Saturday, May 26, 2007

時代遅れ behind the times

昨夜ろくに食べなかった母が薬の飲みすぎで胃が痛いというので、
消化の良いものをということでポトフを昼ごはんに鍋一杯作りました。

私は大変ずぼらなので、フライパン一つ、鍋一つで済む料理が好きです。
シチュー類はその時々で色んな材料を楽しめるのも魅力ですよね。
加えて、祖母が大連育ちだったこともあって、我が家の場合は
所謂「家の味」は味噌汁ではなくてポトフにあります。
祖母のは少しロシア風だったとか。母のはちょっとアイリッシュな感じです。
アレンジしだいで色んなバリエーションがあるのも楽しいですね。

そんなわけで私もポトフは得意料理。そもそも失敗しにくい料理ですけど(笑)
私流は、最初にオリーブ油で唐辛子とにんにくをじーっくり炒めるのがコツです。
今日は、ジャガイモ、人参、玉葱、しめじ、茄子に生ソーセージを入れました。

何しろ鍋いっぱいに作ったので、昼に食べて残った分を夕飯にしてしまえ。少し足りないようなら後で少しだけ材料を足そう、と思ったわけです。で、「帰りに材料を少し買い足してくるから沢山食べて良いわよ」と食べ始めた母に言い残して出かけました。

閑話休題。

先日、片桐直樹監督の『戦争をしない国 日本』というドキュメンタリー映画を観ました。
地域の集会施設で40人くらい集まっていらしたでしょうか。
私はこの監督の作品は他に見たことがなかったし、よく知りもしなかったわけなんですが、折角すぐ近所で観れるのだからというわけで出かけました。

結論から言うと、全く好みではありませんでした。
政治的な色としてはかなりC党かS党との関係が濃厚とみました。
別に左っぽいからとか護憲派が嫌というわけではありません。
先日毎日新聞のコラムで「消極的護憲派」と称している精神科医がいましたが、 私は自分を同じくくりに入れています。

記事の精神科医は斎藤環さんという方なのですが、以下のような部分があります。

「身近な人を死なせたくない」という切実な心情からは、改憲、護憲どちらのロジックも引き出せる。ただ私には改憲派のあおる危機感が「改憲ファンタジー」にしか見えない。
(毎日新聞、5月13日日曜日、2面、『時代の風』 「後ろめたさ」こそ倫理だ、より)

私はこの部分にまったく同感です。
脅威を無視しろとか誇張しろとか嘘だとか言うつもりは全くないんです。
世の中物騒だから万が一の備えはしっかりしないとね。
一般家庭でさえ地震や強盗侵入のリスクを見積もって備えるくらいですからね。
ただ、改憲論者の議論展開や見せ方がね、あまりにも子供っぽく思えるのです。
なんか戦争や防衛にロマンを感じ過ぎているのではないか、と勘繰るわけです。

「軍人は小児に近いものである」と言ったのは芥川ですけど、巷に溢れる改憲主義はその耐え難い幼児性という意味で芥川の言うところの軍人的に思えます。芥川の言うとおり、「英雄らしい身ぶりを喜んだり、いわゆる光栄を好んだりする」心理は、耐えようもなく小児的に見えます。

最近連発されている映画群(「男たちの大和」だの「亡国のイージス」だの「日本沈没」だの「硫黄島~」だの)にうっとりする人たちがいるということが私には鳥肌ものなわけです。製作面でも、ああいう映画にロマンチシズムを盛り込もうとする会社の気持ちって分からない。生理的に嫌。観て喜ぶのは動物的に思えるし、作って喜ぶのは動物的なまでの商業・拝金主義に見えます。とても知性を感じられない。芥川は更に容赦がなくて、「機械的訓練を貴んだり、動物的勇気を重んじたりするのも小学校にのみ見うる現象である。」とまで斬って捨てています。

戦争物以外で、似た「生理的にぞわっと来る映画」群を私は「時代遅れの男になりたい」シリーズと呼んでいて(『時代遅れの男になりたい』っていう歌知ってます?)、その手の映画が好き、と言われた瞬間にその男性が恋愛対象外になります。理屈じゃなくて本当に受けつけなくなっちゃうの。生理的にぞわって来るの。で、その問題の映画は「シェーン」、「カサブランカ」などいまだ人気の高いラインアップなので困ったものです。

先日IDC7中に、RとLが「シェーン」の話で盛り上がりまして、
(「シェーン、シェーン、帰ってきて!カムバーック、シェーン!!」
ってラストシーン知ってます?)
私が「シェーン」が好きな男って嫌い、と言うと理由を聞かれました。

私の答えは、「『ロンリー・ウルフ』に憧れる人に限って自分は友達づきあいが良くて守りに入った『ファミリー・ガイ』なのよ。実現するつもりも度胸も理念もこれっぽっちもない癖に妄想の中で恍惚とする姿が生理的に嫌。」というものでした。(レイプもののポルノが好きな恐妻家とかさ想像するだに陰湿で女々しくて嫌でしょう?ってちょっと違うかな。)

・・・・・・Lにゲラゲラ笑われました。
はいはい。どうせあたしゃ融通の利かない女ですよーだ。

ちなみにグレー・ゾーンに位置するのが「紅の豚」。
(金曜ロードショーでやってたみたいですね)
あれが好き、と言われたらかなり微妙です。
かなりカサブランカやシェーンに近いですよね。
時代設定も第二次大戦直前あたりでしょう?
ストーリーも美女を袖にして孤独で無茶な生き方を通す、『男のロマン』と。
「俺は所詮家庭には収まれない男なのさ」って感じ?
エンディングがぼかしてあるのが救いかな。
うーん・・・・・・まあ、あそこまでは許せるかも。
ファンタジーだという割りきりも比較的明快なので。
(『カサブランカ・ダンディ』って歌知ってます?「ボーギー、ボギー、あんたの時代は良かった。男がピカピカの気障でいられた」って歌うの。ああいう風にあけっぴろげに言われると何か許せるでしょう?)
うーん・・・・・・でもやっぱり微妙。

まあ、とにかく、改憲派の多くがシェアしているように見えるその恍惚感が、
あまりに、あまりに時代遅れに私には見えます。
やたら「サムライ魂」とか連呼するスポーツ中継も大嫌い。
どうして「昔気質の侠/時代遅れの男」にそこまで恍惚とできるのかも謎だけど、
それに「愛国ファンタジー」が絡むともう手に負えないグロテスクさ。
その悪趣味な懐古趣味がきぼちわどぅい・・・・・・

さて、問題は・・・『戦争をしない国 日本』もタメを張れる懐古趣味ぶりだったのです。
労働者とか婦人とか学生とか「国民の怒りが爆発」とか・・・言葉遣いからして「ノン・ポリ/しらけ世代」と言われた今の学生の両親くらいの歳の人にさえ「古い」と言われそうな感じ。それはないだろ、と言うくらい一方的な事実認識に一方的な主張。ディベートで言うところの「エンゲージメント」(これが議論を深めるための鍵)しようという気が全く認められない感じ。そういうプロパガンダ方式も、やたら時代遅れな感じ。「改憲ファンタジー」に張る「護憲ファンタジー」。

今日は偶然後輩のYちゃんと9条の話になりまして、
ホントせめてディベータは「現代的なあっぷ・とぅ・でいとで理性的・現実的な」議論を
したいし観たいものだよなぁ・・・・・・とつくづく思いました。
理念面もね、きちんとエンゲージした上で掘り下げないと・・・・・・。
まあつまりは質の高いディベートをしたいってことで難しいのは同じなんですけど。
問題は現代のあっぷ・とぅ・でいとな若者達はあんまり背景知識がない、
・・・・・・ゆえにそもそも意見があまりないみたい。
しらけ世代Jr. 達は元祖に輪をかけて凄いです。
それはそれで・・・・・・感心しないな。
人間無知な事柄に関しては騙され易いですからね。
最近改憲も護憲も極端な意見の人の中にはティーンが多いというのもわかります。
思春期って妄想がちですからね。半分ファンタジーの住人よね。
どうせなら趣味の良いファンタジーに耽ってもらいたいものですが。

さてさて。

帰り道。
駅から母に電話で「どのくらい残ってる?どのくらい買い足せば夕飯に足りる?」と訊くと、
彼女は歯切れの悪い様子で・・・

「残ってない」

・・・・・・。
は?
鍋一杯分が・・・・・・?

・・・・・・誰の胃が痛いって?
鍋一杯食べきる病人が何所にいるんだっての!!

シチューよ、シチューよ、帰ってきて!
カムバーック、シチュー!!

(あ、このオチ駄目ですか?)

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