[Book] 獄中記 In Jail
[本] 佐藤優.2006. 『獄中記』.岩波書店.
この人の読書傾向の面白さに爆笑です。
やー、面白いなぁ。
そしてこの人の語学の勉強の仕方や、本の読み方には関心しきりでした。
まともに勉強しようと思ったら確かにそういうプロセスは有効そうだな、と。
さて、これで、佐藤優さんのものは
- 獄中記
- 国家の罠
- 国家の崩壊
- 自壊する帝国
- インテリジェンス 武器なき戦争
- 北方領土「特命交渉」
と読み、あとは例の大川周明に関するものさえ読めばとりあえず終了です。
今のところ、「国家の崩壊」が特に面白かったです。
この「獄中記」を読んでハーバーマスを読み返したくなりましたが、
しばらくは我慢しないとです。
他にも現在読みたい本にPhilip ZimbardoによるLucifer Effectもあるのですが、
いかんせん届くのに時間がかかるわ、届いてからも読む時間があるか疑問だわ、参ります。
読みたい本を好きなだけ読める日々……そんな日が来ないものでしょうか……
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「能動的知性」が徐々に回復しつつあり、週末にハーバーマスの『認識と関心』を二五〇頁程読み進めました。客観的認識などというものはそもそも存在せず、まず、「認識を導く関心(利害)」があり、そこから事実の断片をつなぎ合わせて「物語」を作っていくのが、近代的人間の認識構造であるということを、カント、ヘーゲル、マルクス等のドイツ古典哲学の伝統、パース等のプラグマティズム、さらにディルタイの「生の哲学」やフロイトの精神分析学の成果を消化し、見事にまとめあげています。(pp.69-70)
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ハーバーマスのコミュニケーション論で面白い記述を見つけました。論理的観念と心理は関係がないという点についての考察です。
①一つの壺が燃焼中に割れてしまった。これはおそらく塵のせいである。壺を検べて、塵が原因かどうかを見てみよう。これが論理的かつ科学的な思考である。
②病気は魔法使いのせいである。ある人が病気である。だれがその病気の原因である魔法使いなのかを見付け出すために、お告げに伺いを立ててみよう。これは論理的であるが非科学的思考である(ハーバーマス『コミュニケーション的行為の理論』上、未来社、92-93頁)(p.95)
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実は、日本の外交官が、ロシアで(恐らくはヨーロッパ全域で)良好な人脈を構築できない要因の一つが、教養の不足にあります。本省からの訓令に基づき、案件を処理するだけならば、特に教養がなくとも十分仕事をこなせます。しかし、ロシア人、特に政治エリートは知性の水準が高く、よく本を読んでいます。また、議論については、ソ連時代の「弁証法的唯物論」で鍛えられているので、こちら側も相当準備をしておかないと、相手にされません。(p.116)
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この関連で、ハーバーマスのコミュニケーション論はとても参考になります。同人の用語を用いるならば、「演技型コミュニケーション」に徹することが重要です。被告人が裁判官に対して訴えるという姿勢だけに徹した場合、政治的には負けます。私は裁判官に対して何か主張をするのではなく、傍聴席にいるマスメディアに対して呼びかけます。罪状認否もそのような観点から行うのが妥当と考えています。
国会の論戦も、相互理解を目指すディベートではなく、あらかじめ立場(役割)を決めた「演技型コミュニケーション」です。政治家としては、鈴木宗男代議士の方がはるかに真摯かつ誠実であり、見識も深いにもかかわらず、世論が小泉潤一郎、田中真紀子、菅直人等になびいたのは、これら政治化が「演技型コミュニケーション」に徹しているからでしょう。(pp.129-130)
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ところで、ポパーの注を読んでいて、プラトンが説得を三種類に分けていたというところが出てきたのですが、一寸面白いので紹介します。
①理屈による説得
②威圧による説得
③贈り物による説得
この三つの説得はどうも等価値のようです。現在的に考えるならば、②は恫喝による強要で③は贈収賄です。(p.172)
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日本の外交官(そしてその集団である外務省)は(恐らく過去五〇年以上戦争のような修羅場をくぐっていないせいかと思いますが)弱すぎます。特に以下の点にその弱さを感じます。
①秘密が守れない。口が軽すぎる。
②自己顕示欲が強く、組織人として行動できない(その裏返しとして、出世街道から外れると、イジけたひねくれ者になる)。
③語学力が弱く、十分な意思疎通ができない。
④任国事情や一般教養に疎く、任国エリートから相手にされない。
⑤人情の機微をつかむことができず、人脈を作れない。
⑥セクハラが横行しているため、女性外交官の能力を活用し切れていない。(p.177)
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『コミュニケーション的行為の理論』(下)は、ハーバーマス理論を集大成する部分なので、たいへん難しいです。この部分にはハーバーマスのオリジナリティーが現れています。私自身はハーバーマスの考え方を以下のように捉えています。
①資本主義体制(システム)は相当長期間生き残る柔軟性をもっている。資本主義が社会主義に移行するとの仮説は破産している。
②このような資本主義体制が自己を維持できる主要因は、これまでのところ資本主義のみが社会的コミュニケーション能力の発展に対応する能力をもつシステムだからである。(p.193)
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[Book] Sato, Masaru. 2006. Gokuchuki [In Jail]. Tokyo: Iwanamishoten.
この人の読書傾向の面白さに爆笑です。
やー、面白いなぁ。
そしてこの人の語学の勉強の仕方や、本の読み方には関心しきりでした。
まともに勉強しようと思ったら確かにそういうプロセスは有効そうだな、と。
さて、これで、佐藤優さんのものは
- 獄中記
- 国家の罠
- 国家の崩壊
- 自壊する帝国
- インテリジェンス 武器なき戦争
- 北方領土「特命交渉」
と読み、あとは例の大川周明に関するものさえ読めばとりあえず終了です。
今のところ、「国家の崩壊」が特に面白かったです。
この「獄中記」を読んでハーバーマスを読み返したくなりましたが、
しばらくは我慢しないとです。
他にも現在読みたい本にPhilip ZimbardoによるLucifer Effectもあるのですが、
いかんせん届くのに時間がかかるわ、届いてからも読む時間があるか疑問だわ、参ります。
読みたい本を好きなだけ読める日々……そんな日が来ないものでしょうか……
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「能動的知性」が徐々に回復しつつあり、週末にハーバーマスの『認識と関心』を二五〇頁程読み進めました。客観的認識などというものはそもそも存在せず、まず、「認識を導く関心(利害)」があり、そこから事実の断片をつなぎ合わせて「物語」を作っていくのが、近代的人間の認識構造であるということを、カント、ヘーゲル、マルクス等のドイツ古典哲学の伝統、パース等のプラグマティズム、さらにディルタイの「生の哲学」やフロイトの精神分析学の成果を消化し、見事にまとめあげています。(pp.69-70)
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ハーバーマスのコミュニケーション論で面白い記述を見つけました。論理的観念と心理は関係がないという点についての考察です。
①一つの壺が燃焼中に割れてしまった。これはおそらく塵のせいである。壺を検べて、塵が原因かどうかを見てみよう。これが論理的かつ科学的な思考である。
②病気は魔法使いのせいである。ある人が病気である。だれがその病気の原因である魔法使いなのかを見付け出すために、お告げに伺いを立ててみよう。これは論理的であるが非科学的思考である(ハーバーマス『コミュニケーション的行為の理論』上、未来社、92-93頁)(p.95)
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実は、日本の外交官が、ロシアで(恐らくはヨーロッパ全域で)良好な人脈を構築できない要因の一つが、教養の不足にあります。本省からの訓令に基づき、案件を処理するだけならば、特に教養がなくとも十分仕事をこなせます。しかし、ロシア人、特に政治エリートは知性の水準が高く、よく本を読んでいます。また、議論については、ソ連時代の「弁証法的唯物論」で鍛えられているので、こちら側も相当準備をしておかないと、相手にされません。(p.116)
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この関連で、ハーバーマスのコミュニケーション論はとても参考になります。同人の用語を用いるならば、「演技型コミュニケーション」に徹することが重要です。被告人が裁判官に対して訴えるという姿勢だけに徹した場合、政治的には負けます。私は裁判官に対して何か主張をするのではなく、傍聴席にいるマスメディアに対して呼びかけます。罪状認否もそのような観点から行うのが妥当と考えています。
国会の論戦も、相互理解を目指すディベートではなく、あらかじめ立場(役割)を決めた「演技型コミュニケーション」です。政治家としては、鈴木宗男代議士の方がはるかに真摯かつ誠実であり、見識も深いにもかかわらず、世論が小泉潤一郎、田中真紀子、菅直人等になびいたのは、これら政治化が「演技型コミュニケーション」に徹しているからでしょう。(pp.129-130)
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ところで、ポパーの注を読んでいて、プラトンが説得を三種類に分けていたというところが出てきたのですが、一寸面白いので紹介します。
①理屈による説得
②威圧による説得
③贈り物による説得
この三つの説得はどうも等価値のようです。現在的に考えるならば、②は恫喝による強要で③は贈収賄です。(p.172)
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日本の外交官(そしてその集団である外務省)は(恐らく過去五〇年以上戦争のような修羅場をくぐっていないせいかと思いますが)弱すぎます。特に以下の点にその弱さを感じます。
①秘密が守れない。口が軽すぎる。
②自己顕示欲が強く、組織人として行動できない(その裏返しとして、出世街道から外れると、イジけたひねくれ者になる)。
③語学力が弱く、十分な意思疎通ができない。
④任国事情や一般教養に疎く、任国エリートから相手にされない。
⑤人情の機微をつかむことができず、人脈を作れない。
⑥セクハラが横行しているため、女性外交官の能力を活用し切れていない。(p.177)
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『コミュニケーション的行為の理論』(下)は、ハーバーマス理論を集大成する部分なので、たいへん難しいです。この部分にはハーバーマスのオリジナリティーが現れています。私自身はハーバーマスの考え方を以下のように捉えています。
①資本主義体制(システム)は相当長期間生き残る柔軟性をもっている。資本主義が社会主義に移行するとの仮説は破産している。
②このような資本主義体制が自己を維持できる主要因は、これまでのところ資本主義のみが社会的コミュニケーション能力の発展に対応する能力をもつシステムだからである。(p.193)
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[Book] Sato, Masaru. 2006. Gokuchuki [In Jail]. Tokyo: Iwanamishoten.
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