Tuesday, September 18, 2007

half way up the hill

Akira君の日記へのコメントから自分ところへ戻ります.
長くなりすぎてしまってあちらには投稿できないので.

日曜日,JPDUTの審査をしてきました.
で,論題のレベルがここ一年低下しているのが心配になりました.
ここ数大会は,他の国際大会のあからさまなコピーが多く,
しかも時宜を逸していたためイマイチ・・・と思っていたのですが,
今回は別の問題でした.コピーではなかった.確かに・・・割とクリエイティブでした.
けどなぁ・・・

1. THBT countries engaging with human right abuses should not host Olympic.
2. THW support affirmative action for women-only corporations.
3. THW give citizens the right to vote against a candidate in an election.
4. THW prosecute copyright abusers without official claim by copyright holders.
5. THBT WTO should use a safeguard against cruelty toward animals.

まず一試合目の.
二年半前ならいざ知らず,この期に及んで今更中国から取り上げるべきだ,と言っている人はまずいないと思います.その意味ではすごく時宜を逸したもの.ただ,あとでH君に「今後のホスト,という意味でもよいですし」と言われ,なるほど,と思いました.というのもIOCの2016年候補地立候補の締め切りが9月13日だったばかりなので,そこに中国と同じような問題児の影があれば・・・と思ったわけです.
しかしですね,よく考えてみると2016年の候補地はBaku, Cicago, Doha, Madrid, Prag, Rio and Tokyo. このうちどの国が中国のような批判を受けているのか,と考えるとちょっとねぇ・・・ じゃあ,もう具体的にどことかいうのはなしにして,漫然とIOCが立候補の際に満たさなければならない基準として設けるべきだって話にするのか,ということになるんですが・・・それだって何だか具体性を欠いた曖昧としたディベートになりそうですし,そこまでして今議論すべき深刻さがないような気がします.
「もし,将来,サウジアラビアとかが誘致してきたら・・・」という「もし」「たら」の架空ディベートになってしまうでしょう・・・?

では2試合目.
これはねぇ・・・とりあえず日本にはwomen-only corporationsなんて公式にはないはずですよねぇ.
現在は性別,年齢,出身などを理由に就業の機会を奪ってはいけないことになっている筈では.
年齢のしばりはまだ色濃く残っていますが,それでも年齢すら随分緩和されてきたはず.
「うちは男性は雇いません」って公言しちゃったら処罰の対象では?
「平等に就業機会を与えたにもかかわらず,応募者の性別が偏っていたなどの理由により,結果的に女性ばかりになった」というのはありなのだろうと思いますけれども.
けど,この論題では公的補助を貰うために「うちは女だけの社です」と登録しなければならないと思われるので,いったいどうやって機能するのか不明.男性であることを理由に就業を断るのはあり,というように変えるのでしょうか.そこら辺を曖昧にしたまま試合が進行すると,否定側の言うことがあまり残されておらず,どんな理念対立を想定して論題をセットしたのかよく分かりませんでした.また,women-only corporationsという架空の存在に対する架空の支援について議論しているので,メリットもデメリットも相当フィクションの世界にぶっとんでおり,議論の評価が大変困難でした.
もう一つはaffirmative action. http://en.wikipedia.org/wiki/Affirmative_action
ほとんどのチームが税制上の優遇や補助金にセッティングしたようですが,affirmative actionと聞いて真っ先に思い浮かべることというのはそういうのではないような・・・なんだかもう少し良いwordingがあったのではないかと思います.

さて3試合目.
これはねぇ,私結構好きでした.面白い,と思ったの.
問題は相手が19歳とかなのでねぇ・・・どう考えても玄人好みなこの論題は荷が重かったのでは.この論題で良い議論をできる選手はそうそういないと思うのです.何といってもポジティブ票とネガティブ票の性格の違いを明確にするのが若い選手には難しい.私は3年生と4年生が組んでる熟練チームが肯定側の試合を見に行きましたが,にもかかわらず論理性は散々でした.
「盲目的な支持者が影響を与えていて良くない」という現状分析なのですが,
「盲目的に嫌っている人が影響を与えるのはかまわない」のか全く説明してくれないので,
何がどう違うのか全然わかりませんでした.
私だったら,divisiveすぎる候補者が消えるからuniterが当選する,とか言うかな・・・
「現状だとブッシュとか小泉とか敵が多い人が選ばれちゃうから国内の統一が図れない.
もう少し調整系で無難なやつを選ぶには,たとえ支持者数がそこそこでも敵の少ないやつが良い.」みたいな?どっちかって言うと米大統領選を彷彿としますね.ヒラリーとかanybody but bushキャンペーンとか.まあそれだって話を掘り下げるのは相当大変だろうと思います.

4試合目.
この論題何してほしかったのかなぁ・・・prosecuteと言っている以上刑法ですよね.著作権違反が刑法上は親告罪だったとして,立件しないことを選ぶ被害者ってどのくらいいるのでしょうか.プロセスとしては,
①警察が捜査・摘発する
②被害者と思われる人に確認を求め,被害届を出すかどうか決めてもらう
③被害届を受理した場合は立件準備開始
となっているのかと思うのですが,②の段階で被害届を出さない方を選ぶ人ってどういう人でどの位いるのでしょうか.それが分からないと肯定側としてはどうしようもないですよね.最近何かそれで問題になったケースありましたっけ??

随分前,ライオンキングが公開された頃には,ジャングル大帝のコピーだと批判されましたが,手塚治さんの遺族が訴えないことを選んだためそのままになった,とかいう話だったと思います.そういうケースが刑事裁判でも沢山あるんでしょうかね?あまり想像がつかないのですが・・・民事裁判だったらわかるんですけどね.訴訟するのが億劫だと言うこともあるかと.けれど刑事裁判だと証拠の収集などコストは全部国(警察・検察)がかぶってくれるわけで,断る理由がよくわかりません.ライオンキングの件も民事だったと思います.

これまた肯定側が架空の存在の架空の問題について議論していて,もう溜息が出るほどファンタジーの世界でした.

5試合目.
ワーディングが良く分からない.
WTOのセーフガードって?あの食品とエンタメ産業に許されてるやつ?
自国民・自国文化の安全性に著しい危害を伴う可能性がある場合は,
安全弁として輸入を制限して良い,ってやつ?
・・・動物虐待とどう関係あるんだろう・・・??
たとえばうちの部屋では肯定側が英国の狐狩りで獲った毛皮の輸入を数量制限するとかいう珍妙なケースにセッティングしていてワンダーでした.そもそもイギリスの狐狩りはスポーツであって毛皮の輸出目的なのかとか,狐狩りが問題なのは絶滅の可能性があるから,と肯定側が言ってしまっては虐待のモーションとの関係は何処に行くのかとかいうマイナな突っ込みもついしてしまいたくなります.
が,何より,たとえばフランスがその問題の毛皮を現在輸入していたとして,フランスは自国の何が危機に瀕するからセーフガードとして輸入制限を設ける,と言うことになるのか?
これがwordingが動物虐待でなく絶滅危惧種だった場合は,環境に国境はないから,何処かの国のecodiversityの危機は他所の国にとっても危機,とかいう怪しいリンクが成り立つのかもしれませんが,それならワシントン条約で良いでしょう.
うーん・・・何をさせたかったのか・・・不明です.

そういうわけで,今回の論題は散々だったような気がするのです.
あれじゃ実力の発揮しようがなくてディベータが可哀想じゃないかなぁ・・・
ていうか何でもっと時宜性の高いものを素直に持ってこないのかなぁ.
架空の問題について議論する前に現実にcontroversialなことを議論する方が先じゃない?
2年前や3年前は論題の選考が随分良くなってきたとホクホクしたのですが,
なんだか最近変な方向に向かっているようで心配です.

なあんて話を審査員室でしてるとですね,「masakoいちいちうるさいよー」ってことになるのかと思うのですが,その後たらたらと飲みに行った先で,それは私がいつまで経っても先生気分になれず,現役気分でいるからだという指摘を受けました.先生気分で審査員をすれば選手の成長につながりにくい論題だろうと議論がへたくそだろうと腹は立たん,とおっしゃるわけです.けれど私の場合,自分自身がまだ山に登りきってなくて,一所懸命皆と一緒により良いディベートを模索しながら登っているつもりだから,自分が選手として参加しているかのように腹を立てるのだろう,と。

なるほどね.

確かに,私にはいつも「まだ山の中腹気分」がある気がします.
もっとディベートのこと知りたい,もっと良質な議論を目指したい,もっと社会貢献につながるディベートを模索したい,と欲求は果てしなく続きます.
私はNさんやHさんのように,人に教えてあげる,人の荷物を軽くしてあげる側になかなか立てません.
私自身が必死こいて山登っているから自分の荷物で精一杯で人の荷物まで持てないの.
その代わり,いつまでも他の現役ディベータの皆さんとは「仲間」の関係で同じ土俵にいるつもり.
なので,せっかくここまで登ったと思ったのになんで逆戻りするんよー!と仲間に腹が立つわけです.

確かに人が私に求めていることとは違うのかもしれない.
でもね,そればっかりは変えられないかな.
私はいつでも,もっと良いディベートを追求していたいです.

日曜日は,帰りに「成蹊」の由来となる故事の話がでました.
割と素敵なお話だったので,興味のある方は調べてみてはどうでしょう.(^v^)
それで慶應義塾とかだともっと沢山あるし認知度高いよね,という話にもなったのですが,
そうですね,上のような私の態度は丁度慶應の『半学半教』の精神に近いかもしれない.
慶應では先生は「福沢先生」ただ一人なのだそうで・・・
教授は大学側には「君」づけで呼ばれ,大抵の学生には「さん」づけで呼ばれます.
基本的に教員も学生も,本来は互いに教え教えられる,共に学ぶ仲間,ということなのですよね.
学問の高みを共に目指す仲間として,切磋琢磨しあう場としてキャンパスを見ています.
私はディベート界をそういう風に見たいのだろうと思います.
その意味で私は,critic judge,学び続ける審査員でありたいのだろうと思うのです.
日曜日のような架空の世界に半分いってる論題が出ると,
「この論題で私やディベータ達に一体このラウンド何を学べって言うのよ!」と腹が立つわけです.
審査しに行くとき,私は学びに行っているのであって教えに行っているのではないのかも.

でもそもそも,Wさんが仰るように,いつも新しい学び・気づきがあること,それによって自分の考えが修正されること,それがディベートの根源的な価値だと思います.だから私に限らず,本来ディベート界こそ,常に『半学半教』でなければならない筈だと思うのです.

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