Saturday, October 06, 2007

[Book] 言論と日本人 Speech and Japanese

[本] 芳賀綏.1999.『言論と日本人: 歴史を創った話し手たち』.講談社. (1985年に三省堂刊行の『言論100年 日本人はこう話した』を底本としている) 最近読んだ本のアップを怠っていたので色々たまってしまっていますが,とりあえずここから. 感想は・・・「面白かった!!!」「後半,現代に近づくとともに笑えなくなった」「ディベートについては著者は不勉強かもしれないと思う」てなところでしょうか. 四つ目の引用(ヤジに関する部分)に大爆笑しました.あはははははは.ちなみに「hear, hear」は今に通じるけど,「shame」にあたるのは「ノウノウ」だったという記述も.もう有り得ないほど笑いました. 最後から二番目の引用は,底本が1985年に書かれたということを思い出す部分.しかしNAFAの設立は1983年だし,朝日討論会だけに言及しているところがちょっと寂しい.ちゃんとリサーチしたのかなぁ・・・と,そう思ってしまうと他の部分もやっぱり話半分に評価してしまう私です.ディベートについて本を書いている人の殆どが,ディベートコミュニティの出身者じゃない・・・ように思えてちょっと反感も抱きます. あと結構気になるのは,最後の引用.この人は典型的な『脳と舌を分離』したレトリック観の持ち主のよう.けど,「ロゴス」は「言葉」を意味したと言う人もいるくらいで,本来のレトリックはロゴスをも含んでいた筈ではないか,と思います.イソクラテスやプロタゴラス関連で前にも書きましたが,本来「よく話すこと」と「よく考えること」は同一に扱われてきたきらいがあります.私も脳と舌はつながっていると考える側です.少なくともアリストテレスの『弁論術(レトリカ)』にはロゴスが内包されているわけで,この方のような語の用法は誤解の元ではないかと思います. ------------------------------------------ 近代の夜明けとともに日本社会にも「言論」が登場した. 夜明けを導いた先覚者の一人,福沢諭吉は,新たな国づくりのために”演説”をしようと呼びかけた.それは「音声言語による公的コミュニケーションのすすめ」であり,文筆によるのと並んで,肉声で語る言論活動をすすめたものだった. ------------------------------------------ 言論の自由が謳歌される現代日本は,しかし,言論に迫力なく話法に格調なき社会である. ------------------------------------------ なるほど”演説”など見たことも聞いたこともなかった明治の民衆が,それに刺激されて巻き起こした興奮状態は想像に難くない.しかも,かれらは聞くための訓練など出来ておらず,そこへもってきて”演説使い”たちの話が難しいとあっては,内容の理解などおぼつかないものだった. ------------------------------------------ やや時期がおくれて明治二十二年十月,新潟県中蒲原郡酒屋村で行われた改進党の演説会に際しては,ビラに,「傍聴諸君のヒヤヒヤの程偏に奉希候」と書き添えられたほどで,「ヒヤヒヤ!」などの景気づけのための動員は,むかしから行われていたことがわかる.(中略)当時はヤジ要員も水準が低かったから,演説を聞いていても内容が理解できず,どこでヤジっていいかわからないことさえあった.(中略)このように,「ノウノウ」や「ヒヤヒヤ」は,一種の流行であった.(中略)政談演説会ならともかく,地方議会の傍聴人までが「ノウノウ」や「ヒヤヒヤ」をやってみたがって,議場をさわがせる事態が生まれてきた.(中略)聞き手としての修練を積む機会のなかった人々を相手に,内容・表現ともに難解な演説をぶちまくっても,知的理解を得ることはむずかしく,いきおい,情動的な反応ばかりが強く出てくることになったのだろう.(中略)福沢は,講釈師や落語家の話し方に学べと言い,軽妙洒脱なスタイルで演説せよとおしえたが,そこまでわかった先覚者は少なかったのではなかろうか. ------------------------------------------ 戦後日本で,にわかに評価の高まったものは”言論”であり,きびしく排斥されたものは”暴力”である.しかし,言論の権利は定着したが,内容・表現をあわせて言論の質は高まらなかった. ------------------------------------------ 当時(masa注: 昭和四十年代か?)モーニングショー形式の視聴者参加番組の成功に味をしめていたテレビ局は,今度は若い視聴者をあつめた討論番組を好んで企画したが,どぎつい言い合い・怒号を売り物にしようとする意図もあり,論理は無視して刺激の強さを第一とする奇形討論の風を茶の間に送り込んだ.後に,その傾向は,「朝まで生テレビ」という識者・ジャーナリストらの討論番組の中の,かなりの出演者に受け継がれ,呼び声の高まってきた「ディベート」については反面教師の役を演ずる番組にさえなった. ------------------------------------------ 戦後早々から朝日新聞社は「朝日討論会」を催し,地方予選から全国大会にかけて学生(三人で一チーム)同士の討論の場を広く提供した.参加者は,政治・外交・経済から文化・風俗にわたる多様なテーマについて立場を明確にしなければならず,知的内容を磨き討論技術を競う試練の場であった.が,いつしか学生たちの討論のエネルギーがおとろえたのか,「ディベートの時代」のかけ声にもかかわらず,催しが廃止されてすでに久しい. ------------------------------------------ 「言論の自由」が謳歌される時代に,かえって言論が内容(ロジック)・表現(レトリック)共に貧困化し衰退したのは皮肉と言うだけではすまない現象だが,もう一つ,日本人にはまだ真の言論の自由の精神が定着していない.この事態も深刻である.(中略)いま二十一世紀の入り口に立って,「自立」の精神に裏打ちされた自己表現を福沢がすすめた初心に立ち返り,明快なロジック(考え方)と洗練された日本語のレトリック(語り方)による言論を闊達に開花させることこそ,新しい世紀に求められるべき人間回復-ルネサンスのために不可欠の営みである. ------------------------------------------ [Book] HAGA, Yasushi. 1999. Speech and Japanese. Tokyo: Kodansha.

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