Thursday, December 22, 2005

ユニバーサル・ノータリン

韓国の高校生から連絡が来ました。韓国で講演した時ファンになってくれた子で(自分の教育者としての才能が恐ろしい、というのは全くの冗談です。ごめんなさい)、以前も連絡をくれたことがありました。

最初普通に近況の話だったんですが、途中から「日本で『嫌韓流』っていう本がベストセラーって本当?」と詰め寄られました・・・

。。。嗚呼、それを訊きたかったのね・・・今日は何のご用事なのかなと思っていましたヨ・・・

えっと・・・そうなんですか?
私も本屋でチラッとは見かけましたが読んでないので内容はよく知りません。売れてるんですか?そんなに?

「まあ、万が一そうだったとしても、読者が皆その本に同意してるとは限らないしね。韓流ブームも本当だよ」と逃げた答えをしてしまいました。ううう。非教育的。ごめんなさい。次回までに勉強しておきます・・・(汗)

その後「日本の学生が『韓国ってカルフォルニアにあるんでしょ』って言ったっていう噂があるんだけど、日本での韓国の認知度はそこまで低いの?」という質問も。

いや・・・それはその学生(?)がスーパー馬鹿なだけ・・・普通はありません、そういう珍答は。(その噂が本当だったとしての話ですが)

仕方ないので、『ボウリング・フォア・コロンバイン』では中年のおじさんがガンジーを知らないって言うシーンがあるし、『パール・ハーバー』を見て「日本ってアメリカと戦争したことあるんだー」とのたまう女子高生もいる。どこの国にもノータリンはいて、上を見ればキリがないのと同じように下にもキリがないの・・・かも?(そう思いたくないけど)なので、幾らボトムが仰天する程やばくても、それは所詮外れ値。必ずしも平均的な層を説明しないかも。今回で言えば、一人が韓国に関して無知だったとしても「日本人が韓国を馬鹿にしてる」ってことにはならないと思うよ・・・と言ってみました。これは正直な気持ち。彼女はそうした例に驚きつつも次第に態度を軟化させてくれました。やれやれ。

もう少し穿った見方をすれば、米国の言いなりにならない国・韓国を、同じく米国(中央政府)の言いなりにならない州・カルフォルニアと重ねたのかも??(それはないか・・・)

まあでも「日本はアメリカの51州目」と揶揄する人たちもいますから、万が一その学生がsarcasticな意味で「韓国はカリフォルニアに」と言ったのだとしても、対象になるのは韓国だけではなく自国もかも・・・という話もしました。(でもsarcasmじゃなさそうな話だけど。)彼女も「ああ、イギリス人もBlairはBushのlapdogだって言うことあるしね」とここら辺では随分相手の口調も柔らかく。少し安心しました。

まあ、やっぱり単に地理がスーパー苦手な子だったというのが一番確率高そうですけど。

そんなわけで、なんとか最終的には友好的な会話に戻ったものの、彼女がどこまで納得できたのかは謎。うーん。まあ、地道に知り合うしかないよね・・・お互いメディアの色眼鏡を外すのには時間がかかるのだろう。。。高校2年生なんて多感な年頃だしね。

でもね、何にしてもこういう訊き難いところをズバーッと訊いてくるこの子の姿勢は大好きです。陰でぶつぶつ言われるよりずっと気持ちいいですね、私的には。彼女の真直ぐさに応えられるだけの洞察力を持ちたいものだと思います。

釘の形

シドニー暴動の話、更に続報が来ました。相変わらず日本のメディアは報じていないようなので、また一応ご紹介します。(この日記読んでくださってる方はディベータじゃない方のほうが多いみたいですね。マニアックなネタが続いて申し訳ないです。どんな話がお好きなのかわかれば多少読者サービスもしたいところですが・・・)

世界大会も間近なので、こんな一つのことに拘らず色んな話題を広く網羅しなければ、と焦る気持ちもあるのですが、コーチの言葉を思い出しました。(はい、選手はここ注目)

「Exampleは釘のように打ち込め」

具体例を提示する時は、一つは聴衆が納得できるように深く説明し(釘の心棒の部分)、類似例を三つくらい沿えて(釘の円盤の部分)一般化に耐えうるグラつかない好例だと固定しろ。ということでした。

移民に伴う摩擦が暴力に発展する例を出すとして、今回のシドニー暴動は、これだけ背景を理解すれば心棒として使えるのではないでしょうか。あとは短時間で説明できるように重要な情報を絞り込んでおきたいですね。

円盤部分は何が良いでしょうね・・・。最近のフランスの暴動と・・・ちょっと古いけどロス暴動(1992)とかどうでしょう。フランスは暴徒が移民側だったし、ロスは移民が別の移民(韓国人)に対して暴力を振るったので、シドニーとは条件が多少違いますね。けど、「移民に伴う摩擦が暴力に発展する例」として使う分には問題ないのではないでしょうか。

日本選手も続々とダブリン入りしているようで、この転載が間に合わない、ダブリンで読んでる、原文を某メーリスで読んだ人などもいるのかもしれないですね・・・頑張れ、日本選手団!!今回は遠方にも関わらず55人というご団体様。嬉しいことですね。ホント頑張れ!そして助け合おう!

アイルランド観光にかまけすぎず大会まで新聞は読み続けたいですね。シャロン首相が入退院しましたね。選挙、そして和平への影響はどんなことでしょう?ニュージーランドにSantarchyが飛び火しましたね。どういう思想背景でそんなことする人がいるのでしょうか?イギリスがEUからのリベートを諦めましたね。EUの財政特にCAPにはどんな影響がありますか?香港でWTO反対デモをした韓国の農民が1000人も捕まりましたね。過激なデモが正当である可能性はあるでしょうか?(いかにも論題になりそうじゃないでしょうか?)大丈夫ですか、押さえてありますか?(え、とっくに予習済み?失礼しました)

とにかく知識は大切です。知識がないと浮かばない発想がありますので。飢えている人がいることを知らなければ援助しようという発想は出てこないのではないでしょうか。地震があったことを知らなければ義援金を出さないでしょう。「優しくなるために学ぶ」んですから貪欲に知識をつけたいですね。他人に納得してもらう、その前に自分を納得させるとなれば発想レベル以上の知識が必要かも。なので、読め読め読めー、です。頑張りましょう。

あ、でも大会始まったらほどほどに。折角聞いた事もないような国の人が隣に座っているのに新聞に鼻を突っ込んでるようでは野暮ですよね。大会が始まったら、世界中の人の生の声を聴くことこそリサーチ。Socializeするのも勉強のうちだと私は思います。パーティもしっかり楽しもうね!

前置きが長くなりましたが、以下転載です。

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自分の書いたことを読み返してみたんだけど、ちょっと説明が一方的だったかも。もうちょっと白人側の背景も触れるべきだったね。

Cornullaはちょっと変わったところだ。平均的オーストラリア(そんなものがあるなら)とは言えない。あそこの住民は若くて、教育水準が低くて、経済的にも恵まれた方じゃない。

でもそれだけじゃないんだ。Cornullaの住民にはちょっと排他的なところがある。

数年前、NSW政府は、鉄道をBondiからCornullaまで引き伸ばすと発表した。つまりは、地域住民の職の機会が増えるように、あの地域へのアクセスを良くしようとしたんだ。

しかしなんとCornulla住民達はその開発計画に反対運動をしたんだ!

政府関係の職につくものとして言わせて貰えば、それは目茶目茶異例なことだ。ほとんど国中全ての郊外はもっと鉄道を、もっと公共交通手段をくれと言ってる。だから、郊外の方がそれを拒否するなんてゆうのは、まあちょっと見ないことだ。

それがあの人たちの、自分達のビーチの愛し方なんだな。皆が彼らのビーチに来たがってることには大満足なんだ。けど実際に来てくれちゃ嫌だってわけだ。

だからあまり裕福な地域じゃないんだ。沢山の移民(特にアラブ系や地中海系)が近隣に住んでるし、'yobs' (and aussie word for redneck) は移民の流入を止めらず彼らとビーチを共有したり幾つかの職を奪われたりされなきゃいけないことに腹を立ててる。そんなわけで彼ら自身がノータリンで人種差別者だからこそ暴力的になってるんだ。

だから○○の中部オーストラリアに対するコメントには同意するね。それは特にCornullaに関して的を射ていると思うよ。

でも全てのオーストラリア人が同じだとは思わないで欲しいんだ。

今日発表された世論調査では、75%のオーストラリア人が多文化主義と移民の受け入れを支持すると答えている。

ちょっと凄いことだろ?
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私の感想ですが、開発を拒否してるからといって排他的・ノータリンとは限らないんじゃないかと。イギリスの湖水地方が鉄道を敷くのに反対したように、開発を制限することで地域の文化遺産・観光資源を守っているケースも結構ある気がします。

でもCornullaビーチが民族問題で特殊だ、というのはそうなのかも・・・?ここら辺はMissyちゃんやnaohdkちゃんの意見を聞いてみたいです。

Tuesday, December 20, 2005

資源は大切にね☆

今朝も相変わらず明け方に宿題終了。できは良いのか悪いのか判然としないものになりました。

中国の炭鉱のある省名がチャンツィーと聞こえるのだけど、英語の綴りはおろか漢字でどう書くのかもわからない。中国の炭鉱をググッてみるも、河北省で起きた事故の話ばかり。いや河北はチャンツィーとは読まないですよね?うーぬ。迷った挙げ句江西省(Chianghi)にしてみました。合ってるのかなあ。

あと、ベルトコンベアのコンベアの綴りをチェックしようとしたらどの辞書もそんな語はないと出るのでプチパニック。コンベアではなくコンベヤが正しいと学ぶのにえらい時間かかりました。ていうか英語の問題じゃないし。後になって、conveyにつけるのがerだったかorだったか確かめたかっただけなんだから英英や英和でも一向にかまわなかったのではと気が付きました。嗚呼なんでもそっと早く気がつかんのかのう、この子は。脱力感ジベタリアン級。

昨日はタイの大学出身、インド在住のミャンマー人から三回も電話がかかってきました。途中一度突然Skypeが途切れて何かと思ったら向うが停電で一度落ちたとのことでした。WebCamの向うにワイヤレスのヘッドシステムを装着した相手が見えるのに不釣り合いに基本的なところに問題あり。インドはインフラがねー、とぼやく友人の言葉が前日のNHK海外ネットワークのまんまで、わー、ホントなんだあ、とか思いました。

ちょっと勝負に打って出ようと思うんだけど、という相談をされました。結局議案が通るのにあと何票必要かという票読みの手伝いまでさせられました。世界大会での投票は、参加規模に応じて各国保有票数が違うので集計プロセスが必要以上に煩雑です。数学は本人の方が得意なはずなのに、あとステータスAの国何ヵ国最低必要、などと言う私の言葉をメモっている友人を見ながらミャンマーでは鶴亀算教えないのかな・・・とかぼんやり思いました。 よく考えたら鶴亀算は中学レベルの方程式で解けるから何処の国でも習う筈だなあ。まあ、良いか。いつもITでわからないことある時は助けてもらってるものなあ。

向うもこっちも自分の作業しながら話しているので、友人の方は部下が書類上の指示を貰いに来るところまで丸見え・丸聞こえ。で、友人ももっともらしく、ここは二言語表示で良いけどここからここまでは三言語にして、とか注文つけてました。指示の内容がインドって感じ。トリリンガルで書類作ってるんじゃオフィスの紙消費激しそうだなあ・・・

あ、そろそろ着きます。それではー。

Monday, December 19, 2005

人間はひとりの方がいい?

森田公一の1976年の歌。「裏切るせつなさに泣かなくてすむから」と続く歌詞は阿久悠作です。人の寄り集まった都会で生きることの葛藤が歌われているようです。

しかし集団生活が沢山の矛盾と葛藤に満ちているというのは、小中学生の学校生活しかり、村落での寄り合いしかり、都市問題しかり。。。

シドニーの暴動の件、更に続報が来ました。同じくメルボルンの白人オーストラリア人からです。この人は私が今までに出会った選手の中でベスト10に入るキレとサエのあるスピーチをする人です。(おそらく千人以上の選手達を見てきているので、つまりトップ1%に入るという意味です)彼みたいに頭が良くなれるなら、・・・何を我慢できるかな。。。うーん、そうね・・・彼みたいに頭よくなれるなら一生禁酒しても良い!!

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まず今回の暴動は偶発的なものではない。ここ数年New South Wales(NSW)では民族対立がひどく高まっていた。人々を極端な思想に走らせた一つの原因は、多発したgang-rapesだ。レバノン系ムスリムの強姦魔たちは、白人(anglo-saxon)の女の子だけを狙った。彼らは非情にも7・8人がかりで公園や駅で強姦したんだ。強姦魔たちは被害者の女の子たちに、「チャラチャラした"skips"(白人オーストラリア人を指す俗語)にレバノンの男の逞しさを教えてやってるんだ」と言ったらしい。

このギャングの首謀者は55年の禁固刑を言い渡された。他のメンバー達も長い刑期を宣告された。(殆どの刑は後で酌量されたけど)

こうした事件はすさまじい報道の嵐を巻き起こした。各メディアはこぞって、いかに残虐な"Lebo" gangs(レバノン系ギャングたち)が善良で真面目な白人諸氏を脅かす存在か書き立てた。それ以来、暴動はいつ起きてもおかしくない状態だったんだ。

今回の暴動は、中東系オーストラリア人の集団がシドニーのビーチをぶらついて、日光浴している女の子たちに「強姦されてもしらないぜ」といったことから始まったみたいだ。それから白人系のライフセーバー(救助隊員)が襲われて、あとのことはご存知の通りだ。

どうか誤解しないで欲しい。人種差別主義的な白人群集を擁護するつもりは毛頭ないよ。ただどうして今回のようなことが起きたのか説明しようとしてるだけなんだ。僕だって今回の暴動には反吐が出そうだ。それから今までオーストラリアでは耳にしたこともなかったようなネオナチのグループが、今では公に活動を行ったり新人勧誘するようになったことも本当に案じている。これはとても危険な傾向で、止めなくちゃならない。

それに酷いことをした"Lebs"はレバノン系のうちのほんの一握りだってことも忘れちゃいけない。丁度ほんの一握りの"skips"が強姦や暴力を振るったりするのと変わらない。だからそんなこと言い訳にはならないんだ。双方のグループのリーダー全員が逮捕されるべきだ。

この週末もシドニーでは暴動があった。前のより小規模だったけどね。あるんじゃないかと噂されたメルボルンでの暴動は結局(幸いにも)全く起こらなかった。メルボルンで暴動が起きるとは思えない。ここにはNSWのような背景がないからね。でも全くありえないとは言えないんだろうな。。。
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というわけでした。

こういう人のコメントを読むと、移民を全てシャットアウトすることで問題を避けている日本という国について考えさせられます。この人みたいな勇気を、私は持っているかしら・・・複雑な背景の中で「これが正しい」と公言するこの勇気が、彼のスピーチをあんなにも分かりやすく、キレのあるものにしているのかもしれません。前回の先生についても思いますが、本当に真直ぐで綺麗な人たちなんですよねぇ・・・

Friday, December 16, 2005

君の瞳は真直ぐすぎる

Missyちゃんの解説で興味を持ったので、ここのところサッカー豪日戦の話題で持ちきりだったオーストラリアの友人達も入っているMLでも「What makes a OZ OZ?」といsubjectで話を振ってみました。

で、メルボルンにいる方からレスがあったのですが、

1. giving a fair goの歴史背景は何?
2. シドニーの暴動についてどう思うの?

といった私の疑問に答えてくれるものでした。
この方は一度来日したこともあるのですが、もうこれでもかという程心根の優しい人です。正義感が強くて熱血で、新婚の奥様をとっても大切にしています。私の理想の上司像そのものです。真っ直ぐな人なんですね。

そんな大好きな先生からのメールで嬉しかったわけですが、なんだか色々考えさせられてしまいました。一部抜粋和訳してご紹介します。

(ちなみにこの方はアングロサクソン系の外見です。また、中部オーストラリアを悪く言っているのは、おそらくご本人の出身地域なのではないかと思います。)
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'fair go'についてだけど、色んな意味を指し得る言葉だね。僕の考えでは、オーストラリアの平等主義的な政治背景と関係あるのではないかな。労働党は、この開拓精神に溢れた土地に、誰もが等しく機会に恵まれるという夢を定着させようとした。(黒人や黄色人種、同性愛者といったマイノリティでなければという話だけど)現実にはfair goといったって本当の平等ではありえなかったわけだけど、人種的な問題を除けば世界の大半の地域よりは平等主義的であったかもしれない。それが"fair suck of the sausage, mate"(give me a fair go"の意)のようなオーストラリア独自の標語を生んだりもした。とにかくこれは機会の分配についての言葉なんだけど、多分に幻想でもある。

暴動については、僕個人は本当に憤りを感じている。オーストラリアの"文化の砦”たるこのメルボルンでは、それが一般的な反応だろう。とはいえ、今週末はゴタつきそうだ。問題は、残念ながら、二重にあるように僕には思える。

1. オーストラリアの多文化主義的たれという努力は、ちょっと過大評価されすぎたのかもしれない。幾つかのグループはそこまで許容されていない。一般論になってしまうのは勘弁してもらいたいんだけど、イタリア系やギリシャ系移民たちは、50年の移民の歴史を経て、今はもう社会の大半に"true blue aussies"として溶け込んでいると言えるだろう。出自を超えた結婚や幼馴染関係みたいな交流が沢山されている。もっと最近になって目立ったのはアフリカ系や中東系移民で、彼らはまずまだそこまで古株になりきっていない。それにより違いが見えやすい(身体的特徴だけでなく宗教的にも)。恥ずかしいことだけど、中部オーストラリアでは彼らに対する社会的認知は低いんだ。ホント単純な話なんだよ。だから彼らも居心地が悪い。だから問題を起こしもするんだ。

2. 中部オーストラリアの住人は、粗野で教養のない無骨者で、反社会的な行動をとりやすい。今回のこともアングロサクソン系のアホたちが始めたに違いないと思う。

こういうことを終わらせるために何ができるのか僕には分からないけど、今晩はメルボルンでも人種差別に抗議するための非暴力デモが開かれることになっている。僕も参加してくるつもりなんだ。できることはなんでもやるべきだから。もしもナチみたいな煽動が起きたら、人種差別に反対する人間が必ずしも非暴力主義者じゃないってことを見せてやるよ。つまりは僕だって棍棒を振りかざす覚悟があるって意味だ。
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どう思いますか?

私は最後のパラグラフに吃驚しちゃって、慌てて「ぎゃー!!あなたの社会正義に誠実なところは大好きだしいつも尊敬してるけど。けどけど怪我しないでね。危ないことしないでね」と書いてしまいました。つーかあなた警察官じゃないのよー!そういうのは警察にまかせよーよぉお。とか思いました。もちろん棍棒云々は彼流の冗談だと思いますが、それにしたって穏やかじゃありません。メルボルンも週末はゴタつくってどういう意味でしょうか??

でもですよ、人口約400万人のシドニーで5000人の若者が暴徒化したって話じゃないですか。人口が9倍いる東京圏ならこれは4万5000人規模相当ですよ。半端なく大きな話じゃないですか。相対的に移民の少ない日本だと想像しにくいですけど・・・。例えば・・・東京の酔った若者4万5千人が「赤字大国にしまくって始末は俺たちに押し付けるのか」とかなんとか言って集団オヤジ狩りとか始めた日には・・・どうにもこうにも恐すぎじゃないですか。ていうか4万5千人動員はありえないですよね。でもそう考えると本当に深刻なのかもしれませんよね。飛び火が心配されるほどに。

当初「酔った勢いでの行動」的に報じられたので、まああったかくなる時期だしねー。ビーチで遊んでてお酒も入ってなんだか極端な集団心理が働いちゃったのね、とか思ってましたけど(それだって十分恐い)、なんだか昨日の晩まで暴力行為があったっていう話じゃないですか。うーん・・・大丈夫かなぁ。去年の夏シドニーで仲良くなった友人はギリシャ系の娘さんでしたが・・・あの子大丈夫かなぁ。友人の殆どはメルボルンなので暴力だけは飛び火しませんように、と祈
るばかりです。

で、そんな風に話が大きくなってるのに、Yahooニュースで「シドニー」を検索するとサッカーのカズの話ばかり何十件も出て暴動なんて2・3件です。MSNニュースは豪州についてはハエの大発生の記事。何をやってるんだ日本のメディアって!!!そんなんじゃどんどんどんどんどんどんどん、世間知らずになっちゃうでしょーーー!!!

Thursday, December 15, 2005

SAYURI

見てきました。世界大会で日本人と自己紹介した瞬間に相手がこの話題を出してくるのは必至なので、「見てない」では話にならないからです。「日本人は自分の国のことも良く知らねえ」的ニュアンスの視線を受けるのは大嫌いです。「日本人はモノを知らない」という先入観が既に植え付けられている人は残念ながら多いと思います。そういう人の中には初対面の相手にもその先入観の裏づけになると思うことを見つけては満足するタイプも結構います。その時になっていくら心の中でハリウッドのジャパネスク映画を見たかどうかは日本を知ってるかどうかと関係ないぞ、と反論したところで何の意味もありません。勝負のある国際コミュニケーションの場では隙を作らないのが必定です。走りこむようにして映画館に入りギリギリセーフ。切符を切るお姉さん的には、達磨ストーブのように防寒フル装備、しかも風邪予防マスクをして息の荒い客が、上演寸前まで変な英語のプリントのファイルに鼻先を突っ込んでて怪しさ爆裂だったかも。えーん。。。だって。

で、映画自体ですが・・・

良かったかも。

やっぱり「芸者役が日本人じゃないなんて」と拒絶反応が出て「見たくない」と仰る方が周りには多いんですが、そこまで違和感はなかったです。もちろん細かいこと言ったら色々ありますが。ていうかみんなが英語で喋ってる時点でもうそもそも現実感は薄すぎるので。キャストや監督が言うようにちょっとジャパネスクな「ファンタジー」だと思えば、割と良い出来なのではないかと思います。

蝶々婦人は私も嫌いです。長野オリンピックのオープニングで蝶々婦人の曲が流れた時はセンスのなさに暴れそうな気分になりました。けど、SAYURIはそういう蔑視された感じはあまりなくて安心して見れました。むしろ「ロスト・イン・トランスレーション」なんかよりずっと感じ良かったかな。(Lost In Translationはなんかイライラとモヤモヤ溜まりません?なんかどこか感じ悪いんですよね)

「細かいこと」も一応書くと、芸者の髪型が日本風ではなくどちらかというと中国風(アミダラ姫の方がよっぽど日本の芸者っぽい)でやけに縦長。あと着物のおはしょりがない。その代わり子供服でするような肩のおはしょりがある(これは結構変)。お化粧は眉が薄すぎる。しかも眉に赤いパウダーが乗っていない。チークが濃すぎる。同じピンクを乗せるなら目周りにいれて欲しい。豆葉役のミシェル・ヨーには白塗りが確かに合わなさそうだけど、色黒で塗りなしの一流売れこ芸者というのはちょっと難しい(けどミシェル・ヨーの声はすごく素敵)。SAYURIも豆葉も着物なのに足まっすぐ出しすぎ。裾がはだけるからもう少し内股に歩いて欲しい。などなどなど。

けどまあ、その程度は仕方ないし許容範囲かな、と。

それよりも感動して思わず涙が出たことが一つ。(他にも泣いてるお客さんがいたようでした。理由は違うだろうけど)

私が感激したのは、

渡辺謙の英語がすごーーーく良くなってる!!!

こと。

ラストサムライでの英語の台詞は字幕がなきゃ分からないような代物でした。バットマンビギンズでは英語で話させても貰えませんでした。

その彼が!!

聞き取れる英語で喋ってる!!!凄い!!よくぞこの短時間にここまで変わったと思うくらい発音もリズムも良くなっています。これはかなり頑張ったんだろうな・・・と思いました。それでもやっぱり子音が抜けることがままあるんだけど、でもどの単語を言いたかったのかはちゃんと分かるので大きな問題なし、です。素晴らしい!!涙モノです。

頑張ったね、渡辺謙!!偉いぞ、渡辺謙!!次はもっと台詞の多い役にチャレンジだ!!

しかしやっぱ芸者役は若村麻由美みたいな芸者姿のはまってる人にやって欲しかったなぁ・・・(若村麻由美が豆葉役とか最高だったと思うんだけどな)

Tuesday, December 13, 2005

越冬・甘党・象牙の塔

やー。とうとう昼日中に雪降る時期に突入してしまいましたね。今日から越冬グッズフル装備です。あったかーい、と今日は思えてもその内慣れてしまってこれでも寒いと思うようになるんだろうなあ。

寒いと甘いものとか高脂肪なものとかに手が出て危険です。ああ今年も冬に太るパターンから抜けられないのかしら。でもシュークリームおいしいにゃあ。

先日デスクの近い先輩に珍しい果物を頂戴しました。冷やして食べたら超美味でした。で、これはお礼せねばとシュークリームを持参したらその日はキャンパスにいらっしゃらなかったようで。うーん、どうしようかな、と逡巡したのも束の間二つ目のシューも私の胃に消えました。あぁっしまつた。いや、ナマモノだしね。カスタードは日持ちしないし。。。

うう。夏はぜーんぜん甘いもの欲しいと思わないのになあ・・・冬期限定甘党だわ。

象牙の塔とは程遠いうちのキャンパスでは自分とフィールドが同じ人を見つけるのはほぼ不可能。作業デスクはともすると象牙の塔というよりただの孤島に。自分のシマでジタバタして一息つくときは、前述の先輩のような方がいるとホッとするもの。有り難い限りです。私もたまには・・・のはずが・・・自分のいやしんぼが憎い。

Monday, December 12, 2005

花より団子 色気より食気

オーストラリアの友人が旅行先のトルコからメールをくれた。写真が見たいなァ。きれいなんだろうなぁ、トルコ。オランダから着たプロジェクトの進捗情報は略語が多くて読みにくい。Philは人名なのか、それともフィリピンのことか?その前後にSingaporeが主語になってる文があるからフィリピンかな・・・中国からはBirthday BookをUpdateする云々とあるが、リンク先のSNSが初めて見るもの。英語のSNSはFriendster以外、登録も使うのも面倒で放っときっぱなし;紹介文書いてくれた人ごめんなさい、の極地。今は何がメジャなのかしら?Hi5?

日曜はシドニー近郊で民族トラブルがあったとか。うーん、フランスから突然飛び火?それとも対テロへの反発?(オーストラリアの対テロ法は結構恐い)とか思いましたが、ArabicとMediterraneanが標的にされたとあるので逆みたいですね。右系の人が暴れたのか・・・。シドニーってゲイとかには凄くオープンで、多様性オッケーって感じするのにね。地中海系ってギリシャ人かな。シドニーはギリシャ人のコミュニティが大きいらしいですね。去年サッカーでギリシャが勝った時凄いパレードしてるの見ました。

でも白状すると、確かにオーストラリアはよく大きな人種対立事件起きないよなぁって印象を受けたことが一再ではありません。こういうとオーストラリア人の友達は驚くんだけど。でもレストランでのウェイトレスさんの対応とか、通りで道を尋ねたりした時でさえ、すこぉーし感じます。あ、私今「アジア人だ」って思われたなって。考えすぎかしら。まあ、オーストラリアに行ったこと自体4・5回なわけで、その程度でどうこう言うと失礼かもしれませんが。でも何故か不思議とアメリカでは感じなかった何かです。どちらも移民の国なのに不思議・・・。

以前オーストラリアの友人に「君と僕は同じ大学生だけど、その前に僕はオーストラリア人で君は日本人だ。僕は男で君は女で、でもその前に僕はオーストラリア人で君は日本人だ。国籍はアイデンティティの一番基本的な部分だ。」と言われて驚いたことがあります。そおうぉおお??年代とか性別とかだってプロフィールの基本的な部分じゃないかなぁ。オーストラリアの子とだってガールズ・トークで盛り上がることってあるしなぁ。他の何よりも国籍っていうのは、ちょっと恐くて私には言えないなァ。大体、ことアイデンティティについては、どれが一番ってそう簡単には言えなくないですかね。「俺にとっては国籍が一番」って言われた瞬間に、「それって見知らぬ同国人と知り合いの私が溺れてたら、迷わず前者を先に助けるってこと?」とかまで考えてしまいました。うーん、そんなこと怖ろしくて私にはとても言えない。。。自分が何言ったか解ってんのかなぁ。彼の場合は国籍が基準で民族が基準じゃないわけなんですけれども・・・それにしてもそんな割り切れるかなぁ。移民の国の人にしては随分おーざっぱなアイデンティティだなぁ;と思いました。

その後、国立病院に治療費を払えない外国人が担ぎ込まれてきた時治療するべきか、という議論にも発展したりしました。この人は「インドネシアから病院行くために来る人たちが大勢いる。非納税者が国立施設を構造的・計画的に搾取しているのは看過できない。しかも来院してる理由が命に関わるような病気じゃないのが殆どなのはけしからん」という意見でした。うーん、確かにフリーライダーが増えちゃうと社会的な問題になるんでしょうけれど・・・しかしなぁ。ことが医療だと人道問題だしなぁ・・・うーん・・・。日本でも一部の市町村で治療費を自己負担できない外国籍人の増加が問題となっているようですね。けど、「外人だから打ち捨て御免」なんて言える人いるかしら・・・まあ構造的・計画的と言えるほど大規模な「病院観光」が発生してないからそうナマッチョロイこと思えるのかしら。。。

もちろん、この人は特殊かもしれません。オーストラリア人が皆こういうナショナリスティックな意見だとはとても思えません。ただそれにしても「移民の国の人にしては大雑把だなァ」という印象は拭えないというか。「こんな発言しても聞きとがめられないんだぁ」と思うというか・・・(自分とこの暴言の多い某知事はどうなの?確かに・・・)イマイチ読めない国・・・

でも同じようなことがアジア人についても言えるみたいです。別のやはりオーストラリア人の友人が、「僕アジアの大学で結構教えてるでしょう?教え子が大会で観戦席にいることも多いんだけどさ。僕とアジアのチームが対戦してると、皆凄い形相でアジアのチームを応援するんだよね。仲間意識なのかな。けどさ、普段凄くなついてくれて教えてくれって言うのに、アジア人じゃないと簡単に敵になるんだね・・・。教え子が僕が負けるのを祈ってると思うとやっぱ辛いんだよね」と言っておりました。そりゃそうだよなぁ。うーん、豪亜大会の豪州vs亜細亜の構図は人種も絡むから更にややこしいです;大学対抗戦で地域対抗戦じゃないはずなんですけどね;それもこの人ある年の豪亜大会の決勝でアジアのチームと当たったんですが、いやー、アジア人が全員綺麗にアジアのチーム側のベンチに座って。何故か私真ん中のどちらかと言うとオーストラリアチームよりに座ってしまって、両側からじろじろ見られて難儀しました;少ないサンプルで一般化はできませんが、その大会に同行していた日本人の子たちは比較的「上手な人が好き」とか「頑張ってる人が好き」といった感じでした。そもそも「俺はアジア人!」という気持ちが薄いみたい。「じゃあお前ら何人なんだよ」って言われれば確かに浮遊系・漂流系。でもその方がいっそ気持ちが良い時もある気がします。

こんなこと言ってて、私も、
「やっぱ俺達アジア人は米喰わねーとメシ喰った気がしねーよな」
というマレイシア人の言葉につい頷いちゃったりすることもあるんですけど(笑)だってやっぱ二週間くらいパン食続くと中華の看板が誘惑してるようにみえるもん(笑)

Tuesday, December 06, 2005

運命の裏木戸

「英語と運命」という本を読んだ。四百ページ以上あるのに半日弱で読めてしまった。そのくらい面白かった。

経験的に語学関係の本というのはハズレが多い。読んで解ることはハウツー本を読むのは時間の無駄、ということくらいだ。外語を学ぶというのは量が質に優先する世界だと思う。母語で外語の勉強法についてあれこれ読んでる暇があったらその分外語で読むのに使った方がなんぼも建設的である。中学を出てしまったら勉強法を工夫するよりスポ根的に無理矢理読んだ方が良い気がする。

しかし今回読んだ本は一味違う。ハウツー的な価値は極めて低い。が、根性出すぞ、と思わせてくれる効果は絶大。何より文章自体が面白いからエンターテイメント性が高い。役に立たなくとも損したとは思わない。世間に数多溢れる外語学習本とは裏腹なコンセプトの本かも。

うーん、こういう本に増えてほしいなあ。

Thursday, December 01, 2005

ゼロからの挑戦

マレイシアの友人からメールが来ました。5月のマレイシアでの大会の間に会おうねって言ってたのに行けなくてごめんね、実はアメリカの大学院に進学しました、とのこと。ほほう。この人は新潟にある大学院も受験していて、その時ちょこっとお世話したのでした。進学上手くいったのかなぁって思ってたから良いニュースで何よりです。で、来月成田経由で里帰りするから成田から電話するよ、と言うのですが・・・皆知らないんですよね。成田がどんなに都心から遠いか。。。師走の慌しい中成田まで会いに行くのはちょっと難しいなぁ・・・うーん、会いに行けないってどう伝えるべきかな・・・

今日はISO規格に関する説明を聞いていますが、なかなか面白いです。

ビデオの書き起こし、終わりました。「真田広之 ゼロからの挑戦 -日英合作『リア王』苦悩と喝采の裏舞台」という2000年に放映されたNHKの番組。真田広之は日本人として初めて、Royal Shakespeare Companyの舞台に出演しました。英語で本場の役者達と共にイギリスの観客の前で演じる。その果敢な挑戦を追ったドキュメンタリーです。

その中では、英語の特訓に明け暮れる日々、プレッシャーと闘う場面、最後にはその英語のアクセントがイギリスの批評家に酷評された記事の紹介など、その挑戦の困難さが分かるシーンが繰り返しあります。パフォーマンスのプロにとって外語でパフォームすることが如何に難しいのかがよく描写されています。この番組はかなり大きな反響を呼び、真田ファンを一夜にして大量に増やしたとか。「ああ、わかるなぁ」と思うシーンが沢山あって感情移入してしまったりします。でも冷静に考えてみると「国際大会でのディベートってある意味これより凄いよな」とか思ったりも(汗)やっぱり台詞が決まっていて、何ヶ月も練習できて、しかもネイティブの専門ボイスコーチとマンツーマンでその決まった台詞を一文ずつ延々練習できるっていうのは羨ましいですね。我々準備時間15分ですからね。

今回私は審査員なのですが、少なくとも私は審査員だと更に緊張します。。。選手ならヘマっても自分が痛い目見るだけですけど、審査員はヘマると選手たちが怒りますからね。当たり前ですけど。聞き取れなかったとか、わからなかったとか言っても選手は納得しませんよね、当然。文句を言われたり噛み付かれたり陰口言われたりするわけで・・・まあ幸いそういう目にあったことは今のところありませんが、よく見かけます。明日はわが身。何が何でも聞き取って、議論を判るか、相手の議論がヘボいから判らないということが判るか、どちらかにしなければならない。世界大会は合議制審査なので、審査員同士の議論の中で理解度が必ず露呈しますし。毎試合テスト受けてるみたいです。ディスカッションも主審の行う判定理由の説明も準備時間ゼロのプレゼンテーションです。ある意味選手以上にプレゼンテーション能力、即応力が問われます。特に主審が判ってないと思われるとホント格好がつかないです。国際大会では審査員にもランキングが付きますしね。ストレスてんこ盛りです。

スコットランド訛りの選手がフルスピードで喋っといて、ノートを完璧に取れって言われてもな、って気はしますけど、訛りで差別しちゃいけない、というルールがあります。自分の訛り考えたらありがたいルールなんでしょうけど。。。あんまり酷い訛りだとせめてスローダウンしてくれよとか思わないでもありません。まあ最近はあまり困ることもありませんが、それでも「蓋を開けてみたらぜーんぜん知らん話題でアホみたいに訛ってる選手が頓珍漢としか思えないセッティングで議論始めたらどうしよう」という恐怖は付きまといます。大抵の場合は杞憂で済むわけですが、それでその可能性に対する恐怖がゼロになるわけじゃないですしね。

そういうストレスに苦しまないで済むためには・・・努力して少しでも自信をつけておくしかない・・・ということで、がんばらな・・・。真田広之も延々ケンジントンパーク走ってましたしね。地道な基礎づくりと当日までの調整が大切ですよね。うん。基本を馬鹿にしてはいけないですよね。

Monday, November 28, 2005

話して読んで書いて

オランダの友人と無事Skypeでチャット。3月に中国へ行くというので、丁度中国の全国大会の時期だから見学してきたら、とススメてみました。大会のサイトを開き、中国のサーバが遅すぎると二人でひとしきり文句をたれつつ打ち合わせ・情報交換終了。インターネット電話ってホント便利。メール書くよりずっとお手軽です。あと時差がなかったら最高ですが、どんな技術者もそればかりはどうもできませんものね。

今日は引用に使いたい別のドキュメンタリーを書き起こし中。googleで一部書き起こしたものを見つけたので参考にさせてもらいました。とは言っても使いたい部分があまり入っていません。諦めて大半は自分で書き起こしすることに。古いテープなのでステレオの片方しか音が生きていない部分が断続的にあってなんだか妙な感じ。どうやらネット上では「幻の」扱いされている貴重なビデオだったみたい。そんなお宝だったとは知らんかった・・・でも確かに内容は素晴らしい。家にあったビデオは残念ながら最初の十数分が抜けている。DVDとかで販売されていれば良いなぁと思ったのだけどどうやら販売も公開もされていないようです。良質のドキュメンタリーというのは知的財産だと思うので、もう少しアーカイブ化が進むと良いのに、と思います。

本の方はぐっとくだけて「武器としての言葉政治」を読みました。視点や方向性はとても良いと思う。ただ分析が随分粗い。それにしてもやっぱり日本語で読むのは速いですねぇ。楽だわぁ・・・

Sunday, November 27, 2005

注文の多い芸達者

昨日急行電車を待っていたら、コンタクトレンズがポロッ。うきゃー。と慌てて受けとめたところで電車がビューッ。あっきゃーー!!飛んでいってしまいました。慌てて探している間に電車がゴーン。結局片目レンズなしのまま一本後の各停に。えーん、えーん、えーん。電車はもそっとそうっと入って欲しいものです。って無理言うなや。

バングラディシュから昨年の会議の議事録が配られました。例年要点をまとめた箇条書き的なものでしたが、どうしたことか今年は一言一句書き起こしてあります。10時間に及ぶ耐久レースみたいな会議がです。私の発言部分など文法エラーまできっちり再現されています。。。そこまでせんでもええんちゃいますか。結果、こんな長いの読んでられるかっと短気を起こしたくなる代物に。とはいえ、まあこればかりは読むしかない。と開いたのも束の間一昨夜は眠りに落ちてしまいました。うーん。まずはこのヘタレを治さねば・・・

ちなみに議事録を担当するセクレタリーであるバングラディシュの方。身体も巨体なら声も人間拡声器。というかそんじょそこらの拡声器には余裕で勝てるという方です。また歌が好きで彼の乗るバスはもれなく修学旅行モードになります。乗り合わせると必ず、お互い伝統民謡を一曲ずつ唄い合おう、と言われます。ちなみに拒否権はないようです。問題は彼の注文。毎回同じなのですが、明るいラブソングであること。うーん・・・民謡は風景歌ばかりだし演歌は悲恋ものばかりだし・・・思い浮かばないぞそんな歌。と唸ってる間にも相手は既にベンガリで朗々と唄っています。歌詞を英訳して解説までしてくれます。アンビリーバブルに甘い英訳版歌詞に驚いて彼の方を振り向けば、ジャイアント馬場と猪木とジャンボ鶴田を合わせて黒くしたみたいな迫力ある顔がさあお前も唄えと満面の笑みです。うーん、明るい伝統的な恋愛歌・・・本気で思いつかないんですけど!ムリ!パスいち!と言えば勘弁してくれる人じゃありません。仕方なく、日本人は根暗だから明るい恋愛はしないんだ
ヨと嘘をつきルール変更要求です。ポップなら幾らでもあるんですけどね。

世界のどこかで、国籍の入り交じった若者達が大勢乗る大型バスが十台も二十台も連なっているのを目にしたら。満月の銀の光に包まれた君の美しさが僕を胸いっぱいにする、とかなんとかベンガリで歌い上げるバングラディシュ人。そして居直り気味な外れた音程で北の宿を熱唱する日本人。そのバスはそんな人達を乗せて疾っているのかもしれません。

明るい恋愛系演歌をご存じの方、是非御一報下さい。短調不可でお願いいたします。

Friday, November 25, 2005

感性の時代・言葉の時代

今日はあったかくて良いなぁ、とか思っていたら早くも冷え込んできました。うう。冬めー(涙)

1993年に放映されたらしきTV番組の対談を書き起こしました。問題は放映された正確な日付がわからない。これでは引用できません・・・うーん。阿久悠と小椋佳の対談なんですが、小椋佳が良いこと言ってるのよね、ホント。内容は「今後言葉の時代が再来する!」というもの。しかし還暦迎えたオジサマの言葉に共感してる私。うう。年寄りっこは三文下がるのにぃ。

オランダから「いつでも良いけど早く電話頂戴」と催促されました。つーか、時差考えるとそうそうできませんよ。高いしさ。仕方ないのでSkype入ってくれ!とメールしてみる。それかコストパフォーマンスの良いコミュニケーションを保証するとか。そんなんできるかいな?そこをなんとか。簡潔明瞭かつまったりと芳醇な濃くのある言葉の宝石を・・・って何の番組だ(笑)やむをえんなぁかけるか。で、一言Skype入って、って言って切る、と(笑)

Wednesday, November 23, 2005

Wonders Never Cease

しばらく前のことだ。世界遺産だか何かに登録されているルーマニアのあるキリスト教系の教会を訪ねた。入り口すぐの部屋の壁画が全面聖人達の殉教シーンである。それがまたパステルカラーとかの生易しい色合いではない。首なし死体から噴き出る血が鮮やか且つ深い赤で塗りこめられている。数十人、ひょっとすると百人以上の凄惨な最期。首切りあり焼身あり生きながらに獅子に食い殺される者あり。それが壁といわず天井といわず1ミリの隙間もなくびっしりと極彩色で描かれているのだ。地獄絵図の類ではない。聖人達を讃え崇めるためのものらしい。一つ一つの絵に殉教した聖人の名が付されている。当時の僧達にとって、殺されることこそ宗教心の現れであり、その死に方が苦痛を伴う程尊いと考えられたのだと説明を受けた。信仰の証として可能な限り凄惨な死を遂げることが生涯の夢であり、競ってより残酷な方法を選んだのだという。古い建物なので明かりは入り口から差し込む陽の光がメイン。薄暗さに迫力が増す。圧倒的な存在感に声も出なかった。これ、一つの教会だ
けの話ではない。訪れる教会、訪れる教会、このパターンの壁画。凄いところは外壁まで極彩色の惨殺シーンで埋め尽くされているのである。その姿は私がそれまで抱いていた教会のイメージからかけ離れていた。教会は地元住民の寄進で建てられるという。そう裕福な地域には見えなかった。一体人々はこの建物にどういう想いを込めたのか。。。

今年夏に来日したオーストラリアの友人がハラキリの発想がわからない、一体なんだって自殺に作法があり、それがまた何故わざわざ痛い方法なのか全く理解できない、としきりに言った。特にその死に方を栄誉だと喜ぶという点が想像を絶するらしい。

そんなの日本人だというだけで私に聞かれても、私だってわかりゃしない。現代人とは違う倫理体系な以上自分のこととしては話し様がない。けれど知識は自然身につくわけで、衣裳や介添え人、切腹の手順を面白がって話して聞かせた。聞いてる友人の方は気絶でもしそうに沈痛な顔である。ひひひ。神経の細い奴。異文化極まりないとでもいうような表情ではないか。

ところがこの友人。実はルーマニア系オーストラリア人なのだ。彼は切腹の文化がまるで現代日本にも残っているかのように思っている様子。しかしもしそうなら、彼にも同じ程度には競って首をはねられたがる文化が息づいているはずである。

栄誉の自殺という発想は別に日本固有のものではない筈。そして大概の地域の大半の現代人にとって既に異文化だろう。ただディテールやロケーションの違いが迫力を増して見せるのかもしれない。イスラムの自殺テロをステレオティピカルに報じるメディアにも同じことが言えるのだろうか。

それにしてもどうでもよい切腹談義に悪ノリしてルーマニアの教会で見たことを話し損なってしまった。自分の先祖の地にも似たような風習があったと知ったら友人はどんな顔をするだろうか。 いしししし。今度言ってみよ。

Tuesday, November 22, 2005

じゃじゃ馬馴らし

相変わらず明け方に宿題終了。中国の輸出高制限交渉のEU側使節団長の名前が最後までわからない。仕方ないので聞こえる音どおりにスペルしてみた・・・けど違うんだろうなあ。ネットに接続して延々ググレばきっと出てくるのだろうが断念。こういうのは知識の問題であって聞き取り能力とはあまり関係ない。だからこそ本来根性出すべきところなのだが・・・明け方は外が寒すぎて出掛ける気力大幅ダウン。いいやその分眠ってしまえ、と我ながら根性なし。そういえばじゃじゃ馬ならぬ巨大な象というアナロジーがおもしろかった。

いつもより一本早い急行に乗れた。しかも途中で座れてしまった。特大ラッキー。ちょっと遠い方の駅からにして途中で朝食を調達できそう。わーい。それにしても電車の中は風邪ひきさんだらけ。これは感染防止にマスクが必要かも。

中吊りには日中関係について物騒な煽り文句が書かれている。終戦記念日前後に中国の先生が下さったメールを思い出す。事務連絡の後に、国がどうあろうと歴史がどうあろうと、お互いの友人関係を信じて協力していきましょう、とそっと書かれていた。この方は反日的な参加者がいたらしい時も、そういう時期にかぶってしまったイベントでも、いつも人の話を丁寧に聞いて皆が嫌な思いをしないようにこっそり手配して下さる。大人な態度には学ばされる。幸運なことに興隆目覚ましいと狭い業界では脚光を浴びている極東地域のディベート。その成長の速さのため却って、四ヶ国ともが神経のすり減る思いを少なからずする。別々の荒馬に乗っている四人が協力しようとするも、なんともはやロデオ。こういう先生がいて下さるのは何より頼もしい。できれば国同士も上手くいってほしい。

ちなみに、性差別的だけどコミカル。とはシェークスピアのじゃじゃ馬馴らしを評した友人の言。オーストラリア人にしては寛容なコメントなのだろうか。

Friday, November 18, 2005

壁は何処に

これからはイデオロギーよりも宗教や言語が世界を区分する、と言ったのはサミュエル・ハンチントンの文明の衝突。

説の真偽はさておき宗教間の壁というのは目に見えやすいですね。昨日書いた南北アイルランド間の壁、イスラエル・パレスチナの壁、カシミール、スリランカ、ミンダナオ、ダルフール・・・。ベルリンの壁に象徴された東西の壁と同じくらい明白な壁が宗教間にはあるように見えます。

国際大会では、ハラルが振る舞われるテーブル、コーシャがが出るテーブル、それ以外、と宗教によって席が別れ、同じディナテーブルにつけないことがままあります。ある時友人達と夜食に出掛け、帰りぎわに握手して別れる場面がありました。内一人が他の四人とはにこやかに握手を交わしたのに、私が手を差し出すとサッと自分の手を引っ込めました。ハッと気付けばその席で女は私一人。手を引っ込めたほうは敬虔なムスリムだったのでした。相手にしてみれば何も私を拒絶したのではありません。よくわかりませんが、もしかしたらむしろ最大限の敬意を払ってくれたのかもしれません。実際握手の件以外に関しては私にも大変親切で、彼に悪意があったわけでないのはよくわかりました。けれど握手さえできない不自由さともどかしさは、差し出した手から手を引っ込められた驚きと共に長く私の心に残りました。

正直私には、宗教の違いのために人を殺さなければならないような信仰心というのは理解が及びません。それは私が若いからでしょうか、日本人だからでしょうか、それともCross Religiousな家庭に育ったからでしょうか(おそらくこれは全く関係ない)。ただ私にとってはディナを共にする相手を選ぶ際の不自由さや握手の手を引っ込めなければならない不自由さの方が身近です。自分の想像力の乏しさが残念です。

今年の春に亡くなったヨハネ・パウロ二世はそうした壁を越えて要人との対話の機会を持ったため空飛ぶ法王の異名をとったそうですね。(異性愛者と同性愛者の壁は越える前に三途の川を越えてしまったようですが)新しいベネディクト法王庁も同じ路線を受け継いだのでしょうか。カソリックではない私が口を出すことではないのでしょうが、空飛ぶ法王でいて欲しいと思います。

翻って言語の壁を見ると宗教程明確な対立も境界線も見えないような気がします。けれど私にはこちらの方がずっと身近で現実問題です。

小説などフィクション作品には独自の世界観がありますよね。ハリーポッターにはハリーポッターの、マトリクスにはマトリクスの世界があって両者が交わることはありません。

言語の壁が同じようにパラレルな世界を作り出していると感じることがあります。それは特に英語を母語としない者同士の時に感じます。同じ国際メディア(大抵英語メディア)を元ネタにした話題でも、A国のメディアとB国のメディアが異なる視点で仲介・編集して視聴者に届けます。結果お互いの理解がありえない程食い違うというケースがままあります。積み重なるとそれはもう世界観の違いと言っても全く大袈裟ではないような気がします。ギリシャやロシア、キルギスタンの選手達に判定理由を説明すると、英米豪の選手相手の時の数倍てこずったりするわけです。言葉の壁自体よりも、それによって生じるメディアの壁、ひいては情報の壁の方がよっぽど深刻であるように私には思えます。

それが多様性であり面白さなのではないかと考える人もいるかもしれませんがそれは違うと思います。フィクションの主人公はともかく現実の人間は視野が狭くては困ります。各人が複数認識できた上で選択できているのなら構いません。例えば日本人が宗教を選ぶとき、たとえ慣習に従っているだけでも他にも様々な宗教があることを知ってはいます。けれどメディアによって構築された世界観に関しては、単一言語ユーザにとって一つの言語メディアにしかアクセスがなく、結果多くの人が他の世界観からはどう見えるのか知りません。そもそも他の世界観があることすら知らなかったりすることさえあります。

以前英語圏以外の某国の人達に、日本は今でも天皇が全てをコントロールしているんだろうと言われ仰天したことがあります。皇室の社会影響というのは無論あるかと思いますが、全てをコントロールしていると考える人は日本では稀でしょう。小一時間も彼らと話しましたが、彼らにとっては私の言うことの方が青天の霹靂。結局国で見たドキュメンタリー番組とプロパガンダの毒牙にかかった(と彼らには見える)一学生の私では、前者の方が信をおけると判断されたようでした。これは極端な例ではありますが、似たようなことは沢山あります。ともすると、同じ瞬間にこの地球上にいるのに、世界を共有していると言いにくい関係というのがあるような気がします。それはとても残念なことです。パラレルな世界の住人同士が建設的でラショナルなコミュニケーションをとることは至難の業に思えるからです。

英語圏の人は、別にロシア語圏の人より偉いわけでも尊いわけでもありません。けれどそういう意味で明らかに得をしているように見えます。

メディアの境目は、宗教の境目ほど取り沙汰されません。言葉の壁の恐ろしさは、前線が何処なのか見えにくいことそのものにあるような気がします。今日私たちを隔てる壁は何処に築かれているのでしょう・・・

Thursday, November 17, 2005

壁は何か

昨日の「壁よさらば」の壁は結局なんだったの、と思われた方もいらしたようでした。えっと、言及しませんでした。すみません。

ラテン語辞書で言葉の壁よさらば、って気持ちもありましたが、何よりもアイルランドの件についてのつもりでした。

アイルランドがその独立闘争、またその後の北アイルランド紛争における血にまみれた歴史を持っているのはご存知かと思います。

1649年のクロムウェルによる征服を機に、隣のブリテン島からの移民がアイルランド島の北東部を中心に活発に進みました。イングランドはアイルランドの土地をイングランドの地主に分け与え、アイルランド人の多くが小作農となりました。アイルランド人の土地取得件や参政権も大きく制限されました。同じように併合されたウェールズやスコットランドはイングランドと宗教を共にしていましたがアイルランドはカソリックの地。その扱われ方も大きく異なったといいます。映画「マイケルコリンズ」に権限委譲の式典に遅れたコリンズが「700年も(独立を)待たせたんだ。数分待たされたくらいでゴチャゴチャ言うな」というシーンがあります。アイルランドのイングランドに対する鬱積した想いの現れた台詞だと思います。

そんなわけで、イングランド憎し・ゲールの誇りを守れというNationalismがともすると強いと聞くアイルランド。一体そんな国がどうして今年7月、おそらく最もEnglishなスポーツであるクリケットで大成功をおさめるに至ったのでしょうか。それには北アイルランドと南アイルランド(アイルランド共和国)の歴史的な歩み寄りが背景にあるといわれます。

血みどろの闘争の末独立を果たしたアイルランドが、その後も大英帝国に帰属したままとなった北アイルランドを巡ってテロを繰り返し経験したのは皆さんご存知かと思います。北アイルランドの過半数は入植者の系列でプロテスタントです。対する南のアイルランド共和国は人口の93%がカトリック教徒です。民族、言語、宗教を異にするこの両者の衝突は激化。1992年の段階で死者の数は3000人を超えたと言われます。

しかし1993年のDowning Street Declarationを皮切りに和平に向けた対話のムードが盛り上がります。そして1998年、ついにall-Party talk(今で言う六カ国協議みたいなものでしょうか)は「Catholics/Southerners and Protestants/Northernersが島の権力と責務とをshareすること」に合意しました。この合意をGood Friday Accord/Agreementと言います。North South Councilは4つの主な分野(policing, normalization, stability of the institutions and decommissioning)において協力関係を築くことを宣言します。

このGood Friday Accordが締結されて以降今日までに様々なJoint Projectが開始されました。現在では警察や救急隊員が島の南北を問わず共同で活動している他、Joint Water Ways, Joint Tourism Board, Joint Traditional Music/Dance Festivalsなどなど多岐に及んだ活動が「all-Ireland basis」で展開しています。そんな中、Gaelic Athletic Associationもまた、all-Ireland Finalsを主催するに至ったのです。こうした全島での取り組みはクリケットにも影響を及ぼしました。

Gaelic Athletic AssociationというのはNationalisticで有名な団体で、ゲールの伝統的なスポーツを守る団体です。HurlingやGaelic Footballです。この団体の規約には以下の2つの項目がありました。

-No foreign games are to be played by any member of the GAA

-Ineligible to join the GAA are members of the Biritish armed forces and Police(RUC). And; A member of the GAA participating in dances, or similar entertainment, promoted by or under personage of such bodies shall incur suspension of at least 3 months.

前者はつまり、伝統的なスポーツに参加したければ、ラグビー、サッカー、クリケットといった外来のスポーツには参加してはいけないというものです。こちらは1970年に撤廃されました。

後者はRule21と呼ばれますが、英国警察の庇護の下にあった北アイルランドの住人がアイルランドの伝統的スポーツに参加することを阻むものでした。

こうした規制の下、クリケットは長くEnglish Protestantスポーツというレッテルを貼られ続けました。カソリックにとってクリケットをプレーするということは隣人に隠しておくようなことだったようです。長い間クリケット選手の殆どは北側のプロテスタントでした。国家の壁は、スポーツの世界にも大きく壁を築いたのでした。

しかしGood Friday Accord以降の様々な取り組みにより、南北の関係は大きく前進。Rule21も時代錯誤なものと見られるようになり、GAAは2001年についに撤廃に踏み切ったのでした。

こうして現在のIrelandのCricketチームは、
-世界ランキング11位
-2005年Interntaional Cricket Council Trophy準優勝
-2007年World Cupの出場権獲得
とその実力を大きく伸ばすに至ったのでした。

なんと現在のIrish Cricket Teamは、ProtestantとCatholic, NorthernersとSouthernersがほぼ同数の選手で構成されているのだそうです。

そんなわけで、「何故アイルランドのクリケットチームが今年強かったのか」は「壁が取り除かれたから」が正解でした。(^-^)

ちょっといい話でしょ。

Wednesday, November 16, 2005

壁よさらば

あう。日にちが空いてしまいました。悲しい三日坊主気質。

今日は朝からプレゼンテーションしました。
といってもとっても短い簡単なものです。
でも5分の小話でも準備にかかる時間は馬鹿にならない。
オチとか考えるのに時間かかるしね。
理屈っぽい説明だけだと一般の人にはウケないしね。
あくまでも小話っぽくまとめるのが難しいといえば難しい。

自分でお題を選んで良かったのですが、なんとなくアイルランドのクリケットチームが今年なんで強かったのか、という題材を選びました。アイルランド行く予定なのにあんまり知らないし。スポーツねた苦手だし。こういう機会に触れようかな、と。

直後にメインの聴き手がアイルランド人でスポーツ好きと判明。

。。。。。。ずがーん。討ち死にでございます!って感じでした。ネタを変えようかと真剣に悩みましたが、開き直って強行。
意外と反応は良く、とっても安心しました。
しかしアイルランド人の前でGaelic Athletic Associationの規約の説明をする日本人。。。汗ダラダラものでした;

さてさて、本日!じゃじゃん!ラテン語辞典、買いました。
結局マニアックな単語は4万円する辞書にも載っていないと分かり、それならばということで、以下の二つの合わせ技にしました。どちらにも載ってないものはあきらめる、と。

1) A Dictionary Of Latin -Words And Phrases-, Oxford University Press (2,363\)
2) Collins Latin Dictionary (1,313\)

お手軽です。ていうかCollinsのはめっさ小さいです。もう少し大きくして代わりに薄くしてくれたら良いのに、という気もします。これで読むペースがサクサク上がると良いな、と。

Friday, November 11, 2005

ディープインパクト・ディープスロート

なんか記録的に強い競馬がいるのだそうですね。武豊騎手が乗っていたなんとかいう馬(オグリキャップ?)がブームを巻き起こしたことがありましたが同じような状態なのでしょうか。馬は姿形もとっても綺麗ですしね。

話は変わってディープスロートは和訳が発売されたように聞くのですが読む時間が作れなくてまだ買っていません。もし読んだ方がいらしたら前作の大統領の陰謀より良かったか教えて下さい!

現在読んでいるのは消えゆく言語たちの原本(Vanishing Voices)です。生物言語多様性の話はどうしても無理があると思うのですが、多言語社会の価値について考えさせられます。あとは具体的な方策が示されると良いのですが・・・

Thursday, November 10, 2005

You Only Live Twice

DVDの特典映像に、日本人役者にまつわるエピソードも短いながら入っています。言語の壁についての話が殆ど。正直ちょっと腹が立ったというか・・・複雑な気分です。。

Wednesday, November 09, 2005

脱撫子記念日?

説得的推論って何?とか思ってたら、理由付けのことでした。おいおいおいー。まあ訳した人は議論学の専門家じゃないんだろうから仕方ないか・・・しかしなあ・・・なんでこうも解りにくいのか・・・引用する身になってほしいとか無茶を言ってみたり。

ところで今日のニュースではありませんが世界初の女子プロボクシングチャンピオンは日本人になったそうですね。タイの刑務所で決勝戦だったんだそうで。

そうかと思うとモーニング娘対トカゲというビデオが英語字幕付きでネット配信されてたり。笑

今のステレオタイプの最前線はどこにあるのでしょうね。

Tuesday, November 08, 2005

Good Tuesday Assort

宿題の出来が良い気がしてごきげんです。が、いかんせん眠いし、朝食抜きで猛ダッシュをかましてしまったので体調の方が・・・というわけで乗り換え時に売店で缶ジュースを買う時間があり、かつ終点まで座れるルートに急遽変更しました。その代わり駅から目的地まで歩く距離は長いのでささやかな違いです。でも一日の体調には大きな差。

あう。どうやら電車の日差しが当たる側に座ってしまったようです。後頭部が熱いです。慣れないルートにはこういう落し穴が。。。けど冬の日差しの幸せ感は好きです。東南アジアを旅行したりすると、いつ訪ねても一年中気温が一定のゾーンにおさまるのに驚かされます。羨ましくも思います。熱帯夜に悩まされることもなければ寒波に凍えることもないとはつくづく幸せな人たちです。反面、ああいう場所にはこの冬の日差しのぽかぽか感がないよなあ、とも思います。朝寒くてお布団でぐずぐずしている時間。部屋に入り込む日光。その平和で怠惰で何となく懐かしい感じ。ちょっと捨てがたい魅力です。お布団で微睡み続けられたらもっと魅力的ですが。。。そして厚着しても寒さに震えるだろう一月後に同じことが言えるかは不明ですが。

ところで唐突ですが来週の今日までにIrelandのGood Friday Accordについて何か小話を用意しないとです。何か情報をお持ちの方、よろしくお願いしまーす!
ちなみにこれ書いたのは行きの電車の中、つまり朝でした。

Monday, November 07, 2005

月曜日の縞々模様

元ネタは水玉模様です。あの本かなり好きです。

昨晩George Orwellの1984年を読みました。超特大後悔です。怖ッ暗ッグロッキモッ。なんだなんだなんだ心が病んでるのかっ。この救いようのなさは何事だ。人間何に絶望したらこんなん書く気になるんだ。この作品、特にそのNew Speakという概念(?)は、Edward W. Saidにまで(しかもリース講演で)引き合いに出されていたりするので、一度読んでみなきゃと思っていました。言論・思想の自由を扱った問題作と言われたら興味湧きますしね。まあ確かにその評判が間違ってるとは言えませんが・・・あまりに後味悪くて話のネタにでもしなきゃ割りが合わんというのが実際のところなのでは・・・。月曜日だというのに疲労感が。水玉模様とまではいかなくても縞々模様程度には愉快なものを選ぶべきでした。

昨晩は並木周さんの1997年のエッセイも久々に読み返しました。こちらは打って変わってやたら勇気づけられる内容でした。前回読んだときはボヘーッと読み飛ばしてしまったようですが、今読むと良いこと書いてあるなあ。

そういえば栗最中の賞味期限が迫っています。はよ食べな。毎度のことですが宿題が終わらず焦りの月曜日です。なので甘味の買い置きがあるのは良いことです。糖分補給して頑張るぞ、と。さあて今晩は何時に終わるかな?

Sunday, November 06, 2005

言葉の壁フルスロットル

先日購入したギリシャ語辞典を使って昔読んだ文献の解らなかった脚注を一つ一つ読み解き中。それなりに収穫はあるのだが問題が二つ発覚。1.文献は古代ギリシャ語。辞書は現代ギリシャ語。英英や英和よりは遥かにましだがそれでも綴りや語尾変化、おそらく意味も微妙に違う。2.辞書の問題を差し引いてもどうやら私が読んだ文献の和訳はかなり原義からずれている。またcriticizeとjudgeが一つの語の派生語であることなどは原語では自明だが和訳はおろか英訳からすら分からない。書いた当人は二つの語を関係の深いものとみなしていたのだろうが和訳を読んだ私は全く別個のものを差していると思って読んでいたわけである。こりゃ解りにくかったわけだ・・・しかしまさか全部原文のまま読むことはできないし時間はないし・・・うぬぬぬぬ。

まあできるだけのことはしてみよう。

Saturday, November 05, 2005

経済ネタは苦手だ

出掛け帰りにまた辞書を探そうかとも思ったのですが、ちょっと今日はマラソンかってくらい走りまくってしまったのでお疲れ気味。今日は良いことにしよう。うん。

ところでドイツでは新政権になって次期家庭相がインタビューに応じたそう。子供の生まれた家庭に月額25万円相当最長一年間支給することを検討するのだそうです。一瞬すごーい、良いなあと思ったのですが、よく考えるとそうでもないかも。日本ではある政治家が子供を産まなかった女性には年金を受け取る資格がないと言ったそうです。あまりの時代錯誤ぶりにバーサクした私ですが、よく考えたらドイツの政策も実質は同じことかも。関税と補助金のどちらも貿易障壁には変わりないのと同じ理屈かな。給付金の出所が国家財政な以上、子供のいない家庭からお金をとって、いる家庭に回すという意味では同じかもしれないですね。それって倫理上問題かしら?不公平?女性をマテリアライズしている?けど子育て支援は必要だと思うし・・・。うーん。果たして国民の家族計画に国は何処まで介入して良いものなのでしょう。まあでも小子化の原因は費用のせいばかりじゃないですよね。そっちの対策が先かも。それにしても未曾有の失業率に喘いでいると言われるドイツ経済。一
体財源はどう確保するのでしょうか・・・。

お、もうすぐ降りる駅です。ではではー。

Friday, November 04, 2005

もってけ泥棒

久々にPCでネット接続しました。凄い数のメールに呆然とする今日です。どどどどうしよう。。。

焦りつつこんなところに書き込み。最近メールをこまめに書けないので「生きてるのか死んでるのか分からない」と言われることが多く、その対策として移動時間中に携帯から日記送信しているのでした・・・今日は珍しくPCからです。

今日は某氏のために推薦書を書きました。現在ドラフトのチェック待ち中です。けどあたしの推薦なんかで意味あるのだろうか・・・?まあ、欲しいというのだから仕方ないか・・・普段お世話になってるし・・・

ちょっと忙しいのでサブウェイでテイクアウトして済ませてしまうことにしました。店内のお姉さんがゼロ円で貰ったら悪いような神々しい笑顔で驚きました。一体何事・・・上記の某氏は頼みごとがある時必ずメールの末尾に「Thank you, Masako, you're an angel!」と付け加えます。ちょっと問題を感じます。同種の問題を感じるくらい尋常じゃない笑顔でした。良いのだろうかそんなに簡単に振り撒いてしまって・・・私が気分良く店を出れたからまあいっか。。。

Thursday, November 03, 2005

Open Societyにラブレターを

寒くなってきましたね。セーターを着るようになりました。すぐオーバも必要になりそうです。冷え性なので寒さは苦手です。冬の間沖縄に疎開したいかも。

今日は日本語大会の審査員です。この大会は、完全なオープン戦です。例年中学生から社会人まで幅広い層が参加しています。

ディベートは様々なアイディアをコンテストするものです。誰の意見であろうと、優れた意見が尊重されるべき世界です。参加者は多ければ多いほど幅広ければ幅広いほど、テストされる議論の視点も視野も広くなって楽しくなります。だから参加資格を不問とするのはこの競技の本来の姿だと思います。老いも若きも、富めるも貧しきも、男も女も。考えを述べる機会は皆に等しく与えられるというのは、美しい理想ではないでしょうか。他者の知性を尊重できるというのは幸せなことだと思います。現実の世界が階層・階級・しがらみや驕りに満ちていたとしても、ディベートしている間くらいOpen Societyの一員であることを満喫したいです。のびのび大らかでいさせて欲しいです。

というわけで、こうした完全なオープン戦にはワクワクします。現実には予選は階層別の大会の方がずっとレベルが高いのが普通ですが、そんなことはぶっちゃけどうでも良いのです。中学生達が四十絡みのオジサンオバサン達と大真面目に対等な立場で議論しているのを見るだけで愉快ではありませんか。中学生達の果敢さも頼もしく好ましければ、負けて面目を欠く危険も顧みず真剣に相手してやる年長者の懐の広さも好ましいではないですか。オープンであるというだけでも、この大会は参加する価値があると思います。大好きな大会です。

・・・とはいえ、今私に必要なのはそんな理想よりも一杯の熱いコーヒーです。寒ひよう。眠いよう。

Tuesday, November 01, 2005

横着者でごめんなチャイ

今日は朝から授業を受けました。大好きなお気に入りの授業です。明け方ぎりぎりに宿題を終わらせました。間に合って良かった(汗)

友人と紅茶の買い出しを兼ねてお茶しました。この紅茶専門店は、外見はちょっとナンなのですが、暖かいミルクティーを頼むと絶品です。私は胡麻ミルクティーを頂戴しました。ホッとする味でした。

お茶といえば、最近寝呆け眼でお茶を入れていて手に火傷をこさえてしまいました。それというのも最近ヤカンでなく鍋でお茶を入れるため、よそぎ方にコツが要るのです。ヤカン使えよ?や、ごもっともです。けど一日に2リットル分くらい飲むのでちょっと面倒なのです。ちまちまいれるの。つい、ね。何か手間が少なく、特殊な技術を要さず且つ安全な手法を編み出さなければ。目指せ世界一の怠け者!

ラテン語辞典ですが、まだ探し中です。今日一つ見かけたのですが、コンサイス版で、論文に出てきて分からなかったようなものは一つも載っていませんでした。うーん、これじゃあなあ。取り寄せるしかないかしら。でも届いてみたら全然使えなかったりしたら残念だろうしな。次は新宿の紀国屋をあたってみようかな。

Monday, October 31, 2005

Is Democracy Choice?

最近観て面白かったドキュメンタリー映画のリストです。

-Gay Republicans
-Aftermath
-Noam Chomsky Rebel Without A Pause
-After Stonewall
-How Arnold Won The West-Bush Family Fortunes

特に最初のが面白かったです。ブッシュ大統領がゲイの結婚を違憲に、と言った時ゲイリパブリカン達に走った衝撃!ゲイであることと共和党員であること、どちらか選ばなくてはいけなくなった混乱・喧騒・決意・悲喜交々。アイデンティティクライシスなのです。笑っちゃ悪いと思いつつ吹き出してしまうようなシーンもあり、結構コミカルな作品でした。
今一番楽しみにしてるのは、シグロからもうすぐ発売される予定のEdward Saidに関する作品です。

Sunday, October 30, 2005

世界は意地で回っている

今日は高校生の日本語での大会で審査員です。昨日同様早起きしました。・・・眠いです。相手は中学生や高校生の皆様。昨日以上にわかりやすさを意識しなきゃです。また午前中はカフェインドーピングせな。あにゃ?中吊り広告に天皇賞は今日だと書いてあります。じゃあ昨日の電車の赤ペンユーザの皆さんは何だったのかしら。昨日も天皇賞じゃない競馬があったのかしら。無知なので競馬のシステムがよくわかりません・・・
今日も昨日に引き続きThe Art Of Controversyを読んでいます。冒頭はこんな風に始まっています。logizesthai(熟考すること)とdialegesthai(交流すること・話すこと)は全く違う事柄だけれど、古くから人はLogicとDialecticを同義に扱ってきた。と。(誤訳だったらごめんなさい)ちょっと素敵な文だと思いました。考えることと話すことは本当に近しい関係にあると思います。他の本では、たったひとかけらの真実に近づくことも他者の助けなしにはできない、みたいなことが書いてあって強く共感しました。良質のコミュニケーションは本当に貴重だしありがたいものだと思います。
Schopenhauerに戻ると、少し後にはこんなことも書いてあります。議論の目的が純粋に真実の探求ばかりならいいんだけど、人間誰でもいったんこうだと言ってしまうと、自分の言葉が正しかったと証明したくなる生来の意固地な傾向がある。じゃあよく考えてからものを言えば良いんだけど、殆どの人は考える前に口が出る。で、冷静に考えれば自分が間違ってたかなあって時もついつい、元の意見を言い張っちゃったりする。世の中アホな意地のせいで上手くいかん。と。これを大真面目に書いてるのこの人。素直。なんか生真面目無器用すぎて可愛いやら不憫やら・・・これじゃ生きてくの大変だろう・・・いいキャラだなあ・・・ちょっと癒し系。

Saturday, October 29, 2005

生真面目という阿呆

今日は一年生大会の審査員をするべく早起きして某女子大に向かっています。昨晩わざわざ集合時間・場所の電話確認まで頂戴して驚きました。親切丁寧な主催者です。一年生用の大会なので例年言語の壁に四苦八苦している選手が多く、内容的にも技術的にも手に汗握るとはいきません。こういう大会の審査は普段お世話になってるコミュニティへの年に数回の恩返し的な位置付けになります。なのでこういう日ばかりは笑顔で臨みたいわけですが・・・ねむいです。6:30にお家を出たのに遅刻すれすれ。なんとかならんものだろうか、アクセスの悪さ。しかも土曜とは思えない混雑ぶり。皆さん新聞に赤ペンで何やら書いてらっしゃいます。そうか、今日は競馬があるのね。うう・・・このままでは半魚人みたいな顔で一年生を恐がらせてしまいます。カフェインをどこかで調達せねば。
ちなみに今日の読み物はArthur SchopenhauerのThe Art Of Controversyです。かなり面白いです。しかしよくもまあこんな細かく厳密生真面目に考えるもんです。途中で阿呆くさくなんなかったのでしょうか・・・私はとても好みですが、こういう人も話も。問題はラテン語の部分が多いこと。単語やフレーズではなくパラグラフ単位でラテン語ではお手上げです。専攻のことを考えたら今更な気もしますがこれはさすがに羅和か羅英を買うべきかもしれません。帰りに探してみようかな。

Sunday, March 20, 2005

Pacifism Debate: Article 9

日本国憲法 第九条

第一項

日本国民は、
正義と秩序を基調とする
国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。

第二項

前項の目的を達するため、
陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。

国の交戦権は、
これを認めない。

Saturday, March 19, 2005

Pacifism Debate: Chronology

1946: 憲法制定
1950: 警察予備隊設置
1951: 日米安保条約締結
1952: 予備隊→保安隊
1954: 保安隊→自衛隊法
1960: 日米安保条約改定
(1991: 湾岸戦争)
1992: PKO協力法
(1993: ノドン発射事件)
(1997: 拉致被害者家族会発足)
(1998: テポドン発射事件)
1999: 国旗・国家法
1999: 住民台帳法
1999: 周辺事態法
1999: 自衛隊法改正
1999: 日米物品役務相互提供協定改定
(2001: 9/11同時多発テロ)
2001: テロ特措法
(2003: イラク戦開始)
2003: イラク特措法
2003: 武力攻撃事態対処法
2003: 自衛隊法改正
2003: 危険業務従事者叙勲制度
2004: 国民保護法
2004: 特定公共施設利用法
2004: 心のノート
2004: 米軍行動円滑化法
2004: 有事法

Wednesday, March 16, 2005

水菜ってこうやって食べるのかー

最近思いますに。
人間の食生活とは随分と保守的なものです。

これまで知人の偏食振りに振り回されて
ヒス起こしそうになったことはあっても
私自身の保守性はさほど感じませんでした。
(9歳の時は激しかったのですが、
最近どこ旅行して何食べても、そこそこ美味しく感じるので)

が。

盲点でした。

私の食べてる野菜は偏ってる!!!

茄子命な私。何はなくても茄子だけはある冷蔵庫。
茄子と相性が良く且つもちが良いという理由で
常備される玉葱さんたち。
火を通すとしぼむという理由で大量に買い込まれる
ほうれん草の群れ。
食感が好きなあまり一人暮らしでもつい買ってしまう大根。

けど水菜を買ったことは滅多になかったのーーー。

先日友人が泊まりで遊びに来てくれまして。
夕飯を作ってくれちゃったりしたわけです。
(ええ、普通は迎える側が作りますよね。
そう思います。でも彼女もエプロン常備で来てたわけよ。
つまりは全く頼りにされていない、と。)
これが美味しかった……だけでなく、
普段私がしないような調理方法満載だったので、
アシスタント業務に徹する私も興味深々で見守りました。
何よりも感銘を受けたのは、

水菜ってああやって食べてもいいんだーー。

ということ。
水菜ってサラダにすると言っても
和風なイメージが強すぎて、
でも茹でると味薄いのに筋っぽいし、
使いまわせないから一人暮らしには面倒だし、
うーーん、な野菜に分類されていたのですが。
これがまた美味しいサラダになっちゃって。

ははー。
なんか水菜の食べ方さえ知らずに
人のミリン嫌いを「心が狭い」とか言ってた
自分が恥ずかしいわ!!(おそらく一時的なものです)
あと次回からはベジタリアンの友達のために
豆料理もできるようになろう、と思った日でした。

Thursday, March 03, 2005

はふーーー。

漸く会計書類が済み、もう脱力中。
脱力してる割に見てるのはManufacturing Consent。
はい、本日の聴き取り訓練教材です;
妙なところで真面目です。
でも実際オススメです。この映画。
でももっとオススメは「プロミス」。
(金貸し会社についてじゃありません)
も、泣きますよ、あれは。
泣いてる間に鰆の西京漬けが炭化してしまってブルーになりましたが;
闇よりもなお暗い色の魚とビデオの両方の間で視線を行き来させながら
タオルを抱えて号泣です。えらい忙しいことで。

昨夜関西からなんだか素敵なメールが届いていたことが判明。
いやーん、こそばゆーい。何ですかこれはー。
おそらく今私の顔は真っ赤です。
でも、嬉しいですね。
褒めてくれたのが嬉しいんじゃなくて、
こんなにもあったかい心の人と同じコミュニティにいることが嬉しいです。

がんばれ、みんな!

Friday, January 28, 2005

だはははは

昨日、テレビをつけっぱでお勉強をチマチマとしていましたら、管直人が「人生色々なんていう首相の答弁他に聴いたことないですよ。」と言っていました。おお、国会討論の時間なんですな。そしたら小泉首相が「人生色々。本当のことじゃないですか。その答えが可笑しいと思う方が可笑しいと思っているんです。」と返事していました。・・・・・・うーーーんん??何の話してるんだろう?そしたらその続きが「人生色々、議員も色々、政治だって色々ですからそう一義的に判断できません」って。にゃははははははー。思わず大爆笑してしまってお勉強になりません;つーか、人生色々、議員も色々、政治だーーっていーろいろ咲きみーだーれーるのー?あはははは。寒い時期は笑いの種を貰うとホッとしますが、これは笑い取る場所じゃないよなぁ;あはは。