Sunday, August 20, 2006

羊の道 第四話

なんか予選の他の論題をどっかにやってしまったようで書けないので,2試合ほどすっとばかして突然PreAustralsの決勝戦について。

決勝のことを書く前に自分自身の選手としての特徴についてもう少し考察しておこう。というのも決勝戦はそれが諸に出た試合になった。

私の弱点は制御系等の甘さである。際どいところで「踏みとどまる」ということができない。フィギュアスケートの荒川静香のオリンピックでのトゥーランドットを思い出してもらいたい。彼女のスケートは傑出した派手な技術を誇るタイプではない。伊藤みどりや安藤美樹のように派手なジャンプで一か八かの勝負をかける選手ではないと思う。しかし隅々までコントロールが行き渡っている。一つ一つの技が控えめながら美しくかつ確実に決まる。例えばイナバウアー。あれは彼女の得意技。どうしてももう少し反りたいとか,もう少し長くやりたい,という欲があるはず。それを上手に制御して安全圏ギリギリの範囲でとどめる。無理な賭けをしない。ジャンプなら3回転を2回転にしても得点に響かないところは2回転に減らす制御をしっかりするタイプだ。結果,精密機械のような精確で繊細,美しく整った演技になる。同じディベート仲間で言うならI大からT大の院に移った斎藤さんはこのタイプの典型例だろうと思う。精確無比で綺麗に整ったスピーチをする。卓越した制御力だ。

私は明らかにこのタイプではない。同じくフィギュアスケートなら,やはりキャンデローロのようなタイプだろうと思う。何をすべきかよりも何をやりたいかが優先してしまう選手なのだ。観客やその場のノリに左右される側面も大きい。真剣勝負の真っ最中にユーモアや茶目っ気を覗かせる。必ずしも技術が低いわけではないが大味で詰めが甘い。ま,つまりはかなりのお調子者なんである。ただし,演出には情熱的なのは確かで,見せ場では後先考えずに一投入魂する。例えばキャンデローロの長野五輪のフリー演技「三銃士」では,配点は大して高くもないだろうが見せ場となったリンクを突っ切るステップのシーンに渾身。配点は恐らく高いであろうその後のジャンプはスタミナ切れになってミスを出した。たかだか8分のスピーチにスタミナの配分を考える必要はないわけだが,時間の配分は明暗を分ける。私はついノリに任せて時間をかけすぎてしまう失敗をかなり頻繁にする。基本的に自制御力が低いのだ。観客を喜ばせたいという欲が先走ってしまう。その代わり大胆さや迫力、パワーがある。荒川型の選手が絶対に出さないような奇抜で派手なクリティカルヒットが出て観客を熱狂させることもある。当たり外れの大きい選手だ。長野五輪のキャンデローロもフリーではスタンディングオベーションを浴び,金銀メダルを差し置いてエキシビションに選ばれながらも、調子を落としていたフリー以外での演技が足を引っ張りメダルの色は銅だった。私はかなりこちらの傾向が強い選手だと自分では思う。十五年も選手生活をしていれば,こうした自分の長所も短所もある程度は冷静に自覚するようになる。必ずしも自分がなりたい選手像と同じとは限らない。落胆する面も愛着もある。

さて,第四試合を終えるとすぐに手短な反省会をして,集会教室に戻る。外は小雨が降っている。戻りながら,ソネレック氏は「スピーカ・オーダについて話そう」と言った。

集会教室として使っている階段教室に戻ると,ソネレック氏はすぐさま切り出した。「セカンドとサードをチェンジするのはどうか」と。これまではファーストをヒメ,セカンドをキティ,サードを私が務めてきた。これには幾つか理由があった。

まず,ファースト。このポジションは文字通りチームの生き死にがかかっている。パーラメンタリー・ディベートと呼ばれるこのスタイルでは,議論の提出、相手チームとの差別化、対立箇所の明確化など何に関してもタイミングが早ければ早いほど評価が高くなる。重要な議論を後回しにするのは禁じ手だ。カードの出し惜しみなどもっての他。だからファーストがチームのスタンスが不明確なスピーチになれば致命傷になることも多い。ファーストに求められるのはスタートダッシュに失敗の少ないステディな選手。勝ちの要素を作ることより負ける原因を作らない確実なスタートをきることが大切だ。先述のスケートの例で言うなら荒川型が望ましい。この点で,私はファーストに向かない。しかも私は立ち上がりが遅い選手なのだ。頭のエンジンがかかるのにかなり時間がかかる。キティもここには向かない。キティは頭の良い選手だが,まだ英語力が追いついていない。スタートダッシュのダッシュ力の要となる喋りのスピードがないのだ。そこのところ,ヒメは申し分のないファーストだった。瞬発力が高く,高速の英語スピーチを予備動作なしで繰り広げる表現力もある。否定側第1になった時に即応するための経験量も充分だ。その代わり分析力や知識量で話を掘り下げるパワーと持久力には欠けるのでサードには向かない。正にスタートダッシュ向きの選手だ。ミスも少ない。先述の荒川とキャンデローロなら少々攻撃的だが荒川のタイプである。

そんなわけでファーストは確信を持ってヒメに任せていたわけだが,セカンドとサードについては今ひとつ私たちの間でも確信が持てなかった。キティにセカンドをしてもらうか,私が前に出るか・・・。キティと私の比較的似ているところは,相手の意見を聞いた後のほうが本領を発揮するところだ。キティも私と同じ瞬発力よりもパワーの選手だ。そしてキティも私も,というか夢チームは全員攻撃型のファイターである。血の気の多い三人娘。違いは,キティがシステマティックに物事を捉える冷静さをもつのに対して,私はかなりスタンドプレーが目立つ直感型だということ。あとは経験が少ない分英語での出力に不慣れなキティと比べて私のほうが多少英語力の難が小さいことだった。三人の中で知識が一番あるのはおそらく私だった。つまるところ頭がクリアに整理されているのはキティだが,経験勝負になる分野(知識量や英語力や勘)は私の方がある。時間や議論陣営の制御のようなバランス感覚があるのはキティで,クリティカルヒットになる議論を本能に任せて出す可能性があるのは私だ。

こうしたスピーカの特性に対して,ポジションにも勿論必要とされる技能の特徴がある。
セカンドというのは攻守両方をバランスよくこなす堅実さが求められる。これに対し,サードは基本的に攻撃専門,ファイター型である。と同時に,ディベートでは攻撃にこそ冷静さが,守りにこそ情熱が必要,という側面もある。奇妙に聞こえるだろうか。

まあとにかく正直キティと私のどちらがどちらを受け持つかは難しい判断だった。ただ,日本のチームの定石としては,セカンドとサードに実力差がある場合にはサードに上手な人間を入れるのが一般的だった。セカンドで空いた穴をサードがリカバーに入って埋めるという戦略だ。そんなわけで出力系の弱いセカンドをキティに,サードを私にしていたのである。

しかしソネレック氏もピエトロパウリ氏も,4試合実際に見てみた結果キティと私を交代させる案を推していた。二人が言うには,「サードでリカバーに入るのでは遅すぎる」ということだった。確かに,先述のとおりパーラメンタリー・ディベートの場合,立ち上がりが遅いチームや対応が遅いチームは評価が極端に低くなる。キティのスピーチが英語力の壁で伝わらなかった場合,同じことを私がサードで言っても審査員は「初めて聞いた」と思ってしまう可能性がある。それに加えて知識面で利があるのが私だったために議論の要になるような具体例や理由付けが私のスピーチで入ることが一再でなかった。これは審査員には「サードでは遅すぎる。もっと早く」と言われ続けた。ソネレック氏もピエトロパウリ氏も「サードは僅差の試合のマージンを大きく広げる事はできる。けれど死に掛けたチームを救う逆転はできない。」と力説した。私たちのチームは競争で常に優位に立てるような恵まれたチームではない。サードで挽回を図るわけにはいかない,と。

しかし私には二つ不安があった。一つは,エンジンのかかりが遅い私がセカンドに繰り上がってもサードの時と同じパワー(分析力)を保てるかということ。これはソネレック氏に後でホームランを沢山出すよりは数少なくてもヒットを早く打った方が良い,というような意味のことを言われた。もう一つは,攻守のバランス,特に4分のタイミングで精確に攻撃から守りに転じられるかどうかだった。何しろ制御系が弱い選手なのだ。しかしこれはジョージョー達が4分の切り替えポイントでサインを出してくれるということになった。ソネレック氏が更に言う。彼はこういう助言をする時は常に控えめな表現をする。自分の考えを押し付けず,選手達本人に選択させる大切さを知っているのだ。しかし内容は私には決定打だった。「masako個人のパフォーマンスはサードの方が良いかもしれない。しかしチームは君がセカンドをした方が機能するだろう」。私も集団競技の選手をしてきた端くれ。この言葉の意味する事はわかる。集団競技では個人よりもチーム優先。何より,チーム優先という姿勢を貫くことによる信頼感・結束力は不可欠だ。そしてその信頼感や結束力は水ものなのだ。一緒に練習を長く重ねてきた間柄でも(だからこそ,か)ほんの些細なことでこの信頼が崩れ去る時もある。だから私は負けた試合での仲間のスピーチには絶対にコメントしない主義だし,だからこそ全身全霊で「私はこのチームが好きだ」という態度でい続けることが大切だと思っている。ヒメもキティもこういったチーム・メートへのマナーがずば抜けて良い。戦略的な意味を抜いても私は本心からこのチームが大好きだった。この言葉を聞いてしまったからには絶対にノーと言うわけにはいかない。もともとキティも私も自分たちのポジションに関しては迷いがあったわけだし,コーチたちの判断力への厚い信頼もあった。助言を素直に聞くことにした。

そんなわけで,急遽,決勝戦の大舞台(?)を前にポジション変更。ドキドキしながら決勝を迎えた。

さて,決勝戦。

対戦相手はインドネシア大。予想通りだ。語学上の問題なんて殆どないチームだし,インドネシアでは多国籍企業のコミュニケーション・トレーナさえ務める実力揃い。そうやって企業に自分たちの能力を売ることで大会費用を稼いでいるというのだから頼もしい限りだ。相手にとって不足はない。

両チームから代表が一人ずつ出てサイドをコイントスで決める。私はこの手のことが大の苦手で,絶対に自分は行かない。夢チームでこの手のことで前に出て行くのはヒメ,と暗黙の了解で決まっている。今回もヒメが前に出る。サイドは我々が肯定側になった。ヒメは恐らくこの時内心「ゲッ」と思っただろう。しかし立派立派。顔には出さず不敵な笑みさえ浮かべて戻ってきた。気合充分。

論題発表。
a) Foreign companies should not comply with Chinese censorship laws.
b) Nations should uses quotas to protect culture
c) American should pay reparations for the Vietnam War

和訳するなら,上から
a) 外国籍企業は中国の検閲法に従うべきではない
b) 国家は文化保護のために割り当て制を利用すべきである
c) 米国はベトナム戦争の賠償を払うべし

インドネシア側の意向と夢チームの希望順位をつき合わせた結果,使用論題はb)となった。

準備時間が始まって割り当てられた教室に向かう。まだ歩いている内から「韓国の映画産業の話にしたいか」とソネレック氏からご下問があった。(韓国は、各映画館が一年間365日の内最低140日は国内映画を上映しなければならないという『上映日数割り当て制(Screen Quota)』を採用してきた。フランスにも似た制度がある。しかしFTA交渉で大きな障害となった。)私の返事は「why not?」(にやり)。既に好戦モードである。知識的に圧倒できる自信があるし、極東に関して無知な観客達を教育する絶好の機会だし、何より自地域の話題なら自虐的な冗談も出しやすい。観客が多くなるとエンターテイメント性を追求し始めてしまうのが私の良いところであり悪いところ。この試合は多少エンターテイメント性を上げたい,と思っていた。EFLでもユーモアに溢れた試合ができるということを証明したかったのだと思う。極東事情を観客に教え,極東の選手も自地域のネタなら圧倒的な情報量を誇ることを見せつけ,そして更に笑わしてやる。一粒で何度も美味しい試合にしようと目論んだわけだ。

そんなわけでケースは「米韓FTA交渉の結果,これまで年間140日だった国内映画への割り当てを韓国は今月から70日に減らす方向だ。我々はそれに反対する。140日大いに結構。韓国の映画産業は保護貿易のままで行け。妥協の必要一切なし」というものにした。最初は「現在決定済みの70日を下限にそれ以上は譲歩しない」というケースで考えていたが,「What a bother. Let’s go harder」というソネレック氏の思い切りの良さにより「保護貿易大いに結構。喧嘩上等」のケースになった。正しい判断だったと思う。現状の政策の推移を考えれば勿論70日下限案の方が現実的である。しかしそれでは議論の対立軸がぼやけてしまう。肯定側は保護貿易をしたいのか市場を開放してアメリカと上手くやりたいのか何なのだ,ということになってしまう。立場がどっちつかず,中途半端になる。有意義な議論をするために現実味を多少犠牲にしても主義主張のキッパリした提案をすることは大切である。最近の日本の大会の決勝はやたらと現実味ばかり重視して臆病でスカなセッティングをする肯定側が多い。相手チームとの立場の差別化がされないディベートはもはやディベートではない。それは明らかな誤りである。お勉強は大切だし,現実の政策を知っている事も重要だが,学習発表会じゃあるまいしお勉強した内容をそのまま吐き出せば良いというものではない。頭つかわな。

さて、いざ議論の準備に入る。独自の文化を保存するなんていうのは素直な議論だが安直すぎる。正直それだけで試合の後半に生き残れるとは思えない。何か捻りを加えないと・・・。と思っていたところでソネレック氏が「King and the Crownって作品知ってるか」と言う。「知らん」と答えたところ「ブロークバック・マウンテンの韓国版みたいなヤツで…」と言われてわかった。邦題が違ったのでKing and the Crownと言われても何のことかわからなかったのだ。「ああ,凄い美少年が二人の男と恋に落ちる話でしょう」と言うと「それそれ!」と。「なんでも韓国ではゲイってタブーなんでしょ。ああいう社会的に重要な作品が韓国人監督,韓国人俳優によって作られることは韓国人にとってゲイの問題が身近に感じられて良いと思うんだ。白人の男がカウボーイ姿で演じても他人事にしか見えないけど,自分と同じ外見の人間が自分の母語でゲイを演じてれば,見てる人間にとってずっとナマナマしいじゃないか。その方がawarenessの向上にずっと効果があるよ」と。なるほどね。そういえば「韓国ではゲイがタブー」云々というこの映画の解説は確か行きのカンタス航空の機内エンタメ雑誌で読んだぞ。さてはソネレック氏も機上であれを読んだな。正直「韓国ではゲイはタブー」というのはどの程度本当なのか疑わしく感じた。西側のメディアはすぐ「東洋は民主主義の皮は被っていても社会の成熟度はまだまだ自分達より低い」と思いたがる。まあ準備時間の真っ最中に「西洋メディアのオリエンタリズム」を語って仲間割れしてる場合ではないので目を瞑った。

しかしこのソネレック氏の「社会的に重要な作品」という発想が引き金になって,私も色々な韓国映画を思い出した。「President’s Last Bang」はパク・チョンヒ大統領の暗殺事件を題材にした作品だし、「Brotherhood」は朝鮮戦争についてだし、「シルミド」は金日成暗殺計画についてだし、「送還日記」は北朝鮮のスパイが韓国から本国へ送還されるドキュメンタリーだし、「38度線」は非武装地帯についてだし・・・と出てくるわ出てくるわ。「良いね,良いね」と喜んでいたソネレック氏。更に「じゃあさ、そうやって日本のような外国に韓国を理解させる上でも良いって話をしようよ。極東地域の相互理解と安定の話。昔朝鮮人を見下していた日本の大衆もそうした文化的な交流を通じて朝鮮人にリスペクトを示すようになったとか。」と提案してきた。そんなわけでヒメが韓国自身にとっての文化的・社会的意義について話し、私が国際的な話しに広げるという分担になった。

この試合の準備時間の主導権はいつもと逆転、私が事実関係を喋り,ソネレック氏がそれをまとめて議論の骨格を整える係りに。質問するソネレック氏に私が答える形になった。ちょっとくすぐったい感じだったたけど,おそらく私自身は凄く生き生きとした顔をしていたろうと思う。そういうところを見てもらえたのは良いことかな。いつもソネレック氏の垂れ流す情報を必死にメモるという一方的な関係は如何なものか。極東の選手も、極東の話を出してくれれば知識面でコーチをも凌げるということを見てもらったわけだからこのプチ下克上は良い事だったと思う。

ここまで準備したところでニヤリと笑うソネレック氏。「知識で圧倒してるって印象を与えるために韓国人俳優の名前も二三個散りばめてやれ。」と。「越後屋,お主も悪よのう・・・」とか言いそうな悪代官系の表情だ。「原宿にいっぱい飾ってあったメガネかけた韓国人男優の名前なんて言ったっけ?」と尋ねるソネレック氏に夢チームハモって叫ぶ。「ぺ・ヨンジュン!」

この試合,実は準備時間の時点から思っていたのだけど,ヒメと私が分担している議論は実は同じもの、良くて紙一重の差。芸術的・文化・社会的な側面を押し出したのがヒメの議論であり、政治・外交的な意味を押し出すのが私の議論。しかし発生過程はほぼ同じ。これをどう異なる議論に演出するのかが私の課題になった。幸い,具体例を使い分けることである程度のすみわけができた。あとは表現を多少変えればいいだけ。(これ,英語がもっと下手だった頃は本当辛かったけど,最近少しましになってきたかな。英語が母語の選手はこういうのが最初からできるんだからズルイよな・・・。)しかしそれさえできてしまえば,ディフェンドしなければならないフィールドは半分なのに評価はちゃんと二人分という費用対効果の高い展開になる。相手が散らし型の陣営を取ってきた時に一気に優位に持ち込める。多くのまともな議論が出された場合には対応する時間をディフェンドにかける時間を短縮することで稼げる。多くのくだらない議論が出された場合には,軽くいなすだけに留め,自分たちの議論の要一つ一つをかなりの時間を割いて補強できる。もちろんそれは,共通した発生過程の何処かにクリティカルな攻撃を受けたら二人分の議論を一度に失うことにもなる。ディフェンドは数少ない要所を確実に守り抜かなければならない。

この試合でその要所となる議論は何になるのか・・・そんなことに頭を悩ませている内に制限時間いっぱい。会場に移動した。入ると大きな歓声を上げて歓迎してくれる観戦者たち。なんだかやけに好意的なお客さんたちだ。しかもなんか思ったより人数が多いぞ。ほぼ満席に近い。平和チームも私たちの丁度真後ろぐらいに座っている。頭の中がいっぱいいっぱいで手も触れないけど応援してくれている感じがして嬉しい。

重要なのは,中央最前列に陣取っている韓国チームの3人。おおう。これは彼らに満足してもらえるスピーチになるよう頑張らねば。正直この瞬間に私にとってのジャッジは正規の審査員ではなくこの韓国の3人になった。私は誠実なディベータでありたい。この韓国の3人が「良くぞ言ってくれた。自分たちの想いが代弁されて嬉しかった」と言ってくれるようなスピーチをしたい,そう思った。声なき弱者に声を与える。彼らのマイクロフォンになる。それができるディベータになりたい。そういつも思っている。

ソネレック氏は私の前にしゃがむと,真剣な顔を寄せて「割り当て制が製作者のリスクを軽減してるっていう話が鍵だ。そこは忘れずにきっちり話せ」と低く指示した。私がよしわかったと大きく頷くのを見ると観客席へ下がっていった。

試合開始。ヒメの第1スピーチは,なかなか良い滑り出し。「お,いいね,いいね」と思う。この人は本当にセッティングのスピーチが上手い。これだけ喋りだしのマナーが良い選手は日本では稀有だ。喋り出しこそが勝負にもかかわらず,どうしても舌が回らずにどもってしまう選手が多い。ヒメにはその難しさを乗り越えるだけの英語力,そして何より精神的な強さがある。是非磨きをかけて貰いたいと思う。問題はスピーチの後半で,どうしてもプロセスを飛ばしたり分析が浅くなってしまう傾向がある。とはいえ,第1スピーチというのはそういうものでもある。一番準備時間が短いのだから仕方ないと言える。しかし流石ヒメ。大きなミスはやはりない。ヒメのスピーチを聞きながらキティがメモを回してくれる。「第2スピーチでは,割り当て制のおかげで韓国の映画業界が盛んだ,というイニシャルリンクをもっとしっかり説明しろ」と書いてある。なるほど。ガッテンガッテン。こういうバランス感覚の良さはキティの強みだ。いつも全体像を見て何処が欠けているかをチェックしている。ヒメが観客の拍手と共に戻ってくる。私はヒメに大きく一回頷いて見せた。

対する否定側インドネシアの第1スピーチが始まる。流石に表現力が豊かだ。しかし可哀想なほど知識不足。何だか支離滅裂なことを言っている。「韓国の文化を保護する事は,朝鮮民族だけを特別扱いすることで,国内のマイノリティ民族をかえって抑圧する結果になる」とか。韓国って朝鮮民族以外の民族が「マイノリティ民族」と呼べるような規模でいたっけ???(沢山の自治州や独立問題を抱えるインドネシアらしい発想ではある)似たような苦し紛れの細かく散らした議論が続いたあとは普通の自由貿易ディベート。消費者の選択権の話だ。観客が見たくない国内映画を無理やり押し付けるのは間違っている,良い物はそんな人工的な保護を施さなくても市場原理で生き残るものだという議論だ。韓国映画業界に限定的な部分ではヒメの議論が明確に上回っているので,この一般的で理論的な議論は五分に引き分けても試合はおそらく勝てる。しかし五分以下では夢チームが負けてしまう。一般的な理論・理念の議論は日本人審査員が思うよりもずっと国際大会では重視されている。だからまず自由貿易対保護貿易のどちらが消費者の選択を広げるか,にしっかり理論的な反論をし、残りのくだらない数勝負の議論は短い反駁でいなせばよい。余った時間で「保護貿易が国内産業を守る」という自軍の議論の要部分を韓国映画産業に特化させた具体的な形で集中補強。これで当初の目論見どおりディフェンド・フィールドの重複を利用した効果的な守りを発揮できる。計算どおり。あとはその通りにアウトプットできるかである。私らしいパワーを保ったままで,ある程度制御力も上げたい。

そんなわけで以下が私のスピーチの概要である。
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いやあ,否定側にはホント申し訳ないです。我々が韓国事情に詳しすぎて。知りすぎてて悪いですねぇ。(ここで観客少し笑う)
けど韓国人じゃないよそ者として思うんですけれど,韓国の映画を通した自己表現は,韓国人にとっても世界中の人間にとっても大切でしょう。(韓国チーム軽くうなずく)
これには文化的な側面と国際関係の側面とあるわけですけど,まず文化的な側面について反駁した後で私自身の論点である国際関係について述べたいと思います。

まず文化的な側面。
なんで韓国映画を守ること,そして割り当て制が韓国人にとって大切かです。

否定側は最近の韓国映画が盛り上がっているのは本当に割り当て制のおかげなのかと懐疑的でした。しかし韓国映画は割り当て制があるからこそ,今のような発展を見せているのです。これには4段階あります。
1.割り当て制によって俳優や監督など映画関係者の食い扶持が直接的に保証されています。(ここでなぜか左側のメルボルン大の観客達が一斉に大きく頷く)
2.より多くの韓国映画が発表の機会を得ています。映画館は140日間の枠を埋めるために沢山の韓国映画を発掘しなければなりません。熱心に良い作品を探したり,良さそうな企画に投資したりすることになります。
3.韓国映画の収益率が保証されています。とりあえず140日はハコがあるのです。
4.製作者のリスクを下げています。社会的な問題作やドキュメンタリー作品のようなものは収益が見込めるか,赤字になるかという判断をする上ではリスクの高い作品です。製作に踏み切るためのリスクは,割り当て製によって大きく軽減されています。より多くの社会的価値を持つ作品が世に出ることになります。(ここで観客席のソネレック氏,よし,とばかりに親指を立てて見せる)

こうした韓国映画業界が割り当て制から得ている利益は,ソウル市街で割り当て引き下げに反対するデモを行っている監督や俳優がいかに多いかを見れば明白です。韓国映画の成功は割り当て制の賜物なのです。

これに対し否定側は,二つの理由から韓国映画は大切ではないと述べました。

一点目は,インターネットの普及により,Web上で文化について学べるようになったから,というものでした。しかし一体何人の人が,何時間もかけてWeb上に公開された研究成果を読むでしょう。映画は,誰にでも楽しめます。映画は最もエンターテーメント性に富み,手軽で短い時間で済み,そして社会的評価の高い文化表現です。(観客の多くが頷く。ソネレック氏はやけに烈しく頷く。コーチ,応援ありがとう)

二点目は,国際化する現代において民族の独自性は時代遅れで,かえって韓国の国際化を妨げるものだというものでした。しかし韓国の皆さんは「フレンズ」を見たことがありませんか?(ここは観客も韓国チームも微妙な反応)別に割り当て制があったって,韓国人はハリウッド映画へのアクセスはふんだんに持っています。アクセスを保証されるべきなのは自国映画の方です。しかも,韓国は殆ど単一民族国家です。朝鮮文化を保護したところで抑圧される少数民族なんて特にいません。(ここで韓国チームと観客そうだそうだと頷く)

ですから,韓国映画の保護は韓国にとって必要なことなのです。

否定側は更に,割り当て制は観客の選択肢を狭め,面白くもない国内映画を押し付けるものだと言いました。しかし,それは誤りです。ハリウッド映画を観たい人は観に行けば良いんです。その選択肢は奪われていません。逆に割り当て制こそが選択肢を増やしているのです。(ここでヒメがそうだそうだと掛け声を入れる。ソネレック氏頷く)韓国映画産業が潰れてしまってから幾ら自国の映画が見たいと言ったところでそれを選択することはできないではないですか。割り当て制は観客の自由な選択を広げこそすれ狭めてなどいません。

それでは反論はここまでにして,私自身の論点「国際社会にとっての利益」に話を移したいと思います。

皆さんご存知の通り,私たちの地域,極東は安定した状態ではありません。沢山の域内摩擦を抱えています。沢山の誤解とミスコミュニケーションに苦しんでいます。(観客頷く)極東の国同士,相互理解が必要です。お互いについて学び合うことが求められています。

そのために映画は理想的な助けとなります。

例えば「President’s Last Bang」はパク・チョンヒ韓国初代大統領の暗殺を題材にしたものです。もしこの作品を見なかったら,私はパク・チョンヒについて調べてみようなどと思わなかったでしょう。

「Brotherhood」は朝鮮戦争についてのものです。日本の一般市民にとってこうした映画を見ずに民族分断の悲哀や直面する問題(ここで韓国チーム頷く)を理解することがどれだけ可能でしょうか。

ドキュメンタリーにも素晴らしいものが沢山あります。「送還日記」は韓国で数ヶ月を過ごした北朝鮮人と地元韓国人たちの心の交流を追ったものです。こうした作品を見ることで,私たちはいかに,朝鮮半島の人びとが複雑で微妙な心情とアイデンティティとを抱いているのか(ここで韓国チーム激しく頷く)学ぶのです。

もちろん韓国について薀蓄を書いている日本の学者だって山ほどいます。けれど彼らは決定的に韓国を誤解して伝える。彼らは韓国人ではないのです。私たちが誠実であろうとするなら韓国人の生の声を聞いて韓国を知るべきです。韓国人自身の韓国観を学ぶべきなのです。(韓国チーム再び激しく頷く)映画はそのために最高の手段になります。

大体,そもそも,ハリウッド映画ばかりの映画館なんて退屈な限りです。しかもそれは退屈なだけではない。国際社会をおびやかすものです。何故でしょう。

皆さんがアクション映画を見に行けば,そこにはお決まりの登場人物によるお決まりのストーリーが待っています。そこには善玉と悪役がいて、正義はいつも勝ちます。マッチョな男が悪者の手から美しい女を助ける,それに尽きるのです。そしてヒーローはきまって白人男性です。ヒロインはブロンドの美女。そして悪役はいつもミステリアス,エキゾチック,そして(少し声音を変えて)「オリエンタル」(ここで観客なぜかやたらとウケる)例えばバットマン最新作の悪役は渡辺謙でした。

これはステレオタイプを助長するものです。たまにはアジア人が善玉だって良い筈です。私たちは,ヒーローとしての韓国人を見たい!(ひときわ大きく吼える私に韓国チーム「そうだそうだ」と歓声) ですから,皆さんのご賛同を乞うのです。(観客の拍手と共に退場)


どうですかね・・・?そんなに悪くないと思うのですが・・・

一番の問題は,反論部分に5分もかかってしまい,立論部分が3分ほどになってしまったことです。制御系の弱い選手なだけに特に観客のノリが良い時はタイム・マネージメントに難が出ます。とはいえ,試合の展開的には返すべき議論は返し,守るべき議論は守ったはず。

席に戻った私にヒメは小さく頷いて寄越し,キティは自分のスピーチの準備を真剣な表情で進めていました。

さて,自分のスピーチは終った私。まだスピーチの残る他の二人のサポートがこの後の私の役目。否定側第二スピーチをしっかり聞いて,大事な議論やその反論を的確にチームメイトに伝達しなければ。

インドネシア側の第二スピーチは,メラニーという痛烈に面白いユーモアに溢れた選手が担当している。しかし彼女もこの試合は歯切れが悪い。知識面での差に焦っているのだろう。masakoみたいな日本人が観ているからといって韓国人が見たがっているとは限らない,とか,日本でそんなに人気があるなら割り当て制がなくても日本のマーケットで稼げるから平気だとか,真っ芯をつかない反論が続いた。ヒメと私は反論を書いてキティにメモを回し続ける。合間に馬鹿げていると思う議論に対してはshame!と言ってみたりもする。

さてキティのスピーチ。キティはよく状況を把握しているので,私が反論に時間を使いすぎて立論で端折らざるを得なくなったようなところを上手く入れ込んで話を進めていく。例えば日本と韓国の関係改善にどうつながるのかといったようなところは私が説明しそこなったところだ。そうした穴を着実に埋めていくスピーチだった。キティは確かに英語でのアウトプットはまだ辛そうに見える。しかしインプット,リスニングはとてもよくできる子だ。だからこそこうした状況把握をきちんとできるのだろう。しかし内容のシャープさに不似合いに観客の反応は少ない。これはひたすらに,観客にとってキティの英語を聞き取るのが大変だからだと思う。必死に耳を澄ませないとわからないから,拍手したり歓声をあげたりしている余裕が観客にもおそらくないのだ。その分,ヒメと私が反応した。良い議論だ,と思ったところは「Here, here」と合いの手を打つ。あまり回数が多いと逆効果なので多少抑え目に,しかし数回する。こうすると審査員が聞く気力を失いそうな時に頑張って聞き取らなければという気持ちを起こさせる。よく聞いてくれれば良い内容を喋っているんだぞ,というプレッシャーを与えたかったわけだ。どの位効果があったのかはわからないが,しないよりは良かったのではないかと思っている。誰よりも最初に自分自身の仕事は終えてしまうセカンド担当の私的にはそういうところに自分の存在価値を細々と見出したかったのかもしれない(笑)申し訳ない気持ちを軽くするというか・・・。

相手側のサードは混乱しているのかまとまりがなく地味な印象。リプライ(最終答弁)は対照的にかなり強引なまとめに入った。こちら側はヒメが最終答弁。相手のスピーチ中も一生懸命準備している。ヒメは話をまとめるのは得意だ。何回も話をノートに整理しなおしていき,仕上げにマーカで重要なところを確認していく。キティがメモを回す。「日本と韓国の関係の話さえ残ればうちが勝てる」。ヒメは小さく頷きながらまたもマーカを引く。私は,集客力のある良質の韓国映画は割り当て制がなくても生き残るという話と消費者の選択権の話が絡まりあって相手の持ち札となっているのが一番気になった。そう伝えるとヒメは手短にそこをどう整理するつもりなのか説明してくれた。私は両手の親指をグッと突き立てた。申し分ない整理だと思った。ヒメが大きくよしと頷く。

ヒメのリプライもとても良い出来だった。私が気にしていた部分は真っ先に華麗な整理をしてみせる。「否定側は集客力のある良質な作品が突然降って沸いたように単独で生まれると思っているようです。肯定側は違います。ある程度量が保ててこそ,その中から良質なものが生まれます。」と。質を確保するためには量が必要という簡単な理由付けで一蹴する。更にインパクトの説明ではキティの言ったとおりに日韓関係を強調する。「もともとは韓国を対等に見てこなかった日本ですが,韓流ブームのおかげで随分朝鮮文化への認知度が上がりました。相手の歴史や文化を尊重できるようになったのです」安定感のあるスピーチだった。

試合終了と同時に大きな拍手を貰った。審査員が判定を出す間,両チームとそのコーチ達は外に出された。廊下に出た私たちはすぐにソネレック氏に駆け寄る。すぐさま感想を聞きたい。ソネレック氏もドアが閉まったのを見届けてすぐに「I thought・・・」と切り出した。しかしその声はとすぐ横で同じく自チームに感想を話そうとしていたインドネシアチームのコーチ,ディロン氏のものと綺麗にハモっていた。バツの悪い顔をしてお互い距離をとる両チーム。ハハハ,と妙な笑い声まで上げる。話の内容が聞こえない程度に離れたところで両チームとも凄い勢いで話し始める。ソネレック氏は「良かったと思うよ。うちが勝ったと思うよ」と抑えたトーンで言う。私は「反論に5分も使っちゃった!」と試合中は見せることのできなかったテンパった姿を今更ながら見せる。「うん。そうね。確かに反論に使いすぎた。4分の合図をする計画はどうなったの?君達masakoを上手く誘導しなきゃダメだよ」とソネレック氏。「けど話の内容は良かった。君らが勝っただろうと思うよ。」とのことだった。正直言えば,夢チーム自身も「勝ったな」と思っていた。「交代したポジションはどうだった?」と訊いてみると,ソネレック氏は「想定どおり,こっちの方が良かったと思うよ」とのことだったので,このまま本大会も固定することにした。

部屋に戻るよう言われた。会場に戻る。ドキドキする。で,結果は夢チームの勝ちだった。やったやった。国際プレトーナメント,日本初優勝だ!ばんじゃーい。チームメイトを抱擁した後,後ろのソネレック氏を振り向いて笑顔を送る。親指をグッと突き立てて返してくれる。貰ったトロフィーは結構大きかった。その後個人賞の発表。最優秀賞のみ用意していたのだが二人が同点一位だったという。あはは。トロフィー分けようがないな,と笑ってしまった。で,発表された最優秀個人賞受賞者はインドネシアのメラニーと私自身だった。優勝しただけでなくベストディベータ賞まで貰えるとはつくづくラッキーだ。私たちは優勝カップを貰ったから,個人賞のトロフィーはメラニーに譲ることにした。大満足の夢チームはコーチも交えてトロフィーを掲げた写真を撮った。

観客の何人かが近寄ってきて観想を言ってくれる。ユーモラスで面白かったと言ってくれた人が結構いたのは嬉しかった。「なんかウケルと思ってなかったところでも結構笑いが起こっててちょっとビックリしたよね」と私たちも笑った。長身の見覚えのない男性が,私に歩み寄ると「君のスピーチはとても力強かった」と言ってくれた。ピエトロパウリ氏が「うん。落ち着いてできてたわよ」と言ってくれる。私はくしゃっと笑い「えええ.私自身はもう胃がひっくり返るような動揺を感じてるんだけど,スピーチ中は」と正直に言ってしまった。件の男性は「そんな風には全然見えない。力強くて人の心を掴むスピーチだった」と言ってくれた。凄く嬉しかった。

1 comment:

go said...

うおおおお。こんな長い投稿を読んでくださった方がいるのね!!!大感激です。ありがとう,riekoさん!!!お母様にもよろしく☆

割り当て制の試合は,韓国の3人が割りと満足してくれたようだったので胸を撫で下ろしました。でも細かいミスが。パクチョンヒは初代大統領じゃないんだって!やれやれまだまだ勉強が足りません;頑張ります。