Wednesday, May 10, 2006

【Book】多言語社会がやってきた Multilingual Society Has Come

【本】河原俊昭・山本忠行編.2004.『多言語社会がやってきた:世界の言語政策Q&A』.くろしお出版.

紹介されている文献が少し古めなのが気になりますが、便利な一冊です。説明の筋も通っているものが多くて安心して読めます。

多言語主義論者の本の中には少しヒステリックな印象を受けるものもありますが、この本はそうした「英語憎し」とか「日本の帝国主義憎し」みたいな感情が前面に出ていないのも嬉しいです。もう本によっては英語ネイティブは悪魔と思えとでも言うような論調のものもあって辟易とするのですが、「支配する意図はない」という一文が入っているところに良心と現実味を感じます。まあ、度が過ぎて無神経な人も沢山居るので(思い出し怒り)、「支配する意図はない」というのも乱用されると困りますけれども、できるだけ配慮しようとしている人たちがいるのも確かですものね。

「英語がどのくらい浸透しているか、そしてどのように使われ、機能しているか」という観点で英語を分類するのは良いと思うのですが、実際の例として挙がっている国名には多少疑問が残ります。うーん・・・イスラエルはやっぱEFLなのか・・・けどかなり個人差あるよな・・・あの国の人の場合。あと東南アジアと大雑把に指されている中にタイやインドネシアも入るのか。何よりも何よりも何よりも!!!!マレイシアみたいにどっち着かずなケースがあるしねー・・・。まあ原則論としては良いと思うのですが、実際に当てはめるレベルではまだまだまだ問題がありそう。あーーーー、難しいなぁ・・・。

言語を問題・権利・資源の三段階の捉え方をした場合毎に言及している整理は大変わかりやすくて気に入りました。「資源」と呼ぶからには何かしら利用価値がないといけないかと思いますが、言語が複数存在することの社会的利用価値って何でしょうね・・・。そこで何か凄く説得力のある説明が欲しいところですね。

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 さらに彼〔Braj B. Kachru〕は、「英語がどのくらい浸透しているのか、そしてどのように使われ、機能しているのか」という観点から、世界の英語を分類、研究していくべきであると考えました。そして、(1)アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドのように、英語が母語として使われているinner circle、(2)インド、シンガポールやフィリピンなどの東南アジア、ケニアやザンビアなどのアフリカのように、英語が公共機関などで使用されているouter circle、(3)日本、中国、イスラエルなどのように、英語は日常生活で使用されていないが外国語として学習されているexpanding circle、の3つの層が同心円状に広がっているモデルを提案しました。
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インターネットが全世界をつなぎ、衛星放送によるテレビ番組(ニュース、音楽やスポーツ番組など)が放映され、ハリウッド映画が世界中で上映され続けている影響で、世界各国に英語が氾濫しています。もちろん、言語支配をする意図はないのでしょう。しかし、企業が商品を売るために練る戦略は、時には現地の文化を駆逐し、自分たちの言語や文化を広めることになります。その結果、強い国の娯楽産業やマスメディア産業が、外側から大量の情報を流し込み、結果的に弱い言語を支配してしまうのです。
 ベトナムだけでなく、インド、アフリカ諸国、東欧において見られるこの「文化的・経済的な言語支配」は、実はとても強い支配力をもちます。受け手が支配されているという意識が薄いため、軍事的圧力で同化政策を強制したときよりも、早く浸透していくからです。小坂井(1996)も、外側からの圧力が弱いほど、受け取る側の反発が少なく、文化や言語の受容がスムーズに行われると指摘しています。また若い人への影響力が大きいのもこの言語支配の特徴です。ベトナムで、英語がフランス語を抑えて第1外国語となっている大学が多いことも、英語圏に留学を希望する学生が多いのも(藤田2002)、この言語支配の影響力の強さを反映しています。
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 アイデンティティ形成において、言語は大きな役割を果たしています。その意味でも「継承語維持」は重要だといえるでしょう。言語そのものは文化の一部であり、それぞれの言語はその言語と最も関わりのある文化の主軸であり象徴でもあります(Fishman 1985)。つまり、言語が喪失されることによって、ある言語集団の中核が失われることになり、社会的自己認識が不安定となり、劣等感をいだくようにもなります(Ruiz 1988)。
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 社会が多言語主義をどう評価するかによって「言語維持」に対する態度は大きく変わっていきます(Ruiz 1988)。まず、言語を問題としてとらえた場合はどうでしょう。多言語を貧困や教育レベル低下などの社会問題の原因として見るわけですから到底維持につながるとは言えないでしょう。次に、言語を権利としてとらえた場合はどうでしょうか。言語維持を基本的人権として見なすわけですが、決して社会のサポートが得られるわけではありません。つまり、「維持したいものを阻止はしないけれども、やるならば自分たちでどうぞ」ということです。最後に、言語を資源としてとらえた場合はどうでしょうか。言語が維持されれば社会全体の資源になるという考え方です。この場合、言語維持は個人の問題ではなく、社会の問題へと意識が移行し、多言語主義が認められると言っても過言ではないでしょう。このような社会的姿勢の中で、「継承語」を維持するかしないか自由に選択できるようになって、はじめて多言語・多文化社会が成立するのではないでしょうか。
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【Book】KAWARA, Toshiaki and YAMAMOTO, Tadayuki. 2004. Multilingual Society Has Come: Q&A on World's Language Policies. Tokyo: Kuroshioshuppan.

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