Tuesday, May 08, 2007

[Novel] 魔法飛行 L'Envolée magique


[本] 加納朋子. 2000. 『魔法飛行』. 東京創元社.

ふっかーつ!
忙しすぎた日々もあともう少し・・・・・・だと良いなぁ・・・
流石にちょっと体力的にへばり気味ですが、ま、がんばります。

『魔法飛行』は加納朋子の小説の題名ですが、
シャガールの絵のタイトルからとられたものです。
絵のほうは私にはちょっとハテナ・マークが残りますが、
小説のほうは目茶目茶ストレート・フォワードです。
ヘンなカタカナ語を使うと文章が不気味です(笑)

この小説は真っ直ぐすぎて気恥ずかしく、でもたまに開いてしまいます。
お話自体は小説家志望の女の子と謎の人物との手紙によるやりとりという、
他の加納作品同様割と地味な設定です。
けど書いてあることは異様に大きいです。
そのことが、嬉しい時と腹立たしい時とあるんですね。

そういえば最近広い空を見ていないかもしれません。
家の近くは立て込んでいる上並木があるので空があまり見えないんですね。
うーん・・・久しぶりに『宙の名前』でも開けてみようかな。ってそれじゃダメか(笑)

ところで今年は日本から初めて高校生の世界大会(World Schools Debating Championships)へ参加するチームが出ます。昨年末の全国大会で優勝したチームで、女性2名男性1名の3人チームです。これがまた利発で大人びた皆さんで・・・・・・私が高校生の時は断じてあんなに落ち着いていませんでした(汗)練習の様子を見ていても成長が速いので、私までワクワクしてしまいます。彼らを間近で見れるのは、ちょっと「空を見る」行為と似ているかもしれませんo(^v^)o ただ国際大会の厳しさも分かるだけに緊張もします。今まで彼らの先生役を務めてくれたローランドもスレッシュも、自分のことのようにドキドキしてくれているようです。でもいくらドキドキしても「楽しんできてくれますように」と祈ることくらいが私達にできる精一杯です。私達の大会ではなく彼らの大会ですから。ううー、それでもやっぱりドキドキします(笑)

いかんせんバンクーバー以来、何だかどう頑張ってもどうにもならないんじゃないかと暗くなりがちな私ですが、高校生の初世界大会チームを見たり、ちょっと遠ざかって十年前の大会を振り返ったりすると、何だか少しは救われる気持ちになります。牛歩の如し・・・だけど前進してるの・・・かな・・・?まあ、ボイジャーよりは分の良い夢を見てる筈なのかな。しかし夢が実現するのをこの目で見るためにはどんなに長生きしなきゃいけないんでしょう、私・・・・・・(苦笑)気分が少しは好転したこと・・・悔しいからティムにはまだ教えないどこうっと(笑)


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 文字とは所詮記号であり、文章はその羅列にすぎない。世界だとか人間だとか自然だとかいった、形の定まらない奇妙なものを、記号の中に封じ込めることはなんて難しいんだろう。
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「地球で一番大きな手紙ですね。異性人に宛てた」
 考えていることが口に出て、思わずそんなことを言っていた。卓見さんはぱちりとまばたきをしたが、それから白い歯を見せてにかりと笑った。先刻見たばかりの、お菓子をもらった子供たちの笑顔によく似ている。
「うまいことを言うね。手紙ならさしずめ、ラブ・レターってやつかもな。<おおい、我々はここにいる。こっちを向いてくれ>ってね。パイオニア十号だって彼らへの手紙を積んでいたし、ボイジャー一号と二号だってそうだ」(中略)
 私が首をかしげたのを、別な意味にとったのだろう、卓見さんはふいに生真面目な顔になった。「もちろん、実際に宇宙人がそのディスクを手にする可能性なんて、万にひとつもないだろうさ。ボイジャー二号が一番近い恒星に接近するのは、四万年後の話だからね。その次となると、十四万七千年後、さらに次は五十二万五千年後だっていうんだからさ、確かに首をかしげたくなるのも無理はないよ。夢みたいに気の長い話だからね。だけどだよ、夢は未来につながっていた方がいいに決まってる。そう思わないかい?
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 今の子供たちの多くは、ひょっとしたらまるで空を見ないんじゃないかって気がすることがある。それはひどくつまらない、そして恐ろしい想像だ。空を見ようとしない人間に、進歩なんてないと僕は思うから。そして進歩のないところには、未来などないとも思うから。
 だから君の物語に登場したような少年たちの存在を知ることは、僕にとって嬉しい驚きだった。
 君が出会った子供たちは、紛れもなく小さなライトであり、ロベールの子孫であり、モンゴルフィエの弟子たちだ(航空史上に、揃って彼らが兄弟でその名を連ねていることは、いかにも面白い符号だね)。ライト兄弟が飛行機で、そしてロベール兄弟やモンゴルフィエ兄弟が気球で空を飛ぼうとしたように、少年たちは彼らのやり方で、空に近づこうとした。凧や風船などといった、魅力的な小道具を使ってね。
 大空に対する、限りない憧れ。自由に空を飛びたい、という気持ち。それは人間の最も純粋で真摯な願いだとは思わないかい?
 そして、大気圏の彼方、遙か宇宙の果てに同胞を見出そうという気持ちもまた、そんな願いの遠い延長線上にあるんだろうと思う。
 我々が銀河系内で唯一絶対の存在であると自惚れて、安心していられる連中はいい。彼らには、見えない相手に向かって数限りないラブ・コールを送り続ける人間の気持ちなど、決して理解できないだろう。遠い宇宙に向けて、「ハロー」と通信を送ってみる。呆れるほどに長い時間をかけて、それが見知らぬ星の、まだ会ったことのない誰かの許へ届く。そしてその誰かから、ふたたび長い長い時間をかけて、彼らの言葉で「ハロー」という返事が返ってくる・・・・・・。
 それがどれほどに深い意味を持つことなのか、空を見ようとしない人たちには到底理解できないだろう。
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 彼女の思いは、作品のキーワードにもなった言葉、<魔法の飛行>に、最もよく表れている。どうもどこかで聞いた言葉だと思っていたら、マルク・シャガールのリトグラフの中に、同じタイトルの作品があるんだよ。知っているかな?実にロマンチックな絵だよ。愛する恋人の許へ、ピンクの花束を抱えた男が宙を飛んで会いにゆく。女性の目は驚いたように見開かれている。だが、彼女の手はすでに、男を迎え入れるように相手の方に伸ばされている・・・・・・。
 人から人へ向かう心というものは、魔法の飛行そのものだと思わないかい?二人の間に横たわる時間や空間、それに考え方や価値観の相違、様々な実際面での問題―そういった諸々のものを、ときに人はなんて軽々と飛び越えてしまうんだろう。
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