Monday, June 19, 2006

[Book]認知コミュニケーション論 Cognitive Linguistics

[本]大堀壽夫編.2004.『シリーズ認知言語学入門: <第6巻>認知コミュニケーション論』.大修館.

うーん・・・なんかレトリックという言葉が誤解されていると思うんですよね。以前ご紹介した『レトリック感覚』のような本が国語の教科書に使われているのが誤解が続く元なのではないかとちょっと思います。レトリックを比喩だと思ってるんですよね・・・多分。しかし専門家として本を書く方もそういう理解をしている状態だと本当に何と言ってよいのか・・・

Wikipediaでさえ修辞学は正しく紹介してくれているのですが・・・(但し修辞技法やレトリックは主に比喩についてになっていて非常に中途半端。しかも半保護指定ページのようです。よほど混乱しているのでしょう)。修辞学、修辞法、修辞技法、レトリックなどの語が違う意味で使われたりするのも意味不明です。原語は同じRhetoric(a)の筈ですが・・・英語のWikipediaは、かなりまともな内容です。してみると日本特有の混乱・誤解なのか。

例えば私が自分を修辞学者だと名乗った場合、おそらく大抵の人は小説や詩歌における比喩表現の研究者だと思うのでしょうか・・・うーん・・・ホント困るなぁ。せめて専門家には間違わずに使って欲しいと切実に思います。この本は誤解を助長してしまうと思うのでNGだと私は思うのですが・・・。以下の引用部分は私が勉強した限りでは間違っていると思います。

そしてまたもややたら引用されているのが夏目漱石。佐藤さんと全く同じパターンです。なんで!!??どうして夏目漱石がレトリックの使い手ってことになるの??絶対勘違いしてるよなー・・・。しかも古代ギリシアの修辞学と現代の修辞学は違うっていう説明も佐藤さんの説そのままなんですよね、この本。パクったんじゃなかろーか。ホント。似すぎているでしょう。

確かに修辞学はリバイバルされた後アプローチが少し変化したとは思いますが、あくまでも大衆(受け手)を「説得」するという要素は残ってるはずだと思うんですけど・・・。何故か日本の沢山の人はそこを頑として無視し続けているわけで・・・どうしてなんでしょう・・・。佐藤さんばかりをあまり悪く言いたくありませんが、やっぱり中等教育であんなの一斉に読まされちゃ誤解もしますよね・・・。多分国語の先生たちも彼のちょっと偏った説を信じてしまっているのでしょうし。沢山の人に「レトリック=比喩」と思い込ませてしまった功罪は大きいように思います。教科書認定する人ももう少し考えてから選んで欲しいものです・・・。

例えばアリストテレスのArs Rhetoricaは、どんなに「リバイバル」されたとしても「比喩中心の表現法」とはならない筈だと思うんですが・・・Ars Rhetoricaには三段論法や例示の仕方、証人の扱いなども同じように扱われていて、比喩や装飾的な言葉の利用はあくまでも一部なんですけどねぇ・・・。それもあくまでも説得の手段として登場するのですが・・・。「詩的な表現」の是非についても確かに触れてはいますが、これもあくまで説得に有効かどうかという視点です。詩や演劇自体の研究は全く含まれていなかった筈。先述の英語のWikipediaも、Currentの部分にもinduce coopearationという定義が出てくるのですが・・・。何故日本では鍵だった筈の「説得」が消えてしまったんでしょう・・・。そこが一番重要なはずなのに・・・。「説得」が関係なくなったらもう「リバイバル」ではなくて全くの別物だと思うのですが・・・。

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伝統的なレトリック(修辞法とも呼ばれる)は,比喩を中心とした表現法の細かな分類に専念する傾向が強かった。しかし20世紀に入ってその再評価が始まり,言語学のなかでも,とりわけ認知的アプローチの中で本格的な注目を集めるようになった。(p.137)
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レトリックに対する人間の学問的関心は,古くは古代ギリシアにまで遡る長い歴史をもつ。古代ギリシアおよびローマ時代には,レトリックは法廷や儀式などの場における弁論の技術として体系化された。巧みに演説を行い聴衆を説得するためには,表現をどのように華麗に飾ればよいか,その方法を分類,整理することに修辞学者たちの力が注がれた。また,レトリックは詩や演劇などの文学作品における効果的な技法についての研究でもあった。以来,中世からルネッサンス期にかけて,レトリックは一般教養の仕上げの役割を果たす重要な科目として学ばれてきた。だがその後,近代の合理主義的,実証主義的な思潮が強まるにつれて,レトリックは単なる表現の装飾的な技術と見なされて重視されなくなり,規範的,教則的な性格をもつ学術としてのレトリックは衰退した。

 ところが20世紀,言語学の台頭および隆盛とともに,レトリックは言語研究者により従来とは異なる角度から光を当てられることになる。まず,メタファー表現がもつ意味の特徴に対する考察がなされた。(p.156)
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[Book] Ohori, Toshio ed. 2004. Cognitive Communication. Tokyo: Taishukan.

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