです。映画『Out of Space』には興味深いインタビューが収録されていますし、確か「彼のアラビア語には強いエジプト訛りがあった」というエピソードもあったように思います(もちろん訛りがあったがどうした、というのが正論なわけですが、世の中ことほどさように単純ではない)。被差別集団というのは一枚岩になれない性質を持つようですね。)

でもね、声を挙げるのを辞めた人は暴力的になりがちです。
過激な報復措置を取られるテロルの社会がイヤならば、
「分かるように説明しろ」と延々と言い募ることで罪を擦り付け威嚇し抑圧するより、
分かる努力をすることの方が誠実でかつ長期的には楽な道だと思います。

もちろん、それが実行されている社会を私は残念ながら多くは知らないわけですが。
「権利は戦い獲られなければならない」(『権利のための闘争』を実家に忘れてきたらしくexactな引用ができない……)と友人Tが口にしたときは馬鹿馬鹿しさに溜息が出ました。あの本は言葉は美しくて人を鼓舞しがちだけど内容は屑議論だと思います。物理的にも精神的にも「闘い」を美化するのは倒錯的です。表現の自由を勝取るために多くの地で沢山のジャーナリストが命を奪われるのも望むところだってのか、って思いません?最初から所与であるに越したことない。犠牲の世代を求めるのはナンセンスだと思う。犠牲は必要だから仕方なく払うものであって、必要も無いのに前提条件にすべきものではない。そうでなければ「生まれながらの権利」なんざ言わねーのよ。

戦い獲られる前に与えるべきです。

とにかく、「分かんねーよ、分かんねーよ、分かんねーよ」と言ってれば、
被差別集団に責任を押し付けられると思っている人が私は大嫌いです。

長引くと斬捨て御免に走るのはそういうわけなので、コメント下さる際その点ご了承下さいね。

2. 女性の知性に『(反語的な)小』をつけて蔑視しがちなのは日本特有なのか

そんなことないみたいですね。

英語圏の人と話していると、男性が女性を『暗に』悪く言うとき、
「彼女はseriousだ」という表現が頻出するように感じます。
皆さんが良く知っているディベータたちの口からも頻繁に聞きます。
どうも日本語の「小賢しい女」に対応するのが「Seriousな女」のようです。

随分前『話を聞かない男、地図が読めない女』という本が有名になりましたが、
冗談が分からない(ユーモアを解さない)女、というのも連綿と続くdiscourseですね。
英語圏(に限らないかも)では、常に肩の力を適度に抜いているのが格好良いとされがちなようで、
シャカリキになるのは格好悪いとされるようですね。(最近ではグローバルに広がりつつあるものの、もともとは英語圏の特徴なのではないかと思う理由は、フランス映画やインド映画にあまり以下に挙げるようなキャラを見ないから。でも単に私の観る映画が偏っているのかも。サンプルが少ないので。)

Seriousと言えば思い出すのは映画『シャレード』。オードリーに「真面目(serious)に聞いて」と頼まれたケーリー・グラントが、「serious?俺くらいの歳の男には危険な言葉だなぁ…」とフザケた返答をするシーンがあります。大変象徴的なシーンだと思います。命の危険に晒されながら何処か人をくったようなユルさをギリギリまで保つのが魅力的なヒーローらしい(そして最高潮で一瞬だけ真面目/必死になる)。ダイ・ハードのブルース・ウィリスは延々と妙に悠長な独り言をぼやいているし、『カッコーの巣の上で』のマクマフィーはいつも軽口を叩いている。ユルキャラ萌えとでも言えそうな感じ。

で、映画でも小説でも、女性がこの『ユルキャラ』を担当していることって非常に少ない、というか観たことがない。

(ちなみにここで更にエッジーな発言をすると、モンゴロイドの男性が『ユルキャラ』を担当していることも非常に少ない。ジャッキー・チェンのハリウッド進出後の映画は全てジャッキーが真面目(Serious)な役、相方(例えば『ラッシュアワー(Rush Hour)』のクリス・タッカー)が『ユルキャラ』担当です。そういう意味ではね……、うふふ、モンゴロイドの男性は『女性的』に扱われている。魅惑的な同性愛者という役柄に極東男性が人気なのも偶然じゃないかもしれませんね……)

別カテゴリーとして『天然ボケキャラ』があるわけですが、こちらはちと頭の巡りが悪いタイプや常軌を逸したタイプ。彼らは常に『光る脇役』ではありますが、まず主役ではありません(ミスター・ビーンとか例外はあります)。たとえば『ノッティングヒルの恋人』のスパイク。あのボケっぷりは愛嬌はあるがスマートでは決してない。アルマゲドンには皆が隕石に穴掘ってる時にのんきに鉱物観察したり『博士の異常な愛情(Dr.Strangelove)』の真似をして遊んだりするロックハウンドが登場します。

こちらの「ちとオツムが弱いチーム」(ロックハウンドは自称天才だけど)には女性キャラもいます。『ノッティングヒルの恋人』からハニー、『アリー・マイラブ(Ally McBeal)』のエレイン、stupidに限りなく近いかstupidそのものなキャラたちです。しかし彼らは愛される。

不思議ですね。

そして、男性が「彼女はseriousだ」と言う時の独特の間合いは、明らかに否定的な意味です。例えば『サウスパーク』のウェンディ・テスティバーガーはステレオティピカルな「Seriousな女」として描かれています。更に酷いのは『A Few Goodmen』のジョアンナ(あれは酷い。しかも相方のキャフィーがこれまた典型的な『ユルキャラ』だし)。最近だと『フィクサー』のカレン。

では賢い女性はチャーミングなキャラクターとして出てこないのか。

この点においてモニュメンタルな作品と言えば……

『紳士は金髪がお好き(Gentlemen Prefer Blondes)』

あれは凄い。最後の最後で「私みんなが思うほどお馬鹿じゃないの」という台詞に圧倒されます。あれ観ると色々青臭い疑問が生じるわけですが、それでも一応考えてみることにすると、「なぜ『本当に賢い』女は馬鹿なふりをする」んでしょう。ああ、ローレライ、君は本当にそれで良いのか!?お馬鹿じゃないなら何故お馬鹿かのように振舞う必要があるの?そんでもって一体全体それは本当にお馬鹿じゃないの?

しかし映画館に足を運んだ当時の男性達の殆どはラッセルとモンローのどっちがセクシーかという争点に終始したらしい…。そして、そう、"Gentlemen Prefer Blondes(男性は『知的なブルネット』より『(一見)お馬鹿なブロンド』が好き)"。(いやー、こんなステレオティピカルな偏見表現を露骨に入れたタイトルで作品創って良いのか!?凄いなぁ……どんだけエッジーやねん。これを観ちゃうとLegally Blondeとかパンチが無さ過ぎて全くつまらない)。

まあこの映画によると、女の知性は「一見とんでもなく馬鹿だけど、実は馬鹿なだけじゃない」くらいが絶妙の配分ってわけですよね。そして真面目(serious)でセンシブルなドロシーよりもだらしなくてフラッパーなローレライが断然良い、ってわけ。いやー、ホント、現代にとっては何とシニカルな映画だ……

そして何が一番凄いかって、当時とあんまり状況が変わってないのが凄い。
いや、本当に凄い。

こうして見てくると、女性の知性がどう描かれ扱われているかは、あまり洋の東西を問わない問題なのでしょうね。但し、この手の話で男性と同じベースに立って安心して話ができる(男性の理解度を信頼できる)頻度、話が噛み合う頻度は圧倒的にアメリカ(特に西海岸)やオーストラリア(特にディベータ)でのことが多い。この点は日本の男性ディベータには気をつけて欲しいですね……とか言いつつかなり諦め気味な私。

ま、今回はこの位にしておきましょうか。

次回へ……(私の気力が持てば)つづく。

Wednesday, August 27, 2008

taking it seriously after while ちょっと真面目に

昨晩の夕飯は、
主菜: 鶏肉とエリンギのトマト煮
副菜: シェパード・パイ
デザート: 即席ティラミス
でした。

色取りが赤と白に偏ったのが若干問題。
けどどちらも私のお気に入りです。

そして何と言ってもティラミス!

【一口メモ】即席ティラミスの作り方
①コーヒー味のロールケーキを輪切りにしてお皿に入れる
②カルーアをかける
③クリームチーズをのせて広げる
(①~③をもう一度繰り返して層を増やしても良い)
④ココアパウダーをふりかけたら、冷蔵庫で冷やす

Y崎パンの108円のロールケーキが絶品ティラミスになってご機嫌でした。
何?手抜き過ぎる?カルーアかけてチーズのせてココアふっただけ?
やかましいわ。美味しいから良いじゃんか。

ところで、連日このように献立をここにメモしていますが、
「私ってば家庭的!」と言いたいわけではありません(汗)
献立メモは献立メモです。小学校の時配られたあれです。
(今考えると素晴らしい出来映えだった。K小学校の激有能な栄養士さん達に敬礼。
ホント、捨てずにとっておけば良かったなぁ……)

私は食に並々ならぬ執着を抱いているわけですが(それ故にダイエット中ですが)、
今までは私一人の冷蔵庫ではなかった。
私は買い置きをできるだけ減らしたい派だけれど、家族は割とまとめ買い派だった。
故に、やりくりなぞ考えず、とりあえず入っているものを傷む前に消費することが重要だった。
けれど今、ほぼ一人で買い物権を握るようになると、献立メモ超重要なわけです。

何でこんな注釈をつけなければならないのかと言うと…
最近ちょっとセンシティブになっているエリアと少しだけ被ってくるからなのです。

それはジェンダー・イシュー。

というわけで、ここでちょっと真面目に、女とディベート。

まあディベートと関係なく一般的な諸問題も色々発生しているわけですが、
そちらは先日S嬢と長い議論をして、何だかちょっと昇華させた気分なので今触りたくない。

というわけで、女とディベート。

ここんところ言われたい放題の私です。
カチンと来る言われ方をした例は以下。
無数に遭遇するので、一々カチンときてる場合ではないですし、
実際は笑顔で流しているわけですが、やっぱり少しは気になります。
ていうか未来の女性達もこういう想いしたら……と気になります。

ディベート会場で(!!)言われたmasako的びっくり発言例

①「あれ、なんか小難しい本読んでるんだね。そういう本持ち歩く女の子どうかと思うよ」
(ちなみになんとこの発言の後この発言者に口説かれましたが、どうかと思うなら口説くな!!!
私はこの発言のほうをどうかと思うぞ、真面目に……)

②「masakoは『女だてら』にディベート長いんですよ」

③「masakoちゃんかわいーなぁ。ディベートさえしなきゃなぁ」

④「ディベートする女性とか絶対結婚したくないよね。masakoちゃん、『お義母様のおっしゃることは3つの理由により間違っています』とかお姑さんに言っちゃダメなんだよー?」

⑤「最近の若い娘は男に甘やかされるのを当然と思っている。」「masakoさんの旦那さんも、こうしてdebateに来るのを許してるわけでしょ」「今日旦那帰ったら家真っ暗で誰もいないんでしょ」

あとdebate仲間ではないけれど「旦那さんはmasakoさんが英語喋ること知ってるんですか?知ってて結婚したんですか?今頃焦ってるんだろうなー」と言われたことも……。

上記は直近の例で、遡って挙げ始めたらもう無数にあります。
……これがまだdebateしない人に言われるんだったら良いんですよ。(いや、良くないけどさ。)
debate仲間に言われると……切ないとか哀しいとかいうより虚しくなります。

先日ディベート仲間のOBOG会で「何がこの人だと思う決め手だったの?」と聞かれ、「ディベートに血道をあげる女にネガティブなイメージを抱かない点」と答えた(勿論実際はそこまで単純な話ではありませんが……)ら、先輩(男性)に「そんな簡単なことで良いの?滅茶苦茶消極的な理由ジャン。えー、そんなんで良いの?」と驚かれました……。分かってないなぁ……、と思いました。

さて、

日本で、特に学生の間、女性が英語主体のdebateサークルに所属することは大して難しいことではありません。大会で成功することも難しくありません。しかしこれが日本語でとなるとぐぐっと難度が上がるし、社会人となると更に上がる。また、hobbyの域(サークルに所属する程度)を超えてlife styleとしてdebateするとなると激しく難しくなります。

これは大変よろしくない。

もう一度言います。

これは大変よろしくない。

何か手を打つべき時にきていると思います。

Tuesday, August 26, 2008

琉球祭から夜中のバトルまで

昨日の夕飯は琉球祭でした。

前菜: 海ブドウ
主菜: ゴーヤチャンプルー
副菜1: キャベツとミミガーの煮物
副菜2: もずくのシークァーサーがけ
デザート: 紅芋ちんすこう

私的自信作は副菜1だったんだけど、ゴーヤチャンプルーの方が評判は良かった模様。ちなみにデザートのちんすこうは名産品売り場のお兄さんがおまけしてくれたの。わーい、ラッキー☆

夜お出かけして、帰ってきたらトイレのタンクが壊れて水漏れしていて一大事。
いやー、夜中大変でした……。
管理会社の電話番号がチラシ毎に違うのが最もいかんかったな。
けどさっきお電話で今後24時間対応してくれるってことだから、まあ良いや。

Sunday, August 24, 2008

end of summer

つい先ほど福岡から帰りましたー。
これでとりあえず一段落。明日から頑張らねば。

福岡では美味しいものをたーーーくさんいただきました。
で、今晩の夕食はちょっと手抜きしました。
(特に千切り。千切りと呼ぶには粗い感じ……)

主菜: 豚の生姜焼きとキャベツの千切り
汁物: えのきと玉葱の味噌汁
デザート: 巨峰

しっかし明日の予定も慌しいのだなぁ・・・むむむ

Friday, August 22, 2008

というわけで

今日の献立は、
主菜: 焼き茄子と秋刀魚の塩焼き
副菜: 豚と大根、エノキの煮物
果物: 幸水ナシ
デザート: バニラアイスクリーム、ベイリーズかけ

ちなみに自信作は副菜の煮物です。
これは美味しいです!(既に味見し倒した)

以前、手伝うことはあるかと訊かれ、梨を剥いて欲しいと頼んだところ、
「初っ端からハードルが高い」と言われました(え?どういうこと?)
…ので、今回は黙って剥いておきます……
ていうか……剥くだけでもあかんねや……
く……これ以上どうバーを下げれば……(涙)

しかし秋は美味しいもの満載ですね。
あーー、太ってまうーー……えーん、でも梨おいしいー…

ちょっと料理から離れると、現在Dr.Zarefskyのペーパーを読んでいます。
今回のは今一つ私には同意しにくい内容です。うぬーーー。
まあ、この先生の良さはコンテンツの細部ではなくそのスピリットにある、
と思うので、まあいっか。早くまともな質問ができるように読み終わりたい。

All you need is fine food...

今日で引っ越して一ヶ月です。
失われた3週間のおかげで実質は一週間ですが。

漸く朝6時起きの生活に慣れ始めました。
午前中が長くて良いですね。夜眠くなるのが早いけど。
大体8時には空気の入れ替えと洗濯終了です。
まーだー8時ー、と余裕をかましているとあっという間に昼になりますが(汗)
今日も大量の事務仕事に押しつぶされそうな感じ。やれやれ。

その前に、ちょっとブログらしく日記も書こうかな、と。
というのも、夕食に何作ったか忘れるので献立考えるのに一苦労なの。
同じようなのばかり作るの良くないしね。

さてさて、3日分をアップ。何食べたっけな?

8月19日(火)
主菜: 鳥とアスパラの塩味炒め
副菜: 厚揚げとオリーブのピザ風
汁物: まいたけと玉葱のスープ
デザート: もみじまんじゅう

この日は高校の友人Sちゃんが泊まりに来てくれました。
久々にお喋りしてとっても楽しかった…。ああリフレッシュ…
二人で和室と居間を占拠してガールズトークに走ってしまったため、
同居者は洋室に退去避難というかエグザイル。こういう時余分な部屋があると便利です(鬼)。
女二人は並べたお布団の上でもピーチクパーチクし満足。
今度盛大にパジャマパーティしたいくらいだ……

8月20日(水)
主菜: 茗荷と生姜の牛ステーキ
副菜1: まいたけと玉葱のバターソテー
副菜2: 納豆

この日は何たらフェアに行かなきゃいけない、とのことで夕方早くから都心へ。
しかし24:00までに家の近くで済ませなければな用事もあり。
せっかく銀座に出たのに食事もせずリターン(涙)
お腹が空いて半泣きになりながら用事を済ませ、23:30に漸く夕食の準備開始。
おかげで上記のやる気ないメニューに。。。
特に副菜1。前日と使ってる野菜が全く同じだし……
まあ、そういう日もあるさ……

8月21日(木)
主菜: 麻婆茄子
副菜: ホタテとキャベツの焼きサラダ
デザート: 巨峰

ザ・大好物、麻婆茄子!!おーーいーーしーーいいいーーー(涙)
食べ過ぎてくーーるーーしーーいーーーー(笑)
焼きサラダは堀E先生レシピ。簡単で美味しいです。流石堀E先生…。
ちなみに突然の凄まじい雷雨のピーク時に帰宅してしまい濡鼠になりました。
頭上でピシャーンと鳴って…こ、怖かった……

さて、今晩は何にするべきか……。
現在30分かかっている調理時間を何とか20分に縮めたい。
どんなのが良いかなぁ?魚が良いですかね。魚食べてないですね、最近、うん。

そしてワインとベイリーズ、牛乳とヨーグルト、アイスクリームを買うのを忘れずに!
今日はデザート充実デーだ!

Monday, August 18, 2008

The Lost X 失われた○○


はふう。引っ越して3週間ほど経ちました。しかしこの7月後半から八月中旬まではほぼ「失われた3週間」と言っても良い・・・。(最近、何故かこの「失われた」なんたらっていう表現をやたら耳にする私)

引越しが終わったと思ったら広島行きだ、学会だ、IDCだ、山梨行きだ・・・と目まぐるしかったのです。(実はまだ終わっていなくて次の週末は今度は福岡です。楽しみ。)合間に色々用事が立て込んでいてもう何がなんだか・・・

そんなわけで旅行続きだったのですっかり忘れていたのですが、我が家では私が食事担当だったのでした・・・おおう、思い出したぞう・・・。

というわけで久々に夕食を作ってみたりしました。
めっちゃ自信作ですよ、今日の。奇をてらわずオーソドックスなのにしたから。
(何?美味しそうに見えない?それは携帯のカメラが悪いんです!)

献立は、ご飯とビールに以下。
主菜: デミグラスハンバーグ
副菜1: にんじんのグラッセ
副菜2: ジャガイモとエリンギのアンチョビグラタン
デザート: グレープフルーツ

副菜2は実家の母のロングヒット作。現在この家には足りないものが山ほどあるのですが、その内の一つがトースターでした。今日、この副菜2のためついに購入しました。

嗚呼、さらば、不自由な日々(涙)うーれーしーいーーーー。

同じく実家で重宝していた『ホタテとキャベツの焼きサラダ』や『厚揚げとオリーブのピザ風』といった手軽だが美味しいメニューはどれもトースターが必須だったんですよねー・・・。これでまた少し好きなものが作れるように・・・。

まだ買わないとなものは、
-ダイニングテーブル&椅子
-電子オーブンレンジ
-テレビ

え?かなりベーシックなものが揃っていない?
ええ・・・まあ・・・
ていうか買い物って時間食うのですよね!!

ああ、世間はオリンピックで賑わっているのに…
今年のオリンピックは我が家的には「失われたオリンピック」と言って差し支えないかも…

Tuesday, July 29, 2008

A Few Good Men

いやーーーー、バタバタしていて本当に久々の投稿になってしまいました。

先日、映画『A Few Good Men』を久々に見ました。

いやーーーー、やっぱ好きだわ、この映画。
法廷のシーンに限らず様々な台詞が本当にお洒落に出来ている。凄いと思います。
ジャック・ニコルソンはともかく、トム・クルーズもデミ・ムーアもちょっと苦手なのですが、もうこの映画のおかげで決して嫌いにはなれない私です。

しかしですね、そんなディベータ魂揺さぶりまくりの作品ですが、ハタと気がつくことが。
ジャックもキャフィーもディベートのタブー侵しまくりではない?ということ。

私がディベートを始めた頃、入門編のレクチャーで先ず教わったのは、
「Conclusion comes first」でした。オブジェクト指向な議論構成?
それがですよ、この映画ではわざと結論を言わないシーンばかりです。

ネタバレですが、
例えば、検察が「コード・レッドは隊則の何処に載っているのか」という質問をするシーンは、つまり「コード・レッドは幻想で、実態を伴わないものだ。皆にコードレッドがなんたるかの共通見解もない」と言いたいものと思われます。
これに対し、弁護側は「食堂は隊則の何処に載っているのか」という質問で反撃します。これはつまり、「隊則に載っていなくても厳然と存在するものがある。コード・レッドの定義が隊則に記載されていなくとも実際には隊の誰もがその意味と存在を知っている日常的で身近なものだ」と言いたいものと思われます。
このやり取りは、視聴者に明白に弁護側がこの部分では勝ったという印象を与えますが、同時に大変スマートな印象も与えます。直截的ではなく婉曲的だからこそ格好良いわけです。

検察側のジャックに至っては、「帰りの車が故障した場合、どうやって兵舎に帰られるんですか?」とかいう質問を被告にして、キャフィーに「彼は何を言いたいんだ?」と疑問を呈されています。実はそれが最終的に罠になる質問で、彼の主張を裏づける上で重要な役割を担っています。なので、結論を先に言っては台無しです。罠にはめることができない。そして視聴者は罠が完成した瞬間に「おおっ!そういうことか、こいつ頭良い!」と思う・・・んでしょう。

・・・が、これってディベートの基礎講座的にはダメな感じ。
結論を先に言わないと聴衆を迷子にさせてしまうから絶対先に言え、聴衆に頭を使わせるな、と口が酸っぱくなるほど私自身も言っている気がする。

・・・で、思うに、これは聴衆の頭の問題ではないのではないか、と。
実は弁者の頭の問題ではないか、と思うようになったわけです。
とかく初心者は主張と関係ない枝葉末節に議論を終始させてしまったり、目的に合わない議論を組み立ててしまったりしがちです。これを矯正するため、つまり目的意識を持って各議論を提出するためにまず主張を言うようにするのではないか、と。
なので、一旦そこら辺の初歩技術が身に着いてしまった上級者の場合には、主張の開示を先延ばししても議論の無駄打ちをしないので問題ないし、聴衆も混乱しないのではないか・・・と。

・・・と妙にマニアックな感慨を抱いて興奮していたら、隣で見ていた人曰く、
「この映画難しいよね。何が言いたいのか解らない台詞があった」

・・・・・・・・・・・・。
そ、そうですか・・・・・・。
(さらば新発見・・・・・・やはり基礎講座は不滅なのか・・・)

Tuesday, April 15, 2008

My First... 初バトン!

今までバトンやったこと皆無だったんですけど,最近あちこちで見て「どうせやるなら初はこれでしょう」と思ったのでトライしてみます!

関係ないけど,福岡の生命倫理国際ディベート大会の決勝戦のビデオを見て,自分の下手さ加減に愕然。あんなの人様にお見せしたとは……。しかも英語訛りまくり。聞きづらい!!やーれやれ,ホント,ナメクジのような成長ペースですね,自分。ホント気が滅入る。

■Q1.ディベート歴は?

満15年。(この4月から16年目)

■Q2.ディベートを始めたきっかけは?

中学3年の社会科の選択授業で公民を選んだらディベートだった。
(選んだ理由は地理とか歴史とか記憶ものが苦手だったから)
その時あまりの自分の下手さっぷりに衝撃を受け,続けることを決意。

ちなみに中学の時の論題は,以下3つでした。受験そっちのけでプレパしました。
- 自衛隊をPKOに派遣すべきである
- 日本のODAは途上国の役に立っていない
- 日本はコメ市場を自由化すべし

今考えると中学生にしては結構難しい。
食管法の本とか読んでた……んだよねぇ。

■Q3.好きなmotion( = 試合のためのお題)は?

演歌系のこぶしが入れられるもの。

■Q4.嫌いなmotionは?

(1)集団で意思決定する意味を感じないもの。
そんなの君の好きにしなよー,的なもの全般大嫌い。
ラブ・モーションは大抵これにあたるから嫌い。

(2)あまりに流布する情報が偏っていて,
聴衆や選手が耳を片方にしか傾けないもの。
国際大会で捕鯨とかあんまり好きじゃない。

■Q5.好きなディベートスタイルは?

うわー,これ難しい!!!
まあ,スタイルではなくフォーマットならば以下……かなぁ。
ディベートする場合とジャッジする場合で微妙に違うけど総合順位で。

最上位: Australasiansのフォーマット(バランスが絶妙。質実剛健。日本語があればなぁ)
2. 日本語NA(やっぱり日本語は良い!)
3. 英語NAFAフォーマット(長さは丁度良くて好き)
4. Asiansのフォーマット(POIよりもCross-Exの方が好みかも)
5. 英語NDTフォーマット(長すぎる)
6. 日本語JDAフォーマット(短すぎる)
7. 中国大陸型フォーマット(楽しい!!やってみたい!)
8. カール・ポパー型フォーマット(比較的バランスは良いかなぁー)
9. 英語JDAフォーマット(先日やってみて短いと感じた)
10. 英語BP(パゴール過ぎる。運に左右されすぎる。主に審査が嫌い)
11. 英語カナダ式フォーマット(工夫してるのは分かるけど初心者に複雑すぎる)
12. 英語高校全国フォーマット(短すぎる)
最下位: 英語即興NA(短すぎる。サイド間の均衡が取れてない。やりとりの回数も少なすぎる)

ちなみにあったら良いのに!!!と思うのはやはり日本語版Australsのフォーマット!!
やってみたことないのがリンカーン・ダグラス式。やってみたい。
ロング・テーブル式はBPに似てそうだからあまり食指が動かない。

■Q6.ディベートやめたくなった時ある?そんな時どうする?

うーん……あると言えばある……かな。
ディベートが素晴らしく上手な人が弱い者苛めするのを見た時はやめたくなる。
大抵そこで生来の判官贔屓から負け戦をして討ち死に。更に凹む。

凹んだときは……
古典(イソクラテスとか)のスピーチ,サイードの某書やZarefsky論文を読むかも。
あとは絵を描いたり,ディベートと関係ないことしますかね。

■Q7.思い出のラウンドをひとつ!

沢山あるからなぁ…まあ,でも…

Pre-Australsの決勝戦。(優勝&ベストスピーカを貰いました☆)
漸く(!!)手にした極東(韓国)ネタのディベートで観客を湧かせられて,
何より韓国チームの皆が「そうだそうだ!」と叫んでくれた時。
ディベート人生で5本の指に入る快感だったと思う。

悲しい思い出だとやっぱり第6回IDEA Youthの決勝戦。
何のためにディベートするのかそれまでになく深く考えさせられた。
ディベート人生の転機となったラウンドだった。

■Q8.組んでみたいディベーターは?

アレキサンドラ・グラハンコック(天国で是非組ませてもらいます)
あとは組みたいと言ってくれる人なら割と誰でも。

プレパでアイディアがドンドン出てくる人とは本当に楽しい!
ウソの上手な人よりはホントを検索するのが上手な人が好き。
けどこれはある程度組んでみないと分からないことが多いかな。

■Q9.ライバル視しているディベーターは?

3年前の自分。

あんな風になれたら良いな,って思うディベータは他にいっぱいいるけど,
自分の性格や能力から現実的じゃないケースが多く,単に憧れに留まる。
3年位前の自分とはいつも緊張感のある関係でいる気がする。
これは経験してるフォーマットが多いのも理由かも。

■Q10.尊敬しているディベーターは?

めっさ沢山いる。全員挙げるのは絶対無理。

上手だから尊敬している人はあまりに多いけど,そのディベート魂となると…
アカデミックな意味ではDavid Zarefskyさんかな。夏の来日が待ち遠しい。
それ以外だとやっぱりアレクサンドラ・グラハンコックさんとか,
某団体の理事の皆さんとか,長い年月良心に従って努力してらした方達は尊敬する。

あとは,何に関しても「初めて」挑戦した人は尊敬する。
自分の大学に初めてディベート部作ったっていうのでも,
初めて社会人のディベートサークル作ったっていうのでも,
初めてエスペラント語でディベートしたとかでも何でも良い。
「初めて」には意義を感じる。
そういう意味で尊敬している人も結構いる。

■Q11.ディベートやっててよかったと思った瞬間をひとつ!

優しい人に出会う時。
ディベートしてて良かったを通り越して生きてて良かったと思う。

■Q12.あなたにとってディベートとは?

健康の次に大切で,恋人より大切なもの。生きる糧。

■Q13.知られざるあなただけの練習法は?

え……内緒だよ……

■Q14.大会前にやることは?

翼のペンダントを持っていくか熟考する。

■Q15.次にまわしてみたいディベーター

ディベートする人なら誰でも。
欲を言えばベン・リチャードのはめっちゃ読んでみたい。

Friday, April 11, 2008

[film] Remains of the Day 日の名残り

今現在苛立ち最高潮のmasakoです。もーなんなの,一体(怒)
大切な作業を始めてしまうとキリの悪いところで中断になるかもしれないし,
ただ待っているとイライラが募ってしまうので,
ここは書き込みでもして気を落ち着けよう…。

最近思うこと色々ありまして,困ったときや悩んだときの駆け込み寺と化しているO君にSOSしてしまいました。もういつも頼りにして申し訳ないの極致。けど煮詰まるとO君頼みな私です。これがまたいつも応じてくれるんですな,相談事に。今回はO君の仕事の話とかも聞けてすごく楽しかったです。話してこんなに救われるって凄い…

その時ひょんなことから話題になったのがこの映画!

Remains of the Day 『日の名残り』

イシグロ・カズオの同名の小説を映画化したものなんですが…なんていうか…涙がちょちょきれそうな話です。

最近世の中にはヘタレ系の方が増えてるそうですが,もうこの話の主人公ほどのヘタレを私は知っているだろうか…,いや決して知らない…。いよっ,ヘタレの星!ホント,そういう感じの話です。もうね,これは世のヘタレな人々に「こうはなりたくない!」と奮起させるためにあるのではないかとすら思います。うん,「負け犬の遠吠え」が晩婚女性に発破をかける作品だとしたら,「日の名残り」はヘタレ男性(あ,申し忘れましたが主人公は男性です)に発破をかける作品と言ってよいでしょう。しかも前者は曲りなりにも遠吠えているけれど,後者は強がりもへったくれもなくひたすらに哀愁が漂います。うーん……恐るべし。本当に泣くに泣けない話なんですよ……明るさのかけらもない…

でもね,実は私の知っている人にもこの主人公,老執事スティーブンの一歩手前みたいな人実際いるんですよねー!!!これが恋愛ごとに限らず全般的にヘタレなわけ。いや,ホント,ヘタレなのヘタレじゃないのって……その人と話しているとうっかり私までミス・ケントンになりそうになってしまうので危険です。(いや,しかしミス・ケントンは切捨て時を知っているという意味である程度賢い…ミス・ケントンで済めばまだ良いほうか…)

そしてたった今,まさに今,ミス・ケントン化している私。
女は度胸,という言葉はいつから男には度胸は要らない,という意味に変わったのか…
あと20分待って決断できないようなら悪いけどあたしゃ帰らせていただきます。

自分もちょっとヘタレ症状が……という方,是非是非「日の名残り」を観て奮起しましょう。
まかり間違っても,あみんの「待つわ」とかを心の拠りどころにしないようにね!!

Tuesday, March 25, 2008

[book] Trotzdem Ja zum Leben sagen それでも人生にイエスと言う

[book] Viktor Emil Frankl. 1994. Trotzdem Ja zum Leben sagen. Tokyo: Shunjusha.

International Bioethics Debate Tournament 2008 @Kyushu Univ.に参加しました。

前日まで東工大杯に出ていたことなどもあり,全く準備できなかった私が,家を出るときに慌てて鞄に入れたのがこの本(『それでも人生にイエスと言う』)と『医者が体験した末期ガンからの生還』でした。高校3年生の時にひょんなことから読んだのですが,今読み返してみると本当に面白い本です。

著者はいわゆるホロコースト・サバイバー。
後にロゴセラピーを開発した医師でもあります。
人が生きる意味について語り,病床の安楽死の是非を議論しているこの本は,実証的なデータは全然なくて,いわゆる自己啓発本的な内容なのですが,ところどころで出てくる強制収容所で見た人々の心のあり方が胸を打ちます。

邦訳の題名は『それでも人生にイエスと言う』。
重い中にも生きる希望が満ちた一冊です。
題名はブーヘンヴァルト強制収容所で唄われた歌の一節のようです。

しかし不思議なもので,こういう本というのは自分や家族に病や死の危険が迫っているときにはまーったく手に取る気になれないもので…全くそういう現実の問題がなかった筈の高校生の時は何故か興味を持ったわけですから不思議です。安楽死のディベートも,一時期家族が病気をしていた時などは試合中にやたら涙が出たり,とにかく避けたくてたまらなくなりましたが,最近また面白いと思えるようになりました。こういう時にこそ沢山「考え溜め」して心と頭の基礎体力アップをしておかなきゃな,と思います。

この本には「人は楽しみのために生きているのではない」という節があって,その直後に「生きることは義務だ」というRabindranath Tagoreの詩の引用が添えられています。また著者は病や死のように避けられない苦悩も人生に意味を与える,とも言うんですね。(ホロコースト・サバイバーにそう言われると重みが違いますよね……)

そんな部分が特に,この本の思想は妙に仏教的だと私が感じた原因かと思います。この著者の講演がヨーロッパの聴衆にどう受け止められたのか興味を持っていました。そこで試合ではこの本の上記の部分を駄目もとで引用してみましたが,予想通り全くウケませんでした。

ところが,なんとこの著者が,審査員にみえていたカール・ベッカー先生の個人的なお知り合いと発覚。更に私の興味を誘いました。しかもベッカー先生の講演では私の大好きなミシェル・フーコーの引用も出てきたりして,もう大興奮でした。調子に乗って先生に沢山質問してしまいました。件の個人主義とは異なる日本の医療環境についても伺ったりしました。いや,これがまたダンディーな素敵な先生で!!ホント,一粒で何回も美味しい大会でした。

後でベッカー先生は終末医療の権威で比較宗教学の権威と発覚。
冷や汗ものですが,でも本当に,こういう機会を頂戴して幸せだったと思います。

全体的に,私は医療の現場を知らないんだな,とつくづく思わされました。
チームメイトのI氏に介護医療や心療について話を聴いたり,ベッカー先生や決勝戦の後の講演を聴いたり,しばらくできなかった安楽死のディベートを一気に4試合して色々考えさせられたり,この本に再会させて貰ったり,本当に貴重な機会を頂いたと思いました。もっと勉強せな!!です!!

主催者の皆様,チームメイトをして下さったI氏,審査員をして下さった先生方,対戦相手の皆様,感想を下さった聴衆の皆様……本当にありがとうございました!!

Monday, March 24, 2008

The Life ざ・らいふ

1. 食生活

土曜日にお好み焼きを食べ,日曜日にもんじゃ焼き…
どちらも大変美味しいお店でしたが,しばらくこの系統は良いかな…
しかも二回とも久しぶりにお会いする先輩達に囲まれてのもの。
特に二回目はあまりの眠気のためワードチョイスを誤るシーンが続き,限界を自覚しました。
しまったと思ったときは手遅れですよね,ああいうのは。ごめんなさい。

しばらく紅茶断ちしていたのは解禁にしました。
我慢は体に良くないかな(笑)と。
でも紅茶があるとつい甘いもの食べてしまうから危険。
福岡土産のスイートポテトの甘さぶりにびっくり。
東京にはあまりない味です。何となくほっくりしました。

2. 衣生活

季節の変わり目は着るものが難しいですね。
昨日は寒くて寒くて参りました。まだ春コートの下シャツ一枚では駄目だったか。
しかしその春コートは複数の方に褒めてもらってちょっと嬉しい。
形が割りと気に入っているのですねー。ただボタンが多くて面倒です。
着脱時のトロトロ具合が,ああ春ボケって感じ。
ひたすらボタンと戦っていると頭だけどこか(眠り)に持ってかれそうになります。

最近とにかく寝不足なので,これ以上暖かくなると危険な気がします。
今以上に眠くなっちゃうし,お散歩したくなってしまう。
デスクに張り付くのが嫌になること請け合いです。
しかし折角冬物しまったのだからしばらく現行のワードローブで済ませたい。

3. ディベート生活

東工大杯は久々に選手でしたがやっぱりリハビリが不十分でした。
せめてもう少し練習しないとねー。まあ気楽に参加できて良かったかな?
論題は何ともいえない感じ。
まあ私が最近富みに勉強不足なので時事性について正確な判断ができないのが残念。
二日目の夕方野暮用で早く失礼したらベスト・ディベータ賞頂戴していたらしいです。
閉会式出られなくて残念でした。

東工大杯後,野暮用がらみで夜更かしし,しかも始発で羽田から福岡へ。
二日間の「生命倫理国際ディベート大会」に参加しました。

・・・なんと選手で。

丁度1チーム足りない,とのことで,全くノープレパで投入されました。
チームメイトをして頂いた石島氏とは当日「お久しぶり!」と感動の再会。
そして1時間半後には大会開幕!(汗)土日月火と寝不足・疲労困憊。死にそうでした。

しかも,東工大杯は即興性の,俗にパーラと呼ばれているもの。
これに対し翌日の生命倫理国際ディベート大会はリサーチ重視の,俗にポリシーと呼ばれているもの。
属性からしてちょっと違う。
けれど両方できるのがウリな私としてはそんなことで四の五の言ってられません。

で,生命倫理は準優勝でした。
うん,我ながら頑張ったのと違う?
両方のスタイルで海外チームと伍せる選手は日本では少ないですし。

しかし久々に(ポリシー的な)ケースを作ってみて(半分くらい人のものだけど),
凄く楽しかったです。ああ,伸ばし甲斐のあるエビが1ACにあるって快感☆
そしてCross-Examinationがたまらない。ゾクゾクする。(あぶない?)
あのゾクゾク感はPOIにはない何かです。柔道の立ち技を決めるような間合いの感覚がある。
静かに静かに意図の見えない単純な質問が続く中で,一気に勝負に出る,牙を剥く瞬間がある。
ドラマチックです。シンガポールのL氏にそれが面白かったと言われてちょっと嬉しかった。

対戦相手は,第一試合が東南アジアチーム,第二試合が米国チーム,準決勝が韓国チームで,決勝が米国チームでした。試合の合間に医療現場の先生方のレクチャーがあって,これがまたずっしり来るんだ,心に。ああ,こうやって勉強するためにディベートしてるんだぁ…ってまたぞろ私のマゾ体質全開。(笑)

さて,ICU杯は審査員でした。論題は微妙。以下同文。
しかし気になったのは,明らかに狡い勝ち方するチーム。
明らかにクラッシュを避けている。
ああいうのに負けちゃいかんぜよ。
特にケースセッティングが狡いのはとても迷惑。
選手も審査員も聴衆も何も学ぶことができない無駄試合と化すから。
他人の貴重な時間と機会を盗んでいるも同然です。
皆勉強しに来ている筈なのに,あんなことして何が楽しいんだろう。
後輩が「勝てるから」とああいうのを真似しないでくれるのを祈るばかりです。

4. 生命倫理-①

ICU杯の準決勝の論題は,「聴覚障害者が,聴覚障害児となりそうな胚/胎児をスクリーンアウト『しない』権利を持つ」というもの。

想定されていたのは体外受精の場合に弱そうな卵子をわざわざ選んで良いか,というもので,イギリスの法律に関連していたようなのですが,実際の試合は全然違うものに。

なんと,スクリーンアウトが『堕胎』と解釈されたんですよね。
そうすると「政府に強制堕胎されない権利がある」という論題になるわけです。
両親が望むなら堕胎してもいいし,『堕胎しなくても良い』,と。

いや,それ当たり前でしょ。

恐ろしく議論不可なセッティングで,普通なら「そもそも現状で強制堕胎してないだろ!どっから来た発想だ!」と否定側が言えば済むんですが,ご丁寧に「一人っ子政策下の中国」にセッティング。無理矢理強制堕胎が現実のものとなっている場所にされてしまったんですね……

いや,誰が,「親が泣き叫んでも無理矢理堕胎させるべし」なんて言えますか……
どんなバイオハザードな胎児なんだよ,って感じ。
その子が生まれると人類滅亡,とかならともかく聴覚障害では無理でしょう……
社会的コストとか言われても,そんなちょびっとの金を惜しんで排除して良い存在では絶対にないもん。

肯定側は明らかに四つに組むのを避けているわけで,
こういう議論することを逃げて勝つ方法ばかり30分間考えている人間がいるのかと思うと気が滅入ります。

ところで論題ですが,そもそも想定されていた,『わざと劣性卵を選ぶ権利』,を議論したなら確かに面白い試合だったかも。聴覚障害者コミュニティ独特の文化を,「保護されるべき文化」と認め,それを「子供に押し付ける権利が親にあるか」,また「貴重な体外受精において成功率の低い卵を選ぶことが倫理的か(ES細胞の研究と同じ倫理問題か?)」という話は相当面白かったろうと思います。是非聴きたかったな。しかしあのワーディングでは駄目でしょうな…。残念。

5. 生命倫理-②

さて,福岡の大会の論題は安楽死合法化でした。
individualismが前提となった政策って現代では凄く多くて,
国際大会ではその点には全く疑問が差し挟まれないわけですが,
生命倫理に関しては「あれ?」って違和感感じることが沢山あるんですよね。
今回もその違和感に悩まされました。

日本では小学校の時から,「人っていう字は人と人が寄り重なってできてる。人は一人で生きてるんじゃない」とか言われたりですね,「お米を粗末にするヤツは目がつぶれる」とかですね,「夕日が背中を押してくる」だの「山の神様がうんぬん」だのと言われて過ごすじゃないですか?八百万(やおろず)の(=どんな些細なものにも)神様がいて,大切にされなきゃいけない,みたいな。「世界は自分に理解できないもの」「理解できなくても正しいもの」みたいな感覚?理不尽さを許す土壌がある気がちょっとします。

どこか「人は生きるのではなく,生かされるのだ」という感覚があるように思える。
今でも患者本人に癌告知するかを家族に選ばせたりする医療のあり方というのは,どこか患者の命の所有者が患者自身だけではなく家族や患者を愛するコミュニティのもの,と考えている節を感じます。
「夜爪を切ると親の死に目に会えない」なんていう迷信も,自分の命を粗末にするな,自分の命は与えた親のものでもあるぞ,っていう感じがする。

また,「人生は楽しむもの」という感覚よりも「人生は耐えるもの」という感覚がありそう。
仏教では四苦八苦というくらいですから,そこからでしょうかね。
苦しみに「捉われない/囚われない」ことが尊いとされる。
自分の命を「他人事」のように扱うことが良いこととされる節,ありませんか?

一方で個人の選択の自由や権利を信じて快楽追求型の現代人的な(=欧米的な?)私がいて,
もう一方では多神教でアニミズム全開な環境で育った耐え難きを耐えちゃう私がいる感じ。
そういう自分の中の齟齬が生命倫理系のディベートでは大きな違和感を生んでいるようです。

樹なつみの漫画「OZ」の以下の台詞とか説明できないんですよね,英語で。
ていうか説明するんだけど,全然分かって貰えないわけ。(誰か漫画丸ごと英訳出して欲しい)

(*「じいさん」は武藤という日系。モンゴロイドだからという理由で孤児だった主人公にも「ムトー」の姓を与えます。「ナインティーン」は「リオン」という科学者に創られたアンドロイドの先を行くサイバノイドの名前です。)
-----------------------------------------
ナインティーン: 
寒そうですね。横になった方がいいですよ。人間は不便ですね。

ムトー: 
リオンの事だから今に人間そっくりそのままのバイオロイドを造り出すぜ。
その時はそいつも寒さにふるえるさ。
そうなると…何の為の生命(いのち)かわからなくなるなぁ…

ナインティーン: 
もし寒さに震えても,それはプログラムに従っているだけですからね。
しょせん機械(マシン)は本当の意味で感じはしません。

ムトー: 
じいさんならそうは言わないな……

ナインティーン: 
あなたの育ての親ですか

ムトー: 
長年荒野をさまよってたせいか人種的なものか,一種独特の哲学を持ってた。
雑貨をオンボロトラックにのせて売り歩いてたんだが,そいつに名前なんかつけてたんだぜ。
ジェシーなんてな。
ある日ついにそいつが動かなくなった。
じいさんはよくやってくれたと言って泣いた。
おれは内心バカバカしかったが黙って見ていたよ。
でも一緒に悲しいと言ってやれるほど大人でもなかった。

ムトーの回想中のじいさん:
ヨウ(ムトーのこと)…,おまえわしが泣くのをバカみたいだと思うか。

幼い日のムトー:
変は変だよ…。
そんなの…生きてねぇもん。

ムトーの回想中のじいさん:
それは違うぞ。
ジェシーは生きとった。
わしがやさしくしてやりゃこいつもこたえてくれた。
皆神様がおつくりになったものだ。
魂をもたないものなど,生きていないものなどこの大地の上にいない。
土クレも,鉄も,空気も。
生き方が違うだけだ。
わしらにわからんだけなのだ。
聞こえんか,ヨウ。
大地の声が…
語りかけるあの声が---
----------------------------------------------

この「じいさん」の台詞,めっちゃアニミズムの世界でしょう?
しかも妙に一休さんの世界でもないですか?

個人の権利と幸福の追求を基盤としたスピーチを展開している真っ最中に,
私の中にそれが本当に正しいのか疑問に思う気持ちがいつもある気がします。
「じいさん」と信仰を同一にしているとは言い難い現代人な私ですが,
「じいさん」的な価値観がどこかで刷り込まれているというか。

安楽死の話にしても,件の強制堕胎の話にしても,
海外の友人達の反応と日本の審査員たちの反応には明らかな開きがある。
それで,あれ,自分どっちだろう,それでどっちが正しいんだろうってよく思います。
国際的に認められるためには人権の概念に則った意見を持たなければならない。
けれどどこか,やはり齟齬が埋まらないままです。

いつか,もっと分かりやすく,思い込みから自由になって,
そんな生命倫理の話をできる友人ができたら良いな,と思っています。

Friday, February 22, 2008

[film] The Last King Of Scotland

(ネタばれだらけです。ご注意ください)

ひょーーえーーーーーーーー。
こわっっっっっ!!!

いや,しかし何というか……良い映画だと思います。
(実は時間の都合でかなり間をあけて3回に分けて見たんですが,
とても印象的なストーリーなので続きから見てもノープロブレムでした。
実はニコラス役のジェームズ・マカヴォイの外見がほんのちょこっと苦手だけど。
世間的にはハンサムに部類されると思うのにおかしいな…なんでだろう…)

この映画は歴史的な意味でのアミンの立ち位置はあんまり教えてくれないんですが,
(つまりどんな殺戮を行ってそれがどのようにウガンダ政治と人々の心に影響したかなど)
お話としてはとても良くできてると思いました。

何ていうか・・・海外の友人達と自分との関係とかも考えさせられました。
バックグラウンドが違うと,それゆえに友情が燃え上がることもあるけど,
それゆえに実は全然お互いを分かってないんじゃないかって恐怖がありますよね。

考えさせられたポイントは以下2点。

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1. 野蛮さへの恋慕

前半ニコラスがアミンを,ある意味買いかぶっていくプロセスとか,
アミンがニコラスを魅力的に感じて近くに置きたいと思っていくプロセスとか,
二人は初めから凄く危ういバランスと一種の勘違いの上にいる。ドキッとさせられます。

アミンはスコットランド贔屓なだけあって英語に不自由を感じさせないんですけどね。
(少なくとも聞き取りは。発話はかなり不自由そうだけど。
発話が不自由だとメチャメチャ下品で野蛮に聞こえるから怖い。私もああなのかなぁ;溜息)
まあでも,アミンが英語に堪能な割りにお互いへの勘違いは歴然とある。怖いです。

危ういバランスの中で惹かれていく理由は何か。
ニコラスの野蛮さへの憧れがあるのではないかと思います。

例えばアミンが腹痛を毒殺未遂だと思い込むところとか,
病気の息子を隔離するところとか,無知による一種の「野蛮さ」がチラチラ出てきます。
途中までは,その野蛮がチャーミングにさえ見えます。

当初ニコラスにしてみれば,夢溢れるリーダーのその野蛮さを自分が補うことで,
自分が若い国に大きな貢献をしていけると感じたのではないかと思います。
当初「顧問」と呼ばれて悪い気がしないのは,少し倒錯的なレーゾンデートルを与えられるからだと思う。
(ちょっと『王様と私』とかぶりますね。あと以前このブログでも書いた『南太平洋』の「バリ・ハイ」)
そういう感じ?ニコラスの,相手の野蛮さに惹かれ,また無意識に自分の存在意義にもしてしまう感じ?
仲の良いディベート・コーチの中には日本にそれを求めてる人,確かにいる気がします。
野蛮さへの恋慕を「見下したい無意識の欲求」と言ってしまえば,まあそういう側面もありそう。

その恋の媚薬として登場するのが被差別者の怒りと夢。
特にスコットランド出身のニコラスには共感しやすかったみたい。
英国外務省の人に仲間扱いされたニコラスが,
自分はEnglishではなくScotsmanだと訂正するシーンとかに
ニコラスがアミンに惹かれていくまでの丁寧な付箋があります。

もし仮に私が,どっか外国(ヨーロッパとか)で「同じ中国人同士仲良くやっていこうや」
とか言われたらやっぱり訂正したいと思うだろうか……とか考えてしまいました。
(これは微妙だな。あそこまで意思のある訂正は別に必要としないかも。気が向いたら位かな)
逆に例えば韓国の人がオーストラリアで日本人に「同じ極東から来たもの同士」
とか言われたら微妙な気分になるんだろうか……とか。これは経験的にYesっぽいかな。
極東というくくりなら地理的には問題ない表現だから突っ込まれはしないだろうけど。
(ちなみにエルキュールポアロは必ず「フランス人じゃなくてベルギー人です」と訂正)

何でも被害者集団の方がアイデンティティーへの拘りは強いものですから,
そういうイングランドに対するちょっとした反感みたいなのがあったとすれば,
Scotland贔屓の大統領ってのはよけい親近感を持つ理由になるのかなぁ……と。

特に前半は,アミンの過激さを伴う情熱とニコラスの邪気のない軽薄な善意に
「おわー,アブなーー!!」とは思うものの,
多少理解というか同情というか共感というか想像できなくもないと思えるわけです。

例えばパーティでアミンが振りかざすアブナイ内容のスピーチ(「ギリシャには哲学をアラブには薬学を盗まれた。しかしアフリカはその歴史を誇りに思わなければならない。今日の食事は全てローカルフードだ」とかなんとか言うシーン)に,拍手を送るニコラスの無邪気な笑顔は,果てしなく軽薄だけどやっぱり善意の賜物かな,と。

別に私には誰かを殺戮するつもりも予定もまーーーったくないわけですが(笑),でも,友人たちは私がアミンの立ち位置だったらどうしようってひょんな時に不安になるんじゃなかろうか,って思います。同じように私は彼らが彼ら自身をニコラスの立ち位置に重ね合わすんじゃないかって時たま不安になる。ポストモダンのその後に放り出された感じ?お互いを決め付けてしまいそうな自分と戦わなきゃいけない感じ。んーーー,私の英語がもう少し上手だったら,このモヤモヤについて相談したい人はいるんですけどね。あー,でも話してみて凄いがっかりしそうな予感もする(笑)過去数回失敗しているのが私の英語のせいばかりとはちょっと思えないので(笑)

日本のディベート界は果たしてお抱え外国人を迎えようとする「野蛮な未開の地」として見られるべきなのかなぁ……。実際彼らが助けになってくれるなら拘る必要ないのかな。大体このグローバル化のご時世にちょっと一方的なのが気にはなるけど人材交流なんて当たり前,ゴチャゴチャ考える方が変かなぁ。でも,彼らが野蛮さを探し野蛮さに憧れる限り,「もしアミンだったら」恐怖症は消えないだろうと思ったりします。むーーーーー。はふう。言葉の壁って嫌ねー。

逆に,スコットランド(イングランドに蹂躙され,しかしウガンダに対しては優位に立ち,蹂躙されるウガンダの憎しみに惹かれる)の位置に日本を置くと,また別な景色が見える気もします。例えば東南アジアに開発援助を送りインフラを整備し,アジア通貨危機から立ち直るためのリーダーとなる日本。似てません?映画「僕らはみんな生きている」の世界。

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2. 愛憎の振り子

もう一つはクレッシェンドしていく矛盾。

映画で最初に出てくるのは多分アミンの身の上話のシーン。
英国人に奴隷のように使われてた俺が大統領になった時の後ろ盾は英国だった,
と語る彼の口ぶりは,なんていうか,その瞬間は知的で理性的に聞こえたりします。
この時Scotsmanニコラスは心が大きく傾いたんだろうなー,って感じられます。
その後,この前半に語られた矛盾がリフレインされて段々振れが大きくなります。
他者を忌み嫌うと同時に抗えないほど必要とする矛盾。その苛立たしさ。不信感。

私の場合はついつい言葉の壁におきかえて観てしまうわけですが,
映画ではそういう葛藤は主に人種の壁という形で出てきます。
最も端的には,ニコラスの同僚の医師の言葉に託されています。
「黒人の女だから(避妊を)しなくても良いと思ったのか」という言葉にはドキッとさせられます。
(しかもそこで口ごもるニコラス。おい,そーなんかい!!!??ちょっと,どーなの)
そして同じ医師が
「世界に伝えてくれ,この国の現状を。人は君を信じる。君は白人だ」とも言う。
(まあ,ちょっと噛み砕き過ぎてる感もありますが,他の部分が難しいから良いかな,と。
あとアミンとニコラスが子供なので,こういう大人目線な人も必要。
役回りをきっちりこなしていて好感度の高い医者役です。)

アミンのニコラスとの距離のとり方にも同じような揺れが見られます。
白人を詰りながら白人を頼る構図が緊張感を高いままにします。心臓に悪い。
ちょっと妙な表現だけどSとMの役割分担がクルクル入れ替わりまくるみたいな感じ?

けど身に覚えのある緊張だったりもします。
コーチ達の「分かろう」としてくれる姿勢に感謝した直後,
同じ姿に同情するなんて傲慢だと感じたりもする。
更に酷いと「どうせ分からん」と思ったりも。
「どうせ分からん」と「分かって欲しい」の二重奏は相当お互いに不自由で,
がんじがらめでニッチもサッチもいかない感じ。

それにしても色んな人が書いてるし沢山受賞したみたいですが,
アミン役のウィティカーって良い役者さんですねー。
独裁者の片鱗を予感させた直後に魅力的で生々しい暖かさを感じさせる。
観ている内にニコラス同様観客の私も混乱するシーンが中盤ありました。
その危ういバランスが凄く人間らしい。
監督とカメラの良さも際立つ作品だと思いました。

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それにしても理想を追っかけるというのは,アミンのように狂気に取り込まれてしまったり,
(ていうか最初から相当アブナイ性格ですが……)
ニコラスのように自分の浅はかさに臍を噛む羽目になったりする危険が隣り合わせでしょうか。
(といっても最初から相当軽薄でお調子者キャラですが……)
けど,それでも夢を持たないよりはマシなような気もちょこっとします。

熱くなるのも冷えきるのも怖いですよね。難しいなー。(と誤魔化す)

とりあえず私のこの映画に対する評価は,
「『アラビアのロレンス』と『王様と私』に挟まれた隣人」って感じでしょうか。
うん。良い映画だと思いました。
個人的には「ホテル・ルワンダ」よりこっちの方が好き。