Saturday, May 27, 2006

【Book】パロティングが招く危機 The Danger of Parroting

【本】石川旺.2004.『パロティングが招く危険: メディアが培養する世論』.リベルタ出版

この本はかなり面白いです。

書いてあることは当たり前のことばかりです。
「大新聞は公正だと思われているがそんなことない」・・・って。
イマドキ公正だと信じている人いるかしらぁ・・・。
ちょっと時代遅れな感じが否めません。

というわけで主張は何も新しくない。
新しいのはデータが伴っていること。
きちんとデータをとって話しているのが好感持てます。

例えば、話題別に各紙の記事数、その結論と、読んでる新聞別の世論調査の結果を比べたりしています。そもそも記事数の比較からして面白いです。

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 「あなたは小泉内閣を支持しますか」と聞かれた場合、私たちは「支持」「不支持」それぞれに答える。その答えは私たちそれぞれの「意見」として扱われる。しかしその意見はいったいどこから出てきたのだろうか。突き詰めて考えてみると、その意見がどのように形成されたのかはなかなか明確にできない。
 内閣の支持や不支持の理由として、たとえば経済政策をあげる人がいるかもしれない。「経済政策があまりうまくいっていないから」という理由で不支持を表明する人もいるかもしれない。しかし、経済政策があまりうまくいっていないから」という理由で不支持を表明する人もいるかもしれない。しかし、経済政策があまりうまくいっていないということは何を根拠にして判断したのだろうか。株価なのだろうか。金融機関の危機的な状況なのだろうか。
 そのあたりの状況が把握されていればその意見の形成のプロセスは理解できる。しかし多くの人が、なんとなくムードで小泉内閣への支持・不支持を決めている可能性があるのではないか。その場合の「なんとなくムード」というところに、マスメディアが大きくかかわっているのではないだろうか。
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 内閣支持率のような重要な事柄について、メディアはしばしば世論調査を実施し、その結果を大々的に発表する。私たちはその結果を手がかりに、全体として、人々の意見の大勢はどこにあり、社会全体はどのような方向に向かっているのかを知ることになる。しかし、このように考える際には、私たちの「意見」は理性的な判断の結果であるという前提が必要である。そしてその前提を満たすためには、重要な事柄について、質の高い情報が私たちに十分に供給されていなければならない。個々の事柄について多角的な情報が入手可能であることにより、私たちはそれらの活用によって理性の産物としての自らの意見を形成する機会を与えられる。民主主義社会において、自由で独立したメディアが重要とされるのはそのためである。
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 あるグループでは支持率は四四・五%、不支持率は四六・三%であり、不支持が支持を二%近く上回っている。別のグループでは支持率が五八・〇%、不支持率が二九・〇%であり、支持が不支持を三〇%近くも上回って、ほぼ倍の数値を示している。(中略)前者のグループは朝日新聞講読世帯、後者のグループは読売新聞講読世帯である。
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 日本の家庭は圧倒的に一紙講読であり、複数の新聞を購読している世帯はごくわずかである。今回の調査においても、複数紙講読世帯は全体の五%未満であった。
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 そして、同じ読売新聞購読者でも、新聞を毎日一五分以下しか読まない人の小泉内閣支持率が五五・一%であったのに対し、毎日一五分以上読む人々のあいだでは支持率は五八・七%あった。閲読時間が長いほうが影響の度合いが大きいと考えられる。ただ、この差は統計的に持つ意味がやや弱かった。
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 現に、日常生活で土地を買うとか、自動車を買い替えるというような重要な決定をするときには、私たちはさまざまな情報を多角的にチェックする。しかし、政治の重要な部分に関して、そのような複数情報源のチェックは一般化していない。
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 一九五〇~七〇年代の新聞を読み比べてみると、現在よりもはるかに各紙のあいだの論調の差は少ない。この状況に大きな変化が生じてきたのが二〇世紀の終わりの十数年であった。具体的にいえばこの間、読売新聞が朝日新聞や毎日新聞とはっきり異なる主義主張を述べるようになってきた。
 そのこと自体はむしろ望ましいことであるのかもしれない。メディアがさまざまな問題についてさまざまな主張を展開するということは、受け手の側からすればより多様で豊かな情報を入手できる可能性を意味するからである。ただ現在の問題は、私たちの多くが、大新聞はみな公正・中立な立場をとり、意見が対立している問題については双方を公平に取り扱い、バランスのとれた論調を展開していると理解していることである。
 現状ではそうではない。それぞれの新聞のあいだには明らかな論調の差がある。それゆえ一紙だけに依存し、それを情報源として社会の出来事を理解していくというやり方は今日においてはあまり賢明ではない。
 さらに問題なのは、私たちの多くが単一の情報源を活用し、その情報源の論調から無意識のうちに影響を受けながらさまざまな争点に関する意見を形成していることを承知のうえで、一定の論調を強力に展開し、あるいはキャンペーンすら行なうという活動が今日では行われていることである。
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【Book】Ishikawa, Sakae. 2004. The Danger of Parroting. Tokyo: Libertashuppan.

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