Wednesday, January 31, 2007

そうじゃなくて that's not the point

モナッシュの掲示板の北朝鮮スレが変だぞ,とTに書いたところ,
私のメールの一部がその掲示板にコピペされました。

その掲示板では,「韓国人は太陽政策を支持」みたいな,あまりに単純で極端な外国人特派員による記事ばかりが紹介されていました。それで,韓国は世代によって大きく政治的主張が分かれているようだからそう単純には言えないのではないか,という趣旨のことを書いたのです。三八六世代に関する非常にベーシックな説明の記事も紹介しておいたのですが,その部分が丁度転載されました。(しかしTの注釈には「ハード・コアでマニアなヤツはこちらも読むべし」と書かれていました。・・・・・・そんなにマニアックだとは思えない内容だったのですが・・・)

・・・・・・しかし,私が「この記事は世界日報のものでちょっとコンサバ・アメリカ礼賛の傾向があるメディアだから気をつけてね」と書いたら,Tにより「日本の保守系メディアの翻訳だから気をつけろ」という注釈に変えられていました・・・・・・

いや,そうじゃなくて。

世界日報は統一教会系のメディアです。
統一教会の発祥の地は朝鮮半島です。
それでもって比較的アメリカ礼賛・反共産系のバイアスが目立つメディアだという印象を受けます。

つまり,三八六世代についての記事であるにもかかわらず,丁度その世代と対立するグループを代弁する記事になっている怖れがある,ということが言いたかったのです。朝鮮戦争でアメリカ軍と共に北朝鮮と戦った世代と,主体思想に影響を受けて反米親北的な三八六世代では,政治的意見が大きく異なるのは当然だろう,と。同じように主体思想系の人たちと統一教会系の人たちでは視点が対立することも多いはず。だから,三八六世代に批判的な部分は少し割り引いて読んで欲しい,というのが私の「気をつけてね」だったのです。 (実際の記事の内容は私には割りとバランスが取れているように思えましたけれども)

なのにあれではまるで私が産経新聞か読売新聞の記事を送りつけたみたいじゃないですか・・・・・・
まあ,詳細に説明しなかった私が悪いと言えば悪いのかもしれませんが・・・・・・

うーん・・・・・・このままだとモナッシュキッズは,やっぱ日本の保守系新聞は朝鮮のこと悪し様に言ってるんだぁ,とか思うのでしょうか・・・・・・。しかも意図した注意は伝わっていないことになるし・・・・・・どうしたものか・・・・・・

ことほどさように,基礎知識のない人とニュースの話をするのは簡単ではありません。例えばこの誤解を解くためには私は今度は統一教会とはなんぞやを説明しなければならないわけです。あたし宗教音痴なのにぃぃぃ!!ていうか日本の友達は説明しなくても大体意味するところは解ってくれるのにぃ。

日本の選手が海外でちょっとオフだと思われるのも,理由があることだと思います。逆の立場だったら英語圏の彼らだってよほどオフです。なんでそこんとこがこんなに伝わらないのでしょう・・・・・・

Tには面倒だからお前直接書けよ,と言われたのですが,うーん・・・・・・迷います。どうしよっかなぁああ。

ちなみにもう一つTに書いたのは,「現代グループが開城工業団地や金剛山に投資して儲かってるから韓国人は嬉しい。儲かってる限り韓国人は気にしない」みたいな記事を紹介しているけど,その記事変じゃない??というもの。

だって現代グループは南北首脳会談(2000年)で5億ドル渡すのの仲介してたって刑事事件にもなったでしょう?その時に代表が自殺してるしさ,そもそも現代の創始者は北側出身だしさ,最近じゃ凍結されてるマカオの口座に現代が大量の対北支援資金を持っていたとか騒がれちゃってさ,一般の韓国市民と現代グループの間には大きな開きがあると思うんだけど・・・ていうか「儲かってる限り気にしない」って言い方は韓国人に失礼じゃないか??複雑な背景を全部かっ飛ばしてそんな言い方しちゃいけないんじゃないかと・・・・・・

うーん……私にはどうしても頓珍漢な記事を一生懸命読んでいるように見えるんだよなぁ…モナッシュキッズ……。大丈夫かなぁ……。

Tuesday, January 30, 2007

[Book] インテリジェンス 武器なき戦争 Intelligence, the war without weapon

[本] 手嶋龍一・佐藤優.2006.『インテリジェンス 武器なき戦争』.

最近読んだ本のアップを怠っていて,どこから書くべきかわかりません。
ブルデューの『話すとは』について書こうかな,とも思ったのですが,
ちょっとそこまで体力がないので,一応ここら辺も挙げておこうかな・・・。

読んでへえー,と思ったのはおそらくこの手の本を手に取ったものとしてはかなり邪道な部分。そう,私は佐藤優氏にあまり良いイメージがなかったので彼の著作を読んだことがぜーんぜんなかったのです。ほら,ラスプーチンっていう渾名だけでもちょっとアレだし,SAPIOに記事が載ってるのも目立つし,更には例の大川周明の本書いた人だっていうんでかなり拒否反応があったんですよね・・・。手嶋龍一さんのは結構色々読んだんですけど。

なのでロシアとの関係が最近冷え込んでいる理由が,日本政府のチェチェン問題への対応が遠因だという意見は初耳でした。へええええええええ,と思いました。でも確かに考えてみると色々符号が合うような気も。

チェチェンは国際テロリストのせいで不安定なのだ,とプーチンが言った時,私はそれを通訳学校のブースでBBCやCNNを見せられて知りました。で,明らかにプーチンが9・11の尻馬に乗っているっていう印象を受けました。誰が信じるんだよー,圧政やめろよロシアー,って。キャスターのWar on Terrorismが圧制を正当化することに悪用されているって話に最もだと思いました。

ところが佐藤氏曰く,チェチェンは本当にアルカイダとつながっていて,あの件に関してはロシア側が正しい,と。イスラエルもそう言っているから裏も取れている,と。それを日本は知っていたのにG8で確信犯的に欧米側に回ってチェチェンは人権問題だとロシアを責めたのだと。

・・・・・・そうなの!??

ゴメン,プーチン。
欧米のメディアは偏っていて云々と眉間に皺をいっつも寄せている癖に酷いやつです,私ってば。

いや,だからと言ってジャーナリストだの亡命者だのを殺して良いということにはなりませんが,そうした
事件についても私は主に欧米のメディアを通して理解しているわけなので・・・・・・

やーーー。本当に情報って怖いですね。
情報が偏っていたら精神の自由なんて絵に描いた餅ですもんねーーー。
恐ろしい。知らないうちにどんどん私のオツムは固定観念に支配されている・・・

とりあえず,ロシアについてもう少し時間を見つけて読んでみようと思いました。あと,食わず嫌いならぬ読まず嫌いを改めて,佐藤優氏の本も一応読んでみようと思いました。

頑張るぞ!!

Sunday, January 21, 2007

罪滅ぼし expiation

「ポプラとカエデ」からちょっと現在に戻りますと,
今週末は前線の動きが激しいです。
もう勘弁して欲しい。 give me a break...

より攻勢を強めている世界大会の元女性担当官に腹が立つ一方,
(ふざけんな,ばかやろおお。てめえのはかあなでもほってやがれええ)
罪滅ぼしをしようとしてくれている別の一派。
しかし正直言って今更罪滅ぼしを申し出られても時既に遅し。
しかも提案がイマイチ。
そしてダメだししたら即撤回。
ダメだしメールの自分の冷たさにちょっとゾッとする私。
しかし先方はめげずに代案を考えた,と言うのですが・・・・・・
正直あんまり期待できなさそうな気がしてきました。

私の方はすっかりポスト・トーナメント・デプレッションに逆戻り。
拗ね拗ねな今晩です。
なんであたしがこんなメール書かなあかんの。

ま,いーや。明日は楽しもうっと。

ポプラとカエデ (第四夜: 郷に入らせる)

さて,始まりましたIDC。
しかし……面子のバラつき具合が凄いです。
うーん…大丈夫かな……

通常だとレベル別のクラス分けがなされ,一クラス12人までの少人数制なIDC。今回は老いも若きも入り混じった30人でお届けしております…。うーん…頑張ってくれ,一年生。同時に,ここで彼らのためと言って手を抜くのも彼らのためにならないと思います。本番に比べればこのIDCすら生ぬるい筈。厳しさを早く知る事は大切です。

レクチャーの内容はWTOについて…だったかな?最近経済関係にハマっているTは以前とは随分違った話題を話したがります。私自身は正直経済問題をクッキーカッターにはめて話すと冷たい印象を受けるのであまり好きではありません。まあでも仕方ないか。学んで損になるものじゃ決してないし,これはこれで良いのかもしれない。

昼休み。駅の近くのラーメンが食べたいということで向かいましたが閉店日でした。そこで隣の中華に。面子はT,A君,ヒメ,H君そして私。A君の恋愛傾向についてああじゃこうじゃと言っている内に食べ終わり,ふと目にしたテレビに映るニホンザルの可愛さにキューンと心を鷲掴みされる私。可愛いいいいいい。それを変だと言うT。猿はいつも小難しそうな機嫌悪そうな顔していると言うのですが,……こう言っちゃ何ですがT自身もよく小難しそうな眉間に皺のよった顔をしてると思うんですけど。ヒト(じゃないけど)のこと言えんのかってね。

夕方。今日はTを秘密会合に連れて行く日です。早めにレクチャーをきりあげて新宿経由で四谷へ。新宿で夕飯を大急ぎでとることになりました。Tは私がPの偏食ぶりに手を焼いた経緯を聞いてから日本食にダメ出ししません。食べられないものを「美味しい」と言う必要はないと何度も言っているのですが,日本食にポジティブな姿勢を見せようと頑張りすぎるので心配です。そこでこの日の夕飯は新宿南口のアメリカン・レストランへ行くと決めていました。日本食で良いと言い張るTに「オリセンではあなたの口が慣れてないものしか食べられないんだから今日ぐらいはあなたの普段食べているものにしておこう」と言うとあっさり同意。やっぱバーガー食べたいんじゃん。オーストラリアで出て来るのに多少は似ているバーガーが置いてあるので予定通りの店にしときましょう。店員さんに「急いでいる」と何度も言って注文。凄い早く出てきました。ありがとうおにいさん!!!それでも遅刻しそうなので電話で謝ると,タクシー乗ってでも早く来いと言われてしまいました。そこで駅前からタクシー。しかし運転手のおじさんが迷子に。やれやれ。雨の中走る羽目になりました。

日本語で二試合見る羽目になったTは途中からお疲れモード。懸命に顔に出すまいとしていましたが,アフターに移る前に遂にギブアップ。今回はアフターを失礼してオリセンに帰ることに。ま,たまには良いさ。解らない日本語で時間を過ごす辛さを知れば,解らない英語を必死に聞いているIDCの生徒の気持ちも少しは想像がつくようになろうというものです。なに,鬼?えーえ,そうです。私は鬼のようなホステスですのよ。ほほほ。

帰りのタクシーの中,日本人の話し方マナーの話に。Tが好きだった話し方と日本で一般ウケする話し方が食い違っていることがやはり判明。まあ予想通りです。「私のマナーは英語の時と違った?」と訊いてみると,「masakoのマナーの特徴はユーモアだからなぁ・・・。意味がわからないと違いもわからない」と言われました。しかも「それ以外の声音やジェスチャーは大して変わらなかった」とのこと。なーんだ,つまんないな。私自身はかなり違うと思ってるんですけどね。話の密度が違うのが一番大きいと思いますがそちらは言葉が解らなければわかりようもないので仕方ないですかね。「試合以外の時間は普段よりずっとリラックスしてゆったり楽しんでいるように見えた」と後で付け加えられました。ただそれは言葉のせいじゃなくて,子供たちの面倒を見なきゃ,というプレッシャーから解放されているせい,と解釈されたようでした。まあそりゃあ先輩たちに甘えている時は18歳の子達相手にしている時とは違う顔をしているかもしれませんが……言葉のせいもあると思うんだけどな。

この日は帰ってすぐ双方自室へ直帰しました。夕方のイベントに連れて行くのは効果あったのかな…なかったのかな…わからないけど,言葉の壁を理解する助けにちょっとでもなったのなら良いな,と思いながら眠りに落ちました。

♪ヒートウェイブ『さらば子守の唄よ』

ポプラとカエデ (第三夜: 駿馬)

日曜,朝。寝坊しました。そしてちょっと喉が痛いみたい。…うーん…マズイなぁ。
仕方なく急いでトランクを開けて薬を飲みます。おかげで遅刻です。えーん…ごめんなさいい。

タクチケで乗るのは私には珍しい経験です。なんだか偉い人みたいじゃなーい?(笑)しかし同乗している他の先生方も年の瀬に無理して参加しているので体調は万全ではないようです。うーん・・・頑張って気力で乗り切りましょう・・・

この日見た試合はどれも素晴らしいものでした。高校生でここまでできるなんて本当に素晴らしい。本当に私の高校生時代とは雲泥の差です。だからこそ将来が楽しみです。優勝したチームも本当に素晴らしいチームでした。

課題は…やっぱり技術面だと思います。試合慣れしていないので,技術はまだまだですね。宝石の原石を見てる感じです。磨けば素晴らしいだろうという確信はあるのだけど,ってとこでしょうか。コントラを回避したり,アーギュメントの無駄打ちを控えたり,選手として活躍するためにはまだまだ色々学んでもらいたいところはあります。あとは即興性の高いチームはまだ少ないということ。即興性の高い国際大会で活躍してもらうためにはまだまだ必要な訓練は多そうです。でもちゃんと時間と手間さえかけてくれればかなりの確率で国際的にも戦える選手になると思いました。ていうか大学の学部生の大半より今日の決勝のチームの方が強いです。危機感を覚えるくらいです。良いことだと思います。頑張れ若人!!

閉会式では,岐阜県知事のお話が心を打ちました。外務省にいらした頃の経験談に涙さえ出ました。具体的にはAPECでの交渉の話と中東の油田国家との交渉の話などがありました。国際大会での悔しかった評議会,涙が出るほど嬉しかった議案通過など,沢山の思い出がフラッシュバックしてしまいました。言論弱者としての日本(個人でも集団でも国家でも)の悔しさというのは一代や二代で積まれたものじゃないなということを改めて思いました。その悔しさをどうやってプラスに働かせていくか,不利な縮小していくか……いつかもう一度知事にお話を伺いたいと心から思いました。機会があると良いのですが。

閉会式の後,少し他の先生方とお話をして,さて帰るぞ,と。今日の夕方Tが成田に降り立ちます。出迎えも,オリセンのチェックインもA君・S君・ヒメに頼んでありますが,まあ早く帰った方が良いでしょう。新幹線もY先生とご一緒できるとわかって一安心でした。大きなトランクを引きずってトロい私に辛抱強くつきあっていただいたY先生に感謝です。渋谷でオリセンまで乗るバスまで教えていただきました。道中言論への夢を持ち続けているY先生の言葉を聞いて心が癒されました。こういう方がいるから頑張ろうって思えます。

オリセンに着いてA君とヒメに連絡を取ると,D棟の下まで迎えに来てくれました。優しいなぁ。それで部屋に無事チェックイン。出迎え班のS君に連絡を取ると,Tと無事会えたとのことで安心しました。さて,部屋で独りになってせめてTが来るまでの1時間眠りたいと思った私。しかし疲労がかえって眠りを妨げそうな感じ。しかたない,アルコールを注入するか,と思って階下の売店へ向かおうと思ったら…財布がない!!!だあああああ,何処だ???と一通り探してみるがなく…バス停までの行程を全部探すがなく,仕方なくバス会社に電話し,オリセンの管理局で紛失届けを出し,警察に電話し,銀行に電話し…大騒ぎでした。

そうしている内にT到着。しかし私の方は財布が気がかりで気もそぞろ。まあとにかく夕飯食べに行こう,ということになりました。駅前の韓国料理にA君,ヒメ,Tに私の4人で出向き,何だか不思議な組み合わせで料理を頼みました。ビールでひとまず乾杯。色々話しながら,私の心に「バンクーバーに行きたくない」という叫びが再び持ち上がります。そう,嫌な予感はこの時…というかそれよりずっと前からありました。正直今回Tが来ると言ってくれた真意を私は掴みかねていました。いつもと違う感触がありました。

食べ終わると,丁度KDSの打ち上げを終えた面子がこちらに向かうとのこと。その後飲むためのビールだのチュウハイだのを買ってから駅で彼らを待つことになりました。着いてみると何だか予定と違った面子もいた上,結構皆酔っている…。酔った女の子の集団を車に乗せてデレデレしとるのは予想を外さずS君です。

結局S君を除く酔っ払い集団全員でオリセンへ。何処で飲み直すか一瞬迷いました。TはD棟でプライベートに飲みたかったようでした。おそらく疲れていたのだと思います。私はB棟で他の若い子も含めて飲みたいと思いました。IDCで大切なのは,若い子にコーチと仲良くなってもらうことです。いつか私がいなくなっても,「こいつの為に来よう」と思わせる人が育ってくれなければいけません。その為には若い人にチャンスがあればあるほど良い。

というわけでB棟へ。成人男性10名を収容するものとしては最低限の広さ。うーん・・・ごめんよ。

さて,この飲み会は奇妙でした。まず飲んでるのがTと私しかいない(笑)そういうのを普通は飲みとは言わない。人数はどのくらいだったかな,10人ですか。A君,ヒメ,Eちゃんと私が以前からTを知ってる面子。残りのHちゃん,Yちゃん,Tちゃん,Jちゃん,T君あたりは初対面。微妙な空気を打ち破るべく,うちの「ワイルド」な一年生の一人YちゃんがTに「自己紹介をしろ」と迫っていてかなりウケました。日頃ディベート界では自己紹介する必要がなくなって長いTは何を言って良いのか微妙な反応でした。そこでYちゃん普段の問題発言ぶりを全開にして私をかなり慌てさせました。しかし英語力の問題もあるのであまりキツク言っても意味ないしな…

なんでそういう話になったのか覚えていませんが,国際大会の環境は日本チームにとって良くなってきている,というTの発言に私が異議を唱え,突如超真面目&暗い方向に話が転換。歴史は進歩するという立場のTに社会は時に後退もするという立場の私がクラッシュ。更には草の根的な努力が必要だと言うTに対して15年も草の根的に頑張ってきた我々に今必要なのは構造的な変化だという私がクラッシュ。言い合うも平行線に。最後には私が涙まで流してTにそろそろ帰ろうと言われてしまいました。D棟への帰り道で,若い奴には夢を見させてやるべきだ,と私に諭すT。私はそれは嘘だと思いました。幻想を抱かせるのは不誠実だ。2週間後に彼らが舐める苦汁を知っていて隠しておくなんて私は間違ってると思う。それだけ言うならお前が彼らの夢を絶対守れよ,というのが私の言い分でした。この二人の違いは世界大会本番で大きな溝となって現れることになります。

星の綺麗な夜でした。苦い苦い予感を胸に,少し散歩がしたいと思った私。けれど歩き回る元気もなくベッドに倒れこみました。IDC6最初の晩でした。

♪Black Eyed Peas 『where is love』

Thursday, January 18, 2007

ポプラとカエデ (第二夜: 朝陽の中で微笑んで)

名古屋に着きました。本当は岐阜行きのバスが良かったのですがなかったので名古屋行きに乗ったのです。バスから出ると澄んだ朝の空気と陽の光が迎えます。ああコンタクトが乾いて目が痛い。カラカラとトランクをひっぱり岐阜行きの電車をみつけます。各停の岐阜行き。どんだけかかるのか知れませんけれど時間はたっぷりあります。11時に来るよう言われたのにまだ朝の6時なんですから。時間かかってくれた方がかえって良いな,なんて思いながら売店で新聞を買い車内へ。懐かしいボックス型のシートに落ち着き,パックのコーヒー牛乳とパンの朝食を取りつつ新聞を開きます。海外欄を開いてもピンと来る記事がなく,漫然と読んでいる内にぼんやりしてしまいました。

岐阜駅到着。なんだか随分大きくて新しい駅ビルです。新聞がイマイチだったのでニューズウィークを購入。着いたら左に出ろと言われたことだけは覚えているものの,左のエスカレータを降りると更に広い場所に出て,しかも両側に出口があります。うーん・・・どっちだろう・・・。なんとなく勘で出口を選びウロウロすると,目当てのバス停発見。やたら混んでいるバスに申し訳なく思いながらトランクと共に乗り込みました。なんとなく聞いたことのあるバス停名におそらくここだろうと勘で下車。しかし……畑の真ん中です。……どこに行けば良いのかしら……仕方ないので近くの人に聞いてみます。大変丁寧に教えていただいて更に民家と畑しか見えない場所を歩きます。トランクをひきずるゴロゴロという音が珍しいのかそこら中の家の犬たちが吠えています。全く朝っぱらから皆様にご迷惑です。ごめんなさい,すぐ失礼しますので……

会場校についてみても部屋がどこかわからない。仕方なくベンチに座ってパソコン起動。部屋番号を確認して移動。あーーーー疲れたなぁ…と思いつつ何とかゴロゴロトランクを引きます。すっぴん・徹夜明けの疲れ顔・タートルネックにジーンズという若い女が巨大なトランクを引きずって入ってくるのをスーツ姿の大会スタッフさん達が不思議そうに見ています。実は来賓とわかりビックリ。ホントすみません,と謝りつつおもむろに廊下でトランクをあける私。化粧室で着替え・メイクして漸く来賓らしい格好に。その後は審査員の控え室で待たせていただきました。スタッフの方がS「先生」と私を呼んで下さるのがこそばゆいやら申し訳ないやらでした。「先生はあなたのほうでしょ」みたいな……

論文の続きを書いたりニューズウィークの記事をチェックしたりしている内にブリーフィングが始まりました。ブリーフィングを担当してらっしゃるのはいつもお世話になっているJDA会長のY先生。事前にちょっと伺っていた通り,なかなか工夫が凝らされた面白いフォーマットです。半分ほどは英語ネイティブのジャッジさんで,ブリーフィングも何もかも英語で進行しています。廊下には高校生達がどんどん集結しています。凄い凄い。

で,ハタと気がつきました。あれ,開会式でやる私のスピーチって日本語?それとも英語?(初歩的,かつ致命的)仕方ないのでお伺いを立てにいくと「どっちかって言うと英語?英語でいってみよう」みたいなお返事を頂き,急遽英語に直すことに。休み時間に大急ぎで訳し,昼食はササッと済まし,残り時間をスピ練して過ごしました。

会場に入る前,係りの方が来賓用の紅白の花を下さいました。なんだか私のような若輩者には過ぎた扱いです。うーん…スピーチ失敗しませんように(汗)会場に入るとなんだかそうそうたる来賓席のご面々。えーーーーー。私あの中入るの?ちょっと場違いすぎるんじゃないの,など心臓に悪い想いをしつつ何とか着席。開会式が始まります。

華々しいビデオが上映されて開会式が始まると,高校生たちは若々しい反応。いやあ,良いですね,この雰囲気。可愛いなぁ。元気だなぁ。…なんて思っていたら私の番が来ました。ぎょへーと口から心臓でそうな気分で演台へ。 ちなみに紹介される時「世界大会の役員」と紹介され「うう・・・世界大会違いだなぁ。私のは大学生のなんだけどなぁ」とちょっと思いましたが,まあそんな細かい事はどうでも良いのでしょう。しかし高校生たちは「うおーー。すげーーー」と感心してくれているようです。あう,プレッシャーが・・・

以下,私のスピーチです。
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First of all, thank you very much for inviting me to your first ever national tournament in English for high school students. And I would like to congratulate every person and institution, Venesse Corporation on the top, who made it possible to select the first Japanese national delegates for the World Schools Debating Championships at this tournament.

I have been attending World Universities Debating Championships for nine years and met many talented debaters from other countries who have rich experiences of attending World Schools Debating Championships. And I felt it was such a shame that Japan has never ever participated in the tournament. It is truly exciting to know that Japan is joining the circle now.

As Joshua told you, international debating championships, especially the world championships will be a very special experience for you. You will see a crowd of delegates from thirty to forty countries whom perhaps you have seen only on TV screens. You will discuss with them, compete with them, eat with them and share free time with them.

And that has at least three meanings, I suppose.

First, you will become insanely curious about the world. If you hear that there is a flood in Bangladesh and Dhaka is under water, you would wonder whether your friends from Bangladesh are doing alright or not. Actually when we heard of the coup in Thailand, dozens of Japanese debaters anxiously waited for e-mails from our Thai friends. Once you get friends all over the world, everything becomes your own affair. Debating cultivates curiosity. Debating is about fighting our own ignorance. And in that sense, I am sure that the world championships will be the best place for you to improve your debating skills.

Secondly, as much as you become curious about your friends’ background, they will become curious about your background, Japan. For example, last month, one of my Australian friend sent me a SMS to tell me that Japanese horse won an international horse race in Melbourne. He told me that at 6:30 in the morning and that was a bit uncool part of this story. But the point is, somebody who had no reason to have that level of interest in Japan becomes to enjoy learning about Japan because of the friendship with you. In this sense, you will be diplomats for Japan.

Thirdly, you will become able to represent yourself at international arena. When you attend international tournaments, you will see that there are many misunderstandings going on. For example, last summer, we found that our Malaysian friends seriously believe that Japanese Constitution says Prime Minister must visit Yasukuni shrine. When you face this kind of misunderstanding, you will feel that you have to solve them. That is how you learn how to represent you and deepen mutual understandings in international settings.

These three merits from international debate tournaments are especially significant when young people like you participate in them. This is a very cheesy expression but you are the future, indeed.

So, I truly hope that you will enjoy this tournament and select the best team among you to represent you at World Schools Debating Championships. Best of luck to you. And have fun!
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すごく静かに聴いていただいたので嬉しかったです。途中引率の先生方で頷いてくださる方もいて励まされました。予定より少し長くなってしまったのでドキドキしましたが,概ね好反応で漸く安心しました。その後も「グッド・スピーチ」と声をかけて下さる方が数人いらしてホッとしました。でも私としては,国際大会の負の部分を隠してスピーチしたような気がしてちょっと罪悪感も残りました。ああ,どうか高校生は差別や偏見に傷つきませんように・・・。スクールズのほうは大学のものよりも温かいと聞くので,それに望みを託します。

その後予選試合を審査しました。高校生の皆さんのディベートを見てちょっと自分の高校生の頃を思い出しましたが,比較になりません。いやー,皆結構上手!!高校生が頑張っている姿に感激していつにも増して丁寧にゆっくりオーラルアジュディケーション…したつもりがコメントが長すぎたようです。うう・・・ごめんなさい。

夕方は立食形式の懇親会でした。どの高校生も皆礼儀正しいしとっても感じ良いです。素敵だなぁ。皆はどんな大人になるのかなぁ。SFCのチームにも会いました。可愛かったぁ。引率の先生もとっても感じの良い方でした。せっかく同じキャンパスにいるので何かコラボレーションがはかれると良いのですが。

夜は先生方と飲みに連れて行っていただきました。入ったことないタイプのお店に入りました。ジントニックをお願いしたらジョッキで出てきて驚きました。お喋りしているうちについカパカパ飲んでしまい,三杯目のジントニックでママさんに「よく飲むわね」と言われてしまいました(汗)ごめんなさい。つい。

その後食べたラーメンが美味しかったです。ああなんでお酒のあとのラーメンって美味しいのかしら。危険です。

流石に夜行に乗って来てそのまま一日フル活動した挙句お酒を入れて二次会ラーメン,と続くとくたびれました。おとなしくシャワーを浴びてすぐ眠りました。

♪Black Eyed Peas『Union』と荒井由実『朝陽のなかで微笑んで』

ポプラとカエデ (第一夜:旅立ち)

12月15日金曜日。金曜はチーム・ミーティングの日。通常15時スタートのところをヒメに頼んで早めてもらいました。色々話しましたが,イランの臓器移植管理の方法が面白いという話はもう少しジェネリックな論題のケースとしてもかなり良質なのじゃないかとか,ケベック独立はおそらくでないだろうという話に落ち着きました。他にもホテルのチェックインのことなど細々としたことも確認しました。

ミーティングを早めに終えて私は部屋で大急ぎのパッキング。今晩は夜行バスで岐阜へ参ります。翌日から高校生の全国大会があるのですね。その後すぐオリンピックセンターに缶詰になるので,世界大会に持っていく荷物そのままでこの日から22日間放浪生活です。夜行バスのチケットが買えていないのでかなりハラハラしながら大きなトランクを引きずって新宿へ向かいました。

新宿を23時ごろ出る夜行バスのチケットが買えました。乗る直前空腹感を覚え彷徨って,何ヶ月ぶりかのマクドナルドに入りました。乗車直前に数件電話を済ませ,いよいよ乗車。二階建てのバスで私は一階の乗車口の前です。夜行バスってこんなんもあるんだぁ(今まで乗ったことのあるものと随分違った),とちょっとドギマギしつつ車内へ。テイクアウトしてきたマクドナルドのセットを食べようかと思ったのですが,疲労感が強くてあまり食べれませんでした。その間にも周りのお客さんは皆どんどん環境を自分でカスタマイズしていて驚きました。皆さんやたらと慣れていらっしゃる…そして圧倒的に男性が多いですね。うーむ…女性専用バスがハヤる理由がちょっとわかりました。この環境で眠るのちょっと嫌かも。

とかいいつつそもそもあまり眠れず。音楽を聴きながら色々と考え事にふけりました。パーキングエリアで休憩に泊まった際,特に用事も無く外にでました。冷たい夜の空気を吸って空を仰いで歩くと,不思議な孤独感と敗北感と,そして達成感が胸に混じりました。

♪The 411 『Chance』

Tuesday, January 16, 2007

シリーズ名決定 here we go! you'll hear what happened

プレゼンテーションが一個終わりましたー!!!!!!!
わーいわーいわーい!!!!!
やっと眠れるぅ。
作業の合間に気分転換でネットしちゃう不健全な生活よさらば!!
今日からは普通に病気しないように頑張ります。(涙)

しかもちょっと嬉しいことに,
書いてはいけないのかと思っていた部分を書いてよいと指示いただきました。
やったーーーー!!そこが書きたかったのよ!
四方山話もネタも満載なのよ!!

その一環も兼ねて,バンクーバ旅行記書きます。
今回のシリーズ名も既に決めました。
(豪亜大会のときは「羊の道」でした)

今回は,『ポプラとカエデ』と致します。

カエデはカナダだから,というのもありますが,
花言葉(花じゃなくないか?)が
「遠慮、自制、謹慎、隠退、保存」。

ポプラの花言葉は「勇気」。
加えてギリシャ語で「ざわめき」を意味します。

『勇気と自制』たあ,今回の大会で味わった
忌々しさにぴったりじゃありませんか?
隠退大会になった人も沢山いましたしね。
Tに遠慮しなければならないシーンも数多くありましたし。
何より評議会では例年通りかそれ以上の勇気を搾り取られました。
そしてTを勇気がない,意気地なしだと面と向かって罵りました。(ごめんね,T)

そして何よりポプラは中島みゆきの歌
『空と君のあいだに』から。

「君の心がわかる」とTに言われ続けた私ですが,
結局彼の正体はわからないまま,という歌通りの馬鹿な女全開ですので。
丁度良いでしょ。自虐的だけど。

しかもこの歌,ドラマ『家なき子』の主題歌だったんですって?
(私は件のドラマを見たことがありません。キメ台詞は知っていますが)

「同情するなら○○をくれ!!」

の○○に入れたいものには事欠きませんしね。
(例: 論題,準々決勝,まともなジャッジ,票,タブ,航空券代,礼儀・・・などなど)

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「空と君のあいだに」

君が涙にときには 僕はポプラの枝になる
孤独な人につけこむようなことは言えなくて

君を泣かせたあいつの正体を僕は知ってた
ひきとめた僕を君は振りはらった遠い夜

ここにいるよ 愛はまだ 
ここにいるよ いつまでも

空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る 
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる 
空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る 
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる

君の心がわかる、 とたやすく誓える男になぜ女はついてゆくのだろう 
そして泣くのだろう君がすさんだ瞳で強がるのがとても痛い
憎むことでいつまでもあいつに縛られないで

ここにいるよ 愛はまだ 
ここにいるよ うつむかないで

空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる
空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る 
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる
空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる
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前線活動 at a forward edge

いまだにTからも主催者からも航空券代が送られてこず。
しめて弐十三万円余也。
12月5日の段階で額が固定されていたにも関わらず,
今になっても支払いがされないのです。
つまり未払いなまま飛行機に乗った挙句返金してくれないのです。
出発前に振り込んでくれるのかと思ったらされず,
現地で返金と言われて行ってみればやはりされず,
2・3日中に送金すると言われて渋々帰れば帰国後10日以上経つのにまだされないのです。

なめてんのかこのやろう,と思っていたら,
請求書を送ってくれと今更ぬかしやがりました。
請求書の額は主催者が払う予定の弐十三万より大幅に大きいのに,
それを貰って何に使う気なのよ。怪しいわよ。

しかも主催者がもたもたしている間こちらは待てないので,
昨日月曜日にTが立て替え送金してくると言っていたのに,
今になって木曜日が給料日だから週末まで待てとか言ってやがる。

……寝とぼけてんじゃねえ。
(ああ...私の口の悪さが日々進行しているのは
ひとえにあの外道主催者のせいでございます。涙)

それでもとにかく英語版の請求書を生協で作成してもらい,
「領収書を送ってくれ」というTからのメールの90分後には送信いたしました。
まったく生協様には足を向けて眠れません。

ちなみにこの90分の殆どは,基本情報の取得に費やされました。
「送ってくれって言うけどどこに送れば良いの?」
「僕とカナダ」
「何で送れば良いの?ファックス?郵便?」
「ファックスで良い」
「で,その番号は?」
「これ。」
・・・といったアホなやりとりに延々かかったのです。
送ってくれって言うなら基本情報くらいそっちからまとめて送ってこんか!

しかも「職場のファックスだから送付状をキチンとつけてくれ」と七面倒なことをぬかすので,
ご丁寧に英語版の送付状テンプレートをマイクロソフトのサイトでダウンロードして,
一筆ご挨拶したためて添えましたよ。送って即座に「今送った。確認されたし」と,
メールまで送りましたわよ。

その後Tからの返信全くなし。
届いたのかどうかの確認すらこじ。

死ね,本当に。
(冗談です。落ち着け,私。きっともう帰宅してオフィスにいないのよ。
・・・・・・つまり他人に仕事させといて本人はさっさとお帰りあそばしたと?怒)

ま,いいです。

韓国からはアジア大会の宣伝のため来日したいというメールが着ました。
中国からは全国大会に来れそうかという問い合わせのメールが着ました。
バングラディッシュは今後の日本の支援宜しく云々と言っております。
香港の方はメーリス等の紹介よろしく,とあります。
タイからは「masakoが次国際大会参加するのはいつの見込み?」という
不気味な問い合わせがありました。(何のために知りたいんだろう)
タイの場合世界大会の売り込みも良いけどここらで誠意を見せてもらいたいものです。
世界大会の評議会で言ってたあのすっとこどっこいな対応はなんだ。

・・・・・・ああ,なんだか色々と面倒臭い・・・・・・。

英語を外語としている参加者への気づかいお願いします,とか,
審査委員長団には論題選考において多地域を網羅するようお願いします,とか,
こまごまこまごまとどういうことなのか説明しないといけません。
テンプレートでも作ってコピペしてやりたい。
そして説明したら分かってくれるとは限らないし,
解ってくれたらその通りにしてくれるわけでもない。

テロリストの心境がちょっとわかるそんな今日です。
イラチな私は「さっさとしねーか」と暴れだしたくなります・・・

後方支援も面倒なら前線活動も面倒です。
「日本がより良い待遇を求めるなら,
それは日本人自身によって戦い獲られなければならない」
なんぞと偉そうにぬかしていたTは,
これが人生初の海外送金なのだそうです。
(今まで大学が全てやってくれていたらしい)

・・・・・・甘やかされ続けてきたあんたに
「戦い獲らなければ」とか言われてもな。

Monday, January 15, 2007

後方支援 feed him arguments

なんか漸く納得いきました。
つまりは私の指導不行き届きだったようです。
もっと寝る間も惜しんで教え込んでおくべきでした。

(ちなみに昨日の読んで「は?喧嘩の原因は酒を飲んだ飲まなかったなの?」と思った方,あの,一応背景がございまして。「主催者がスポンサーに贈呈する品を探してるから,日本から贈り物に相応しい日本酒を何か二本持ってきてくれ。」とTに頼まれまして。樽に入ったのと陶器の人形に入ったのと合計3リットルも重い思いして成田から持ってったんですよ。はるばるバンクーバまで。それを主催者もTもいつまでも取りに来ないわ,礼の一つも言われないわ(完全無視ですよ),代金払わないわ。それでしかも大会自体であまりに理不尽な扱いでしょう?「なんであたしがここまでされて這い蹲ってご機嫌とらなきゃいけないのよ。こちとら主催者に親切してやるいわれは金輪際ない」と腹を立てた私が,その贈呈されるはずの日本酒の内の一本を下水に流してしまったわけです。(酒造りの皆様ゴメンナサイ!!)で,困ったのがT。いざ必要になったら「もう飲んじまってない」と私に言われたわけです。それでこの後件の大喧嘩に突入したわけですが。ケッ。知るかっつーの。というのが今でも私の意見でございます。結局私は残ってた一本をあげたのに,主催者は礼を言うどころか代金すら払ってないんですからね。なんだ,それは。本当になんなんだっつーの。)

英語を外語とする選手かどうかインタビューするパネルを,
彼ら自身の審査員たちから選ぼうよ,と言えば,
「評議会次第だね。
あ,ちなみに君はブリーフィングだから評議会出れないから」と言われて引き下がり,
(明らかにノーって意味だろそれは)

論題はちゃんとプロジェクターに出そうよ,と言えば,
「機材的に一箇所でしかできない」と言われて引き下がり,
(んなわけないだろ,じゃあどうしてタブは全部でできんのよ??)

北朝鮮の論題を出そうよ,と言えば,
「良いケースがない」と言われて引き下がり,
(マカオの金融制裁解除が今旬だろ??テロと対話ディベートの典型じゃん)

論題の地域分配に気を配ろうよ,と言えば,
「世界大会は何が一番話題かなコンテストじゃないからね」と言われて引き下がり,
(話題にもならないようなヘボな論題出して良い言い訳にはなんねーよ)

英語が外語の審査員は頭が悪いわけじゃないんだよ,と言えば,
「フィードバック優先だから」と言われて引き下がり,
(フィードバックする奴が偏見に満ちてたら一銭の価値もないでしょうが)

準々決勝ちゃんとやろうよ,と言えば,
「規約に関わることだから評議会でしか決められない」と言われて引き下がり,
(規約には何処にも英語を外語とするチームについて書いてねーよ)

・・・・・・引き下がりすぎなのよ!!!!
仮にもファイナリスト,たとえ三対一でも意地見せんかい!!
(こちとら予選通過すらしてないのにチャンピオン三人と根性だけで渡り合ってんだぞ)

・・・・・・と最初は思いましたが,
あれだけ頭の良い彼がこんな明白な嘘にあっさり騙されるのは,
(そう,面白いくらい良いように次から次へと洗脳されよってからに)
やっぱり頭以外に経験が必要だということなのかもしれないな,
と思うようになりました。

私たちはこんな明確な嘘をつかれたら,
それこそガッツ・レスポンスが「んなわけあるか,こら」と湧き上がる。
だからなんでおかしいのかちょっと考えればすぐ反論が思いつく。
()内のような罵倒が私の頭には即座に点滅するわけです。
体に染み付いた恨み辛み怨念が味方してくれるというか。

彼にはそれができないんですね。多分。
結局のところ,頭で理解しようとするのでは遅くて,
その場その場で反論を探してる。それじゃ全然間に合わない。
体験って即座に議論をつくれる能力につながってるんですね。
常日頃そのことに頭を使ってる人間には,その場限り頭を捻ってもかなわない。
常々言葉の壁に苦しんでいる私たちよりはどうしても考えが未熟なわけです。
頭も口も立つけどことこの問題に関してはヒヨッコなのよね。

これ,そういえばLに近いことを言われました。
全然違うコンテクストで,その時は貧困国からの参加者を助けたい,
って私がお願い(ロビー活動)して回ってた時なんですけど。
「masako, you want to help because you care.
Because you are a part of the cause.」と。
他のそうではない人は頭も心もそれに追いつかないのさ,と。
私は先進国出身だから別にpart of causeじゃないんじゃないかと思いましたけど。
先進国の私が貧困国の為に闘えるなら,
Tが英語を外語とする国の為に闘うこともできる筈じゃないかと思うけど。
でも結局のところ,彼は「a part of cause」ではなかったのかしら?
(しかしLってば良いこと言うなぁ。
こういう台詞がサラッと出てくるからこの人嫌いになれないのよね……)

「信頼と期待はあまりに似ている」(中島みゆき/夢だったんだね)
ってホントなんですね。
あまりに信頼したから,期待も大きくなってしまった。
それが間違いでした。
良い奴さ。そりゃ良い奴さ。だからといって能力があるとは限らないさ。
彼は彼の土俵で議論すれば最強だけど,
私たちの土俵に昇れば私たちの幕下以下なんだ。

そうとなれば解決策は・・・・・・スパルタ教育!!!
心でわからないなら頭に叩き込んでやろう,ホトトギス!!
受験生は英単語を発音できなくても解答欄に書けるのよ!!!
受験勉強してもらおうじゃないの。

傾向と対策を徹底的に洗って,問答集を作成し,
ああ言われればこう答える,を脳髄に染み付かせてやります。
覚悟しとけよ,小僧。
引退だ?眠いことほざいてんじゃねーよ。

Sunday, January 14, 2007

嘘つき a liar

---------------------
切ない嘘をついては
言い訳を呑み込んで
果たせぬあの頃の夢は
もう消えた

誰のせいでもない
自分が 小さすぎるから
それが 悔しくて
言葉にできない
(オフコース/言葉にできない より)
---------------------

嘘。

気持ちが落ち着いたなんて嘘。
弱虫だなんて嘘。
何にもしてくれないなんて嘘。
大切にしてくれないなんて嘘。
分かってくれる人が要らないなんて嘘。
友情が要らないなんて……嘘……かなぁ。

「決してお前に嘘はつかない」と言ってくれたT様ですが,
私の方は嘘だらけ。

巡り会わせが悪かったとでもいうのでしょうか。
まるで「いとしのエリー」ね(って私が男役かい。笑)
友情も同じか。

空港で「この間ね,お前に嘘は絶対つかないよ,って言ってくれたけど,
私はあなたに嘘つくよ。」と言った瞬間の緊迫した空気。
吐き気がしたのは冷めた天ぷらの油のせいだけじゃなかった筈。

仕方ないじゃないですか。
私は嘘つきですよ。
もう何年も言ってるでしょうに。

「『飲んじゃったわ』って言ったお酒ね,
本当は飲んでなかったよ。
洗面台に流したの。
真昼間の素面の時にね」

と種明かしをしたら夜のような重い沈黙が降りました。

仕方ないじゃないですか。
私は嘘つきですよ。
もう何年も言ってるでしょうに。

「なんで飲んだなんて嘘ついたの」と訊かれても答がありませんでした。
「さあ,なんでかなぁ」と言う私を悲しそうな瞳がジッと見ておりました。

『届かないものならば 見つめかえさないのに』・・・ってね(笑)

「こうして4時間かけて説明できないものを
電話の上で5秒で説明できたはずがないわ」

というのが結局口にした答えでした。

本当は簡単なこと。

Tが逃げたことに腹を立てたんだ。
露骨な人種差別をしながら,
慇懃無礼に面と向かって嘘づく主催者の
慰み物にされる私を見捨てたTに腹を立てたんだ。
負けるとわかって闘う私たちから
目を逸らして逃げたあいつに腹を立てたんだ。
一矢報いたい標的は主催者だった筈だけど,
Tに対する腹立ちが全然無かったかと言われれば,
それはわからないな。

そう言ってしまえば満足かしら。
本当のことを言えば上手くいくかしら。
大体こんなこと,英語で精確に言えるかしら,私。
充分抉るような言葉を探せるかしら。

嘘をつかないと言ったTの言葉に嘘はないかしら。
まだ逃げたことを認めない彼の言葉を私が信じられなければ,
嘘じゃないと百万回言われたとして何か意味があるかしら。

そうです。
私は嘘つきです。
隠しやしません。
だって本当のことですから。

まさかの友 a friend in need

ちょっと気分が落ち着きました。

第二ラウンドで話が煮詰まった時にTから出た私にとっての決定打は,
「結局のところディベートは西欧のものなのだから仕方がない」というもの。

......なんだそりゃ。

なら世界大会なんか開くな。
なら西欧大会とでも呼びやがれ。

じゃ,あれか。
非西欧国からの参加者たちは西欧諸国の参加者が
「俺たちってすげー」って優越感に酔うためだけに集められてるわけか。
私はそんなコミュニティの一員でいるなんてまっぴらごめんだ。

結局Tには4年間もかけてゆっくり説明してきたつもりだったのに,
なーーんにも伝わってなかったんだなぁ・・・と思いました。
(その前に6年かけて無駄だった人たちもいましたけど・・・)

メディアの偏向とそれによる論題の偏向の問題,
英語を母語としない選手への差別,
努力に見合わない冷遇と当らない光・・・

それがどのように構造的変化を待ち望んでいるか,
もし「非西欧国だから仕方ない」の一言で済まされるんなら
なぜあんなにも時間をかけて説明してきたんだろう・・・

たとえ仮にディベートが西欧的なものだったとして,
発言する権利は皆に与えられるべきだ,とか
差別と偏見を助長するような構造は変えたほうが良い,とか
そういった原則を否定する要素になるのだろうか。

私にはTの言ったことが信じられない。
まさか彼があんな風に言うなんて・・・と思った・・・

けれど・・・冷静に考えたら驚くことではないのかも。

まさかの友は真の友。
もしそう言うなら,世界中見渡しても友達なんていないんだ。
被差別者は被差別者同士で固まって戦っていくしかないんだ。
・・・そうなんだ・・・。

なんて醜い世界だろう。

あの夜,
「俺たちの友情が危機を迎える程辛かったなら何故電話の一本も寄越さなかった?
俺たちの友情が危機を迎えるほどの決定的な瞬間になんで俺にそれを言わないんだ。
俺にとってお前がどうでも良い存在だと思うならそれは間違いだ。
そりゃ確かに忙しかったさ。
けどお前との友情がかかってるんだと知ってたら夜中でも這ってでも来たさ。
俺が日本に行くのは何でだと思う。
日本人のためだって?
お前との個人的な友情がなかったら行きやしないさ。
俺が自分の評判をお前との友情より優先すると思うならお前は俺を知らないんだ。
日本の皆と君との友情は俺にとっては比較にならない。
お前との友情はそれだけ俺には重いんだ。なんでわからないんだ」
とまで叫んでいたT。
涙まで流してくれたT。

でもその友情は一緒に遊んで笑って飲むための友情だったんだ。
あの子達を大切にしてくれないなら友情なんて要らない。
あんなに理不尽な想いをさせられている子達を見て,
それでも奮起できないような弱虫の友人なんて要らない。

良いさ。
独りで闘いましょう。
これまでそうしてきたように。

バイバイ,儚かった夢。
わかってくれる人なんてもう要らない。

Friday, January 12, 2007

闘争なき進歩はない without struggle, there's no progress

"If there is no struggle there is no progress. Those who profess to favor freedom and yet depreciate agitation…want crops without plowing up the ground, they want rain without thunder and lightening. They want the ocean without the awful roar of its many waters…. Power concedes nothing without a demand. It never did and it never will."
(Frederick Douglass, 1857)

・・・わかっているつもりです。
わかっているつもりですが・・・

泣きたい日だって闘いたくない日だってあります。

この2週間で4キロ体重が減りました。
今朝は3回吐きました。

助けて欲しいと言う事は過ぎた要求でしょうか。
独りで戦わなければ意味がない,と言われて悲しくなるのは間違っているでしょうか。

Tとの第2戦は,私にとっては第1戦よりも辛いものになりました。
苦楽を共にしてきた仲間で読んでくれている人もいると思うので,
気持ちが落ち着き次第内容をアップします。

でも今は進歩しなくて良いから逃げてしまいたい。
闘えるようになる日まで,静かにジッとしていたい臆病者です。

アレクサンドラさんの言葉を繰り返し繰り返し聞いても,
今日は悲しみが深まるばかりです。
http://www.mag.keio.ac.jp/~masako/dbt/records/i/idea/Alexandra.WMV

Tが「メルボルン着いたよー。手紙ありがとう。すごく嬉しかったよ」ってメッセージをくれても,心は沈むばかりです。(でも堕ちなくてホント良かった)

明日は立ち直れますように。

Wednesday, January 10, 2007

消息2

その後,私が友人と夕飯に出ている間に色々話が進みました。
どうやら北京国航賓館にたどり着けた模様。
しかしながらやはりそこでも英語は通じない模様。
でもって明日のバスの時間が正確に伝わったのか不明な模様。

・・・・・・頑張れとしか言いようがない感じ。
でも「七十チャンネルもあるのに英語の番組が一つしかない!」と報告してくれているあたりが平和な感じ。この様子なら大丈夫でしょう・・・。

Izumi嬢,おそらく危なくはなさそうです。
一緒に心配してくれてありがとーーー。(^v^)o

消息 

Tの消息を心配している方のためのアップデートです。
たった今SMSが入りました。

中国国際航空の担当者をターンテーブル付近で発見することはできたものの,英語が全く通じず,一体どのホテルに自分が向かっているものか全然解らんとのことです。・・・・・・えーんえーんえーん・・・

ホテルに着いたら連絡する・・・とあるのですが,それじゃ遅いだろ,T!!
違うホテルに連れて行かれてから「違った」って教えてくれても何にもできないでしょ!!
えーんえーんえーん・・・

ああ・・・どうか北京国航賓館ですように・・・

ダイエット企画なの? Was it a diet program for me?

丁度今頃Tの飛行機が北京空港に降り立つはずです。
頼むから堕ちないで下さい。
堕ちたらオーストラリア政府と世界のディベート界が逸材を失うことに。
真面目に困ります。
とにかく無事に着陸して欲しいものです。

嗚呼今日中に出さないといけない資料が作り終わりません。
えーん・・・どうしよう・・・
でも集中力が限界です。

加えて,3月の大会ではLが非英語圏におけるディベートについて講演することになっていると判明。
なんだそりゃ。Lはそういうの全然詳しくないでショーーー!!
本人英語で生活しているくせにESLトロフィー貰ったというその話題はダメダメな人でショーーー!!!
やれやれ。
もっとマシな人選できなかったのでしょうか。

まあとりあえずあと3時間の内にエマージェンシーコールが来なければ,
IDC6はとりあえず問題なしに終了ということになりそうです。
(明日の朝乗れるかという問題も少しはあるけど・・・)
長かったような短かったような。
手のかかるコーチがいなかった(Tはとってもお行儀良い方)ので,
そういう意味では私の胃への負担は小さいイベントでした。
その割りに痩せましたけど。IDCは私のダイエット企画か,って感じです(笑)
ま,いいさ。とにかく無事にホテルまで着いて欲しいです。

Tuesday, January 09, 2007

知性と言語 Intellect & Language

あと12時間でTは機上の人である。
(ちなみにTというのはこれまでの日記,特に「羊の道」シリーズで既出の「ソネレック氏」と同一人物です)

彼が北京での乗り換えで独り一晩過ごすことに一抹の不安を覚えた日本人選手団。彼らによって入念な注意事項のリストが作成され,Tに送られた。既に印刷して携行したとの返事が来ている。加えて,今日旅行社に彼のホテルが予約した通りのところになるよう確認を依頼してきた(のでizumi嬢よ,安心召されよ)。もうこればかりは大丈夫だろうと信じるしかない。今回のフライトをアレンジした人間としては身も細る気分であるが,今となってはどうしようもない。

この友人はその後成田で乗換えとなるので,今後のための打ち合わせと大切な物の受け渡しを兼ねて私も成田まで出向くことになっている。ついでに言えば,あまりに尻切れトンボな喧嘩をしたため不完全燃焼なのである。二日後の午後には成田で再戦を果たす予定である。

中でも私がもう一度話したいと思っているのは,representする権利についてである。

彼は例の口論の中で,「俺は白人だから君らの代弁者に向かない」と言った。
これが私の心には重くのしかかっている。

そんな馬鹿な話があるだろうか。

白人は有色人種の権利を訴えることができない?
(アパルトヘイトを非難したメディアは何人のものだった?
キング牧師の支持者には白人はいなかったか?)

英語圏の人間は非英語圏の人間が対等に扱われるべきだと主張できない?
(「消えゆく言語たち」の著者は何語であの本を書いた?
マクブライド委員会の委員長は何人だった?)

そんな馬鹿なことある筈ないと,私たちに教えてくれたのは他ならぬTではなかったか。

この愛すべきアラビアのロレンスから教わったことを,
今度はそっくりそのまま私が彼に教えてあげなければならない。

そんなことを逃げる口実に使わないでくれ,と。

もう一つは,知性と言語の関係についてである。
これに関しては,私の蔵書の中から3冊,プレゼントするつもりでいる。
実は研究に必要な本なので,新しく買って進呈しようと思ったのだが,
間に合わなかったので手垢のついた古いものを彼に渡し,私が新しいのを使うことになる。
それでも,読んで貰いたい3冊を選んだ。

その内の一冊,エドワード・W・サイードの『知識人とは何か』から引用したい。

---------------------------------------------
どのような知識人個人も,言語のなかにうまれおちるし,生涯のほとんどをその言語のなかですごす。生まれおちた言語が知的活動のための主要な媒体となる。(中略)知識人が民族言語を使うのを余儀なくされるのは,なにも,それが便利で慣れ親しんだものだからという理由だけではなく,知識人たる彼もしくは彼女は,その民族言語に,まさに自分ならではの独特な声音や,特別な語調や,さらには展望そのものを刻印しようと望むからである。
---------------------------------------------

サイードという人は,英語とアラビア語の両方が堪能だったと言われるが,昨年のシンポジウムでは彼のアラビア語が実は強いエジプト訛りのもので驚かされたというような話もあった。彼はきっと,自分の知識人としてのプライドがアラビア語で話す度に傷つくのを感じただろう。しかし彼にはアラビア語で発信しない,英語だけで活動する,というような贅沢は許されなかった。彼がアラビア語圏の人間に深い共感と同情と責任を感じていたからだ。

知識人としても複数言語話者としてもサイードの足元にも及ばない私ではあるが,英語で発言する時の痛みを通して,彼のアラビア語での知的活動が困難であったことを想像する。もしも私がべらんめえ調の日本語しか話せなかったならば,日本語で学会発表や講演をすることの精神的ハードルは凄まじいものになるだろう。私は英語で話す時丁度そういう気持ちに苛まれる。忌々しいがそういうものだ。

だからこそ,最後の部分,『まさに自分ならではの独特な声音や,特別な語調や,さらには展望そのものを刻印しようと望むからである』には強烈な共感を持たざるをえない。英語で話す私は壊れたコピー機のようで,粗悪な複製をばら撒くだけだと思うからだ。英語で話す私は知的な生産をしていないように思える。その前に体裁を整えるのに必死なのだ。

Tはそうではないと言う。Tは,『お前が俺を説得したんじゃないか。お前の言葉で俺は大きく世界観を変えたじゃないか』と言う。

そうなのだろうか。英語でする私の言論は,人を動かす力を持ちうるのだろうか。
そしてTのような人を動かせさえすれば,私は満足するべきなのだろうか。

私はそうは思わない。

言論は時に闘いではないか。
T自身,そう言ったではないか。
「masako, これは戦争なんだぞ。
ESL/EFLの話をする時は礼儀正しさなどかなぐり捨てろ。
俺に対してだって噛み付くように話せよ。」と。

私がTの意見を変えられたのは,Tに聞く準備があったからだ。
聞く耳を持たない相手と火花の散る競り合いをする時,私は無力だと思う。
評議会(カウンセル)で何年も口に砂を入れられた後味は,理屈でなくそう教えてくれる。
言葉の真剣勝負をする時(カウンセルではワールドチャンピオン3人と3対1で戦わなければならないときもある),あれほど自分の言語で話せたら,と噛み締めるのは,私は英語において本当の知識人ではないからだと思う。

それでも今年は,私の吠えるような発言に幾度も拍手をしてくれる人たちがいた。
小さな国々はいつも味方してくれた。
代表する権利を持たない声なき人たちの少しでも慰めになったなら,
サイードの言う知識人としての本分を果たしていると胸を張って良いのだろうか。

私はそうも思わない。

時には勝たなければならない言葉の闘いがある。
弱い事が許されない時もある。
小さい国や弱い国が黙らされるのを見るのはもう沢山だ。

私はいつかこの戦いに勝ちたい。

そのために私がどうすべきか,Tには友人として助言する義務がある。
成田でTと闘うことで,私はその答を探したい。

Sunday, January 07, 2007

できないと言ったらできない I can't when I say I can't

世界大会から帰りました。
今年も…というか今年は特に,色々ありました。

ホント色々ありすぎて何がなにやらです。
帰国の飛行機2日2晩,ほぼ泣き続けました。
ようやく涙は出なくなったけど,心の整理がついたわけでもなくて…
どこから書こうかな…

最終日の夜は,もはや親友と言って差し支えないかもしれないコーチTと
怒鳴り合いの喧嘩までしました(怒鳴ってたのは殆どむこうだけど。笑。珍しいっしょ?)。
お互いの言葉が今思い出しても切ないです。
自分が弾丸のような言葉を発した瞬間の相手のハッと息を飲む音に,
お互い震えるほどショックを受けました。
お互いに相手を傷つける心の準備ができていなかったと嫌という程思い知らされました。

私との喧嘩の後でコーチが涙まで流していたと聞かされ,
やるせなくなった私は,彼に謝るために夜中に延々と独り歩いてパーティ会場へ行きました。
途中何度も道に迷って,人気のない夜の道を長い時間さまよいました。
(こういう自虐行動に出るところが本当に私の悪癖だと思います。気をつけないとね)

着いた時は夜中の1時くらいでした。
心の整理がつかなくて,謝る踏ん切りもつかないままうろついていた私に,
Lが「よ,EFLベスト・スピーカ様。おめでと」と声をかけてきました。
思わず複雑な気持ちを顔に出してしまった私に「Tと派手にやりあったってな」と。
どうして知ってるんだろうと思ったら「Tが落ち込んでたぞ」と言われて更に落ち込む私。
余談ですがLとTと私はほぼ同期同年齢。この三人の絆はちょっと奇妙なものです。
Lが「とにかくすぐ会っておっきくハグしてやれ。それで大丈夫だから。奴がお前のこと大切に思っていてお前も同じなら,それが伝わりさえすれば大丈夫だから」と私に言い聞かせ,
私の手を引いてTを探してくれました。LがTの後輩に「Tは何処だ」と訊いている間,
私がその後ろで虚ろな顔をしてただ手を引かれていると,肩を叩く人が。
目の前に静かな笑みさえ浮かべてジッとこちらを見つめて立っていたのは,他でもないTでした。
次の瞬間にはふたり,ガバッと抱き合っていて,お互いの悲しみを共有しました。
どちらから腕を開いたのかも覚えていないほど一瞬のことでした。
そのままギューッと加わるTの腕の力に,ああ本当にすまないと思ってくれてるんだな,と実感しました。後ろでLの「ほらな」という声が聞こえました。(うふふ。ホントにね。ああ,L,ありがとう。)
「ごめんな,ごめんな」と繰り返すTに,私も謝罪を繰り返しました。

その後,何を話したかな。
Lも含めて三人でテキーラ・ショットをして,Tが盛大にむせて(笑)
そうそう,Tが,「masakoの結婚式にはたとえ一週間前に知らされても駆けつける。
たとえ選挙前でも,結婚相手がどんなうすのろマヌケでも祝うために飛行機に乗る」と誓って(笑)
(その前に「masakoがいつになったら結婚する気になるか,一生ならないかという問題があるが」と言いやがりましたが。思わず「ほっとけよ!」と拗ねる私の頭をLが笑って撫でていました。ホント,一言多いんだよな,Tは。笑)

正直,今回の大会ではショックなことがいっぱいあって。
Tのことも信用して良いのかわからなくなったのも確か。
Lのことは今まで何回も疑ってきたし,それは今も変わらない。
けれど,きっと私はあの夜の三人のテキーラ・ショットを長く忘れないと思う。
いい友人に恵まれたと思います。

さて,今回Tと私がお互いに発してしまった弾丸ワードは以下。
コンテクスト抜きでここだけ取り出しても意味不明かもしれませんが。

私がTに言ってしまったのは,
「結局あなたはESLの庇護者というレッテルを貼られるのが怖かったのよ」というもの。
これは言った瞬間にTが息を飲む音がして,目つきもガラッと変わって,
ゆっくりと「俺がESL庇護者のレッテルを恐れたって?」と繰り返された時に実感しました。
ああ,傷つけるつもりで言ったけど,こんなに傷つける準備はなかったって。
でも,この言葉に傷ついてくれたから許せたんだとも思います。
本当に嫌な奴だったらこの言葉では傷つくはずもないもの。

Tが私に言ってしまったのは,
私の「私は英語で自分を表現することができない」という言葉に対して,
吐き出すように言った「ラビッシュ!」というもの。
この瞬間私の全身がザワッとなるのを感じました。
「誰に何と言われてもTだけは解ってくれてると思ってたのに結局Tも他の皆と同じだったのね」
と,本当にショックだった。(「masakoはもう言葉の壁なんてないだろ」と言われることがどんなに知識人としての私を傷つけることか,ということを繰り返しTには話してきたつもりだったので)
突然声を荒げて「できないわよ。何度言ったら解るの。できないと言ったらできないのよ」と
叫ぶ私を見て「しまった」という表情を見せるTを見てもこの時のショックばかりは取り消せませんでした。ホント,英語がマシになったらなったで腹が立つのは同じね(笑)

英語で話している時の私はいつも心と言葉の乖離に苛立っているのですが,それがこんなに親しい人間にも見えないなんて皮肉なことですね。ていうかブログが結局日本語なの見て気がつけよ!!ってね(笑)

本当は謝る踏ん切りもついていなかったし,今でも胸にもやもやとした不満はある私。
でも,あの夜私がナイト・クラブに着く直前の夜中の1時にTが私に送っていたSMS
(その時は大音量で音楽をかけたイヤホンをつけて夜道を彷徨っていたので気がつきませんでしたが)
を見ると,許さなかったら後悔するに違いないとも思う私。

そのSMSには,ただ一言「ごめん」とだけありました。

ま,他にも色々ありましたが時間がないのでまた今度書きます。
というかどうしてTとここまで大喧嘩をする羽目になったのかという経緯の方が
ずっと大切だよねー……やれやれ。

今度はできるだけ時系列で書きます。羊の道のときみたくね。
今回あった色々は忘れちゃいけない気がするから。