Thursday, October 18, 2007

桃色吐息 make me sigh in pink delight

先日テレビで「日本の女性は歳をとるのが上手ですよね」
と言っている人がいて,ちょっとなるほどなぁー,と思いました.
確かに海外は皺が深くて必要以上に老けて見える女性が多い気がします.
湿度が違うからかしら?日本は『温暖湿潤気候』と習ったかも.
けど夏は温暖ていうより亜熱帯だし,冬は湿度も足りないですよね・・・
日本よりずっと『温暖湿潤』な感じのする熱帯の人達も早く老けるみたいですしね.
やっぱり経済力と努力の問題かしら・・・?

母が高橋真理子が好きで,最近放映された特集番組を食事中に流しておりまして・・・
で,代表曲『桃色吐息』を歌っているところをぼへーっと見ながら食べていたんです.
バックに流れるペドロ・アンド・カプリシャス時代の映像と今の映像を見比べながら,
若いときの髪型の方が似合ってたかなぁ・・・とか漠然と思いました.
が,直後に大体中間的な歳の時の映像が混じってびっくり!!全然違うじゃん!
いやはや,今の少し日に焼けた肌と明るい髪色の組み合わせの方がずっと良いわ!
そっか,ペドロ時代のファッションは加齢に向かなかったのか・・・うーん勉強になりました.

ところで,「桃色吐息」の英語版が「make me sigh in pink delight」だって知ってました!?
なんかぜーーーんぜん雰囲気ていうか意味ちがくありません??
勝手に溜息吐いてるんじゃなくて吐かせてる人がいるんだ??

で,思い出したのが・・・
「なんで恋愛がうまくいってる時は仕事が手につかなくて,
うまくいってない時は仕事がはかどるんだろう」って台詞.

あはははは.確かにね.
さしずめ,うまくいってる時のぼへーっとしてる感じが桃色吐息か.
じゃあ確かに犯人がいるわなぁ(笑)

真面目な時と「ゆるモード」の時の落差が激しいと言われる私は
自他とも認めるハイパー・ツンデレさんなんですが,
「ゆるモード」と「桃色吐息ぼへー」は違うものだなぁと思います.
でも「ゆるモード」の快適さに勝るものは少ない・・・
えてして「桃色吐息モード」はストレスも多く仕事もはかどらない・・・それは困る・・・
うーん・・・・・・って馬鹿なこと悩んでないでさっさと今週の分書かな・・・

そう言えば最近,…

ここから後の部分3パラグラフほど,期間限定表示でした.
うふふ.読んだぞーっていう方,お留め置きくださいませネ☆

Wednesday, October 17, 2007

When sophists were not sophistry...

日本語版がつけられませんでした・・・
この語感は出しにくいですよね・・・

先日,「ディベータは畢竟ソフィスト」と自虐ネタが会話に上りました.
最近このネタに過敏になっている私.ぐずぐず考えています.
で,田中美知太郎の『ソフィスト』を読み返しています.

スポーツとかだとよく「心・技・体」って言いますよね.
ディベートならさしずめ「心・舌・脳」ってとこでしょうか・・・
ソクラテス(プラトン)による舌と脳の分離よりも,
舌と心,脳と心の関係の方が長い葛藤の歴史を持っているようです.

そしてこれまで何度も何度もここにも書いてきたように,
頭良いヤツが良いヤツとは限らないし,
強いディベータが良い人とも全然限らないんですよね・・・
なんでこんなヤツがって思うような酷薄なヤツが勝ったりするんです.
「優しくなるためにディベートするんだ」がモットーの私ですが,
「学べば優しくなれるわけでない」のも
「トップ・ディベータが優しいやつとは限らない」ことも分かっているつもりです.

田中さんはGorgiasとProtagorasの違いについてかなり頁を割いて言及しているんですが,要はこの舌を鍛えれば脳や心も鍛えられると考えた節のあるProtagorasと舌だけ分離していた節のあるGorgiasって感じでしょうか.

ここら辺を読んでいると,自分自身がぐーらぐら揺らぐのを感じます.
所詮舌のみ,と割り切っていたGorgiasに潔さを感じたり,
Protagorasの夢見がちな想いに引きずられたり・・・

けどやっぱり私はProtagorasの方が近いのかなぁ・・・
つまりは地に足のつけず大風呂敷広げる詐欺師ってとこかぁ・・・
結局cleverな人がゲームに勝つのを黙って見てるしかないなんて情けないですね.

それでも私は大仰で技巧に凝ったGorgias的表現より,
シンプルさに徹しきったProtagorasの方が好きです.
そういうとこ,福沢諭吉の平易な言い回し志向に近いのかもしれません.
考える楽しさを知的挑戦の幸せを,一人でも多くの人と共有出来た方が良いに決まってる.

大学でディベート始めた時,たかが18や19なのに,
スーツ着込んで大学のバッジを胸につけて,
いかにも「背負ってます」って顔でディベートするコミュニティが本当に嫌だった.
大学毎に閥を作って帰属意識を煽る人たちの気持ちが全然分からなかった.
議論することにそんなにがちがちに構えてしまっていては,
本当の意味で議論を身近に大切にする文化が根付かないだろうと思いました.
今でもジーンズにTシャツで気取りなくディベートする方が気持ちよいと感じます.

そういうところ,ヒッピーなNDTのコーチ陣を思い出したりもします。
彼らの純真なリベラルさに心が洗われるような気がすることがあります.
先日某大会に学生さんたちがかかりきりだった時,
丁度全米ディベート協会の元会長が来日中で私ご案内役をしていました.
この先生がまたすっごく心根の綺麗なリベラルなんですよね・・・
ホントああいう方があの年齢でいるってことに救いを感じます.

今回読み返していて一番心に残ったのは,demagogos(デマゴーグ)とtheatrokratia(劇場政治)の部分です.シュラクサイへの遠征をアテナイがどういう経緯で決めたかというところです.この下りはファシズムや日本の戦前戦中を彷彿とさせます.思うに雄弁者を詭弁家と警戒する心が社会に蔓延するのは,過った戦争の後,というのが定番なのかもしれません.詭弁に踊らされないよう真の雄弁者を育てようと決意できなかった弱さの歴史でもあるように思います.デマゴーグとならない,心の洗濯をしてくれるような人達がマイノリティでい続けた歴史です.

"Man is the measure of all things"と言ったのはProtagoras.
自分の研究とあいまってちょっとジーン・・・と来てしまう言葉です.
この言葉が冒頭を飾る彼の著書の名は『真理』.
なんて美しい言葉の連環かと不思議に思うほどです.
まだProtagorasのように夢をみていたい・・・
「知らないで論ずるのではなく,できるだけ何でも知って,何でも論じよう」
とする心は,やはり美しいように,私はまだ思っています.

・・・というわけで勉強勉強!

Monday, October 15, 2007

夢の遠慮 restraint in a dream

気管支炎をひきまして・・・
各方面に多大なご迷惑をおかけいたしました・・・ゴホゴホ
まだ本調子ではありませんが,明日から復帰する予定です.
薬が効いて助かりました.熱は下がりました.

薬で眠っているときに沢山夢を見たんですが,結構リリカルなのもありました.

中学のときから好きな絵が一枚ありまして・・・で,気がついたらその絵に流れている川のほとりにいた・・・と.ね,リリカルでしょ?(笑)ここで誰かにばったりーとかだともう♪I know you, I walked with you once apon a dream...の世界でしょ!(笑)(分からない方に解説しますと,ディズニーの『眠れる森の美女』のテーマソングです.とーぜんyouは王子様なわけですが,何故か王子よりその馬の方がキャラが立ってるんですよね(笑)誰だああいいう設定にしたのは…)

会うには会ったんですけどね.
しかも憧れの君に・・・かの川のほとりで・・・
しかしそれが・・・その・・・イソクラテスでした.
(真面目に,どうよ,自分.なんでそこで哲人(?)よ.)
しかも・・・自分はイソクラテスの妹でした.なんて微妙なポジショニング!
自分自身がイソクラテス役ではなく,恋人とかライバルとかではなく妹・・・
何か微妙に遠慮した配置でスタートです.

しかしそこからの展開がもうめくるめく面白かったんだわー!!!
どうやら私は相当笑かす脳内脚本家を飼っているようです.

ちなみに兄の友人役でアンティポンという名が出てきたので,
どうやら自分で夢だと分かっていた模様です.

笑かすネタの一つで,「実は自分が『両論』の著者だった!」というのがある(笑)のですが,トドメが「しかも元ネタがPros & Consだった!」という・・・あははははははは.どっちが先よ!しかも盗作!あはははは.遠慮するにしてもなんて微妙な遠慮の仕方・・・

はた.

このブログ読んでも自分以外には意味がすっごく不明なのでは・・・(というか自分にも不明)
夢で遠慮するくせに現実の世界で遠慮が足りない・・・私らしさを直さないとです・・・

Saturday, October 06, 2007

[Book] 現代日本の開化 Civilization of Modern Japan

[本] 夏目漱石.1911. 『現代日本の開化』.和歌山市での講演.

高校三年生の現代国語の授業で扱った作品.
最近思い出すことが多いのだけど,その部位を忘れてしまうのでここにメモ.
つい先ほど書いた『言論と日本人』の最後の引用と関係深し.

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この圧迫によって吾人はやむを得ず不自然な発展を余儀なくされるのであるから,今の日本の開化は地道にのそりのそり歩くのでなくって,やっと気合いをかけてはぴょいぴょいと飛んで行くのである.(中略)あたかも天狗にさらわれた男のように無我夢中で飛び付いていくのです.(中略)これを一言にしていえば,現代日本の開化は皮相上滑りの開化であるということに帰着するのである.
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[Book] NATSUME, Souseki. 1911. Civilization of Modern Japan. (a lecture in Wakayama city)

[Book] 言論と日本人 Speech and Japanese

[本] 芳賀綏.1999.『言論と日本人: 歴史を創った話し手たち』.講談社. (1985年に三省堂刊行の『言論100年 日本人はこう話した』を底本としている) 最近読んだ本のアップを怠っていたので色々たまってしまっていますが,とりあえずここから. 感想は・・・「面白かった!!!」「後半,現代に近づくとともに笑えなくなった」「ディベートについては著者は不勉強かもしれないと思う」てなところでしょうか. 四つ目の引用(ヤジに関する部分)に大爆笑しました.あはははははは.ちなみに「hear, hear」は今に通じるけど,「shame」にあたるのは「ノウノウ」だったという記述も.もう有り得ないほど笑いました. 最後から二番目の引用は,底本が1985年に書かれたということを思い出す部分.しかしNAFAの設立は1983年だし,朝日討論会だけに言及しているところがちょっと寂しい.ちゃんとリサーチしたのかなぁ・・・と,そう思ってしまうと他の部分もやっぱり話半分に評価してしまう私です.ディベートについて本を書いている人の殆どが,ディベートコミュニティの出身者じゃない・・・ように思えてちょっと反感も抱きます. あと結構気になるのは,最後の引用.この人は典型的な『脳と舌を分離』したレトリック観の持ち主のよう.けど,「ロゴス」は「言葉」を意味したと言う人もいるくらいで,本来のレトリックはロゴスをも含んでいた筈ではないか,と思います.イソクラテスやプロタゴラス関連で前にも書きましたが,本来「よく話すこと」と「よく考えること」は同一に扱われてきたきらいがあります.私も脳と舌はつながっていると考える側です.少なくともアリストテレスの『弁論術(レトリカ)』にはロゴスが内包されているわけで,この方のような語の用法は誤解の元ではないかと思います. ------------------------------------------ 近代の夜明けとともに日本社会にも「言論」が登場した. 夜明けを導いた先覚者の一人,福沢諭吉は,新たな国づくりのために”演説”をしようと呼びかけた.それは「音声言語による公的コミュニケーションのすすめ」であり,文筆によるのと並んで,肉声で語る言論活動をすすめたものだった. ------------------------------------------ 言論の自由が謳歌される現代日本は,しかし,言論に迫力なく話法に格調なき社会である. ------------------------------------------ なるほど”演説”など見たことも聞いたこともなかった明治の民衆が,それに刺激されて巻き起こした興奮状態は想像に難くない.しかも,かれらは聞くための訓練など出来ておらず,そこへもってきて”演説使い”たちの話が難しいとあっては,内容の理解などおぼつかないものだった. ------------------------------------------ やや時期がおくれて明治二十二年十月,新潟県中蒲原郡酒屋村で行われた改進党の演説会に際しては,ビラに,「傍聴諸君のヒヤヒヤの程偏に奉希候」と書き添えられたほどで,「ヒヤヒヤ!」などの景気づけのための動員は,むかしから行われていたことがわかる.(中略)当時はヤジ要員も水準が低かったから,演説を聞いていても内容が理解できず,どこでヤジっていいかわからないことさえあった.(中略)このように,「ノウノウ」や「ヒヤヒヤ」は,一種の流行であった.(中略)政談演説会ならともかく,地方議会の傍聴人までが「ノウノウ」や「ヒヤヒヤ」をやってみたがって,議場をさわがせる事態が生まれてきた.(中略)聞き手としての修練を積む機会のなかった人々を相手に,内容・表現ともに難解な演説をぶちまくっても,知的理解を得ることはむずかしく,いきおい,情動的な反応ばかりが強く出てくることになったのだろう.(中略)福沢は,講釈師や落語家の話し方に学べと言い,軽妙洒脱なスタイルで演説せよとおしえたが,そこまでわかった先覚者は少なかったのではなかろうか. ------------------------------------------ 戦後日本で,にわかに評価の高まったものは”言論”であり,きびしく排斥されたものは”暴力”である.しかし,言論の権利は定着したが,内容・表現をあわせて言論の質は高まらなかった. ------------------------------------------ 当時(masa注: 昭和四十年代か?)モーニングショー形式の視聴者参加番組の成功に味をしめていたテレビ局は,今度は若い視聴者をあつめた討論番組を好んで企画したが,どぎつい言い合い・怒号を売り物にしようとする意図もあり,論理は無視して刺激の強さを第一とする奇形討論の風を茶の間に送り込んだ.後に,その傾向は,「朝まで生テレビ」という識者・ジャーナリストらの討論番組の中の,かなりの出演者に受け継がれ,呼び声の高まってきた「ディベート」については反面教師の役を演ずる番組にさえなった. ------------------------------------------ 戦後早々から朝日新聞社は「朝日討論会」を催し,地方予選から全国大会にかけて学生(三人で一チーム)同士の討論の場を広く提供した.参加者は,政治・外交・経済から文化・風俗にわたる多様なテーマについて立場を明確にしなければならず,知的内容を磨き討論技術を競う試練の場であった.が,いつしか学生たちの討論のエネルギーがおとろえたのか,「ディベートの時代」のかけ声にもかかわらず,催しが廃止されてすでに久しい. ------------------------------------------ 「言論の自由」が謳歌される時代に,かえって言論が内容(ロジック)・表現(レトリック)共に貧困化し衰退したのは皮肉と言うだけではすまない現象だが,もう一つ,日本人にはまだ真の言論の自由の精神が定着していない.この事態も深刻である.(中略)いま二十一世紀の入り口に立って,「自立」の精神に裏打ちされた自己表現を福沢がすすめた初心に立ち返り,明快なロジック(考え方)と洗練された日本語のレトリック(語り方)による言論を闊達に開花させることこそ,新しい世紀に求められるべき人間回復-ルネサンスのために不可欠の営みである. ------------------------------------------ [Book] HAGA, Yasushi. 1999. Speech and Japanese. Tokyo: Kodansha.