Friday, June 02, 2006

[Book] 考証 福澤諭吉 Ascertaining the historical evidence about Fukuzawa Yukichi

[本]富田正文.1992.『考証 福澤諭吉』.岩波書店.

「アメリカン・デベーション」の噂の少し詳しいことが書いてある。それでも一体誰の書いた何という本だったのかは謎のまま。うぬう。

三田の演説館の話は有名だが、万来舎だの協議社だの猶興社だのというのは知らなかったのでちょっと新鮮。あと擬国会も義塾が最初というのは知らなかった。

しかし・・・紙に書いたものを持ち寄って朗読って・・・どんなに悠長だったのだ・・・すごい忍耐力だ・・・恐るべし江戸時代。

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それらの三田山上における実験試行から生まれて、最も急速に最も広汎に普及したものは「演説」であろう。現在演説と言えば小学生でもこれを知らない者はないが、日本には古来、演説の風習はなかったもので、寺院における僧侶の説法や、寄席講釈場の落語講談のたぐいが、僅かに演説に類するものであったくらいで、口頭で自分の考えを述べて公衆に理解させるということは、従来行われたことはなかったのである。
 もちろん昔でも会議のごときものはあるにはあったが、その場合でも、出席者はそれぞれ自分の考えを紙に書いて持って行き、その場で朗読するだけで、会議の席上で互いに討議をするようなことはなく、説が異なればそれぞれ家に持ち帰って、再び説を作り直して改めて持ち寄るのが一般のやりかたであった。
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 明治六年の春夏のころ、門下の先進生小泉信吉がアメリカ出版の一書を携えて来て諭吉に示し、これは西洋に行われるスピーチ、デベートの法を説いた書物であるが、わが国にもこの法を普及させてはどうかと言ったので、諭吉は一読して直ちに賛成し、早々にこれを翻訳して『会議弁』の一書を著し、その書の方法に従って、スピーチ、デベートの方法の練習を始めることにした。
 この『会議弁』の種本になったアメリカ出版の一書というのがどういう書物であったか、今のところ判明していない。当時のスピーチ練習の仲間の一人であった須田辰次郎は、最初「アメリカン・デベーション」という小冊子によって『会議弁』ができたと語っているが、デベーションということばは英語としてはおかしいので、正確な書名とは思われない。『会議弁』の翻訳も、原文どおりではなく、全く日本流に内容を書き改めてあるので、原著者も原書名も明らかでない。
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[Book] Tomiyama, Masahumi. 1992. Ascertaining the historical evidence about Fukuzawa Yukichi. Tokyo: Iwanamishoten.

1 comment:

Anonymous said...

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