Friday, April 28, 2006

【Article】国際報道に欠けているもの What international reports lack

【雑誌記事】倉田保雄.1982.「新聞の国際報道に欠けているもの」.『諸君』.第14巻7号.96-105頁.

この人の文章は分かりやすい!
昨日(?)ご紹介した『ニュースの商人』のあとがきは発信力に焦点がありましたが、
こちらは受信力にも疑問を投げかけるものです。
私も、「日本は耳は長いが口は小さい兎」と言われても、
そもそも耳が長いかも疑わしいだろ、とは思います(笑)
個々人では努力している人も沢山いると思いますけれども。

以下、引用。
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 しかし、こうしたマスコミの国際報道はたしかに”目まぐるしい展開をみせる国際情勢を刻々とらえて報道している”には違いないが、報道の焦点がA点(例えばポーランド紛争)からB点(中米紛争)に移った場合、A点関係のニュースは急激に新聞の紙面、テレビの画面から消えてしまい、しばらくの間は明けても暮れてもB点関係のニュースのオン・パレードと云うことになる。

 具体的な例で云えば、昨年十二月からことしの二月にかけて、日本のマスコミの国際報道はポーランド一色で、中東紛争などはもう収まってしまったかのように文字通りの”沙汰止み”で、読者はポーランド以外では『何も起こっていない』という錯覚にとらわれかねない。
 そして、ポーランドにおける軍政が長期化の兆しを見せ、”連帯”のニュース性が落ち込み、全般的に報道が内容的にマンネリ化すると、ニュースの焦点はエルサルバドルの三月総選挙をめぐる反政府ゲリラの活動を軸とした中米紛争に移り、読者、視聴者は好むと好まざるにかかわらず、”リングサイド観戦”を余儀なくされ、自動的にポーランド離れをすることになるのだ。その間に、ポーランドでは派手な紛争などは起こらないにしても、グレンブ大司教による調停工作などポーランド情勢全般は活動を続けているわけだが、三月末ごろまでに日本人の大多数は、ポーランドについては忘れがちで、中米紛争に気をとられてしまっていたのである。
 中米紛争にかんする予備知識もなく、日本と直接関係のない紛争をいきなりリングサイドで見せられても、おもしろくもあるまいと思うのだが、”消費者”には選ぶ権利があるようでいて実はないのは現代消費社会の”見えざるパラドックス”であり、ニュース消費も決してその例外ではない。
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 ニュース・マガジンとは、アメリカのタイム、ニューズ・ウィーク、フランスのレクスプレス、ヌーベル・オプセルヴァトゥール、ル・ポワン、西ドイツのデア・シュピーゲル、英国のエコノミストといった国際ニュースの週刊誌のことである。なお、英国の場合は、週刊誌ではないが、サンデー・タイムズ、オブザーバーといった日曜新聞がエコノミストとならんでニュース・マガジンの役割を演じている。
 これらの週刊誌を定期的に読んでいれば、一般紙の読者でも、”バミューダ症候群”に影響されることなく、フォークランド紛争進行中でも、中東、中米、そしてポーランド情勢に毎週”接する”ことができる。もちろん、高級紙の読者の場合のように毎日、なんらかの形で、世界のトラブルスポットの脈をとってみることができると云うわけには行かないが、私はニュース・マガジンによる国際情勢のレギュラー・インプットの効果はバカにならないと思う。
 日本には週刊誌という名のつく雑誌は掃いて捨てるほどあるが、残念ながら国際報道なみの厚い読者層を持つニュース・マガジンはない。
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【Article】Kurata, Yasuo. 1982. What international reports by newspaper lack. Shokun. Vol.14, No.7. pp.96-105

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