Wednesday, May 10, 2006

【Book】多くの声,一つの世界 Many Voices, One World

【本】ユネスコ.永井道雄監訳.日本新聞協会「国際的な情報交流の自由に関する研究会」訳.1980.『多くの声、一つの世界: コミュニケーションと社会、その現状と将来』.日本放送出版協会.

やっと手元に届きましたー!!!
この邦訳が欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて・・・・・・・
オンラインオークションで競り落として入手しました。
450円だったけど・・・。なんでそんなに読みたい人いないの・・・?
こんな大切なトピック。ユネスコで最もデッドヒートした論争の一つ。そのコミュニケーション問題研究国際委員会(通称マクブライド委員会)の報告書ですよ?訳者も気合入った陣営。そして今もNHKの国際化とか話題なのにさ。おかしいじゃないさ。皆興味ないのか?そもそもなんでこの本が絶版なのだ?世の中よくわからないものです・・・。

気になるのは、英語版にはあって邦訳にはない注釈。
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The author is responsible for the choice and the presentation of the facts contained in this book and for the opinions expressed therein, which are not necessarily those of UNESCO and do not commit the Organization.
The designations employed and the presentation of material throughout this publication do not imply the expression of any opinion whatsoever on the part of UNESCO concerning the legal status of any country, territory, city or area or of its authorities, or the delimitation of its frontiers or boundaries.
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・・・。これってどういうこと?本来これはユネスコのコミュニケーション問題研究国際委員会の報告書です。邦訳の方など著者名が奥付にしっかり「ユネスコ」と書かれています。(これはおそらく邦訳が正式な認可をユネスコから受けずにフライング的に出してしまったのでしょう) 日英両方の版にユネスコ事務局長だったアマドウ・マータル・ムボウのまえがきも載っているのです。それなのに「ユネスコには関係ない」??「全ての責任は個人にあってユネスコは感知しない」ってか!!!
この腰抜けー!!!!委員会を招集して人選したのまでユネスコだろうがーーー!!
これだから肥大化した官僚機構って良くないよな、って思います。

さて、以下邦訳版の永井道雄による邦訳版への序文から引用。
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 新世界情報秩序の提案は、新国際経済秩序への動きと併行して、七〇年代の前半、主として第三世界のあいだで、次第に具体化されたものである。第三世界が不満としていたのは、世界の情報が、主要国にあるAP、UPI、ロイター、AFP、タスなどの国際通信社に握られており、発展途上国が政治や経済の主権をかちえつつあるにしても、情報主権の獲得には、程遠い状態にあることであった。すでにユーゴスラビアのタンユグ通信社を中心に、数多くの途上国が参加するプール通信社がつくられているが、こうしたものを強化してゆきたい。それには、ユネスコのような国際機構で、世界的な合意をえたいというのが発展途上国の願望であった。
 こうした動きが、明確な形をとったのは、一九七六年の秋に、ケニアのナイロビで開かれたユネスコ総会であった。国際的な情報の均衡ある流れをつくるために、世界のマス・メディアが協力するという宣言案の審議が行われたが、そこで、おこったのは、国際的合意どころか、”ナイロビの決戦”といわれたほどの国際的な対立だったのである。
 その理由は、国際的に新しい情報をつくってゆくうえで、国家が義務を負っているとする文章が宣言案のなかにあり、しかも、こうした考えをもつ一部の発展途上国の立場に、ソ連邦が協力していることが明らかな点にあった。ジャーナリズムの活動を新しく変えてゆくうえで、国家が役割をはたすというのは、自由を原則とする自由諸国にとて、到底、容認しえないことである。当然のことであるが、英米をはじめとする自由諸国は、宣言案に反対し、なかでも、当時、アメリカの国務長官だったキッシンジャー氏は、ムボウ事務局長に、この案が通るようであれば、アメリカはユネスコに協力できないと伝えたといわれる。
 こうして、七六年のナイロビ総会での宣言案は廃案になった。しかし、国際的な情報の流れを均衡あるものにしたいとする要求は、もっともなものである。その結果、ムボウ事務局長が、この複雑な問題の解明のために設けたのが、マクブライド委員会であった。
 だから、委員会は発足の当初から、東と西、南と北の緊張をはらんだものであった。
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次は、アマドウ・マータル・ムボウのまえがきから。
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 コミュニケーションはあらゆる社会的交流の中心となるものである。
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 各国はいまや他のあらゆる国の日常の現実の一部を構成している。世界は、その連帯性に対する真の認識は持っていないかもしれないが、ますます相互依存的になり続けているのである。しかし、この相互依存は、数多い不均衡を伴っており、時には重大な不平等を生み、誤解と多種多様な緊張の温床が結び合わされて世界を動揺に置くような結果になっている。
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ショーンマクブライドの緒言には以下のような記述もあり、永井の見方と重なる点もある。
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 一九七〇年代には、コミュニケーション問題に関する国際的な討論は、多くの領域で騒然とした対決の地点に到達していた。工業化諸国からニュースの支配的な流れに対する第三世界の抗議は、しばしば情報の自由な流れに対する攻撃と解釈されていた。ジャーナリストの自由の擁護者は、国家主権の侵害者とみなされた。ニュース価値や、ジャーナリストの役割、権利および責任に関する種々な概念は、世界の主要な諸問題の解決に対するマスメディアの可能な貢献とともに、広範な論議の的になっていた。
 委員会の発足当時のこのような分裂的な雰囲気からして、私の当初からの関心は、今日のコミュニケーションの状況に対する均衡がとれ、普遍で客観的な分析をどのようにして達成するか、われわれの前にある主要な諸問題に関するわれわれの見解のできる限り広範なコンセンサスをもたらすという挑戦にどうしたら応じられるか、ということだった。
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以降は本文から。
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 力と富の格差は、それ自身の重みによって、あるいは意図的な行動によって、コミュニケーションの構造やコミュニケーションの流れにインパクトと影響を与えている。ここに国際的なコミュニケーション、特に先進工業国と発展途上国間のコミュニケーションに非常に特徴的な不平等、不等性、不均等の基礎的な原因の多くが横たわっている。
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 国際関係におけるコミュニケーションの役割もまた重要であり、まさに不可欠となっている。それは、コミュニケーションが、人類の生存を脅かしている諸問題――国家間の協議と協力がなければ解決できない問題、つまり軍備競争、飢餓、貧困、非識字、人種差別、失業、経済的不公平、人口増加、環境破壊、女性差別――に十分に取り組むことができる国際世論の能力を支配しているからである。
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 しかし、コミュニケーションにおける明白な不均衡は、”自由な流れ”とは”一方的な流れ”以外の何ものでもなく、その”自由で均衡のとれた流れ”を保障するために言い改められるべきであるとの見解を裏付けるものであった。これらの概念の幾分あいまいな起源は一九五〇年代にさかのぼるものであり、一九六〇年代末と一九七〇年代の初めの間に、それらのものが、もっとはっきりと定義されるようになった。その時までには、先進工業国と発展途上国の間のニュースと情報の流れの不均衡は、現代世界における基本的な政治、経済問題にかんする討論の一つの問題点として国際会議の主要な題目となった。今日では、この不均衡の現実に異論をはさむ者はほとんどいない。しかし、この概念の具体的な適用については一般的な合意はできていない。ましてこの問題の是正策や望ましい政策についてはなおさらである。自由な流れと一方的な流れ、均衡と不均衡といった概念が討論の問題点、まさに国際的な論争の問題となってきたのは、このためである。
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 推定によると、少なくとも一六の言葉が五〇〇〇万以上の人々によって話され、それは中国語族、英語、ロシア語、スペイン語、ヒンディ語、ポルトガル語、ベンガル語、ドイツ語、日本語、アラビア語、ウルドゥー語、フランス語、マレー・バハサ語、イタリア語、テルグ語、タミール語などである。

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 多数の言語と方言が拡大したことには、歴史的、民族的、宗教的、社会的な理由があった。しかし、時が経つにつれて、新たな民族国家の出現は、世界の広大な地域に対する覇権的な圧力と帝国主義的支配と合わさって、しばしば多くの国で言語の修正と、方言や俚諺の漸進的な消滅に導いた。その反面、植民地主義は少数のヨーロッパ言語が地球上に広がっていくことを確実にした。弱小文化を同化していく傾向はいまもなお続いている。
 それぞれが長い伝統を具現している言語の多様化は、世界の文化的な豊かさと多様性を表している。 一つの言語の消滅はつねに損失となるものであり、その保存は基本的人権のための闘いによるものである。さらに、近代的なマスメディアにおいては、伝統的なコミュニケーションと同様に、種々な言語を使用することは全人口に理解のための平等な条件をもたらす点で有利である。これは言語の多様化からなんらの問題も生じないという意味ではない。全国的な「リンク的言語」ないしそれぞれの言語の間の関係の選択は、困難や紛争の原因となっている(インド、カナダ、ベルギーの三つの例も一部にすぎない)。言語の多様化はコミュニケーションに対する明らかな障壁となり、文化的な問題を生み、科学的、技術的な発展を妨げる。少数の言語の世界的使用は、他の言語に対するある種の差別と言語的な階層性の設定に導いている。それによって世界の人口の大部分は、近代的な研究やテクノロジーの多くを最大限に利用できる言語的手段を欠くことになるのである。
 このような主要言語の集中化は「言語の障壁」の問題が過大評価されているとの見解を力づけるかもしれないが、事実は、そのような言語を話す現地人や、主としてその土地の狭いエリート層に属して、二ヶ国語あるいは他国語を話す比較的少数の人々を除いて、世界中の数百万の人々が、理解し難い障壁に直面しているのである。いまでは情報の流布は、言語的に有力な者の表現と慣用句によって行われる傾きがあり、そのためにこれら多くの人々は差別されているのである。
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 全世界の日刊紙発行部数は総計四億部を越え、過去十年間で二〇%の増加となっている。世界的な平均では、人口一〇〇〇人あたりの発行部数はさらに増加して一〇四部から一三〇部になっている。日刊紙の総数は約八〇〇〇にのぼり、国別で最も発行部数の多いのはスウェーデンと日本で、人口一〇〇〇人あたり六〇〇部近くなっている。地域的に最も多い発行部数はソ連で、人口一〇〇〇人につき三九六部、日刊紙の数が一番多いのは北米地域で一九三五紙にのぼっている。発行部数の最も少ないのはアフリカで、一〇〇〇人につき十四部である。

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 書籍は過去においてもそうであったように、知識と文化的価値のかけがえのない貯蔵庫となっている。今世紀は書籍の生産が拡大し、依然として加速度的に増加しているが、それは識字者の絶対数の増加、教育の発達、ペーパーバック本の出現、生産と配布の技術の改善、そして遠隔地にさえ拡大された図書館や移動図書館の出現によるということができる。一九五五年から一九七五年までの間に、年間に発行された書籍の点数は二倍以上に増加し、発行部数で三倍増となった。現在では、毎年点数で五九万、部数で八〇億が印刷されている。しかし、主として用紙コストの高騰により本の価格は値上がりし、必要な成長を妨げている。状況はこれも顕著な不均衡と依存のそれを示している。本は国内および国家間の双方で非常に偏って配布されている。世界の人口の七〇%を占める発展途上国は、刊行される書籍の二〇%を生産するにすぎず、その多くは先進国を中心とする企業の子会社によって印刷されている。ときには種々な点で不適当な輸入書籍を学校で使わなければならず、自国の図書は出版資源が不適当なため書店や図書館に十分で回っていない。
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【Book】The MacBride Commission. 1980. Many Voices, One World: Towards a New, More Just, and More Efficient World Information and Communication Order. Lanham: Rowman & Littlefield Publishers, Inc.

What I feel a bit odd is the following small print.
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The author is responsible for the choice and the presentation of the facts contained in this book and for the opinions expressed therein, which are not necessarily those of UNESCO and do not commit the Organization.The designations employed and the presentation of material throughout this publication do not imply the expression of any opinion whatsoever on the part of UNESCO concerning the legal status of any country, territory, city or area or of its authorities, or the delimitation of its frontiers or boundaries.
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What??? Why?

The book is an official report by the International Commission for the Study of Communication Problems (aka. MacBride Commission) of UNESCO. And it has Forword by then Director-General of UNESCO, Amadou-Mahtar M'Bow. UNESCO is the one who recruited and called upon the commission members. UNESCO is the one that initiated this commission. And putting all the responsibility to the individuals? What kind of bizarre position is that??

Anyway... I think this report is an important document often ignored by recent studies. Especially, when Japanese are so keen on the international news flow, the Japanese translation of this book is out of print. (I had to bid off an old copy at an auction site!!)

Quotation from the Foreword by Amadou-Mahtar M'Bow.
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Communication is at the heart of all social intercourse.
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Every nation now forms parts of the day-to-day reality of every other nation. Though it may not have a real awareness of its solidarity, the world continues to become increasingly interdependent.
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From the Preface by Sean MacBride.
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In the 1970s, international debates on communications issues had stridently reached points of confrontation in many areas. Third world protests against the dominant flow of news from the industrialized countries were often construed as attacks on the free flow of information. Defenders of journalistic freedom were labelled intruders on national sovereignty. Varying concepts of news values and the role, rights and responsibilities of journalists were widely contended, as was the potential contribution of the mass media to the solution of major world problems.
Given this divisive atmosphere which surrounded the start of the Commission's work, my concern from the beginning was how to achieve a balanced, non-partisan, objective analysis of today's communication scene and how to meet the challenge of reaching the broadest possible consensus in our views on the major issues before us.
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The rest here are from the main text.
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Discrepancy in power and wealth, by its own weight or by deliberate action, has an impact and influence on communication structures and communication flows. Herein lie many of the underlying causes of the inequalities, disparities and imbalances so characteristic of international communications, in particular between industrialized and developing countries.
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Communication's role in international relations is also important, and indeed vital, because it governs the ability of international opinion to come fully to grips with the problems which threaten mankind's survival --- problems which cannot be solved without consultations and cooperation between countries: the arms race, famine, poverty, illiteracy, racism, unemployment, economic injustice, population growth, destruction of the environment, discrimination against women.
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However, the obvious imbalances in communication supported the view that "free flow" was nothing more than "one-way flow", and that the principle on which it was based should be restated so as to guarantee "free and balanced flow". The somewhat hazy origins of these concepts date back to the 1950s; they became more clearly defined between the late 1960s and the early 1970s. By that time, the imbalance in the flow of news and information between industrialised and developing countries was a major topic in international meetings, as an issue in the debate on fundamental political and economic issues in the contemporary world. Today, virtually no one disputes the reality of this imbalance. There is no general agreement, however, about concrete applications of the concept, still less about remedies to the problem and desirable policies. It is for this reason that the concepts of free flow and one-wahy flow, balance and imbalance, have become issues of the debate and indeed of international contention.
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