Sunday, May 07, 2006

【Book】ペンと剣 The Pen and The Sword



【本】サイード,エドワード.中野真紀子訳.2005.『ペンと剣』.筑摩書房.

映画の「ロスト・イン・トランスレーション」ご覧になりましたでしょうか。あの作品、どこか居心地の悪さがありませんか。オーストラリアの友人達はあの映画が好きだと言って、映画に出てくる場所を観光したいと無邪気に言ったりします。渋谷のスクランブル交差点で大喜びで写真を撮ります。それを見て、興味を持つとっかかりがあるのは良いことだと思うのです。けれど何処か喜べない自分がいます。それは多分あの映画の中で「われわれ」と「かれら」があまりに明確に区別されているからではないかと思います。

サイードの説明するジャニーヌの態度は、あの映画の主人公たちに似ていると思います。理解不能な現地語を喋る現地人たちに囲まれて、彼らをかけ離れた生き物のように扱う。アラビア語ではなくて日本語なだけではないでしょうか。

以下、引用。
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 カミュは、重要な作家であると同時に、それに劣らぬほど大したスタイリストです。多くの点で模範的な小説家であることは間違いありません。確かに彼は抵抗について語っています。しかし僕がひっかかるのは、この作家が、本人の素性や過去から切り離されて読まれていることです。カミュの素性は、植民地人、ピエ・ノワールです。彼はアルジェリアの海岸に面した、アラビア語でアンナバ、フランス語ではボーヌと呼ばれる都市の近郊で生まれ育ちました。この町は一八八〇年代から一八九〇年代にかけて、フランス化したのです。彼の先祖はコルシカや南欧各地やフランスからの移民です。彼の小説は、実は植民地的な状況を表現したものだと僕は見ています。
 『異邦人』(L'Etranger, 1942)に出てくる主人公ムルソーはアラブ人を殺しますが、カミュはこのアラブ人に名前も素性も与えていません。小説の終わりの方で、ムルソーが裁判にかけられる場面の着想は、完全に思想的なフィクションです。植民地時代のアルジェリアで、アラブ人を殺したかどで裁判にかけられたフランス人などひとりも存在しません。これは偽りです。彼は虚構を構築するのです。
 第二に、後年の小説『ペスト』(La Peste, 1947)では、あの都市で死んでいくのはアラブ人なのですが、彼らについては何も語られません。カミュとヨーロッパの読者にとって問題になるのは、当時も今も、ヨーロッパ人だけなのです。アラブ人はただ出てきて死ぬだけです。
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 「アルジェリア民族などというものは存在しない」――彼はムスリムの帝国主義を公然と非難しました。人間の状況に対する偏見のない観察者どころか、カミュは植民地の証人なのです。苛立たしいのは、彼が決してそんなふうには読まれないということです。僕の子供たちは高校生と大学生ですが、最近、それぞれフランス語の授業で『ペスト』と『異邦人』を講読しました。息子と娘のどちらの場合も、カミュを植民地という文脈から切り離して読まされました。カミュが荷担していたこの異論の多い歴史については、何の指摘もなかったのです。
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 これ〔カミュの『追放と王国』(L'Exil et le Royaume, 1958)に収録された「不貞の女」〕は後期の作品で、一九五五年以降に書かれたものです。物語はジャニーヌというフランス女性についてのもので、彼女はセールスマンの妻です。夫妻はアルジェリア南部に向けてバスで旅しています。彼女は、自分の国にいるのに外国人に取り囲まれている、と発言していますが、これは当時カミュ自身が感じていたことでしょう。ジャニーヌはアラビア語がわかりません。現地人を、かけ離れた生き物のように扱います。
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 アラビア語は第二次世界大戦の終結まで排斥されました。なぜなら、アルジェリアはフランスの一部と考えられていたからです。この言語を教えることができた唯一の場所は―今日のアルジェリアの状況に大きく関連することですが―モスクのなかでした。イスラムは、当時も今も、ナショナリズムの最後の避難所だったのです。
 FLNは一九六二年に政権を奪取すると、アラビア語を復活させました。そのアラブ化政策には、やや行き過ぎた点もあったようです。アラビア語の学習が強要されました。ベン・ベラやブーメディエンの世代は、アラビア語をまったく知らなかったのです。彼らの実用言語はフランス語でした。方言を話し、クルアーン(聖典)を読むことはできましたが、東アラブ世界の僕たちが使うようにはアラビア語を使えなかったのです。そこで彼らはそれを学ばねばなりませんでした。
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 合衆国が百万のヴェトナム人の命を犠牲にしたことなど、ほとんどのアメリカ人は忘れています。僕の生徒のなかにはヴェトナム戦争のことさえ知らない者も少なくありません。そのことは忘れられてしまったのです。ジミー・カーター〔一九二四~ 合衆国大統領(一九七七~八一)民主党〕は、あの戦争が「相互の破壊」だったと言いました。でも、ヴェトナムにおける破壊の規模と、帝国主義の侵略者である合衆国が耐え忍んだ犠牲とでは、とても比較になりません。
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【Book】Said, Edward. 1994. The Pen and the Sword: Conversations With David Barsamian. Common Courage Prress.

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