Thursday, July 19, 2007

believing in it?

豪亜大会も終盤,Tと「ディベートをまだ信じるか」という話をしました.
同病相哀れむというか,ディベート教に入信したのが正しかったのかという
かなり根本的な疑問を今更語り合ういい歳になった二人・・・良いのかそれで.
(そして気がついたら周りに日本人勢ぞろいしていてビックリしました.全員集合.
何か妙な哀しさの中の嬉しさを感じました.説明しにくいけど.
しっかし皆Tが好きなんだねぇ・・・(ほくそ笑み))

そもそもバンクーバ直後に
「信じていける自信なくなってきた.
だってsilver tongueな奴の殆どは外道だもの」
と涙をポロポロ零して弱音を吐いたのは私です.
その時Tは「そんなことない」と言いました.
(しかも「俺は?」とぬかしました.笑.あんたどんだけ自信家なのよ;笑)
けど今回は流石に少し違ったみたいでした.
「ずっと,『ディベートは知る努力と考える努力と,愛する努力をすることだ』と
思ってきたけど,Dみたいな人を見るとそんなの嘘っぱちだなぁって思い知らされるなぁ」
と言う私に深く頷くTでした.

今回むこうは丁度バンクーバの私みたいな状態なんだろうな.
裏切られた感も一入だったろうと思うと,何だか申し訳なくなりました.
Lに言った私の言葉は本心です.彼は正当な報いを受けていないと思う.
「あんなに彼方此方出向いて良かれと思って頑張って,
自分が皆の助けを必要とする時は誰もstand byしてくれないなんてなぁ」
という言葉が胸に沁みました.しかも良いことをしようとしたのにね・・・・・・
正しいことを雄弁に説いたところで,人の決定が違うことに支配されているなら,
一体何のためにディベートなんてするんですかねぇ・・・
でも今回の件は私は最初から悲観的だったので,あんなに忠告したのに
予見できなかったTのナイーブさも驚きでした.余計せつないですね.
(ところでSはTが政治家になりたいんじゃないかなんて言ってましたけど,
そうですかねぇ.ていうかもしそうなら私は止めます.絶対向いてないって!!)

「少なくとも『競技』としてのディベートからはmove onするべきかなぁ」
というのが今回の共通見解だったようです.
むこうは難民に無料のディベート教室を開講してあげたりする中に,
私は子供たちの思いやる心を育てるためのディベートを模索する中に,
あざといゲームと化した競技ディベートに疲れた心を逃がしているのかもしれません.
どちらの活動も競争が小さい分,議論の技巧が犠牲になります.
競技ディベートのまがりなりにも世界最高峰と呼ばれるものを目にしてしまった私たちが,
果たしてそれで満足できるのか,競争を取り除くことが本当に答なのか,まだわかりません.
高校の時から,「勝つことよりも大切なことがある」と言い続けてきた私には,
これは馴染みのジレンマです.けどTには違う.他人事ながら心配です.

そんなことを考えながら飛行機に乗って帰ってきたら,
masashiさんのブログとDr.Epitaphさんのコメントを目にしました.
相変わらずお二人とも良いこと書くなぁ・・・(メソメソ)
昨晩は友人Jと同じようなことが話題になりました.
あっちはまだ信じるバイタリティありそうだったな.
どちらもあまりにタイムリーでせつなくなりました.

さて,明日の私は何をどれだけ信じられるのかな・・・

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