Wednesday, May 17, 2006

【Book】ソフィスト Sophist

【本】田中美知太郎.1976.『ソフィスト』.講談社.(初出1941.弘文堂書房)

ソフィストが詭弁家という悪い意味にとられるようになった経緯を追う本。結論はディベート万歳(笑)。この本の初出は1941年、太平洋戦争前夜だったらしい。そのころの日本における言論活動はどんなもので、著者はどんな気持ちだったのだろうとぼんやり思いながら読んだ。

「誠実な弁論家とそうでない有象無象とを区別するために、イソクラテスがソフィストを悪い意味で使い出した」という可能性を検討する部分がある。Y野さんが「ディベート」と「ディベ」を使い分けることがあることを思い出してしまった。(^-^) 「ソフィスト」というのは現代で言うところの「アカデミック(教育)・ディベータ」を指す言葉だから、あながち的外れな比較でもないだろう。

実際のところ、私たちが今競技ディベートの意義についてしている論争は、とっくの昔にされたものだとこの本を読むとわかる。そこには競技としてのディベート(エリスティケー/問答競技)への痛烈な批判があり、ディベート術を説くコーチ達を詐欺師と呼ぶ声がある。それは真剣に受け止める価値があるものだと思う。「ディベートはただのゲームだ」と言って憚らないディベータたち。「要は勝ちゃ良いんだよ」だの「勝つことが全て」と安易に口にする上級生。彼らの姿を見ていると病んでいると思う。それは延々とビー玉を転がし続けるといった自閉症の症状を髣髴とさせる。弄ぶものがビー玉ではなくて言葉になっているだけだ。

競技ディベート自体を批判したいのではない。ディベートを競技として行うことは重要だと思う。考え・意見・アイディアをテストする場、他人と意見を交わす(コミュニケートする)能力を磨く場としての試合は素晴らしいものだ。他の人の評価や意見をフィードバックすることを拒否した議論は、自己満足に陥りやすいし退屈だし、えてして解かり難く煩雑だ。

だから大いに試合に出た方が良いと思う。できるだけ沢山の人にその機会があれば良いと思う。けれどあくまでも、「To know more, to think more, to love more」という看板は掲げていたい。私たちは優しくなるために学ぶのだし、議論することは学ぶために不可欠だと思う。だからこそ「私は知らない。でも知りたい。」という気持ちが伴っていなくてはと思う。

考えてみれば自閉症というのは社会性やコミュニケーション能力の発達障害らしい。だとすれば、議論することの社会性も、コミュニケートし他者と自己の意見を統合していく欲求も感じず、ただひたすらに言葉を転がし続ける一部の選手達は、正に自閉症的な問題を抱えているのだろう。そこでは言葉本来のコミュニケートする目的・意義が抜け落ちている。

そうなってはいけない。
他人とコミュニケートしたいという気持ちはいつだって美しくてキラキラしてる。
それを忘れたくないな、と思う。
いつだってソクラテスの卵として試合に臨みたい。

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 ソフィストという言葉は、その訳語のひとつ「詭弁家」などによっても見られるように、今日も悪い名前としてひろく用いられている。ギリシアの原語「ソピステース」(sophistes)の言葉通りの意味は、ただ「智慧のよくはたらく人」とか「智慧のはたらきをよくしてくれる人」とかいうだけのことなのであるが、それが何か悪い意味の言葉となってしまった。しかもそれはギリシアの昔(紀元前五ー四世紀)においてすでにそうなっていたのである。これはしかし言葉だけの問題ではない。ソフィストが悪名と考えられ始めた時代からおよそ二百年の昔(紀元前六世紀初頭)には、ソロンやタレスなどのいわゆる七賢人が、そのもっていた知識のために世人から尊敬され、また感謝されたのである。ところが、それから百年ののち、紀元前六世紀末葉から同じ五世紀の初頭にかけて、ヘラクレイトスとかクセノパネスとかいうよな思想家は、その思想や知識のために自己の孤独を感じなければならなかった。そしてその時からさらに百年ののち、知識がしだいに普及してきたと信ぜられるちょうどその時代に、人々はソフィストという名前に非難を感じ、悪名を見たのである。すなわちわれわれは、悪しき名前「ソフィスト」の背後に、ギリシア文化史の二百年を見、かつその間における知識の運命というようなものを、さらに一般的な問題としても考えてみることができるのである。
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 クセノポン(Xenophon, 430-355 B.C.)の作とは称されているが、多少その点を疑われている書物、『狩猟論』(Cynegeticus 13.8)の中には、次のようなことが言われている。すなわち「ソフィストというものは、人を欺くために語り、自己の利益のために書くだけで、何びとをも少しも益することのない者どもである。かれらには真の智者は一人もいないのであって、ソフィストと呼ばれることは、心ある人々にとってまさに恥辱である」というのである。
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 ローマ帝政期(紀元二世紀)の弁論家アリステイデス(Aristides)は、その第四十六論説(Dindorf, II. 407)中において、ソフィストという名前は本来哲学者と共通であって、けっして悪名ではなかったのであるが、プラトンがこれを主として悪い意味に用いたと語っている。
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 ところで、この哲学者という言葉の原語は、ギリシア語で「ピロソポス」(philosophos)というのであるが、これと「ソピステース」という言葉との使い分けについて、さきに引用したアリステイデスの同じ文章のなかに面白いことが言われている。それはいまちょっと名を出したイソクラテス(Isocrates, 436-338 B.C.)が、「ピロソポス」という言葉を自分や自分の仲間について用い、ディアレクティケー(いわゆる弁証法)を云々する連中などをかえって「ソピステース」と呼んだというのである。(中略)すなわちイソクラテスの学校は同じアテナイにあって、プラトンやアリストテレスの学校に対立するものなのである。しかも周知のごとく、ディアレクティケーはプラトンの哲学において重要な意味をもち、他のソクラテス学派(たとえばメガラ派)においてもはなはだ珍重されていたのである。
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 思うに、すべてのことについて語り、あらゆることを論じたいという要求は、人々の自然の傾向であって、政治的関心とともに、哲学的関心もまたゼウスの普遍的な贈物であったのかもしれない。ソピステースの引き受けた「人間の教養」は、また同時に普遍的教養なのであった。ゴルギアスのように、弁論術だけで足りるとすることは誤りであるにしても、元来すべてのことについて語られるのを本質とする言論(ロゴス)というものの取り扱いに関する技術が、このような普遍的教養の外枠や土台として役立ちうることは事実である。弁論術が他の一切の学術に代わるのではなく、それらの諸知識を予想した上で、しかし「たとい真実を知っていたにしても、それだけで上手に説得ができるというわけではない」(Phaedrus 260D)というところに、それ自らの存在理由を見て、もっぱら説得の条件であるところの人間の心理やこれに対応する説得形式を研究し、それによって政治その他における正しい説得を準備するとしたならば、弁論術もまたそれ自らの正しい仕事をしていることになるのである
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 かくてソピステースは、徳の教師であり、弁論家であり、また問答競技家なのであった。かれらの仕事の中心は弁論術にあったと考えられるのであるが、その初めの時期においては、徳の教師としての特色のゆえに、狭義の法廷弁論家とは常に区別されなければならなかった。(中略)なおまたわれわれは、ソピステースがソピステースであるかぎり、全くの私人であって、実際の政治家ではなかったということをも注意しておく必要があるであろう。ソピステースが弁論家と呼ばれるのは、テミストクレスやペリクレスが弁論家と呼ばれる(Plato, Gorgias 455E-456A; Phaedrus 269E)のとはまったく別である。後者は弁論によって実際に国民大衆を動かす者なのであるが、前者はただ弁論術を個人に教授する者なのである。

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 弁論家もソピステースも料理人も美容師も、人間の精神や肉体のことについて、何がよいか本当のことは少しも知らずに、ただそれらしいものを当て推量して、人々に取り入ることばかりを考えているものなのである。(中略)徳の教師としてのかれらは、すでに詩人や音楽家によって取り扱われていた国それぞれの伝統的な道徳を、べつにそれが何であるかを問うこともなしに、ただ新しく工夫された弁論術をもって言葉巧みに説くというに過ぎなかった。そして弁論術なるものは、何が善であり、何が正であるかを深く考えることはしないで、ただ世間の考えるそれらしいものを推察して、ひとを説得することばかり考えるものなのである。それが心に掛けるのは、真実そのものではなくして、ただ真実らしく見えるものだけなのである。
 しかもいっそう悪いことには、かれらは何も知らないで、何でも論ずることができると信じているのである。ソピステースは似非政治家であるとともに、また似非哲学者なのである。そしてここのところから、何ごとを論じても何びとにも負けない工夫(Plato, Sophista 232B-233c)、すなわち真理よりも勝敗を主眼とするかれらのエリスティケー(問答競技)が発達してきたのである。
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ソフィストは何でも知ったかぶりをするけれども、ソクラテスは何も知らないと言っていたのである。そしてソクラテスの問答法は、ひとを同じような無智の自覚へと導くものであったが、ソフィストのはただひとを言い負かすためのものであった。ソフィストは深い反省もなしに国民道徳を説教したけれども、ソクラテスはそれが何であるかを尋ねて、人々を深い反省にまで誘ったのである。
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 しかしながら、われわれはこれらの非難から、ソピステースだけが特別に悪い者であったように考えるなら、それは大へんな間違いである。プラトンはギリシア芸術の精華である悲劇作品を否定して、その作家達を理想国から追放しようとしたのであるが、その取り扱いは人々に苛酷と感じられるものであった。しかし、事情はソピステース場合でもそれほど違ってはいなかたのである。プラトンの厳しい理想主義的要求の前には、当時の国家社会の政治も文化も一切がとうてい吟味に堪えうるものではなかったのである。しかも事情は今日でも違ってはいない。われわれはさきにソピステースの徳育や弁論術が、べつにわれわれから軽蔑されたり、嘲笑されたりするようなものではないことを述べた。無智はかれらだけのことではなく、むしろわれわれにおいていっそう暗黒だからである。
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そしてプラトンの『ゴルギアス』(四五六D以下)では、弁論術を悪用する者があっても、それは弁論術を教えた者の責任ではないということをゴルギアスが弁じているが、これはおそらくかかる悪評の存在を予想するものと見なければならないであろう。
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 さらにかれらの仕事で歴史的意義のきわめて大なるものはヒッピアスが一般的教養のために天文、幾何、算術、文法、音楽、歴史などの各般の知識を授けた(Plato, Protagoras 318E; Hippias major 286B)ということであろう。かれが徳育や人文科学的な知識のほかに、理科学的な知識を一般的教養のうちに包括したことは、ピュタゴラス派やプラトンの同様な教育方針とともに、すぐれた特色をもつ西洋教学の基礎を築いたものであって、古代中世におけるいわゆる三学(trivium)四科(quadrivium)の淵源は、ヒッピアスにありとも言われるであろう。三学は文法、弁論術、問答法の三つから成り、四科は算術、幾何、天文、音楽の四つを含み、奴隷的な職業教育に対して、自由人の教養内容をなすものであった。しかしながら、これらの教育は最初の間つねに非実用的なものとして、あるいは悪思想の温床として非難排撃されなければならなかったのである。
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訴訟に敗れた者が、事実そうでなくても、相手方の背後にソピステースの存在を考えることもあるわけで、弁論術を習うだけの余裕をもたない大多数の人々にとって、ソピステースはけっして人気のあるものではなかったであろうと想像される。
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 そしてこのことは、国家の場合も同様であって、「何が美風であり、何が陋習であるか、何が正当であり、何が不正であるか、何が敬神で、何が不敬であるかというようなことは、それぞれの国家がそれをそう思って自分のところの法に制定すれば、どんなものだって、そのおのおのの国家にとって真実またそうありもするのである」(一七二A)。しかしこれらは「自然に自己のまさにあるところの本質をもつ」ものではなく、国家が公けに思いなしたことは、「それがそう思われたその時に真となり、またそれがそう思われている時間だけ真となっている」(一七二B)のであって、国家の決定を離れてそれ自体に成立するものではないのである。すなわちプロタゴラスにとっても、国法や国民道徳は仮象的なものではあるが、しかしプロタゴラスの主張では、仮象のほかに別に真実や自然があるわけではなく、仮象すなわち真実在であり、万人の思いなしがそのまま真理なのである。プロタゴラスの立場は弁論家の立場であり、職業的国民教育家の立場なのである。相反する二つの主張はどちらも真なのであるが、弁論家はそのどちらのために弁じても勝つことを知っているのである。また国民道徳も国によって異なり、家庭、学校、社会などにおいて、文学や音楽や法律が各国民をそれぞれ違ったふうに教育しているのであるが、徳育家ソピステースは、これらの特殊性に何らの優劣も認めたなかったけれども、頼まれればどこの国の道徳でも、これをさらに自己の弁論術によって上手に説教することができたのである。
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【Book】TANAKA, Michitaro. 1976. Sophist. Tokyo: Kodansha. (first published in 1941 from Kobundoshobo)










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