Tuesday, July 24, 2007

バイバイ,エンジェル Bye-bye, Angel

笠井潔の同タイトルの小説を読んだ時,その青臭さに溜息をついた時,一体私はどんな貌をしていたのだろうと薄ぼんやりと思う.真面目に考えること自体不可避的に青臭いのさ,と言われればそんな気がしてくる.LBとかそういう風に考えているのかな.彼は読みにくいからな,何とも言えないけど.

今日の試合は投票義務化と階級別相撲.
「この道ーはー,いつか来たみーち」
の割りに意外に楽しかった.
とりとめのないくだらなさ7割,真面目3割くらいが丁度良い.
普段の私なら逆の配分好みかな.
そしてそれはまだまだ青臭いかも.

ルムンバの叫びを1/4くらい観た.
1/4で止めたのは作品が気に入らなかったからではない.
すっかりのめりこみ始めたところで外野に負けた.
外野の野次が私の気力をすっかり薙いだ頃,残ったのは
「コミュニケーションとは何か」という学部1年の授業のような問いだったように思う.

コミュニケーションとは何なのか...
教授が板書した『他者』と書かれた円を思い出す.
ああ,どうも抽象化されていけない.
半分酔っ払った頭ではあるけど,書いておきたいような気もする.
酔ってる時の常で他人様の目に触れることをイマイチ考慮しきらないで書いているので申し訳ない.純備忘録的.

何が問題なのかズバッと書くのは難しいけど,
つまりはコミュニケーションの価値とフェアネスの問題だと思う.

まず師弟関係.
Yちゃんの件に関しても思うのだが師弟のパートナーシップというのは
どこまで「パートナーシップ」と呼べるのか.
師弟関係で捉えること自体がBBの言うとおりinsulting!とも言える.
それは・・・・・・うん,私自身そう感じたものなぁ・・・・・・
これまでに具体例として引き合いに出たのはMNだったわけだが,
もっとコミュニティ全体に一般化して議論すべきか.
Yちゃんのような例はどこに位置づけられるのか.
ていうかTはいつになったらこの師弟関係で捉えること自体が本末転倒という話を分かってくれるのか.いい加減苛々するーっつーの.何年同じこと繰り返し議論してんのさ,あたしら.

次,ちくしょう,またか.言語の壁問題.
友情に国境はない・・・ような気がする.
しかし言語の境はあるような気がする.
恋愛に言語の壁はない・・・かどうかLと春先ラブ・アクチュアリィ観てて話になったけど,あたしゃもういっそないような気がします.・・・が,友情にはある気がする.
違いに価値があるとかいう正論ぶちかまされて腹が立つのは地に足がついてないように思うからか.

細かいことを言えば,誰かに代弁/代表してもらうんじゃない,
自分で自分を代表しろ,と言われた時のあの突き上げるような無常感.
何故いまもって共有できないのか理解に苦しむ.矛盾してないか,それ.
理解し合う日はないのだと一方で言い,もう片方で違いを理解することが価値だと言い.
何故それが強者の狡さだと分かって貰えないのだろうか・・・

負担の分配について.
愛は労働を無料で提供させる魔法の呪文だと言ったのはO教授.
あの授業面白かったなぁ.
友情を,大雑把に言って愛情の一種だと考えて,
友情の「ために」コミュニケートする,というのはアリだろうか.
あるいはコミュニケートすること自体が核となる友情というのはアリだろうか.
・・・アリかもしれないな.世間一般での友達関係はそういうものなような気がする.
しかしそれは愛情・友情においては構造的に強者が有利ということか.
フェアネスの議論とはほど遠いな・・・

結局,コミュニケートする・しないことによる損得は両者にあったり一方にあったりしても,
する・しないを選ぶスイッチはいつも弱者の側にある.
弱者は不公平な喧騒と静寂の死(あ,いえ,本当の死じゃなくて比喩的なね.言語の死滅とかね)を選ぶことができる.死は常に弱者にとって魅力的な復讐手段になる.歪んだ愛情でも唯一希望を持つ道になる.私がTに対してこれを切り札として使いたい誘惑に駆られるのはLBやLPにも当てはまるか.…当てはまらないな….何故当てはまらないのか.友情関係の種類と質量のどっちに起因するのか.あ,考えるとやな感じ….幼稚だなぁ,自分.

・・・今読み返して思ったけど,酔いが冷めてから読んだら自分でもわからんわ,おそらく.これ.
まいったな,言語化しにくいからって与太話になっちゃいかんな・・・具体的な話は明日にまわそうっと・・・おやすみなさい・・・

No comments: