taking it seriously after while ちょっと真面目に
昨晩の夕飯は、
主菜: 鶏肉とエリンギのトマト煮
副菜: シェパード・パイ
デザート: 即席ティラミス
でした。
色取りが赤と白に偏ったのが若干問題。
けどどちらも私のお気に入りです。
そして何と言ってもティラミス!
【一口メモ】即席ティラミスの作り方
①コーヒー味のロールケーキを輪切りにしてお皿に入れる
②カルーアをかける
③クリームチーズをのせて広げる
(①~③をもう一度繰り返して層を増やしても良い)
④ココアパウダーをふりかけたら、冷蔵庫で冷やす
Y崎パンの108円のロールケーキが絶品ティラミスになってご機嫌でした。
何?手抜き過ぎる?カルーアかけてチーズのせてココアふっただけ?
やかましいわ。美味しいから良いじゃんか。
ところで、連日このように献立をここにメモしていますが、
「私ってば家庭的!」と言いたいわけではありません(汗)
献立メモは献立メモです。小学校の時配られたあれです。
(今考えると素晴らしい出来映えだった。K小学校の激有能な栄養士さん達に敬礼。
ホント、捨てずにとっておけば良かったなぁ……)
私は食に並々ならぬ執着を抱いているわけですが(それ故にダイエット中ですが)、
今までは私一人の冷蔵庫ではなかった。
私は買い置きをできるだけ減らしたい派だけれど、家族は割とまとめ買い派だった。
故に、やりくりなぞ考えず、とりあえず入っているものを傷む前に消費することが重要だった。
けれど今、ほぼ一人で買い物権を握るようになると、献立メモ超重要なわけです。
何でこんな注釈をつけなければならないのかと言うと…
最近ちょっとセンシティブになっているエリアと少しだけ被ってくるからなのです。
それはジェンダー・イシュー。
というわけで、ここでちょっと真面目に、女とディベート。
まあディベートと関係なく一般的な諸問題も色々発生しているわけですが、
そちらは先日S嬢と長い議論をして、何だかちょっと昇華させた気分なので今触りたくない。
というわけで、女とディベート。
ここんところ言われたい放題の私です。
カチンと来る言われ方をした例は以下。
無数に遭遇するので、一々カチンときてる場合ではないですし、
実際は笑顔で流しているわけですが、やっぱり少しは気になります。
ていうか未来の女性達もこういう想いしたら……と気になります。
ディベート会場で(!!)言われたmasako的びっくり発言例
①「あれ、なんか小難しい本読んでるんだね。そういう本持ち歩く女の子どうかと思うよ」
(ちなみになんとこの発言の後この発言者に口説かれましたが、どうかと思うなら口説くな!!!
私はこの発言のほうをどうかと思うぞ、真面目に……)
②「masakoは『女だてら』にディベート長いんですよ」
③「masakoちゃんかわいーなぁ。ディベートさえしなきゃなぁ」
④「ディベートする女性とか絶対結婚したくないよね。masakoちゃん、『お義母様のおっしゃることは3つの理由により間違っています』とかお姑さんに言っちゃダメなんだよー?」
⑤「最近の若い娘は男に甘やかされるのを当然と思っている。」「masakoさんの旦那さんも、こうしてdebateに来るのを許してるわけでしょ」「今日旦那帰ったら家真っ暗で誰もいないんでしょ」
あとdebate仲間ではないけれど「旦那さんはmasakoさんが英語喋ること知ってるんですか?知ってて結婚したんですか?今頃焦ってるんだろうなー」と言われたことも……。
上記は直近の例で、遡って挙げ始めたらもう無数にあります。
……これがまだdebateしない人に言われるんだったら良いんですよ。(いや、良くないけどさ。)
debate仲間に言われると……切ないとか哀しいとかいうより虚しくなります。
先日ディベート仲間のOBOG会で「何がこの人だと思う決め手だったの?」と聞かれ、「ディベートに血道をあげる女にネガティブなイメージを抱かない点」と答えた(勿論実際はそこまで単純な話ではありませんが……)ら、先輩(男性)に「そんな簡単なことで良いの?滅茶苦茶消極的な理由ジャン。えー、そんなんで良いの?」と驚かれました……。分かってないなぁ……、と思いました。
さて、
日本で、特に学生の間、女性が英語主体のdebateサークルに所属することは大して難しいことではありません。大会で成功することも難しくありません。しかしこれが日本語でとなるとぐぐっと難度が上がるし、社会人となると更に上がる。また、hobbyの域(サークルに所属する程度)を超えてlife styleとしてdebateするとなると激しく難しくなります。
これは大変よろしくない。
もう一度言います。
これは大変よろしくない。
何か手を打つべき時にきていると思います。
13 comments:
う~ん。
これは前にも話しましたが、
ディベートに関係ないことも入っているように感じるんですよねぇ。
単純に「小難しい女はもてない」みたいな一般論とか。
もしくはスズマサさんが小難しいってのを婉曲的に言ってるとか。
それ自体がダメだって言う主張だとしたら、ディベートを絡めると主張がぼやけますし。
ディベートに限定しなくても、現実問題として男社会の分野で女性が不当な扱いを受けることはあると思いますし、それを区別という名目の下で正当化する差別は問題だと思います。
そういう状況で戦っていくことは大変だとは思うんですが、(文脈上判断は難しいですけど)差別かどうかグレーなラインまで問題にすると共感を得ずらいですし、共感を得られないことが結果的に変化の妨げになると思います。
ディベートしていく上で、女性であることのメリットとデメリットってあると思うのですよ。
デメリットに関しては、大たっきーさんの言ったことにだいたい賛成です。ディベートというより、すずまささんの個人的な性格に由来するものが大きいと思います。一例を出せば、酒匂とかは悪口とはわりと無縁でしょう。
もちろん非があるのは、すずまささんではなく、発言者だと思いますが、「解釈」の問題としての話です。
次に、すずまささんはあまりおっしゃいませんが、「女性だから」というメリットも受けているのではないですか?(日本語ディベートに関して)やっぱり、男としては男ばっかりの集団に女性がいると嬉しいものです。メリットの細かい内容についてはここでは言及しませんが。
今日の結論ですが、「ディベートをする上で女性だという事は素晴らしい」という結論で結びます。もしすずまささんが、男なら今の年齢までずっとディベートに力を注ぎ続けることができなかったと思います。これわりとは真実だと思います。30歳で職に就かずディベートばっかりしているというのは、社会的に見て(あくまで社会的にですよ)、しんどい気がします。どうでしょうかね…。
最後にですが、すずまささんみたいにディベート界に影響量を持つ人が、ああいった意見を公表することは意味あることだと思うし、すずまさんのディベート界への貢献はすごいと思います。
そして、すずまささんのウェストラインが56センチというのも尊敬しています。
以上失礼(無礼)しました。
本題が盛り上がってる裾で恐縮ですが、市販ケーキにカルーアをかけるって技がめちゃ美味そうだったのでメモらせていただきます。
大たっきー、
「関係ないこと」じゃなくて「根が同じこと」でしょ。
確かにディベート限定の話ではないよ。「女医」とか「女弁護士」とかいうラベルが同じ影響を生んでいて困っている友人が何人もいます。
しかし「ディベータ」というラベルは更に先鋭的でしょ。
「ディベートします」とカミングアウトすることは、
-沢山読みます(=小難しい)
-沢山考えます(=小利巧)
-沢山喋ります(=小うるさい)
だと、意見を持つし主張する、しかもこれを仕事じゃなくて好き好んで私生活でします、と宣言するようなものでしょ。
(友人S曰く、つまりはこの「小」がinsultingだそうな。確かに(笑)。ポイント突いてるよなー。うまい。)
だからディベートは『排気量の多い女』の象徴として扱えると思う。
それを主張がぼやけるとか何とか言って誤魔化すのはただのズルイ男のすることでしょ。大たっきーにこういうこと書かれると正直残念。誠実さを全然感じない。そうでないならポイントを理解していない。
ふじま君、
君のコメントは完全に的外れ。
勉強してから戻ってらっしゃい。
悪いけど相手にする気にもならない。
ヒデ君、
本当に本題を避けたわねー…
しかしカルーアは重宝ですよねー。
他にもアフォガードにする時のコーヒーに混ぜると美味しさアップで私は好みです。お試しあれ☆
この時点での感想。
残念ながらディベートする男性には驕りがあるんじゃないかと思います。俺は理性的に分析しているだけ、とでも思ってるんじゃない?哀しいけど理解が浅い状態でそれをすると頓珍漢だと思います。差別者集団の一員が現実を認めずグズグズと性根の曲がった反論を試みるのはジェンダーでもESL/EFLの話でも変わらんのだな…というのも実感します。もういっそのことサイードやフーコーより内田春菊でも読むことをおススメしたい感じ(笑)あの人の厭味は分からん人には意味が分からないだろうから良いリトマス試験紙になるかも?その位「だめだ、こりゃ」って感じ。「うるさい消費者」と言った某氏は自分の発言が何故問題なのか理解できない感じ。大たっきーのは謎だけど、少なくともふじま君のはそういうことなんでしょうな。
ま、確かにこれだけ好戦的な物言いができるのは私の性格ゆえです。
だけどね、私はlife styleとしてのdebateをしたいの。それなら声を挙げるべき時に挙げないのは恥ずべきことだ。サイードの『Representations of the Intellectual』にある通り、知性を持ちたいと願う者は黙ってはいけない。それができないっていうんならhobbyとしてのdebateに甘んじるしかありません。そしてかの鬼才ベン・リチャードの語ったとおり、「誰が無知として生きたいだろう」
これ、女性の皆さんに向けて書いています。(本来ならここで男性を除外するのは間違いでしょう。しかしね、大たっきーやふじま君のコメントを読んでinclusiveにすることに問題を感じるのも確かでしょう?この点については、今年のAustralsのWomen's Debateは本当に良いディベートだったと思います。興味のある方は是非ビデオを観て下さい)
正直やっぱりよく分からないです。
スズマサさんが何をどうしたいのか不明確な気がします。
例えば
「ディベートをする女はもてない」
という発言はスズマサさんの感覚では問題なのでしょうか?
この発言は差別的な意見、またはレッテルにはなるでしょう。
しかし世の中は実際にはこういったレッテルだらけです。
例えば
「デブはもてない」
という発言はどうでしょうか?
これもデブに対する差別的な意見、またはレッテルに該当すると思います。
ジェンダー的な内容中立性だけを問題としているのでしょうか?
そうであるならば
「デブはもてない」はいいけど
「女でデブはもてない」は問題があることになります。
こういったステレオタイプの差別的意見を問題にするならば、具体的弊害を論じるべきです。
例えば、「女は結婚したら家に居るべきだ」という考えを(俺は差別的思考だと思いますが)、個人がもつことは自由ですし、またそうした意見を表明する自由も守られるべきだと思います。
仮にそういった思考が一般的であるがゆえに弊害が起きているならば、それは政策的に解決される課題ではありますが、そういった考えまたは表現を規制する方向で解決するのは明らかに誤りです。
スズマサさんの怒りは、それがステレオタイプな思考により引き起こされた差別的結果にではなく、思考そのものに向けられている時点で違和感を感じます。
スズマサさんの
>残念ながらディベートする男性には驕りがあるんじゃないかと思います。
という発言も結局はレッテルな気がしますし。
別に思考そのものが問題だと、問題提起することは良いと思いますし、そうでない思考をすることを啓蒙するのもいいと思います。
ただ、その意見に同意しない人間を攻撃するのはちょっと違う気がします。
それは強制するたぐいのものでなく、納得させなけらば意味のないものではないでしょうか。
大たっきーさん、
非常に残念ですが、私はこの話題について大たっきーさんのスタンスを誤解していたみたい。どうやら全く理解を共有できていないようです。
で、面倒だから斬捨て御免するつもりでいたら、全然違う方から大変示唆に富んだメッセージを頂きました。こういう人がいるから私みたいな短気は損気なタイプも諦めきらずにいられるのね…
まあそういうわけなので、次の投稿以降に返答の意味も含め長々と書いていきます。
①~③はパンチがきいてますねぇ!!ワオ、大正時代の軍人が化けて出たみたいな発言。④⑤はわざと茶化してイヂワるしてるだけな感じがするけど。
女子校育ちでかつ一人っ子の私には、スズマサさんの苛立ちがよーくわかります。ええ。
ジェンダーは難しいですよね。感じてることは山ほどあるのに、それを論理立てて説明しようとすると、別の卑近な例にすりかえられて
(途中で送信しちゃいました。。。)
ディベートレベルの話にはついていけないですけど、ジェンダーにしろ人種にしろ、差別って「個人(被差別側)がどう感じるか」の問題に集約されるものだから、generalな話で理論付けるのは難しいトピックスなんじゃないでしょうか。具体例を挙げて、自分がどう感じるか、を説明し、それに対する同性の反応が一定程度同じことを証明してやっと差別の存在を証明できる、みたいな。
ジェンダーを総括的に話しても、「個人の感じ方の問題。我慢が足りない。世の中そんなもの」という理屈のほうが強くなるのは仕方が無い。だって、人はみなそれぞれ我慢して生きてるのが真実だから。
だけど、「女だから」っていうくくりだけで差別的に扱われることは本当に悲しい。自分の努力じゃ性別は変えられないし、性別を変えるなんてそもそも私のアイデンティティを否定するようなものだから、女である自分のまま、自分の望む才能を開花させたいと思うのは、高望みしすぎなのか?傍らでは男が同じことをして「かっこいい。才能溢れる」と誉めそやされて、自分には「女だてらに」と言われる。これを我慢しろ、とでも?
「みんな我慢してるから当然」という理屈があてはまる場合とそうじゃない場合を区別するための明快な論理が必要だと思うんですけど、そんな論理、今まで思いつけたことがないです。
結局言いたいのは、スズマサさん相手にわざわざ女性差別な発言をするのは、社交の技術としてどうなの?ということ。個人がどんな思想を持とうと言おうとそれは自由かもしれないけど、言う相手を選ぶくらいの配慮を持つのが人間として当然だと思うんですよね。どんなに理論の筋が通ってても、それが正論とは限らない、と思うことが多い今日この頃な木村でした。
(途中で送信しちゃいました。。。)
ディベートレベルの話にはついていけないですけど、ジェンダーにしろ人種にしろ、差別って「個人(被差別側)がどう感じるか」の問題に集約されるものだから、generalな話で理論付けるのは難しいトピックスなんじゃないでしょうか。具体例を挙げて、自分がどう感じるか、を説明し、それに対する同性の反応が一定程度同じことを証明してやっと差別の存在を証明できる、みたいな。
ジェンダーを総括的に話しても、「個人の感じ方の問題。我慢が足りない。世の中そんなもの」という理屈のほうが強くなるのは仕方が無い。だって、人はみなそれぞれ我慢して生きてるのが真実だから。
だけど、「女だから」っていうくくりだけで差別的に扱われることは本当に悲しい。自分の努力じゃ性別は変えられないし、性別を変えるなんてそもそも私のアイデンティティを否定するようなものだから、女である自分のまま、自分の望む才能を開花させたいと思うのは、高望みしすぎなのか?傍らでは男が同じことをして「かっこいい。才能溢れる」と誉めそやされて、自分には「女だてらに」と言われる。これを我慢しろ、とでも?
「みんな我慢してるから当然」という理屈があてはまる場合とそうじゃない場合を区別するための明快な論理が必要だと思うんですけど、そんな論理、今まで思いつけたことがないです。
結局言いたいのは、スズマサさん相手にわざわざ女性差別な発言をするのは、社交の技術としてどうなの?ということ。個人がどんな思想を持とうと言おうとそれは自由かもしれないけど、言う相手を選ぶくらいの配慮を持つのが人間として当然だと思うんですよね。どんなに理論の筋が通ってても、それが正論とは限らない、と思うことが多い今日この頃な木村でした。
うーん。面白すぎますねえ。
解決の方向性がどうこうという前に、問題意識が共有できているのかどうかということが大事そうですね。
minorityとして排斥された(排斥した当人にその自覚がなくとも・・・というか自覚がない場合がだいたい多いわけですが)経験が鮮明にあるかどうか、というのは問題意識がすっと共有できるかどうかの最初の壁になりそうですね。
でも、それが経験としてなければ対話が成り立たないと言ってしまうと、それも違うわけなのでしょうから、努力は続けるにしても。
このあたりの感性の違いともいうべきものを埋める手段としてdebateが良いのかdialogueが良いのかというあたりの(別に全然矛盾するものではないのですけれど、エネルギーのかけ方として)峻別がこのところ、個人的には少しばかりdebateに距離を置いている背景の一つで、本当に現代社会は解決を論じる前に問題を共有するべきなのではないかという気がしています。
ああ、でもそれを強要することはまた多様性を削ぐことになるのかな。
なんだか本論とは関係の無いテーマになってしまいますが、こういう時に認識の差を埋められるのかどうか、というのは議論の外にあるメタな前提であることが多く、それを白日のものに晒して掘り下げていくことは不可能ではないにせよ、もう少し効果的な方法はないものかな、と思っています。
向かい合ってお茶を飲んで、空を見ながら、「そういえばさあ・・・」と語るとか、という静かな時間の方が、人間同士の理解は進むのではないかと思ったり。
(ここ、別にコメントではなくて僕の関心事の描写になってしまっていますね。すみません・・・)
個人的には、masakoさんの文章には心を動かされました。
そういうことを語ることを諦めてはいけない、というような意味で。
あれ、第二話にコメントしたつもりでいたら、こちらでした(笑)。一連の流れ、という意味では同じですけれど。
第二話の文章は特に素晴らしかったので、その気持ちを伝えたかったのです。
yukaちゃん、masashiさん、
コメントありがとうございます!
> yukaちゃん
でしょう?パンチーでしょう?
そうだよねぇ、そう思うよねぇ……
しかしね、それは私の前だからいけないのではない。誰の前でもよろしくない。(そして実際他の女性も同席していたのです)
むしろね、私以外の人に言う方が更によろしくない。
私は誰が何と言おうとディベートに惚れているから、モテようがモテなかろうが、ヒかれようがヒかれなかろうが、ディベート(積極的に声を挙げてコミュニケーションに参加すること)をやめる気なんてサラサラない。ていうかああいう発言をする男性が恋愛対象に見えたためしがない(おっと失礼)。
けれどね、そこまでコミットしていない女性でディベートしてみようかな、と思っている人は沢山いると思う。そういう人がね、直接だろうと間接的にだろうと、ああいう言い方されたりされているのを見たりして、それでも「よし、ディベートしよう」と思えるだろうか。女がディベートするのは好ましくないことだというメッセージを繰り返し世間が送り続けたら、それを振り切って参加しようなんて普通は思わない。
だから、ああいうこと言う人は女性がディベートするのを邪魔してると思う。
私はまだ良いよ、皆自分達よりディベートの方が私にとって大事だ、何言っても辞めないと思っているから好き放題言うんでしょう?けどさ、そうじゃない女性が殆どだよ。
だから腹が立つの。
> masashiさん、
ああ、masashiさんのコメントはいつもとっても心に沁みます。久しぶりに会いたいなぁ。
まず多様性について。私の返答は…
「そんなの多様性とは言わない。」
大たっきーさんの言っている多様性ってのは、「奴隷制を支持する人と支持しない人の多様性」とか「ゲイをリンチしたい人としたくない人の多様性」とか「ストーキングしたい人としたくない人の多様性」とか「人種差別発言をしたい人としない人の多様性」とか「部落出身者に就業の機会を与えたい人と与えたくない人の多様性」とかいうレベルのものでしょ。そんなの私は多様性とは呼ばない。
ダメなものはダメなんですよ。人を傷つけることを望む多様性なんて要らない。悪いことをする自由なんて要らない。当たり前のことじゃないかしら。
分かりやすい例を挙げたいと思います。
同性を愛するのは決して恥ずべきことでも抑制されるべきことでもない。
けれど、幼児を愛するのは恥ずべきではないかもしれないが抑制されるべきことです。
(異性間の場合と同じように)お互いの了承がある限り、前者は誰も傷つけない、どころか人間の幸福を追求するものです。
けれど、幼児を性愛の対象とすることは、許されない。①幼児には大人と同じようには「了承」できない、②幼児の精神的・身体的脆弱さを不当に利用している、③殆どの幼児は性愛を感じないので一方的、④幼児(の心)を傷つける恐れが大きい、といったことがあるからです。
人を傷つける多様性なんて社会は追求していない。
大たっきーさんはこの点よく分かっている筈です。だって一体何度この手のディベートをしたというのか。
それなのに多様性なんていう言葉をこういう時に使うのは非常に狡猾で不誠実だ。大たっきーさんは頭の良い人だから、正直私は尚更憤りを感じますね。
そしてdebateの価値について。んー…、そうよねぇ。debateがオールマイティとは限らない。私はdialogueも大好きですヨ。というかdebateはdialogueの一形態ですよね?
そして、例えばここでの大たっきーさんと私のやりとりは、よりディベート的な緊張感を孕んでいる。明らかに意見を異にしているからこその緊張感です。その緊張感のおかげで、お互いが考えを「曝け出さざるを得ない」。意味のある対話にはこの露出が不可欠です。
多くの人は露出を避けます。日常の会話では極力旗色を鮮明にしないという人が私の知人には圧倒的に多い。けれど(hobbyではなくlife styleとしての)ディベータは、対話を実現するためなら、恥をかくこと、自分の意見を攻撃されることを厭わない。ディベータはより果敢に対話に挑戦する。ディベートは他の対話形態が膠着している時にブレイクスルーを運んでくる可能性が高い。素晴らしくないですか?
私もしょっちゅうしょっちゅう、ディベートが人を優しくしないことに悩みます。輝かしい雄弁家が虫唾が走るほどサディスティックな冷血漢であることが本当に多い。哀しくて哀しくてディベートに絶望しそうになります……が、それでも、私はディベート(果敢に対話すること)から沢山のことを学んだし、これからも学べるように思うのです。
ああー、久々にお会いしてゆっくり「dialogue(対話)」したいわ!!!
どうやらそのようですね。
このコメント、怒られました・・・
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