Friday, May 12, 2006

【Book】自由からの逃走 Escape from Freedom

【本】フロム,エーリッヒ.日高六郎訳.『自由からの逃走』.創元新社

私の手元にあるのは、おそらく父が昔買ったのであろう古い版です。なので、外見はこれとは随分違います。でも同じ日高六郎の訳です。

ところで日高六郎は『映画 日本国憲法』でインタビューを受けていますが、彼の話が大変筋が通っていて好感を持てました。けれど、あの映画を英語圏の友人に見せたら、日高のコメントの部分は割愛せざるを得ません。何故なら彼が日本の映画で日本語で喋っているから。チョムスキーにしても、ダグラス・ラミスにしても、チャルマーズ・ジョンソンにしても、英語で話しているからこそ彼らの言葉は英語圏・日本語圏の両方に届きます。英語音声には日本語字幕がつきます。でも日本語音声には英語字幕はつかない。だから日高のは届かない。残念な限りです。

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また、自由をえたいという内的な欲望のほかに、おそらく服従を求める本能的な欲求がありはしないだろうか。もしそういうものがないとしたら、指導者への服従がこんにちあれほどまでに多くのひとびとを引きつけていることを、どのように説明したらよいであろうか。服従というのは、常に目にみえる権威への服従であろうか。あるいは義務や良心というような内面化された権威とか、人間の内部にひそむ強制力とか、また世論のような匿名の権威にたいする服従が存在するのだろうか。服従することのうちに、一つのかくされた満足があるのだろうか。その本質はなんであろうか。
 人間のなかに、あくことのない力への渇望を生みだすものはなんであろうか。それは人間の生命的なエネルギーの力であろうか―あるいは、人生を自発的な親しみをもって経験することのできない根本的な弱さであろうか。
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フロイトは人間の行動のさまざまな部分を決定する、非合理的な無意識的な力の観察と分析とに注意をむけたが、こうしてかれはかれ以前のだれよりも一歩前進した。現代心理学においてフロイトとその後継者達は、たんに近代合理主義がみのがしていた人間性の非合理的無意識的な部分をあばきだしただけではなく、これらの非合理的な現象も一定の法則にしたがっており、それゆえ合理的に理解することができることも指摘した。
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たしかに人間がだれしももっている、飢えとか渇きとか性とかいう欲求は存在する。しかし人間の性格の個人差をつくる、愛と憎しみ,権力にたいする欲望と服従への憧れ、官能的な喜びの享受とその恐怖、といった種類の衝動は、すべて社会過程の産物である。人間のもっとも美しい傾向は、もっともみにくい傾向と同じように、固定した生物学的な人間性の一部分ではなく、人間を造りだす社会過程の産物である。
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【Book】Fromm, Erich. 1941. Escape from freedom. New York: Henry Holt Company

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Is there not also, perhaps, besides an innate desire for freedom, an instinctive wish for submission? If there is not, how can we account for the attraction which submission to a leader has for so many today? Is submission always to an overt authority, or is there also submission to internalized authorities, such as duty or conscience, to inner compulsions or to anonymous authorities like public opinion? Is there a hidden satisfaction in submitting, and what is its essence?
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