Wednesday, November 23, 2005

Wonders Never Cease

しばらく前のことだ。世界遺産だか何かに登録されているルーマニアのあるキリスト教系の教会を訪ねた。入り口すぐの部屋の壁画が全面聖人達の殉教シーンである。それがまたパステルカラーとかの生易しい色合いではない。首なし死体から噴き出る血が鮮やか且つ深い赤で塗りこめられている。数十人、ひょっとすると百人以上の凄惨な最期。首切りあり焼身あり生きながらに獅子に食い殺される者あり。それが壁といわず天井といわず1ミリの隙間もなくびっしりと極彩色で描かれているのだ。地獄絵図の類ではない。聖人達を讃え崇めるためのものらしい。一つ一つの絵に殉教した聖人の名が付されている。当時の僧達にとって、殺されることこそ宗教心の現れであり、その死に方が苦痛を伴う程尊いと考えられたのだと説明を受けた。信仰の証として可能な限り凄惨な死を遂げることが生涯の夢であり、競ってより残酷な方法を選んだのだという。古い建物なので明かりは入り口から差し込む陽の光がメイン。薄暗さに迫力が増す。圧倒的な存在感に声も出なかった。これ、一つの教会だ
けの話ではない。訪れる教会、訪れる教会、このパターンの壁画。凄いところは外壁まで極彩色の惨殺シーンで埋め尽くされているのである。その姿は私がそれまで抱いていた教会のイメージからかけ離れていた。教会は地元住民の寄進で建てられるという。そう裕福な地域には見えなかった。一体人々はこの建物にどういう想いを込めたのか。。。

今年夏に来日したオーストラリアの友人がハラキリの発想がわからない、一体なんだって自殺に作法があり、それがまた何故わざわざ痛い方法なのか全く理解できない、としきりに言った。特にその死に方を栄誉だと喜ぶという点が想像を絶するらしい。

そんなの日本人だというだけで私に聞かれても、私だってわかりゃしない。現代人とは違う倫理体系な以上自分のこととしては話し様がない。けれど知識は自然身につくわけで、衣裳や介添え人、切腹の手順を面白がって話して聞かせた。聞いてる友人の方は気絶でもしそうに沈痛な顔である。ひひひ。神経の細い奴。異文化極まりないとでもいうような表情ではないか。

ところがこの友人。実はルーマニア系オーストラリア人なのだ。彼は切腹の文化がまるで現代日本にも残っているかのように思っている様子。しかしもしそうなら、彼にも同じ程度には競って首をはねられたがる文化が息づいているはずである。

栄誉の自殺という発想は別に日本固有のものではない筈。そして大概の地域の大半の現代人にとって既に異文化だろう。ただディテールやロケーションの違いが迫力を増して見せるのかもしれない。イスラムの自殺テロをステレオティピカルに報じるメディアにも同じことが言えるのだろうか。

それにしてもどうでもよい切腹談義に悪ノリしてルーマニアの教会で見たことを話し損なってしまった。自分の先祖の地にも似たような風習があったと知ったら友人はどんな顔をするだろうか。 いしししし。今度言ってみよ。

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