Friday, October 10, 2008

Feminology (6. The Gay One) フェミノロジー(第六話:レズな女)

1.Shouldなのか

ちょっと時宜を逸しましたが、CO2君の以下の問題提起について。

>> ていうか大学側も放置しないで欲しいな。
>> 適切な指導を加えるべきだと思います。
>
> 僕はちょっとこの辺に
> 違和感を感じますね。
>
> 勘違いで(後で)痛い目
> 見るのも自己責任じゃないっすかね?
>
> でもこれはやはり違和感がある。
> 上からの押し付け的な。

そう?

じゃあ、こういう風に考えてみたらどうかなぁ?

大学はサークルの公認申請にあたりサークルの規則を提出させますね?
私も君も学生時代これに面倒な想いをさせられました。

その規則にね、
「留学生は入会不可」とか
「部落出身者入会不可」とか書いてあったらどう思います?
大学はそのサークルに大学公認の立場を与えるかしら。

アメリカの大学のソロリティの規約に「有色人種は入会不可」って書いてあったら?

それでたとえばね、
ゴルフはとってもお金かかるとする。オーケストラでも良いや。
そういう理由で、「貧困家庭出身者入会不可」だったら?
色々理屈は捏ねられるかもよ?
「入っても満足に活動できないから苛められる」とか
「富裕家庭の学生と軋轢が生じる」とか(A大女子と他大女子に軋轢が生じるみたいに)
「大会/コンクールで足を引っ張る」とか
(上記全て、私自身がそう思っているということでは全く全くありません。念のため)

それって正当な理由になると思う?

じゃあ、
「奨学金受給者は入会不可」だったら?
どう思う?事情は変わる?

それか、規約には特に問題ないけど、実体がカルト集団や差別集団(ネオナチやKKKみたいな)だったら?どうする、実態が「嫌韓流友の会」だったら。

私は上の全部、そんな団体公認許可しちゃ駄目だと思う。
実際、大学当局はカルトや差別団体は公認許可どころか活動自体許可しないと思います。

もしここまでCO2君が同意できるのだったら、
何故「女学生は入会不可」は指導(公認取り消し)しちゃ駄目なの???

それとも前段階の他の被差別者集団の例も同意できないの?

こうした指導には重要な役割があります。

それは、

「それらの排除が差別行動であること」
「差別行動を大学/社会が容認しないこと」

を知らしめることです。

逆に、適切な指導が行われないと、
差別行動は蔓延し、それが差別行動であること自体に誰も気がつかなくなります。
「空気の差別」(後述)が定着してしまうわけです。

丁度ね、何処かの国の何処かの州で、バスの席にとあるおばさんが座ろうとして大パニックになったのと同じ。おばさんが「なんで座れないの?」と言い出すまで、黒人がそこに座れないことは皆にとって「必然的」だったし、「あたりまえのこと」だったし、そう決めるのは「コミュニティの自由裁決」ですらあった。誰かが「それが当たり前なのっておかしくない?」と権利と公正のあり方を再発見しないといけません。

> 強制しようとしてできるたぐいのものでも、強制すべきたぐいのものでもないので、賛成しかねます。

悪いけれど、大たっきーの書いていることは、『再発見』して見せても、
必然性だとかコミュニティの自由裁決を主張し続ける超保守派の差別している自覚がない白人と同じだと思う。人の話聞いてないでしょ、ああいう人たちって。

私はガシガシ指導していくべきだと思いますよ?
私はガシガシそういう無自覚差別者の白人に「そういうのは自由って言いません」って喝を入れるべきだと思う。
ファシズム?ヘッ!じゃあKKKが活動する自由とか擁護してれば?って感じぃ(笑)

2.勝間本

実は恥ずかしながら一冊も読んだことなかったんです、勝間さんの本。
本屋さんで平積みされているのはよく見かけていたんですが。

で、本日早速「日本を変えよう」を買い求めて帰りの電車で読んでみました。
あっという間にペロッと読めました。

大部分には諸手を挙げて同意って感じでした。
この連載絡みでいくと、第3章の「空気の差別」から以下の部分とか。

------------引用---------------------------
「まず必要なのは、正しい現状認識です。
 男性は女性を差別している面がある。女性は差別されている面がある。女性差別があるのでこれを撤廃しようということが本当のメッセージなのであって、「男女共同参画」などはどう考えてもきれいすぎる言葉です。
 私たちは「男女平等」という教育を受けてきたにもかかわらず、現実はちっとも男女平等ではないのです。女性は、女性であるというだけで、制度面で自分が「二流市民」として取り扱われていることを、はっきりと認識すべきです。」

「そして男性は、無意識のうちに女性を差別している。空気のような差別です。これまで受けた教育と社会の仕組みとシステムのなかで、無意識に行動していることが、結果として女性差別になっているのです。」

「日本においてこれほど大きな女性差別があるのに、それと気づかないとすれば、ふだんの現実を見る目、認知がゆがんでいるわけです。少なくとも、女性は差別をされているのだという意識をもつだけでも随分変わると思います」
----------引用終了---------------------------

上の引用はデータや具体例を割愛してしまったので、キチンと中身を読みたい方は書店へどうぞ。

さて、最後の、「差別されているのだという意識をもつだけでも随分変わると思います」
これは正に私が国際ディベート大会におけるEFLについて訴えてきたことでした。

「負けて仕方ないと思うな。20年必死に努力して全く成果が得られないなら何かがおかしいんだ。
もしかしてそもそも自分達が勝てないようにゲームが設計されているのではないか、と疑う目を持て。どうせ日本人なんて駄目なんだ、勝てっこないんだ、という負け犬根性から脱却しろ。」

というのが私の一番の主張でした。

で、たとえば、「そもそも極東が論題に取り上げられたことが一度もないとはどういうことだ、
それで公平なゲームだといえるのか」「なんでEFLのチームには屑ジャッジばっかり回ってくるんだ。同じ参加費払ってるんだ。たまには良いジャッジを寄こせ」といった、「隠れた差別」「見過ごされている差別」、誰もそれまで差別だと認識していなかった差別を『発見』することが私の仕事でした。我ながら一定の成果は得て、後輩の皆さんにはかなりマシな環境を差し上げられたと自負しています。

全く同じことが他のマイノリティについても言える。
日本における女性も同じだと思います。
こちらに関してはたーっくさん先駆者がいらっしゃいますが。

フーコーの、被差別者が「自分は差別されるのが当然だ」と考えるようになった時、『治療』は完成する、という表現は秀逸だと思います。

そういう意味では、「空気のような差別」が存在しているということは、女性に関してやEFLに関しては既に治療完了済みなんですよね。そこからそもそも治療されるような病気にかかっているのか問い直すのは大変な作業です。けどしないと、差別をなくすための第一歩も踏めやしませんよね。

> なるほど、
> 僕は↑が半々(というより7:3)
> くらいなのかもしれません。

そういうわけでCO2君、
7:3じゃなくて3:7が実際だと思うヨ☆

ただね、同勝間本の労働力としての女性についての以下の部分だけは違和感を覚えました。
「私はべつにフェミニストではないし、ジェンダー論者でもないのです。単純に「もったいないじゃないか」論者です」(p.131)

なんだってこんな断りが必要なんですかね?
いいじゃん、フェミニストだってジェンダー論者だって。
(ていうか「ジェンダー論者」ってどういう意味なんだろう)

それにね、女性の差別撤廃を話すのに何で善悪が理由じゃいけないんだろう。損得の話にしなければいけないの???

日本のディベータはえてして善悪の議論を避けたがるんですが、これ、ディベータだけの特性じゃないみたいですね。

けど、同じ勝間さんが、経済的に恵まれない家庭の子供が教育の機会を得られないのはおかしい!って言う時、そこには損得なんてないんじゃないかな?万万が一、それが社会的・経済的に損だったとしても、そうした子供に就学の機会を与えることは「正しい」「善いこと」だからするべきなんじゃないかな?

同じように、女性の労働環境を改善して、女性を労働者として活用する、女性の就業の機会を広げることは、べつに損得に関らず、やると善いことなんじゃないかな?どうして損得の話にもっていかないといけないんだろう。不自然じゃないかな?

3.レズな女

第五話のコメント欄に書いた、「過去の恋愛で得する男、過去の恋愛で損する女」について。

> 男性は周囲に過去の恋愛を次の恋愛する上でマイナスにとられないでしょ。
> それどころか何人落としたかを勲章のようにひけらかす男性もいる。
>
> 女性の側は「前あいつと付き合ってた女」というラベルが悪い意味で言われ続けることが
> 多いでしょう?(最悪の場合、飲み会でその子と次に付き合う男性が「○○と『兄弟』」とか
> 言われる。あれホント最低。)

これ以外にも、振られた男の負け惜しみ/腹癒せというのが女性をコミュニティから追い出す原因になることも結構あります。こちらはもはや女性の方は恋愛さえしていないのにダメージだけ受けるケースです。

私はディベート界で振った男性に「あいつは良いジャッジじゃない」と影で触れ回られたことがあります。

中でもうならされたのは、「masakoはレズだ」というもの。

別にレズが悪いってわけじゃありません。
が、私は生まれてこのかたずっとheterosexualなんですよね。
ちなみにこの台詞を吐いたのは私が申し出をお断りした男性の「弟子」でした。
もはや振った相手ですらない。

友情ってたまに不思議だなぁと思うのですが、
友情の勢いあまって友人を振った人についてまで色々言いたくなる人がいるようです。
実際日本のディベート界でも、ある女性がかなり歳上の男性と付き合って分かれたとき、
彼女がかなり一方的に影で悪く言われていて、正直私は気になりました。
この件に関してはCO2君も無関係じゃないですよね?

まあとにかくですね、私が実際レズだった場合は、
「ああそうさ、そうさ、お前の兄貴分はレズを口説いた間抜けさんよ」
とか言ってやりたいところですが(流石に不穏当すぎるか…)
私の場合はレズじゃなかったわけです。
ていうかね、言い寄ってきた人の「弟子」に私のsexual orientationがわかるかっつーの!
何を根拠にそういう情報流してるわけ?

さて、heterosexualな人がhomosexualだと触れ回られた場合、
「意中の人にまで誤解され、チャンスが遠のく恐れがある」わけですから、
言った張本人としては二つの目的を達成できるわけです。
1. 兄貴が振られたのは兄貴に女性に対しての魅力がなかったせいじゃない、とアピールする
2. 誰かが問題の女性をモノにしてしまうことで、「誰か」>兄貴という構図が生まれる可能性を下げる

無責任な発言で労せずして目的達成確率がそこそこあるわけですからなんともズルイ話です。

でね、こういう負け惜しみ(?)言う男の人結構いるのね!
(あ、なんですか、私を「だめんずうぉーかー」的な目で見ないで下さい。
重ねて言いますがうちの相方は今のところ良い人ですよ、真面目に。
それ以外の方々もちゃんとまともで良い人もいましたよ、今考えると。
でも「妙なのに惚れられた」経験って誰にでも多少あるでしょう??)

そういうわけで、女性の場合、恋愛経験が外聞的にはダメージになる確率が異様に高い上、
ただ惚れられただけでも油断はできない、リスク満載なわけです。

まったくフェアじゃないよね!

(え?振った女性に「あいつホモだからさー」と言われた?ああ、そうですか。そりゃぁ失礼しました。お互い様ですかね。私はそういう例は聞いたことなかったです)

加えてですね、どうも私の受けた印象だとその弟子は私への『悪口』として言ったようなんですね。
それでね、誰かの『悪口』として『レズ』という言葉を使うのはどうなのか、と思います。
同性愛自体は悪いことじゃないわけですから、そういう使い方は誤解を招きませんかね。

そして……負け惜しみって人格でますよね。
やっぱどうせ負け惜しむなら皆の共感を呼ぶか、愛嬌があるか、くらいが良いですよね……

8 comments:

Anonymous said...

関係ありませんが、私は友人(男)の彼女に「ひーさまは○○くん(その友人)のことが好きなんだと思ってた!」とか言われたことがあります。
なんというか、これはこれで色々とフェアじゃないというか、なにか理不尽を被った感はありますが、まあ男性女性という話ではないですね。

あ、念のためというか、私はホモセクシュアルではありません。

Anonymous said...

スズマサさんが着目している差別は、ようは「違うこと」から発生する全ての事象に対して盲目的に全否定しているように思うのですよ。
すなわち世の中に「区別」は存在せず、全ては「差別」であると。

特に公の機関がそういった差別的な扱いを認めることは許されないと。

なるほど。

では、男子校は性別に着目しているのでダメですね。
女子校も女子大もダメですね。
女性学って授業を設置するなら男性学で授業も設置しないとダメですね(これで大学を訴えている弁護士がアメリカにいますが)
女性専用車両もダメですね。
男性専用の~や、女性専用の~はもちろん不可。
ああそうそう、レディースデイとかもダメですね。

もちろん上記にも「もっともらしい」合理的な区別する理由は付けられるかもしれませんが。
どれは良くて、どれはダメか、もっともらしい理由を検討することすら許されなそうですし。

ところで、若干混同しているようですが例のサークルは「性別」に着目しているのでなく「大学」に着目しているはずです。
女は女だからサークルに入れないのでなく、特定の大学だからサークルに入れないのです。
同様に(おそらくですが)男も特定の大学の男以外は排除されているのです。
したがってそのサークル自体は、別に男女で区別してるのではなく、大学で区別してるのです。

しかしそのために被害を受けている女性がいるではないかと。それは男が知性の高い女性を避けるからだと。だから知性の高い女性を好きになれと。

なるほど。

でもそれって知性に着目した差別の逆転現象を起こすだけなんじゃないんですか?

男が小賢しい女を避けて馬鹿なフリをする女を好むから、知性を隠して生きなければならない。窮屈だと。

なるほど。

じゃあ男が小賢しい女が好きになりましたと。女は知性が高い方がいいと。では今度は知性が高いフリしないといけなくなるんじゃないんですか?

ああ、これは大変だと。知性が低いフリをするのに比べて高いフリをするのは難しいんじゃないかと。さらに窮屈なんじゃないかと。

では男はどうすればいい?馬鹿な子が好きでも、知性が高い子が好きでもダメなんだと。
じゃあもう知性に着目したらダメなんじゃないかと。

そしたら他に何があるんだろう?容姿?ああ、これもダメそうだ。化粧が大変だと。かわいくいろって窮屈だと。

それじゃあ性格?何だかこれも色々言われそうだと。良妻賢母を求めるなと。

ああもうとにかく何かを求められたらもう窮屈になるんだろと。ならもう何も求めないさ。

だからこっちを気にせず好きにやってくれ。好きなように生きてくれ。ありのままで生きてくれ。そんな君を受け入れるから。

スズマサさんの議論を聞いててそんな気分になりました(笑)

ところで、個人的な意見なんですが、
男が馬鹿な子を好む傾向があったとして、それはリーダーシップを求める女性の裏返しな気がします。
引っ張って欲しいけど、引っ張り方には文句言いまくりって人は正直やりにくいですし。

世の中には
①引っ張る側でいたい人
②引っ張られたい人
の2種類あると思うんですよ。

で、一般に「男らしい人」と評価されるのは①の方じゃないですか。
スズマサさんは男が好きでそっちの立場を望んでると思ってるかもしれませんけど、実際にはそうでない男はたくさん居ますよ。
いわゆるM的な扱いを受ける男は②ですし。実感としてほとんどの人間は②に属するんですよ。引っ張る側ってめんどくさいし。

例えば告白って男からするものみたいな慣習ができあがってますけど、こんなリスクのかたまりみたいな行為を求める慣習は男にとってメリットなんもないですよ。
実際にそのリスクを取れないがゆえに彼女が長い間できないやつもたくさん居ますし。
(そうするとスズマサさんの発想からすると、男から告白するべきだって考え方も差別的なのかなと)

この前にも何かあるのだと思うんですが、

女性が引っ張るタイプの男を求める

男が引っ張りやすい女を求める

知性が高い女性が避けられる

というプロセスが現状で生じているのではないかと。
ちなみに僕は本質的には引っ張られたい人ですが、女性にもてたいがために現状に迎合してる感も多少あります。
いやしかし、自分で言うのもアレですが、引っ張られたいって性格は、どこかしらマザコン的な精神構造がありそうな気がしてドキドキしますね。

Anonymous said...

ああ、ちなみに僕はスズマサさんが、
個人の好き嫌いとそれを表明する自由(これに関しては、現状の自分の行為と自己矛盾している点も指摘しておきます)や、サークル運営の自由と、KKKの活動の自由を同列に扱っているのに違和感を感じます。

でも、きっとスズマサさんはこんにゃくゼリーは規制すべきって考え方のタイプの人なのは理解しました。

go said...

ひさま、

あはは、それは難儀だったねぇ。勝手に三角関係かと思われてたかもだよね。そんな妙な空気を放っていたとは自分はとんと気づかず。。。みたいな。あはは、お疲れ様でした。

大たっきー、

うーん…

大たっきー、お互い火星人と金星人なんだね、そろそろ諦めようか?私は大たっきーが解ろうとしてないと思う、大たっきーは私が解っていないと思う、水掛け論だよね。私は今でも大たっきーを「無自覚な加害者」だと思う。私に娘がいたら「ああいうのとは結婚しちゃいけません」って教えると思う。でももうそれは仕方ないよね?

A大学に登録しているA大学のサークルがA大学の女性を排除しているんですよ?他の任意の大学と「提携」を組むのとは話が別だとは思いませんか?他大の男性が提携を申し込まれていないから他大の男性も被害者だとか、、、いくらなんでも無理があると思わない?

正直よくこんな理屈捏ねてまで、正規社員同士の給与で6割しか貰えない、人口全体だと1/6の収入しかない、そして勉強するほど婚姻率が下がる、というマイノリティに「that how it works. Suck it up!」って言えるよね…何か具体的にしなきゃって思わないどころか、問題を理解する努力をしようとさえ思わないんでしょう?私には凄い冷血漢に見えるけどなぁ。

何度も言いますが、私は被差別集団に「解るように説明しろ」「説明できないのか」「わかんねーよ、わかんねーよ、わかんねーよ」って言い続ける差別集団所属者が大嫌いです。たった一度説明するのだって多大な勇気と痛みとリスクを伴うのに、それを何回も要求されてたまるか。一体なんだって解りたくないからって「耳塞いで『わかんねーよ、わかんねーよ』って言い続けてればいつか諦めるだろう」って思ってるやつにわかるようにしてやんなきゃいけないのよ。

「わかんねーよ」って言い続ければごね得できると思ったら大間違いだ!!!わかんないのは金星人だからでしょ。

ちなみに私は一昨日、「蒟蒻ゼリーを自主回収させるのはおかしい」と友人のブログで発言したばかりだったりします。そして蒟蒻ゼリーがマイノリティの地位向上にどう関係あるのか全然解らなかったりもします。

Anonymous said...

あははは。そうですねー。
ことこの論点に関してはどうしても噛み合わないですね。さすがにそろそろ限界な気もしますし。

ところで、女性の学歴と婚姻率の相関には、
キャリアの上で女性にとって結婚・出産がリスクになっているからだという指摘があります。また、実際問題として女性の方が収入が高いことが格差婚では離婚の理由になったりすることがあります(広末とか)。

僕は社会政策的にはスウェーデンのような女性が働きつづけることを容易にする政策に賛成ですし、異質なものを排除する方向で働く伝統的な保守的価値観の押しつけには反感を感じます。

新しい価値観や新しいライフスタイルを社会は受け入れるべきだと思いますし、古い価値観によってそれを排除する「行動」は制限されるべきだと思います。

まぁ個人主義的価値観なので、当たり前と言えば当たり前なのですが。

そういうわけで、価値観は共有できませんが、実は志向する社会像自体はけっこう似てるんじゃないかと思ってるんですがねー。

Anonymous said...

こんばんは。
どこぞの一年生ディベーターですが、大先輩方に混じってコメントさせていただきます(笑)
あ、あの、飽くまで感想を述べているだけなのでボコボコにしないでやってください(汗)

確かに女性に対するsocial discriminationがあるのは事実として認識すべきだと思うんですが、個人的にはその逆もありますし、全体としてはおあいこなのかな~、と感じていたりします。
弱い振りをして人に付け込んでみたり、醜聞を広めてみたり(特にこれは男性より女性の方が得意だと思いますし)。
なんか、夫のお弁当に生ゴミを混ぜたとかいう話も聞いた事がある気がします。

もちろん、これは「男性による差別から身を護るために女性がズルくならざるを得ない」という可能性を完全に無視しているのですが(汗)

実際に僕の家では母が一番高学歴で、一番権力を持っていますし、父と年収も変わりませんし。

なんというか、女性って怖いです。
いつも絶対的な壁として僕の前に立ちはだかっていたのが女の人だったからなのかもしれませんけど、とにかく僕は女性が苦手です。

今の社会では結局性別に関係なく弱い立場の人が虐められているような印象を受けます。

みんなで仲良くできればそれに越したことはないんでしょうけどね……
お互いに差別しないのが一番です(言うまでもないですね、すみません)。
いつかそんな日が来るのを願うばかりです!

あと、
>同じように、女性の労働環境を改善して、女性を労働者として活用する、女性の就業の機会を広げることは、べつに損得に関らず、やると善いことなんじゃないかな?どうして損得の話にもっていかないといけないんだろう。不自然じゃないかな?

という部分に関してなんですが、僕個人の見解としては、こういう風に書いたほうが一般的に受け入れやすいからなんじゃないかと思います。
「私が言ってることが正しくて、貴方方が間違ってるの。だから直しなさい」と言うよりも、「ほら、だって女性にも働いてもらわないと実際損じゃん」と言ったほうが既得権にしがみつきたい人たちには受け入れやすいのではないでしょうか?
本全体を読んだわけではないのでどうにもコメントしようがないのですが、そんな気がします。

やっぱり「正しいこと」を「正しいから」という理由で平然と実行できる人なんて少ないんじゃないでしょうか?
どちらにせよ、スズマサさんに「姑息なやり方だね」という指摘を受けるのはまぬがれないわけですが(笑)

明日(あ、もう今日になってました)ESUJですね!
チェアパーソンとして呼んでいただいているので、先輩方のディベートを見て勉強したいと思います!

Anonymous said...

■1.勝間氏の言葉に関する仮説

-------------------------
ただね、同勝間本の労働力としての女性についての以下の部分だけは違和感を覚えました。
「私はべつにフェミニストではないし、ジェンダー論者でもないのです。単純に「もったいないじゃないか」論者です」(p.131)

なんだってこんな断りが必要なんですかね?
いいじゃん、フェミニストだってジェンダー論者だって。
(ていうか「ジェンダー論者」ってどういう意味なんだろう)
-------------------------

 確かに「ジェンダー論者」は意味不明ですねえ。

 同書を読んでいないので確たることはいえませんが、勝間さんがわざわざそう書いているのは、フェミニストという言葉を使うことにリスクを感じたからではないかという気がします。世の中にはまだまだこういう話題自体に拒否感を持つ人がいるわけで(それはここでの一連のやりとりを見ていても明らかなように感じますが。やりとり自体は見ていてとても面白いのですけれどね)、そういう人たちに真面目に訴えかけても

「ああ、はいはい。分かりましたよ」

 と相手にされない傾向があり、それどころか

「○○さんはかぶれちゃって、困るよねえ。怖い怖い」

 なんて煙に巻かれることさえ考えられるわけで、だからわざわざ断り書きをして、相手が受け容れやすい(と勝間さんが考えた)損得勘定の話、に落とし込んで説得を試みたのではないかという気がします。それは言葉の使い方として理想的なものではないかもしれないけれども、世の中の立ち回りとして、あまり深く考えずにそうされたのではないかというように感じました。
(もちろん勝間さんだって、いろいろ本を読むと相当深くこの問題には関わっているし、考えておられるようなので、単に表現法の問題ではないかと。ただ、そういう表現法を取らざるを得ない無意識の圧力というか、力学のようなものは根深い問題なのですが)


■2.無知と誤解の構造

 そういえば、僕は大学の頃にGender studiesのゼミに参加していたのですが、15人くらいの中で男性は僕だけでした。どうなんだろうなあと思っていましたが、差別というのはえてして確信犯ではなくて無関心者によって支えられるものなのでしょうね。
 別に良く分かった上で「女性差別」を「選択」しているのではなくて、今、何が起こっているかということに関心がない。それは自分自身の生活に響いてくるものではないから、というのがたいていの方の状況ではないかと思います。それはジェンダーの問題だけではなくて、セクシャリティとか、部落差別とか、障害者差別とか、宗教的差別とか、いろいろなことに言えることだと思いますが。
 困ったことに、そういう構図の中で慣らされてしまった被差別集団もいて、そこまでここでは立ち入りませんが、確かに一部の女性の側や、一部の障害者の側や、古くは一部の奴隷達が、そういう構造を再生産することに加担していたということはあるのだろうと思います。
 ともかくそういう既に「出来上がった構造」がある中で、変えていこうとする人は、風車に立ち向かうドン・キホーテのごとく労力と覚悟を迫られる。全く不条理な話ですが、そういうことが前提であるのは、否めない事実なのだろうと思います。
 この場合の相手はなにしろ「無関心」ですので、物事をきちんと理解したりしたうえで対応したりしているというよりは、誤解に基づいていたり、面倒くさかったりして、あまり相手にしない傾向があるというのが実際のところのように思います。結果として、善意の人でも、けっこう「誤解」が大きいなというのが実感です。

 今回例に挙がっているsexual minorityであれば、
「好きでやってるんでしょ(変えられるものなんでしょう)」
「うつっちゃうと困るし」
「襲われると困るし」
 みたいなのが、無関心と無理解に基づいて、遠巻きに見ている「誤解」のよくあるパターンのように思いますし。
 ちなみに「レズ」とか「ホモ」という言葉は、当のsexual miorityにとっては、言葉自体がかなり強い差別的な語感を伴っているものとして受け止められます(それぞれ「ゲイ」「ビアン」が比較的「透明な」言葉なのです)。こうした言葉を使う人たちは、でも恐らく悪意があるわけではなくて、無関心であったり、無知であったりするだけなのでしょう。

 ええと、話を戻すと
 1)彼らはあんまり真剣に考えていない
 2)だから往々にして誤解している
 3)でも知ろうとしないし、声を上げるとこちらを排除にかかる
 というような構造について言いたいわけですが。

 そこを改善していく時に、実は
「女性の権利向上」
 を訴えるのと
「男女同権」
 を訴えるのは、同じようでいて大きく違う働きを持つように思います。

 前者は
 1)既存の力学の中での、地位向上
 2)男性の敵視
 をもたらすのにたいして、
 後者は
 1)力学自体の転換
 2)男女の区別の視点の開放
 をもたらすというように。

 ※余談ですけれど、この問題について男女の「差別」と「区別」を混同している人々の多くは、sexとgenderとsexualityの区別をつけていないだけのような気がします。sexの違いは確かにありますし(それはsexualityも同様)、genderもある程度は派生して生じてくる部分があるもしれませんが、今は「行き過ぎている」ということに焦点を絞って考えていくことが大事なのでしょう。


■3.対立構造の風化

 なんだか上手く言えないのですけれど、言葉の使い方、について考えたいのは確かなのです。
 例えば「部落問題」と言った瞬間にそういう問題が生産され、強化される。
 「女性の~」と言った瞬間に、男女の別が強く認識される。
 そういうやり方が、本当に効果的なのかどうか、ということについては考えてみたいと思っています。
 それは決して問題を放っておこうということではなく・・・

 例えば再三例に出てきているところでは、sexual minorityというのは悪い言葉ではないのですが、major/minorの区別をすることに意味があるわけではありませんし、homosexualの地位向上というのを訴えるというよりは、sexuality free(あれ、これ英語違うかな)というか、「sexualityの違いなんかどうだっていいじゃん、という世の中をつくろう」という運動の方が、とても心地よいような感じがするのです。

 だから例えばフーコーやダ・ヴィンチのwikipediaの項目から「同性愛者だった」という一文が消えたら、その方がいいと思いますし、小池さんが首相になる日が来たとしても、それがわざわざ「女性首相」なんて書かれずに「小池首相誕生。政策は~」と「当たり前に」書かれていたら、それが初めて世の中が変わった時だろうと思うのです。

 そこにいたる戦略という意味で、強調した方がいいのかどうか、というあたりの感性の選び方だとは思うのですが・・・。

 まとまらないままでごめんなさい。
 だから僕は、そういう意味では「フェミニスト」という言葉が長きに渡って使われるのは、この問題について考える上では、本質的な解決に向かっていないような気がするのです。

 うう・・・。違うかなあ・・・。
 ちょっとまとまらないままに書かせて頂いています。
 

Anonymous said...

>じゃあ、こういう風に考えてみたらどうか>なぁ?

>大学はサークルの公認申請にあたりサーク>ルの規則を提出させますね?
>私も君も学生時代これに面倒な想いをさせ>られました。

スンマセン、
長々と書かせてしまって申し訳ないですが、
僕は「公認サークル」のイメージではなく
「未公認(自主活動)サークル」の
イメージでした。

公認サークルならば
大学が介入する余地があることは
感覚的に理解できます。

>スズマサさんがレズだ、どうたら
こうたら

それは、単純に言っている
人間がウンコなだけでは・・・


>火星人と金星人

ここはスズマサさんの
ページなので何を書こうが
書くまいが、当然スズマサさんの
自由なわけですが、

少なくともKDSというコミュニティ
の中の人間がお互い理解し合えないのは
凄い寂しい。

昔みたいに合宿とかで
一晩議論してみたいっすね。
絶対分かり合えますよ。
(コンセンサスを共有するという
ことではなく、お互いを認め合えると
いうレベルでは)

僕だって昔は
スズマサさんが結構理解できていなかった
ですが、今は多分そうでもないと
思いますよ