Saturday, May 27, 2006

【Book】演説と討論の手帳 Adversaria for Speech and Debate

【本】大久保忠利.1957. 『演説と討論の手帳』.春秋社.

いやー・・・。こういう活動って当時の日本では社会主義的・・・だったんでしょうか・・・?なんだか「スターリンの思想では」とか「毛沢東によれば」っていうセクションが多すぎてビックリです。民主主義もスピーチやディベートをその象徴と主張しているので、本来そういう思想的な偏りは特になかった筈ですが、戦後輸入される時にそちら側から入ったんですかね・・・?集団の意思決定システムにむっちゃ夢を見てる感じがします。 なんかよくわかりませんけども・・・。ああだから一部の学生団体がいまだに社会主義っぽいのか・・・(?)

しかしここで偶然ながら発見!!
朝日討論会についての詳しい説明が!!!おおお。これが噂の。
論題の例も書いておいてくれればいいのにと思いますが、
スコアシートなども載っているので良しとするべきでしょうか。

全体的に妙にストイック。
あーするな、こーするな、という注意事項が多く(例えば勝ち誇った態度はいけないとか)、
既にこういうスピーチ態度が良いものという価値判断がされています。
ちょっと不自由そう。

ちなみに、ここで「外国の討論会」と言われているのは明らかにアメリカのもの。
アメリカ一カ国の例から「外国の」とまで一般化してしまうのはどうしたことか。
それとも中国やロシアにNDTみたいな大会があったのだろうか・・・

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社会の発展のための道具である、コトバは、よく使われることによつて一そう生きます。コトバにより人々は考えを伝え合い、協同して社会の運営に参加しており、またコトバにより人々の闘争は組織されて集団的な力ともなります。
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 ハッキリ言えば、実に、日本人は話がヘタクソである。ただ一人の人にも十分に話しのできない人だったら、どうして数人、数十人、数百人の前で、人に十分に聞き入れられる話しができよう?
 しかも、フシギなことに、話しのヘタクソな人ほど、自分がヘタクソだと思わない。また思っても、どうすればもう少し上手に話せるようになるかを、研究しようともしない。そして、ヘタクソのままで一生を終ってしまう。
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 外国の討論会は、多く、毎年の重要な学生の行事の一つになっており、各大学には「討論部」があり、これに入るのは容易でないとともに、優秀な討論者は高校時代から注目されて、大学に入ると入部を勧誘される。そして、部では上級生やコーチに烈しく訓練され、シーズンの始まる前、六週間も、来るべき討論大会のために協同してその年の題目について研究する。その場合、出場する者は二名か三名であっても、部をあげて準備し、自分が出場する時の準備の方法を身につける。
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【Book】Okubo, Tadatoshi. 1957. Adversaria for Speech and Debate. Tokyo: Shunjusha.

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