Tuesday, May 16, 2006

【Book】イソクラテスの修辞学校 Isocrates's School of Rhetoric

【本】廣川洋一.2005.『イソクラテスの修辞学校: 西欧的教養の源泉』.講談社.

ソクラテスの情熱が隔世遺伝したみたいな、名前も似ているイソクラテスさん。「よっ、ど根性ディベータ」と声をかけたくなるほどディベータの守護者。互いを説得する力に無限の可能性を見たイソクラテス。彼の見た世界はどんな世界だったのか。彼の見た夢はどんな夢だったのか・・・。一度でいいから生身の彼に会ってみたかった。 それでもやっぱりソクラテスの方がもっと好きだけど。

けどそんな素敵なイソクラテスも、バルバロイ(異民族)への差別心は隠しもしない。あと動物を「野獣」と蔑む気持ちも現代人には薄いかも。現代の私には文明とか未開といった言葉もできれば避けたい語彙に入る。時代のマインド・セットって怖いなーと思います。

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「無教養な人間であるよりは、むしろ乞食であるほうがまし」という願いは、多くのギリシア人に共通した願望というべきだが、その教養の内実は、私たちが今省みたアリスティッポス、プラトンの幾何学図形を教養のしるしdoctrinae indicesとみる流儀のものがただひとつあったのではない。プラトンと同時代の、弁論・修辞家イソクラテスの立場は、これとは異なっている。彼は、われわれ人間は動物とくらべて、脚の早さや体力など多くの点でいっそう劣っているが、ただひとつわれわれには「相互に説得しあい、われわれの求めるものを明らかにする能力」が生来備わっていたことから、野獣の状態を脱しえたのみならず、都市を建て、法を創り、もろもろの技芸を起こした(Antid. 253-254)と述べ、人間の全文化が弁舌と説得の力から生じたことを熱をこめて語っている。人間が他の動物と異なるのは、言葉 λογος の点においてである、したがって、この言葉を練磨し育成することこそ人間が最も人間らしくなる方途である、イソクラテスがアテナイ人に勧めるのは、このような、言論を人間形成の中核とする教養理念である。人間が言葉をもつことにおいて他の動物と隔絶していると述べるだけでなく、彼はさらに、ギリシア民族が異民族よりも秀れているのは、「言論と思慮において」一段とすぐれて教育されている πεπαιδευσθαι ことによる(Antid. 294)とし、「ギリシア人」なる呼称は、自然的な血のつながりを示す言葉ではなく、むしろこのようなわれらが教養に与る者 τους τη παιδευσεως της ημετερας の謂だ(Paneg. 55)と語っている。こう述べるイソクラテスは、話す能力、文章をつくりなす力を人間に固有なものhumanusとみ、この力をいっそう磨き育てることを、人間がよりいっそう真正の人間となるhumanior、より多くの人間性をもつ者となるための教育の内実と考えていたといえるだろう。
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「われわれが野獣どもにたいしてはるかに優位に立つのは、まさしくこの一点、すなわちわれわれがたがいに話を交わしあい、われわれの思念を言葉によって表現しうることexprimere dicendo sensa possumusにおいてなのだ」(De Orat.1.32)と述べ、弁論・修辞術が人間と野獣を区別する言語能力を最高度に発達させ、人間を未開から文明の状態へと高める原動力となった(De Orat. 1.33)と語るキケロは、すでにみたイソクラテス的な修辞学的教養伝統の正しい継承者なのである。
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わが国においては、二つの教養理念のうちプラトン的なそれがすでによく知られてきたのにたいして、イソクラテス的なそれは、わが国におけるヨーロッパの弁論・修辞学すなわちレトリックの伝統についての蓄積と理解が浅かったためもあって、ほとんど知られることがなかったといわなければならない。
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イソクラテスはしかし、文体については、詩語や稀語、隠喩を多用し、いわば過度に装飾的な文体を創り出すゴルギアスのゆき方をかならずしも踏襲していない。むしろ、日常言語の世界に身を置き、日常言語をうまく結び合わせることによってそこに特色と品位をそなえた言語世界を創造する、新しい散文の文体を生み出したのである。ゴルギアスが人目を惹く語句にその効果を置いた、いわば箇々のレンガや石を磨きあげたのにたいして、イソクラテスの文体の特色は、箇々の句や節をより大きな単位に従属させ、部分と部分を巧みに組み合わせて大建築へと完成させるその構成の妙にあるといわれる。また、彼はゴルギアスとは異なり情緒や感性に訴えることよりも、冷静な論議による理性的説得を目指したことも指摘されている。
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前三九九年、国家の神々を認めずアテナイの青年を腐敗堕落させた廉でソクラテスが刑死した時、イソクラテスは三七歳、おそらくテッサリアのゴルギアスのもとでの修行時代を終って、アテナイで法廷弁論代作人(ロゴグラポス)としての経歴を始めて数年が経っていた。古伝によると、彼は「ソクラテスの死に度を越えるほどουμετριως嘆き悲しみ、翌日彼は黒衣をまとって現れた」(Ps.-Plut. 838F)という。『無名氏イソクラテス伝』は、イソクラテスが「哲学者ソクラテスの弟子μαθητης φιλοσοφου Σωκρατους」(Anonymi V. Isocr. 6 p.254)でもあったことを語っている。私たちはこれらの古伝をそのまま真実とすることはできないだろう、プラトンやアンティステネスらがそうだったという意味での「弟子」ではなかったといわなければならない。しかし、ソクラテスの教育ぶりを、少年・青年時代のイソクラテスが常日頃、見聞きしていたことは疑いのないところだし、ソクラテス的精神とでもいうべきものに彼がひそかに憧れ尊敬の念を抱いていたとしてもけっして不思議なことではない。
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これらの点に立ち入った解説はV章4節でみていただくとして、ソクラテスの影響と思われるもののうち最大のものは、イソクラテスの言論・論説にみられる倫理性、道徳性への感心の高さである。言論における倫理性は、ゴルギアスをはじめソフィストたちにはない特性とみられている。イソクラテスが弁論・修辞の術を中心とする、彼の教養理念をたんに「立派に語る το λεγειν ευ」において見ず、「立派に思慮するτο φρονειν ευ」との連係において見ていたこと、さらに「立派に語ること」を「立派に思慮すること」の最大のしるしでなければならぬとし、善き言論は善き魂(精神)の以像であると主張していたこと、総じていえば、言論の術における「思慮」の重視は、イソクラテス言論の独自な点であり、この点に私たちはソクラテスの影響を認めることができる。
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【Book】HIROKAWA, Yoichi. 2005. Isocrates's School of Rhetoric. Tokyo: Kodansha.



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