Tuesday, October 10, 2006

[Music] 精霊流し SHORO-NAGASHI

しばらくオカタイ話題が続きましたので・・・って今日もちょっと重めなんですけど・・・
一体どうしちゃったの,私(笑)

先日安楽死のディベートをして思い出した曲…は、いずれもさだまさしの歌。おじいちゃん・おばあちゃんについてさだまさし以上の詩を書く人を私は知りません。恋愛の歌は全然駄目だと思う(ごめんなさい)けど、老いや死別を描かせたら右に出る者がいないって感じ。でも基本的に詩が良いのであって、音楽性はイマイチ・・・。でも詩はやっぱり凄いと思います。うーん,でも詩もちょっと直接的過ぎるのがねぇ・・・なんか恥ずかしいですよね・・・

若い私(20代のオンナノコですヨ!)が、クサくて恥ずかしい感じのする彼の歌を、初めて「凄い」と思ったのは、「精霊流し」(このパソコン「しょうろう」が変換できないよ・・・。「せいれい」って入れないと駄目なんだ・・・。嘆かわしいな・・・)。歌詞の、「私の小さな弟が 何にも知らずに はしゃぎ廻って」っていうところに、凄さを感じました。精霊流しだけでなく葬儀の時も、子供たちは普段会えない従兄弟や親戚の他の子供たちと会ってはしゃいだりしますよね。自分の両親や他の大人が,静かで深い悲しみとそれでいて妙に実務的にならざるを得ないやるせなさを味わっていることに気づかない,残酷な無邪気さ。小さな子供には、その場に合わせて神妙な顔で座っているような世間ずれしたところもない。あれ、凄く独特な気持ちを生みませんか?腹が立つというのとも,悲しいというのとも違う・・・なんていうか・・・時間が流れてるんだなって。誰かが老いて去っていく悲しみと、その誰かが愛した子供たちが元気に育っていく希望と。一緒くたになって何ともいえない孤独というか、せつなさというか、喪失感というか、無常というか・・・それでいて愛しいというか嬉しいというか・・・。うん。あの気持ちを言葉にできたこの歌は凄いと思いました。

あとね、「おもひで泥棒」っていう歌も子供にする寝物語みたいで良いです。ファンタジー系。おばあちゃんがボケていく姿を、すごく美しい嘘で子供に説明するの。家族がボケるのって凄く寂しいと思うんですよね。相手が生きているだけに喪失感もひとしお。で、それを「おばあちゃんは、思い出とひきかえに幸せの回数券を貰う約束を神様としてるんだよー。その回数券は自分には使えなくて子供や孫のためなんだ。おばあちゃんは君が大好きだからちょこっと思い出を君のために忘れてるんだよ」って説明する。これはねー・・・、痴呆をそういう風に説明するのって凄い優しさだなって思いました。またおじいちゃん・おばあちゃんって本当にそういうことしそうじゃないですか?もし本当に自分の思い出と引き換えに子供や孫を幸せにできる取引が可能だったら、子供や孫のためにせっせせっせと幸せ貯金しそうな気がしませんか?ほら、孫を受け取り人にした生命保険とか入るおじいちゃん・おばあちゃんっているじゃないですか。少ない年金収入から毎月せっせと保険料払って。そういうこと本当にしそうでしょう?家族の痴呆って、本当はもっとずっと苛立たしくて醜くて見苦しくて尊厳に欠けて、やるせないものだと思います。大人にとっては。本当辛いですよね。精神的な疲労もどんどんたまる。そこを子供には敢えてこういう綺麗な嘘(ホワイト・ライっていうの?)で塗り固めてみせる。子供にはおばあちゃんを好きでいて欲しいから。そういうのって辛いけど正しい気がします。そして嘘なんだけど、ひとかけらの真実がこもってる。うん、こういう詩を書ける人は他に知らないですねー。

そして「戦友会」。これも凄い歌だと思いました。「戦争を知らない子供たち」から見たら「可哀想」で「哀れ」な時代の生き残りでも,それでもそれの青春があった,と歌う部分では自分の祖父母の古い写真とかがふぁーーーーって目に映りました。「あいつの分も,あいつの分もと,生きる気持ちはわかるまい」っていう歌詞も,ちょっと他界した祖父の姿を思い出しました。祖父の場合は弟をフィリピンで亡くしたということで,私には大叔父にあたる方のお墓の前でながーーーく頭を垂れていた姿を思い出します。あの日は行きも帰りもいつになく口数が少ない祖父でした。祖父は孫を得たことを大変に喜び,可愛がってくれましたが,同時に自分が戦地に出ず生き残りながら,年若い弟には結婚もさせないまま戦死させてしまったと,長兄として随分自責していたようでした。あの日の祖父の目は,私を見るときでさえ憂いと後ろめたさを秘めていました。あの世代の人は,棺桶までそういう気持ちを持って逝くんだな,とそういえばあの時思ったなと思い出しました。ただ,歌の,守るために戦ったんだと言わせてやれ,っていう節は,やっぱり私には分からない・・・もとい,分かってはいけないという気持ちが残りました。まあ,私の祖父の場合は最後まで戦場に出ずに終戦を迎えたということでしたので,生き残ってしまったという罪悪感が先にたったかもしれませんけれども。私はまだ幼くて,4人の祖父母の誰からも満足に話を聞きだす前に送ってしまいました。今なら聞きたいことが山ほどある。綺麗ごとじゃなくて本音で,どう感じていたのかありのままを,大人になってから聞きたかったと何度も思いました。この「戦友会」っていう歌は,やっぱり私たちの世代ではなくて,両親の世代の歌ですね。私たちよりはずっと,戦前生まれの人たちの話を聞いてる。でも小さな子供だった私が思ったことをちゃんと思い出させたりもするんだから,やっぱり凄いな,って思いました。

精霊流しの子供のように,葬儀の意味もあやふやだった頃両方の祖母を亡くしました。人を亡くす意味がおぼろげに分かった頃,祖父を亡くしました。漸く亡くした後の後悔まで分かるようになった時には見送る相手がいなくなりました。孝行したい時に親はなし,とはよく言ったもので,せめて両親には長生きして貰って,その間にせっせと両親について学びたいと思ったりします。ただいま鋭意観察中(笑)

それと,さだまさしの歌は確かに凄いのもあるけど,やっぱりあまりに辛気臭すぎるから,若者らしい音楽もせっせと聴きたいと思います(笑)

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