Friday, November 14, 2008

アナロジー(腐ってると思う・続編)

はあ、やれやれ帰宅です。
学校に忘れ物をしてしまったのがチョンボだけど、ま、仕方ない。

今晩はおでんにしよーっと。
ローガンがくれた韓国焼酎でも燗につけようかな。金曜日だしね☆
大根と蒟蒻、それから卵を買ってこなければ。寒いなぁ。嫌だなぁ。
そしておでんは野菜が少ないので何かもう一品必要か……
何が良いかなぁ……おでんに合う野菜料理って思いつかないなぁ。

ちなみに昨晩は、
- 焼き鮭
- 温野菜のサラダ(ブロッコリー、エリンギ、長ネギ)
- 肉じゃが
でした。

何か地味な和食が続いていますが……冬って鍋とか煮物とか和食系が美味しいんですよね……私の欲望のままのメニューですが……まあ、いっか。たまには系統の違うものに挑戦しようと思って作ったユーリンチーは、味は美味しくて大成功、評判も良かったけど、揚げ物なだけに片づけが大変でした。(片付けは私の担当じゃないけど)

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今日は職場が感謝祭の話題に溢れていました。どうも日本人の先生とネイティブの先生でスケジュールの覚え方が違うみたい。感謝祭と言われて漸く「ああ、そういえばもうすぐ?」とか思う宗教音痴な私としては、一体感謝祭がどういう重要性を持つものなのか日本の行事に置き換えてアナロジーを示してもらえると嬉しいなぁとか思います。

そして今までずっと疑問に思ってたらしきことをとうとうネイティブの先生から訊かれました。「英語の科目の先生ですか?」「日本人ですか?」凄くおそるおそる、「タイプするのが速いんですね」と英語で話しかけるともなしに英語で呟かれ、思わず素で「あ、そうですか?」と英語で返してしまったら、前述の質問が続きました。どうやら「この人英語がわかるのわからないの?」と疑問に思われていたようです。英語で会話しているうちにネイティブの先生達が大集結して話しかけてくれました。授業3分前とかになって結構焦りました(ネイティブの先生達は教室へ向かうのが遅め)。これからはガンガン話しかけられるのかもしれない。とうとう島(講師室のテーブルの群れを私は島と呼んでいる)に取り込まれる日が来たか……

(以下は「タイプするのが速いんですね」と声をかけられる直前までに書いていたものです。)

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アナロジーと言えば、もう6年も前に某コーチが日本をイスラエルに譬えてパレスチナ問題を語ってくれました。あの時は「そんな無理矢理なアナロジーがあっていいのか!?」と正直頭がぶっ飛びましたが、あれが世間の常識だったらどうしよう。真剣な話日本はいつまでもアルカイックスマイルを浮かべて黙ってる場合じゃないとあの時思いました。

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ぶりかえした風邪にやむなく風邪薬を飲んだ昨晩(今日は快調)。トロトロとまどろむ私の横で相方が延々と何やら呟いている。一生懸命意識を向けると、どうやら私に金融政策について説明してくれているらしい。激しく経済音痴な私にとってはありがたいことこの上ないんですが、いかんせんタイミングが悪い。瞼と瞼が離れへんねん。「AGIを救うのに70兆円じゃ足りないとして、その場合アメリカがこうしたら日本はこうなって、そのころヨーロッパは…」とかいう説明が子守唄以外にならない。一生懸命眠気と闘って拙い質問をしたりもしていたのですが、途中で呂律が怪しくなり、そしてオチました(汗)起きてみたら教わったことをかけらも覚えていなかった。(しかし明らかに呂律が怪しい相手にコンコンと説明するほうもどうなんだ)今晩改めて説明してくれって言ったら嫌がられるだろうなぁ……。

しかしディベートの大会を見せてからこのかた夕刊に載っている話題をネタにブレストみたいな議論を毎晩しているように思えるのは気のせいかしら。この前は道州制についてだったし、その前は給付金についてだった。家庭にディベートが持ち込まれまくっている気がする。しかも持ち込んでるのが私じゃない。一体何事?(まさか連れ合いが私よりディベート好きになっちゃったとかいうオチ???)

副産物として、彼はアナロジーに長けてきました。たとえば、突然私にPBRと他社買収の話をしても解らないだろうと踏んだ彼は、先ずアナロジーを駆使して私にPBRの概念を教え、その後他社買収のタイミングとしてどういう条件が良いかを説明する。そんでもってその二つの話をやはりアナロジーを用いて合体。最終的に夕刊に載ってた買収劇がどういうことなのかを解明してくれるわけです。うーん……ドラえもんとのび太な感じ。これまでは夜夕刊を読みながら「これってどういうことー?」と訊くと、何故か朝食の席で魔法のように整理された説明を聞けるという状態だったのが、最近では更に待機時間が短縮され、夕方の質問の答えが夜聞けるように。ドラえもんは日々進化し、のび太は退化する一方です……やばい。

***

そんなわけで私も少しはアナロジーを使えるようになろうかな。

私はアナロジーがあまり得意でありません。これは私が大学時代所属したサークルが理由と事例を出すことに異常なまでの執着を示しており、アナロジーの類が重視されなかったためです。本来割りと好きな筈のアナロジーを探す作業をいつしかしなくなっていた私。数年前くらいから的確なアナロジーは結構パワフルだと再認識したのですが、まだ不得意なままです。

よし、いっちょ頑張るか。
ここからは「腐ってると思う」の続編(ちょっと理性的な説明バージョン)です。

先日の大会についてブチギレた投稿をしてしまった私ですが、この業界に日が浅い人には私が怒る理由がイマイチ伝わらなかったかもしれないと思います。ちなみに同じコミから再び更に長い個人メッセージが届いて、「だからこんなん書いてる間に告知流せばいいのに…」と思った私。内容的にもやっぱしわかってない…残念。でも今日の午後漸くメールが流れた様子で、まあ良かったのかな。どうしてそうしなきゃいけなかったのかわかっていなくても、結果としてできたなら良しとすべきかしら。

いやしかし、通常のび太な私もたまには説明する側に回るべきでは。
よし、頑張ろう。次の授業まで1時間あるし。

多分抜本的な問題は、『誰が大会を所有するのか』という質問への解が、
国際大会と国内大会で食い違っているんだと思うんです。

今回の問題で大会運営者をメーカー、参加者を消費者と位置付けるようなアナロジーが見受けられますが、

私はどちらかというと

◆参加者(より広義にはコミュニティ)を株主、

◆コミを経営陣

と位置付ける方がわかりやすいと思う。

「大会を所有するのは参加者。」

これが国際大会で一般的な考え方です。
なので、参加者を代表する評議会(カウンセル)が全ての決定権を握ります。
コミや審査委員長団ではありません。
より機密性が求められる事柄(未使用論題やブレイクアナウンスメント前のタブなど)は一時的に審査委員長団に預けられますが、カウンセルが彼らを直接/間接に任命し、彼らのカウンセルへの報告義務が設けられています。

タブ情報の所有権もコミュニティ(一般参加者)にあるんですね。
コミや特定の選手、また特定の審査員にはない。
なので、決勝トーナメントに入ってからのバロットは、晒されるんです。
山に残った選手だけでなく一般参加者誰でもが閲覧することができる。
基本的には公開されるべき情報であると考えられているわけです。

で、ブレイクアナウンスメント後に発覚するタブの間違いというのは、
株主総会で配布した業績資料にクリティカルな間違いがあった、という状態。
当然株主様にその旨急ぎご報告(訂正とお詫び)となるわけです。

この時、既に誤情報をもとに何らかのアクションをとってしまっており、そのせいで大きな損失を被った人が出た、と。さて、この人への補償はどうするか、という話になるのが今回のように予選通過できてた筈の人ができていなかったみたいなケース。

そしてですね、こうした個々の補償の内容に関わらず、『正確な情報を公開する』義務が経営陣にはあるんですよね。

たとえば、世界大会でブレイクアナウンスメントに誤りがありました、と。
それが翌日カウンセルをしている最中に判明しました、と。
そうすると誤りを発見したタブ・ディレクターが青い顔して飛び込んでくるわけです。
「すみません、たった今問題が発覚しました!どうすべきかご指示ください!」と。
で、他の議題を議論している最中でもたいていは議長がそれを優先事項と見做してアナウンスします。
たいていの場合、まず正誤両方のタブを印刷して持ってこいってことになります。
で、皆に配布して、確かに間違っているとなると、原因が何だったのか説明が求められる。
コミがそれに「これこれこういう事情で」と詳しく説明してカウンセルの皆が状況認識を共有。
それで、さてどうしようか、とカウンセルが対応を協議します。
つまり補償内容を考えるわけです。
補償内容を決めるのはコミではありません。カウンセルです。
そして補償内容は10分や20分を惜しんで協議されます。
必要があれば被害者がカウンセルで希望を述べることもあります(一度、帰りの飛行機をもう変更してしまっていたというケースに居合わせたことがあります)。どちらにしても最優先事項として全ての議案をストップしてタブミス補填問題を真っ先に解決します。

そしてお詫びと訂正は最初のカウンセルへの通達とほぼ同時で一般参加者にされます。
ここには疑問の余地もありません。カウンセルも別にその点を協議したりしません。

ここで、正しい情報を皆に知らせない、というオプションが協議されたことは私の知る限り一度もありません。カウンセルが対応を協議している間にもホテルのエレベータだとかエントランスのボードだとかに「タブの間違いがありました。申し訳ありません。今後の動きについて評議会から指示が出次第続報を流します」的なチラシが貼られていく。それがない場合(物理的に異なる場所に一般参加者の宿泊施設があるとかホテルが貼らせてくれないとか)には議長が「各国代表は自国の参加者に早急に連絡してください」的なことを言う。勿論予選通過しないと思ってたのに実はするべきだったチームには電話などでより緊急の連絡がされますが、他の参加者にも告知はされます。大会のオーナーである一般参加者には『正確な情報』を手にする権利があるというのが口にするまでもないことだとされているからです。ここで『知らぬが仏』とか言って波風を避けるために訂正と謝罪をしないのは株主にウソの報告書を出したまま知らバックレるみたいなものです。1分1秒でも早く、お詫びと訂正を触れ回ります。

過去に国際大会でこのような問題が起こったことは複数回あります。カウンセルを解散させてしまった後にタブのミスが発覚したこともありますが、これもカウンセルを緊急再招集することで補償内容を決めています。(ちなみに再招集はとても面倒です。コーラムを確保しにくいからです)その場合でも、参加者には間違いがあったことは直ちにアナウンスされます。

なぜか。

一つは、先述のとおり、大会の究極的なオーナーは参加者であるという強い考えがあるからです。これはより理念的なもので、民主主義や企業の株主へのアカウンタビリティーとかを信じたり遵守したりするのと同じようなものです。参加費を払って事業(大会)を成り立たせているのは参加者であるという意識がそこにあります。

もう一つは、より実利的ですが、参加者(選手や審査員)が正確な情報を必要としているからです。

選手であれば、自分がコミュニティのどこらへんのレベルにいるのかを確認する手段としてランキングや点数、対戦した相手のランキングや点数、よく知っているチームの動向から判断する。また、スコア平均と各ラウンドのスコアを見比べて、どの試合の出来が良い/悪いと判断されたのか確認したりする。

今回のような『プチ』国際大会の場合は特に、参加する意義があったかの指標をそこに求める人もいます。たとえば自分より上のランキングに自分の国以外のチームが幾つあったかを確認し、普段対戦できない上手なチームがこれだけいたのなら来た甲斐があったとかなかったとか思うわけです。大学によってはタブ情報を今後資金的な援助を参加者にするかの指標とするところもあります。(ここら辺は現参加者だけでなく将来参加する可能性がある人にも重要になるところです。下記のステークホルダーの話を参照)

審査員であれば、自分の審査したチームの平均スコアを見て、「ああ、あのチームはあの試合が特別出来が良かっただけなのかなぁ」とか、「あれ、私もしかして点数バブリーだった?」とか思う。あとは「へぇー、あのチームより上手なチームがこんなにあったんだぁ」とか確認して自分が設定していた『仮想』大会平均が的確であったかチェックしたり、今後の大会の目安を是正したりする。

タブ情報というのは参加者全員が協力して作り上げた評価インデックスであり、かなり多角的な情報を参加者に与えるものでもあります。皆タブ情報を一種の『鏡』としてディベートコミュニティを見るのであって、適切な自己認識に必要不可欠なものです。(この意味で、「ICU1がブレイクする筈だったのにタブのミスでブレイクしませんでした。」と告知するだけでは不十分で、「○勝○点と表示されるべきだったところが×勝×点と間違ってアナウンスされました。理由はこれこれ~」と報告しなければダメ)

鏡が歪めば自分を正しく認識できないように、タブ情報も誤りがあると正しく自分の位置を確認できません。選手も審査員も、自分達自身が作り上げたタブの結果を正確に知らされる必要があります。

以上のような理念上の理由と実利的な理由の双方から、タブの正確な情報を受け取ることを参加者は当然の権利と考えているわけです、国際大会では。大会によってはタブとバロットを全て印刷して参加者に大会最終日までに配布することを憲章でコミに義務付けている場合もあります。こうした期待に応えることが、コミ(雇われ経営陣)が参加者(株主)にアカウンタブルであること、となります。

最近世間では、「企業は株主にさえアカウンタブルなら良いのか」といった疑問が飛び交い、企業にステークホルダーに対するアカウンタビリティーも求める動きが盛んなようです。これもディベートの大会に当てはまる話で、会場を提供してくれた学校とか、参加予備群とか、スポンサーとか、もろもろの周辺関係者に対するアカウンタビリティーも求められていくことでしょう。しかしシェアホルダーに対するアカウンタビリティー抜きに企業を語れないのと同様に、参加者へのアカウンタビリティーを保つことが大会運営の最もコアな部分です。そしてアカウンタビリティーの最も重要な要素が正確な情報開示にあります。正確な情報なしに判断の下しようがないからです。

さて、国内大会はこのような思想によって運営されていないようです。
どうも各大会のコミがその大会を所有しているかのような感覚を有しているように思われます。
企業でもよく自分達をオーナーと勘違いしてしまっている雇われ経営陣というのが話題になりますが、丁度そんな感じ。もしくはオーナー=経営陣な大会なのかもしれません(どういう場合ありえるかちょっと解らないけど)。とにかく、情報開示を避ける傾向にあります。

例えば、
「誰が論題を書いたのか」
「決勝の審査員はどういう基準で選ばれたのか」
「予選でのジャッジの割り振りは誰がどういう基準で決めたのか」
「参加資格は何で、その理由は何か」

こうした質問全てに生真面目に答えるのが国際大会であり、
これらどれにもほぼ全く答えてくれないのが国内大会です。

こうした点において最大限参加者にコントロールを委ねるのが国際大会であり、
一部のコミが全てコントロールするのが国内大会です。

今回の春日部で開かれた日本大学主催の大会は、感覚が国内大会のそれのままです。だから「当事者と交渉」なんていうトボケた説明が出てきうるんでしょう。当事者と言うなら参加者(株主)全員の方がコミよりもよっぽど当事者であるという意識がないのだろうと思います。

他の国際大会であれば、タブのミスについて当事者やその所属大学がどう言おうが、お詫びと訂正の対象や内容に一切影響しません。補償内容の方は、当事者の希望がカウンセルの決議に影響することもあるかもしれません。しかしタブのミスを隠匿する可能性はどんな場合でも皆無です。ミスを指摘する声を暗に黙らせるなんていうのは論外中の論外です。

国際大会にも悪いところは沢山あります。
国内大会にも良いところが沢山あります。

ただ、

1. 日本大学が『国際大会』を開きたかったのであれば(そして審査員のブレイクや参加費といった表面的な部分においては確かに国際大会的な要素があった)、国際大会の理念も理解するべきだったでしょう

2.こと情報開示とアカウンタビリティーの取り方については、私は断然国際大会の方が好ましいと思います。情報開示なしのFree Debateなんてあり得ないと思うから。

1 comment:

Anonymous said...

とても興味深かったです。
確かに国内大会と国際大会は、参加者側からすると外形上は大差がないかもしれませんが、その目的や重視すべき理念を考えると全然別ものだと思います。
そういう意味で、スズマサさんのアナロジーは言い得て妙な気がしました。

国内大会は自分の場合もそうですが、思いつきで開催することもできますし、コミという少人数の意志決定機関だからこそ色々な試みもしやすいのだと思います。

国際大会は、国内大会よりも公平かつ公正であることに慎重でなければならないので、手続保障の側面が重要になるのだと思います。

このへんの国際感覚はスズマサさん以外の日本人ディベーターにはなかなか持てないと思います。経験の差なのか意識の差なのかはわかりませんが。