Monday, July 02, 2012

久しぶりに。【Vol.3】

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3. 【倫理編①】言ってることのグロテスクさに気づいてくれ
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この項はTwitterで書いたことのまとめ。大幅加筆あり。

最近(例えばGeminiGF)、学生さんのディベート見てると「この人、人間らしい心を失ってしまったのではないか」「ディベートマシーンを演じているのかしら」と不安になることが多々あります。

ただ、この点に不安が大きいのが、非常に残念ながら日本ディベート界のお家芸(?)。かつてJPDUの春セミで「離婚に課税しよう」という論題が出たことや、大会で「HIVキャリアーの入国を禁じよう」といった論題が出たことがあるほど。「アホかーーーー!!キモいわ!!!」と背筋が凍るような思いをしても周囲は平然としていたりする。(「離婚に課税」については講師としてきていたオーストラリア人講師たちが「何考えてこういう論題が出るんだと思う?」と愚痴っていました。全くだ。)

そういうこと煩く言うと、①嫌がられる、②海外の大会の論題を使い回すケースが増える、というイマイチな方向に向かってしまうようですが。。。

海外の論題が必ずしも全て良い論題とは限らないんだぞーーーーーーーー!!!!
(なんでそう権威に弱いの。。。)

ま、論題の件は置いておいて。。。

議論内容についても、冷徹な損得勘定だけじゃなくて、もっと人間の心の温かみのある善悪と向き合った議論(最近これが俗にprinciple argumentsと呼ばれている。。。)をしようよ、という動きがあり、猫も杓子もプリンシプルプリンシプルなわけですが、肝心の根っこが置き去りな印象を受けます。

昨日Pre-Australsの決勝の論題はThat the military targetting of any place of worship is a legitimate warfare tactic.というものでした。

まあ、debatableな論題だとは思います。私が肯定側だったらあまり積極的に選びたくはない論題だけど。

で、この論題を肯定側でひいちゃったらほぼ選択肢はないでしょう。necessary evilだと言うしかない。

そういう意味では、value judgement云々という話が余計&逆効果だったとはいえ、肯定側一人目のスピーチは、「まあ、こんな感じでしょうな」と納得のいくもの。「戦火の中の血みどろの総力戦に兵士も市民もあるか」「軍事戦略上利用されていれば軍事施設と見做す」的思い切りの良い、潔いと言えなくもない展開でした。話の深さは可も不可もなしといったところ。(でもこの話の展開で「マドラッサはテロリスト育成の温床になっている!」とか叫ばれると、まだ幼い児童たちが何十人も爆撃で吹っ飛ぶところを思い浮かべるよね。。。その程度の「軍事戦略上の利用」でも兵士なみに見做されるなら軍政下の日本や現在の北朝鮮のプロパガンダに影響されている国民は全員老若男女健康なのも病弱なのも皆十把一絡げに攻撃対象になるだろ。広島・長崎万歳状態かよ。。。と正直ヒキましたけど。)

"Fog of War"のマクナマラの「戦争を早く終わらせるため、そして味方兵士千人の命を救うために、何十万人もの市民を空襲で殺したり原爆を投下したりするのは本当にproportionateと言えたのか」という疑問と対極にあるスピーチだったと言えるでしょう。謂わばレメイ将軍の役どころですね。まあその役どころ引いちゃったんだからその役に徹するしかないよね。(その前に引き当てない方法もあった筈だが。。。)

ちなみに私は1AにMatter 30, Manner 31, Method 14の合計75点をつけました。Methodの減点は「value judgement debate」&「last resort」という逃げに走ってclashを避けているケースセッティングのため。

ここまでは見られたんですよ。問題はこの後。

  1. 「戦争で家族も友人も財産も、全てを失った人が魂の救済を求める時、最も神を必要とする人間から信仰の場を奪うのか」というOppに対する2A「アイデンティティは宗教以外でも構わない。家族を亡くしたなら学校にアイデンティティを守ってもらえば良い」意味不明。
  2. 同様のポイントに対する3A。「1)祈るのは教会でする必要ないだろ。自宅で祈ってろ。2)教会じゃなくて学校で十分。3)俺らがカウンセリング提供してやる。」
  3. 「人々の崇拝の対象を奪うことは、人々を怒りと復讐心で団結させ戦いを激化させ、平和を遠のかせるだけだ。だからこそマッカーサーは天皇を殺さなかった」というOppに2Aの台詞「天皇はmilitary targetじゃない」意味不明。
  4. 「祈りの場は人々の精神性の支柱であり記念碑であり心の平穏の場である」というOppに対し「記念碑だって何処だって良いだろ。病院でも記念してろ」という3A。

などなど、耳を疑う発言が出るわ出るわ目白押し。
(但し、3Aのスピーカからは「そういうことが言いたかったわけではない」と聞きました。本当は何と言いたかったのか聞いてみると実際に口にしていたのと随分違うことな印象を受けましたが。。。でも言ったことだけを見たら相当ヒトデナシだと思う。)

この「教会がダメなら○○でも代わりにしとけ」発言の連続に正直席を立ちたい気持ちでした。。。

家族の代りに学校、とか、
教会の代りに自宅、とか、
記念碑の代わりに病院、とか、

①意味が分からない
②凄くinsulting

これを大した説明なく、ただナンバリングしてドライに次から次と言うんだわ、また。共感する気持ちといったものが殆ど表現されない。

そうじゃないでしょ。
代替品をあてがえば良いっていう話じゃないでしょ。

こういうこと言える人は、一度韓国の歴史建築に行って何回破壊されて何回再建されてるか説明書きを読んでくるといい。清水寺は爆破するけど代わりに京都の駅ナカにコミュニティーセンター作ってあげるからと言われて納得すんのか考えたら良い。

もしくは、パレスチナ紛争は手を尽くしたけど解決しないから最後の手段として争いの原因になってる嘆きの壁や生誕教会、岩のドームなどを全部爆破しよう、代わりに各グループの領地にメモリアルセンター作るからさ、とか言ったら納得してもらえるか。

お宅の息子を牽き殺しちゃったけどこの子代わりに養子にさせてあげるからさ、と言われて納得する親がいるか?君のおじいちゃんの形見の腕時計を捨てちゃったけど代わりを買ってあげるよ、と言われて納得するか?

人が愛着を持っているものに代替品はない、代替品について口にすること事態が侮辱的だ。そんなこと小学生程度の社会性でもあれば容易に分かるはずのことでしょう。

ましてやお気に入りのバッグとかではなく、人生に絶望した人間にとっての魂の救済の場について話しているわけでしょう。何処でも誰でも代わりになれるわけでないことくらいわかりそうなもんだ。

私自身は無宗教ですし、神に魂の救済を求めたことはない不信心者ですけれど、戦火の中ですがれるのは神だけという状況にも無縁ですけど、お墓参りくらいはしたことありますし、あれだけ皆が目の色変えるのが宗教なんですから、少しは想像したことありますよ。もし私が愛する人がある日突然理不尽な死に方をしたら、辛くて辛くて、「でもあの人の身体は死んでも心も消えてなくなってしまったわけではない。きっとあの人は全知全能な誰かに善い人だったと認められて平和で幸せな天国で私を待っているんだ」と信じたくなるかもしれない。「どうかあの人に天国で幸せにならせてあげてください」って霊験あらたかな場所や先祖代々信心してきたご本尊に毎日祈りたくなるのかもしれない。美しい仏像やマリア像やキリスト像の横顔を見つめて「どうぞそのお慈悲であの人を安らかに」と祈るのかもしれない。そう信じるしか、今日や明日を生きながらえる術がない状況というのがあるかもしれない。

また、宗教施設というのはそのコミュニティにとって特別な場所であることも想像はつきます。ルーマニアの森深くに朽ち果てそうな、それでも貧しいコミュニティが必死にお金をかき集めて維持し続けている教会を沢山見ました。その辺りの村はどこも貧しくて、維持が容易でないことが分かりましたけれど、でも放棄しようとはしないんですね。。。中も外も極彩色の古いフレスコ画で、自ら死を選んだ聖人達の死にざまがビッシリと描かれていた。あの暗くて小さな建物の最奥のオルタ―に光が差し込むのを、どんな思いで住民がみつめるのか、全く想像がつかないとは言わない。うちの母も遠方にあった先祖代々の墓を近くに移す時、たまたま気に入って覗いた同じ宗派のお寺に曽祖父が寄進したという記録が残っていて「運命だわ!きっとここなら皆(先祖)も納得してくれるわ」と感激していました。ま、どこの寺でも構わないってわけにいかなくて、何かしらattachmentが感じられないとイヤなんだろうな、というくらいは分かる。

否定側が「戦争で家族も友人も財産も、全てを失った人が魂の救済を求める時、最も神を必要とする人間から信仰の場を奪うのか」と言った時、そういう話をしていたわけでしょう?その時、どの寺でもどの仏像でも良いってわけにいかないんでしょう?ましてや学校の教室で間に合わせて下さいとか言われた日には。。。常識で考えて、そういうもんじゃないでしょう。

「否定側はそこまで説明しなかった」という反論も聞くんですけど、「人が愛着を持っているものに代替品はない、代替品について口にすること事態が侮辱的だ。ましてや信仰の対象とまでなれば尚更だ。モハメットに破門されたから今日からシッダールダにしようってわけにはいかない。」という程度のことを説明されなければ分からないAverage Reasonable Personってどんなよ。赤ちゃん(ほぼTabla Rasa)なのかよ。ごく普通の人としての心はそこにないの?本気で学校や病院で事足りる可能性と五分五分だと思うわけ?いつもの深い信仰心とその人柄で長年を共にしてきた神父さん/お坊さんの代わりを占領国が派遣してくる見ず知らずのカウンセラーが務められる可能性が五分五分だと?本気で思うの?人間としての肌感覚はそこにはないの?

そうではないでしょう。
代替品をあてがうから良いだろってことじゃない。

私が肯定側からの返答として納得がいったかもしれない話としては、例えば以下のような返答があり得ると思います。

「どれだけ残酷なことかということはわかります。死人に鞭を打つような行為だということは承知している。それでも、敢えて、今それをしなければ、同じように家族も友人も財産も、全てを失って絶望に沈む思いを彼らの子供たちにもさせなければならなくなるんです。」

実際、肯定側もReplyはそういう路線でした。
だから私がグロテスクだと感じたのは要は2Aと3Aなんですよね。。。
ホント一体どういう感覚なのか、私には理解できません。

恩師の言葉に「人間は優しくなるために学ぶんだ。学問の目的は優しくなること。」というのがあるんですが、私は勝手に学問をディベートに置き換えています。人の心を失ったディベーターは正に凶悪なソフィスト。このブログでは再三出てきているテーマですが、ディベートをすることで人としての心を失うならディベートしない方が良いと思います。冷血漢な雄弁者になることが称賛されるコミュニティなら私は所属したくありません。

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