Tuesday, May 30, 2006

【Sweets】フレッシュチーズめいっぱい Full of Fresh Cheese

【お菓子】パティシエ・ドゥセール.『フレッシュチーズめいっぱい』.399円.

おいちいーーーーー。

これかなり大きいです。
そしてかなり私のツボです。

隣に姉妹商品らしい『プリンひとりじめ』っていうのもありましたが、うふふ、私は断然チーズ派なんです。いやーん、おいしいー。

え?太る?数少ない癒しを取り上げないで下さい。めそめそ泣きますよ。

それにねぇ、先ほど漸く、10年分のデータの打ち込みが終了したのです!!
ちょっとくらい自分にご褒美あげても良いのではないでしょうか。
本当にExcelのデータ入力嫌いなんですよ。それがこんだけ頑張ったんだから。
もうあとはひたすらグラフへ加工していくだけ!!そこは楽しい部分だもーんo(^v^)o

ディベータな皆様に成果のおすそ分け。

過去10年間の世界大会に参加した日本チームの合計は、96チームです。
この10年間で延べ200人近くがあの激戦に身を投じた計算です。
10年より前から日本は参加しているので、その頃の人たちや、
選手ではなく審査員参加も含めると250人越えているかもしれませんね。
何人の名前なり顔なりを、皆さんは思い出すことができるでしょうか・・・

この10年間で予選のランキングが一番高かった日本チームは、
1997年のICU(A)チームです。89位でした。獲得勝ち点14。
しかも審査員が日本チームに好意的になってくれる前のものです。
大会規模が変わったから参考にならないと思う方もいるかもしれませんが、
参加規模を小さくする場合もどこの大学もトップのチームを残してくること、
常勝大学の規模は大して変わっていなくて、最近参加が増えているのは
ブレイクしていないチームが殆どであることなどを考えると大して関係ないと思います。
これ以降今日まで、二桁に食い込んだ日本チームは一チームもありません。

彼らはトロフィーを持ち帰ったでしょうか。
皆の拍手を受けたでしょうか。
ステージに上がる機会を貰ったでしょうか。

昨年・今年と嬉しいニュース続きの日本人選手団。
どんなに幸せな気持ちを味わわせてもらったか知れません。
それでも、その陰に沢山の無冠の英雄達がいたことを忘れたくないし、
忘れてしまったらあまりに淋しいなぁ・・・と思います。

春休みに、数年前世界大会で頑張ってらした先輩のNさんに大会でお会いし、
帰りの電車が途中までご一緒できました。久々で嬉しく思いました。
先に降りられたNさんを見送りながら、涙が零れてしまいました。
不覚・・・と思うと同時に、涙が零せない自分にはなりたくないとも思いました。

健闘しながら拍手どころか国内からはろくに応援さえされなかった先輩方には、
自分へのご褒美にお菓子を食べるようには簡単に恩返しできない。残念です。
せめて、同じように正当に評価されなくて困っている他の国々の同じような人たちが、
少しでも光を当ててもらえる環境づくりに協力したいと思います。

本日の問題:20060530 Questions of the Day: 20060530

作業していて解らなくて困っていること。

- バミューダはラテンアメリカか、それともアングロアメリカか
- バミューダで使われている言語が英語だからという理由でアングロアメリカに入れた場合、ジャマイカはアングロアメリカか
- 台湾の収入レベルはWorld Bankの四段階の区分のどこなのか?
- 世界各国の軍事力をIndexにしたものってないんだろうか・・・台湾や香港に駐留しているものについても載っていたり、ラトヴィアやルーマニアとかも含めたリストが良い
- 国別のIndexってなんでWalesやScotlandはUKでまとめられてるのに、香港やマカオは別扱いなんだろう。根拠は何?

Monday, May 29, 2006

【Book】第三の波 The Third Wave

【本】トフラー,アルビン.徳山二郎監修.1980.『第三の波』.日本放送出版協会.

あったーらしーいー朝がきった!!きぼーうのーあーさー。

土曜日に徹夜したため昨夜は夜8時から爆睡。
今朝は5:30に爽やかなお目覚めです。
これで今日から早寝早起きできるはず?

朝食しながらのこの読書タイムがやっぱり幸せ時間。
データの入力作業がしたくなくなる・・・。

さて、本日は久しぶりに開いたこの本、第三の波。
情報社会なんてもう今更な私たちだけど、たしかに10年前はこんなじゃなかった・・・。
(今も業種によってはアナログメインみたいだ)
これが書かれたのは四半世紀前だから、そう考えると確かに凄い。
二つ目の引用部分なんて多変量解析どころかまるでニューラル・ネットワークだ。

けどマスメディアってそんなに宗教や言語の境界を越えているかなぁ・・・
と日本のテレビを見ると思うのですが・・・

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 ところが第二の波の時代になると、人びとが脳裡に描く現実像の手がかりになる回路が、無数にふえることになった。もはやこどもは、自然や周囲の人びとからだけでなく、新聞、大量の発行部数を持つ雑誌、ラジオ、のちにはテレビから、イメージを与えられるようになった。それ以前は、教会や国家、家庭、学校などが、相互におぎないあって、同じことを、くりかえし語りかけていた。しかしいまや、マスメディアが巨大な拡声器となったのである。マスメディアは、地域、民族、種族、言語の境界線を越えて、その強大な影響力を行使して、社会思潮を形成しているさまざまなイメージを規格化したのである。(p.227)
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 コンピューターは、多数の因果関係を記憶し、それらの相互の関係をきちんと位置づけることが可能だから、われわれがリットナーの言う”原因と結果のからみ合った問題”を解決するような場合には、並大ていの方法では及びもつかないほど役に立つ。コンピューターは、大量の情報をふるいわけ、そのなかから微妙なパターンを発見することができる。断片的な情報をいくつも集めて、意味を持つ全体像をつくり上げることができるのである。(中略)
 人間の知力、想像力、直観力は、今後予知しうる数十年の間は、コンピューターよりはるかに重要な意味を持ち続けるであろう。しかしコンピューターは、文明の因果関係をはっきりさせ、われわれれが物事の相関関係について理解する力を高めたり、身のまわりに散在している相互に無関係の情報を総合して、意味を持つ全体像に収斂させる役割を果たすものと期待されている。(p.253)
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【Book】 Toffler, Alvin. 1980. The Third Wave. NY: W.Morrow&Co.

Sunday, May 28, 2006

【Music】ライヴ・エイド Live Aid


土曜の夜だというのにデータの打ち込みばかりしなきゃで学校にステイ。というわけで気分だけでもライヴへ。つーか、学生生活も最後になろうってこの年のこの時期に土日もないですけど・・・(涙)

20年も前のイベントですが聴いたことある曲が多いです。この盛大なお祭りの目的を考えるとちょっと複雑な気もします。こういうのって一過性で参加することは簡単でも、かかわり続けるのには根性が要るだろうと思います。応援に駆けつけるのは沢山の歌手にできることだけど、実際に援助の段取りをして現場で頑張り、それを20年も続けた人はどれだけいるのか。そう考えるとボブ・ゲルドフって凄いなぁ・・・って改めて思わされます。批判に晒され、叩かれてもかかわり続けているわけですから・・・。

昨年はホワイト・バンドとかも流行りました。一昨年はライヴ・エイトもありました。でも今の世論はずっとずっと斜に構えていると思います。音楽の下皆が集まって、皆から集めたお金で地球の仲間達を救おう!政府ができないなら俺らでやっちゃおうぜ!っていうのはピュアで幼稚に見える。現実はそう簡単にはヒトを救えないって20年後の私たちは知っている。マージンとってるんじゃないの?とか、どんだけ現地に届くの?とか、今日のミルクをあげても搾取は続くんじゃないの?とか、軽い気持ちで助けたつもりがもっと酷い惨状を招いたんじゃないの?とか、安全圏から懐が痛まない程度のお金出して傲慢じゃないの?とか・・・疑いが次から次へと湧いてしまう。他人の不幸を理由にお祭り騒ぎにすることへの抵抗感も覚えてしまった。良心を偽善と区別できないから迷ってしまう。歌手もそれを聴きに来るファンも怯んでいる。怯むから大したことできない。

オーストラリアのコーチと一度議論したことがあります。

フィリピンは貧しい国です。というより貧富の差が大きすぎる国です。ちょっと良い格好をして外を歩くとあっという間にストリート・チルドレン達が集まります。その時に手持ちの小銭をやるべきかやらないべきかで議論になったんです。

私は、物乞いとして生きていけるように、同情をかいやすいようにと、親が子供の手足を切断すると聞いてしまってからあげられません。実際に脚や腕のない子供たちは本当に多いのです。私がそうやって小銭を渡すことで子供に物乞いをさせようとする親が増えてしまうのだと思うととてもできなくなりました。善意のつもりが、彼らの不幸を拡大再生産させているのだと思って。

コーチはそれでも自分はあげる、と言っていました。「一年後のことなんか知ったことか。今日この子たちが何か食べられるならポケットの中身全てばら撒くさ。そういう理屈を捏ねるやつに限って単に金を惜しんでるのさ」って。

そうなのかなぁ。私にはよくわからない。着飾った人間が、裸足の貧しい子供たちに小銭を撒くところは私にはとてもグロテスクに思えて、後で悪い夢を見そうだと思うのです。貧しい国でキリスト教に改宗する子供が多いのは、協会に行けば食べ物が貰えるからだとか。小銭をばら撒く自分はまるで彼らを蔑み支配しようとしているかのように感じます。力や金でヒトの心を捻じ曲げられる時はやっぱりあると思う。私の短慮が彼らをより不幸にしている気がする。でもそれは私が怯んでいるだけなのかもしれない。先日の戦場のフォトグラファーでも思いましたが、自分の良心を信じることが一番難しくて大きなハードルなのかもしれません。その困難に常に立ち向かっていられる人たちは本当に凄いと思う。

ボブ・ゲルドフが悩みながらも今まだ怯まないでいるのだとしたら、本当に凄いなぁと思うのです。その強さを分けて欲しい・・・

Saturday, May 27, 2006

【Book】パロティングが招く危機 The Danger of Parroting

【本】石川旺.2004.『パロティングが招く危険: メディアが培養する世論』.リベルタ出版

この本はかなり面白いです。

書いてあることは当たり前のことばかりです。
「大新聞は公正だと思われているがそんなことない」・・・って。
イマドキ公正だと信じている人いるかしらぁ・・・。
ちょっと時代遅れな感じが否めません。

というわけで主張は何も新しくない。
新しいのはデータが伴っていること。
きちんとデータをとって話しているのが好感持てます。

例えば、話題別に各紙の記事数、その結論と、読んでる新聞別の世論調査の結果を比べたりしています。そもそも記事数の比較からして面白いです。

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 「あなたは小泉内閣を支持しますか」と聞かれた場合、私たちは「支持」「不支持」それぞれに答える。その答えは私たちそれぞれの「意見」として扱われる。しかしその意見はいったいどこから出てきたのだろうか。突き詰めて考えてみると、その意見がどのように形成されたのかはなかなか明確にできない。
 内閣の支持や不支持の理由として、たとえば経済政策をあげる人がいるかもしれない。「経済政策があまりうまくいっていないから」という理由で不支持を表明する人もいるかもしれない。しかし、経済政策があまりうまくいっていないから」という理由で不支持を表明する人もいるかもしれない。しかし、経済政策があまりうまくいっていないということは何を根拠にして判断したのだろうか。株価なのだろうか。金融機関の危機的な状況なのだろうか。
 そのあたりの状況が把握されていればその意見の形成のプロセスは理解できる。しかし多くの人が、なんとなくムードで小泉内閣への支持・不支持を決めている可能性があるのではないか。その場合の「なんとなくムード」というところに、マスメディアが大きくかかわっているのではないだろうか。
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 内閣支持率のような重要な事柄について、メディアはしばしば世論調査を実施し、その結果を大々的に発表する。私たちはその結果を手がかりに、全体として、人々の意見の大勢はどこにあり、社会全体はどのような方向に向かっているのかを知ることになる。しかし、このように考える際には、私たちの「意見」は理性的な判断の結果であるという前提が必要である。そしてその前提を満たすためには、重要な事柄について、質の高い情報が私たちに十分に供給されていなければならない。個々の事柄について多角的な情報が入手可能であることにより、私たちはそれらの活用によって理性の産物としての自らの意見を形成する機会を与えられる。民主主義社会において、自由で独立したメディアが重要とされるのはそのためである。
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 あるグループでは支持率は四四・五%、不支持率は四六・三%であり、不支持が支持を二%近く上回っている。別のグループでは支持率が五八・〇%、不支持率が二九・〇%であり、支持が不支持を三〇%近くも上回って、ほぼ倍の数値を示している。(中略)前者のグループは朝日新聞講読世帯、後者のグループは読売新聞講読世帯である。
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 日本の家庭は圧倒的に一紙講読であり、複数の新聞を購読している世帯はごくわずかである。今回の調査においても、複数紙講読世帯は全体の五%未満であった。
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 そして、同じ読売新聞購読者でも、新聞を毎日一五分以下しか読まない人の小泉内閣支持率が五五・一%であったのに対し、毎日一五分以上読む人々のあいだでは支持率は五八・七%あった。閲読時間が長いほうが影響の度合いが大きいと考えられる。ただ、この差は統計的に持つ意味がやや弱かった。
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 現に、日常生活で土地を買うとか、自動車を買い替えるというような重要な決定をするときには、私たちはさまざまな情報を多角的にチェックする。しかし、政治の重要な部分に関して、そのような複数情報源のチェックは一般化していない。
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 一九五〇~七〇年代の新聞を読み比べてみると、現在よりもはるかに各紙のあいだの論調の差は少ない。この状況に大きな変化が生じてきたのが二〇世紀の終わりの十数年であった。具体的にいえばこの間、読売新聞が朝日新聞や毎日新聞とはっきり異なる主義主張を述べるようになってきた。
 そのこと自体はむしろ望ましいことであるのかもしれない。メディアがさまざまな問題についてさまざまな主張を展開するということは、受け手の側からすればより多様で豊かな情報を入手できる可能性を意味するからである。ただ現在の問題は、私たちの多くが、大新聞はみな公正・中立な立場をとり、意見が対立している問題については双方を公平に取り扱い、バランスのとれた論調を展開していると理解していることである。
 現状ではそうではない。それぞれの新聞のあいだには明らかな論調の差がある。それゆえ一紙だけに依存し、それを情報源として社会の出来事を理解していくというやり方は今日においてはあまり賢明ではない。
 さらに問題なのは、私たちの多くが単一の情報源を活用し、その情報源の論調から無意識のうちに影響を受けながらさまざまな争点に関する意見を形成していることを承知のうえで、一定の論調を強力に展開し、あるいはキャンペーンすら行なうという活動が今日では行われていることである。
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【Book】Ishikawa, Sakae. 2004. The Danger of Parroting. Tokyo: Libertashuppan.

【Book】レトリック感覚 Sense of Rhetoric

【本】佐藤信夫.1986.『レトリック感覚: ことばは新しい視点をひらく』.講談社.

私の手元にある版は古いのか、この写真とは違う表紙です。

うーん・・・ちょっとこの「レトリック」論は誤解を招くような気がします。あんまり好きじゃないナ。この本の言う「レトリック」は、論理性を度外視しているので・・・。詭弁術に近いものだとしてしまっているような・・・。

ちなみにこの本では夏目漱石を「近代日本の数少ないレトリックの達人のひとり」と表現しているのですが・・・。漱石の講演を読む限りでは彼はあまり上手な弁者ではなかったように思います。話が抽象的になったまま具現化しないという悪癖があったように思えるからです。雲を掴むような話が多い。良いディベータは抽象論と具体的な事例の両方を上手く一つのスピーチに入れ込むものだと思います。やはり、この本の中ではレトリックはあくまでも人目を惹く比喩とか言葉のあやという意味で使われているのでしょう・・・。

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 レトリックということばは、すでに日本語であり、そのへんにざらにある小型の国語辞典にも、たいていのっている。もっとも、その見出しの下には説明がなくて、「修辞」の項目を見ること、という指示でそちらへ回想されるかもしれないが、ともかく、《ことばをたくみにもちい、効果的に表現すること、そしてその技術》というような意味で、私たちはこの用語を使っている。

 話を聞いたり文章を読んだりするとき、そこに組み込まれている、独特な、ちょっと変わったことばづかいによって、興味をそそられたり、一種の挑発を受けるような場合、そこにレトリックがあると言う。私たちは、ふだん、「レトリック」ということばを、そういうかなり漠然とした意味あいで使用している。それは良し悪しは別として、言語表現に特異な効力を発揮させる技巧とでも呼べば呼べそうなもののことである。
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いや、じつを言えばレトリックとは、はじめは文学的効果などを目的としたものではなく、ひたすら討論に勝つための技術であった。
 私たちは、論争で言い負かされるのがあまり好きではない。たくみな論法で、返すことばもないほど説得されながら、腹の底では納得できず、何だかまるめこまれたような気のすることがある。・・・・・・・私たちはときどきレトリック効果に腹を立てる。
 じっさい「レトリック」ということばを耳にするとき、私たちの念頭にはしばしば《あげ足取り、言いつくろい、巧妙な言いのがれ》というような、あまりかんばしくない連想がただよう。
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 ソクラテスを主役にした対談や座談会形式の書物をずいぶん書いたプラトンは、あちらこちらでレトリック批判をしているが、その一さつ『ゴルギアス』のなかでは、あらまし次のような意見を述べている(自分では本を書かなかった師匠のソクラテスに、発言させているのだ)、すなわち―レトリックは聴衆の《善》意識にうったえるのではなく、むしろ《快》感にうったえ彼らに媚びる迎合でしかない、そして真の裁判術に対するレトリックの関係は、体育術に対する化粧法、医術に対する料理法のようなものだ―というたとえを持ち出したのであった。
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 発生期には説得術というあくまでも実用的な機能を担当するつもりでいたレトリックは、やがて自分にそなわるもうひとつの可能性に目ざめることとなった。それが、おおまかに言えば、芸術的あるいは文学的表現の技術という、第二の役割である。
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【Book】Sato, Nobuo. 1986. Sense of Rhetoric. Tokyo: Kodansha.

【Book】演説と討論の手帳 Adversaria for Speech and Debate

【本】大久保忠利.1957. 『演説と討論の手帳』.春秋社.

いやー・・・。こういう活動って当時の日本では社会主義的・・・だったんでしょうか・・・?なんだか「スターリンの思想では」とか「毛沢東によれば」っていうセクションが多すぎてビックリです。民主主義もスピーチやディベートをその象徴と主張しているので、本来そういう思想的な偏りは特になかった筈ですが、戦後輸入される時にそちら側から入ったんですかね・・・?集団の意思決定システムにむっちゃ夢を見てる感じがします。 なんかよくわかりませんけども・・・。ああだから一部の学生団体がいまだに社会主義っぽいのか・・・(?)

しかしここで偶然ながら発見!!
朝日討論会についての詳しい説明が!!!おおお。これが噂の。
論題の例も書いておいてくれればいいのにと思いますが、
スコアシートなども載っているので良しとするべきでしょうか。

全体的に妙にストイック。
あーするな、こーするな、という注意事項が多く(例えば勝ち誇った態度はいけないとか)、
既にこういうスピーチ態度が良いものという価値判断がされています。
ちょっと不自由そう。

ちなみに、ここで「外国の討論会」と言われているのは明らかにアメリカのもの。
アメリカ一カ国の例から「外国の」とまで一般化してしまうのはどうしたことか。
それとも中国やロシアにNDTみたいな大会があったのだろうか・・・

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社会の発展のための道具である、コトバは、よく使われることによつて一そう生きます。コトバにより人々は考えを伝え合い、協同して社会の運営に参加しており、またコトバにより人々の闘争は組織されて集団的な力ともなります。
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 ハッキリ言えば、実に、日本人は話がヘタクソである。ただ一人の人にも十分に話しのできない人だったら、どうして数人、数十人、数百人の前で、人に十分に聞き入れられる話しができよう?
 しかも、フシギなことに、話しのヘタクソな人ほど、自分がヘタクソだと思わない。また思っても、どうすればもう少し上手に話せるようになるかを、研究しようともしない。そして、ヘタクソのままで一生を終ってしまう。
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 外国の討論会は、多く、毎年の重要な学生の行事の一つになっており、各大学には「討論部」があり、これに入るのは容易でないとともに、優秀な討論者は高校時代から注目されて、大学に入ると入部を勧誘される。そして、部では上級生やコーチに烈しく訓練され、シーズンの始まる前、六週間も、来るべき討論大会のために協同してその年の題目について研究する。その場合、出場する者は二名か三名であっても、部をあげて準備し、自分が出場する時の準備の方法を身につける。
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【Book】Okubo, Tadatoshi. 1957. Adversaria for Speech and Debate. Tokyo: Shunjusha.

【Book】SPSSによる多変量データ解析の手順 Multivariate Data Analysis with SPSS

【本】石村貞夫.2005.『SPSSによる多変量データ解析の手順 [第三版]』.東京図書株式会社

SPSSはまともに動いてくれるようになり一安心。しかし作業は遅れている・・・遅れている・・・遅れている・・・わけです。えーん。今日は土曜じゃないですか?(怒)

私の入力作業がとても遅いのは、ソフトの操作性に慣れていないためではないかと思ったわけです。ササッと読んでみました。・・・・・別にそういうわけでもないみたい。えーん・・・地道に打ち込むしかないのね・・・まあでも幾つか新発見をしたのでまあいっか・・・。

しかしこういう本って余白やイラストが多いですよねー。

【Book】Ishimura, Sadao. 2005. Multivariate Data Analysis with SPSS. Tokyo: Tokyotoshokabushikigaisha.

Thursday, May 25, 2006

【Internet】ウィキぺディア Wikipedia

【Internet】ウィキぺディア

衝撃の事実。

先ほど中国の友人とチャットしてたんですけど・・・
「最近ウィキぺディア開けないのよー」って...

マジッ?!

思わずビックリして「ええ?いつから?」と訊いたら、
「少なくとも去年の夏使えたのは覚えてる」って・・・

・・・うわー・・・
マイクロソフトもグーグルもあなたのところの政府には逆らえないもんねぇ・・・
って感じです。

ほえー・・・ウィキペディアもダメになっちゃったんだぁ・・・
やぁービックリしました・・・。

ちなみに北京滞在中はHotmailやGmailすら開けられなくて不便しました。
今はあの頃より更に規制かかってるわけでしょう?凄いですよね。
その割りに皆なんでも知ってるけど・・・。
結局他のサイトにバイパスすればどっかで情報は手に入るってことなんでしょうね・・・。
でもそれなら不便なだけであんまり意味ないですよね・・・。

【Internet】Wikipedia

Wednesday, May 24, 2006

【Song】遥かな人へ The Long Road

歌】高橋真梨子.1994.『遥かな人へ』

冬季オリンピックネタでもう一つ。
普段はあまりスポーツ見ないんですけどね(ポリポリ)。

私が一番熱中して見たオリンピックは今までのところ1994年2月のリレハンメルです。
入試の真っ最中でした・・・(汗)。
冬季はスベリモノばっかじゃん、っていう(笑)
でも見たかったんだもん・・・。
オーモットを録画じゃなくてLiveで見たかったんだもん・・・。

オーモットは3つの金を期待される男、と噂されていました。
彼のインタビューでの受け答えはプレッシャーもなんのその。
いつもあっけらかんと、けれど闘志たっぷりで感銘を受けました。
無念金メダルは手にできなかったけれど、心に残る選手でした。
(後年「ノルウェーの選手で英語喋れるの彼くらいだっていうだけでは」という突っ込みをウケ、 かなり長いことショックでした。・・・・・・そうかな・・・・・・?ややや、けどコメントの中身も良かったよ?)
日本のノルディック複合チームが金メダルを獲った時は、
沢山の応援メッセージが書き込まれた旗を振り回しながらのゴールで、
大興奮の大騒ぎでした。
他にも女子シングルのアメリカ代表に関してのスキャンダルもありました。
色々色々山場が盛りだくさんな大会でした。

ちなみに学校はお休みしての観戦でした。
二週間も学校を休んでリレハンメル一色だった私。
しかし久しぶりに学校に出て行くとき困った困った。
なんせ入試期間真っ最中のズル休みです。
仕方ないので風邪でございと特大マスクをしていきました。
廊下で先生方に「おう、S木、大切な時に大丈夫か」と
声を掛けていただくたび良心が疼きました。 (ならすんなよっていう)
先生達今更ですがごめんなさい。もう時効ですよね?ね?ね?
ややや、考えようによってはあの複合チームのゴールの瞬間を見たことが、
入試の出来にもプラスだったかもしれませんよ、ええ、それはもう。

しかしそんなわけでNHKのリレハンメル・テーマソングだったこの曲、
特にサビがもう忘れられません。
まるで小学校高学年で唄うクサイ合唱のような歌詞なんですけど・・・
このメロディを思い出すだけで心は15歳に戻ってしまうのです(笑)

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人を愛するため人は生まれた 苦しみの数だけやさしくなれるはず
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【Song】Takahashi, Mariko. 1994. The Long Road.

【Book】Excelで学ぶ回帰分析入門 Introduction to Regression Analysis with Excel

【本】上田太一郎・小林真紀・渕上美喜.2004.『Excelで学ぶ回帰分析入門』.オーム社.

うーん・・・比較的おススメ・・・
これなら初心者でもついていけるだろうと思われる。しかし原理はあまりわからないかもしれない。統計は原理よりも慣れな気もするので、まあ良いのかも。とにかく操作手順は手取り足取り書いてあって安心。けどやっぱり横着せずSPSS使うべきだと思う今日この頃・・・。しかしアップデートしたらライセンス登録が上手くできなくなってしまって大弱り。えーん・・・。なんでだよう。。。

回帰分析の範囲設定で延々と数値以外のセルがあるとダメだしをされてキレそうな私・・・。ないぞ数値以外の設定になってるセルなんて!
あ!!小数点が一つコンマになってた!! ぐおー・・・

【Book】Ueda, Taichiro, Kobayashi, Maki and Fuchigami, Miki. 2004. Introduction to Regression Analysis with Excel. Tokyo: Omusha.

【Video Clip】氷上の三銃士 Three Musketeers on Ice

【ビデオクリップ】フィリップ・キャンデロロ.1998.『氷上の三銃士』.長野冬季オリンピック.

ひょんなことから見つけてしまいました。この懐かしのビデオクリップ。

かっこよすぎるーーーーーー!!!
いやこれは惚れるでしょう。つーか惚れたでしょう。
すみません・・・。ミーハーで。
当時この観客と同じように黄色い声を上げまくった覚えがあります。
いやー、今見ても凄い!You Tube様様です。(上のタイトルのリンクから見れますからネ)

音楽と衣装と技が全て素晴らしくコーディネートされていて魅力たっぷりです。
オリンピックの大舞台でよくここまで技術点ではなく観客優先の演技ができるなぁ・・・と
当時も思いましたが、このビデオでは解説のお兄さんがそれらしいことを言っています。
何よりも見所はリンク中央を突っ切るステップ。三分半くらいのところで登場します。
いや、もうあれは凄い。何で音楽とあんなに合ってんの!!??
しかも本当にフェンシング持ってるように見えてくる・・・
もうファン総立ちでしょう。これは。凄い凄い。技術より演出がかな。でも凄い。
あと騎士気取りでいかにも腕に女性をエスコートしてるなってシーンもあるんですが、
そこではエスコートする(女性がつかまっているのであろう)腕が全然ぶれない。
殆どパントマイムの世界です。いやー、あれも美しい。
ざっつえんたーていめんと。

実は冬季オリンピックが結構好きな私ですが、
リレハンメルはオーモット、長野といえばキャンデロロ、トリノは荒川に釘付けでした。
今のところ男子シングルのフィギュアでキャンデロロを越える感動をくれる人はいない・・・

【Video Clip】Phillipe Candoloro. 1998. Three Musketeers on Ice. Figure Skating. Nagano Olympics.

Tuesday, May 23, 2006

【Book】あえて英語公用語論 Daring Support for English as an Official Language

【本】船橋洋一.2000.『あえて英語公用語論』.文藝春秋

解りやすい本。比較的現代的な感覚が安心させてくれる。

でも公用語にはまだちょっと抵抗感がある・・・かな。他に手があるかって言われればその通りなんだけど・・・けどけど、英語が公用語化された他の国では現地語がどんどん死滅していってるじゃないですか・・・。

いつか国語の授業もきっと漢文なんかから真っ先に切り捨てられて、漢詩が読めないどころか、中島敦の山月記なんか読んでも私らとは全然受け止め方違う子供たちばかりになるんだ。そんで次は古文が割愛されるようになって、文部省唱歌の意味も解らなくなって、ちょっと古風な言い回しや表現の肌触りがドンドンしなくなって・・・やっぱりちょっと淋しいです。言葉の肌触りって無形文化財みたいですね。でもこの将来は英語が公用語にされようとされまいと変わらないのかナ。セツナイですね・・・。

関係ないけど今日のBGMはFirst Loveだったりします。なんで今更って気もするけど何かそういう気分です。こういう音楽聴きながら作業してると頭カラッポになってる気持ち。ひたすら機械的な作業する時には向いてるなぁと思います。ビートとメロディさえあれば歌詞は二の次。まるで本能のようにビートに合わせてExcel作業とか。ただ、妙にメロメロしてくる音楽は、それで良いのか自分、って気も・・・。ま、いっか。音楽とか絵画とかダンスとか、あと恋愛とかは頭使わないでただ振り回された方が楽しい時もありますよね。むしろ振り回して欲しいというか。ヴォーカルの声が伸びた時に自分の心まで伸びてる気分がすれば単純に心地良いさ。良いさ良いさ。けど宇多田ヒカルってあんまりノビとかタメとかないですよね。もっと思いっきりノビたいナって部分が結構ある・・・。

文章とかでもこういうノビを感じさせてくれるものってあるじゃないですか。グーって心のどこかが伸びてるのを感じるの。大きな声で伸びやかに朗読したいような文章。自分の子供にその部分を朗読してやりたいって思うお母さん達って多いんだろうなって思います。童謡唄ってあげるのとか、童話読んであげるのとか、相手に意味がわからないかもって思っても詩の読み聞かせしちゃうとか、同じじゃないですかね。このノビを子供と共有したいっていうお母さん。絶対いると思う。「声に出して読みたい日本語」とかだから売れるんじゃないかと。私自身母が甘い声で諳んじてくれた詩歌ってその声と一緒に覚えてたりしますもんねぇ。小さい頃は意味も解らず覚えてしまったその詩を大きくなってしみじみ感じ入るようになってたり。母親の子供に対する支配欲かな(笑)「あたしのこの声、この響き大きくなっても覚えててね。ふとした時に思い出してね」って。だからこそできるだけ美しい作品を選ぶ。結構グッとくる気持ちな気がする。子供たちが英語をメインに生活するようになったらそういうのできなくなりそうですよね。何か可哀想・・・。消えゆく言語たちかぁ・・・。

・・・ほらね・・・。
音楽聴いてると文章まで頭使わないで書いた感じになっちゃうんですよ。
日常化したら良くないよね。

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 ここで、英語の問題が重要になってきます。それを遂行するには、国際語である英語のリテラシー(識字能力)とそれを使いこなすコミュニケーションの能力なしには、実際問題としてできないからです。
 そうした能力を飛躍的に向上させないことには、日本は、二一世紀もまた二〇世紀と同じ失敗を繰り返すのではないか、との不安を抱くのです。
 東洋の一角にあって、列強の圧迫の下、独立を維持し、近代化を成し遂げ、戦後、再び立ち上がった日本の二〇世紀の歴史をすべて「失敗」で片づけるつもりはありません。
 しかし、日本の失敗と過ちをも冷静に振り返っておくことが大切です。
 その中で、ひとつ、日本と日本人が、十分に意識せず、準備をしてこなかったための「失敗」があったという気がしてならないのです。
 それは、一言で言うと「対話」の失敗です。
 日本人の多くは、世界の国々、人々とともに共通する問題に取り組み、秩序の青写真を持ち寄り、相互理解と相互信頼を築き、平和と繁栄の仕組みを作り上げていきたい、と望んでいると思います。
 それは、恐らく戦前の多くの日本人も望んでいたことでしょう。
 にもかかわらず、そうした気持ちをどのように表すのか、どのような概念を練り上げるのか、それをどのように具体的な形に示すのか、それを隣国との間で、地域の中で、世界の中で、相手の利害や立場とも折り合わせながら、どのように成り立たせるのか、そもそもどういう相手とそれを進めるのか。
 そうした「対話」の精神と形を、日本は戦前、十分に作り出すことができないのではにか、そして戦後もまた、この点に関してはそれほど変わっていないのではないか、と思うのです。
 軍事力でも経済力でもなくソフト・パワー、それも言葉の力がますます重要になってくる世界の中で、日本には厳しい時代がやってきたとの自覚が必要です。
 日常生活の中で言葉の力を貫徹させるのをためらうこと、言葉による「対話」のための真摯な努力が不十分なこと、政治と外交において演説や表現が軽視されがちなことなど、すべて大きな課題となってくるでしょう。
 たとえば、過去の歴史問題を突きつけられた時、日本がなぜ、ああまでぎこちなかったかは、さまざまな背景があるでしょうが(もちろん、どの国の社会もこうした問題に直面した時はぎこちなくなるものです)、その一つ(あくまでも一つです)は、言葉の力への感度不足、認識不足と「対話」への参画不足に問題があるという気がしてなりません。
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英語に限らず、言語のパワーの要素に直面することを日本人はことさらに回避してきたきらいがある。(中略)言語がパワーであり、自からのメッセージを表現しようとすると、その磁場に力強く侵入していかなければならないこと、相手のメッセージを評価、分析し、それを打ち返さなければならないこと、そういう言葉のエンゲージメント(関与・交戦)は避けられないことを日本の言語教育(英語教育も含む)は、まるで考慮に入れていない。(中略)要は、コミュニケーションの訓練が足りない。(中略)それは論理と条理と情理と言葉の共有作業である。それには訓練が要る。
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【Book】Funabashi, Yoichi. 2000. Daring Support for English as an Official Language. Tokyo: Bungeishunju.

Monday, May 22, 2006

【Book】福翁自伝 The Autobiography of Fukuzawa Yukichi

【本】福澤諭吉.富田正文校注.1997.『福翁自伝』.慶應義塾.

私の手元にあるのは、岩波版ではなくて義塾版です。大学入学の時の記念品でした。非売品なのでオンライン書店では出てきませんね・・・どうやらもともと書かれたのは明治32年だったようです。
なんか自慢話が多い・・・です。うーん・・・。知りたいところが書いてない。

ところで慶應義塾発行の割には本文の慶應は慶応と表記されている。学生には煩く言うくせにぃ。

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たとえば前にも申したとおり、学生から授業料の金を取り立てることなり、武士の魂という双刀を捨てて丸腰になることなり、演説の新法を人に説いてこれを実施に施すことなり、または著訳書に古来の文章法を破って平易なる通俗文を用うることなり、およそこれらは当時の古風家にきらわれることであるが、さいわいに私の著訳は世間の人気に投じて、渇する者に水を与え、大旱に夕立のしたようなもので、その売れたことは実に驚くほどの数でした。
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以下は、富田正文による注。
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演説は日本の昔にはその習慣がなく、明治の初め福沢らが慶応義塾で始めたことである。外国のスピーチを日本にも行おうということで、明治六年梅雨のころから演説討論の練習を始め、明治八年に日本最初の演説会堂たる三田演説館が慶応義塾内に建てられた。現在この演説館は国指定重要文化財になっている。
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【Book】Fukuzawa Yukichi. Tomita Masafumi ed. 1997. The Autobiography of Fukuzawa Yukichi. Keio University.

【Film】許されざる結婚 Forbidden Marriages in the Holy Land

【ドキュメンタリー映画】クレイフィ,ミシェル.1995.『許されざる結婚』.66分.カラー.

ネタバレが多く含まれますのでご注意願います!

土曜日の夜に、アテネ・フランセ文化センターで観てきました。
上映後、酒井啓子さん、臼井陽さん、佐藤真さんのパネル・ディスカッションもありました。

ユダヤ人とパレスチナ人をはじめ、イスラム教徒のアラブ人とキリスト教徒のアラブ人など、異教徒間結婚についての作品。8組のカップルにインタビューしていました。

どのカップルも、凄く素敵な人たちでした。それぞれ、色々複雑な背景に考えさせられたり、それでも一緒になることを選んだ「身を焦がすような恋」っていうんですか、そういうのに感動したり・・・したのですが、ひとつ気になることが。 (酒井さんもその後のトークで言ってましたけど)

あるカップルへのインタビューで、「この結婚にあなたは満足していますか。色々あっても幸せですか」と質問されて、奥様が「ええ。この人が好きですもの」と、「ヤバイこの人可愛い」って感じの表情を見せていました。が。その直後、同じ質問をされたご主人。「うちの奥さんは素晴らしい料理ができます」

・・・・・・。

そこかよっ!!!
(さっきの感動を返せ!)

日本では「お袋の味」とか言われたら百年の恋も冷めると言われてますが・・・
これはイスラエルでは許容範囲な返答なんでしょうかね・・・?

そもそも、男と女じゃ失うものが違う的な発言をする奥様も登場します。敬虔なムスリムの場合、異教徒と結婚した女は死刑に値するのだとか(恐るべし、シャリア法)。これは男性には当てはまらないらしく、学校の授業中意見を求められて「何故男女で扱いが異なるのか納得できない」と発言する女生徒もいました。まあともかく、女性が異教徒に恋するなんていうのは姦淫罪扱いで、これが異教徒かつ異民族、しかもユダヤ人ともなるともう「これ以上重く恥ずべき罪はない」のだそうです。ほへー。ぐっと来たのは、「私の兄達は、私を殺すまで自分は結婚をしないと誓いを立てて、毎晩お祈りの時に私を殺せるよう神に祈っているのです」と寂しい目を見せるアラブ系の奥様の話でした。それはきついよねー・・・なのに隣で旦那が「僕の家はそういうことはないなぁー」って。お前!そんな暢気に!!

キリスト教アラブ人の男性とユダヤ人の女性というパターンでは、二人はどうやら音大で知り合ったようなのですが・・・男性の方は音大の教員になって、夢だった音楽を教える仕事に毎日を費やしていました。ひるがえって奥様の方は、アラブ人との交際が周囲に知れてクビになったと。でも現在の仕事場に移ってから問題は大きく減った・・・と言うのですが・・・。現在の仕事は、というとコンピュータのセキュリティ管理。「大学ではコンピュータの勉強もしたんですか?」と訊かれて、寂しそうな顔で「いいえ。全く。こうなって初めて一から勉強したの。夢に関しては妥協せざるを得なかったわ」と。その後個別のインタビューで、奥様は「こんなところ早く出て行きたい。全然違う場所でもっとのびのびと暮らしたい」とかなりヒステリックに言っていました。おわー。ストレスたまってんなー。やっぱ大変なんだなー、と思ったら・・・・・・。旦那は「ここでの生活は快適です。僕は都会が向いています。新刊が出ればすぐ目を通したいし、生徒たちも熱心だし、アラブとユダヤの両方の学生を教えられるのは魅力的です」と。。。うーん・・・・・・。都会は都会でももっと別の都会で暮らしたいのでは。奥様は。始終白眼視されて割り食ってんの奥さんだもんね・・・。旦那わかってねーな・・・。(ちなみにこの旦那、すごい知的なハンサムで、口調も柔らかで素敵でした(笑)。それだけにこの最後のシーンはムッチャがっかりしました。)

うーん・・・・・・。
燃えるような恋も良いけど、フェアでないと後で腹立つかもしんないぞ、ってことですかね。

あれ・・・?待てよ・・・?
マレイシアの友人でクリスチャンとムスリムのカップルを知ってるんですが・・・
あれって・・・ええっ・・・?大丈夫なのか・・・?
彼女の方が大して敬虔な家庭じゃなければ大丈夫なのかな・・・。うーん・・・。

【Documentary Film】Khleifi, Michel. 1995. Forbidden Marriages in the Holy Land. 66min. Color.

【Book】論文のレトリック Rhetoric in thesis

【本】澤田昭夫.『論文のレトリック』.1983.講談社.

どわー!と叫びたくなるような大胆な「日本人とレトリック」論。単なる「日本人なら以心伝心、沈黙は金。」型の意見ではないところは好感を持てるのですが・・・同じくらい大胆な論理展開。こんな大雑把にこんなん言ってよいんかいな・・・。うーん・・・。鋭いようないい加減なような・・・。

ちなみに「ESSのディベート」と「議会討論(パーリアメンタリー・ディベート)」について言及している部分もありビックリ。しかしうーん・・・この部分もやっぱり内容は激しく大胆です・・・(汗)。ちなみに著者は1928年生まれです。現在80歳近いってことですか・・・。いつの時点でESSや何処でパーリアメンタリー・ディベートに触れたのでしょうか・・・。書かれたのが1983年ということは、NAFA以前のESSや、特大プロポ(モーション)時代のイギリスのパーラを想定しているんだろうなぁ・・・現状を議論するにはアウトですよね。一般の読者にはそんなこと解らないだろうしなぁ・・・。学術文庫恐るべし。

ちなみに、「日本人は根まわししたがるからディベートが下手」というのは嘘だと思いますね。イギリス人だって根まわしは大好きだと思いますよ。World Councilでの決定の陰にはパブで飲みながらボショボショ話しているアングロサクソンの男性陣がつきものです。最近はアングロサクソンに限りませんけれども。伝統的にはアングロドミナント・メールドミナントな根まわし文化が歴然とあります。日本のパーラ・ディベート界のように男女比に偏りがない集団がその根まわしに食い込んでいくにはかなり継続的な努力が必要です。代表者に女を立てるなら、まず彼女が平均的な男以上に飲めることが重要です。アホかと思うでしょうし、実際アホな話ですが、飲み会で勇姿をご披露した後の男性キーパーソンズの態度は明らかに変化するのです(汗)。そう、まずはボス格に飲み勝負を挑んで酔い潰しましょう。その後ダメ押しに介抱してあげれば力関係の変化はより確実なものになります(笑)。

議会討論が論理的?はっ!論理性(ロゴス)が聞いて呆れます。
(別にNDT方式だともっと論理的だという意味ではありません。正直変わらないと思います。)

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 このように、レトリック、論争、問答は日本にもあったのですが、それは感情(パトス)、倫理(エトス)中心のレトリックでした。感情、倫理中心のレトリックがありすぎたために論理(ロゴス)中心のレトリックがうまく育たなかったといえましょう。
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 大学のESS(イングリッシュ・スピーキング・ソサエティー)のディベートも大同小異です。これは英語のレトリックのまねごとですから、議会答弁よりも論理的弁証において優れているように見えますが、よく聴いていると、天正時代の安土宗論を思い出させる場面が少なくないことに驚かされます。英語でもって「汝は甲を知っているか」、「知らない」、「それ見よ、負けじゃ」とか、「汝の議論は、誰でも知っているはずの乙について深い無知を示した。よって汝は負けじゃ」という調子の、論証ならざる力ずくの舌戦が展開されることが多いのです。
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 日本で論理的レトリックが育たないもうひとつの理由は、論証的レトリックの最大の推進機関であるべき議会討論(パーリアメンタリー・ディベート)がないがしろにされているということ、議会討論、会議での討議によって重要な決定を行なうという伝統が確立されていないということです。会議での審議は重要視されず、重要な決定は、「根まわし、かきまわし、あとまわし」で、会議の場ではなく、舞台裏の適当な談合の場でなされますから、会議場での論証的レトリックは発達しません。
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 論理的レトリックのルールを皆が体得していなければ、合理的な選択と決定の積み重ねとしての会議の運営はできません。会議は単なる意見の羅列に終ってしまいます。多くの日本人学者の論文が事実の羅列に終って論文の形をなさないのと対応する特徴です。参加者が論証レトリックの進め方を知らないので会議はうまく機能しない。機能しないから議会や会議は軽んぜられる。したがって論証レトリックは発達しない。こういう悪循環が起こっています。
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 日本文化というのはこういうものなのだからしかたがないといってしまえばそれまでですが、日本人が、もうそこにやってきている地球時代に孤立したくなければ、国際的競争と協力の有力なパートナーとなりたければ、どこかで論理的レトリックの〔下手―軽視―下手〕という悪循環を断ち切って論理的弁証レトリックをマスターせねばなりません。
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 「日本人学者が書く論文は何をいおうとしているのか解らないものが大部分である。なぜか」。こういう質問をサレー大学のP教授から受けたことについては本書の第一章で述べました。(中略)
 私の答は「日本人学者が英語の論文をうまく書けない理由は、しゃべること、オーラル・コミュニケーション(OC)、レトリックへの嫌悪、軽蔑にあります」というものでした。
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 まずOCに対する嫌悪、軽蔑の理由です。第一は心理的理由です。必ずしも自分の責任ではないのですが、外国語では話せないというのが日本の学者、皮肉なことにとくに外国語教師、外国語文学教師の大部分です。しかしそういう人々も内心では話したい、話せたら便利だと考えています。
 自分が所有したいが所有できぬもの、それを軽蔑するというのは解る心理です。政治制度や社会のインフラストラクチャーで西欧諸国に遅れをとっていた十九世紀のドイツやロシアのインテリは、文化と文明、クルトゥーアとチヴィリザチオーンとを区別して、自分たちには西欧諸国にはない高級な内的精神文化があると主張し、文明は外的なもの、低級なものとして軽蔑しました。それと同じように、外国語を話せぬ日本の外国語外国文学教師は、「自分はより上等な文化と教養の担い手である。ペラペラしゃべる人間は軽佻浮薄な低級人間だ」ときめつけます。
 第二の理由は、ほんとうの理由である第一の理由をカモフラージュするためにでっち上げられた文化的理由です。それは「日本は単一農耕民族社会なので、日本人は互に話をしなくても以心伝心で意思が通じてしまうし、それだから口下手でことばもあいまいになるのに対し、西洋は多民族で言語的アナーキーの社会だからどんなにつまらない問題でも論争なしには解決できないので自然に西洋人は能弁になる」というのです。
 この理由は、本来反論の価値もない荒唐無稽な理由ですが、あまりにもしばしばもち出されるものですから、ひとこと論駁しておかねばなりません。多民族社会はスイスのようにマルチリンガリズム(多言語併用)現象を生むかも知れませんが、能弁を生むとはかぎりません。キケロは異民族との意思疎通をはかるために能弁になったのではありません。西欧人といっても、北スウェーデン人はふつうの日本人よりはるかにだんまり屋だし、北ドイツ、デイットマルシュの住民ほど寡黙な人間は日本では見当たらないでしょう。ちなみに日本人、とくに庶民はむしろ饒舌だし、日本は語りもの、説教、落語など、考えてみればきわめて豊かなOCと口頭文化oral cultureの伝統をもっています。もちろん能弁と饒舌が直ちに論理的レトリックを生むとはかぎりませんが、少なくとも日本文化が沈黙の文化だといえないことは明らかです。稲作文化の中国には「寧鳴而死、不黙而生」(黙って生きるより、しゃべって死ぬがまし)という格言もあります。
 逆に西欧には弁舌、レトリックの伝統もありますが、それと並んで沈黙を徳とする伝統も厳存しています。旧約聖書はTempus tacendi, tempus loquendi「黙すべき時あり、語るべき時あり」(『伝道の書』三の七)と説き、西欧文化の一大源泉であり形成力である修道制も沈黙を尊んでいます(『ベネディクトの戒則』第六章)。Audite multa, loquere pauca (Bion)「多聴寡説」、Qui nescit tacere, nescit et loqui「黙れぬ者は語り得ず」とかWer viel redet lugt viel「饒舌家は嘘つき」などという言いまわしや格言もあります。また日本の腹芸に似たjudicium tacitum「沈黙のとりきめ」とかtacite loquitur「沈黙で語る」という風習もあるし、cor ad cor loquiturという一種の以心伝心の要素も西洋文化にあります。ことばのあいまいさambiguityといえば、外国語にはその例は無数にあるし、英語やドイツ語はあいまいだから、ラテン語かフランス語でないと哲学はできないという議論もあります。
 日本の学者がOCや口頭文化を軽蔑する第三の理由は、哲学的理由つまり文化とか学問は何よりも文字文化literary cultureとかかわるものだという信念です。文字や印刷術の崇拝に基くこの信念は、必ずしも事実に即しているとはいえない盲信ですが、西欧でも信奉者がなくはない、かなり普及した盲信なので、その反論はやや長くならざるを得ません。(中略)
 ルネサンス・ヒューマニストがギリシャやローマの文学テキストを再発見し、編纂し印刷するに熱心だったのは紛れもない事実ですが、もし彼ら、たとえばエラスムスが、ラテン語の語り、ラテン語による「しゃべり」を無視してラテン文字文化だけの復興に専心したと思ったら大間違いです。エラスムスは、ラテン語を生きたOCの手段、意志伝達の手段として活用しようとしました。
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【Book】SAWADA, Akio. Rhetoric in thesis. 1983. Tokyo: Kodansha.

【Book】ソクラテスのカフェ Un cafe pour Socrate

【本】ソーテ,マルク.堀内ゆかり訳.1996.『ソクラテスのカフェ』.紀伊国屋書店.

随分前に読んだ本で、最近読み返しました。このマルク・ソーテという人が始めた「哲学カフェ」はあっという間に世界中に広がり、彼の死後も続いています。哲学カフェというのは、週に一度カフェに集まって哲学的なディスカッションを交わすというもので、参加資格は不問というもののようです。ギリシアのアゴラでされた哲学に回帰しようというコンセプトがあったようです。ディスカッションのテーマも、誰でも参加できるように一般的なものが続いています。「暴力とは何か」とか。「はかない芸術も芸術か」とか。この本では、その哲学カフェがどのように行われたかエッセイ形式で書かれています。

読んで思うのは、誰とでも意見を交わそうというコンセプトには惹かれるものの、やはりある程度深くて面白みのある議論をしようと思ったら参加者が議論の基本的なルールを理解していることが不可欠なのではないか、ということでした。知識のレベルはともかくとして、議論のルールは知っててもらわないと創造的な議論にはならないのではないかと。ディスカッションというのは議論の焦点がずれ易いものだと思うので尚更だと思います。ディベートのようにゴールが限定されていないからこそ、進行には細心の注意が必要でしょう。

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哲学は、この一世紀以上というもの、科学の進歩によって「知」の領域から追い払われ、さらに近年は、実践的人文諸科学に地位を奪われてしまった。真理探究の鍵を握っているという自負は、量子物理学や生化学の成果によって物笑いの種にされ、その一方で、人間社会の真っただ中に入り込むことによって現実の問題解決をめざす社会学や政治経済学、心理学などの学問に席を譲らざるを得なくなった。哲学も抵抗するにはしたが、何ら手を打つことはできなかった。フランスでもドイツでも、啓蒙主義精神がもっとも顕著にあらわれたこの両国にあってさえ、哲学の失墜は阻めなかった。フランクフルト学派もカミュも無力だった。サルトルもその遅ればせの政治参加によって、哲学がかろうじて保っていたわずかな信頼を汲み尽くしてしまい、彼の死後は、輝かしい異端か、はたまた世俗的なご都合主義、このどちらかの後継者しか残っていない。片や、ドゥールーズ、フーコー、ボードリヤールだとかの面々、片や「新哲学者」たちである。光も熱も失ってしまった哲学は、今日では死んだ星、落ちぶれた神とみなされ、かつておのれが宗教に課した運命に甘んじているのである。
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 この自由で寛大な討論の形態はつねに誘惑にさらされており、それに負ければ、すぐさま泡と消えてしまうのだ。その最たるものは知性偏重主義、すなわち「糞まじめな」領域へと競って上昇しようとする傾向である。「哲学」である以上、この学問に固有の概念だけを扱い、完全に自分のものとした引用で武装した発言をし、カントやヘーゲル、ハイデガーだのを引き合いに出さねばならず、そこらのカフェの議論のような低劣な議論に身を落としてはならない、と考える参加者もいた。この立場から、こうしたタイプの知識を操れる人にしか発言させないとなるまでの間はほんの一歩で、実際、彼らは無頓着にその一歩を越えようとしていた。常連の弁の立つ人たちのうちの幾人かはこの方向で議論に介入し、どうでもいい奴らに言いたい放題言わせているといって私を非難した。
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 哲学に決まった対象はない。哲学とは、教えたり研究したりする「分野」ではなく、ある精神状態、自分の知性の使い方なのだ。哲学者に特定の対象はない。哲学者は、紋切り型や常識的世論、支配的なイデオロギー、宗教的啓示、科学によって出された答えなどから出発して、それらを吟味する。従って、どんな素材も哲学的考察の対象となる。新たに哲学を始める人も、テーマの立派さに怯える必要はない。そんなものはないのだ。哲学の対象に、特別なものはない。「哲学する」とは、すでに答えは与えられているが実際にはうまくいっていない問題を、文字どおり「再検討の対象とする」ことなのだ。答えは無数にあり、それらの答えが対立したり、矛盾し合うこともある。哲学者は、しっかり見て、その混乱を整理し、理性をレフェリーとするべく努める。
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【Book】Sautet, Marc. 1995. Un cafe pour Socrate. Paris: Robert Laffont.

Friday, May 19, 2006

【Song】学習院歌 Gakushuin's School Song

【歌】安陪 能成作詞.信時 潔作曲.1951.『新・学習院歌』

ある人が、「自分は学習院出身でもないのに、
若い頃聴いた学習院歌があまりに壮絶で忘れられない」と言っていました。
一節歌ってくれたのですが確かに壮絶という言葉が似合う歌詞とメロディに驚きました。
校歌というのは、希望に溢れた明るい言葉を長調で歌うのが多いと思います。
そんな中、学習院歌は随分と異質だと思いました。
けれど、確かに忘れられないし、その壮絶なまでの生命力に惹かれもします。
現在の歌になったのは、終戦直後、瓦礫と化した学習院が私学として再出発した際とのことです。

津波の傷が癒えきらないマレイシアを訪れた時、友人に言われました。
「被災者たちはあまりの被害に呆然としてしまって完全な再建にはまだ程遠い。
震災と戦災で二度死んだ筈の日本の都市はどうして復活できたのだろう。
当時の写真を見たことがあるけど本当にまっさらだった。草木も残らずって感じだった。
すべてがまっさらになった同じ土地で、どうしてもう一度やり直す気になれただろう。」

私自身はどちらの「死」も経験していませんから答えるのは控えました。
けれどこの歌にはその答えがかいま見える気がします。
人はいざという時とても強いもので、
インド洋津波の被災者の方達もきっと再建を果たすことでしょう。
その日が一日も早いと良いなと遠くから願います。

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一、
もゆる火の 火中(ほなか)に死にて  
また生(あ)るる 不死鳥のごと  
破(や)れさびし 廃墟の上に  
たちあがれ 新学習院

二、
花は咲き  花はうつらふ  
過ぎし世の 光栄(はえ)ふみしめて  
まなかひに 世界ををさめ  
現実を   生きてし抜かん

三、
なげかめや 昔を今と  
荒波よ   狂はば狂へ  
黒雲よ   ゆくてはとざせ  
我が胸は  希望高鳴る

四、
二つなく  享(う)けし我命(わぎのち)  
おのがじし 育て鍛へて  
もろともに 世にぞ捧げん  
常(とこ)照らせ  真理と平和
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ちなみに以下は、阪神大震災のときボランティアの皆さんが掲げたものだそうです。
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嫌なことを聞いたら、その”耳”を洗え
嫌なものを見たら、その”瞳”を洗え
卑しい思いが湧いたら、その”心”を洗え
そして、足は 泥足のままで 泥足のままで行け
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【Song】1951. Gakushuin's New School Song.

One told me that although she was not an alumna of Gakushuin, the school song of Gakushuin was so tragic and she couldn't forget it. The song was written in 1951, right after the war, when Gakushuin restarted itself as a private institution. And indeed, the song sounds very tragic. Most of the school songs are encouraging and full of hope. So, first this may sound a little strange. But it is indeed hard to forget.

I couldn't find a translation anywhere and translated into English myself.
Sorry if there are mistranslations.
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1.
Dying in burning fire,
Come again as phoenix does.
On the desperate and solitary ruin,
Rise, New Gakushuin

2.
Flowers bloom and flowers perish.
Treading on the honor in the past,
Staring firmly at the world,
Live and survive in this reality.

3.
Lament that the shiny time is no more.
Rampage, the ocean.
Cover the sky and hinder us, dark clouds.
Our hearts still beat with hopes.

4.
Holding the sole life tightly,
We shall educate and train ourselves.
For dedicating to the world all together.
May light our way, truth and peace.
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Thursday, May 18, 2006

【Article】理性的評価の何が悪い?(2) What's the matter with Matter? (2)

【雑誌記事】アイザック,セバスチャン.2005.「理性的評価の何が悪い?」.『モナッシュ・ディベーティング・レビュー』.4巻.44-46頁.モナッシュ・アソシエーション・オブ・ディベーターズ

ケビンのものと同じく、オーマーの記事への反論記事。
感性的評価なんてくそくらえ、という大変分かりやすいロゴス万歳論。

【Article】Isaac, Sebastian. 2005. What's the matter with Matter?. Monash Debating Review. Vol.4 pp.44-46. Melbourne: Monash Association of Debaters.

Another rebuttal article to Omar's in 2003. It says Manner based adjudication is lazy and Matter should be the main factor.

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The credibility of debating as a discipline turns on its ability to have meaningful judging. Without it, results don’t tell us anything and tournaments don’t mean anything. So every time someone tells me of a round that they have judged and says that manner was the decisive factor, it makes me cry a little inside.

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【Article】理性的評価の何が悪い?(1) What's the matter with Matter? (1)

【雑誌記事】マシー,ケヴィン.2005.「理性的評価の何が悪い?」.『モナッシュ・ディベーティング・レビュー』.4巻.42-43頁.モナッシュ・アソシエーション・オブ・ディベーターズ.

オーマーの記事への反論記事。
著者は第27回世界大会の審査員長。

【Article】Massie, Kevin. 2005. What's the matter with Matter?. Monash Debating Review. Vol.4 pp.42-43. Melbourne: Monash Association of Debaters.

A rebuttal article to the Omar's article in 2003.
The author is the Chief Adjudicator for the 27th Worlds.

The followings are quotations from the Kevin's article.
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It is true that most debating guides, adjudication guides and even some rulebooks indicate that matter and manner should be considered equally by judges, often as separate categories on a score sheet, or at least as separately described categories during briefings from Adjudication Cores. The growing trend towards matter-heavy adjudication is however a positive step towards more consistent, reliable and objective adjudication. Assessment of manner as a separate category only reinforces debating community. subjectivity in adjudication, and propagates some of the worst stereotypes that exist in the world debating community. I am certainly not advocating for debates with no style and no verbal artistry, however there is a gap between encouraging style among debaters and actually adjudicating it on some sort of objective scale.
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The first question that needs to be answered in order to justify the adjudication of style is “what makes good style?” Is it being loud? Is it having a good grasp of sound-bytes? Is it being witty or spending the first half of your speech cracking jokes elaborately crafted hours before the round. Most experienced adjudicators have no problem accepting that there are a multitude of ways to give a good speech. In particular, at a tournament as regionally diverse as the World University Debating Championships, we need to embrace a broad range of speaking styles.
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【Article】感性的評価の何が悪い? What's the matter with Manner?

【雑誌記事】サラフディーン,オーマー.2003.「感性的評価の何が悪い?」.『モナッシュ・ディベーティング・レビュー』.2巻.57-64頁.モナッシュ・アソシエーション・オブ・ディベーターズ.

論争の火種になったオーマーの記事。
この記事はいかに近年の審査が理性面に偏っているかとその偏向による弊害について述べている。

【Article】 Salahuddin, Omar. 2003. What's the matter with Manner?. Monash Debating Review. Vol.2 pp.57-64. Melbourne: Monash Association of Debaters.

This is THE article that fired up the controversy over the balance of Matter and Manner in adjudication.

The followings are quotations from the article.
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We have forgotten the importance of Manner in debating and no longer understand how to adjudicate Manner. Moreover, the value of Matter - relative to values normally ascribed to Manner, and to a lesser extent, Method - has grown to the point at which it totally dominates the way in which we observe, adjudicate, discuss and assess competitive debates. In my opinion, the system is operating unfairly now and to the detriment of something which is at least as important to the intellectural art of debating as the material being developed; the Manner of speakers.
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The Australasian system was the first of the three to gain general acceptance. This system provided three major criterion for adjudication: Matter, Manner and Method. Each was given a notional value for the purpose of adjudication, Matter and Manner accounting for 40% each of the total marks for a single speech, with Method the remaining 20%.
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【Book】言語と思考 Language and Thought

【本】キャロル,ジョン.詫摩武俊訳.1972. 『言語と思考』.岩波書店

感想は。「あざーす!!」(笑)。
クレームそのままのエビを見つけた気分だ(笑)
根拠はイマイチなのでカットされてしまうところまで一行エビ的。

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 われわれが行っている推理や新聞,演説などにみられる推理でさえも,形式論理学の見地から注意深く分析されるとその多くは成立していない。
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 論理学と心理学は形式的な意味においてはそれぞれ独立しているが,われわれが論理的に考えようとする方法――形式論理学の訓練から離れて――は心理学的過程に影響されていると思う,そしてこの心理学的過程は研究価値のあるものである。
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 われわれが日常生活で行なったり経験したりする推理ははっきりした三段論法の形式で述べられることは滅多にないので、もしそれが可能だとしても,その論理的妥当性を試そうとしないのである。形式論理学の授業を受けても誤った推理をみつける能力に驚くべき変化を学生がみせるようになるとは思われないのである。
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 説得力のある言葉がもたらす効果の多くは,情緒的に調子づけられた内包的な意味をもった単語を使うことによって生じている。
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【Book】Carroll, John. B. 1964. Language and Thought. New Jersey: Prentice-Hall, Inc.

Wednesday, May 17, 2006

【CD】陽はまた昇る Everyone is waiting for the sunrise


【CD】ヒートウェイヴ.1992.『陽はまた昇る』.ソニーレコード.

大好きなCD。

気合が入らない時や滅入った時に聴きます。大して音楽を聴かない私には珍しい行動といえます。でもこのCDに入ってる曲は全曲大好きなの!!

去年や今年、日本のディベートチームはもう凱旋パレード続き状態で、私も大会に行くたび朗報が届くたび嬉し涙をこぼしました。

努力しても努力しても偏見に晒されていた仲間達・・・
彼らを想いながら、「いつかきっと」と思う気持ちと、
「きっとそんな日永遠に来ない」という気持ちが錯綜してたあの頃。
歯軋りしてたあの頃。前が見えなくて。後ろも見えなくて。
何処で止まって良いのかも分からなくてガムシャラだったあの頃。
ちょっと空虚な気持ちで街をそぞろ歩いて。
今は潰れてしまったひっそりとひと気のない古本屋。
ふらっと入って。なんともなしに何時間も過ごした。
大量に詰まれた中古CDの中に埋もれていたこの一枚。
プロモーション用「見本盤」のステッカーが貼られていた他は、
別段目立つところもなかったし、知らないアーティスト名だったし。
なのに気がついたら何故かレジにもっていっていて、
帰って聴いたら涙が止まらなかったあの夜。

この一枚にはあの頃を支えてくれた曲が詰まってます。

ヒートウェイヴのサイトはこちら

以下、このCDの曲目.
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1.明日のために靴を磨こう

2.公園にて
3.優しきうたよ
4.さらば子守の唄よ
5.静かな生活(日記より)
6.月明かりの路

7.銀の花(北の国の人へ)
8.怒りの門
9.ゆきてかえらず
10.馬車は走る
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【CD】Heat Wave. 1992. Everyone is waiting for the sunrise. Epic/Sony Records.

【Book】ソフィスト Sophist

【本】田中美知太郎.1976.『ソフィスト』.講談社.(初出1941.弘文堂書房)

ソフィストが詭弁家という悪い意味にとられるようになった経緯を追う本。結論はディベート万歳(笑)。この本の初出は1941年、太平洋戦争前夜だったらしい。そのころの日本における言論活動はどんなもので、著者はどんな気持ちだったのだろうとぼんやり思いながら読んだ。

「誠実な弁論家とそうでない有象無象とを区別するために、イソクラテスがソフィストを悪い意味で使い出した」という可能性を検討する部分がある。Y野さんが「ディベート」と「ディベ」を使い分けることがあることを思い出してしまった。(^-^) 「ソフィスト」というのは現代で言うところの「アカデミック(教育)・ディベータ」を指す言葉だから、あながち的外れな比較でもないだろう。

実際のところ、私たちが今競技ディベートの意義についてしている論争は、とっくの昔にされたものだとこの本を読むとわかる。そこには競技としてのディベート(エリスティケー/問答競技)への痛烈な批判があり、ディベート術を説くコーチ達を詐欺師と呼ぶ声がある。それは真剣に受け止める価値があるものだと思う。「ディベートはただのゲームだ」と言って憚らないディベータたち。「要は勝ちゃ良いんだよ」だの「勝つことが全て」と安易に口にする上級生。彼らの姿を見ていると病んでいると思う。それは延々とビー玉を転がし続けるといった自閉症の症状を髣髴とさせる。弄ぶものがビー玉ではなくて言葉になっているだけだ。

競技ディベート自体を批判したいのではない。ディベートを競技として行うことは重要だと思う。考え・意見・アイディアをテストする場、他人と意見を交わす(コミュニケートする)能力を磨く場としての試合は素晴らしいものだ。他の人の評価や意見をフィードバックすることを拒否した議論は、自己満足に陥りやすいし退屈だし、えてして解かり難く煩雑だ。

だから大いに試合に出た方が良いと思う。できるだけ沢山の人にその機会があれば良いと思う。けれどあくまでも、「To know more, to think more, to love more」という看板は掲げていたい。私たちは優しくなるために学ぶのだし、議論することは学ぶために不可欠だと思う。だからこそ「私は知らない。でも知りたい。」という気持ちが伴っていなくてはと思う。

考えてみれば自閉症というのは社会性やコミュニケーション能力の発達障害らしい。だとすれば、議論することの社会性も、コミュニケートし他者と自己の意見を統合していく欲求も感じず、ただひたすらに言葉を転がし続ける一部の選手達は、正に自閉症的な問題を抱えているのだろう。そこでは言葉本来のコミュニケートする目的・意義が抜け落ちている。

そうなってはいけない。
他人とコミュニケートしたいという気持ちはいつだって美しくてキラキラしてる。
それを忘れたくないな、と思う。
いつだってソクラテスの卵として試合に臨みたい。

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 ソフィストという言葉は、その訳語のひとつ「詭弁家」などによっても見られるように、今日も悪い名前としてひろく用いられている。ギリシアの原語「ソピステース」(sophistes)の言葉通りの意味は、ただ「智慧のよくはたらく人」とか「智慧のはたらきをよくしてくれる人」とかいうだけのことなのであるが、それが何か悪い意味の言葉となってしまった。しかもそれはギリシアの昔(紀元前五ー四世紀)においてすでにそうなっていたのである。これはしかし言葉だけの問題ではない。ソフィストが悪名と考えられ始めた時代からおよそ二百年の昔(紀元前六世紀初頭)には、ソロンやタレスなどのいわゆる七賢人が、そのもっていた知識のために世人から尊敬され、また感謝されたのである。ところが、それから百年ののち、紀元前六世紀末葉から同じ五世紀の初頭にかけて、ヘラクレイトスとかクセノパネスとかいうよな思想家は、その思想や知識のために自己の孤独を感じなければならなかった。そしてその時からさらに百年ののち、知識がしだいに普及してきたと信ぜられるちょうどその時代に、人々はソフィストという名前に非難を感じ、悪名を見たのである。すなわちわれわれは、悪しき名前「ソフィスト」の背後に、ギリシア文化史の二百年を見、かつその間における知識の運命というようなものを、さらに一般的な問題としても考えてみることができるのである。
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 クセノポン(Xenophon, 430-355 B.C.)の作とは称されているが、多少その点を疑われている書物、『狩猟論』(Cynegeticus 13.8)の中には、次のようなことが言われている。すなわち「ソフィストというものは、人を欺くために語り、自己の利益のために書くだけで、何びとをも少しも益することのない者どもである。かれらには真の智者は一人もいないのであって、ソフィストと呼ばれることは、心ある人々にとってまさに恥辱である」というのである。
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 ローマ帝政期(紀元二世紀)の弁論家アリステイデス(Aristides)は、その第四十六論説(Dindorf, II. 407)中において、ソフィストという名前は本来哲学者と共通であって、けっして悪名ではなかったのであるが、プラトンがこれを主として悪い意味に用いたと語っている。
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 ところで、この哲学者という言葉の原語は、ギリシア語で「ピロソポス」(philosophos)というのであるが、これと「ソピステース」という言葉との使い分けについて、さきに引用したアリステイデスの同じ文章のなかに面白いことが言われている。それはいまちょっと名を出したイソクラテス(Isocrates, 436-338 B.C.)が、「ピロソポス」という言葉を自分や自分の仲間について用い、ディアレクティケー(いわゆる弁証法)を云々する連中などをかえって「ソピステース」と呼んだというのである。(中略)すなわちイソクラテスの学校は同じアテナイにあって、プラトンやアリストテレスの学校に対立するものなのである。しかも周知のごとく、ディアレクティケーはプラトンの哲学において重要な意味をもち、他のソクラテス学派(たとえばメガラ派)においてもはなはだ珍重されていたのである。
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 思うに、すべてのことについて語り、あらゆることを論じたいという要求は、人々の自然の傾向であって、政治的関心とともに、哲学的関心もまたゼウスの普遍的な贈物であったのかもしれない。ソピステースの引き受けた「人間の教養」は、また同時に普遍的教養なのであった。ゴルギアスのように、弁論術だけで足りるとすることは誤りであるにしても、元来すべてのことについて語られるのを本質とする言論(ロゴス)というものの取り扱いに関する技術が、このような普遍的教養の外枠や土台として役立ちうることは事実である。弁論術が他の一切の学術に代わるのではなく、それらの諸知識を予想した上で、しかし「たとい真実を知っていたにしても、それだけで上手に説得ができるというわけではない」(Phaedrus 260D)というところに、それ自らの存在理由を見て、もっぱら説得の条件であるところの人間の心理やこれに対応する説得形式を研究し、それによって政治その他における正しい説得を準備するとしたならば、弁論術もまたそれ自らの正しい仕事をしていることになるのである
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 かくてソピステースは、徳の教師であり、弁論家であり、また問答競技家なのであった。かれらの仕事の中心は弁論術にあったと考えられるのであるが、その初めの時期においては、徳の教師としての特色のゆえに、狭義の法廷弁論家とは常に区別されなければならなかった。(中略)なおまたわれわれは、ソピステースがソピステースであるかぎり、全くの私人であって、実際の政治家ではなかったということをも注意しておく必要があるであろう。ソピステースが弁論家と呼ばれるのは、テミストクレスやペリクレスが弁論家と呼ばれる(Plato, Gorgias 455E-456A; Phaedrus 269E)のとはまったく別である。後者は弁論によって実際に国民大衆を動かす者なのであるが、前者はただ弁論術を個人に教授する者なのである。

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 弁論家もソピステースも料理人も美容師も、人間の精神や肉体のことについて、何がよいか本当のことは少しも知らずに、ただそれらしいものを当て推量して、人々に取り入ることばかりを考えているものなのである。(中略)徳の教師としてのかれらは、すでに詩人や音楽家によって取り扱われていた国それぞれの伝統的な道徳を、べつにそれが何であるかを問うこともなしに、ただ新しく工夫された弁論術をもって言葉巧みに説くというに過ぎなかった。そして弁論術なるものは、何が善であり、何が正であるかを深く考えることはしないで、ただ世間の考えるそれらしいものを推察して、ひとを説得することばかり考えるものなのである。それが心に掛けるのは、真実そのものではなくして、ただ真実らしく見えるものだけなのである。
 しかもいっそう悪いことには、かれらは何も知らないで、何でも論ずることができると信じているのである。ソピステースは似非政治家であるとともに、また似非哲学者なのである。そしてここのところから、何ごとを論じても何びとにも負けない工夫(Plato, Sophista 232B-233c)、すなわち真理よりも勝敗を主眼とするかれらのエリスティケー(問答競技)が発達してきたのである。
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ソフィストは何でも知ったかぶりをするけれども、ソクラテスは何も知らないと言っていたのである。そしてソクラテスの問答法は、ひとを同じような無智の自覚へと導くものであったが、ソフィストのはただひとを言い負かすためのものであった。ソフィストは深い反省もなしに国民道徳を説教したけれども、ソクラテスはそれが何であるかを尋ねて、人々を深い反省にまで誘ったのである。
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 しかしながら、われわれはこれらの非難から、ソピステースだけが特別に悪い者であったように考えるなら、それは大へんな間違いである。プラトンはギリシア芸術の精華である悲劇作品を否定して、その作家達を理想国から追放しようとしたのであるが、その取り扱いは人々に苛酷と感じられるものであった。しかし、事情はソピステース場合でもそれほど違ってはいなかたのである。プラトンの厳しい理想主義的要求の前には、当時の国家社会の政治も文化も一切がとうてい吟味に堪えうるものではなかったのである。しかも事情は今日でも違ってはいない。われわれはさきにソピステースの徳育や弁論術が、べつにわれわれから軽蔑されたり、嘲笑されたりするようなものではないことを述べた。無智はかれらだけのことではなく、むしろわれわれにおいていっそう暗黒だからである。
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そしてプラトンの『ゴルギアス』(四五六D以下)では、弁論術を悪用する者があっても、それは弁論術を教えた者の責任ではないということをゴルギアスが弁じているが、これはおそらくかかる悪評の存在を予想するものと見なければならないであろう。
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 さらにかれらの仕事で歴史的意義のきわめて大なるものはヒッピアスが一般的教養のために天文、幾何、算術、文法、音楽、歴史などの各般の知識を授けた(Plato, Protagoras 318E; Hippias major 286B)ということであろう。かれが徳育や人文科学的な知識のほかに、理科学的な知識を一般的教養のうちに包括したことは、ピュタゴラス派やプラトンの同様な教育方針とともに、すぐれた特色をもつ西洋教学の基礎を築いたものであって、古代中世におけるいわゆる三学(trivium)四科(quadrivium)の淵源は、ヒッピアスにありとも言われるであろう。三学は文法、弁論術、問答法の三つから成り、四科は算術、幾何、天文、音楽の四つを含み、奴隷的な職業教育に対して、自由人の教養内容をなすものであった。しかしながら、これらの教育は最初の間つねに非実用的なものとして、あるいは悪思想の温床として非難排撃されなければならなかったのである。
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訴訟に敗れた者が、事実そうでなくても、相手方の背後にソピステースの存在を考えることもあるわけで、弁論術を習うだけの余裕をもたない大多数の人々にとって、ソピステースはけっして人気のあるものではなかったであろうと想像される。
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 そしてこのことは、国家の場合も同様であって、「何が美風であり、何が陋習であるか、何が正当であり、何が不正であるか、何が敬神で、何が不敬であるかというようなことは、それぞれの国家がそれをそう思って自分のところの法に制定すれば、どんなものだって、そのおのおのの国家にとって真実またそうありもするのである」(一七二A)。しかしこれらは「自然に自己のまさにあるところの本質をもつ」ものではなく、国家が公けに思いなしたことは、「それがそう思われたその時に真となり、またそれがそう思われている時間だけ真となっている」(一七二B)のであって、国家の決定を離れてそれ自体に成立するものではないのである。すなわちプロタゴラスにとっても、国法や国民道徳は仮象的なものではあるが、しかしプロタゴラスの主張では、仮象のほかに別に真実や自然があるわけではなく、仮象すなわち真実在であり、万人の思いなしがそのまま真理なのである。プロタゴラスの立場は弁論家の立場であり、職業的国民教育家の立場なのである。相反する二つの主張はどちらも真なのであるが、弁論家はそのどちらのために弁じても勝つことを知っているのである。また国民道徳も国によって異なり、家庭、学校、社会などにおいて、文学や音楽や法律が各国民をそれぞれ違ったふうに教育しているのであるが、徳育家ソピステースは、これらの特殊性に何らの優劣も認めたなかったけれども、頼まれればどこの国の道徳でも、これをさらに自己の弁論術によって上手に説教することができたのである。
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【Book】TANAKA, Michitaro. 1976. Sophist. Tokyo: Kodansha. (first published in 1941 from Kobundoshobo)










Tuesday, May 16, 2006

【Book】沈黙のファイル The Silent File

【本】共同通信社社会部編.1999.『沈黙のファイル: 「瀬島龍三」とは何だったのか』.新潮社.

この本には、旧陸軍参謀本部で中心的な役割を果たしていた人物が、戦争責任は問われず、商社の賠償ビジネスで暗躍し、政界とコネを深めたとあり、その経緯がインタビューも含めて記されてある。

ちなみにこの人物、瀬島龍三という人は、1990年の湾岸危機勃発時に「日米エネルギー委員会」の日本側ミッションの団長だった。(エネルギーは金の生る木だというのは世間の常識だ)この委員会の会合に出席するためという名目で1990年11月7日、渡米している。その実は日本政府(当時は竹下政権)からスコウクロフト将軍と接触するために派遣された密使だった。このことは手嶋龍一の『一九九一年 日本の敗北』に書かれている。

どうしてそんなことが可能なんだろう?

滅茶苦茶な作戦で何百万もの人を死に追いやり、シベリアに抑留されれば他の兵士がバタバタ死んでいく中機密情報を売り渡すことで1人特別待遇を受け、帰ってくれば戦争責任は問われず、賠償金の受け取り国の政治家とマージンを山分けすることで儲け(当然その分受け取るべき市民が受け取っていないことになる)、挙句の果てに政府の要人として歴代首相のアドバイザー?

少なくとも私がこれまでに読んだ資料からはそのように受け取れる。
もし本当なら酷い話だと思う。どういうこと?ホントどういうこと?

酷い話じゃないか。得するのは悪いヤツばかりって話でしょう?救いようのない話だ。
こんな輩と腐敗した政治的指導者に大切な賠償金を吸い取られた、
日本人もインドネシア人も韓国人も良い面の皮だ。
しかも「払った」「貰ってない」と被害者同士の敵対感情を煽られるなんて愚の骨頂だ。
お互いの政府がありえないほど不誠実なだけだ。

今年のアジア大会(AIDCの方)では、
「THW pay reparations to the victims of colonization」
という論題が出たらしい。一体どんな議論が交わされただろうか。
実態をよく分析して、現実的で実質的な議論に発展したなら良いなと思う。
「払った」「貰ってない」のレベルで善悪を云々しても虚しいばかりだ。
「払うべきだ」「もう済んでる」で争うのではチーチーパッパのチーパッパ。
アジアの大学生が集まってお遊戯をしたのも同じことだ。

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 瀬島は旧陸軍参謀本部作戦課のエリート参謀だった。三十歳で事実上、対米英戦の作戦主任となり、「陸軍大学校開校以来」と言われた頭脳は四百万人の軍隊の生死を左右した。
 戦後、十一年間のシベリア抑留を経て伊藤忠商事に入社。十年で専務、二十年で会長になり、さらに中曽根康弘、竹下登ら「歴代首相の指南役」「政界の影のキーマン」と呼ばれるまで出世階段を上り詰めた。 「瀬島神話」の言葉を生んだ華麗な経歴。だが、そこには謎がつきまとう。無謀で愚かな戦争の核心にかかわった瀬島が、なぜ不死鳥のようによみがえったのか。
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 戦時中の日本軍のインドネシア占領支配に対する賠償問題は五七年十一月、首相岸信介とインドネシア共和国初代大統領スカルノの会談で、総額八百三億円を日本側が支払うことで決着していた。
 ただし十二年間に毎年二千万ドル相当を「現物」で支払うという条件付きだ。インドネシア政府が必要な物資などを日本企業に注文し、代金の支払いは日本政府が保証する。日本の商社にとってはインドネシアの政府からの注文を取り付けさえすれば代金の取りはぐれがなく、うまみの多い商売だ。各商社はその巨額利権をめぐって争奪戦を繰り広げた。
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 東日貿易社長久保正雄は東京・銀座の外車ブローカーから身を起こした立志伝中の人物だ。終戦後、高級乗用車が不足した時代に、占領軍の軍人や米人牧師らの名義で米国車を輸入し、日本の大企業などに転売して荒稼ぎした。(中略)スカルノ政権に食い込んだ久保正雄は、ジープ納入を手始めに紡績工場プラント、テレビ局設備など賠償絡みの仕事を次々と伊藤忠商事に仲介し、その都度コミッションを要求した。(中略)コミッションは通常一三パーセントだった。久保の説明では、一〇パーセントをスカルノに渡し、残り三パーセントが東日貿易の取り分になるという。
 「こういう裏のコミッションの費用を捻出するには、輸送費などの経費を水増しするしかない。ジープの場合、輸送費を二倍に水増ししたら、インドネシア国家警察の幹部が『いくらなんでも輸送費が高すぎる』と文句をつけてきた。『車にいろんなもの(スカルノ政権へのリベートの意味)を上乗せするから輸送費が高くなるんだ。お前らも事情は分かってるだろう』と言い返したが、結局輸送費は半分に削ることにした。もちろんその分、車本体の値段が跳ね上がったけどね」
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【Book】Kyodotsushinsha Shakaibu ed. 1999. The Silent File: What was "Seshima Ryuzo". Shinchosha.

【Book】人間知性新論 Nouveaux essais sur l'entendement humain

【本】ライプニッツ,ゴットフリート・ヴィルヘルム.米山優訳.1987.『人間知性新論』.みすず書房.

ロックの『人間悟(知)性論』に触発されて書かれた本。

中身は架空の二者による架空の対話で構成されている。
ロックの意見を代表するフィラレートというキャラクターと、ライプニッツ自身の意見を代表するテオフィルというキャラクターが、観念や言葉、認識について会話していく流れになっている。

だから、この人間知性新論は人間知性論抜きには語れないものがある。ところがこの人間知性新論の訳は複数出ているのに、元ネタの人間知性論は絶版ばかり。うーん・・・。それでは本編なしに続編だけあるみたいだ。

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フィラレート: ここでは、理性(raison)は或る能力と考えられます。それによって人間が獣から区別され、そこにおいて人間が獣を凌ぐことが明らかな、そういう能力です。私たちは、私たちの認識を広げるためにも私たちの意見を規制するためにも、それが必要なのです。よく考えてみると、それは二つの能力から成っています。中間的観念を見出すための聡明という能力と、結論を引き出す、ないし推論する能力とからです。そして理性には次の四つの段階を考えることができます。(1)論拠を発見すること。(2)諸論拠を一つの順序に配列し、諸論拠の間の連結を露わにすること。(3)演繹の各部分の内に連結を知覚すること。(4)そこから結論を引き出すこと。そしてこれらの段階は数学的論証の内に観察できます。
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フィラレート: 三段論法は確からしさというものについては更にもっと有用さは少ないか、あるいはむしろ全然有用でないと私は思います。
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【Book】Leibniz, Gottfried Wilhelm. 1765. Nouveaux essais sur l'entendement human.

【Book】イソクラテスの修辞学校 Isocrates's School of Rhetoric

【本】廣川洋一.2005.『イソクラテスの修辞学校: 西欧的教養の源泉』.講談社.

ソクラテスの情熱が隔世遺伝したみたいな、名前も似ているイソクラテスさん。「よっ、ど根性ディベータ」と声をかけたくなるほどディベータの守護者。互いを説得する力に無限の可能性を見たイソクラテス。彼の見た世界はどんな世界だったのか。彼の見た夢はどんな夢だったのか・・・。一度でいいから生身の彼に会ってみたかった。 それでもやっぱりソクラテスの方がもっと好きだけど。

けどそんな素敵なイソクラテスも、バルバロイ(異民族)への差別心は隠しもしない。あと動物を「野獣」と蔑む気持ちも現代人には薄いかも。現代の私には文明とか未開といった言葉もできれば避けたい語彙に入る。時代のマインド・セットって怖いなーと思います。

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「無教養な人間であるよりは、むしろ乞食であるほうがまし」という願いは、多くのギリシア人に共通した願望というべきだが、その教養の内実は、私たちが今省みたアリスティッポス、プラトンの幾何学図形を教養のしるしdoctrinae indicesとみる流儀のものがただひとつあったのではない。プラトンと同時代の、弁論・修辞家イソクラテスの立場は、これとは異なっている。彼は、われわれ人間は動物とくらべて、脚の早さや体力など多くの点でいっそう劣っているが、ただひとつわれわれには「相互に説得しあい、われわれの求めるものを明らかにする能力」が生来備わっていたことから、野獣の状態を脱しえたのみならず、都市を建て、法を創り、もろもろの技芸を起こした(Antid. 253-254)と述べ、人間の全文化が弁舌と説得の力から生じたことを熱をこめて語っている。人間が他の動物と異なるのは、言葉 λογος の点においてである、したがって、この言葉を練磨し育成することこそ人間が最も人間らしくなる方途である、イソクラテスがアテナイ人に勧めるのは、このような、言論を人間形成の中核とする教養理念である。人間が言葉をもつことにおいて他の動物と隔絶していると述べるだけでなく、彼はさらに、ギリシア民族が異民族よりも秀れているのは、「言論と思慮において」一段とすぐれて教育されている πεπαιδευσθαι ことによる(Antid. 294)とし、「ギリシア人」なる呼称は、自然的な血のつながりを示す言葉ではなく、むしろこのようなわれらが教養に与る者 τους τη παιδευσεως της ημετερας の謂だ(Paneg. 55)と語っている。こう述べるイソクラテスは、話す能力、文章をつくりなす力を人間に固有なものhumanusとみ、この力をいっそう磨き育てることを、人間がよりいっそう真正の人間となるhumanior、より多くの人間性をもつ者となるための教育の内実と考えていたといえるだろう。
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「われわれが野獣どもにたいしてはるかに優位に立つのは、まさしくこの一点、すなわちわれわれがたがいに話を交わしあい、われわれの思念を言葉によって表現しうることexprimere dicendo sensa possumusにおいてなのだ」(De Orat.1.32)と述べ、弁論・修辞術が人間と野獣を区別する言語能力を最高度に発達させ、人間を未開から文明の状態へと高める原動力となった(De Orat. 1.33)と語るキケロは、すでにみたイソクラテス的な修辞学的教養伝統の正しい継承者なのである。
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わが国においては、二つの教養理念のうちプラトン的なそれがすでによく知られてきたのにたいして、イソクラテス的なそれは、わが国におけるヨーロッパの弁論・修辞学すなわちレトリックの伝統についての蓄積と理解が浅かったためもあって、ほとんど知られることがなかったといわなければならない。
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イソクラテスはしかし、文体については、詩語や稀語、隠喩を多用し、いわば過度に装飾的な文体を創り出すゴルギアスのゆき方をかならずしも踏襲していない。むしろ、日常言語の世界に身を置き、日常言語をうまく結び合わせることによってそこに特色と品位をそなえた言語世界を創造する、新しい散文の文体を生み出したのである。ゴルギアスが人目を惹く語句にその効果を置いた、いわば箇々のレンガや石を磨きあげたのにたいして、イソクラテスの文体の特色は、箇々の句や節をより大きな単位に従属させ、部分と部分を巧みに組み合わせて大建築へと完成させるその構成の妙にあるといわれる。また、彼はゴルギアスとは異なり情緒や感性に訴えることよりも、冷静な論議による理性的説得を目指したことも指摘されている。
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前三九九年、国家の神々を認めずアテナイの青年を腐敗堕落させた廉でソクラテスが刑死した時、イソクラテスは三七歳、おそらくテッサリアのゴルギアスのもとでの修行時代を終って、アテナイで法廷弁論代作人(ロゴグラポス)としての経歴を始めて数年が経っていた。古伝によると、彼は「ソクラテスの死に度を越えるほどουμετριως嘆き悲しみ、翌日彼は黒衣をまとって現れた」(Ps.-Plut. 838F)という。『無名氏イソクラテス伝』は、イソクラテスが「哲学者ソクラテスの弟子μαθητης φιλοσοφου Σωκρατους」(Anonymi V. Isocr. 6 p.254)でもあったことを語っている。私たちはこれらの古伝をそのまま真実とすることはできないだろう、プラトンやアンティステネスらがそうだったという意味での「弟子」ではなかったといわなければならない。しかし、ソクラテスの教育ぶりを、少年・青年時代のイソクラテスが常日頃、見聞きしていたことは疑いのないところだし、ソクラテス的精神とでもいうべきものに彼がひそかに憧れ尊敬の念を抱いていたとしてもけっして不思議なことではない。
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これらの点に立ち入った解説はV章4節でみていただくとして、ソクラテスの影響と思われるもののうち最大のものは、イソクラテスの言論・論説にみられる倫理性、道徳性への感心の高さである。言論における倫理性は、ゴルギアスをはじめソフィストたちにはない特性とみられている。イソクラテスが弁論・修辞の術を中心とする、彼の教養理念をたんに「立派に語る το λεγειν ευ」において見ず、「立派に思慮するτο φρονειν ευ」との連係において見ていたこと、さらに「立派に語ること」を「立派に思慮すること」の最大のしるしでなければならぬとし、善き言論は善き魂(精神)の以像であると主張していたこと、総じていえば、言論の術における「思慮」の重視は、イソクラテス言論の独自な点であり、この点に私たちはソクラテスの影響を認めることができる。
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【Book】HIROKAWA, Yoichi. 2005. Isocrates's School of Rhetoric. Tokyo: Kodansha.



Monday, May 15, 2006

【Book】εに誓って Swearing on Solemn ε

【本】森博嗣.2006.『εに誓って』.講談社.

やっと読めましたー(涙)
買いに行く時間がなくてなかなか読めなかったんですー。

で、感想は・・・
やっぱ今のところ『今はもうない』の方が好き。

なんか今回のはちょっと怖かった。
いや・・・毎回結構怖いんですけど、なんかキャラクターの独り言系の部分が長くて、会話が極端に少なかった。会話があると自然に雰囲気が明るくなるものですし、会話が好きな私にはちょっと不向き。あとトリックは途中で解かってしまいました。

でもこの作家さんは好きだからまだしばらく彼の作品は読むつもり。
ちょっと惰性になりつつある感もあるけど。

【Book】MORI, Hiroshi. 2006. Swearing on Solemn ε. Tokyo: Kodansha.

Could read eventually.
Didn't have time to go out for shopping and got this in the weekend eventually.

And after reading this...
I guess I like "Switch Back" more yet.

This time the story was a bit scary.
Well, many of his works are pretty scary but this time, more parts were monology by characters and there were less conversations. I really like conversations in Mori Hiroshi's works and also conversations make stories less scary. So... And I noticed the trick of this mystery in the middle.

Anyway, I still like this author and I'm going to keep reading his works yet.
Somehow it is becoming inertia for me though...

【Book】コモン・センス Common Sense

【本】ペイン,トマス.小松春雄訳.1976.『コモン・センス 他三編』.岩波書店.

うーん・・・これが独立戦争を支えた本・・・?
なんかもっと自由と平等を熱く語った書なのかと思ってました。
ジョン・ロック万歳みたいなことが書いてあるのかなーって。

つまるところ、

- イギリス憲法は非合理的。国王は税金を喰うお荷物でしかない。
- 今独立戦争をすれば他国の介入を見込める
- アメリカ大陸側で戦えば相手は艦隊のメンテナンスや補給のためイギリスと往復しなければいけない。だからアメリカ側が何倍も有利。

というようなことが、双方の保有戦艦の数についてまで詳しく書いてありました。
なんかやけに実利面に焦点をあてた本でした。
まあ、霞み食って生きてるわけにはいかなかったってことか。
その方がまともかもしれない。けどやっぱちょっとがっかり。

ただ、党派を超えて団結しよう、みたいなことは何回も書かれていて、
移民たちもイギリスにいたころの地位とか、それによるマインド・セットが
なかなか抜けなかったんだなぁ...というのはわかります。
そのマインド・セットを崩すための本だから「コモン・センス」なのかな・・・。
どちらかというと「きっちり算盤はじけ!どっちがお得かは明白だぞ」って感じの本。
乙女の夢を返して欲しい。

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恐らくここに述べてある意見はまだ世論になり切っていないので、一般から支持されることはないだろう。物事を間違っていると考えようとしない長い間の習慣によって、すべてのものが表面上正しいかのような様子を示すものだ。そして初めはだれもがこの習慣を守ろうとして、恐ろしい叫び声を上げるのだ。だが間もなく、その騒ぎは静まる。理屈よりも時のほうが考え方を変えさせるのだ。
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いかにわれわれの目が外見によってくらまされ、耳が騒ぎ声でごまかされようとも、またいかにわれわれの意志が偏見によってゆがめられ、判断力が利害によって曇らされようとも、自然や理性の純粋な声はこのような政府が正しいと言うだろう。
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イギリスの政治形態の中にある構造上の欠陥を調べることは、今や極めて必要である。なぜなら有力な偏見に支配され続けていては決して他人の長所を認めることができないように、かたくなな偏見に縛られたままでいると、正しい自己評価ができないからだ。
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【Book】Paine, Thomas. 1776. Common Sense.

Saturday, May 13, 2006

【Book】精神疾患と心理学 Maladie Mentale Et Psychologie

【本】フーコー,ミシェル.神谷美恵子訳.1970.『精神疾患と心理学』.みすず書房.

探している部分が見つからない。
ああなんで前回ポストイット貼っておかなかったんだろ。
自分のマヌケさが恨めしい。

この本にはつまり、「自分を上等な人間だと思ってる(思いたがってる)人間は残酷で冷酷になれる」ということが書いてあるように思う。サイードがフーコーの仕事から学んだというのは納得だ。

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狂気はそのことばを奪われ、他人が狂気について語りつづけえたとしても、狂気が自らについて語ることは不可能となる。少なくともフロイトまでは不可能であった。フロイトは、理性と非理性との間のコミュニケーションの可能性を初めて再会させた人だが、この時に用いられた共通の言語は危なっかしいもので、ともすると到達不能なものの中へおちこみ、解体してしまう危険に、つねにおびやかされていた。
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テュークがヨークの近郊に実現させた理想的ホームは、精神病者のまわりに、準家庭ともいうべきものを復元し、そこで患者が自宅にいるように感じるように、工夫されていた、と考えられている。ところが、まさにこのことによって、患者はjたえず、社会的、道徳的に管理されることになったのである。彼を治療させるということは、依存感情、罪の自覚、感謝の念など、すべて家庭生活の道徳的な枠組みをつくるものを、彼に再び教え込むことを意味する。これに成功するためには、おどかし、罰、食事制限、恥辱など、要するに、すべて狂人を幼児化させ、同時に罪ある者となしうる手段を利用することになる。(中略)狂人の行動は監視され、その主張はおとしめられ、その妄想は反対され、そのあやまちは嘲笑されるべきものとなった。
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一九世紀ただ中においてさえ、リューレは、患者たちの頭に氷のようなシャワーをあびせ、その最中に彼らと対話をし、自分の信じていたことは妄想にすぎなかった、と告白するように強制した。一八世紀のもう一つの発明は、いわゆる回転椅子で、この上に患者をのせた。その目的は、妄想観念にあまりにも固着している彼の精神の働きをゆさぶり、それが自然な回路を再発見するように、ということにあった。一九世紀になるとこのやりかたがさらに完成されて、げんみつな意味で処罰的な性格をおびることになる。妄想のおこる度毎に患者を廻転させ、もし彼が悔悛に至らないならば、気絶するまでやる。また、可動性の籠も完成される。これは水平軸のまわりを自転し、そこにとじこめられる患者が昂奮していればいるほど、廻転運動は烈しい。このような医学的遊戯はみな旧い技術を、施設に転用したものであるが、それらの技術の基礎となった生理学は、もはやすたれたものである。
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つまり、狂気は刑罰体系の中にとじこめられ、そこでは狂人は未成年者として扱われるから、当然子供と同類のものとされ、また狂気は罪あるものとみなされるから、根源的にあやまちと結びつけられる。
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一九世紀の「慈善」は、「解放」という偽善的なかたちのもとに、狂気を道徳的サディズムの中にとじこめたのだが、このサディズムがなかったなら、この心理学は全然存在しないであろう。
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【Book】Foucault, Michel. 1966. Maladie Mentale et Psychologie. Paris: Presses Universitaires de France

Friday, May 12, 2006

【Book】メディア・コントロール Media Control

【本】チョムスキー,ノーム.鈴木主税訳.2003.『メディア・コントロール』.集英社.

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 一九一六年に、ウッドロー・ウィルソンは「勝利なき平和」を綱領に掲げて大統領に再選された。第一次世界大戦さなかのことである。世論は平和主義一色で、ヨーロッパの戦争にアメリカがかかわるいわれはないとされていた。
 しかし実際には、ウィルソン政権は戦争に関与していったので、何らかの措置を講じる必要が生じた。政府主導の宣伝委員会―いわゆる「クリール委員会」―が設立され、半年足らずでみごとに平和主義の世論をヒステリックな戦争賛成論に転換させた。
 戦争熱に浮かされた人びとは、ドイツのものをことごとく破壊してやりたい、ドイツ人を八つ裂きにしたい、戦争に参加して世界を救いたいと考えるようになった。ウィルソン政権によるこの作戦は大成功であり、さらには別の成果にもつながった。
 戦中から戦後に、ヒステリックな「赤狩り」をあおるのにも同じ手法が使われ、組合をつぶし、報道の自由や政治思想の自由といった危険な問題を排除することにも首尾よく成功したのである。これにはメディアと財界からの非常に強力な支援があった。さらに言えば、メディアと財界はこの作戦のほとんどを組織し、推進したのであり、それは総じて大成功をおさめた。(pp.13-14)
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以下は、日本語版だけに含まれている辺見庸とのインタビューにおけるチョムスキーの発言部分からである。
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我々は自らの罪を調査することはしません。負けた国だけが「悪いことをした」といわされる。第二次大戦後の東京裁判が行われたのは、日本が負けたからです。ワシントン裁判などというものは開かれませんでした。毒ガスを使ったチャーチルに対する戦争裁判もありませんでした。敗れたときにだけ、自らの罪を見つめる。そのように仕向けられるのです。(p.156)
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戦後期の日本の経済復興は、徹頭徹尾、アジア諸国に対する戦争に加担したことによっています。朝鮮戦争までは、日本の経済は回復しませんでした。朝鮮に対するアメリカの戦争で、日本は供給国になった。それが日本経済に大いに活を入れたのです。ヴェトナム戦争もまたしかり。アメリカ兵の遺体を収容する袋から武器まで、日本はありとあらゆるものを製造して提供した。そしてインドシナ半島の破壊行為に加担することで国を肥やしていったのです。
そして沖縄は相変わらず、米軍の一大軍事基地のままです。五〇年間、アメリカのアジア地域における戦争に、全面的に関わってきたのです。日本の経済発展の多くは、まず、その上に積み上げられたのです。(p.160)
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何度もいうようですが、他人の犯罪に目をつけるのはたやすい。東京にいて「アメリカ人はなんてひどいことをするんだ」といっているのは簡単です。日本の人たちがいましなければならないのは、東京を見ること、鏡を覗いてみることです。(p.162)
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【Book】Chomsky, Noam. 1997. Media Control: The Spectacular Achievements of Propaganda, 2nd Edition. New York: Seven Stories Press.

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Woodrow Wilson was elected President in 1916 on the platform "Peace Without Victory." That was right in the middle of the World War I. The population was extremely pacifistic and saw no reason to become involved in a European war. The Wilson administration was actually committed to war and had to do something about it. They established a government propaganda comission, called the Creel Commission, which succeeded, within six months, in turning a pacifist population into a hysterical, war-mongering population which wanted to destroy everything German, tear the Germans limb from limb, go to war and save the world. That was a major achievement, and it led to a further achievement. Right at that time and after the war the same techniques were used to whip up a hysterical Red Scare, as it was called, which succeeded pretty much in destroying unions and eliminating such dangerous problemsas freedom of the press and freedom of political thought. There was very strong support from the media, from the business establishment, which in fact organized, pushed much of this work, and it was, in general, a great success.
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There is an interview included in the Japanese version with Henmi Yo.
Would like to translate the quotations from that part into English later.

【DVD】戦場のフォトグラファー War Photographer

【DVD】フレイ,クリスチャン.2001.『戦場のフォトグラファー』.

泣きました。

沢山の人に見て欲しい。
是非とも沢山の人に見てもらいたい作品です。

ディベートでは世界中の沢山の人と出会って、沢山の人と飲んで歌って騒いできたし、何よりも議論してきたけど、その誰もがそれぞれの国では最も恵まれている類の人たちだ。ディベートの国際大会では世界中から若い人間が集まって、戦争や貧困の悲惨に言葉で立ち向かうけど、夜にはバーに集まって騒ぐんだ。最終的にはやはりクラブ。そのことに罪悪感を感じないか、無駄ではないかと言われれば否定するのは難しい。 (現実は、そんな恵まれた彼らだって、途上国から来ていたり大学のサポートがないために参加には苦労している。殆どの国の学生にとって長距離フライトの航空券代は個人で支払える額ではない。物価の高い国が開催国だとレストランに行くのも躊躇われたりする。そうやって先進国のしかもリッチな大学がより参加しやすいという構造は避けられていない。)

けれど、ジム・ナクトウェイの写真を見て、声をあげる人は必要だと思う。というよりもそのために彼は写真を撮っているのだから。写真はコミュニケーションの形態だと彼はこの映画の中で語る。そのメッセージを的確に受け止めるのが私たちの仕事だ。メッセージを読み違えないよう、いつも自分を鍛えなければならない。 もしも読み誤って間違えた政策を支持すれば折角の苦労も水の泡になるのだから。自分を過信せず真摯に学び続けなければならない。

カンボジアの女の子の隣でサテを食べながら彼女の家族の体験を聞いたこと。
フィリピンの国立大の子とバスで国際企業のあり方について話したこと。
ユーゴの女の子と夜中の3時まで一緒に踊り狂ったこと。
そして彼らと議論すること。お互いの言葉でお互いをごしごし磨くこと。

そういうことが、自分のメッセージを読む力を鍛えなかったか、と言われれば、
少しは「なった」と言っても許されるのだろうと思う。
5年前の私より今の私のほうが彼らに興味を持っているから。
例えばこういう映画を、観たいと思うようになっているから。
それは少しでも冷血でなくなることだ。
それが大切なことだろうと思う。

【DVD】Christian Frei. 2001. War Photographer. Schweiz. 96min. color


【Book】自由からの逃走 Escape from Freedom

【本】フロム,エーリッヒ.日高六郎訳.『自由からの逃走』.創元新社

私の手元にあるのは、おそらく父が昔買ったのであろう古い版です。なので、外見はこれとは随分違います。でも同じ日高六郎の訳です。

ところで日高六郎は『映画 日本国憲法』でインタビューを受けていますが、彼の話が大変筋が通っていて好感を持てました。けれど、あの映画を英語圏の友人に見せたら、日高のコメントの部分は割愛せざるを得ません。何故なら彼が日本の映画で日本語で喋っているから。チョムスキーにしても、ダグラス・ラミスにしても、チャルマーズ・ジョンソンにしても、英語で話しているからこそ彼らの言葉は英語圏・日本語圏の両方に届きます。英語音声には日本語字幕がつきます。でも日本語音声には英語字幕はつかない。だから日高のは届かない。残念な限りです。

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また、自由をえたいという内的な欲望のほかに、おそらく服従を求める本能的な欲求がありはしないだろうか。もしそういうものがないとしたら、指導者への服従がこんにちあれほどまでに多くのひとびとを引きつけていることを、どのように説明したらよいであろうか。服従というのは、常に目にみえる権威への服従であろうか。あるいは義務や良心というような内面化された権威とか、人間の内部にひそむ強制力とか、また世論のような匿名の権威にたいする服従が存在するのだろうか。服従することのうちに、一つのかくされた満足があるのだろうか。その本質はなんであろうか。
 人間のなかに、あくことのない力への渇望を生みだすものはなんであろうか。それは人間の生命的なエネルギーの力であろうか―あるいは、人生を自発的な親しみをもって経験することのできない根本的な弱さであろうか。
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フロイトは人間の行動のさまざまな部分を決定する、非合理的な無意識的な力の観察と分析とに注意をむけたが、こうしてかれはかれ以前のだれよりも一歩前進した。現代心理学においてフロイトとその後継者達は、たんに近代合理主義がみのがしていた人間性の非合理的無意識的な部分をあばきだしただけではなく、これらの非合理的な現象も一定の法則にしたがっており、それゆえ合理的に理解することができることも指摘した。
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たしかに人間がだれしももっている、飢えとか渇きとか性とかいう欲求は存在する。しかし人間の性格の個人差をつくる、愛と憎しみ,権力にたいする欲望と服従への憧れ、官能的な喜びの享受とその恐怖、といった種類の衝動は、すべて社会過程の産物である。人間のもっとも美しい傾向は、もっともみにくい傾向と同じように、固定した生物学的な人間性の一部分ではなく、人間を造りだす社会過程の産物である。
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【Book】Fromm, Erich. 1941. Escape from freedom. New York: Henry Holt Company

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Is there not also, perhaps, besides an innate desire for freedom, an instinctive wish for submission? If there is not, how can we account for the attraction which submission to a leader has for so many today? Is submission always to an overt authority, or is there also submission to internalized authorities, such as duty or conscience, to inner compulsions or to anonymous authorities like public opinion? Is there a hidden satisfaction in submitting, and what is its essence?
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【Book】美的感性と社会的感性 Artistic Sensibility and Social Sensibility

【本】水野邦彦.1996.『美的感性と社会的感性』.晃洋書房.

Average Reasonable PersonのCommon Senseに基づいた判断ってヤツ。それは何にも決めてないのと同じだと思う。あまりにもその個人のバックグラウンドによってしまうから。そう言うと、欧米のコーチたちは、「バイアスがかかるのはCommon KnowledgeであってCommon Senseじゃない」と言う。そうだろうか?

残念ながら、Common Senseだって共同体と切り離すことはできないはずだと思う。
イーフー・トゥアンのトポフィリアなんてその典型ではないかしら。
もっと残酷に、サイード風に言うなら、「あなたが同等の人間として扱っていない人々は、あなたにとってのCommonではない。だからあなたのCommon Senseに彼らの価値観は入らない」

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こうして<共同体感覚>=《sensus communis》は、人間の包括的な感覚(センス)だと考えられる。「共同体」感覚というからには、共同体が視野に入れられた感覚でなければならない。カントの場合「共同体」ということで考えていたのは<世界市民社会>であり、一種のコスモポリスである。そのような共同体ないし社会を指向する感覚という意味あいが<共同感覚>にはこめられていると考えられる。
《sensus communis》は、こういう<共同体感覚>として理解するべきだろう。《Gemeinsinn》があくまで趣味判断だけに限られていたのに対して、《sensus communis》には<共同体判断力>や<社会的判断力>という意味あいがあり、あるいはそういった判断力を形成してゆく可能性がふくまれている。(p95)

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 超越論的感性論が感性のア・プリオリな形式を分析するのに対し、経験的感性論は感性のア・ポステリオリな実質を課題とする。(中略)さて美は、主観の認識能力によって判定される。すなわち感性によって判定される。逆に、感性によって判定された結果、美が美として成立する。美がはじめから客観的に存在するのではなく、主観の感性にあったものが美と見なされるのである。したがって美学の根本問題は感性に帰せられる。
 そこで感性の由来、形成過程がつぎなる問題となる。果たして感性はア・プリオリなものであろうか。万人に等しくそなわっている能力なのだろうか。だが民族や時代によって、生活環境や習慣によって美観が異なることは、周知の事実である。とすると、無前提に感性が万人に普遍的なものであるとはいえないことになる。したがって私たちの感性がどのように形成されるかを問わなければならない。
 感性は生まれつき出来あがっているものではなく、成長の過程で、生活の過程で形成されるものである。時代、民族、風土、地域、家族といった環境によって、感性は大きな影響を受ける。したがって、人が属する共同体によって感性の形成は大きく左右されるのである。これは感性がまったく個人的なものではありえないことを意味する。ある人のもつ感性は、その人独自のものではなく、なんらかの共同体ないし社会に共有されているものである。ただこのことは、つねに自覚されているわけではなく、むしろ感化されていることの方が多い。感性論の困難はここにも原因がある。
 このように感性はもともと共同体のなかで形成され、本質的に社会的性格を帯びている。しかもそれにとどまらず、形成された感性は共同体に反照し、共同体を再生産する。そこで共同体に固有の感性も再生産されるのである。とすると感性は、社会を反映すると同時に社会を指向するということができる。感性が社会的感覚、共同体感覚と呼ばれるゆえんである。(p146)

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【Book】Mizuno, Kunihiko. 1996. Artistic sensibility and Social Sensibility. Kyoto: Koyosha

Thursday, May 11, 2006

【Book】創造する構想力 Creative Imagination

【本】大峯顕編.2001.『京都哲学撰書第18巻 三木清「創造する構想力」』.燈影舎.

わかりやすい。
「なんだ、こんなに解かりやすく書けるんじゃん、哲学って」と思わせてくれる一冊。 三木清って凄いんだなぁ・・・。

ところで、「論理 Logik」という言葉は「ロゴス Logos」から来ているわけだから、「ロゴス的でない論理」(ここでいう「感情の論理」とか「構想力の論理」とか)というのは意味不明ではないだろうか。つまりパトスについて話しているなら何か別の語を当てて欲しいものだと思う。「論理(ロゴス)の法則」と「感情(パトス)の法則」とでもいう具合に、法則とでもしてくれていたらもっと解かりやすかったのではないかと思う。想像の論理とか心情の論理とか同類が沢山出てくるが、いたずらに話をややこしくしているように感じるのは私だけだろうか・・・

もちろんそれを差し引いてもヘーゲルよりずっと読みやすい。

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 「構想力の論理」Logik der Einbildungskraftという語はバウムガルテンに由来している。それは「想像の論理」Logik der Phantasieとも呼ばれた。カッシーラーに従えば、想像の論理という概念はバウムガルテンの弟子マイエル(Georg Fr. Meier)及びテーテンス(Tetens)によってドイツの心理学のうちに根をおろし、カントにおける「判断力の批判」Kritik der Urteilskraftもこれと関連を有している。すでにパスカルは理性の知らない「心情の論理」logique du coeurを見出した。現代においてもリボーの「感情の論理」logique des sentiments或いはハインリヒ・マイエルの「感情的思惟の心理学」Psychologie des emotionalen Denkensの説の如き、いずれも抽象的視の論理とは区別される論理について述べている。
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 さらに一層重要な問題は、普通に弁証法といわれるものと我々のいう構想力の論理の関係を明らかにすることである。弁証法こそ一般に形式論理と異なる論理であると認められている。
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ロゴス或いはヌースはアリストテレスにおいて物から質料を置き去りにして形相のみを受け容れる能力と考えられた。形式論理はいわば単純にロゴス的な論理である。しかるに我々が物そのものに、その物質性における物に突き当たるのは身体によってである。我々は物として物に突き当たる。いまその主体性における身体をパトスと名付けるならば、物の論理は単純にロゴス的な論理でなくて同時にパトス的なものに関わらねばならぬであろう。従来の論理学においては思惟の基礎もしくは前階に知覚が置かれ、我々がそれによって物そのものに触れる感覚はほとんど顧みられなかった。感覚が問題にされることがあったにしても、感覚も知覚や思惟と同様ただ知的な意味において捉えられ、感覚が同時にパトス的な意味を含むことは問題ではなかった。ひとが「身をもって考える」場合、身体を有する人間として行為的に思考する場合、形式論理は抽象的であると言われるであろう。そこに主知主義のギリシア的論理に対して感情の論理の如きものがなければならぬように思われる。(pp.7-8)
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 形式論理は知識の論理であるとしても、行為の論理ではあり得ないであろう。行為するというとき、我々は身体をもって物そのものに突き当たるのである。行為には身体が必要であり、また行為の対象は抽象的一般的なものではなく、個々の具体的なものである。しかしそれは構想力の論理の如きものであり得るであろうか。感情の論理といい、構想力の論理というとき、普通に考えられるのは美或いは芸術の領域である。
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 形式論理は主体の論理ではなくて対象の論理である。言い換えると、それは既にそこにあるものについての論理である。弁証法もヘーゲルにおいてはなお対象或いは客観的であったということができる。主体的立場或いは行為の立場における論理は、形式論理はもとよりヘーゲル的な弁証法をも超えたものでなければならぬ。行為するとは広い意味において物を作ることであり、新しいものが作られることであるとすれば、行為の論理は創造の論理として構想力の論理の如きものでなければならぬであろう。それは悟性の立場のみでなくヘーゲルのいう理性の立場とも異なり、構想力の立場に立たねばならぬ。
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 構想力の論理はかようにしてロゴスとパトスとの統一の上に立っているのである。
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 第二の法則はフレーザーと同じく類似の法則(loi de similarite)と呼ばれ、類似のものは類似のものによって喚び起こされるsimilia similibus curanturということは、その二つのよく知られた定式である。
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 類似の抽象的観念は反対の抽象的観念から分離されることができぬ。そこでまた共感 συμπαθεια は反感 αντιπαθεια と等価になる。
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 ヘーゲルのいう具体的普遍の中には構想力が含まれていなければならぬ。弁証法の根源と結果には構想力がなければならぬといい得るであろう。
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付記、本稿は長期にわたって断続的に書かれたためはなはだ不完全になった。特に最後の節〔弁証法の根源としての構想力〕で述べたことは詳細な論究を要するが、今カントの解釈を一応終わったので、取り敢えず筆を擱くことにする。カント解釈としてもなお不十分な点があるであろう。すべては機会を得て補修したいと思う。構想力の論理そのものは次に「言語」の問題を捉えて追求してゆくはずである。
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【Book】Omine, Akira ed. 2001. Kyoto Philosophical Sampler Vol.18 Miki Kiyoshi's "Creative Imagination". Kyoto: Toeisha.

【Comedian】ザ・ニュースペーパー The Newspaper

【コメディアン】ザ・ニュースペーパー

先日、笑国日本が面白かったので、他の作品もチェックしてみる。2004年と2005年がDVD化されているようだ。

【DVD】THE NEWSPAPER part.66 in 2004.12.25 at 東京教育会館
【DVD】THE NEWSPAPER part.67in 2005.5.11 at 東京下北沢本多劇場

うーん・・・皇室モノはかなり際どい。際どい風刺が好きな私もビックリしました。流石は右翼カーに並走脅迫されたというだけはあると思いました。うわー。激しい。
小泉純一郎の口調はかなり似てる(笑)ネタも小泉演説の部分はかなり良くできていると思います。凄いサーカズム。「任せるのが私の仕事」というのは、丁度ブッシュ大統領が「The Decider」とからかわれているのとちょっとかぶりますね。いやー、笑わせてもらいました。

【インターネット】ザ・ニュースペーパー.2006. 「外国人特派員記者クラブで公演・講演・質疑応答」. 3月31日(http://www.dop.co.jp/foreign.html

 よく「日本人はユーモアのあるスピーチができない」と言う日本語の不自由な方や全く喋れない方がいるのですが・・・それはあなた方が私らに外語でスピーチさせたり通訳入れるからでしょ、とか思わないでもありません。そうやって何人だからって決め付けるの止めて欲しいなぁ。ぶちぶち。

 言葉の壁で最も乗り越えるのが難しい部分は「笑い」だと常々思います。なんとか乗り越えてみたいなぁ・・・とは思っていますが・・・ホント難しいですね。文化のコンテキストがない笑いの種はないから。哲子の部屋も笑っていいとももドリフもあいのりもサザエさんもトリビアの泉も知らない人たちの前で冗談を言うには、そういう「内輪ネタ」をぜーーーんぶ避けなきゃいけないんですからね。日本語メディアがメインな日本で生活する者に何が残るっていうのよ、ホント。普段から居間で英語圏のメディアを見ていてそれがそのままネタにできる人に「面白くない」って言われるのが一番嫌い。ザ・ニュースペーパーのネタも在日特派員ではない一般の海外の聴衆の前で披露できそうなものはありません。相手に基本知識がないからです。パロディしても風刺しても元ネタを知らないものは通じるわけがない。冗談を言うのにも理解するのにも、言葉の運用技能以外に相手のバックグラウンドを深く理解することが必要です。肌に馴染むほどに。そしてそれを外国語でするのは本当に難しい。そしてそれを片方だけが一方的に頑張らなければいけないのはやっぱり納得がいかない。

何が言いたいのかと言うと・・・
「アジア大会の『ユーモア・ラウンド』だの世界大会や豪亜大会の『スタンド・アップ・コメディ』だの。本当にあれは必要なのだろうか。ていうかあれはフェアなのだろうか」

以下、引用。
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 まずは「小泉首相」の挨拶、流石は特派員記者だけに政治については敏感だが言葉のギャグが通じないところがある。
 「アメリカのライス国務長官、あの人IQは200位有るらしいが、愛嬌は30位しかないね」といっても反応なし、これが言葉の壁か。
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Wednesday, May 10, 2006

【Book】多くの声,一つの世界 Many Voices, One World

【本】ユネスコ.永井道雄監訳.日本新聞協会「国際的な情報交流の自由に関する研究会」訳.1980.『多くの声、一つの世界: コミュニケーションと社会、その現状と将来』.日本放送出版協会.

やっと手元に届きましたー!!!
この邦訳が欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて・・・・・・・
オンラインオークションで競り落として入手しました。
450円だったけど・・・。なんでそんなに読みたい人いないの・・・?
こんな大切なトピック。ユネスコで最もデッドヒートした論争の一つ。そのコミュニケーション問題研究国際委員会(通称マクブライド委員会)の報告書ですよ?訳者も気合入った陣営。そして今もNHKの国際化とか話題なのにさ。おかしいじゃないさ。皆興味ないのか?そもそもなんでこの本が絶版なのだ?世の中よくわからないものです・・・。

気になるのは、英語版にはあって邦訳にはない注釈。
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The author is responsible for the choice and the presentation of the facts contained in this book and for the opinions expressed therein, which are not necessarily those of UNESCO and do not commit the Organization.
The designations employed and the presentation of material throughout this publication do not imply the expression of any opinion whatsoever on the part of UNESCO concerning the legal status of any country, territory, city or area or of its authorities, or the delimitation of its frontiers or boundaries.
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・・・。これってどういうこと?本来これはユネスコのコミュニケーション問題研究国際委員会の報告書です。邦訳の方など著者名が奥付にしっかり「ユネスコ」と書かれています。(これはおそらく邦訳が正式な認可をユネスコから受けずにフライング的に出してしまったのでしょう) 日英両方の版にユネスコ事務局長だったアマドウ・マータル・ムボウのまえがきも載っているのです。それなのに「ユネスコには関係ない」??「全ての責任は個人にあってユネスコは感知しない」ってか!!!
この腰抜けー!!!!委員会を招集して人選したのまでユネスコだろうがーーー!!
これだから肥大化した官僚機構って良くないよな、って思います。

さて、以下邦訳版の永井道雄による邦訳版への序文から引用。
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 新世界情報秩序の提案は、新国際経済秩序への動きと併行して、七〇年代の前半、主として第三世界のあいだで、次第に具体化されたものである。第三世界が不満としていたのは、世界の情報が、主要国にあるAP、UPI、ロイター、AFP、タスなどの国際通信社に握られており、発展途上国が政治や経済の主権をかちえつつあるにしても、情報主権の獲得には、程遠い状態にあることであった。すでにユーゴスラビアのタンユグ通信社を中心に、数多くの途上国が参加するプール通信社がつくられているが、こうしたものを強化してゆきたい。それには、ユネスコのような国際機構で、世界的な合意をえたいというのが発展途上国の願望であった。
 こうした動きが、明確な形をとったのは、一九七六年の秋に、ケニアのナイロビで開かれたユネスコ総会であった。国際的な情報の均衡ある流れをつくるために、世界のマス・メディアが協力するという宣言案の審議が行われたが、そこで、おこったのは、国際的合意どころか、”ナイロビの決戦”といわれたほどの国際的な対立だったのである。
 その理由は、国際的に新しい情報をつくってゆくうえで、国家が義務を負っているとする文章が宣言案のなかにあり、しかも、こうした考えをもつ一部の発展途上国の立場に、ソ連邦が協力していることが明らかな点にあった。ジャーナリズムの活動を新しく変えてゆくうえで、国家が役割をはたすというのは、自由を原則とする自由諸国にとて、到底、容認しえないことである。当然のことであるが、英米をはじめとする自由諸国は、宣言案に反対し、なかでも、当時、アメリカの国務長官だったキッシンジャー氏は、ムボウ事務局長に、この案が通るようであれば、アメリカはユネスコに協力できないと伝えたといわれる。
 こうして、七六年のナイロビ総会での宣言案は廃案になった。しかし、国際的な情報の流れを均衡あるものにしたいとする要求は、もっともなものである。その結果、ムボウ事務局長が、この複雑な問題の解明のために設けたのが、マクブライド委員会であった。
 だから、委員会は発足の当初から、東と西、南と北の緊張をはらんだものであった。
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次は、アマドウ・マータル・ムボウのまえがきから。
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 コミュニケーションはあらゆる社会的交流の中心となるものである。
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 各国はいまや他のあらゆる国の日常の現実の一部を構成している。世界は、その連帯性に対する真の認識は持っていないかもしれないが、ますます相互依存的になり続けているのである。しかし、この相互依存は、数多い不均衡を伴っており、時には重大な不平等を生み、誤解と多種多様な緊張の温床が結び合わされて世界を動揺に置くような結果になっている。
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ショーンマクブライドの緒言には以下のような記述もあり、永井の見方と重なる点もある。
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 一九七〇年代には、コミュニケーション問題に関する国際的な討論は、多くの領域で騒然とした対決の地点に到達していた。工業化諸国からニュースの支配的な流れに対する第三世界の抗議は、しばしば情報の自由な流れに対する攻撃と解釈されていた。ジャーナリストの自由の擁護者は、国家主権の侵害者とみなされた。ニュース価値や、ジャーナリストの役割、権利および責任に関する種々な概念は、世界の主要な諸問題の解決に対するマスメディアの可能な貢献とともに、広範な論議の的になっていた。
 委員会の発足当時のこのような分裂的な雰囲気からして、私の当初からの関心は、今日のコミュニケーションの状況に対する均衡がとれ、普遍で客観的な分析をどのようにして達成するか、われわれの前にある主要な諸問題に関するわれわれの見解のできる限り広範なコンセンサスをもたらすという挑戦にどうしたら応じられるか、ということだった。
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以降は本文から。
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 力と富の格差は、それ自身の重みによって、あるいは意図的な行動によって、コミュニケーションの構造やコミュニケーションの流れにインパクトと影響を与えている。ここに国際的なコミュニケーション、特に先進工業国と発展途上国間のコミュニケーションに非常に特徴的な不平等、不等性、不均等の基礎的な原因の多くが横たわっている。
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 国際関係におけるコミュニケーションの役割もまた重要であり、まさに不可欠となっている。それは、コミュニケーションが、人類の生存を脅かしている諸問題――国家間の協議と協力がなければ解決できない問題、つまり軍備競争、飢餓、貧困、非識字、人種差別、失業、経済的不公平、人口増加、環境破壊、女性差別――に十分に取り組むことができる国際世論の能力を支配しているからである。
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 しかし、コミュニケーションにおける明白な不均衡は、”自由な流れ”とは”一方的な流れ”以外の何ものでもなく、その”自由で均衡のとれた流れ”を保障するために言い改められるべきであるとの見解を裏付けるものであった。これらの概念の幾分あいまいな起源は一九五〇年代にさかのぼるものであり、一九六〇年代末と一九七〇年代の初めの間に、それらのものが、もっとはっきりと定義されるようになった。その時までには、先進工業国と発展途上国の間のニュースと情報の流れの不均衡は、現代世界における基本的な政治、経済問題にかんする討論の一つの問題点として国際会議の主要な題目となった。今日では、この不均衡の現実に異論をはさむ者はほとんどいない。しかし、この概念の具体的な適用については一般的な合意はできていない。ましてこの問題の是正策や望ましい政策についてはなおさらである。自由な流れと一方的な流れ、均衡と不均衡といった概念が討論の問題点、まさに国際的な論争の問題となってきたのは、このためである。
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 推定によると、少なくとも一六の言葉が五〇〇〇万以上の人々によって話され、それは中国語族、英語、ロシア語、スペイン語、ヒンディ語、ポルトガル語、ベンガル語、ドイツ語、日本語、アラビア語、ウルドゥー語、フランス語、マレー・バハサ語、イタリア語、テルグ語、タミール語などである。

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 多数の言語と方言が拡大したことには、歴史的、民族的、宗教的、社会的な理由があった。しかし、時が経つにつれて、新たな民族国家の出現は、世界の広大な地域に対する覇権的な圧力と帝国主義的支配と合わさって、しばしば多くの国で言語の修正と、方言や俚諺の漸進的な消滅に導いた。その反面、植民地主義は少数のヨーロッパ言語が地球上に広がっていくことを確実にした。弱小文化を同化していく傾向はいまもなお続いている。
 それぞれが長い伝統を具現している言語の多様化は、世界の文化的な豊かさと多様性を表している。 一つの言語の消滅はつねに損失となるものであり、その保存は基本的人権のための闘いによるものである。さらに、近代的なマスメディアにおいては、伝統的なコミュニケーションと同様に、種々な言語を使用することは全人口に理解のための平等な条件をもたらす点で有利である。これは言語の多様化からなんらの問題も生じないという意味ではない。全国的な「リンク的言語」ないしそれぞれの言語の間の関係の選択は、困難や紛争の原因となっている(インド、カナダ、ベルギーの三つの例も一部にすぎない)。言語の多様化はコミュニケーションに対する明らかな障壁となり、文化的な問題を生み、科学的、技術的な発展を妨げる。少数の言語の世界的使用は、他の言語に対するある種の差別と言語的な階層性の設定に導いている。それによって世界の人口の大部分は、近代的な研究やテクノロジーの多くを最大限に利用できる言語的手段を欠くことになるのである。
 このような主要言語の集中化は「言語の障壁」の問題が過大評価されているとの見解を力づけるかもしれないが、事実は、そのような言語を話す現地人や、主としてその土地の狭いエリート層に属して、二ヶ国語あるいは他国語を話す比較的少数の人々を除いて、世界中の数百万の人々が、理解し難い障壁に直面しているのである。いまでは情報の流布は、言語的に有力な者の表現と慣用句によって行われる傾きがあり、そのためにこれら多くの人々は差別されているのである。
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 全世界の日刊紙発行部数は総計四億部を越え、過去十年間で二〇%の増加となっている。世界的な平均では、人口一〇〇〇人あたりの発行部数はさらに増加して一〇四部から一三〇部になっている。日刊紙の総数は約八〇〇〇にのぼり、国別で最も発行部数の多いのはスウェーデンと日本で、人口一〇〇〇人あたり六〇〇部近くなっている。地域的に最も多い発行部数はソ連で、人口一〇〇〇人につき三九六部、日刊紙の数が一番多いのは北米地域で一九三五紙にのぼっている。発行部数の最も少ないのはアフリカで、一〇〇〇人につき十四部である。

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 書籍は過去においてもそうであったように、知識と文化的価値のかけがえのない貯蔵庫となっている。今世紀は書籍の生産が拡大し、依然として加速度的に増加しているが、それは識字者の絶対数の増加、教育の発達、ペーパーバック本の出現、生産と配布の技術の改善、そして遠隔地にさえ拡大された図書館や移動図書館の出現によるということができる。一九五五年から一九七五年までの間に、年間に発行された書籍の点数は二倍以上に増加し、発行部数で三倍増となった。現在では、毎年点数で五九万、部数で八〇億が印刷されている。しかし、主として用紙コストの高騰により本の価格は値上がりし、必要な成長を妨げている。状況はこれも顕著な不均衡と依存のそれを示している。本は国内および国家間の双方で非常に偏って配布されている。世界の人口の七〇%を占める発展途上国は、刊行される書籍の二〇%を生産するにすぎず、その多くは先進国を中心とする企業の子会社によって印刷されている。ときには種々な点で不適当な輸入書籍を学校で使わなければならず、自国の図書は出版資源が不適当なため書店や図書館に十分で回っていない。
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【Book】The MacBride Commission. 1980. Many Voices, One World: Towards a New, More Just, and More Efficient World Information and Communication Order. Lanham: Rowman & Littlefield Publishers, Inc.

What I feel a bit odd is the following small print.
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The author is responsible for the choice and the presentation of the facts contained in this book and for the opinions expressed therein, which are not necessarily those of UNESCO and do not commit the Organization.The designations employed and the presentation of material throughout this publication do not imply the expression of any opinion whatsoever on the part of UNESCO concerning the legal status of any country, territory, city or area or of its authorities, or the delimitation of its frontiers or boundaries.
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What??? Why?

The book is an official report by the International Commission for the Study of Communication Problems (aka. MacBride Commission) of UNESCO. And it has Forword by then Director-General of UNESCO, Amadou-Mahtar M'Bow. UNESCO is the one who recruited and called upon the commission members. UNESCO is the one that initiated this commission. And putting all the responsibility to the individuals? What kind of bizarre position is that??

Anyway... I think this report is an important document often ignored by recent studies. Especially, when Japanese are so keen on the international news flow, the Japanese translation of this book is out of print. (I had to bid off an old copy at an auction site!!)

Quotation from the Foreword by Amadou-Mahtar M'Bow.
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Communication is at the heart of all social intercourse.
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Every nation now forms parts of the day-to-day reality of every other nation. Though it may not have a real awareness of its solidarity, the world continues to become increasingly interdependent.
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From the Preface by Sean MacBride.
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In the 1970s, international debates on communications issues had stridently reached points of confrontation in many areas. Third world protests against the dominant flow of news from the industrialized countries were often construed as attacks on the free flow of information. Defenders of journalistic freedom were labelled intruders on national sovereignty. Varying concepts of news values and the role, rights and responsibilities of journalists were widely contended, as was the potential contribution of the mass media to the solution of major world problems.
Given this divisive atmosphere which surrounded the start of the Commission's work, my concern from the beginning was how to achieve a balanced, non-partisan, objective analysis of today's communication scene and how to meet the challenge of reaching the broadest possible consensus in our views on the major issues before us.
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The rest here are from the main text.
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Discrepancy in power and wealth, by its own weight or by deliberate action, has an impact and influence on communication structures and communication flows. Herein lie many of the underlying causes of the inequalities, disparities and imbalances so characteristic of international communications, in particular between industrialized and developing countries.
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Communication's role in international relations is also important, and indeed vital, because it governs the ability of international opinion to come fully to grips with the problems which threaten mankind's survival --- problems which cannot be solved without consultations and cooperation between countries: the arms race, famine, poverty, illiteracy, racism, unemployment, economic injustice, population growth, destruction of the environment, discrimination against women.
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However, the obvious imbalances in communication supported the view that "free flow" was nothing more than "one-way flow", and that the principle on which it was based should be restated so as to guarantee "free and balanced flow". The somewhat hazy origins of these concepts date back to the 1950s; they became more clearly defined between the late 1960s and the early 1970s. By that time, the imbalance in the flow of news and information between industrialised and developing countries was a major topic in international meetings, as an issue in the debate on fundamental political and economic issues in the contemporary world. Today, virtually no one disputes the reality of this imbalance. There is no general agreement, however, about concrete applications of the concept, still less about remedies to the problem and desirable policies. It is for this reason that the concepts of free flow and one-wahy flow, balance and imbalance, have become issues of the debate and indeed of international contention.
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