命は誰のものか To be or not to be
楽しい集まりがひけて終電で帰りました。
鼻歌交じりのご機嫌で家路につき、玄関のドアを開けたら、
ビイイイイイイイイイ
夜のしじまにけたたましい音が!!!
ひいいいいい、とムンクの叫びな顔になりました。
私が帰ってくると思わなかった家族が防犯システムをオンにして寝ていたのでした。
「帰ってくるなら帰ってくると言え」と、ばっちり叱られました。えーーん。ごめんなちゃいいいい。
叱られるときは幾つになっても子供です。
さて、今日のディベートは、「積極的安楽死を合法化すべきか」でした。
私は否定側第一スピーチを担当しました。3-1で負けました(涙)
まあ、そもそもリベラルな人が多いディベート界では、
この論題で否定側が勝つのは稀です。国際大会なら尚更。
なので、まあ仕方ないかな、という気はします。
それを除いても私の出来は悪かったのですけど(涙)
肯定側の論点は、やはり患者自身の死に方を選ぶ権利、QOLについてなどでした。命は本人のもので死も含めて自己決定権がある、というものです。
私自身は、根っからPro-Choiceなので、堕胎についても安楽死についても肯定側です。だから肯定側の意見につい頷きたくなってしまいます。否定側の意見を組み立てるのは結構大変でした。
まあ、そんなこと言っても始まらないわけで。自分以外の人の考え方もシミュレートしてみれるところがアカデミック・ディベートの美点なわけで。そうやって他人の立場や意見を思い遣ったり尊重したりする術を学んでいくわけで。否定側になった以上は否定側の立場を掘り下げて考えなければなりません。
私たち否定側は、肯定側のQOLに対して、SOL(Sanctity of Life)を掲げ、「どんな状態でも、たとえ息をしているだけでも生きていることには意味がある。それが誰のものであっても、たとえ自分自身のものであっても、命を奪う権利は誰にもない。」というPro-Lifeの立場を打ち出しました。
この部分は、どうやらあまり観客ウケしなかったようです。もっとプラクティカルな話に焦点を絞ってもらいたかったみたい。国際大会では、こういう大上段に構えた倫理に関する議論がウケるので、ついついそちらに合わせた議論をしてしまいがちな私。日本の観客の方はディベート経験者でもそうでなくても一貫してプラクティカルな分析を好む傾向があることをすっかり忘れていました。失敗。
スピーチのリプロダクションもいつもどおりやってしまいたいところなのですが、とっても眠いので明日にすることにします。とにかく今日の教訓は、倫理と実利のバランスを取ろう!ってことでしょうか。また後日スピーチをアップします(^v^)