Saturday, May 06, 2006

【Internet】言挙 Kotoage

衝撃です。

先ほどの本の「言挙」という言葉が気になったので調べています。
そしたら太宰府天満宮のサイトにたどり着きました。

【インターネット】太宰府天満宮.『神道』.
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/shiru/shinto.htm
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 神道は、古代日本に自然発生した信仰生活が発達したものです。したがって現在でも、教義や教典といったものは、特にありません。『万葉集』には「神ながら(神道のこと)言挙(ことあ)げせぬ」と記されています。「言挙げ」は「興言」とも書き、「声に出して言う」とか「理論だてる」ということですが、神道はそういうことをあえてしないのだと語っているのです。「言挙げせぬ」ということは、教義や教典を持たないのと同時に、ことに布教活動といったものも行わないことです。日本民族の中から自然に発生した神観念と、それに伴う祭祀儀礼が始まりですから、教祖も存在しません。ここが他の宗教との決定的な差異です。
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・・・つまり、なんですか?
万葉集に神道ではディベートしちゃダメなんだよ、って書いてあるっていうの??
んなバカな・・・本当でしょうか・・・そんなに根が深かったら困るなぁ・・・

で、元ネタの万葉集からの引用は以下です。やーれやれ。

柿本人麻呂.『万葉集』.3253,3254番
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3770/top.htm
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葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙せぬ国 然れども言挙ぞ吾がする 事幸く 真幸くませと恙なく 幸くいまさば 荒磯波 ありても見むと百重波 千重波しきに 言挙すわれは 言挙すわれは

(反歌)磯城島の 大和の国は 言霊の助くる国ぞ 真幸くありこそ
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しかしこの歌は「言挙ぞ吾がする」「言挙すわれは 言挙すわれは」とあり,「俺は敢えて言わせて貰うぜ」ゴーゴー,という意味ではないのだろうか・・・
と思ったら以下のようなものも見つかりました。

本居宣長.『直毘霊』
http://myorenji.moo.jp/kakugen.html
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古(イニシヘ)の大御代(オホミヨ)には道といふ言挙(コトア)げもさらになかりき故(カ)れ古語(フルコト)に葦原(アシハラ)の瑞穂(ミズホ)の国は神ながら言挙(コトア)げせぬ国といヘリ
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うーん・・・宣長は「然れども」の前にだけ注目してるみたいですね・・・

【Internet】風琳堂.2005.『千時千一夜 ──瀬織津姫&円空情報館』. 03/10 07:01
http://otd3.jbbs.livedoor.jp/246945/bbs_plain?base=132&range=1
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人麻呂の激情歌(『万葉集』巻十三 №3253・3254)  

 柿本朝臣人麻呂の歌集の歌に曰く
葦原の 水穂の国は 神ながら 言挙[ことあげ]せぬ国 しかれども 言挙ぞわがする 言幸[ことさき]く まさきくませと つつみなく さきくいまさば 荒磯波 ありても見むと 百重波 千重波にしき 言挙す吾は 言挙す吾は  
 反歌
しき島の日本[やまと]の国は言霊のさきはふ国ぞまさきくありこそ 

 日本は神代から言葉に出して言い争わない国だ、しかし、言霊が本来のように幸くあるために、「吾」はあえて言葉に出してもの言うぞといった歌意かとおもいます(「言挙[ことあげ]」とは「下位の者から上位に対してかやうにあつて欲しいと希望を申し出す事を云ふ」…武田祐吉『柿本人麻呂』昭和十三年)。古代において、「言挙」は死を覚悟の上での行為だったはずですが、武田祐吉『柿本人麻呂』によりますと、この歌は、「遣唐使として海外に使する人に贈つて、其の功を盛にする歌だと云はれてゐる」とされ、いかにも戦前的解釈がなされていました。武田さん自身は、「これが果して遣唐使の一行を送つた歌とすれば多分大宝二年の遣唐使を送つたのであらう」とも書いていました。これは戦前の解釈ですが、しかし過去のものかといえばそうではなく、たとえば北山茂夫『柿本人麻呂論』(1983年刊)の巻末人麻呂年表にも、「大宝一年」の項に「遣唐使任命、これを機に、人麻呂、餞けの長歌を作る」などと書かれ、戦後においても同日の解釈がなされていて、あるいは、これは今なお通説化・定説化されている解釈なのかもしれません。現在流布している人麻呂論のすべてに眼を通したわけではありませんけど、この歌をどう「解釈」しているかは、その論を読む上で大事なポイントになるだろうとはいえそうです。わたしの歌の理解でいえば、末尾の「言挙す吾は」(原文は「言上為吾」)のリフレインがもっている人麻呂の「おもひ」の激しさは、遣唐使への餞別・激励の歌などとはまったくそぐわないものだとなります。人麻呂が歌どおりに言挙=言上したとしますと、それだけでまさに「ちはや人」(巻十一 №2428)で、最悪死罪、軽微にみても官位剥奪か配流刑になったとしても不思議ではありません。
 万葉集の編者は、この人麻呂の「言挙」の宣言歌のすぐ前に、作者不詳とするも、次のような言挙歌も載せています。

■もう一つの言挙歌(巻十三 №3250~3252)
蜻蛉[あきづ]島 日本[やまと](原文は「倭」)の国は 神[かむ]からと 言挙[ことあげ]せぬ国 しかれども 吾は言挙す 天地の 神もはなはだ わが思ふ 心知らずや 往く影の 月も経[へ]往けば 玉かきる 日もかさなり 思へかも 胸安からぬ 恋ふれかも 心の痛き 末つひに 君にあはずは 吾が命の 生[い]けらむきはみ 恋ひつつも 吾はわたらむ まそ鏡 正目[ただめ/まさめ]に君を 相見てばこそ わが恋止まめ 
 反歌
大舟のおもひたのめる君ゆゑにつくす心は惜しけくもなしひさかたの都を置きて草まくら旅ゆく君をいつとか待たむ

 長歌の後半は激情の恋歌を仮装していますが、この歌が通常の恋歌と異なっているのは、最後に「まそ鏡 正目[ただめ/まさめ]に君を 相見てばこそ わが恋止まめ」と歌われていることに表れています。前半の「蜻蛉[あきづ]島 日本[やまと]の国は 神[かむ]からと 言挙[ことあげ]せぬ国 しかれども 吾は言挙す 天地の 神もはなはだ わが思ふ 心知らずや」のフレーズを受けてならば、「まそ鏡」(真鏡)には表面上は「言挙す」る「吾」が写っているはずです。しかし、歌は、真鏡に写っているのは謎の「君」であり、それが「わが思ふ心」と二重化され、そのような「君」を相見るならば、この「恋」は止むだろうと歌っています(皇孫への神鏡授与の例にならえば鏡に写るのは「神」)。なお、後半の、この「まそ鏡」のフレーズについては、人麻呂歌「真鏡[まそかがみ]手に取り持ちて朝なさな見れども君は飽くこともなし」(巻十一 №2502)を、とても近い縁歌として指摘することができます。万葉集編者が、作歌者不明としつつも、この言挙歌をここに置いたのは、次の人麻呂の「言挙」の宣言歌を、万葉集歌群のなかで一人孤立した歌とはさせないといった編集意図があったということなのでしょう。
 また、人麻呂の言挙歌と、この作歌者不明の言挙歌の間に置かれた短歌(反歌)二首については、前者の歌にある「大舟のおもひたのめる君」からは、これも、人麻呂の「大船の香取の海に錨[いかり]おろしいかなる人か物おもはざらむ」(巻十一 №2436)という左遷時の歌が連想されます。後者の「ひさかたの都を置きて草まくら旅ゆく君をいつとか待たむ」については、「都」からわびしくも旅立っていく「君」をいつまでも待っているという意で、では、この謎の「君」とはだれのことかということがあります。人麻呂歌の直前に意味深げに置かれたこれらの長歌と短歌が、人麻呂の言挙歌との連動を意識した配列となっていることはまちがいなく、としますと、「草まくら旅ゆく君」は、あるいは「東海の畔[さかひ]に左遷せられ」るときの「君」、つまり人麻呂とも読めるような編集(歌の配列)となっています。 こういった万葉集編者の編集意識(おもひ)がここには秘められているとしますと、その後の富士山を歌った人麻呂短歌二首、および、安居院が指摘するところの富士山歌が一段と重い光を発してくることになります。
 人麻呂の「言挙」の宣言歌が含む激情をそのまま投影したものとして、「ふじのねのたえぬ思ひをするからに常磐[ときわ]に燃る身とぞ成ぬる」と「ちはやふる神もおもひのあればこそとしへてふじの山ももゆらめ」の二首があります。この二首がもっている(ちはやふる)「おもひ」の強さに比較しますと、安居院が指摘した富士山歌(の長歌と反歌)の方は、どちらかといえば静かな抑制された感情によって歌われているようです。この違いはどこからくるかと考えますと、おそらく、短歌二首は配流(左遷)先でか、想念のなかで富士山(神)と対面しつつ自身の「おもひ」を重ねて詠んだものであり、長歌と反歌の方は、配流(左遷)先から都へ連れ戻されるときか、富士山を振り返るようにして歌い遺したもの(「駿河なる不盡の高嶺は見れど飽かぬかも」)というのが大きな理由ではないかとおもわれます。短歌二首が「燃える富士」のイメージをもっていたのにくらべ、長歌と短歌は、その「火」を消す「雪の富士」のイメージに転換しています。人麻呂にとって、都へふたたび向かうということ──、それは「死」への召還を意味していました。
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しかも,こんなのもみつかりました・・・
けどここに出てくる「言挙」は議論することや論理的に話すこととは関係なさそうなのですが。

日本翻訳センター.「イサナギ・イサナミの御子誕生」.『ホツマツタエ』.天の巻
http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya03.html
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 この後、イサナギとイサナミの二柱は、浮橋の上でオノコロの印相(いんぞう)を契って後に建てた八尋殿(ヤヒロノトノ)に立つ天御柱(アメノミハシラ)をお互い巡って男の子を生もうと話し合いました。 先ず言挙(コトアゲ)の儀式に、女は左廻りに男は右廻りに別々に巡り、お互い出会い頭に女神は、「アナニエヤ(なんとうれしい)良(え)男(おとこ)」男神は答えて、「ワナウレシ(わあうれしい)良(え)乙女(おとめ)」と相歌い一緒に交わってはらんだものの、その子は月満てず流産してしまいました。その子の名前をヒヨルコ(未熟児)と言い、泡の様に流れ去りましたので、この児は子供の数には入りません。葦船に乗せ、吾が恥と流した先を淡路島と呼びました。 この不幸な出来事を天神に告げ相談したところ、早速太占(フトマニ)を占って天意を伺っていわく、「先の五(イ)・四(ヨ)の歌は事を結ばず。と卦(け)に出ている。又、言挙(コトアゲ)も女が先に立ってはいけない」との神託があり、なお続けて嫁法(とつぎのり)についてのお話がありました。
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同サイトの『ホツマツタエ』の説明は以下です。
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ホツマツタエは、古代大和ことばで綴られた一万行に及ぶ叙事詩です。縄文後期中葉から弥生、古墳前期まで約一千年の神々の歴史・文化を今に伝えています。作者は、前半天の巻・地の巻をクシミカタマ(神武時代の右大臣)が、後半人の巻をオオタタネコ(景行天皇時代)が、編纂、筆録と記されています。
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津島神社のサイトには日本書紀から以下の部分が引用されています。
http://www.clovernet.ne.jp/~m_hotta/saijin.html
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一、日本書紀 巻第一(神代上)
 一書(あるふみ)に曰(い)はく、素盞鳴尊(すさのおのみこと)の所行(しわざ)、無状(あぢなき)し、故(か)れ諸神(もろもろのかみ)科(おほ)するに千座置戸(ちくらおきと)を以てして、遂(つい)に逐(やら)ひたまひき、是の時に素盞鳴尊、其の子五十猛神(いそたけるのかみ)を帥(ひき)ゐて、新羅国に降到(くだり)りまして、曽尸茂梨(そしもり)之処に居(ま)します。乃ち興言(ことあげ)して日はく、此の地(くに)吾不欲居(あれをまらくほりせじ)とのたまひて、遂埴土(はにつち)を以て舟を作り、乗りて東に渡り、出雲国の簸川上(ひのかわかみ)に在る鳥上(とりかみ)の峯(たけ)に到ります。
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日本書紀にはこんな部分もあるみたい。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/78/7802/780211.htm
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『日本書紀 一』(神代 上)「幸魂・奇魂、大三輪神」(前略)一書に曰はく、夫カの大己貴命オホナムチノミコト、少彦名命スクナヒコナノミコトと力を戮アハせ心を一にして、天下アメノシタを経営ツクりたまふ。(中略)自後コレヨリノチ、国の中に未イマだ成らざる所をば、大己貴神独り能ヨく巡り造りたまふ。遂に出雲国に到りて、乃スナハち興言コトアゲして曰ノタマはく、夫カの葦原中国アシハラノナカツクニは本モトより荒芒アラびたり。磐石草木イハネクサキに至及イタるまで、咸コトゴトく能く強暴アシかり。
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『源平盛衰記』内閣文庫蔵慶長古活字本(国民文庫)巻第四十一 P1037
http://j-texts.com/seisui/gs041.html
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多々良五郎能春は平次を懐く。各申けるは、此条互に穏便ならず、友諍其詮なし、平家の漏聞んも嗚呼がましし、又鎌倉殿の被聞召も其憚在べし、当座の興言くるしみ有べからずと申ければ、判官誠にと思てしづまれば、梶原も勝に乗に及ず、此意趣を結てぞ判官終に梶原には弥讒せられける。

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本当に「言挙」って議論することや明言することを指す言葉なの?
ということで今度は古語辞典を漁ってみます。

Infoseekのマルチ辞書(大辞林の二版だと思われる)
http://dictionary.www.infoseek.co.jp/
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ことあげ 0 4 【言挙げ】
(名)スル言葉に出して言い立てること。言葉に呪力があると信じられた上代以前には、むやみな「言挙げ」は慎まれた。揚言。 「葦原の瑞穂の国は神ながら―せぬ国然れども―ぞ我がする/万葉 3253」

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http://www.asahi-net.or.jp/~mq9k-ymst/KYkobun/ziten.htm
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ことあげ (名・動サ変)(言挙げ)言葉に出して言い立てる(こと)。
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うーん・・・・・・

ちなみに、
国際派日本人養成講座.2001.「Common Sense:言挙げの方法」.『Japan On the Globe』.172号.(http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog172.html
には以下のように書いてある。うーん...言挙げって一般的な言葉なんでしょうか・・・

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 わが国は「言挙(ことあ)げ」をしないこと、すなわち、言葉に出して言い立てず、「以心伝心」や「沈黙は金」を美徳と する伝統がある。国際会議でも日本の代表は、3S、すなわち、Smile、Silent、Sleepだと阿諛されるほどであるが、それでは国際社会ではやっていけない。
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【Internet】Dazaihutenmangu. Shintoism.

【Internet】Hotsuma-Tsutae. The Book of Heaven. Chapters 3.
http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya03-e.html
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First, in the ritual of kotoage, Isanami turned to the left while her spouse turned to the right. When they met again, Isanami started by saying, "Ah, what a splendid youth". Isanagi, in turn, said "Ah, what a fine maid." After thus chanting together, they conceived a child. But the child was miscarried before its term was full. It was called Hiyoruko ("Premature Child") but was not included among the number of their children. It was placed on a boat of reeds and cast off, the place where it landed being called Awajishima ("Island of Our Shame").The pair related these unhappy events to the heavens. They conducted divination according to the Futomani Book and sought divine guidance. They were told: "Nothing will come from the Song of I and Yo that you used before. When you conduct the kotoage, the female must never start first". The divination produced further guidance on the method of procreation.
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1 comment:

Anonymous said...

あの、ホツマツタヱは偽書だからエビにならんよ。

コトアゲというのは「口に出して言うこと」で、議論することとはちょっと違うと思う。口に出して言うと実現する、という言霊の考え方が背景にある。

事辞一体といって、事(コト、事象)と辞(コト、言辞)は日本語では概念的に非常に近い関係にある。ミコトというと神の称号になるけど、「命」と書くでしょ? あれは「生命」ではなくて「命令」の命で、つまり権威あるコトバのこと。権威を持って言われた言葉(たとえば勅令)は必ず実現するわけで、つまり事と言葉が一致するわけだ。In the biginning was the Wordといった西欧的な感覚とは違うと思うけど、少し似ているかもしれない。

とにかく、「議論するな」という意味ではなくて、「不用意に言葉を口にすると変な形で実現してしまうから、よく考えて話すように」ということだと思う。