Thursday, April 27, 2006

【Book】武器としての<言葉政治> <Word Politics> as a weapon

【本】高瀬淳一.2005.『武器としての<言葉政治>:不利益分配時代の政治手法』.東京:講談社.

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 私は、これからの首相は、どの政党の出身者であっても、この<小泉型政治手法>を踏襲するか、少なくとも意識せざるをえないと思っている。<小泉型>は、政界の変人がもたらした一時の突然変異ではない。角栄後の政治リーダーの何人もが「ミニ角栄」を目指したように、「ミニ小泉」を志向する政治家も、おそらくつぎつぎと現れることだろう。小泉は、だれがなんといおうと、政治家として一定の成功をおさめた。実現した政策の評価はおくとしても、かれは首相の座にのぼりつめ、党内からの反発を尻目にそれを長期間維持した。しかも内閣支持率では八〇%台という大記録を打ち立て、選挙では歴史的大勝をおさめた。(中略)長期にわたって国政を担うには、やはり「言葉」が必要である。国民が政治家のパフォーマンスを喜ぶからといって、言葉による考え方や価値観の伝達が重要性を失ったわけではない。政治はいまも、究極のところは「説得による納得」で動いている。それを忘れてはならないだろう。言葉は人々の政治認識を根底から変えることができる。それは種々の政治イデオロギーが言葉で綴られていることからもわかる。それゆえに、政治を志す者は、古今東西、まずは雄弁の術を磨いた。そして、含蓄ある言葉を発して、人々を動かそうとしてきた。政治の基本技術は、古来、言葉の使い方にあったのである。一方、聞き手である国民は、政治家の資質をその言葉で判断してきた。大向こうをうならせるような名演説や名ゼリフには喝采を惜しまず、反対にうっかり失言でもしようものなら、容赦なく指導者失格の烙印を押してきた。最近、忘れられがちであった「言葉の政治力」は、二〇〇一年の小泉の登場によって、久しぶりに脚光を浴びることとなった。言質をとられまいとして曖昧にしか語ろうとしない、あるいはただ声高に文句ばかり叫びまくる政治家たちの言葉に国民は辟易としていたのだろう。簡明で直截な言葉を情熱的に繰り返す小泉に、国民は狂喜し、惜しみなく「高支持率」を贈った。そこには、あたかも政治ドラマの醍醐味を思い出したかのような雰囲気さえあった。
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一方、森善朗が二〇〇〇年五月十五日に神道政治連盟国会議員懇談会でおこなった発言は、本人もさほど意識していない「うっかり発言」であった。それでも、政治的帰結はけっして小さなものではない。森の発言はつぎのようなものであった。
日本の国はまさに天皇を中心とする神の国であるということを国民にしっかり承知していただくという思いで活動をしてきた。(中略)この「神の国」発言をきっかけに、森内閣の支持率は四〇%台であったものが二〇%台、あるいはそれ以下へと急下降していく(翌月の朝日新聞社の世論調査では十九%、産経新聞社の世論調査では十二・五%)。翌月の衆議院選挙では、森は自民党の政治CMにも登場しないほどに選挙の表舞台から追いやられたが、それでも自民党の退潮は避けられなかった。

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テレビのニュースと政治家は、いまや相互依存的になっている。相互依存のなかでは、相手を理解し、相手のニーズをふまえて行動することは、珍しいことではない。<小泉型>は、テレビ・デモクラシーという時代状況を反映した政治手法にもなっているのである。
 その典型的な例が、小泉の「ワンフレーズ・ポリティクス(一言政治)」である。これによって、日本の首相も、アメリカ大統領なみに、ニュースショーと相互依存的になったといってよい。ワンフレーズ・ポリティクスは、なにも小泉の発明したものではないからである。
 そもそも、テレビのニュースショーでは、通常、一定の放送時間のなかに、政治問題から芸能・スポーツにいたるまで、数多くのニュースが並べられる。一つ一つのニュースは短く、悲痛に満ちたニュースが二~三分流れたかと思うと、もう笑みがこぼれるような映像へと変わっていく。目先がどんどん変わっていくのも、ニュースの娯楽性の一要素である。
 こうした状況では、いくら政治家がきちんと説明しても、それがそのままニュースで放映されることはまずない。むしろ、気の利いた短いセリフをいえば、ニュース番組は喜んでそれを利用してくれる。
 アメリカでは、レーガン大統領時代から「サウンドバイト」と呼ばれる一〇秒ほどの短いフレーズを大統領が用意することが一般化している。大統領にとって都合のいい方向に議論を導くために、気の利いたセリフを政権側が周到に作成し、それを演説や発言のなかに入れておくのである。それをマスメディアが目論見どおりに取り出して利用してくれれば、大統領側は政策を自然と国民にアピールすることができる。ニュースショーの特徴をふまえた巧みなメディア・ポリティクスである。
 アメリカでもそうなのだろうが、日本の場合、政治家はとくに長々としゃべる。周到に言いまわしを考え、言質をとられないように婉曲表現を使う。ところが、小泉の場合は、政治家には似つかわしくない短く断定的な発言スタイルである。たまたまにせよ、これはニュースショーのニーズに合致したものであった。

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【Book】TAKASE, Junichi.2005. <Word Politics>as a weapon: Political technique at the time of loss sharing.Tokyo: Kodansha.

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