Monday, November 25, 2013

On JWDC GF 女性大会、今年は参加しました (1) 決勝について

前の投稿にある通り昨年は参加を見合わせたJWDCという女性ディベーター支援大会ですが、今年は審査員として参加してきました。その前日にお邪魔した中学生・高校生の関東甲信越大会と合わせ、これでしばらく(希望的観測では1か月少し)ディベート大会を生で見るのはお休みになります。ああ、残念。。。でも短い間に随分沢山の大会を回れたので1か月分チャージした、ということで。この2か月間ほどにお邪魔した大会では沢山の方に色々なお気遣いを頂きました。感謝する気持ちでいっぱいです。

さて、JWDCの決勝戦について。

正直ノートを取らずに漫然と聞いてしまったので、厳密なコメントをする資格はないように思います。なので雑感程度なのですが、面白い論題だったので。

論題は、「ジェンダー(社会的性別)は出生時ではなく、後に本人が選ぶべきだ」というものでした。

ちょっと残念だな、と思ったのはどのチームもsex(生理的性別)、gender(社会的性別)、sexual preference(性的嗜好)の区別があまりついていなかったように思うことです。

開幕与党(OG)の、LGBTの人達の権利という議論は、閉幕野党(CO)に最初から「それはsexual preferenceであってgenderじゃないでしょ」と突っ込まれていて、その通りだと思いました。(精確にはLGBはsexual preferenceだしTはgenderに合わせてsexを変更しているのであってsexに合わせてgenderを変更するケースは少ないだろうしどちらにしても的外れ。)

genderがmaleな人がmaleな人を性的に嗜好するのがG、自分がfemaleでfemaleな人に性的嗜好を感じればL、maleにもfemaleにも性的魅力を感じるのであればBということなのでしょうが、であればgayであることとmaleであることは相反しません。male、female、LGBといったカテゴリー分けはナンセンスです。

そもそもOGが「genderを選択させる」と言っている時、そのgenderは何種類に分かれていると想定しているのでしょうか。選択させるからにはカテゴリー分けが行われているはずでは。

実際のところはgenderも様々なようです。male(男性)、female(女性)以外にboth(両方)やneither(どちらでもない)があるわけで、それぞれのカテゴリー内も様々です。あとTPOによって変化する人もいるかも。

COにしても、「産休の確保などcommon interestを持ったgenderによる結束が必要である」という議論を出しているのですが、産休はどちらかというとgenderではなくsexの方が基になったcommon interestかと思います。COは「genderはbiological featureと切り離せない」とも言っており、この点について釈明する必要を感じている様子は見受けられましたが、具体的な理由や事例は出されず未消化な気がしました。COもまた、sexが幾つかの明確なカテゴリーに分類できることを前提にした議論をしていたように思われます。

実際のところはsexも様々なようです。生理的なmale(男性)、female(女性)というのは何を基に決めるのでしょうか。性器によってでしょうか。それであればやはりboth(両性具有)というケースもあります。また、子宮が生まれながらにないケースのように生来生殖器官のいずれかがないということもあります。これはmale?female?both?はたまたneither?生まれた後に性器がなくなったりできたりすることもあります。性転換手術をする人もいますし、宦官のようなケースもあれば、事故で失う人もいれば、病気で切除する人もあれば、主義主張によってなくす人もいます。この人たちはmale?female?both?neither?生殖機能で決まるという考え方もあるかもしれません。しかしその場合、性器はあるが生殖能力がないというケースはどうカテゴライズされるのでしょうか。無精子症の人はmaleになれないの?無精子症ではなく乏精子症や精子無力症の場合は?勃起障害の人、子宮筋腫や内膜症が理由で妊娠しにくい人、排卵障害の人、不育症の人、原因不明不妊の人は??放射線治療をした人は?精子や卵子を凍結保存してある人は?生殖能力はあるけれど、例えば妻/恋人だけEDとか、乳癌や主義主張など様々な理由で乳房切除した人は?アンジェリーナ・ジョリーみたいに乳房再建した場合は?極端に胸が小さい女性とかは?よく考えるとgender以上にカテゴリー分けしにくい気もします。

そう考えると、COの言う「genderはbiological featureと切り離せない」とはどう解釈すれば良いでしょう?(ちなみにLGBTはgenderとは関係ないでしょ、と突っ込まれたOGはDPMでTranssexualの話に切り替えて(というか絞って?)誤魔化していたように記憶していますが、これは前述の通りgenderに合わせてsexを変えるケースがほとんどであろうことを考えるとOGの的外れぶりを尚更強調してしまっていました。学校でどっちと扱われるかという話も結局学校はgenderというよりsexを基に割り振っているわけでしょ?やー、本当にこの論題のこと全然分からなかったんだろうな。。。なのでOGが勝つことはなさそうかな。。。と思ったらナント結果はOGの優勝でした。。。うひょー、ま、COでないならOGになってしまうのだろうか。。。うーん。。。)

COはまた、sexual preferenceは生来決まっていて選択するものではない、とLady Gagaの「Born This Way」という曲名を使って表現したのですが、はたしてそうでしょうか?

実際のところは生まれてから、というか物心ついた時から変わらない人もいれば、人生の途中で気が付く人もいれば、人生の途中で変わる人もいます。confused(わからない)という人もいます。(どのケースも「自らの意思で選び取った」というよりは偶然や運命の結果としてそうなったという意味ではCOの「選ぶものじゃない」というのは正しいと思います。生まれながらの運命とは限らないけれど。)

また、sexual preferenceも様々なようです。hetrosexualな(異性を性的に嗜好する)人、homosexualな(同性を嗜好する)人、bisexualな(異性・同性の両方を性的に嗜好する)人の三種類しかいないわけでもない。neither(どちらにも興味がない)、という可能性もあります。この場合の異性だの同性だのがsexを基にしている場合もあればgenderを基にしている場合もあるでしょう。異性の二次元キャラクターを性的に嗜好して生身の異性には興味ないという場合はhetrosexualになるの?とか、性別にかかわらず馬(動物)に興奮するといった場合はbisexualと考えて良いの?車や電車といった無機物を性的に嗜好する場合は?といった疑問もつきません。また、一口に性的に嗜好するといっても色々です。いわゆる性交をしたいケースも性交の形も色々ですし(クリントン元大統領的な定義もあればそうでないものもあり。。。)、興奮するけれど性交はしたくないケースもあるでしょうし、プラトニックな嗜好の場合もあるでしょうし。。。

また、sexにしてもgenderにしてもsexual preferenceにしても、そういったラベル付け自体に反対だったり、意味を見出さなかったり、単に気にならないという人も増えつつあることでしょう。

そこら辺の現実(クイア・セクソロジーが所与となっている)を踏まえて考えると、昨日の決勝戦の4チームは4チームとも議論の意味が分からなかったというのが正直な感想です。

二点、お、良いな、と思ったのは両方ともCOから出てきたもので、「他者にどうラベル付けされようとも、あなたとその人生がそのラベルに従わなければならないということではない」という視点と「そうであれば生まれながらに規定される方が後で選ぶより良い」という意見でした。

後者の理由が産休の件になってしまったのでうーん。。。って感じでしたが、もし「出生時に他人に勝手につけられたラベルにであればレジスタンス(抵抗)できる。でももし自分で一つのラベルを選び取ってしまったら自らそのラベルやカテゴリー分類の制度/体制に組み込まれることに同意しているわけで、もう二度とカテゴリー分類自体に抵抗することができなくなるではないか」という話になったのであれば私は明確にCOを支持したと思います。

つい先週、K先生が授業で米国のフィギュアスケーター、ジョニー・ウィアーさんのインタビュービデオ(https://www.youtube.com/watch?v=a6-MAmhGKsU)を流していらして大変興味深かったのですが、ウィアーさんのような「gender(musculinityやfemininity)は時代遅れで無意味なものに思える」という意見は、もし仮にウィアーさんが一つのgenderカテゴリーを自ら選んでしまっていたら自己矛盾してしまい持ち得ないものになります。そしてウィアーさんのような人はgenderを自分が選択することにも強い抵抗感を感じることでしょう。

今学期、聴講させていただいたS先生の授業でも、ミシェル・フーコーが全てのラベルやカテゴリーを拒絶したという話が出ました。フーコーもまた、自分で一つのgenderカテゴリーに収まることには強い違和感を感じたかもしれません。このブログで何度も触れている『精神疾患と心理学』という著書で示されているように、「お前は気違いで治療を必要としている」と他者に言われている段階ではまだ<治療>は完了していない、言われた本人が「自分は気違いで治療を必要としている」と信じるようになった時に<治療>が完了するのだとすれば(映画「カッコーの巣の上で」はこの考え方を素晴らしく代表しているように思います)、「お前は男で男らしくあるべきだ」と言われている内はそれを疑問視することも反抗することもできると思うのです。でも本人が「自分は男であり男らしくあるべきだ」と信じてしまうようになればもう「男らしさ」「女らしさ」を是とする体制に抗うことはできないでしょう。

今回の論題、Opp.が辛いと感じた人もいたようですが、もしそもそもgenderカテゴリー自体に反対するという立場を取るのであればOppにも一貫した視点が打ち出せる余地があったように思うのです。COは最もそこに近かったけれどあと一歩足りなかったように思います。(でも残り3チームは完全にそれ以前の段階で倒れていたので、比較優位としては私ならCOに勝たせます。まあとはいっても真面目にノートを取って聞いた試合ではないので少々無責任かもしれませんが)

ただね、全てのラベルやカテゴリーを拒絶するというのは果たして人間社会に可能なのでしょうか。「我ら」と「彼ら」、「西洋」と「東洋」の二分類を批判したサイードに強く共鳴しながら、同時に人間というのはカテゴリー分類をすることなしにモノを考えられる生き物なのかという疑問も強い、現代の我々はその隘路にいるように思います。Gov.には是非その辺りに切り込んで貰いたかったですね。(こちらの視点をCOが自ら出してしまったのはCOとしては戦略ミスだったと思います。それはGov.が言うことでOpp.の言うことではないと思う。話の深さはピカ一だったのにあと一歩及ばなかったり戦略的でなかったり本当に惜しかったなぁ。やはり自分たちの立場を整理するというのが大切なのでしょうね。)

以上、昨日のGFの感想でした。

5 comments:

大たきお said...

全く何も見ていない自分が言うのもなんですが、gender=戸籍や法適用上の性別 くらいの意味合いでディベートしてたんじゃないでしょうか。
そうであれば現状はsex=genderという図式が成立しますから、Transsexualの議論は「genderに合わせてsexを変えている」のではなく、「sexを変えたのに、genderは変更できないからgenderも変えられるようにしよう」という話も成り立つ気がします。

しかしラベリングの議論は良いですね。上手に説明されたらグッときますね。

go said...

お!たっきー久しぶりぃ。9月以来ですね。元気?

そうですね。OGのTranssexualsについての議論はたっきーの言う通りだったんだろうと思います。多分LGBTをざっくり一括りに話したPMがあまりに頓珍漢に聞こえたから、そこら辺をなかったことにしてTにだけフォーカスしたDPMがちょっとズルいというか誤魔化しているように見えてしまったのかな。だからより明確なwordingを求めたのかも。

genderと一口に言ってもself-identifiedな(自己規定した)ものと、socially putな(社会的に付与された)ものとあって、Tの人は前者とsexと後者の三者がずれている期間が往々にある。後者の中でも戸籍は現在変えられるケースが多いが、人によっては戸籍を変えずに学生証や健康保険などの表記だけ変えたいという人もいる。それぞれを一致させるか、いつ一致させるか、どう一致させるかは本人に選ばせる、と言ってくれたらPMの挽回はできなくてもそれなりに評価したかも。COもそれなりに色々矛盾してしまった(片方でラベル付けを否定し、片方でラベル付けを必要だと説きって感じだったので)から、COと競っていると評価してあげることもできたかも。

でも実際は何だか大雑把なwordingで話し続けていて誤魔化されたアーンド審査員や聴衆が良心的に解釈してくれるのを当て込んでる風に感じてしまったかな。

ちなみに、本文中で言及したJonny Weirさんの記者会見ビデオは以下で観られます。なかなか格好良い人ね。
https://www.youtube.com/watch?v=a6-MAmhGKsU

go said...

あとはDPMで「それぞれを一致させるか、いつ一致させるか、どう一致させるかは本人に選ばせる」ことの正当性を、「可哀想だから」「虐められるから」みたいなレベルでなくキチンと理論立てて話して欲しかったです。minority rightsを擁護する立場を両側取ろうとしてる時にただ「可哀想だから」って言われてもさ。。。そんなの誰も反論しないしそこがディベートの焦点の筈がないよって私は思うかな。

Anonymous said...

鈴木雅子様の建設的なコメントに、頭が上がらないと思ってます

未だに鈴木雅子さんを超えるような、女性ディベータ―を日本人から輩出できないことも、ありますよね


お忙しいと察しますが、今後も有益なジェンダー論のarticleを更新していただきたいと思います

go said...

Anonymousで褒めて頂くと言葉通り受け取って良いのか迷うところです。うーん、匿名でよいしょする意味はないかなぁ。でもちょっとそのまま受け取るのは難しい程です。

私より上手な女性ディベーターは沢山います。ディベートコミュニティに残っている方がいないだけです。長く残っていることは上手であることの証明には全くなりません。

そして私はジェンダー論が得意では決してありません。分からなくて迷ったり悩んだりするからこそ、「そういうことかぁ!」と頭の霧を晴らしてくれるようなフィードバックを下さる方を求めて書いているのが実態です。

また、このブログは元々ジェンダーとは関係がありません。最近やたらその手の投稿が続きましたが、それは私のライフステージがたまたまその手のことを考えさせられる時期になったからに過ぎません。

今後もアホな悩みや考えを色々と吐露していくことと思いますが、「仕方ない奴だなぁ」と温かい視線で愛と批判的視点のあるコメントを頂けたらと思う次第です。