Monday, April 24, 2006

【Book】ご臨終メディア Media in deathbed

【本】森達也・森巣博.2005. 『ご臨終メディア』.集英社.

まとまりがない対談形式のものだが、読みやすくはある。

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森巣: そこで、二人の主張の差異がどの辺りに存在しているのかと考えますと、森さんは、最終的には情動だということをおっしゃっている。私は、情というのは、いろんな条件づけによって変わりうるものであり、最終的には論理ではないかと考えている。

 結局、社会をまがりなりにも持ちこたえさせているのは、論理じゃなかろうか。論理がなくなりゃ、なんでもありの世界になって、力の強いものがやり放題の社会となる。
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森: つまり時事的な事実などこの世界に無限にあるわけで、今朝僕が混雑した山手線で、化粧の濃い気の強そうなキャリア・ウーマンの足を踏んでしまいにらまれたことは、間違いなく「時事的な事実」だけど、少なくとも伝達される側にとっては、何ら価値などない情報です。

 たとえば自衛隊派遣の問題とか、年金改正の問題とか、あるいはカードを使った新手の詐欺が横行しているなどの情報は、誰もが伝えられることに価値を見出す情報です。ところがたとえば、・・・・・・レッサーパンダが後ろ足で立ったとか、元アイドルタレントの誰かが二度目の離婚をしたとか、このレベルになると、情報の価値の判断は簡単ではありません。レッサーパンダなどはほんのトピックスのつmのりが、予想外に大きな反響があったので雪だるま式に膨れあがったケースだし、元アイドルタレントの離婚についていえば、知らない人にはまったく価値がないけれど、ファンにとっては金を払ってでも知りたい情報です。
 時事的な事実が内包する価値のボーダーライン領域における情報について、伝えるに足るかどうかの判断は、とても非論理的な基準で行われます。つまり情報の質を最終的に判断するのは客観的な論理ではなく、主観的な情動なのです。
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森: 文化や習慣全般は、ある意味で洗脳です。(後略)
森巣: 誰もが実は「洗脳」されているということが、ちっともわかっていない。教育というのは「洗脳」です。メディアも本質は「洗脳」なのに。
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森: ニュースは視聴者が視聴者が知りたいことを優先すると定義すれば、視聴率でニュースの項目を決めることは、正当なんです。でもその結果、タマちゃんがパレスチナ情勢より重要なニュースになってしまうわけで、報道機関としてのテレビの悩ましいところですね。

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森巣: 言語の壁で守られているのですよ。「石原は極右ではない」というごまかしもそう。本来の資本主義の論理からは逸脱している。これも戦後民主主義の成果です。一つは、ものを考えない人間の量産。もう一つは、外国語をしゃべれない人間の量産(笑)。
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森: でも同時に、なぜメディアが逮捕は大きく報じてもその不起訴を報じないかといえば、その情報に対してこの社会が欲情しないからです。
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森巣: 視聴者が欲しいものを、メディアは作っていく。でも、その視聴者が欲しいと思うものを作ったのは、実はメディアでしょう。
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【Book】MORI, Tatsuya and MORISU, Hiroshi. 2005. Gorinju Media [Media in deathbed]. Tokyo: Shueisha

Sorry, haven't translated into English yet!!

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