Monday, September 18, 2006

邂逅 Encounter

邂逅という曲にまつわる,さだまさしのエッセイを読んだことがある。うろ覚え
だが,確かこんな内容の歌だったと思う。

歌の主人公は,若い頃父親と反目しあって,以来父親との交流がなかった。父親
はそのまま他界してしまった。ある日,父親の遺したカメラにフィルムが残って
いるのに気づく。現像に出すと,写っていたのは母親だった。それを見て,主人
公はそれまで自分が知らなかった父親の一面に触れる。父親が他界してしまった
後になって,父親と初めて本当に出会った気持ちになる。

確かエッセイの内容は,こういう特殊な関係に関わらず,知り合って随分経って
から,本当の意味で邂逅することは少なからずある,というものだったと思う。

***

先週末はずっと家に閉じこもって書き物をしていた。作業中は例によってリスニ
ング用にビデオを流していた。久しぶりに,二十年近く前の父の米国出張土産を
流した。古いVHSのビデオテープだ。ディズニーの『ロビン・フッド』,『マイ・
フェア・レイディ』,これまたディズニーの『メアリー・ポピンズ』といった,
小さい時分に何十回となく観た映画だ。

米国で買ったものなので字幕がない。英語がわからなかった頃にどうやって楽し
んだのかというと,言葉はわからないままだったのだ。大体の筋は,以前に観た
ことのあった母の解説で大雑把に理解していた。ディズニー・アニメーションの
類は元から,言葉が解らなくても大雑把なストーリーは解る画である。子供が映
画を楽しむには画と音楽で充分だった。

しかし,久しぶりに観てみるとクリアに台詞が聞こえてくる。数年前はセリフの
意味が大体察しがつく程度だったのが,いつのまにかシャドウィングできるよう
になっている。一文一文の意味が漸く解って,驚いた部分もかなりあった。特に
冗談やパロディ,引用の類は初めて理解したものが多かった。語彙が不足してい
たために中学生・高校生の時は解らなかったような表現もいつのまにかわかるよ
うになっていた。解るようになると,映画の印象は随分と変わった。

例えば『ロビン・フッド』では,"outlaw for in-law"というオヤジギャグ以外の
何物でもないような台詞が二回も出てくる(リチャード王の唯一の出番の唯一の
台詞がこれ。王様の威厳ゼロ)。「俺みたいなならず者と結婚してくれなんてお
姫様に言えっこないさ」と溜め息をつくロビンに「料理もできないしな」と茶々
を入れるリトル・ジョン。"I'm serious!"と茶々に怒るロビン,といった細かい
掛け合いの数々も漸くわかるようになった。Friar Tuckがどうして「陽気な仲間」
に入るのかも漸く判明(なるほど,こいつぁー陽気だ。加えて言うなら,邦訳は
「陽気な」とするのが一般的だが,元は多分もっと「くだけた」とか「ストイッ
クさに欠けた」,更には「俗っぽい」とか「坊主の癖に色事に詳しい」的な意味
もあったのだろう。邦訳からじゃわかんないよな・・・)。他には例えば,鶏の謡
う"Every town... but not in Nottingham" というシニカルさ全開の歌。「税金
は悪だ」というメッセージがどぎつく感じる。自由経済賛美(弱肉強食・富裕層
優遇)の精神を子供に刷り込もうというディズニーのあざとさに見えてしまう。
政治的に過ぎないだろうか。他の歌の歌詞には十字軍を賛美しているものもあっ
てドキッとさせられる(現代では認められないデリカシーゼロな歌詞だ)。なん
か,子供向けのアニメの癖に妙に際どいなぁ・・・

同じように,『メアリー・ポピンズ』ではパパが「アフリカとの貿易(貿易じゃ
ないだろ,植民化だろ)万歳,紅茶のプランテーション万歳,大英帝国万歳」と
いう植民制度賛美の歌を歌っている(これまた現代では認められないデリカシー
のなさだ)。銀行のお偉いさんは「おかげでアメリカ人でさえ飲めないような紅
茶に成り果てた」と,アメリカ人の味覚音痴ぶりを冗談に使っているが,これも
ちょっとNHK的にはアウトな感じ(今だったらステレオティピカルだと批判され
そう。まあ,制作がアメリカ自身の自虐ギャグだから許されるだろうけど)。そ
の癖foxhuntingの狐を助けるシーンがあったり,パパが「しかし伝統だから」と
言い訳したりするシーンがあったりして妙に現代に通じる。

『マイ・フェア・レイディ』のヒギンズ教授は,「フランス人ってのは,発音に
は気を配るくせに,行いはからきしだね」という冗談を入れた歌で登場。あまり
に露骨な人種差別っぷりだ(まあ,このキャラクターの場合,人種に関わらずジェ
ンダーにも社会階層にも何にでも割と無礼だし,本人も台詞でそう言ってるけど
・・・「俺は別に花売り娘だからぞんざいに扱ってるわけじゃない。貴婦人に対し
ても花売り娘に対するのと同じようにぞんざいで無礼だ」と。。。自慢になって
ないし。言い訳になってないし。コントラしてるし。)。

素朴に楽しい映画として観れた子供時代とは違って,今観ると昔の「ファミリー
映画」は結構怖い。絵面(えづら)が可愛いだけに台詞の際どさにビックリして
しまう。サウス・パークよりこっちの方が問題じゃないか?欧米の子供たちは,
こういうの観て育つのかぁ。税金に対する観念にしても,イスラム教に対する漠
然とした「正義は我にあり」的態度にしても,フランス人の悪口は言い放題なメ
ディアにしても,理屈じゃなくて小さい時から刷り込まれてるのかもなぁ・・・
と思ってしまったり(red statesはこうしてできるのかぁ・・・みたいな)。ちょっ
と怖い。

英語が少し解るようになってこれだから,もっとちゃんと解るようになったら,
こうした古典映画をどういう風に思うようになるんだろう。私が本当の意味でこ
うした映画と邂逅できる日はまだ先なのかもしれない。

***

この「映画とプチ再邂逅」をして,言葉の壁を挟んだ人間づきあいも同じだな
・・・としみじみ思った。

海外の友人たちの言っていることのどれだけを自分は精確に理解しているんだろ
う。親しくしているつもりの相手のことも,実はぜーんぜん解ってないのかもし
れない。

彼らは私をどれだけ理解しているだろう。何せ私のことを保守的で物静かな大和
撫子だと思っていた彼らである。私の外見からさぞや思い込みを膨らませている
のだろう(私は外見だけなら気弱に見える)。

英語が今よりももっと不自由だった数年前は,私は沢山嘘をついた。別につきた
くてついたのではない。つかざるを得なかったのだ,言葉の問題で。

例えば,忘れもしない2002年夏。自販機に飲み物を買いに行った私はたまたまコー
チと鉢合わせした。鼻歌で『マイ・フェア・レイディ』の"Wouldn't it be lovely"
を歌っていた私に,コーチは「お前がヘプバーンのファンとは知らなかったな」
と言った。「うーん,そうでもないよ。どっちかって言うとジュリー・アンドリュー
スの方が好き」と返した私に,「ああ,舞台の時はアンドリュースだったの知っ
てるのか」とコーチは更に返した。「・・・yes」と私は妙な間を空けて応えた。コー
チは,私が知ったかぶりをしたと受け取ったようだった。実のところは,確かに
私はジュリーアンドリュースが舞台の『マイ・フェア・レイディ』のイライザ役
を務めていたことを知っていたのだ。けれど私が彼女とヘプバーンを比べたのは,
そのせいじゃなかった。『サウンド・オブ・ミュージック』と『マイ・フェア・
レイディ』が同じ年のオスカーを巡って競ったのが頭にあったからだった。ヘプ
バーンは負けたショックでしばらくスランプになった。このことをコーチに言わ
ず,彼の勘違いを訂正しなかったのは,別に嘘をつきたかったからではない(厳
密には嘘ではないし)。単に「ああ,これは英語で説明するのには私じゃ時間が
かかりすぎる。こんなつまらないことを説明するために相手を苛々させたくない
し,私自身そこまで元気が残ってない」と判断したからだ。英語が下手なのが理
由だったのだ。

全く同じ年,同じ夏,ひょっとすると同じ日だったかもしれない。同じコーチと
帰り道が一緒になって,食事の話になった。"I'm going to become a
vegitalian because killing is bad"と言う彼に,私は"But aren't plants
also lives?"と返した。すると「ああ,お前○○の××を読んだのか」とコーチ。
訊き返しても私には○○も××も聞き取れなかった。面倒くさくなった私は,ま
たもや妙な間を空けた後で,結局「・・・yes」と応えた。これもまた,知ったかぶ
りをしたと解釈されたようだった。しかし,本当のところは,植物も命であると
いう考えを私にインプットしたのは,一休さんであり,小学校の頃から叩き込ま
れる日本のアニミズム的な価値観(一寸の虫にも五分の魂とか夕日が背中を押し
てくるとか)であり,神は万物に宿るという神道的な刷り込みだった。これもま
た,当時の私には説明する面倒臭さの割りに重要度は低いことだった。私は説明
しなかった。受け売りなのは確かだから「no」じゃ不味かろう,じゃあ「yes」
で良いや,と今考えるとありえない割り切りぶりを見せたのだ。英語が下手だっ
たから。

同じ夏,今度は別のコーチが,ソクラテスの問答の話を始めた。最初に「ソクラ
テスを知っているか」と彼が尋ねたとき,私は「no」と即答した。ご存知だろう
が,英語のSocratesは,発音とアクセントがかなり違う。ソクラテスを知らなかっ
たのではなくて,コーチの言う「ソックラ・ティイイイイイズ」がソクラテスだ
と当時の私は気づかなかったのだ。話が進むうちに,「ああ,なんだ,ソクラテ
スのことだ」と私は内心思ったが,「やっぱり知ってる」とは言いにくい雰囲気
だった。そもそも,英語力に自信のない私には,話を蒸し返すのも,訂正のため
に説明するのも面倒臭いことこの上なかった。私はその後1時間,コーチの長い
話が終るまで,ソクラテスを知らないフリをし通した。

こうしたことを重ねていると,私自身と友人たちの抱く私に対するイメージは乖
離していく一方だろう。私は嘘をつき続け,彼らはその嘘を通してしか私を見れ
ない。どこまでいっても,彼らが私に本当の意味で邂逅する日は来ないのではな
いか。そんな風に思った。

今の私は,当時に比べれば英語でもずっとお喋りになっていて,当時のように誤
解を解かずに説明するのを諦めるようなことは,まずありえない。それでも,日
本語の時と同じだけの伝達力を保っているか,と言われれば否だ。例えば,上の
例なら,一休さんのことや小学校で学ぶ詩文の話など言ってもどうせ通じっこな
い。だから適当に端折ってしまうだろう。結局,私自身を彼らが知る日は来ない
のではないだろうか。

言葉の壁を挟んでもなお,この十年弱に沢山の友人ができた。私は彼らを愛して
いるし,彼らを近く感じてもいる。

でも,本当のところは,彼らは私を知らないし,私は彼らを知らないのではない
だろうか。

まるで思春期に入りたての子供のような,小さくてとりとめのない疑いがいつも
つきまとう。完全に分かり合うことがないなんてこと,日本人とだって同じだろ
うに。結局のところ,知り合って何年経っても,まるで今日初めて出会ったかの
ように,邂逅を繰り返していくしかないのだろう。そんな諦めにも似た気持ちが
私を奇妙に冷たくする。

それでも,今日も,邂逅記念日。
甘く,苦く,そして冷たく。邂逅記念日。

だって私はコミュニケーション・フェチだから!!

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