Tuesday, November 13, 2007

トード島の騒動 Sick Puppy

2002年の世界大会決勝戦.
私にはいつまで経っても分からない一文が.

Debating is really a "Sick Puppy", isn't it?

というものなんです.
ちなみにDLOの冒頭の台詞です.

他にもangry young manというフレーズが頻繁に使われたりしていて,
そういう言い回しに凝るタイプのスピーカだということは良く分かるのですが・・・

で,ですね・・・どうやら2000年に出版されたアメリカの小説,Sick Puppyから来てるのではないかと思いました.邦訳は『トード島の騒動』.しかしこのフレーズが英語圏のコンテクストで何を意味するのかがなかなか分からないんです.せめて邦題が原題に基づいてれば想像できるのに・・・小説のあらすじを読んでみても<病気の子犬>が何を表すのか全然分かりません.

聴衆の中には洒落た言い回しに惹かれた人も多いのかもしれませんが,書き起こし作業に四苦八苦させられる私としては本当にありがたくないことです.ああ,また一冊読まなきゃいけないのだろうか・・・(Catch22も同じような経緯で読んだ私です)

日本人なら「世界の中心で愛を叫ぶ」とか「三丁目の夕日」とか「踊る大捜査線」とかいった有名どころを多少パロディされても出典がすぐわかるもの.同じように英語圏にも似たような時代の「常識」があります.しかしこれはその特定言語権に住んでいないとキツイ.日本で売れてる芸人の名前さえ分からない私にどうやってアメリカの流行を熟知しろと?

ホント,百万回言ってるような気もしますが,言葉の壁の大きな部分はメディアの壁だと思う私です・・・

誰かSick Puppyの端的な意味が分かる方いらっしゃいましたら,是非是非教えてくださいませ.

6 comments:

Anonymous said...

sick puppy ですが、このようなページがありました。

http://www.phrases.org.uk/meanings/sick-puppy.html


ーー---------------

ここには「イソクラテス」を検索してやってきました。

以下の部分はイソクラテスがでてくるところにコメントすべきなのかもしれませんが (^^;
なにぶんよくわかっていない年寄りのこととご容赦ください

私、もともと「実存主義とは何」というのがわからなくて実存主義の源流のひとつ、フッサールの現象学に至り
彼の師匠イタリア人ブレンターノからバロック時代のイタリアを代表する学者ナポリ大学修辞学教授ヴィーコにたどりつきました。

注 イソクラテスの修辞学校 講談社学術文庫
ヴィーコ哲学の要約として、p252にある
verum et factum convertuntur
の和訳「真理と行為の一致」はかなりの自由訳ですよね。
少なくとも factum は行為ではなさそうです。


フランスを代表する歴史家ジュール・ミシュレは「私の先生はヴィーコただひとりだけであった」と述懐したそうであります。

私は、このヴィーコを基点としてイソクラテスを眺めたとき二人に共通する性質としてプルーデンス(フロネーシス)を重んずる西洋修辞学の伝統が見えた気がしました。

実像はもうひとつよくわからないのですが哲学的な教育理念を通じて一般大衆からはあまり見えないところで大きな影響力を持っているらしいことでも二人は共通します。

Anonymous said...

URLがそのまま書き込まれてしまいました。
以下、書き直しです。

sick puppy の探し方

The Phrase Finder
から Meanings and origins を選ぶ。

SearchまたはBrowseで探す

The Indianapolis Star, 7th May 1911:

"When a noted actress is in town," said one detective yesterday, "lots of times some poor fool, wearing a carnation in his coat lapel, will whine around after her like a sick puppy."

このような例がのっています。
ディベートにあてはめますと
「相手が気分をわるくする状態でくっついてまわる」
というところでしょうか。

Anonymous said...

いろいろと見苦しい書き込みをしてしまいました。

消去してくださいますよう
お願いします m(_ _)m

go said...

きゃーーー!全然見苦しくなんかないです!
レスが遅れていてごめんなさい.
とっても内容の濃いコメントを戴いたのできちんと勉強してから書かせていただこうと思っただけです.失礼しました!

sick puppyの意味,分かりやすいリンクを本当にありがとうございます!!試合の論題は,「有罪判決の出た犯罪について被告が出版することを許すかどうか」というものでした.DLOというのは否定側の2人目の弁者になります.DPM,つまり肯定側2人目の弁者の議論をsick puppyのようだと言っていることになります.戴いたサイトの意味を踏まえて解釈するとどうなるのか,まだ考えているところです.結論が出たらご報告しますね☆

ヴィーコについて少しWeb上で読んでみました.まだ本は手元に来ていないのでわからないことが多いのですが,修辞学を教えることは本人は不本意だった,ということなのでしょうか.それはちょっと残念です.

もう少しちゃんと勉強したらご報告しますね!

Anonymous said...

ヴィーコは修辞学だけでなく法律学の講座も持ちたかったんですねえ。 当時のナポリ王国は異端審問が吹き荒れる民主主義とはほど遠い国で同時代の日本(徳川中期)とあまりかわるところがない。 修辞学は、やはり言論の自由がないとその真価を発揮しませんね。 

ところでヴィーコが書いた修辞学の教科書 Institutiones Oratoriae については、アマゾンに次のような書評があります。

Gustavo Costa reviewing the Italian edition of Vico's Institutiones Oratoriae in New Vico Studies 9 (1991), has written that Rhetoric is the mainspring of an important trend of Vichian studies which initiated at the beginning of the twentieth century and had its manifestation in John D. Schaeffer's Sensus Communis: Vico, Rhetoric, and the Limits of Relativism (Durham: Duke University Press, 1990), where Schaeffer aptly noted, summing up a long exegetic tradition, "Vico was imbued with rhetoric and convinced of its centrality to Western civilization." Unfortunately, the editions of Vico's works published in English have not yet included the Institutiones Oratoriae, which more or less reflects the lectures on rhetoric given by Vico at the University of Naples, starting with the academic year 1699-1700 and going through 1739-1741. The manual on rhetoric was used in Italy up to the end of the nineteenth century and established the common curriculum in rhetoric to be followed in all Universities. This English edition offers a text of the Institutiones complete on the base of the four known extant manuscripts. It offers the marginal glosses made by Vico's students, a collection of Vico's phrases and explanations of terms collected by some of the students, a glossary of Latin words and rhetorical terms from the Latin text, and a wealth of information in the commentary. The Art of Rhetoric is the manual for everyone who wants to know what rhetoric is, how it was employed in the forum or the courts, how it could be learned from the classic orators, and how it can be used whenever we speak for convincing, praising or motivating.

イタリアでは19世紀末まで標準的な教科書として使われていたようで、現在、米国で使われている修辞学の教科書にも大きな影響を及ぼしている??

Anonymous said...

ヴィーコについて「修辞学を教えることは本人は不本意だった」という情報と"Vico was imbued with rhetoric and convinced of its centrality to Western civilization."という評価では、かなりイメージが違います。これ以外にも例えば「ヴィーコは貧しかった」とか「無名であった」とかいう評価を歴史上の記録とつきあわせてみますと、彼は金貨など拝んだこともない貧しいひとが沢山いた時代に金貨100枚とか200枚とかいう年棒をもらっていたのですし、財産として評価できるようなダイヤも持っていた。こういう人を貧しいとは言いません。 無名についても彼の本はベネチアで売り切れが続出し、ベネチアの国家プロジェクトとして同時代の偉人伝を出版したとき、彼は「偉人」の一人に入っている。これもまた無名とはいわないでしょう。

おそらくヴィーコの実像についての情報は、私の言うことも含めて慎重に対処するのがよいかと思います。 彼が残してくれた anima vivimus animo sentimus (我々はアニマによって生き、アニムスによって感じる)というような断片的な言葉ですら、これは本当は何を意味しているのかと考え始めると泥沼に陥ります。

ヴィーコは哲学史上の通説ではイギリス経験論とはまた違う独特の切り口で大陸合理論を批判する重要な論点を準備したと言われます。 しかし彼の著作は難解なので、いきおい、いろいろな人のヴィーコ評を読むことになりますが、これがまたむずかしい。

イタリア通の建築史家・陣内秀信先生の書くところによりますと

「哲学者の中村雄二郎氏も早くからナポリに注目している。近代ヨーロッパにつながる北型のデカルト的な知の在り方に対して、ナポリには哲学者ヴィーコに代表される南型の知があるという。北型は普遍主義、論理主義、客観主義を原理とするのに対して、この南型はコスモロジー、シンポリズム、パフォーマンスを原理とするものであり、そこにこそヨーロッパの民衆の文化的な活力を見出せると指摘するのである。」

ということですが、私はこれを読んで目を白黒させたまま今に至ります。 どなたか「コスモロジー、シンポリズム、パフォーマンス」についてかみくだいて説明していただけたら有りがたく存じます。