Saturday, April 28, 2007

弱点 Weakness

昨日に引き続きだらだらしたことを書いてしまうことにします。

最近どうにも気になることがあります。
意識しなくても結局毎回同じことを感じてしまう。試合を見ると。
現在の日本の選手の弱点には明確な共通点があると思う。

それはレレバンス。

どうして?ホントに。
8割から9割の試合がイレレバントなセッティングで始まってしまうため、
最初の2スピーチを聞いた時点で大変苦痛な試合になるんです。
また、8・9割の選手があまりにイレレバントで場外になるので、
無難で妥当なことを言えれば勝ててしまう。

つまらん。

まともな試合になった上で、面白い試合とそうでない試合があるわけで、
それ以前にまともなクラッシュのない試合が多すぎて上手下手を話す段階になかなかならない。
一体どうしたわけでしょう。

(実はもっと深刻なことに、審査員や観衆がイレレバントさに気がつかないで平然としていることさえあるようになり始めたような気がします。これは真面目に不味い気がします。)

先日日曜日に大会に行って、確か4試合ほど見たわけですが、
上手い下手の話に持ち込めるのは決勝戦のみでした。
おっかしいなぁ。2年ほど前はもう少し平均値が良かったような気がするのですが・・・

中津燎子が『英語と運命』の中で、主催しているコミュニケーションの塾について書いています。
日本人の特に大人は、どんなに一生懸命トレーニングしてもらっても、
ダイレクトに返事をすることができるようにならなくて、
何故かズレてしまうのが治らなかった、と。
最初わざと誤魔化しているのかと思ったがそうではないらしい。
あれは日本人の奇妙な病気だ、と。

最近本当にそういうのって本当なのかも、と思ってしまいそうです。
だってオカシイでしょ、どう考えても。
いわゆる「とんでもケース」の割合がありえないほど高いもの。

で、一体この奇病の発生源は何なのだろう・・・と考えて、
とりあえず数種に分類してみました。
それぞれに典型的だと思った事例を添えてみます。
現実にはそういう「は?」と思わされるセッティングが数知れずあって疲労感がたまります。

(1)英語力の問題(・・・なのか?)というパターン

THBT all you need is love. (2月にあった大会の決勝戦の論題です)
って言われて体罰を持ってきたケースも明らかにわざと真っ芯外したとしか思えなかった。
(loveって言われてtough loveと定義しようっていうのもひねてるけど、
all you need is なら「さえあれば」と取るのが普通なので、
たとえtough loveとするのをありとしても「体罰『さえ』あれば良い」としないといけないわけです。
あの決勝戦のケースは「時には体罰もあって良い」という設定なのでイレレバントの極地です。
マライア・キャリーがAll I want for Christmas is you.と歌った時に、
「時にはあなたも居てくれて良い」と訳したんじゃロマンチックもへったくれもないじゃないですか。)

おそらく世界大会のEFL決勝戦もこのパターン。
lift sanctionと言われて制裁を解除するどころか更に厳しい措置を採ってしまったケース。
話題になった爆撃ケースです。
よしんばliftを「下げる」ではなく「上げる」に解釈してしまったのだとしても、
普通爆撃はsanctionとは言いません。

これは英語力の問題・・・なんですかねぇ・・・???
まあlift sanctionの方はそうなんだろうと思います。
また、本人達も「やらかしてしまった!」と言っていたので別に問題ない気がします。
まあ、そういう事故ってありますよね。緊張してると特に。

けどall you need is loveはねぇ・・・
なんだか選手も聴衆もケースがイレレバントだと思わなかったみたい。
どういうことなんでしょう・・・・・・?
中学英語の構文なので冷静に考えれば流石に分かりそうなもんです・・・
とするとやっぱり「何故かつい真っ芯を避けてしまう」病なのでしょうか・・・?

(2)論題を丸無視してしまうパターン

こないだの日曜日だと、conciencious objectorの試合もこれでした。
THW legalize conscientious objectors in the armed forces.
私が見たのは何故か「韓国のエリート/特殊技能者一割に兵役免除」というケースでした。
(ちなみに1割には遠く及びませんが現在でもあるシステムなので、
そういう意味でも駄目なケース・セッティングです。理念上の対立が全くないです。)
これは特殊技能者なら自動的に免除されてしまうようなので、
objectorとはまーーーーったく関係ありません。何なんだ、一体。

他にセッティングした本人に聞いたものだと、
THBT teachers should tell students “Thou shalt not commit adultery”.
を、学校でのコンドーム配布というケースにしたとか。
コンドームの使用と不倫がどう関係あるんだ?????
なんなんだ!一体???

こういうのは何なんですかね・・・?
どう考えても本人達も「ちょっとズレテルかも?」という認識はあったのではないかと思うのですが、なんで敢えてそういうセッティングを出してしまうのでしょうか・・・?やっぱり「つい真っ芯を外しちゃう」病?

ちょっと気になるのは、両方とも同じ大学が肯定側だったことです。
なんとなく練習のしすぎで、自分達の知っているケーシングに無理矢理こじつけてしまおうとしているのではないかと思います。練習でやったことのあるのでないと出せない、というのでは歌舞伎の世界です。時事性や社会性を重視するディベートでそんなことをされては意義がふっとんでしまいます。うーん・・・大丈夫かなぁ・・・

(3)ディベート自体への理解に問題があるパターン

先ほどのall you need is loveの試合の否定側がまるっきりこのパターンでした。
NAFA系の大会で出すなら問題ないが、いわゆるパーラで出すのには全く適さないケースでした。
というのは、「叩いちゃまずい。怒鳴りつけよう」というセッティングだったんです。

なんだそりゃ。

この試合を決勝戦で見てしまうというショックを受けて以来、
機会あるごとにパラダイムのレクチャーをしてまわっているのですが、
つまるところパーラメンタリー・スタイル自体への理解が浅いということなのだろうと思うのです。
パラダイムを理解していない。

パーラメンタリー(通常パーラメンタリーと言えばBPのことで、AAやNAは含まれません。が、何故か日本では誤用されたまま即興性のディベート全体がパーラと称されているままです。ここでは敢えて誤用のまま用います)スタイルは、基本的に比例代表選挙をモチーフにしています。

たとえば自民党が「憲法を改正すべきだ」と言ったら、民主党は「改正するべきでない」と言わなければなりません。自政党の独自性・差別化を押し出さなければ有権者がその党に票を投じる理由ができないんです。なので、民主党に「僕も改正すべきだと思うんだけどぉ。。。ここの部分のこことここらへんはちょこっと変えたほうが良いんじゃないかな、と思うんだけどぉ」とか言うオプションはありません。分かりにくいからです。とにかく立場のコントラストを明確にすることが至上命題です。クラッシュを創出して始めてディベートが始まります。

尻をひっぱたくか怒鳴りつけるかでは、両方とも「tough loveを与えるべきだ」という立場になってしまうので論外です。パーラのパラダイムでは、それではディベートになりません。

・・・・・・ここら辺の「ポリシーの影響を奇妙に受けたパーラ」という独自の事情を抱える日本では
ある程度仕方ないのかもしれませんが、まず決勝戦でみたくないし、パーラしかやっていない大学に見せられるのはあんまりな気もします。やっぱり、流石にファイナリストは自分達のスタンスがなんかズレてるというのは分かっていたのではないかと思うんです。でも「何故か真っ芯を避けちゃう」病??なんでしょうか・・・・・・?

(4)イシュー選択に問題があるパターン

これが異様に多いです。
感覚的には失敗する試合の5割はこのパターンではないかと思います。
スタンスまではまあ多少クラリティに欠けるが何とかなった・・・その後。
「そこじゃねーだろ!!!」と叫びたくなるような議論が飛び出してくるパターンです。

こないだの日曜日だと、THW ban face veils in school.と言われて、
学校での苛めの問題を延々と語るとか。
いや、そこじゃないだろ!!の極地でした。
救いは、否定側がちょっと具体性に欠けてはいたものの割りと方向がまともだったこと。

同じ日、この直後、THW prohibit any kinds of pornography on the Web.
の否定側が失業問題について熱く語ってしまうのを見てしまいました。
いや、ホント、そこじゃないだろ!!
実はこの試合は肯定側も「未成年者の視聴を防ぐため」というのがメインで、
これまた、そこじゃないだろ!!という気持ちが拭えないものでした。
わざわざ「any kinds of」とまで入れているのだから、相当クラシックなそもそも論を期待していたはずです、論題選考した人は。それをそんな小さなグループに落とし込まれては・・・・・・もう何なのさ。
まあそれでも否定側よりはずっとマシでしたが・・・

同じようなパターンで、一年前の東工大杯の決勝がありました。
Japan should have real armyと言われて、
「自衛隊を日本軍と変名する」というケースを出してしまった肯定側。
いや、真面目に、そこじゃないだろ!!!!
なんでそうやってわざわざ真っ芯外すわけ??

(5)知識に問題があるパターン

これは海外でもみかけるので、日本特有ではないと思います。
が、日本ネタでこれがあると眩暈がします。

そう、これが今年の東工大杯の域内共通歴史教科書の試合ですが、
これはいつかまとめて書くことにしたいと思います。

とりあえず、ルシアに「日本人だって日本のこと全然知らないジャン」と言われて
ぐうの音も出ませんでした。
これまで「日本人が馬鹿で無知なわけじゃない。大会でのトピックが日本人に親しみの薄いものに偏っているだけだ。我々の地域のものを出してくれれば質の高い試合を提供できる」と、論題の地域代表性の重要性を話して回ってお願いしてきていただけに大打撃でした。ホントまいった。

だってさ、セルビアやソロモン諸島についてのディベートでちょっと知識が足りなくてしくったセッティングしちゃったとしても、「日ごろ触れる日本語メディアにほとんど出てこない」という構造的な問題があるけど、歴史教科諸問題で「情報の取得に困難がある」というのは無理じゃないですか。それで同じようなレベルの試合をしてしまっては・・・・・・正直お天道様に顔向けできません的な気持ち。もうティムとかにお願いできないよ・・・・・・はあ、ホント、あの試合は困りました・・・

まとめ。

ディベートにおけるレレバンスというのは、つまりは「空気を読む」ことだと思います。
つまり日本のディベータには空気を読めない人が異様に多い!!!
「空気を読む」ことが一般的に日本的とされていることを考えると何だか奇妙な気がします。

たまにやってしまうのは仕方ないと思うんです。
私も何試合か忘れられないアホなセッティングをしてしまった経験があります。
(具体的にはICUTの決勝のクォータ制を出すべきところでワークシェアリングを出しちゃったのとか、IDC3の決勝の否定側で温暖化をインパクト・ターンしちゃったのとか・・・)

しかしですね、現在のパーセンテージは異常だと思います。
ホント、なんなのだなんなのだなんなのだ。どうしてしまったのだ。
こないだの日曜日は実に4試合中3試合(伝聞のものを含めると5試合中4試合)、
最初の2スピーチで「論外ラウンド」になってしまったわけですから、
どう考えても異常だと思うわけです。

・・・・・・Dynamics of DebateだのResponssivenessだのはディベートの命です。
それが欠けてしまってはディベートにならない・・・
そもそもクッキー・カッターだのプリンシプルだのというのが流行ったのは、
Dynamicsを確保するためなわけですが、言葉ばかりが独り歩きしている印象があります。
どうやったら日本のディベートコミュニティに魂が甦るのでしょう・・・
とりあえず論題をきっちり読め、必要なら声に出して読め、って感じ?

・・・うーん・・・・・・ちょっと愚痴っぽくなっちゃった。
きっと自分で読み返してもやな感じの文章だ。
次回はもっと明るく書きたいと思います。

4 comments:

Anonymous said...

 何処に行ってもそういう問題はあるのですね・・・。ちょうど明日、日本語のディベート甲子園関係のイベントでjudgeをすることになっているので、考え込んでしまいました。

 勝敗がつくから偏ってしまう(勝つという目的に向けて、目的合理的なギリギリのところで勝負しようとする)傾向は構造的なものだと思うのですが、それがjudgeの思考プロセス以上に、過度に偏ってしまう構造的な問題は、ずっと解消されないままですね。

 これはやっぱりjudgeの問題だと捉えるべきで、それを取ってしまう人間がいるから解消されないのだと、基本的には思っているのですが、それにしても偏ったargumentが多い。
 とすると、judgeのfeedbackは適切なのだけれども、実はfeedbackを得る機会自体が想像以上に現役ディベーターには少ないのではないかと思っています(日本語の、中学や高校においては、この推測は当たらずとも遠からずだと思いますが)。したがってPDCAが回りにくいので、改善されないと。

 すみません、独り言みたいなコメントですが。明日、試合を見ながら考えてみようと思います。

Anonymous said...

大変示唆に富むpostだと思います。
もしこのようなparliamentary debateの問題についてかかれた文献をご存じでしたらご教示いただければ幸いです。

Anonymous said...

 変なセッティングのように、「フツーに考えればわかること」がわからなくなってしまう症状のことをぼくは「ディベート脳(の恐怖)」と読んでいます(笑

 ぼくが思うに、結局のところ「何をすれば勝てるのか」ということに対する考え方が捻じ曲がっちゃってるっていうのも一つの理由かと。びっくりケースやソフトなケース出せば勝ちやすい、みたいな。だから自衛隊の名前変えたりとか、何か特殊な人たちだけ兵役免除したりしようとするのです、ハームが出なさそう、みたいな考えだけで。そうじゃないだろ、そうじゃ。もっとも、兵役免除の奴は「良心的徴兵拒否」っていうのを知らなかった可能性を否定できませんが。

 あとは、パラダイムの問題にもかぶってくるのですが、最終的に肯定/否定するものは何か、っていうことも一つの鍵になっているのかと。Rez-FocusかPlan-Focusか、みたいな。「その議論はMotionとは関係ないだろ!」「いや、プランからでる話なんだから関係あるんですー」とか。うーん…。

 「空気を読む」とのことですが、結局のところ教育の問題になるのかな、と。アホなセッティングを許すような空気があれば、まあ別に空気よんだって…ねぇ? 「空気を読む」っていうか「もっと常識的に考える」ってことが必要な気がします。Average Reasonable Personを説得するんですから。まあ、要求される「常識」のレベルって意外に高いのかもしれませんけど(ぼくは未だにダメっす)。

 ちなみに、この間もどこぞの練習会で"invade somewhere"というのをeconomic sanctionの話にセッティングされて、「辞書引けよ!」とスピーチ中にほえてしまったのでした。ちなみに、すずまささんはDef-Challengeについてどうお考えなんでしょうか? いつも迷っちゃうんですよね。

go said...

皆様コメント大変ありがとうございます。しばらくバタバタしておりましたので返信遅くなりまして失礼いたしました。

masashiさん、

甲子園系のイベント、どうでしたか?JDAの春の日本語大会、同じオリセン内で別のディベートキャンプが開かれていてそこで審査していました。masashiさんが見えている、と思って審査終了後大急ぎでJDAの会場に伺ったのですが、もう大会が終わった後で涙をのみました。次お会いできるのはいつかしら。早くお会いしたいものです。

うーん・・・judgeの問題とfeedbackの頻度の問題、どちらも頷けました。どっちなんでしょうね。両方かもしれませんね。質の高いjudgeからfeedbackされる割合が低いのかもしれない。効率が悪いから選手が可哀想ですね。masashiさんもガシガシ審査員しに行って下さいよ(笑)

amateurdebaterさん、

残念ながらParliamentary Debate(重ねて書きますが、このParliamentary Debateという用語の使い方は本来誤りです。)の問題点にフォーカスした書籍というのは存じません。また、masashiさんもご指摘の通り、こうした問題はフォーマットに関係なくあるようです。ただ、国際大会の審査パラダイムは比例代表選挙を想定している関係で、システムアナリシスよりも理念の対決に焦点を当てる傾向があります。ですので、ポリシーでは歓迎される議論が国際大会では「レレバンスに欠ける」と評価されることがままあります。逆もまたしかりです。

私個人の意見としては、フォーマットやスタイルに関係なく、日本の中等教育に問題があるように思います。もう少し外界に目を向けた教育をしないと「日本の常識は世界の非常識」状態に気がつけないような気がします。

にわさん、

一度KDSの卒業生とは話しておきたいと思うのですが、Resolution FocusやPlan Focusは真実探求型のディベートと相性が良いように思います。私も長いこと分からないでいたのですが、Parliamentary Debate(重ねて書きますがこの用法は本来誤りですが)はBest Policyの亜流ではないかと思います。

空気を読む、の話ですが、masashiさんも書いてらっしゃる通り、judgeの責任が大きいのでしょう。最近judgeのレベルが足踏み状態で、それがコミュニティの阻害要因になっているように感じます。

最後にDefinition Challengeについてですが、私は必要な時はするべきだと思っています。相手のセッティングがおかしくても誰もチャレンジしないのでは、抑止力がなくて困ります。まともなセッティングをしないと勝てないようにしないといけません。その意味でもチャレンジの手順を正確に理解している人が少ないことは大変残念です。

チャレンジする場合には、
(1) チャレンジする旨明言する
(2) 何故肯定側のセッティングが違法なのかを説明する(truism, time/place set, wholy unreasonableの3スタンダードから一種選びます。)
(3) Counter Defを提出する
(4) Counter Defに基づいて否定側立論を行う
(5) 万が一Affirmative Defが採用された場合の否定側立論を行う(但し、truismの場合はあたわず)

チャレンジして欲しい試合は山ほどあるのに、上の手順に従った正式なチャレンジを私は一度も見たことがありません。大変残念なことです。