Sunday, January 07, 2007

できないと言ったらできない I can't when I say I can't

世界大会から帰りました。
今年も…というか今年は特に,色々ありました。

ホント色々ありすぎて何がなにやらです。
帰国の飛行機2日2晩,ほぼ泣き続けました。
ようやく涙は出なくなったけど,心の整理がついたわけでもなくて…
どこから書こうかな…

最終日の夜は,もはや親友と言って差し支えないかもしれないコーチTと
怒鳴り合いの喧嘩までしました(怒鳴ってたのは殆どむこうだけど。笑。珍しいっしょ?)。
お互いの言葉が今思い出しても切ないです。
自分が弾丸のような言葉を発した瞬間の相手のハッと息を飲む音に,
お互い震えるほどショックを受けました。
お互いに相手を傷つける心の準備ができていなかったと嫌という程思い知らされました。

私との喧嘩の後でコーチが涙まで流していたと聞かされ,
やるせなくなった私は,彼に謝るために夜中に延々と独り歩いてパーティ会場へ行きました。
途中何度も道に迷って,人気のない夜の道を長い時間さまよいました。
(こういう自虐行動に出るところが本当に私の悪癖だと思います。気をつけないとね)

着いた時は夜中の1時くらいでした。
心の整理がつかなくて,謝る踏ん切りもつかないままうろついていた私に,
Lが「よ,EFLベスト・スピーカ様。おめでと」と声をかけてきました。
思わず複雑な気持ちを顔に出してしまった私に「Tと派手にやりあったってな」と。
どうして知ってるんだろうと思ったら「Tが落ち込んでたぞ」と言われて更に落ち込む私。
余談ですがLとTと私はほぼ同期同年齢。この三人の絆はちょっと奇妙なものです。
Lが「とにかくすぐ会っておっきくハグしてやれ。それで大丈夫だから。奴がお前のこと大切に思っていてお前も同じなら,それが伝わりさえすれば大丈夫だから」と私に言い聞かせ,
私の手を引いてTを探してくれました。LがTの後輩に「Tは何処だ」と訊いている間,
私がその後ろで虚ろな顔をしてただ手を引かれていると,肩を叩く人が。
目の前に静かな笑みさえ浮かべてジッとこちらを見つめて立っていたのは,他でもないTでした。
次の瞬間にはふたり,ガバッと抱き合っていて,お互いの悲しみを共有しました。
どちらから腕を開いたのかも覚えていないほど一瞬のことでした。
そのままギューッと加わるTの腕の力に,ああ本当にすまないと思ってくれてるんだな,と実感しました。後ろでLの「ほらな」という声が聞こえました。(うふふ。ホントにね。ああ,L,ありがとう。)
「ごめんな,ごめんな」と繰り返すTに,私も謝罪を繰り返しました。

その後,何を話したかな。
Lも含めて三人でテキーラ・ショットをして,Tが盛大にむせて(笑)
そうそう,Tが,「masakoの結婚式にはたとえ一週間前に知らされても駆けつける。
たとえ選挙前でも,結婚相手がどんなうすのろマヌケでも祝うために飛行機に乗る」と誓って(笑)
(その前に「masakoがいつになったら結婚する気になるか,一生ならないかという問題があるが」と言いやがりましたが。思わず「ほっとけよ!」と拗ねる私の頭をLが笑って撫でていました。ホント,一言多いんだよな,Tは。笑)

正直,今回の大会ではショックなことがいっぱいあって。
Tのことも信用して良いのかわからなくなったのも確か。
Lのことは今まで何回も疑ってきたし,それは今も変わらない。
けれど,きっと私はあの夜の三人のテキーラ・ショットを長く忘れないと思う。
いい友人に恵まれたと思います。

さて,今回Tと私がお互いに発してしまった弾丸ワードは以下。
コンテクスト抜きでここだけ取り出しても意味不明かもしれませんが。

私がTに言ってしまったのは,
「結局あなたはESLの庇護者というレッテルを貼られるのが怖かったのよ」というもの。
これは言った瞬間にTが息を飲む音がして,目つきもガラッと変わって,
ゆっくりと「俺がESL庇護者のレッテルを恐れたって?」と繰り返された時に実感しました。
ああ,傷つけるつもりで言ったけど,こんなに傷つける準備はなかったって。
でも,この言葉に傷ついてくれたから許せたんだとも思います。
本当に嫌な奴だったらこの言葉では傷つくはずもないもの。

Tが私に言ってしまったのは,
私の「私は英語で自分を表現することができない」という言葉に対して,
吐き出すように言った「ラビッシュ!」というもの。
この瞬間私の全身がザワッとなるのを感じました。
「誰に何と言われてもTだけは解ってくれてると思ってたのに結局Tも他の皆と同じだったのね」
と,本当にショックだった。(「masakoはもう言葉の壁なんてないだろ」と言われることがどんなに知識人としての私を傷つけることか,ということを繰り返しTには話してきたつもりだったので)
突然声を荒げて「できないわよ。何度言ったら解るの。できないと言ったらできないのよ」と
叫ぶ私を見て「しまった」という表情を見せるTを見てもこの時のショックばかりは取り消せませんでした。ホント,英語がマシになったらなったで腹が立つのは同じね(笑)

英語で話している時の私はいつも心と言葉の乖離に苛立っているのですが,それがこんなに親しい人間にも見えないなんて皮肉なことですね。ていうかブログが結局日本語なの見て気がつけよ!!ってね(笑)

本当は謝る踏ん切りもついていなかったし,今でも胸にもやもやとした不満はある私。
でも,あの夜私がナイト・クラブに着く直前の夜中の1時にTが私に送っていたSMS
(その時は大音量で音楽をかけたイヤホンをつけて夜道を彷徨っていたので気がつきませんでしたが)
を見ると,許さなかったら後悔するに違いないとも思う私。

そのSMSには,ただ一言「ごめん」とだけありました。

ま,他にも色々ありましたが時間がないのでまた今度書きます。
というかどうしてTとここまで大喧嘩をする羽目になったのかという経緯の方が
ずっと大切だよねー……やれやれ。

今度はできるだけ時系列で書きます。羊の道のときみたくね。
今回あった色々は忘れちゃいけない気がするから。

2 comments:

Anonymous said...

ワールドお疲れ様です。

あの日そんなことがあったんですね。読んでいてなぜか涙が出てしまいました。ワールドというものがなかったらこんなに傷つけることもなかっただろうけど、ワールドというものがなかったら二人はであわなかったhし、こんなに深いつながりができることもなかったと思います。Tがいる今年こそはという期待とTがいても今年もという絶望があったのかなと思います。

本当にワールドはお互いに理解しお互いに尊敬するということが本当に難しいんだなと思います。

最後にTと仲直りできてよかったです。

ちなみにTはメルボルンに無事に帰れるんですかね。心配です。

go said...

そうだね。本当に何故ただ人を愛せないのかと,世界大会に行く度に不思議になります。

人種や宗教や国籍の違いの現実的な意味を教えてくれたのも世界大会なら,それを超えた友人を与えてくれたのも世界大会です。今,私はあのコミュニティを愛して良いのか憎んで良いのか,岐路に立っている気がします。

Tと喧嘩したことについては,隠すべきかあけっぴろげに行くべきか迷いました。今度詳しくアップしますが,口論の内容がかなりタッチーなものに渡ったからです。けれど,私は日本人選手団に隠し事をしたくないと思う。何度も同じ壁に躓かないために,前進するためにそれは必要なことだと思うから。

帰国便については,くどいほど細かい指示を書いて送ったので,あとは成田まで無事に着いてくれるよう祈るだけです。成田まで来てくれれば後はカンタスだから。

(T曰く,外資に売られて最早全然オーストラリアンじゃないカンタスだそうですが。笑。それでもCFでは「オーストラリアン・スピリット」がカンタスのキャッチフレーズだと言うので,「そう,じゃあオーストラリアは魂を売り渡したのね」と茶化してやりました。笑)