Wednesday, October 22, 2008

Feminology (7. The Demanding One) フェミノロジー(第七話: ねだる女)

披露宴については後日書かせていただければと思います。
足を運んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
今の心境は……「おわったーーーー!!!」
マラソン完走とかパンチドランカーになったジョーとか…まあそんなところ。
事後処理に追われてまだ慌ただしくしていますが、ああ、このクールダウンが終われば日常が帰ってくる…筈…。連絡が取りにくくて困っていらっしゃる方には大変申し訳ないことです。もう少しですので。

はふう。そして今は授業の合間のエアポケット。
頂戴したコメントに丁寧に返信している時間は今すぐはないけど、とりあえずちょこっとだけ。

一週間ほど前、NHKの国会生中継を流しながら採点をしていたところ、
麻生首相が「個人投資家を増やすべき」と語っていました。

「日本ではまだ個人投資家がまだ十分育っていない、どうも株のイメージがよろしくない。
特に田舎では『あの人は株やってる』なんて言うと危ない山っ気の強い奴と思われる。
これではいかんのでイメージを改善していきたい」

というようなことを話していました。
なんだか前にも聞いたことのある論調。
どうせ株で儲けた場合の所得税を優遇しようって話に落ち着くのだろうなーとか思って聞いていたのですが…

同時に思うのは、私が「フェミノロジー」で書いてるのとどう違うのよ、ということ。

「日本ではまだ女性の知性を喜ぶ男性が十分育っていない、どうも高学歴女性のイメージがよろしくない。特に企業では『あの人の妻は夫より高学歴もしくは高収入』なんて言うと小賢しい女の尻に敷かれてる情けない奴と思われる。これではいかんのでイメージを改善していきたい」

とか書いたとしたら、「個人の嗜好に国が介入するのか」「ファシスト」「モテナイやつの僻み」とか言われる。

どう違うんだっつーの!!
税額優遇の方がよっぽど凄いでしょーが!
(試しに「高学歴女性の配偶者に補助金を出せ」とか言ったらかなり面白そうだ。
でも「なんで稼いでる女の配偶者に更に補助金が必要なんだ」とか言う人が出るのであろう。
だから株にまとまった投資ができるような人の税金減らすのとどう違うんだっつーの)

ことほど左様に国が政策で国民の意識を変えようとするのなんて日常茶飯事です。
社会が得する方向に誘導する制度なんてタバコ税以外にもたーーーくさんあります。
何いまさら驚いてんのよね。

小泉さんも「女性たちに産みたいと思える社会を作ろう」って堂々と言ってたじゃん。
「子供産みたいのも産みたくないのも各女性の勝手じゃないですか。国が人間の好みにどうこう言うのはどうなんですか」とか「欲しくないから産んでないんだ。放っとけよ」とか「欲しい欲しくない以前に『できない』んだから的外れ」とか言わんのか。挙句に今じゃ少子化対策に高官付けてるんですから。(ちなみに私は的外れでない少子化対策ならバンバンやって欲しいと思っています。しかし惜しむらくは多くの対策に的外れだという印象を受けること…いや、でもやらないよりはマシか。がんばれ少子化対策)

ホント、「ええ、そのとおり。思考の問題です。」と言うと
「違和感があります」という人々に…目洗って新聞読むことをお勧めしたい私です。

1 comment:

Anonymous said...

■イントロ

失礼します、KDSのisaacです。
いつも楽しく(!)拝見してきましたが
ただ傍観しているだけでは
ディベート初心者の立場に甘んじていることになりかねないと思い、
コメントさせていただきます。

まず、僕の好みのタイプについて。
僕はどちらかというと、
高学歴でインテリ系の女性がタイプです。

でも、これを公表すると
「学歴差別主義者」だと受け取られかねないので
(というか僕が気付いていないだけで実際にそうなのかもしれませんが)
あまり人には言っていません。

ところで、もし高学歴女性のイメージがアップしたら、
ただでさえ数少ない高学歴な人をめぐって
男性間で競争が激しくなることでしょう。
僕が不利になります。
ですのでお願いですから、
そのようなことを政策として推進するのはやめてください!笑



…冗談はこのくらいにします。

僕は、高学歴・高収入な女性のイメージが一般的に良くないし、
それは残念なことである、
という現状認識を共有します。
能力や努力が否定的に捉えられることは
その女性本人にとっても、あるいは社会全体にとっても人材の有効活用などの点で、
決して好ましいことではありません。

しかし、それを政策として是正するのは、
masakoさんが事前に反応を予想してくださったように
「個人の嗜好への介入」です。
それに株式投資の推進とは全く異なるものです。
なので政策としては不適切だと考えます。


■一貫性

株式投資の推進派が、高学歴・高収入女性のイメージアップに反対するのは
矛盾ではなく、むしろ一貫性のある考え方だと思います。

おそらく株式投資推進派は、株式投資を預金との対比で捉えています。
株式投資は、預金よりもリスクの高い運用方法です。
リスクの高い運用を好む人たちは、
低金利のためにATMの手数料で利息分が吹っ飛んでしまう預金の現状に満足できず、
自ら行動を起こして積極的に状況を変えていこうと考える人たちです。
それにそういう人たちは、masakoさんのおっしゃるように、株式減税を主張することでしょう。
したがって、彼らは自己責任を重んじる、小さな政府を志向する人たちです。

小さな政府を志向する人たちが、
どのような人を好むか、という嗜好の問題に干渉されることを是とするでしょうか?

「高学歴・高収入な女性と結婚した男性には、所得税を10%多く課す」
というのが現行の制度なら小さな政府の志向者は「課税撤廃」を主張するでしょうが、
「高学歴女性の配偶者に補助金」となると
完全に大きな政府を志向する人の発想ですね。
実際には女性にも男性にも学歴・収入差において
税によるインセンティブは設定されていないのですから、
小さな政府を望む人にとって男女の出会いについては現状で満足だし
株式減税とはなんら矛盾する考えではないと思います。

そう考えると、今回の話は
「どこが違うのか?」という問題と言うよりは、
大きな政府・小さな政府の対立で説明がつくのではないでしょうか。



■選ぶ=捨てる

何かを選択すると言うことは、それ以外を捨てるということです。

もし政府が株式投資を推進するのなら、預金という運用方法を否定することになります。
この場合、預金が減るので銀行が困るんですかね。

一方、政府が高学歴・高収入な女性を推すのであれば、
低学歴・低収入な女性を否定することになります。

銀行と、低学歴・低収入な女性。どちらを軽視するのが政府として正しいでしょうか?

しかも銀行も低金利のせいで貸し出しだけでは旨みが無くて
投信販売とか為替手数料とかATM手数料とかでまだ収入源を開拓してますよね?
それに対して学歴も収入もない女性たちから男性まで奪う正当性は何でしょうか?

masakoさんは例えで「高学歴女性の配偶者に補助金」を挙げましたが、
それも株式減税と違い、正当性がありません。
株式投資は先に申し上げたとおり、リスクの高い運用方法です。
投資家の得る株式譲渡益は、高いリスクを取った結果としての対価です。
一方、高学歴女性の配偶者にはどんなリスクがあるのでしょうか?
収入源が2つになるし、始めからローリスク・ハイリターンなことがわかりきっています。
彼らの受け取るべき「対」価とは何に「対」してでしょうか?

そもそも、これは高学歴・高収入な女性を優遇するアファーマティブ・アクションですね。
アファーマティブ・アクションで高学歴・高収入な女性は本当に幸せになるのでしょうか?
例えば米国の黒人医師が「黒人だから不安だ」と患者に不満を言われるケースがあるのは
黒人が積極的差別是正措置によって白人よりも甘めの基準でメディカルスクールに入れるからですよね?
同様に、この制度で高学歴・高収入な女性が結婚しても
「エリート女の『天下り』!―高学歴を税金で『補助』―」
「学歴は就活だけではなかった!―婚活にも格差!?学歴社会の暗部・実力社会はいずこへ―」
っていう週刊誌の中吊り広告が容易に想像できます。
それに積極的差別是正措置は低学歴・低収入な女性に対する逆差別でもあります。
なぜなら政府が「選択」しているからです。

ちなみに、小泉元首相の「女性たちに産みたいと思える社会を作ろう」の発言は、問題ないと思います。
「産まなくちゃ」ではなく「産みたい」と思わせるのが大きな違いです。
  原則: 産むのも産まないのも自由であるべき
  SQ: 産みたくても産めない
  AP: 産みたければ産める(=産みたくなければ産まなくていい)
ということですよね。
これは、未出産税とか堕胎税(そんな名前があるのかわかりませんが)なんかを設けるのとは違って
国民に積極的な選択を委ねているので小さな政府を志向する人として
一貫性のある政策だと思います。



■選ぶ=捨てる②

選択と言えば、もう一つ申し上げたいことがあります。
上は、主に政府が選ぶ場合の話ですが、
ここでは個人の人生における選択の話をします。

たとえばディベート界の外の人に「ディベートしてます」と言ったときに
なんとなく退かれているのを感じたことはありませんか?
…というと、よく女性差別として語られることが多いのですが
男性だってディベートしてると良い印象を受けないことは普通にあります。

男らしさにもいろいろな種類があると思いますが、
「男は黙って耐えるべき」
「ごちゃごちゃ言ってないで責任を負うのが男」
という価値観を持っている人はたくさんいるのが現実です。
こういった人たちは、論理的であることが男性的要素の一部分であるという認識を持ちつつも、
自分の望まない論を展開されるとその原因を男性性の欠如だと非難することがよくあります。
なので、ディベートをしている男性と言うのは
ねちねち口答えばっかりする女々しいやつ、と映ることでしょう。
そういう意味では、男女問わずディベーターはみんな疎外されているともいえます。

しかし、僕は「ディベートなんて頭でっかちな男は、男として魅力に欠ける」と言われても
性差別として非難するつもりはありません。
なぜなら僕は、これを正しさの問題ではなく選択の問題だと思うからです。
ディベートすることを選び、こういった人たちに迎合することを捨てたのです。
逆にこういった人たちは、旧来の価値観に浸る安心感を選び、論理的思考を伸ばすことを捨てたのです。

あれもこれも選ぶのは実際ムリだと思います。
僕はまだKDSにいられるだけでも、ある程度何かを捨てる価値はあると思うので満足しています。
この考え方から行くと、
高学歴・高収入な女性たちが良い結婚を努力で目指すことは何ら非難されることではありませんが、
だからといってこれだけのものを手に入れた人がさらに自分の欲求を実現するために
政策まで発動するのは行きすぎだと思います。

逆に男性だったらみんなできるだけ高学歴・高収入であることを求められるのですから
かえって選択肢が狭まってしんどいと感じる人も多いことでしょう。
しかし、男性の間からそのことを差別的だと聞いたことは一度もありません。
高学歴・高収入の女性が退かれるのと同様に、低学歴・低収入な男性が退かれているにも関わらずですよ。
その点、男性の人生はall or nothingな要素が強いと思います。
なのでまだ「選択」のできる女性が差別を主張するのは、女性の事情だけを見ればそう感じますが、
男性との比較で見れば、masakoさんの主張はmasakoさんの言葉を借りれば「違和感があります」。