Friday, April 28, 2006

【Article】ニュース報道の流れ Flow of News Reports

【論文】伊藤陽一.1990.「国際間のニュース報道の流れの規定要因(国際化の中の放送<特集>)」.『放送学研究』.Vol.40.pp. 69-94

伊藤教授の文献は,受信・発信のどちらについて言及しているかによって,論戦のどちらの陣営と見るか難しいものです。が,以下が基本的なスタンスを比較的明快に示しているように思います。

受信の話は特に論争の種となるような部分は見当たりません。
発信の部分がちょっとトリッキーではあります。

発信に関して,この方は,紙面に載る記事の数(量)について,日本と欧州諸国は対等の関係であり,東南アジア諸国とは逆に入少出多,と書いています。これは私自身の経験的な直感とよく合います。ただ,これはあくまでも量に焦点を合わせたものなので,質の面(誤解を招く記事やエキゾチックな面を誇張した記事など)も含めて同じことが言えるかは疑問だと思います。

よく,国際通信社論の人たちと真っ向対立した意見であるかのように書かれますが,誤解ではないでしょうか。伊藤教授は量について話していて,国際通信社論の人たちの不満は「主に」質にある。視点が違うので空中戦だと思います。

以下,引用。
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 メディア帝国主義(media imperialism)とは,ある国のメディア産業が外国の政府や資本によって実質的に支配され,国民に伝えるマス・コミュニケーションの内容が外国政府や外国企業の干渉を受ける状態を指している。(中略)...古典的なメディア帝国主義は,現在では独立国においてほとんどみられないと言ってよいだろう。
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Schiller(1976:9頁)によれば,文化帝国主義とは「ある社会が現代の世界システムの中に組み込まれ,その世界システムの中で中心的位置を占めている勢力の持つ価値を受け入れたり,それを強化する過程全体」を指している。シラー(Schiller)は多くの著書と論文の中で無数の実例をあげているが,それらをすべてまとめて一言でいえば,商業主義,資本主義的価値観や世界観,その他欧米(特に米国)支配層の言語,宗教,政治制度,政治的信条を含む文化を第三世界において広めることに貢献するあらゆる活動が「文化帝国主義的」になってしまうようである。
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 第三世界に進出した先進国の多国籍企業が現地のテレビの報道番組やドキュメンタリー番組のスポンサーになったり,現地の新聞の大広告主になったりすることがある。このような活動によって,現地のニュース報道に先進国寄りのバイアスがかかるということは考えられる。前述のように,現在の第三世界においてはもはや,新聞や放送局が外国政府や外国資本の直接的支配を受けているという例はほとんどみられないが,このようなルートを通じて間接的に影響力が及ぶということはあり得る。
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 日本の共同がその企業規模や財政力にもかかわらず,英米仏の国際通信社と競争することができない最大の理由は言語である。共同が海外市場においてニュースを売るためには,そのニュースは英語やフランス語に翻訳されなければならない。このことは配信に余計なコストと時間がかかることを意味している。通信社業において時間的遅れは致命的である。日本語で書かれたニュースは国際市場では通用しないという事実が,共同を国際通信社にする上での最大の生涯となっている。
 ここでは日本語の例をあげたが,英語,フランス語以外のほとんど全ての言語は同様なハンディキャップを持っている。これを「文化帝国主義」と呼ぶことが適切であるかどうかについては,前節のマス・メディア・インフラストラクチャーの強弱の場合と同様,議論の余地があるが,ある言語は世界的に広く通用するのに他の言語は通用しないという「不公平」が,国際間の情報の流れの不均衡の一因になっていることは確かなようである。
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【Article】Ito, Yoichi.1990.Factors that decide international flow of news reports.Broadcasting Studies.Vol.40.pp. 69-94

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